2011/05/29

オーディオマニア16

 前回は、カセットデッキにまつわる大昔の話をしてしまった。それもあって、テープファンは相変わらずたくさん潜伏していることもわかった。オープン、カセットを問わず、生き残った我等テープ党としては心強い限りである。と思いながら、最近、殆どテープに触っていない自分としては、まるで造反者のような心地なので、再び大昔を振り返り、自分に対する動機づけとして、話を続けることにしたい。

 テープの性能を引き出すには、オープンでもカセットでも3ヘッド方式がよいと書いた。それは、磁気飽和レベルを高くしたい録音ヘッドと、微弱な高周波信号を損失なく拾い上げたい再生ヘッドでは、コア自体の材料もさることながら、コアの先端に使用する材料なども当然変わってくるからに他ならない。かといって、パーマロイのように磨耗が早いのも別の意味で困るし、再生ヘッドなどはテープがスムーズに離れるコア形状も重要と言える。日立製作所のD4500に使われていたコンビネーションヘッドは、低域のうねりが1KHzあたりまで続いていて驚いた。これをコンターエフェクトといい、聴感上はさほどでもないが、周波数特性をみるとぎょっとする。どのようなデッキでも多かれ少なかれ存在するのだが、それを改善し、低域まで周波数特性を綺麗に伸ばすため、ヘッド正面から見るとコアの先端からX上に見えて徐々に接触面積が減っていく構造にしたヘッドもあった。オープンリールでは、ビクターTD-4000SA、ソニーEL-7、TC-8750 などが顕著である。

 アジマス調整的には、録音ヘッドは「絶対的な垂直を保つべき再生ヘッドのアジマス」と平行でなければならない。そこで、録音ヘッドを再生ヘッドに可能な限り近づけ、その間にはテープに触れる物は何も介在しないのがよい。とはいうものの、録音ヘッドの磁束変化が、テープに記録された信号と重なり合って干渉し、高周波のレベル変動となって現れる、など3ヘッドの同時録再機能に支障をきたすほど磁気的に結合してしまうのはよくない。ここが微妙なところである。そして、勿論、走行系も大変重要である。ヘッドにテープが接触するスパンは、テープが余計な振動などをせず、正確に移動する必要がある。そのために、2本のキャプスタンで挟んで外乱をシャットアウトする。これは、サプライ側リールテーブルの摺動やバックテンションのムラを避ける為である。

 そんな、様々な条件を微妙に満足させながら、製造的にも量産に適した商品にしなければならない。また、使い易さとか、保守のし易さとか、様々な要求があるにしても、その時点までの技術を集約して完成したものは、まとまりのよいものになっている。やや、ひいき目になるかもしれないが、前回紹介したソニーのTC-K88は、センダストの先端コアを使った録音・再生ヘッドを搭載し、走行系も1キャプスタンで、お世辞にも精密メカでとはいえず、今日の話とは逆かもしれないが、思い切った不要切捨てと、積み上げた技術に裏打ちされた大胆な工夫が活かされている。加えて、デザイン性を前面に押し出した製品といえる。優れた性能だけがファンの心を引き付けるわけではない。

 今日は、究極のカセットデッキを目指して一切の妥協を許さず、理想を追い求めてきたナカミチの最終的なテープ走行メカニズムを眺めてみることにしたい。この時期のナカミチの商品は、殆ど同じメカニズムを使用しているが、録音ヘッドが再生ヘッドに近づき、カセット中央の窓に2つとも挿入される。TT1000やTT700の録音ヘッドが挿入された小窓には、消去ヘッドが配置されて、やや従来と異なる走行系へ進化した。これによって、テープ毎の録音アジマス調整をなくしているが、ヘッドの調整メカニズムは更に精巧を極め、より複雑で多機能になり再生ヘッドのアジマスまで自由に動かせるようになっている。1度でも再生ヘッド・アジマスを動かすことは、再生ヘッドの調整用テストテープが必要になり、迷いの元を作ることになるのでお勧めできない。しかし、初期のミュージックテープ等は各社アジマスがまちまちであった為、それらを再生するためには必須機能となる。

 今日のPDF写真は、3ヘッド2キャプスタンのナカミチCR-40に、アルミダイキャストフレームのTDKカセットテープを装着して、各ヘッドの位置を確認されたい。テープ走行中は、カセット・テープのパッドを持ち上げるリフターでハーフパッドの摺動から逃げている。これも素晴らしい工夫といえる。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21953&app=WordPdf

補足1:磁気飽和を高くする→保持力の高いクロームやメタルテープの性能を引き出すには、ヘッドの磁気飽和の高い材料を使う必要がある。また、コアの先端は特に磁気飽和が早いので、より磁気飽和の高い材料をコア先端に合体させることもある。
補足2:高周波信号変化を損失なく拾い上げたい→再生ヘッドの高い周波数成分であるギャップ損失、コア損失を減らす為に、ギャップを狭くする、大きめのフェライト・コアを使用するなどの工夫が必要である。
補足3:摺動→擦ること。どこかでテープが擦りながら走行すると、ワウ・フラッタ成分を周波数分析すると80Hzあたりで山のようになって現れる。これは摺動雑音の影響とされる。テープ走行系で擦る構造の物は、絶対によい結果を招かない。
補足4:テストテープ→生産されるデッキが、自社の基準に合うように用意された走行系、電気系、などを調整する為の記録済みテープのこと。調整方法が同じで、このテストテープが全世界で共通だと、それによって調整されたデッキで録音されたテープは、ほぼ全世界で互換性がある筈である。しかし現実は、製造者の数だけテストテープが存在した。

2011/05/25

4ウエイ・サーバー DL560

 以前の計画停電の頃、無停電電源の話を紹介したことがある。それ以来、その部屋の片付けをしている為に、色々古いハードウエアが出てくる。そこで、前回のようにRAIDの話になった訳だが、今回は、マルチCPUサーバーである。このようなサーバーは実際に購入してみないと、一定期間の振る舞いを調べることすらできないのが現状である。一方で、カタログやメーカーのHPからでは、よからぬ期待ばかりが頭を巡り、実際の問題点や残されている課題を知ることは出来ない。ということから、以前、自社開発のJAVAアプリケーション・ソフトの検証用に購入したサーバーを紹介したい。まだ、本体にタグがついたままになっているぐらいで、検証終了後はそのまま放置してあった。ディスクは300GBを2本でミラーリングにしてあり、今でも、センターサーバーやWEBサーバー程度なら、十分使える状態と思われる。

   その話に進む前に、さらにもう少し遡ってみると、以前にもマルチCPU仕様のサーバーを使った事がある。それは、IBMが大型の技術をスケールダウンして企画・製造したPCサーバー720である。PCIとマイクロチャネル混合のアーキテクチャで、最大6CPU構成で稼動でき、さらに、ディスク12本のRAIDも搭載していた。まさに黎明期のPCサーバーである。IBM自社製のカスタムLSIをふんだんに投入し、同社でしか製造出来ないサーバー製品のようであったが、Windowsの場合、2CPUの実装でしかないのに、これが稼動中よく停止して困った。OS-2 なら6cpu まで全く問題はなかったが、Windows OS には大きな課題を抱えていたようである。そのくらい、Windows におけるマルチCPUは、評価に値しなかったのである。最近のことは詳しく知らないが、まだまだ不安な存在かもしれない。その点、SUN のSolaris は、まさに古くからマルチCPUのOSと言ってよいほど高い実績を誇る。 

  さて、結果的に、判りやすく、この4CPUのコンピュータの振る舞いを例えるとこうなる。おおよそ、実際の組織でも同じだと思うが、4人のグループで仕事をこなすことを想定すると、4人が平等に仕事をしようとすると、仕事を分けたり、再構成する為の時間が必要になり、それが、かえってオーバーヘッドになりかねない。そこで、誰か1人が重要なメインの仕事を引き受けることになる。残りの3人は、単独で完結する仕事を平行して行うことになる。たとえば、1人がプレゼンの資料を作成しているとすると、別の1人はそれに使う図面を作成したり、写真をロッカーから取出したりする。また1人は電話を取ったり、伝票を記載したり、見積りを作ったりする。そしてもう1人は、郵便物を受取りに行ったり、珈琲を入れたりするという分担になる。そうやって、社内の何処にでもある風景に置き換える事が出来る。1CPUの場合は、全ての仕事を細切れにして、それぞれ時々中断しながら、1人で少しづつ進行するしかないので、結果的に時間がかかることになる。

 我々のような一般的な使い方に限ると、パフォーマンスモニターを見る限りコンピュータのOSは、今だ十分にマルチCPUを生かす方法を見出しているとは言えない。一方で16~32CPUぐらいのサーバー製品も増えているが、当面は1度に多くのアクセスに耐えるWEBサーバー系で威力を発揮している。この場合、256CPUとか512CPUでも効果は顕著に現れるとされているので、この用途でのマルチCPUは急激に進化すると思われる。一方で、全く違う視点から乗り物に例えると、4CPUは4輪駆動の乗用車と考える事が出来る。少々道が悪くても走行できる筈になっている。さらに256や512のマルチCPUになると多輪駆動に例えられる。つまり、駆動輪を増やせば、それだけ駆動力を確実に地面に伝達することができ、数輪程度の障害が発生しても継続走行は可能になる訳である。その様な例えで捉えることも出来る。そうなると、さまざまなメリットが出てくる。

  このように、改めて内部を眺めながら、マルチCPUの効能を様々な分野で適用する事を考えると、「うーむ・・・」と自問自答するなど、学び取ることも多い。だから無味乾燥でも、今日のPDFのような写真は、美しいと思えるのである。また、そのようにコンピュータ・アーキテクチャを丹念に調べることで、明日からの生き方や考え方、あるいは、個人としての、あるべき姿も見えてくるかもしれない。この小さなサーバー中には、それでもふんだんに英知が組込まれているし、複雑な構造である筈なのにスマートでエレガントに仕上げられていて、自分達の未来を覗くような気がしてくるのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21951&app=WordPdf

補足1:DL560は、横幅寸法が483mmである。
補足2:DL560では、4個の緑色の放熱器の下にそれぞれ Xeon-MP CPU がある。拡張性はクロック周波数 3.0GHz 、最大CPU4個 、キャッシュメモリ 4MB L3 キャッシュ まで 可能である。
補足3:マイクロチャネルとは、IBMが1987年に発表した拡張スロット用バス・アーキテクチャ。スループットは理論値として40M~160Mbytes/sec 相当。

2011/05/21

SUN StorEdge D2

 RAIDとは、ディスク・ユニットを幾つか集め、「1つの信頼性の高いディスク装置として扱う」技術で、単独でキャビネットに収めた形をディスク・システムとも呼ぶ。容量の少ないディスク・ユニットを使って、大容量のディスク装置として使用する場合もある。・・・といまさらRAIDの用語解説をするつもりは無いのだが、これは元々サーバー用として成長してきた製品で、ディスク・ユニットが1本故障しても、ディスク装置全体が破壊されることもなく、さらに、単体ディスクよりも高速でファイルを書込んだり、呼出したりする事が出来て、全構成が破壊されない限り、あらゆる面で快適といえる。そんな優位性が一般にも評価されて、最近はもっぱら、家庭用として「趣味こそ本気のカメラマン」が、写真の元データーを保存するのに使っていると言う。
 
 それには、目的にあわせてディスク・ユニットの構成方法が幾つか用意されているが、信頼性を確保するか、あるいは高速性を重視するかによって、多少構成方法が異なる。少し古い話で恐縮だけど、SUN StorEdge シリーズは12本入りキャビネットで RAID 5 とホットスペアを設定するのが定番になっていたし、IBM EXP-300~400 などは14本入りのキャビネットなので RAID5EE とホットスペアを設定するのが普通だった。僅かな違いだが障害発生時には、どちらも構成状態が頭に叩き込まれているので、万が一の障害でもリカバリーの対処に困ることは無い。しかし、新しい方法を使って構成してしまうと、傷害が発生する頃は構成方法を忘れていることも多く、不安と苛立ちが重なり、障害の拡大に繋がる恐れがあるので、やはり、いつも同じ方法を貫いておきたいことになる。

 サーバーとの接続方法は2種類あり、SUNの初期のディスク・システムA1000は、サーバー側のSCSIアダプターとケーブルで接続するタイプで、A1000側にRAIDコントローラが組込まれているので使いやすい。ディスクの構成は、OS上から raidutil  または drivutil を使って行い、稼動中の状態も把握できる。一方のIBM EXP-300~400 はRAIDコントローラをサーバー側に設置しなければならないが、RAIDの構成は、専用のソフトウエアで簡単に出来るし、状況のモニターもそれで可能である。また、別に Windows 2008 Server や Solaris10 など最近のOSには、RAIDをソフト的に構成できるユーティリティーが標準で用意されているので、キャビネットに3台以上のユニットが搭載できれば、RAIDが簡単に構成できることになる。

 今日のPDF写真は、随分古い装置 SUNのStorEdge D2 で、これも、どのようなサーバーにでもU160のディスク・システムとして構築できる。Solaris 10 では Solaris Management Console からDisk Suite やStorage Manager を使って簡単にRAIDを構成出来るし、Windows 2008 Server からでもRAID5ならば簡単に構成できる。ただし、どのサーバーメーカーも同じだが、ディスク・ユニットは純正品を使わなければならない。純正品でなければ警告され、電源再投入時にRAIDは解除される。これが、システムを高価にしている理由とされるが、同一メーカー内で容量やセクター、回転数など互換性を確保するためである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21949&app=WordPdf

補足1:ディスクを数台並べて使用している状態をディスクアレーと呼ぶ。また、そのディスクアレーにRAIDの構成情報を設定するのがアレーコントローラまたは、RAIDコントローラである。
補足2:ディスクアレーの構成情報は、拡張性や冗長性に違いがあり、RAID 末尾に番号をつけて区別しているが、ファイルやデーターを分割して記録すると言う点においては、昔から大きな違いは無い。
補足3:PDF写真のディスク・ユニットには、長期連続稼動をする為に、全て放熱器が取付けられている。

2011/05/16

アメリ缶で思い出す

 音に敏感な人は、耳が優れていて外国語の聴き取りの上達も早いと言う話を聞いた事がある。ふ~ん、なるほど、そうか、と私もかつては「少なからず自分も音にうるさい部類だと考えていた」。毎日のように仕事で、オーディオ機器の計測データーと聴感比較をした時代があったからである。人は訓練を重ねることで、様々な音の違いを聴き分ける事が出来るようになるし、少しずつ音に敏感に反応するようになる。そうやって、微妙な音の違いが分かるようになり、競って同じ視聴をしても、ほぼ同じような意見や評価に落ち着く事が多くなる。

 しかし、そんな音の違いが分かる程度のことで、優れた音の本質なるものが分かる筈もなく、むしろ逆に音楽を素直に楽しむ事が出来ず、アラばかりが気になったり、根拠の無い良さは胡散臭いとも感じたりするのである。我々一般人は、少しずつ鍛錬して、そうなるのに2~3年あるいは、もっとかかるが、幼い頃からピアノに親しみ、絶対音感を備えた人は、気がついたときからそうらしい。毎日の生活はもとより、テレビ、演奏会やレコードから出てくる音でさえも、聴き辛い思いをしたり、気持ち悪くなったりする事が多いようだ。ところが、その絶対音感を備えた人は、やはり外国語の聴き取りに優れ、細かいところまで発音を聴き分けていたのである。もっとも、クラシック音楽そのものが舶来なので、絶対音感を得る途中で、ドイツ語、イタリア語、等を同時に取得することになる。この事実から、相対的な音の違いが分かる程度では、その「外国語の聴き取りの上達も早い」という領域まで達することはないことが解明されたのである。

 もっとも、何年もその様な環境に置かれると、人はそれなりにコミュニケーションが取れるように努力するらしいが、そのような環境条件を周囲に整備するのは難しい。そこで、その様な環境のある外国語学校へ通ったり、CDやBSの外国語放送を聴いたりと、様々な手を使ってヒアリングの練習をし、簡単な会話が出来るぐらいになろうとするわけである。現在ではもっぱら外国語専門の学校へ通うのが一般的だが、我々の時代は、カセット・テープを聴く事が主流であった。そのために、ウォークマンは、英会話のヒアリングの必須アイテムであったのだが、ここで使うイヤホンやヘッドホンで音を聴く行為は、「耳を壊滅的に悪くする事が判った」のである。本来は、耳がよければヒアリングも早く上達するはずなのに、それに反して、どんどん耳を悪くするとしたら、全く逆効果である。ただ、すぐに耳鳴りなどに苦しんだり、高い周波数が聴こえなくなるわけではないが、もしそうなったら残念ながら元に戻らない。気がついたら耳鳴りに苦しんでいたと言うことのないよう注意されたい。

 なぜ、そんな話になったかといえば、先日府中で映画を観てきて、もっとネイティブに映画を楽しみたい、その為にヒアリングを練習しようと思い、20年ぐらい前の昔のカセットを探していたら、数年前に買い求めた新品のウォークマン2台も一緒に出てきた。カセットには、確かに何度か聴いた形跡がテープ上の横筋となって残っている。再び、暇つぶしに聴いてみたいが、途中で止めた理由は「耳が悪くなる」と言うことだったことを思い出したのである。
 PDFの無骨なウォークマンは、TV/FM/AMの受信できるタイプで、音楽用ではなく、あくまで情報伝達用である。これを鞄に携帯しておき、大地が揺れたら地震情報を聞くなどに利用しようと思う。ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21944&app=WordPdf

補足1:絶対音感→音を単独で聴いても、音程(音符、もしくは周波数)として正しく当たっているか、あるいは、どのくらい外れているかを判定する能力。基準となる音を聴かずとも、音の高さを、音楽で決めてある音の名称として言い当てる能力。

2011/05/14

江ノ電サブレ

 御頭(おかしら)が窮地に立たされた時に、何処にいようと馳せ参じ、一命をかけて御頭を守ろうとする動機や心意気を表す時に、使われる言葉が「いざ!鎌倉」である。そこには、戦乱の世を生き抜く、御頭と家来の信頼関係があったに違いない。その昔は、親兄弟よりも御頭に対する忠誠を尽くすことが重要だったのである。もはや現代では、想像すらできない事情なのかもしれないが、その末代の子孫達はDNAにその事情が刷り込まれていて、時折、漠然と思い出したように鎌倉を目指すのである。そして、何年かに一度はその場所を尋ね、何も変わっていないことに安堵しながら、前回来た時の事を思い出して、時の流れを実感するのである。・・・・・と、江ノ電の車窓に初夏の風を受けながら、いつものように屁理屈をつけては、自分を納得させているのである。

 江ノ電とは、藤沢から江ノ島を経て鎌倉まで走る単線の電車である。藤沢駅から300型車両に腰掛け、走り出すと、車窓からむわっとした空気が流れ込んできた。これも季節感のある風景の1つである。そして、鵠沼を過ぎるあたりからは何処からともなく磯の薫りが流れて、まったく何年も前のことを鮮明に思い出す条件が揃うのである。変わらない事が、これほどまでに感動的で、胸を締め付けるような、複雑な気持ちにさせるのだろうか。つい、「のりおりくん」を握る手が汗ばんでいた。走馬灯のように古い記憶が頭の中を駆け巡り、恥ずかしいようなことまで思い出してしまい、明日からは、もっと謙虚に生きて行こうと反省したりするのである。

 海岸線に出ると、日差しが海面に当たりきらきらと輝き、自然にサザンのメロディーが頭をよぎり始めるが、壊れかけたレコードのように同じ旋律を何度も繰り返す。そして、線路の先は陽炎のようにゆるんでいた。住宅地にはいると、車輪がレールを擦る音を周囲の建物が反射して響かせ、縫うようにスピード上げて走リ抜ける。カン、カン、カンと遠くの踏み切り音が近づいては、遠ざかる。そんな音は何処にでもありそうだが、やはり江ノ電の音だ。そうやって、昔の記憶と一致することに一喜一憂していると、いつもの時間には、いつものように小腹が空いて来る。やはり今日も、自然薯のとろろ蕎麦にしよう。

 電車を降りた途端、魔法から解き放たれたように、我に返る。今まで喜び勇んでいた心が、空っぽになったようで寂しい。何かその気持ちを埋めてくれる物が欲しくなる。そ、そ、そうか、ひょっとしたら、これが、おみあげを求める動機なのかもしれない、そして今の気持ちを誰かに伝えたい衝動に駆られ、記念に何か連れて帰りたくなるのである。駅構内の売店を覗くと、いつから存在しているのかはわからないが、なんとも象徴的で、特徴を掴んでユーモラスに描いてある江ノ電に目が釘付けになった。迷わずその、「江ノ電サブレ」というのを買ってきた。車両の色や車窓の懐かしさを缶のイラストに閉じ込めてあり、いい感じだ。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21942&app=WordPdf

補足:のりおりくん:江ノ電の全ての区間で、1日何度でも「のりおり」できる大人580円の乗車券。色々な電車に乗りたい人にもお得な乗車券だが、いつもの駅で降りて、美味しい物を食べたい人にも重宝される。また、のりおりくんで使える10%割引店も紹介されている。
詳細はこちら
http://www.enoden.co.jp/toku_ticket/noriori.html

2011/05/09

午前十時の映画祭

 ここんとこ、何かしっくり来ない日々が続き、やや趣味のような仕事にも飽きて、一寸した刺激が欲しいと思っていたのであったが、連休という生暖かさも手伝って、ふらーっと府中まで映画を観に出かけた。もちろん、特別映画が好きなわけでもないが、手っ取り早く感動するには最適である。とは言うものの、家の「42インチのプラズマテレビ」で、時期遅れの日本語吹き替え映画なんぞを見ても、やはり字幕スーパーのないのが、やや物足りなさに繋がるのである。これは、一種の「目と耳と大脳の連携動作」が暇をしてしまうからである。平坦で単純な言葉、視界に収まる画像、音のダイナミックレンジ不足などによって、テレビでは、映画が極端につまらないものになってしまうのである。

 やはり、一生懸命言葉を追いかけながら、大脳で状況を把握できなければ、時たま字幕に目をやり、といった少々苦労をしてでも、発する言葉のニュアンスを聴き取ることも、映画の面白さだったのではないだろうか。・・・と考えてはいても、さほど説得力はないなと思っていた。しかし、今回の映画「英国王のスピーチ」をみて、やはり、自らその考えに自信を得たのである。こりゃあ、日本語吹き替えでは、全く意味の無い映像になりかねないし、演技者の苦労も伝わらないと思ったのである。

 映画の内容は、英国で最も内気な国王と言われたジョージ6世(現エリザベス女王の父)が、不本意ながら兄の後を継ぎ、国王としての職務を果さなければならなくなった。しかし、彼には、吃音(きつおん)があり、スピーチに苦しめられる。もっとも、吃音が無くても、ある日から国民に向かって国王として上手にスピーチするのは大変なことだと思うが・・・。そこで、彼は数々の言語聴覚士の治療を受けてみたが、改善されることは無かった。そんな折、見かねた妻のエリザベスは、自らスピーチ矯正の専門家のライオネルの診療所に訪れ、治療を依頼する。ライオネルは、彼の吃音の本質的な原因を探りながら、様々な手を使い、独自の治療法を試みる。そんな折、時代はいよいよ、第二次世界大戦へ突入する。ナチスドイツと戦う国民に対して、彼は国王として国民の心を1つにすべく、勇気を振り絞ってスピーチに望むが、国王の言葉を待ち望んでいた国民の反応は如何に・・・・と言ったところ。詳細はこちら
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/
 
 ストーリーとしては、凄くシンプルで、まぎれも無く歴史上の事実。頭の中ではどのように考えても、シナリオは読めるし、感動はこの程度と言う「見積り」さえ作っていた。そして、そんなに意表を突かれて感動する筈はないと漠然と思っていたのである。しかし、改めて目の前の映像と音作りに、じわっと腰が抜けそうな迫力を感じることになる。このジョージ6世役のコリン・ファースは、「英語における吃音状態」を見事に熱演し、ライオネル役のジェフリー・ラッシュは、歴史的事実に基づいたオーストラリア人ならではの吃音治療のきめ細かさを再現した。イギリス×オーストラリア合作による118分による大作になっているのである。我々は、じわ、じわっと何処からとも無く伝わってくる一種独特の緊張感と恐怖心にも似た精神的重圧を、少しづつ国王と共有することになる。そしてライオネルによって、知らず知らずに精神を解きほぐされながら、何処からとも無く、我々にも感動が押寄せてくるといった、気持ちのよい作品であった。それも、日本語吹き替えでは、到底伝えられない微妙な感動だったのである。バックに流れるクラシック音楽と、その場の音場再現はドルビーSR、ドルビーデジタルで聴き応えあり。一言で言えば、とっても感動的で素晴らしい作品であった。

 そうやって、オリジナルを映画館で観る面白さを、しみじみと味わったわけである。そしてさらに、同じ様な刺激を求めてもう1つぐらい観たいと思ったのである。その、もう1つが今日のタイトルにもなっている映画祭の一環なのである。毎朝10時から上映する特別企画で、名作中の名作が50作品順番に1年間上映される。この連休は「風と共に去りぬ」だったので、昔を懐かしがりながら観ることにしたのである。勿論LDも、VHSも持ってはいるが、やはり映画館における巨大スクリーンと力強いJBLサウンドの醍醐味を感じたかったのである。

  最初に「風と共に去りぬ」を観たのは中学校時代で、ビビアンリーが美しかったので、3回も映画館に通った。当時は、軟弱でけつの穴の小さなアシュレーが、南北戦争で何故戦死しなかったのが不思議なくらいで、原作の意図は全くもって良く分からなかったと思うが、今回は、全体の流れも、それぞれの人間性や愛情表現の微妙な駆け引きまで、よく納得できたと思う。少し大人になったのかもしれない。連休のせいか、殆ど年配の人達で席は埋めつくされていたが、本来は、学生さんや若者にこそ見に来て欲しい企画なのかもしれない。それにしても、余談だが、今回はあの美しいビビアンリーが、サッカーのドイツ代表のフォワード「クローゼ」に似てると思えて仕方なかった。うーむ、昔はもっと綺麗だったのに。

 上映作品のリストを眺めてみると、誰でも昔見たことがあるものばかりで、特別な新鮮さは無いかもしれないが、映像がオリジナルからのニュープリント・フイルムと謳うぐらいで綺麗だし、音声もテレビでは絶対に得られない力強い重低音で盛り上げる。しかし、そういう物理的な優位性だけではなく、恐らく、それら名作50作品の最大の魅力は、誰しも感動する場面とそのスクリーンのイメージ・サイズが決まっていて、その場面がくると、あるいはその音楽が流れると、必ず涙し、その後「すっきり出来る」ことにあるといえそうだ。
詳細はこちら
 http://asa10.eiga.com/

補足:吃音→言葉を発する時に、言葉が連続して出てきたり、一時的に無音状態が続いたり、考えている事が円滑に言葉として組み立てられない一種の病気。あせりや緊張に伴いその症状が顕著になる。日本では、これらを包括して「どもり」というが、一種の言語障害で、その障害となる要因を取り除いて正常化するのはなかなか難しいとされるが、時間を掛けて克服する努力が必要である。

2011/05/06

いざ福島原発へ、悪夢に思う

 既に、福島原発の話題を書いて5回目である。決して得意分野ではないが、広島の賢人として、自分なりに痛み入るところがあるからである。それにしても、毎日のように福島原発の事が報道される中、大量被爆の危険性が分かっていながら突入しなければならない現場の作業員の方々を想像する度に心が痛む。そして、そこから連鎖的に原爆投下後の広島・長崎の歴史的事実を数多く思い起こさせるのである。

 さて、何が何でも、暴走する原発を停止させなければならない。そのために、今後は放射線量の高い場所での作業を余儀なくされる筈である。そして、次から次へと人を換えて作業を進めなければならない。これから突入する建屋の中では、4~5時間で年間の被爆線量を越える計算になる。既に、福島原発では、東電の社員はもとより、協力会社、東芝、日立、自衛隊、消防、警察など選りすぐりの1000名近い人達が作業に当たっているらしいが、今後は彼等もすぐに許容被爆線量の限界を迎える。つまり、最初に専門家が現場から離れなければならなくなるのである。そして、次は誰が行くのか。そのために、全国から60~65歳の健康な方を募集し、日当に加えて作業終了時には、被爆線量の1ミリシーベルトあたり1万円の放射線手当てを支払う。そして、事後の治療には通院・入院・手術の費用を一生涯国が負担する。ただし、当人の死後は火葬にせず石棺に入れて地中深く埋める。そんなアナウンスがいつ出るとも限らない。少し心配している。
 
 厚生労働省は、既に苦し紛れに作業員の年間被爆線量の限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げている。これは、あからさまに、今すぐ死ぬことは無いので現場に残って作業を進めよと命令しているのに等しい。また、海江田万里が東京消防庁の隊員に向かって「速やかにやらなければ、処分する」との発言は、「お国の為に死ね!」と言っているのと同じであり、それらを裏付ける発言であった。これらは、旧日本軍のやり口と同じである。このような事が、今後はぎりぎりの選択肢として原発で作業される方々にのしかかってくるに違いないのである。ここでも心配は尽きない。それにしても、原子力安全・保安院の西山君は、もっと現場の人達に気を使い、今後は自分の目で見た事実を、直接現場から報告してもらいたいものだ。

 残留放射線の多い場所での作業の危険性は、広島・長崎で既に証明されている。救護の為に現地広島・長崎に入った人達は、その大地から直接被爆したり、あるいは黒い雨によって被爆した。それだけではない、被爆した人々を看護することで、その被爆者からも直接被爆をしたのである。そして救護にあたった人達までも、数年後は様々な癌を発祥し、死ぬまで苦しむことになる。抜本的に治ることはない。元のDNAに戻す薬が無いからである。私の叔父は、直接被爆して30日間苦しんで死んだ。しかし、広島在住の叔母、叔父は、少なからず残留放射線で被爆していて、老いて原因不明の病死を遂げている。日常的に不調を訴え続けながらも、真の苦しみを知っていたのは本人だけだった。最近は、被爆線量によって、体にどのような変化が起こるか明確になっている。それに言及しない政府、下隠しにして報道するNHKには憤慨する。

 そんなことより、放射線の影響は、ずっとずっと未来永劫続くのである。そして風評被害は、野菜や牛乳だけではない。今後は、そこで育った人達にも目が向けられる。今はまだ、放射能が降り注いだ地域と放射線の量は、少なからず曖昧かもしれない。しかし、先行き正確な情報が公開されると、実際はとんでもない量が大地に降り注いでいた事が明らかになるのである。その時、その場所で育った子供達にも風評被害が襲いかかるに違いない。かつて、広島・長崎でも男女を問わず結婚できない人が多かった。「原爆で被爆している人の子を嫁に貰うわけにはいかない」と言うのが理由である。いつも、表向きは優等生のような発言をしていても、いざ自分の身内のことになると一変するのである。そして、そのような「致命的な差別のレッテル」を貼ってしまうのは、日本人の得意技である。私は、野菜などの風評を聞いて、その事を思い出してしまった。これにも心配している。

いち早く福島原発の被害や影響、そしてその未来を知るには、こちらのブログがお勧め。
http://takedanet.com/

補足:放出された半減期の長い放射能の総量は変わらない。大地に降り注いだ放射能を人が吸い込むと体内に残る。人の体に入った放射能は焼却すると大空に放出されたり灰の中に残る。そうやって、福島原発から放出された放射能は、少しづつ居場所を変えながら地球上を拡散していくだけである。

2011/05/03

オーディオマニア15

 オーディオフェアなのに、たった1小間のスペースでデモ機を前に、丹念にその機能を説明する「おっさん」がいた。その日は、まだ平日ということもあって人もまばらで、こんなマイナーな場所に留まって説明に耳を傾ける人もいなかったと思う。おまけにその小間は辺ぴな場所で、人が気にもとめない角にあり、何気なく歩いていると見落としてしまいそうだった。私は、そのブースに置かれた1つのデモ機が気になっていた。何度も往復した後、立ち止まり、何かありがたそうな話に徐々に引き込まれていったのである。その、ほとんどが初めて聞く内容で、「ほーっ」と溜息をつくぐらい新鮮であった。要約すると、「カセット・ハーフの成型精度は様々で、その成型精度そのものがカセットデッキの性能を制限している」と言う話であった。そのデモ機は、説明どおり測定器のように正確に動作し、理屈どおりの性能を示している。まさに手品のようであった。私は子供が紙芝居を見るような気分で興奮し、わくわくしていた。
 
 それは1972年頃、既にカセットデッキがオーディオ装置のコンポーネントの1つとして認知され始めていた頃に遡る。当時、音質はまだメモ程度だったので、一般的には英語のヒアリング用途と言う印象が強かった。標準的なスペックは、周波数特性=50Hz~10,000Hz、S/N=45dB、ワウ・フラッター0.1%WRMS 程度だったと記憶している。もちろんそれでも、音楽はそこそこ楽しめたと思われる。後に、FMエアチェック用途が、オープンリール・デッキからカセット・デッキへの移行が進み、カセットデッキの有用性が広く認識されるようになっていくが、テープデッキの専門メーカーからは、残念ながら、しばらくはカセットデッキの性能向上は見られなかった。そんな時に、ノーマルカセットでも20Hzから20KHzまで周波数特性を平坦に保ち、ワウ・フラッター0.04%WRMS以下、S/N=56dBと凄まじい性能を叩き出していたのが、あのオーディオフェアに持ち込まれたデモ機の製品版カセット・デッキTT-1000 だったのである。そして、その「おっさん」こそナカミチの飯塚厚さんで、初めて取材したのは、そのオーディオフェアの6年後になる。既に各社カセットデッキのHi-Fi 化が徐々に進んでいたが、あくまで性能を追及するナカミチTT-1000、700 やその後継機に対して、まだ、テープ・デッキメーカーは、あくまで手軽さを優先して商品開発を進めていた時期である。その後、市場の要求などもあり、徐々に本格的な性能向上に目が向けられはじめる。

 オープンでもカセットでもテープで性能を追求するのに最適なのは3ヘッド方式である。それを実現するには、カセットではヘッドの配置に制限があるため、2つの方式へ進化することになる。1つ目の答えでもある、コンビネーション・ヘッド方式ではLo-D(日立製作所)のD-4500が代表的である。しかし、それは録音ヘッドと再生ヘッドが結合していて、録音時に遮磁板を経由した磁束漏れを再生ヘッドが拾うなど問題点もある。また、コンビネーションであるがゆえの、再生ヘッドの形状効果も顕著で、低域周波数特性の暴になって現れている。一方、ナカミチのセパレート・ヘッド方式は、理想的なヘッド材料や形状で製造できるが、録音時にカセットごと録音ヘッドのアジマス調整が必要なので操作性に難点がある。ナカミチは、常にクラス最高のカセット・デッキを発売し、カセット・ハーフ毎のアジマス調整操作をユーザーに任せてきた。それを理解したマニアには、すこぶる納得のゆく製品であったと思われる。他方で、ソニーの3ヘッドカセットデッキTC-6150SDでは、6μというワイドギャップの録音ヘッドを搭載し、録音アジマスは固定式を貫いた。再生ヘッドは0.9μと超ナローギャップで高域の周波数特性を改善している。その後、ソニーもTEACも、コンビネーション・ヘッドによる3ヘッド方式を採用する。結局、ナカミチ以外のメーカーは、セパレート3ヘッド方式の価値を引き出すことは無かった。そして、録音ヘッドと再生ヘッドに若干の距離を置き、それぞれ形状効果を配慮したコンビネーションヘッドへと進化をすることになる。

 私は、編集屋時代に取材活動を通じて飯塚厚さんに様々な事を教わった。また仕事を離れたその後も、長いお付合いをさせていただいたが、2年前他界された。結局、ナカミチのTT-1000の性能の優秀性は、B&Kの用紙を通じて知るに留まったが、そのお付き合いを通じて、3ヘッド方式でカセット・テープの性能を引き出すのが、如何に難しいかを知ったのである。また、録音アジマスをカセット毎調整するという、コンスーマでは考えにくい操作をユーザー自身に任せながらも、業界の牽引役となったナカミチが果たした役割は大きかったと思われる。しかし、私個人的には、録音時のカセットごとの調整はやや窮屈に感じてきた。それは、録音時の必須の操作になってしまうからである。今日紹介するのは、今日の話題に反して2ヘッド方式のカセットデッキTC-K88である。古いミュージックテープの再生用として、手軽に楽しめ、特にクラシック音楽を再生するのに、厚みのある中低域と素直な高音域などカセットを意識させない音質が魅力である。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21932&app=WordPdf

補足 アジマス:テープの走行方向に対してヘッドのギャップが接している角度を言う。理想的には90度である。カセットテープは、そのプラスチック成型のハーフに収容されているテープを使用するが、型から抜き出されたハーフのガイドやピン精度によって、テープは必ずしもヘッドギャップに対し垂直に当たって走行するとは限らない。 
 セパレート3ヘッド方式では、録音ヘッドがハーフのパッドや遮磁板のない手前の小窓に挿入される事が多いが、この時、録音ヘッドと再生ヘッドの間には、ハーフ側のガイドが介在する為、物理的にアジマス角が90度でも、テープ上のフォーマットでは平行が崩される事がある。そのために録音ヘッドのアジマス角度を動かして、再生ヘッドに対して記録フォーマットのアジマスが90度になるように調整する必要がある。コンビネーション3ヘッド方式では、記録と再生ヘッドが同じ遮磁板のある大窓に挿入されるため、アジマスの問題は根本的に避けられるが、今ひとつ再生ヘッドの大きさやヘッドの構造などにより高域の再生能力に限界があるとか、低域ではヘッドの形状効果によって周波数特性が暴れがちである。
 

2011/05/01

JAZZ UNIT 「The Joyful Brass」ライブの咲蘭房での公演再開


去る3月11日に、東日本大震災による諸事情により、ジョイフルブラスの「咲蘭房公演」中止の連絡をしましたが、再開の日程調整が着きましたので連絡いたします。少々先になりますが、来たる「7月23日19:30より開催」いたします。メンバーとしては、前回の予定では、菊池成浩さんが欠場でしたが、今回は登場します。予習として、毎週火曜日NHKの「歌謡コンサート」をご覧になるなどして、菊池成浩さんのトランペットの音をしっかり覚えておきましょう。つまり、今回の当日メンバーは、フルオリジナルメンバーです。当日の詳細はPDFに記載されています。ご予約後はPDFを印刷されるなどして目立つ場所にお貼りください。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21934&app=WordPdf

補足: 咲蘭房をご存じない方は、こちらを参考にしてください。
http://archivetec.blogspot.com/2009/08/jazz.html