2009/05/29

弁当シリーズ4

 職が変わっても、仕事への取り組み方には、どうしても人柄が出てしまう。周囲の人達へは、難しいことを分かりやすく説明し、今のままだと駄目になるから、こうしてくださいと、真摯な態度で訴えられると、つい身を乗り出して話を聴いてみたくなる。サービス業はそうでなくちゃいけない。もし、そうでなければ、いつでも、他方の業者を選べるようにすべきで、業者は必ず2つ競争させるようにしなければならない。我々は、いつも業者を比較検討しながらサービスを受けることが重要なのである。1つしか業者を持たなければ、それは悲劇になる。

 テレビを眺めていたら、農家のおじさんのような格好をした石破大臣が、いつものように、ゆったりとした口調で「日本の防衛は、農業改革をおこのうことからなんでね」と話をされていた。何とも、古式豊かな発音と東京言葉が渾然一体となって話す人だな、といつも感心しながら、そ、そうか戦闘機でもイージス艦でも無くて、「腹が減っては戦は出来ぬ」だよな、と妙につじつまの合う話のように思えた。最後に、「国民の皆様に、お米を食べていただきたい」とも強調されておられた。こういゆうキャラのおっさん(同世代)は好感が持てると思いながら、結局そうか、やっぱり、「全国的に麦の需要は高いのだ」とグラフの数字をみながら改めて認識してしまった。そこで、やはり今日は、フランスパンを主役にしようと思う。

 「浅草今半の弁当」を買うために、新宿小田急デパートまで行かれる時、ついでに、一緒に購入してもらいたい。そこで、そのすぐ近くにある「美味しいフランスパンのお店」を紹介しておこう。中央口側の食品売り場へ下るエスカレータを降りて左手にある「TROISGROS(トロワグロ)」というお店である。ここのフランスパン(295円)は、大変薫り高く、食感も良く美味しい。ちなみに、エスカレータを降りて、右側へ行くと「浅草今半」である。お米のお好きな方はこちら。

 ついでに、このトロワグロのフランスパンにぴったりのお惣菜を調達したい。エスカレータを降ると丁度後ろ側奥へも店舗が広がっていて、そこを進んで行くと、生鮮食品売り場へ出るが、その途中に「ホテルオークラの出店舗」があるので、そこのショウケースを覗いてみるとよい。フランスパンに合うものとしては、最後にパンにつけていただけるソースの美味しいプレートを選びたいものだ。該当する物は、数多くあり、みんな美味そうに見えるので迷ってしまうが、ここで時間をかけていると競争に負けて潰されそうになる。田舎者の私にとって、ひしめき合うおばさんのパワーは怖い。お魚で行くか、お肉で行くか、迷ったので両方買ってきた。1つは、オーソドックスなビーフシチュー、もう1つは、ブイヤベース風のソースにカサゴのソテーを乗せたプレートである。お好きな方をどうぞ。
 最近のデパートの上層階はガラガラなのに 、地下の食品売り場は大変賑わっている。朝は11時ごろから、オフィス街向けのお弁当(500~780円)で混みあい、夕方15時頃からは、家庭向けの夕食の惣菜(1000~1500円)で混みあう。マスクをするのを忘れないように。

 写真の仕立てとしては、朝食を想定して、バターと蜂蜜、ミニサラダ、ゆで卵と珈琲といった感じでまとめてみた。 この蜂蜜は、非常に殺菌効果の高いニュージーランド産のマヌカ(以前紹介済み)で、フランスパンを慌てて口に運び、口内を傷つけても、これによって治りが早くなるので、是非用意しておきたい。
ではこちら
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2009/05/26

続デジタルカメラ25

 日差しが肌に痛いように突き刺し、紫外線が目に痛い。年々日差しの鋭さが増して来ているのか、皮膚が軟弱になったのか分からないが、この時期が一番紫外線が強いようで、午前中は目や肌にダメージが大きい。こんな時は、散歩やウォーキングも注意しないといけない。そこで、今日は、そんな紫外線に弱い人の散歩コースを写真で紹介する。勿論、神代植物園である。最近は、朝から夜遅くまで眩しい液晶ディスプレーを使う人が増えた。さらに、自宅でも更に眩しい液晶テレビを見て目の疲れは極限まで来ている。そんな液晶ディスプレーから目をそらす事が出来ない人は、「UVのめがね」をかける事をお勧めしたい。また、土曜日曜は、公園にでも出かけて緑の木々を満喫して欲しい。ただ、知っておいて欲しい事がある。

 森や木々の生えている場所は、いい空気が充満していて、体に良いと思っている人がいるかもしれない。それには、条件があり前回も書いたが「午前10時頃」までであるということだ。木々の生命サイクルを考えてみると、毎年春が来ると新芽が出て若葉が枝一杯に広がり、光合成を活性化させる。これ自体は酸素を大量に放出し人の体にも良いはずである。一方、秋口には、それらの葉が枯れ始めて大地に落ち、いずれそれが土に戻り、再び栄養となって木々が吸い上げるという、循環システムであると一般的に考えられている。したがって、森が増えれば、多くの木々によって大量の二酸化炭素を吸収し、酸素を排出し温暖化防止に役立つと信じられている。ところが、秋口に葉が枯れて大地に落ちてから土に戻るには、バクテリアが時間をかけて分解をしなければならない。そのバクテリアは二酸化炭素をはじめ多くのガスを発生させているのである。最近の研究では、その量は、森の中で数年間調べてみると、木々が二酸化炭素を吸収する量とバクテリアが発生させている二酸化炭素やガスの量がほぼ等しい事が分かってきた。つまり、その森の中でガス交換が行われているに過ぎなかったのである。特に、数十年も森だった場所は、バクテリアの活動も活発で逆転する場合も多いという。

 早朝から10時ぐらいまでは、バクテリアの活動も小さい割には、木々の活動の方が大きいので、酸素も残り、我々の体への有効な成分も多いが、それ以降は、逆転するというのである。何となく幼い頃遊んだ森の中の実体験に基づく、むせ返るような息苦しさを思い出し、納得できるような気もしてきた。

 今日の写真は、そのような場所である。こんな場所を多くの人は、「いい空気で、涼しくて、とっても気持ちがいいと言いながら歩いている」。このようなバクテリアの活動やガス交換のプロセスを知る前なら、何とも気持ちの良さそうで、涼しげな場所に見えるかもしれないが、それを知った後で眺めると、何処となくガスっているように見えてくるのは、気のせいだろうか。

 ではこちら、モニター画面の明るさを調整してほしい。通常が30なら、このデジタルカメラシリーズは50ぐらいが適正。
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2009/05/22

梅肉濃縮飲料

 人によって、体に自信がもてなくなると、サプリメントや健康食品に依存したいと思うようになる。もっともらしいCMにそそのかされ、つい購入している人も多い。我々が不勉強な事を逆手に取り、CMのシナリオは全て共通している。「研究によると、人は加齢するにつれこの栄養素が減少するので、疲れやすくなったり、病気がちになったりする」という説明である。最も、病名まで挙げて、あたかもその病気を予防できるがごとく補足をして、購買意欲をそそる。そして、「わが社の長年の研究によって、世界で初めて生成することに成功した」とか、これを毎日3錠づつ補うとどうなるか、愛用者に聞いてみました。というようなインタビュー形式で続ける。「同世代の有名人が登場して、もうこれなしでは生きていけないとか、これによって、益々元気になったとか、様々な賞賛を行う」ストーリーである。それが、購入者にも適合すればよいのだが、そう簡単にはいかないはずだ。厚生省の「規制や基準、あるいは適性判断」が無いのも問題である。やはり、継続して服用するその手の物は、「長い実績」がないと駄目である。高齢化社会を迎えて、これから益々サプリメントや健康食品を勝手に作り出すのであろう。 しかし、日本古来の食品にも健康に良い物がいくつかある。本当に良い物は、宣伝をしなくても、よく知られているのである。

 みんな健康が第一だと考えているので、「健康はお金儲け」だと言う人もいる。その通りで、異論を唱える気持ちは毛頭ないが、何故か、どこか、違うような気もするのである。なぜなら、「物凄く元気な年配の人が多く集まる場所」を知っているからだ。そこには、ゼッケン番号を付けた馬が沢山いたり、ボートが爆音と共に水の上で競争していたり、自転車に乗った人が競っていたりする場所である。ここにいる年配の人達は、凄まじい記憶力を持ち、膨大な過去のデータを瞬時に呼び出したり、小さな文字をくまなく読みあさり、耳からは実況を聞き、場内を歩き回り、お昼といっても、近くにある天ぷらそば580円で満足し、なのに、どうせ捨てるかもしれない、何千円もする紙切れを沢山買う。ここにいる人達は、寸暇を惜しんで勉強する受験生にも匹敵する程、大脳を駆使している筈だ。勿論、予習も復習も十分にするし、ワークグループになっている人達もいる。しかし、全く、体のことなんか心配している様子など無いのである。

 サプリメントや健康食品に依存するような精神になったら、もう先はないと思った方が良い。根本的に、考え方が間違っているからだ。いやいや、勝馬投票券を持ったまま死んでいいという話ではない。今まで、使いたくても使えなかった「自由な時間を、楽しんで使う」ことを考えるべきであり、好きな事をとことんやるのが健康に一番よいのである。おまけに、お金が増えることならば、やる気も湧いてくるのである。いや、逆に、お金が増える事を始めればよい。そしたら、「今よりもっともっと元気」になれる。やはり、「うれしいこと、エキサイティングなこと、お金が儲かること」を素直にやればよいのである。これらは、サプリメントや健康食品より、はるかに効果があると言えるのではないだろうか。これは、「健康がお金儲け」ではなく、「金儲けが健康を作る」のである。

 かなり、横道から入ってしまったが、健康を斜めから眺めてみると、違う側面があることも気が付いて欲しいという例である。ここでは、そんな毎週、土日が給料日という人に、時には体のことも注意して欲しいので、今日は、日本で多くの人達に知られていて、長い歴史の中で伝えられてきた「梅肉エキス」を紹介しよう。年配の人には、どこか懐かしい味と爽快感が心地良いと思う。長い間親しまれてきているので、信頼感・安心感も十分にある。真の健康は、「高いモチベーションと古くから日本に伝わる食品の中にある」と思えるのである。最近、農林水産省総合研究所は、その梅肉エキスの中から「長時間加熱された梅の中にしか含まれない成分のムメフラール」を発見したという。 やはり、長い間、体に良いと伝えてきた物には根拠と理屈があったのだ。

 この梅肉エキスは、1本に180個分の紀州南高梅の青梅を使って長時間加熱して作り上げた濃縮飲料で、食塩、保存料、甘味料無添加である。もっとも、梅肉エキスが体に良い事は、広く知られているので、能書きは必要ないと思うが、人が集まる場所で興奮するには、「ずば抜けた高い免疫力」を必要とするので、ぜひ、食品に混ぜたり、ジュースで呑むなり、して思いっきり元気になって欲しい。 もちろん、若い我々にも良いのは当然である。

 付け加えると、この梅肉エキス720mlに使われている紀州南高梅は180個4.5kgで、原材料価格、加工の工数、光熱費などを考えても、5,250円はかなりお安いと思える。
おっと、人の集まる場所には、マスクをして行こう。
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2009/05/19

自作料理11

 今日は、牛肉ときのこを使ったカレーである。大脳を活性化するといわれているターメリックを食べるきっかけにするだけなので、牛肉は小安い切り落としでよい。しかし、食感と薫りを重視して、きのこ類は大量に使う。 今回のポイントは、牛肉よりもきのこを大量に組合わせるところにあり、想像しただけでも大変薫り高く、美味しそうに思えるが、これまた、実際のものは、想像以上に美味しい。これらの「風味」は、きのこ類を引き立てる牛肉と和だしにあるともいえる。

 それでは、素材選びの根拠を説明しながら追ってみたい。手順の詳細は1例として添付のPDFにまとめてあるので、そちらを観ながら、独自の考えをまとめ工夫してほしい。 いつも申し上げるが、このPDFを忠実に再現して欲しい訳ではない。このブログを見ている人は、こだわり人間のはずだし、人の「真似なんかするような人でない」ことも十分承知している。自分なりの「独自性を出すための刺激材料」として観てほしいのだ。ふん、「こんなものより、俺が作った方が美味いに決まっている」と思いっきり心意気を高めてほしいのだ。

 そういう時にこそ、大いに大脳を使い、手先は器用に動き、舌を通して、その味覚と評価が大脳にフィードバックされ、再び創作意欲を刺激する。そして「次は、もっと美味しくしたい」と思うようになる筈だ。ここにこそ、創造性を高める要因があり、常に、「より高い成果を求める続ける」習慣がつくようになる。これは、大脳にとてもよいことだ。特に、このプロセスの優れている点は、「言い訳ができない」ところにある。全ての責任が自分自身にあるという点である。いまどき、そんなものは余り無い。

 ちょっと横道にそれてしまったが、まず、きのこは根っこの部分を切落とし、ほぐすようにして分解する。しいたけは、6分割に裁断し、エリンギは縦に裁断しても、裂いてもよい。にんじんと玉葱は従来どおりの処理だ。きのこ類は、バターと塩、胡椒で炒めるが、薫りが抜けてしまわないように手際よく短めに。次に、続けて購入した牛肉半分ぐらいを同じフライパンで炒めておく。残りは、トッピング用として確保する。これらの具材を鍋で合わせて日本酒で煮るが、この工程で素材の臭みがなくなり、少し甘くなるが素材本来の美味しさが引出せる。一方、カレー粉には、従来とは違う物を用意する。同じ味は、早く飽きが来るからである。今回は、アナン㈱の「日本風カレー辛口」セットを使用した。これは、デパート、スーパーなどで入手でき、古くからある一般的なもので、見開きパッケージでスパイスミックスA、B、カレーフレークとして個別に封印されている。これらを順次投入していくが、そのタイミングは説明書に記述がある。スパイスは良く考えられているが、カレーフレークを入れると「とろみ」が出るタイプで、多少好き嫌いがある。甘味、辛味、酸味、塩分などの調整は、既に前々回記述した通りだが、きのこの薫りを大切にするには、余計なものを大量に混入しない方がよい。味の「特に酸味と甘味」の調整は、必ず1度火を落とし、再び暖めた時に実行してほしい。そこで、まだ際立ちが残る場合でも、再び火を落とし、再度暖めて直してから確認されたい。酸味と甘味は、具材などがよく馴染んでから評価するのがポイントである。勿論、塩分は途中で絶対に加えないように。間違えると取返しがつかないからである。最後に、しょうがやスパイスを投入して、再び辛味と薫りを付け加える。カレーが出来上がったら、トッピングを製作する。牛肉とセロリ、あるいはピーマンとかを組合わせ、バターやスパイスを添加して仕上げる。

 カレーは、「食べて美味しい」だけで終わりではない。「食べて美味しい」のは手段に過ぎないのである。食べ続けながら、ターメリックの効能を自ら確認する作業も重要で、インド人にも負けない大脳を養成することを忘れてはならない。彼らは、毎日カレーを食べている。子供は2桁の九九を暗記し、数学にも強く、優秀なコンピュータ・エンジニアを数多く排出している。それだけではない、経済界をはじめあらゆる専門分野でインド人の活躍が目立つ。また、インドはアメリカに比べ、認知症患者(対人口比)は圧倒的に少ない。これらの事を意識して、若い人ほど若いときからターメリックを食べてほしいのである。

 食べた後の余暇は「記憶の確認」の為に使ってみてほしい。4日前の夕食や、昨日のお昼は何を食べたかとか、思い出すようにしてみてほしい。また、テレビのCMを上手に使って短期記憶の状態を評価してほしい。たとえば、「決断力の無い人のための携帯電話は、どこの会社か」とか、さらに、数字に強い人はストップウォッチを用意し、100から順に7を引き算しながら93、86、・・・・と0まで何秒かかるかなど、セルフテストするのも良い。特に、この引き算は「短期記憶」で、海馬をキャッシュメモリーのように使うため、海馬の性能を評価できる。ちなみに、認知症の初期は、この海馬の性能が低下している。

 人を構成する細胞は3ヶ月で代謝するため、少々根気が必要であるが、腕や足の筋肉と同様に、やはり使わなければ退化するし、同じことばかりしていても退化する。人が人である事を認識できるのは、過去の経験を将来に生かすことである。だから、長期記憶、短期記憶を自覚して管理・制御できるように心がけたい。
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2009/05/15

ステーキ弁当

 やはり、食べ物の人気は絶大だ。ただ、弁当より店舗の紹介の方が僅かに人気は高く、やはり「神田シリーズ」は好評だった。一方、弁当の中では、「浅草今半の弁当」が人気が高い。それを意識して、再び「浅草今半の弁当」を取りあげる。さすがに、浅草今半の圧倒的なブランド力というべきか、御年配の方からセレブな中年の女性まで幅広くご存知で、「美味い牛肉の代名詞」にもなっている。前々回は「牛肉弁当」、前回は「重ねすき焼弁当」、今日は、「ステーキ弁当」の紹介ということになる。この3種類を賞味してもらえば、大方の人が「牛肉を使った弁当」の概念を変える事が出来るし、どれも甲乙付け難く、その価格帯における決定版として印象付ける事が出来ると思える。これら3種類が異なる価格帯であるにもかかわらず、店頭で迷ってしまう、という大変優れた商品群を用意できることが、この会社の歴史の証明であり、他社の追従を許さない継続の勝因の1つでもある。そして、だれしもが「牛肉なら浅草今半ですよ!」と言う根拠に繋がっているようだ。

 お腹が空いていれば、そこそこの弁当でも美味しく頂けると、誰しもそう考えているに違いない。しかし、そういう中途半端な話では、先に進まない。ちょっと大袈裟な例えになるかもしれないが、夕食を食べた後でも、あの「すきやき弁当」は食べられるし、朝の寝起きで食欲が無いときでもガツガツ食べられるのが、この「ステーキ弁当」である。つまり、この3種類の弁当群の備えた魅力は別格なのである。そんな物が、この世の中にある筈が無いと思われるかもしれないが、それがこの話の伝説めいた現実である。つまり、見た目と想像力によって、大脳から胃袋に指示が飛び、別腹をこさえてでも、食べるように命令されるのである。もっとも、そんなに沢山の量が入っているわけでもないので、実物を目の前にすると、つい、箸をつけてみたいと思われるだろう。ただ、その伝説にも似た現実に、ついつい「はまってしまう」かもしれないので、それが怖い人は、この弁当群に手を出さずに一生を終えるほうが良い。

 一寸余談になるが、私の一番最初の職場は食品会社であった。調味混合課で防腐剤の担当をしていた時期がある。当時の課長は、「大概の食材の味」をいつも社内の食材、調味料や色素、フレーバーで再現して食べさせてくれた。まるで、「味分析器」のような舌が自慢であった。食品会社には、まれにいるタイプで、「凄い=尊敬」としか言いようが無かった。しかし、その課長は、醤油、味醂、スピリットビネガー、酒、アミノ酸混合物、などを組み合わせた、和の伝統の味を再現するのは、日本人の味覚の検知限も高いこともあって、「難しい事が多い」と話していたのを思い出す。そんな印象に残る言葉も手伝ってか、「今半の割り下」に特別魅力を感じるのかもしれないが、この割り下の味にこそ「真似の出来ない領域に達した洗練さ」を感じるのである。そして、折り紙付きの黒毛和牛の肉の品質の高さと相まって、弁当と言う枠組みの中でひときわ威厳を放っているのである。

 食材が溢れる今日にあって、やはり、「最も重要な鍵ともいえる調味液は、自社オリジナル素材で作る」という、物づくりの原点を学ぶようである。今日のステーキ弁当は、150年という長い期間、老舗という暖簾のもとで、最高峰の味を提供してきた誇りを実感できる1品といえる。 おっと、得意分野で言わせて貰えば「防腐剤にソルビン酸K」を使っていることも安心である。
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2009/05/12

続デジタルカメラ24

 今頃の神代植物公園は、ハナミズキ、フジ、バラ、ボタン、エビネ、シャクヤク、シャクナゲ、サツキ、ツツジ等が花を咲かせる。それを目当てに、中高年アマチュア・カメラマンが朝早くから殺到する。ポジション取りのため開門と同時に走り込んで行く人も少なくない。人気のある場所はある程度決まっているようで、狭い場所にひしめき合って三脚を立てているのですぐに分かる。みんな白い望遠レンズを取り付けて同じ方向に向けている。スポーツカメラマンさながらの光景は、花の「クローズアップに背景ボケ」のフレームを構成しているようだ。 このような世界に入り込み、仲間になりたい人は、そこそこの一流カメラを用意する必要がありそうだ。

  最近、植物が発散している「フィトンチッド」という物質に注目が集まっている。森の多い国で古くから研究され、人体にも良いことも分かってきたらしい。このため、朝早くから森林を散歩する「じいちゃんばあちゃん」は、特別健康を維持できるとも言われている。肝機能や生理機能の活性化など、多くの効能があるという(ただし、午前中10時ごろまでしか効果はない)。また、木々の放つ薫りの清涼感によって二日酔いや頭痛・吐き気も軽減され、さらに噴水や滝のある森林では、マイナスイオンを大量に発散し、肩こりの軽減やリラックス効果もあるようだ。さらに、疲れた目には、新緑が良さそうだ。この植物園には全てが用意されている。休日には、早起きして森林を散歩しながら考えをまとめる習慣をつけると良いかもしれない。ただ、気をつけて欲しいのは、あくまでも効果があるのは朝は10時までと言うことで、それ以降は体に毒らしい。

 私はいつものように、ぶらぶら散策し、いつもの森の妖精が声をかけてくれるのを待っていた。しばらく歩いていると、向こうから手を上げあげながらゆっくり寄ってきた。「ブログ観たよ、あれは寒いときだったね、暖かくなったから、今回は、のどかな感じの写真がいいね、ついでだから、もっと綺麗なところ撮ってよ、来園してくれる人を増やしたいから。やはり、一般人には綺麗な写真がいいよ」という。そ、そうだねと言いながら歩き始めた。そして、彼は通りから外れた、ある場所へ連れて来てくれた。「ここは、なんでもないように見えるだろ、よくありがちな感じなんだけど、自然に見せるのに、植木の角度に苦労したんだ。いろんな角度から見られるからね、このあたりはどう?」という。そこで、フレーミングをあれこれと試してみたが、どの角度も「1本の木の枝」が邪魔で、決定的といえるフレームにはならなかったが、今日は彼のプロデュースで撮影することにした。撮影中、彼は見にくい液晶を覗き込むようにして、いくつかのフレームから、1枚の写真を選び出した。「アールヌーボー風でいいよ」とひとりつぶやいて、いたく気に入った様子だった。まあ、そういう感じの場所ではある。そして、納得した彼は、機嫌よく研究園の方へ戻っていった。そうそう、彼に1つ伝える事を忘れていた「今日、年間パスポート買ったんだよ!」。

 入園する我々は、造園者の苦労や気持ちを知らないで見学する。 何年も掛けて計画的に造園され、花を咲かせる時期や枝分けなど年間スケジュールも厳密だ。ただ、写真を撮って帰るだけでも、それなりに楽しいかもしれないが、造園者の話を聞きながら、多くの木々に注がれた愛情や、その情景にまつわる話も一緒に写し込んでおきたいものだ。土日や祝日は人が多いので、そんな、彼の言う「のどかな感じ」は無いかもしれないが、平日朝10時(開門9時30分)までなら大丈夫だ。時々、妖精たちは、二人連れでしゃがみこみ、話しをしながら草むしりをしているので声をかけてみると良い。色々教えてくれる筈だ。
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2009/05/08

生乳のヨーグルト

 姓名判断とか、干支の本とか、血液型の本は、時たま「ええ、やっぱり?」と妙に納得してしまう事がある。1つでも自分に当てはまる内容の記述があると、家族や友人を当てはめてみたりして、「そうかーぁ」とか「そうそう」とか言いながら読んでしまうこともある。鵜呑みにすることはないが、時として都合の良い解釈をして、その人をイメージ付けるというか、それで自分を納得させてしまうこともある。

 血液型の本で「B型は乳製品を好む」と書いてあった。「確かにそうだ!」と思ったのである。今まで、何故か食欲が無かったり、体調の優れない時は、ヨーグルト、バター、チーズなどの乳製品を食べると、じわーっと改善されるような気になり、また、そんな習性があることに気づいていたのである。もっとも、何故そうなのかは、皆目見当が付かなかった。それは、幼い時からだと思う。江原さん流に言うと、オーラがミルク色で、前世が牛飼いであったと言われるかもしれないが、それなら、前世の記憶と言うことで納得もしたいが、自分では、さほど楽観的ではない。実は、乳製品の中でもコンデンスミルクをことのほか好きである。紅茶、珈琲はもとより、食パンにまでコンデンスミルクOKである。最も、最近は節度ある大人を装っているので、家族の前でもそんな事をすることは無いが、紅茶、珈琲は必ずコンデンスミルクが無いと駄目なのである。

 少し話がそれてしまうが、かなり昔、実家で母と地下の倉庫を掃除している最中のことである。「あの、戦時中の頃はねぇ、食べ物が少のうなって、いよいよのうなったときに、私の実家からここへお米を送りょうたんよ、・・・・じゃのに、あんたあ、ここの家には、缶詰やらなやら保存食は一杯あったんよ、わたしゃあ、この地下に入って、びっくりしたわいね」 と、ほうきの先を縦に動かしながら、その時の驚きを再現している。「ほいでねえ、珍しいコンデンスミルクの缶も山ほどあったけーねぇ」、ええっ、何で俺の好物が、「なんでや」と思い、「どして、そがいなもんが」と聞くと、「お祖父さんが紅茶に入れるのが好きで、海軍工廠の人達が盆暮れに持ってくるゆうてようちゃった」。それを聞いて愕然としたのである。

 なんだ、そういう好みは、ひょっとして単なる遺伝かもしれないのである。もっとも、父は、そのような気配は無かったので、一つ飛んだ遺伝のようである。調べれば、案外もっと共通点が見つかるかもしれない。ここで、へーなんて他人事のように思ってはいけない、あなたも同じはずだ。自分の好みというか、こよなく愛する物はいったい何処から来たのか、ルーツを探ることで新たな発見があるかもしれないのである。・・・そうか、祖父ちゃんも好きだったのか、あるいは、祖母ちゃんが好きだったのか、そしたら血液型はこうだとか、さらに愛着が湧くかもしれないのである。そうやって威張って家族の前で、堂々と好きな物を食べられるようになるのである。

 と言う言い訳と不動の根拠を持って、乳製品はきっと自分の体に合っているのだと確信したのである。それからは、乳製品が並んだマーケットの冷蔵容器を観ると、興味が湧くようになったのである。 今日は、そんな乳製品の中から、新製品のヨーグルトを紹介しておこう。この会社のバターもチーズも大変上品で美味しいので、期待は高いと思う。もちろん、実際にこのヨーグルトは格別に美味しい。ただ、ちょっと今の市場環境には、どうしてもそぐわない部分がある。それは「価格/用量」である。したがって、生まれながらに乳製品にうるさい、違いの分かる「B型専用」と考えていただいてよい。
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2009/05/05

ディスカバリー2

 連休も後半になると、メガホンから出る声がうるさい。「こちらは素材ゴミの回収車です・・・」という大き過ぎる声が飛び込んでくる。そんなにボリュームを上げなくても、分かっている。いつかきちんと整理して渡すから「それまで、待っといてやー」と自分に言い聞かせるように呟く。誰でも歳を重ねると、家の中にゴミが溜まる。しかし、捨てられない物もある。使わないなら、捨てればいいのにと、どこからとも無く聞こえてくるのだが、数年前ぐらいの物なら案外捨てられるが、わが青春の1ページと言えるような物は、そう簡単には捨てられないのである。もちろん、部屋を広く使うには、捨てるしかないのだ。 そんな気分にさせるのも、たるんだ連休だからか。

 自分の愚かな戒めとして、あくまで、自分にとってという前提として、趣味というか、コレクションというべきか、それらについて考える。他人から観ると無意味なものに見えるし、家族から言わせるとガラクタである。もっとも、50歳過ぎると自分自身が産業廃棄物であるわけだから、むしろそれとは仲間である。仲間としてそれを捨てるのは、自分自身を捨てるような気持ちになるのかもしれない。だいたいその様な趣味人の過去は、同じような傾向をたどってきたようだ。それは、自分では余り意識できなくても、友人を見ていると良く分かる。同世代の友人に自分を投影してしまうのである。だいたい、購入して最初の頃は夢中になり、いたくご満悦であるが、ある一定の期間保有すると、悪いところが気になったり、他にも目が向く。そして、同系列の物をさらに追加で購入したりする。同じ物は何個も必要ないのだが、高揚した気持ちと期待感がそうさせる。加えて、使いもしない物を、少しづつ理由をつけては、拡充してゆく。これを、専門家に言わせると、このような衝動が起きる根本は、幼少期のおもちゃに端を発するという。欲望を抑えられない、わがままな性格で、しかも、一寸触ってみたいだけで、すぐ飽きるのだそうだ。構造や仕掛けがわかれば、それで満足してしまうのである。そうやって、ガラクタは増えてゆく運命を辿る。愛する物からガラクタになる分岐点は、おおよそ短くて2~3ヶ月、長く続いて1~2年と決まっているらしい。

 それほど短い運命とは思わないが、愛するものがある限り、人は自由で快活な人生を歩み、長生きもできるとも言われている。あなたが、何をイメージするかは別として、おっつ?お金?それは何よりも、よろしい。努々つまらない物を買い集めないように。 お金は使い方次第で何にでも形を変えられる。将来の自分への投資にまわしてこそ価値が出る。

 なんだか、じじくさい話になってしまったが、今日は、今や何の価値も無い物の集合である。このような記録済みメディアに関係するものは、繰り返しの歴史なので、他人事というように笑い飛ばせない一面があり、みんな多かれ少なかれ同じような事を繰り返している可能性がある。胆に銘じて欲しい。この写真のミュージックテープは、現在、おおよそ170本ぐらい残っている。当時のクラシックのミュージックテープは、殆ど買い求めた。その後も、再び、異なる演奏者の同じ曲をレコードでも買い求めている。さらに最近は、これまた同じようにCDを揃えてきた。クラシックは、素人的には200~300もあれば十分であるのに、結局、録音が違うとか、指揮者やオーケストラが違うとか、手軽で便利になったとか、色々理由をつけては、二重、三重に買い求める羽目になる。

 そのような時代であったと言ってしまえばそれまでだが、いつか来る、捨てる時のことも考えて揃えるようにすべきだった。と大いに反省。 ただ、これら夢中になった青春時代は、大変充実していたことも忘れられない。だから、この様な物は、誰しも大切にとってあるに違いない。
ではこちら、今更コメントはない。
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2009/05/01

ワッフル

 街中でワッフルを食べながら歩かないでほしいと思う。いやいや、とがめているのではない。昼間から銀座のどまん中でのそのような行為は、自由を謳歌している象徴でもあり、ちょっとした幸福感に満ちた顔は、ほほえましくもある。ただ、若い人ならともかく、そうとも思えない人達までが真似をする。それは、やはり滑稽であるが、周囲からもそれだけ、「美味そう」に見えるようだ。甘い薫りが漂うお店の前には、長い行列ができていた。人は幼い時から人前や公的な場所での礼儀の指導を受けてきた。一般大衆の面前で恥ずかしい事をしてはならないという教訓である。しかし、その行為が回りの人達を巻き込み、その場限りの1つの流行になっている場合は、逆に、それに適応できない人達の方が、時代遅れな感覚でKYな奴として軽蔑される。

 今日は、そんなブームになっている銀座のワッフルの紹介である。結局、我々のような世代は、若い人の中に紛れ込み長い列に並んで、田舎者のように「あれもこれも」と沢山持ち帰り、大衆の面前を避けて、自宅で食べることになる。色々手を出しながら食べ比べ、ああでもない、こうでもないと、今ブームになっている理由を、そこから見つけ出そうとするのである。そこに自分も今の若者感覚と同時性というか、同じ価値観を持っている、という安心感というか安堵感にも似た時代感覚を得ようとしているのである。もちろん、ドーナツ、クレープ、たこ焼き、お好み焼きなどは、出来立てが一番美味しい。どれも、時間が経過すると大きく品質が低下して、出来立ての食感や美味しさが消えうせる場合も多い。お祭りの屋台などで、その場で買って歩きながら食べるのは、そのような経験則によるものだ。それは、ワッフルも例外ではない。美味しく戴くためには、出来立てをすばやく口に運ぶのがよろしいようだ。いや、そうに決まっている筈だ。

 ならば、そんな時間が経過したものを比較検討するのは、適切とは思えない。やはり、その場で周囲の人と同じ行動をして、「美味しいね」って互いに顔で合図をしながら食べてこそ、正しい評価が出来るというものである。

 ただ、この店に限って一概にそうとも言えないのが、このワッフルの支持される所以なのであろうか、3時間後、15時間後、24時間後でも、美味しいのである。もちろん出来立てを口にした事が無いので、それとの比較にはならないが、時間が経過しても、恐らく、出来立てには無い別の味わいが出てきて、それなりに美味しいのである。これこそが、通販でもこの商売が成立つ大きな要因といえそうだ。

 もっとも、美味しいには違いないが、やはり、まだ珍しさがその美味しさを上回っているのが現実で、ふと気が付くと、これだけ甘く舌触りがよいと、続けては、体に良いとも思えないので、いくら甘い物好きでも、一度食べたらしばらくは遠慮するほうが良いかもしれないと気が付くのである。色々検討してみても、考えた挙句に、もっと素直になればよいのである。「何か言いたい事があっても、何か違うと思っても、自分には出来ないと思っても、まず、同じことに挑戦する事を忘れてはならない」のである。

 結局、銀座へ来たときぐらい、思い出したように、その場でちょっと無邪気に1個(126~147円)食べればよいのであろう。そういう必然性は、我々が批判めいた事を申し上げたり、じたばたと検討するより、はるかに、彼らのほうが合理的で理に叶った楽しみ方をしていると言えるのではないだろうか。 いやいや、また、1本やられた。
 ではこちら
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