2009/12/29

八坂の塔の下で撮る


 例年、年末年始は、いつも大阪方面だった。今年は全く暇で、今年こそゆっくりと、延々と続く年末年始のTVの「ちゃんばら番組=例えば柳生武芸帳など」を満喫したい。もう6~7年も見ていないので、定かではないが、まだやってると嬉しい。それにしても、暖冬だとか言われていたにもかかわらず、寒さも本格的になってきたと痛感する。その冷たい空気に触れると、やはり京都の寒さを思い出す。四条大橋手前から河原町に向かって右上に見えるデジタル温度計の数字が印象深く、-1度とか-2度とかという数字が浮かぶ。こんな時期は、つい「彩のカレーやイノダ珈琲(両者紹介済み)」を思い出してしまうのである、それも胃袋の条件反射なのかもしれない。いや、やはり、京都の寺が好きだとか、仏像に興味があるとか、その類ではない。先々週は、そう哀愁に浸っていたわけである。ところが、昨日になって大阪方面から電話が入ってきた。大した内容ではなかったが「挨拶がてら、行きますよ」と、つい、応えてしまったのである。勿論、日帰りでも十分なのだが、一泊してついでに京都に寄ることにした。 ところが、病院の依頼話はやはり想像以上に無理難題であった。

 仕事を終えた翌朝は、早起きして阪急梅田から特急43分で河原町へ出る。ここからは歩きながら楽しむ。四条大橋を渡り、振り返ってデジタル温度計を望むと、それでも4度だった。途中、花見小路通りを下る(京都駅方向)。年明けとは違い年末は人もまばらで、閑散としているが外国人は多い。道なりに東大寺通りに抜けたい。途中ペンション祇園という看板を横目に見ながら、東大寺通りに出た。八坂通りと交差するところで横断歩道を渡り、そこを少し登る。そろそろ右だと思っていると、いつものように「あなたの着物姿を撮影します班」に出くわした。正面には八坂の塔が見える。こういう場所で、着物姿を撮影してもらうのは、結構費用もがかかるが、メイクも決まっているし一生使える写真になる。と、人気もあるようだ。しかし、どうも1人で写るのは気恥ずかしいようで、必ずお仲間がいる。お正月は撮影した写真を観ながらみんなで楽しんで欲しいものだ。観光客もまばらなので、撮影者の仕事振りを少し眺めたが、なかなか問答が多くて始まらない。やはり、お客の希望通りの写真を撮影するのは難しいようだ。それでは、お先にという感じで、ちゃっかりスタッフ込みで、顔が分からないように撮影させてもらった(今日のPDF写真)。シャッタを切った後は、「こういう仕事も1度くらい経験してみたいな」と思いながら、すたすたと五条坂と茶わん坂の分かれ道へ向かう。ここも人はまばらで、さすがに年末は歩きやすく、学生の二人づれもちらほら。ここまで、河原町からのんびり30分程度である。茶わん坂は、昨日来た様に思えるほど変わっていない。

 「彩」も空いていた。いつもの場所に座り、いつものカツカレーを注文する。お店のお母さんも、いつもの通り料理の合間に「手間のかかるカレーの作り方の説明」をする。こちらも、またいつものように、「へー、へー、ふーんそうですか、拘ってますね」と合図地を打つ。しかし、肝心なことは教えてくれない。出来上がると、昨日の記憶と重なるカレーを堪能する。やはり、美味しい。京都は土地柄なのか、手間のかかる仕事ほど丁寧に仕上げられる。終わると、お勘定をしながら、「東京からわざわざ食べに来ました」と、恩着せがましく印象付けるのである(京都シリーズ紹介済み)。ここには、1日弟子入りをしたいくらいだ。

 店を出ると、ここからは、目を瞑っていても行ける、お決まりの道順で「イノダ珈琲清水店」に向かう(紹介済み)。ここでも、やはり注文は砂糖入りの「アラビアの真珠」になる。イノダ珈琲店は東京駅の大丸にもあるし、珈琲豆なら分倍河原のお茶屋さんにも置いてある。しかし、この清水店だけは「何故か引き寄せる味」なのである。やはり、ここでないと味わえないと満足。いずれにしても、「裏技のような手間の掛け方で、外見は何も違いはないけれど、その違いが分かる人が来ればよい」ことになっているようだ。帰りは、胃袋の上部から、時々はみ出しそうになりながら、すたすたと八坂の塔からそのまま東大寺通りへ下り、206番のバスに乗る。年末はバスもすいすい走る。揺られながら(上の写真)、その無理難題の宿題を思い出した。やはり裏技の塊になりそうだ。来年になってからゆっくり考えよう。 それより先にやんなきゃいけない事がある。そうだ、ついでに年賀状の写真も撮ってこよう。京都駅では降りずに、そのまま七条堀川までゆく。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21448&app=WordPdf


2009/12/25

チョコを運ぶトラック

 スーパーの売り場の棚の上には、赤と銀色でデザインされた長靴がズラーと並んでいる。その長靴のネットの中には、お菓子がいくつか覗いている。このような風景は何十年も変わらないようだ。今の子供達は、そんな物は欲しがらないんだろうなと思っていたら、それを大切に抱きしめた子供を見かけた。言葉少なく、お母さんの上着のすそを握り締め、じっとレジが済むのを待っている。いつもなら元気いっぱいに動き回って母さんを困らせているのに、今日は随分大人しくしている。さぞかし至福の時を過ごしているに違いない。さすがにその長靴はいらないが、私も何か買ってもらって、大人しく無口になりたいものだ。この場の雰囲気が読めないかなと後ろをチラッと見る。 

 母さんは、子供達が大人しく言う事を素直に聞いてくれるなら、クリスマスは毎月あってもよいと思うかもしれない(思わない)。その場で買ってもらう喜び、あるいは買ってあげる喜びは、財布の許す範囲で幸福感の共有が出来る親子の唯一の作業である。この殺伐とした現代社会では、子供達だって多くのストレスを抱えているし、時折不安感さえ覚えるかもしれない。そんな時、やはり、母さんは、いつも自分の味方であることを認識したいのである。大人は、子供が「何気なく今、気分で欲しがる物」は、わがままだとさらっと流してしまうが、時には試されているかもしれない。それを、敏感に察知する能力を備えておいて欲しいものだ。

 クリスマスだからといって我が家には、特別なイベントは無い。参加者2名では、何をやっても盛り上がるはずが無い。いつものように、いつものごとく、年末のざわめきの中に消えそうになる。しかし、こういう時期には、特別な商品も顔を覗かせることがある。売り上げ低迷の折、なにやら復活だとか言って人気のあったものが期間限定で再登場することもあるし、どのような付加価値を付けて夢を企画してくれるかわからない。それが許されるのもこの時期の特権といえそうだ。そこで、情報だけは見逃さないように心がけたい。私なんか、もし、ハーゲンダッツにブランデーチェリー・アイスクリームが復活しクリスマスケーキという形でも提供してくれれば、迷わず買ってくる。いや、そうでなくても形には拘らない。贅沢も言わない、カップ入り小売だけでも良い。あれだけは、群を抜いて美味しかったと印象深く残っている。

 今朝、目が覚めると机の上に包み箱が置いてあった。サンタが寄ってくれたのであろうか、忙しいのに申し訳ないなと思いながら、包みを開いてみるとブリキで出来たトラックが出てきた。荷台には板のチョコレートが4枚入っている。いやー、それにしてもブリキのおもちゃは懐かしいな。ふと昔へタイムスリップしそうだ。私の幼い頃は、こんな物しかなかったが、貰うと1ヶ月ぐらい一生懸命それで遊んだ。知らず知らずのうちに、将来の夢を抱いたものだ。昔の写真には、必ずブリキで出来た、はしご付き消防車、電車、オート三輪、ドイツ製のバン、等のおもちゃが一緒に写っている。今、このトラックを眺めながら、しばし、ブリキの角の絞りを指で撫でる。最近のものは作りが良い。子供が触っても絶対に怪我などしないようにと巧妙に処理してある。塗装も随分綺麗に仕上げてある。ふと、この頃に比べて今が幸せかと聞かれると、必ずしもそうとは言えないが、こうやって、楽しかった子供の頃を思い出す事が出来る自分は、そこそこ幸せだと思うのである。そんな、昔を思い起こすひと時を与えてくれるこのブリキのトラックは、大人への優しいプレゼントといえよう。
 ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21465&app=WordPdf

 

2009/12/22

腰痛治療2

 腰痛に関する情報サイトは人気が高いと、腰痛持ちの友人から聞いた。確かにそうだと思う。去年の5月に書いた「腰痛治療」も、今だに「検索からのアクセス」が10位以内(毎月)に入ってくることからも十分理解できる。しかし、じっとしてパソコンに向かっているようでは、腰痛は良くはならないと思うが、それに苦しんでいる人口が如何に多いか推測できる。それにしても、腰痛には様々な症状があって、治療方法も、指圧やマッサージに代表される民間療法、サロンパス等で神経の興奮を抑える塗布型炎症緩和、西洋医療による手術の3種類ぐらいに分類されるらしい。私の場合は、独自療法で腰周りのストレッチとウォーキング時の歩き方の工夫や腰巻バンド(効果大)、さらに西式健康器具(紹介済み)によって、工夫を重ねながら腰痛と付き合っているつもりである。最近では、ヒートテックのズボン下で暖めてあり快調である。それも、これも、腰を痛めた回数は小さく見積もっても3回程あり、全く完治などということは考えたことがない。将来、坐骨神経痛にならないように、自己流で臨床試験を重ねてきた。どのような病気でも、上手に付き合うことを基本にしなければならない。

 もっとも、激しい痛みと戦った時期も何度かあり、腰痛の苦しさは知っているつもりである。仕事のついでに何度も病院のMRでチェックしてもらってきた。酷いヘルニアもある事も知っている。この患部を庇う為に負担が増えて痛む筋、筋が引きつったまま行うストレッチ等によるリアクションで、痛みの連鎖が再び痛みを呼ぶわけである。こういう場合も専門家でないのが辛い。さて、この自己臨床試験で分かってきたことは、長引く痛みは、とにかく「おケツ」=関西風に言えば「おいど」がポイントで、ここを柔軟に動かせるようになると痛みは軽減する。「ウォーキング1」でも書いているが、骨盤を左右、前後、円周上に動かす準備運動をしておくと、ウォーキングでも足の疲れが少ないことから、そう考えるようになった。だいたい、ロボットでも2足歩行させるのに苦労しているぐらいだから、人間も進化の途中で無理がかかるようになってしまったのかも知れないと、納得してきたのである。1つ違いは「おケツ」というか骨盤の機能はロボットには装備されていないか、人間ほど外見上目立つ構造はしていない。つまり、我々人間は「おケツ」の中に何か重要な機能を搭載しているのかもしれないとも考えていたのである。しかし、逆に考えると、日常生活では、「おケツ」が大活躍する事が数少ないのかもしれない。

 と、ところがである。世の中には不可解なことをよく目にする。テレビなどで腰の痛みやヘルニアで休養をしていたアスリートが、何も無かったように元気に飛び回ったりする姿を見る事がある。それを見て「そんな!完治するんだ」といつも驚くわけである。だから、大学病院では治療できなくても、きっと、完全に近い治療方法というのがスポーツ医学等にはあるに違いないと思うようになったのである。それを何としても知りたい。しかし、今からバリバリのアスリートになるわけにもいかないのである。

 大概の腰痛持ちは、様々な独自の工夫を凝らしながら時々、行きつけのマッサージ屋、ほぐし屋、必殺カイロプラクティック、などへ通っているに違いない。去年の「腰痛治療」で紹介した西武治療院は、確かに一時劇的に治る。しかし、いつも混雑して毎回々通うには適していない。その日一日が丸々つぶれしまうからだ。そこで、自己流の緩和方法を考案・改良するわけで、そのためには、とにかく解剖学的な正しい情報が必要になると常々考えているのである。そんな折、本屋で「腰痛は99%完治する」という本を見つけた。何とも、微妙に希望の持てるタイトルが付けられているところが憎い。早速、連れて帰って1時間ぐらいで貪り読んだ。うーむ、仙腸関節というのが骨盤に存在していたのである。そんな骨盤に関節なんぞがあるとは、つゆとも考えなかったし、そんな説明を誰からも、もちろん大学病院の先生からも受けたことは無い。人間の体の耐衝撃設計は、凄い事が分かった。どうも、その仙腸関節を柔らかくしないと腰痛は根本からは治らないと記述されている。結局、酷い場合は筆者の「予約でいっぱいのクリニック」へ通う必要があるように読める。読み始めはそのクリニックの宣伝かと思ったが、それにしても、そこそこ明快な理屈が流れていて、これで少し謎が解けたような気がするのである。
  
  そこで、PART3の「腰痛チェックテスト」をしてみると、大学病院の画像診断の見立てと一致する結果となった。この本の筆者は、画像診断をしなくても症状で患部が特定できると書いているが、それを実証していると思い、な、なるほどと納得したわけである。続けて、「症状別緩和対策」のページを読みながら、同じ様に試してみることにした。勿論、物凄く簡単作業で、まだ3日目で良い悪いなどと判断は出来ない。しかし、やはり翌朝は、強烈に痛みが走り「きついな」といった感じであった。どのような試みも、リアクションは避けられない、最初はいつも痛みが出る。これは自然な反応である。ぼちぼちと自己流の緩和方法に取り入れて、しばらく続けてみたい。ちなみに、この本は、アマゾンの健康、腰痛分野で人気No.1 だそうだ。
 ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21457&app=WordPdf

2009/12/18

代官山シェ・リュイ

  師走になって遊びに来いと言われても、俺にも色々都合ってものがあり、返事に困る事があるが、先方はやはり暇なようで是非にと言われ、お邪魔することにした。特別用事があるわけでもなく、ただ、音を聴いてみて欲しいというだけのことである。オーディオマニアは、時々1人では迷いが生じるのかもしれない。だいたい趣味は1人で楽しむものだが、時たま他人様の評価というか、意見を聞いてみたくなるのであろう。そんな余裕をかましていると、酷い目にあうのも趣味の特徴で、自分が気にしていることだけではなく、全く気にもしてなかったところまで指摘されてしまい、結局落ち込んでしまったりするのである。 でも、それが良い刺激になり、そこで進歩が止まらなければ、よいとも思うのである。

 彼の家に着くと、既に真空管アンプには1時間前から灯がともっていた。少々回路が違うとか、部品で音が違うとか言われても、そんな、年に1度ぐらいしか訪れないのに、しかも個性的なアルティックA7の下では、細かい違いなんかわかりそうもないけれど、まだ拘りたいのであろうか、あるいは、自慢したいのであろうか。早速、いつもの「クールファイブの港の別れ唄」を掛けてもらう。たわいも無い歌謡曲だがA7は、ひときわ開放感を漂わせる。最初のアルトサックスのリードに音の厚みがあり艶っぽい。前川清の声の明瞭度にも優れ、中低音の肉付きもよく大型フロアの存在感を見せ付ける。少し音量を上げたところで、A7から離れてみると、それはそれで離れるほどに声の明瞭度、各楽器のパートの分離が良くなり、庭に出て聴いても上々である。さすがにVoice of Theater だけのことはあると賞賛してしまうのである。次に、リストの「超絶技巧練習曲」を聴く。スタンウェインの重量感そのままに、左手の指使いまでリアルに再現出来る能力は、大型の良さでもある。小型の完全密閉型スピーカではちょっとこれは無理だなと感心する。最近のスピーカだと音程感だけなら出るかもしれないが、グランドピアノのスケール感を音にできるのは、かつて金庫と綽名が付いたテク二クスの10000番ぐらいだったと、昔を懐かしむ。中音域の厚みがピアノの弦を叩く感じをよく再現し、余韻もよく残って、その余韻の交錯が心地よい。ちょっと響きすぎかもなと首をかしげる。次は、ベルディのレクイエムからあの、怒りのパートを聴く。目の前で大太鼓を打った時の空気の動くさまや震えの減衰状態を肌で感じる、我が家とは力強さが全然違う。 ただ物理特性に拘ったのと違い、そこに存在する駆動部や振動部の物理量の違いとでも言うのであろうか、例えば、牛乳瓶を落として壊した時の音の違いで表現すると、ワイングラスを壊した時の音が我が家で、半升瓶を壊したときの音がこのA7と思ってもらってよい。少し大袈裟だけど、そのくらい違いを感じるのである。また、このような力強さは、反面デリケートな楽音には不向きな傾向を示し、おのずと音楽ジャンルが限定される。しかし、どのようなジャンルも満遍なくつまらない音を出すより、魅力に感じる事があるに違いない。また、合唱のパートはやや混変調のように濁ってしまっている。それにしても、こんなに大音量なのに、1W行くか行かないかだそうで、今更ながら効率はよく、そこだけは時代に適合した省エネでもある。

 このあたりで、お茶の時間になったが、手ぶらで訪問するわけにも行かず、つい、洋菓子なんぞを買って来たわけだが、何を持ってきても、美味い美味いという夫婦だから、ちょっと難解なものを選んでみた。勿論、自分でも食べてみたいと思うものでもあった。手見上げは、必ずそれがテーブルに出てきて、それは、キャッシュバックのようなものと考えているので、たっぷりと買って来た。その洋菓子見本はPDFを見ていただきたいが、この白い渦巻きになったやつが格別に評判が良かったし、久々に自分も美味いと思った。そこで、自分用に再び買ってきたというわけである。 名称は「モンブランフロマージュ」といい、カップに中になめらかなバニラプリン状のクリームがあり、その上にクリームチーズ入りの生クリームをしぼって仕上げられている。途中2種類のソースが上下に分かれて入っている。この代官山シェ・リュイでは、小安いモンブラン・マロンや、スイートポテトなどが良く売れているが、このモンブラン・フロマージュは、直径70mm、深さ30mm程度のカップで何と1個473円。いわば中身の濃い重量タイプで、アルティックA7に対抗するには、ぴったり来る感じでもあり、なかなか場の雰囲気に合いそうな存在感が気に入ったのである。

 最近は、洋菓子にも健康志向が優先し、甘味を抑えて低カロリーで、軽い洋菓子に人気がある。パクッと食べるにはそれでも良いが、少々味わいを楽しみたい向きには、それでは十分とはいえない。後味にも何となく物足りなさを感じ、血糖値が上昇するまで時間がかかるし、血糖値がエネルギーと化して大脳を刺激し、冴えた発言もなかなか出てこない。そういう時は、個性的でも厳選された素材を「たっぷりと惜しげもなく使った」ものが効果的で、食べ応えが幸福感を増幅する。
 人の好みというのは贅沢に出来ていて、優れた物でも趣味なるがゆえに毎日使うと不満が出てくる事があるし、美味しいものも続けるとすぐに飽きる。この不満や飽きっぽさとどのように付き合うかも楽しむ裏技の1つといえそうだ。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21441&app=WordPdf

2009/12/15

高尾山1

 今日は高尾山口まで来ている。新宿から京王線特急で50分程度の場所である。京王線の改札を出ると右の狭い道なりに進む。左に小川のせせらぎが聞こえ、ピーンと張った冷たい空気で、随分遠くへ来たなという感じがする。5~6分歩いて広い通りに出ると道の両脇には蕎麦屋が並んでいる。ああ、ずっと変わっていない。あの店でも、この店でも蕎麦を食べたなと、きょろきょろ暖簾を眺めながらケーブルカー乗り場へ進む。乗り場では、丁度ケーブルカーが発車したところだった。次の発車は、15分後になるようだ。しばし、退屈な時間を過ごすが、乗り場の壁面には綺麗な高尾山の写真が大伸ばしにして幾つか掲示してある。凄い写真ばかりで圧倒されてしまう。 どうやって撮影したのだろうと想像している間に、リュックを背負った団体が乗り場の左の脇道を通る姿を確認した。おおっ、そんな装備がいるのかとびびってしまった。

 高尾山には、歩いて登るルートもいくつかあり、自然に親しむ、例えば動物、植物、鳥、昆虫などを生態を覗くには、そちらの方が楽しい。もっとも天気も良いので、気分的にはそうしたいが、ヒアルロンサンZXを飲んでいないので膝や腰を痛めてはならないと思い、やはりケーブルカーを利用することにする。案外テレビのCMは、人を宥める効果があるかもしれない。そうそう、CMと言えば、本木君の出ている、右手で背広の襟を掴んで、いざ出掛ける様子を最後の静止画でみせるCMは、素晴らしく格好よい。胸板の厚みがあると、あのようなショットが創作できるのか「おーっ」と半ば感動ものである。その前の畳み込むようなスピード感溢れるシーンは全て、身のこなしの美しさで、バランスと体の切れのよさを次々と強調する、それらが最後のショットを印象深いものにしているのである。なんのCMかは忘れたがLED がどうした、こうしたとかいっているようだが、完全に本木君のプロモーション映像である。やはり、「丘の上に立つ男」は体を鍛えておかなければならない。

 話を戻すと、高尾山に登るには、ケーブルカーのほかにリフトも用意されている。高所得意症で気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸い込みたい方は、そちらがお勧めになる。ケーブルカーもリフトも、往復900円で、片道だと470円、したがって、片道づつ別々に楽しむことも出来る。ケーブルカー(リフト)の始発は8:00(9:00)から15分おき(随時)に出発し、乗車時間は6分(12分)である。最終運転は、季節や催し物によって異なるが、一般的には、おおよそ17時(16時)までと考えておくと間違いない。

 ケーブルカーは山の斜面になぞられて、垂直に立ったまま移動できる乗り物だが、最初は傾斜が緩やかな場所を走行するので、概観はやや前傾姿勢をしているようにみえるが、最後に傾斜31度18分と急峻な場所を登るので丁度良い姿になるようだ。それでは、今からケーブルカーに乗リ込むことにするが、乗車位置はやはり先頭しかないだろう。どういうわけか、幾つ歳を重ねても、やはり先頭の窓越しに立つと言う癖は変わらないようだ。時折、京王線等でもおっさんが子供達に混じって、先頭の運転席のそばに立っている姿を見かける事がある。じっと、電車のスピードと運転手の操作を比較しながら見入っている。子供の頃から運転手に憧れ、何時かあのハンドルを握ってみたいと、ずっとずっと考えていたようだ。そのためには、信号機を見て運転手の指差す姿や、確認号令を真似しておく必要もある。加速はどの場所でするのか、駅構内でのブレーキはどのタイミングなのか、停車位置にぴったり止めるには、などと、しばし、子供心に戻っている。それも、仕事を忘れるほんのひと時なのかもしれない。その感覚と全く同じである。

 さっそく先頭に乗り陣を構える。運転手も乗り込み出発する様子だが、車内電話で何か連絡を済ませ着席する。しばらく静寂の中、じっとしていると動き出した。スピードは案外想像より早い。線路の左右の木々は丁寧に刈り揃えられているし、落ち葉も清掃されている。線路中央にあるワイヤーがぐいぐい引っ張り、常にピーンと張り詰めている。ケーブルカーはみるみるのぼり、眼下には徐々に紅葉が広がってくる。車内も騒がしくなり、次から次へと紅葉が太陽の日差しに透けて輝きながら流れていく。子供達もはしゃぎ回り楽しそうだ。中間点の上りと下りのケーブルカーが交差するところでは、子供達の興奮もピークに達する。
 その風景は、こんな感じなのである。 紅葉もこれからの時期、しばらく続きそうだ。本来の見所は、もっと先の鉄橋を渡るところあたりで、傾斜も鋭くスリリングで眺めも良い。一緒に乗ったイメージで眺めてもらいたい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21440&app=WordPdf

2009/12/11

洋菓子ウエスト

 世話になったというお礼の印に年末の届け物には気を使う。しかし、お世話になっていないけれど、「おお、元気か?」の挨拶代わりに何か贈るというのは楽しい。それは、「着いたぞ」という電話であったり、「今どうしてる」という会話の中に何故か安心感を伴い、そこに仲間としての存在価値を見出せるからである。それも、のっけから生活観や仕事観が覗く話題より、お菓子の話から入るのが無難である。と思うが、最近は健康志向も案外話題の中心になる。だからお菓子にも、それなりに難しさがある。食べたいけどたくさんは駄目という迷いの中で、誰しも諦めがちで究極の選択をする苦悩が存在しているのである。みんなそれぞれ体調によって、苦しみが違うのである。

 人は、甘味においても長い人生経験の中で取捨選択された得意分野が存在する。例えば、私などはあんこ系が好物で、小豆をこよなく愛している。この種の加工品を戴くと、その人は無条件に「センスの良い人というレッテル」を貼ってしまうのだが、逆に、こちらからの届け物に関しては、あんこ系は相手も迷惑だろうと思ってしまう。あんこ系はなにせ歴史も古く、美味しい物はいくらでもあるけれど、砂糖との関連が強く理解してもらえないことが多いので、最近はそういう誤解を生むような商品は避けたい。その分、モダンでCM等で理解されやすく、低カロリーな「ソイジョイ」をまとめて贈る事が多い。大人は少々がっかりするかもしれないが、子供さんには評判が良いらしい。届け物には、やはり信頼感のある大塚製薬が良いと思っているのである。しかも、これなら、あっても邪魔にはならないだろうし、賞味期限も長いので安心なのである。

 今日は、戴き物で、自ら進んで購入することの無いカテゴリーだが、「上品で美味しい」と思ったので、ぜひ贈り物の参考にしてもらおうと思って登場させる。戴いたのは、出版社にいた頃の最初に仕えた編集長で、駆け出しだった頃よく銀座へ美味しい物を食べに連れて行ってもらった。決して豪華でも、高価なお店でもなかったが、ちょっとお洒落で美味しく小安い、というお店だったことを思い出す。今はすでに、ご自分で後期高齢者になったと威張ってらっしゃるが、それでも、文化人の薫りがして、「軽く一流」なのである。今回紹介するものは、決して高価なものではないが、上品なクッキーである。

 忙しい毎日を過ごしていると、贈り物などにこだわることも無いと考えることも多い。しかし、実はこれが一番人柄を表していると思うのである。歳を重ねれば重ねるほど、その選択眼が重みとなって自分に伸し掛かる。このようなクッキーやお菓子に限らず、やはり、平素から歴史的背景を踏まえて、美味しい物、体に優しいもの、珍重される物、などを豊富に食べて勉強しておきたい。自分で平素からそう心がけないと、贈り物でさえ、気持ちを伝える時の品物に困るに違いないし、逆にセンスの悪い人は、うんざりされてしまう。 やはり、少しだけでも、ちょっといいものを贈りたい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21436&app=WordPdf

2009/12/08

京王フラワーガーデン

 今日は、京王線多摩川駅に隣接した「京王フローラルガーデン アンジェ」という庭園へ来ている。街中にあって、規模はさほど大きくないが細部にまで手が加えられ、綺麗にデザインされた庭園になっている。入場料も大人500円なので手軽に入れる。今日は、少々肌寒くなって人影も少ないかと思いきや、近所の人達なのだろうか、親子ずれで賑わっている。時たま雲の間からさす日差しが、ひとときの暖を送ってくる。パンフレットによると、園内は15のテーマガーデンに区切られていて、季節ごと見事な花を咲かせるという。年間パスポートも2,000円でお安い。そして、この庭園の近所にお住まいの方は、1年間、月曜~金曜の5日毎日通えば、おおよそ1回10円以下になり、もはや自宅の庭といった使い方になりそうだ。

 この京王フローラルガーデンは、ウォーキングコースの途中にあり、いつも寄ってみたいと思っていた場所である。 おまけに、隣にはレストラン「馬車道」があり、その建物は洋館スタイルで何となく雰囲気もよい。どこか、人が行動を起こす衝動の中には、いや、もっとも俺だけの性質かもしれないが、ウォーキングの目的地にはモスバーガーがあったり、写真撮影の後には蕎麦屋があったり、お祭りでは屋台しか興味が無かったり、旅行も観光より宿の食事であったり、国会議事堂へ行ってみたいと思うのは、実はその中の食堂に興味があったりと、必ず「食」の一文字が付きまとうのである。まさに、それが、行動の引き金にもなっているようだ。この馬車道はフローラルガーデンの平行して隣接しており、庭園を散策した後、ゆっくりとした時間を過ごしたい向きには丁度良い。小腹が空いていれば、軽食やパスタもあるようだ。「従業員の衣装も矢羽根姿で文明開化時代を演出し、茹で上げスパゲッティや、こだわりのドリンクバーをお楽しみ下さい」とある。少々、誰でも興味が沸くと思う。勿論、フローラルガーデンを遠方から訪れる人にとって、この京王多摩川駅近くには、1度に大人数を収容できる食事どころはここしかない。

 さて、庭園の詳細はHPをご覧戴きたいが、15のテーマガーデンの中から、今回は興味を惹いたウォール・ガーデンを紹介したい。ここを選んだ理由は、かなり個人的な理由になるが、実家がレンガの塀で囲まれていることもあって、何処となく子供の頃を思い出して懐かしさを覚えたからだ。祖父が英国へ洋行した後に建てた家だったこともあって、幼い頃から英国風というのが象徴的でもあった。当時は祖父の勤務先でもあった海軍工廠もレンガの建物が多かったと父から聞いたことがある。現在でも海上自衛隊にいくつかレンガの建物をそのまま使用している。そうか、明治時代=レンガ=英国風か、「それにしても、最近は田舎に帰っていない」と思いながら、恐る恐る庭に足を踏み入れ中央に佇むと、何処からともなく Let me take you down 'cause I'm going to strawberry fields と歌う、ビートルズの曲が聴こえてきそうだ。ジョンが子供時代によく遊んだリバプールの孤児院の庭先がこのような感じだったのだろうか。こんなところで、自分の世界をつくり一人で遊ぶ子供の姿が目に浮かぶようだ。・・・・・と勝手に想像しながら、白いガーデンチェアに腰掛ける。しばらく、次から次へとジョンの曲が頭の中に溢れ出し、僅かな時間だが長く感じ日常の喧騒を忘れかけたが、一寸寒いので立ち上がった。

 そうだ、今日のテーマは「俺のストロベリーフィールズ」にしよう。と周囲を見回し、今座ってボーッと眺めていた方向に向かって歩き、振り返ってシャッターを切った。 レンガに囲まれた庭が少し広めに見えるかもしれないが、使用レンズは水平包括角度で90度程度である。
 ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21417&app=WordPdf

2009/12/04

永遠の好奇心

 と背文字が並んだ「週間朝日MOOK」、私は「朝日」と付いた物は大嫌いである。しかし、・・・それでも、「何とも格好の良い写真なんだろう」と思い、つい手に取ってしまった。「左手」で煙草を挟み、「薬指がピーンと伸びて」いるところが、とても印象的である。写真だけでは、刑事なのか、ヤクザなのか、わからないが、紛れもなく文屋の姿でしかない。それは、親しい報道カメラマンが撮影したように思えるからだ。煙草の火の状態まで累意して連写撮影された中の1枚である。煙草の先が赤く燃えているのは、煙を吸い込んでいるからで、その時に、顔の前には、さほど煙は存在しない筈である。しかし、このショットを気に入った編集者は、彼がヘビースモーカーであった事を強調したかったと思われる。煙の大半は写真に後から追加された可能性が高い。

 何故、そんな「体に悪い煙草を吸う姿」を表1に選んだのであろうか。煙草を吸うオヤジはいまだに多い。そして、文屋は煙草を止めない。私も先輩3人、同僚1人を煙草で失っている。私の知る限り彼等は、入院するまで煙草を離さなかった。朝などは、そのニコチンが毛細血管の隅々まで行き渡り、初めて普通の人間と同じ状態になる。そして、文章を書き始めると、自らの後ろ頭を殴るように、ニコチンを次々と投与しなければならなくなるのである。その刺激がピークに達する頃、初めて大脳が高速回転を始め、今日の取材と過去の記憶を整理しながら文字にして並べるのである。それは、「多面的な思考を統合して1つの提案を見出す苦悩」を表現しているのかもしれない。つまり、煙草は特に意志の強さに馴染みやすく、文屋の栄養源と化すのである。そんな時、ペンは冴え渡り、その発信された文字列は、勝手に人を引き付けるのである。しかし、そんな姿が絵になるのは、もはや「彼」以外にいないかもしれない。

 編集者は、「先輩の最も格好よい姿」を表1にしたかったと思える。そこには、編集屋が考える文屋としての理想が映し込まれていて、きっと、テレビで見る「今日はこんなところです」の気配りの先輩よりも、この時期の「汚れかけた理想と鋭利なバランス感覚を持った」気迫の先輩の方が、格好よく思えたに違いない。 しかし、それでも、まだ煙草を吸うのかと思えるほど、わがままで、それでいて、俺は癌に強いとか屁理屈を並べられる男だったようだ。40年間煙草を吸い続けると肺癌になることは、20年前に取材できていたはずである。それを知りながら、吸い続ける意味は、彼の仕事に対する熱意と裏腹なものだったのではないだろうか。人の話を聞いて、すぐに視聴者を説得できる文章が書けるほど、誰しも芸達者ではない。

 例えば、多摩川の氾濫の取材に行った場所で、家が流されそうになっている状況を目にしたとする。家には子供が取り残されているようだ、と聞いて救援隊が来るまでに自分のできることは無いか、命綱1本で自ら助けに行くような、まさに「入り込んだ取材」だったに違いない。そこで、子供の命を救うことが出来たとしたら、「俺も命がけだったんだから、煙草の1本ぐらい許してよ」。そんな言い草が似合ったに違いない。仕事に命を掛けているから、周囲は何もいえなかった。今日、納得する仕事が出来なければ、明日は無い。そんな覚悟にも似た緊張感が毎日周囲に漂っていたような気がする。編集者は、そんな彼の苦悩も伝えようとしている。

 雑誌など滅多に読まない私が、表1に魅了されて購入した。様々な分野から著名人(いや、そうでない人もいる)等が寄稿しているので、きっと「昔の思い出や彼を惜しむ文章」が並んでいると思い、しばらく読めずに棚に置いてあった。しかし、ぺらぺらとめくるうち、涙あり、笑いありで卑屈にならずにすんだ。特に、立花隆さんが聞き出した「オーラルヒストリー」が面白かった。もっと、詳しく続きが知りたい。

 それでも、やっぱり・・・・・、どの原稿よりも、この写真を表1にした編集者の方が、はるかに彼の本質を伝えていると思う。 「感性をくすぐられる」とは、こう言う事なのか。編集者は、こうやって彼をTBSから取り戻そうとしているのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21422&app=WordPdf

注1)MOOKとは、書籍と雑誌の中間的存在で、双方の良いところを兼ね備えている出版物。
書店の取り扱いは書籍並に長い。雑誌のように広告収入も可能。取り扱うテーマは、普遍性が高く、自立した内容を多面的にまとめる。かつては、本誌に対して臨時増刊号、あるいは別冊という扱い方もあったが、こちらは、テーマの普遍性は高くても、あくまでも本誌の補足的な要素が強い。
注2)・・・・煙草は特に意志の強さに馴染みやすく、文屋の栄養源と化す・・・・・とは表現上の比喩で、煙草はまぎもなく毒物であり、優れた文章力を養成する物ではない。


2009/12/01

神代植物公園4


 中高年の写真愛好家は、まだ確実に増えている。毎年定年を迎えた人達にとって、カメラは1人で遊ぶための良い道具になっているようだ。最近は、一眼レフカメラと「ちょいマニアックな小型」の2刀流も良く見かける。体力に自信がなくなったのか、内視鏡メーカーやコピー機メーカーのカメラを持つ人も少なくない。一方で、女性は一眼レフカメラを抱えている。テレビのCMで「一眼あそばせ」というのがあるが、実際に購入されているのは、そこのメーカーではなく、やっぱりニコン とキヤノン らしい。つまり、今、一眼レフカメラの市場を支えているのは、バイタリティー溢れる、こういう女性達なのである。確かに現場で、大きな声を掛け合って撮影しているのは、女性が多く。男性は、物静かにじっとチャンスを狙っているようにも見える。

 写真撮影は、一般的に僅かに感覚的な頭の使い方をする。そして、一寸だけ反省などもする。さらに、上達するには時間がかかる。理屈よりも、技術よりも、感覚的な話が優先する。つまり、「極めて焦点のボケた趣味」なのである。おまけに、今はシステム化の時代で、コンピュータも重要な役割を果たす。これが複雑かつ長く続けられる要因で、恐らく死ぬまで20~25年ぐらいカメラを手にしていても、大して上達などしないのである。

 さて、今日は紅葉を撮りに神代植物公園へ行く。といっても、何のことは無い。風景に向かってシャッターを切るだけである。さっさとシャッターを2~3枚切った後は、蕎麦でも食らって帰るだけである。たくさん撮ってしまうと後々迷うし、どうせ迷うなら、先に迷った方が良い結果になる。そんなつまらない事を考えているうちに、今朝も早くから神代植物公園の深大寺門側に着いた。

 気合が入っているのに、まだ9時前である。上の写真のお店の前を通ると、もう「お蕎麦の準備が出来ています」と声が聞こえた。「十割蕎麦もある?」と聞くと、「ありますよ」と返ってきた。神代植物公園の開門までに35分ぐらいあるので、今日は、先に「十割蕎麦」を戴いてみることにしたい。この店の十割蕎麦は、手打ち仕様のみで品名としては「せいろと天せいろ」の2種類しかない。他の蕎麦は全て二八蕎麦になってしまう。朝から十割蕎麦は、消化の点でどうかと思うが食べることにする。蕎麦好きなら、「新そばで、なおかつ手打ちの十割蕎麦」は、誰でも文句は無いと思う。そして、本来なら、十割蕎麦の写真を見て頂きたいが、十割蕎麦どうしの違いは分からない。いずれにしても、説明もしにくいし、写真でも上手く伝えられない。こればかりは、やはり食べ比べて欲しいのである。

 食べ終わる頃には、神代植物公園の深大寺門の前には、20~30人ぐらいの写真家が集まっていた。みんな目的の撮影場所は同じである。開門と同時に、目的の場所に向かって走る。競争だ。走りながらカメラをセットして、一番先に着いたので2度シャッターを切った。これで帰れる。お陰で、風景の中に人が居ない写真の撮影ができた。30秒もしないうちに人がどんどん集まってくるので。このような写真は、難しくても1回撮っておけば安心である。この場所に、いつまでも残る必要は無い。他の写真愛好家の迷惑にもなるし、早々に退散することにする。

 この写真は、魚眼レンズで撮影後のトリミング状態で包括角度160度程度。手前の道は本来左右に伸びていることから、どのくらい画像が歪んでいるか、お分りだと思う。右が東方面で太陽は右後ろ、時刻は午前9時26分である。日差しを考えると11時30分ごろが良い。
 帰りに、深大寺の前を下って行くと、本堂の方では、既に人で埋め尽くされ何かの順番を待っているようであった。今週は色々催し物がある。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21425&app=WordPdf