2015/01/30

舟形アグリのあぶら麩丼

 前回の続きになる→ もう1つの謎は「お麩(ふ)」であった。どうして、このような品物が同梱されていたか不明だが、きっと「自ら美味しいと感じる物」を共有してほしいという気持ちの現われだと思う。それは、ある意味自分の感性を理解してほしいということなのだが、その食べ物に、本人の大らかな性格の一端が隠されている。パッケージは、油麩とたれがセットになっていて、別に用意する材料は、玉葱のスライス、卵、食用油だけで、名称は「油麩丼たれ付セット」という。

 忙しい仕事の合間に、短時間で簡単に作れて栄養バランスに優れ?、ご飯の上にのせて丼として、体に流し込むように搔きこむことができるセットである。おまけに、極めてローコストであるようだ。ご飯を一番美味しく感じるのは、空腹感が1~2度訪れた後である。そのタイミングで作り始めて、手間が掛からず、ちょうどよい按配で3度目の空腹感を満足させる。簡単に仕上がるので、ご飯がとても美味しいと感じられるタイミングなのである。

 その油麩の手軽さと美味しさを知ることで、改めて麩の力強さを身近に感じることが出来る。さらに、麩の様々な使い方に応用が出来る筈で、たとえば、関西で言うところのうどんの「御揚げ」の代わりであったり、「油揚げ」の代わりに味噌汁にとか、あるいは、そばの上に乗せる具として、一口大に裁断して、甘辛く味付けしてしまえば、何処でも美味しくいただける。「油麩丼たれ付セット」でなくても、油麩さえあれば、出汁で戻した使い方は幅広いといえよう。それを示唆するのが、単独の袋に入った「油麩」であった。

 油麩丼の作り方は、難しくない。麩を輪切りにしてお湯で戻しておく、玉葱を裁断しフライパンで透明になるまで炒める。2つを合わせて、出汁を加えて1~2分煮込む。出汁が行き渡った所で卵を加えて、黄身を少し崩して余熱で火を通し、ご飯の上に乗せる。ちょうど要領は玉子丼、親子丼に近い。したがって、最後に加える香辛料としては山椒が良いかもしれない。付け合せは、高級感を滲ませる奈良漬がよい。

 彼の意図は、まずパッケージの裏に書かれた指示どおり「あぶら麩丼」を試してみよ、そして「その美味しさを知った上で、自分で出汁を作り、あるいは好みの出汁を購入して美味しく戴く方法を創作するように」といったところかもしれない。また、昔々、幼いころは「お麩」を食事の中に取り込んでいた時期もある(吸い物や丼など)。その懐かしさと、東北の土地柄に残された古き良き日本の食の姿を伝えたかったのではないだろうか。
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P.S. あと、鯖の水煮缶が2缶残ってしまった。この油麩丼のご飯に、鯖の水煮缶を使って炊き込みご飯にすることを考えてみたが、それも美味しいかもしれない。



2015/01/27

珍しい餡の和菓子2種

  何の前触れもなく、突如、お菓子や名物を送ってくれる奴がいる。いい奴だ。ただ、お礼の電話を掛けても繋がらない。親しい者に対しては、本人はいたって無口で、「今更に言葉にしなくても解るだろ」という侍のような感覚の持ち主である。彼の行動に特別な言葉は織り込まれていないが、一瞬それらを強要する顔をすることがある。そこに隠された意味や協調感を持たなければならない。普通それを見過ごしてしまうため、難しい男と思ってしまうのである。そんな彼から今日のように時たま、荷物が届く。中は無造作に「お菓子や名物?」が謎掛けのように詰めてある。

 今年も荷物が届いた。難解だが、その2つぐらいの謎が解けそうなので、紹介しておきたい。きっと、本人は単に美味しさの共通点程度と考えているに違いない。つまり、分かるだろと言った感じなのである。しかし、これは、決して一般的なものではなかった。仙台の和菓子2点である。まず、1つは、「青まる」と書かれた「丸い生菓子」である。他方は「支倉焼」という、やや洋菓子風な和菓子である。いずれも、独特の餡子が使われていた。それが、妙に田舎風の懐かしい香りがして、つい顔を見合わせてしまう。そんな長い歴史に秘められた時間を感じる。

 いずれの和菓子も味わい深い特徴を残しながら何か新たなものを加えようと、工夫した様子を窺い知ることが出来る。よく観ると「青まる」は、表面に羊羹が貼ってあり、これが印象を奇異なるものにする。次に抹茶の香りが立つ。うーむ難しい味わいだ。「支倉焼」は、歴史ある和菓子の風情を漂わせながら、バター、牛乳、くるみ、バニラといった洋風の香りが最初に飛び込んでくる。しかし、彼はいずれもそんな額面どおりの食感を伝えてきたわけではない。どこかに「古臭い風味」が老舗感を漂わせているのである。きっと、何処となく美味しく、それでいて、自分の知っている和菓子の認識より、「奥深い懐かしさ」を感じたのではないだろうか。

 彼は長崎出身で、今でも好評でヒットしまくっている「ノスドールのお菓子」を贈ってくれた本人である。彼にとっての美味しいお菓子は、カステラのような垢抜けした洋菓子である筈である。仙台へ転勤して「珍しく美味しい和菓子を見つけたと」伝えたかったに違いないが、おおよそ、その珍しい美味しさの背景にあるのは、土地柄や歴史的背景の違いとか、四季を通じた季節感の違いなどに起因する筈で、どこでも原材料の使い方の違いがあると考えるべきである。「青まる」の餡の原材料は「青えんどう」で、支倉焼の餡は、「白いんげん」だった。これは、かなり難解な餡子といえよう。・・・「でも、旨いすよねぇ」と囁かれているようだ。
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2015/01/23

侍プリン

 商品と似つかない程の切れ味の鋭いネーミングをしていても、勿論、自分の趣味に適さなくても、好きな対象なら、何処で販売されていても、興味を引くことがある。たとえ、明大前駅のホームの片隅に佇んでいてもである。気になったのは、「トローリととろける様な、やわらかい」プリンではない。むしろ、昔懐かしい固めのプリンを期待したのだ。陳列棚には、他にも個性的なネーミングを持った商品が幾つか並んでいた。わざわざバリエーションを広げているようにも見える。その中から「クラシックハード」に目が止まった。「カラメルはちょっぴりビターで固め、甘さ控え目で食べやすい硬派なカスタードプリン」と紹介されている。少々照れくさいが、「じゃ、これ」と、たった1個だけ買い求めた。

 内容量が90gと量的には物足りないが、カラメルに特徴があり、実は想像していたより、はるかに美味しかった。この系統の味ならばということで、翌日もお店に顔を出すと、1個しか買わなかった客として印象に残っていたのだろう「どうでしたか?」と聞かれた。少々返事に戸惑ってしまったが、目線は陳列棚に向けたまま、「美味しいすよ」と呟く様な声を漏らした。既に環境は整っていて、わざわざ美味しかった多くを説明しなくても、美味しいからこそ、また買いに寄ったのでしょうと、大らかに思ってくれればよいものだが、多少愛想も含まれていたのかもしれない。今日は、看板商品ともいえる「侍のプリンと玉子スペシャル」を買ってみた。もちろん比較用として再び「クラシックハード」も加えた。


 当初、程遠いネーミングだとは思ってはいたが、美味しい商品だと分かると、徐々にその商品に対する印象が変わってきて、大変好感の持てる商品に見えてくるから不思議だ。「侍のプリン」は内容量160gと「クラシックハード」の70g分も大きなガラス容器に入っている。中身のプリンは三層構造で濃厚、さらに独特のカラメルが加わって最後まで飽きが来ず、食べ応えも十分。喉を通過する時にも、「もったいないぐらいの美味しさ」を感じる。このカラメルを、同社は秘伝のほろ苦カラメルとして、「たとえ親子と言えども、その製法を秘するべし」と伝授するぐらい、スッキリとした苦さが魅力となって、口にする大人を虜にしてしまう。

 製造元は、北海道のプリン本舗というブランドを掲げた 「株式会社 侍ファクトリー = 札幌市北区北26条西3丁目2-5バグース26 1F TEL 011-700-3659」 らしいが、うーむ会社名まで徹底している。明大前駅のホームでは、試験販売だったようだ。ただ、今後の東京地域では、常時錦糸町店で入手が可能という。そんなことを3度目の購入で話を聞いた。とても美味しいプリンとは思うが、時々にしても錦糸町店まで通う自信はない。ただ、印象深い昔ながらの美味しいプリンを継承して、さらに改良を幾重にも重ねたプリンとして現時点では100点満点といえるので、是非にとも写真を撮ってブログへ残しておきたい。あと、商品を購入すると小さな手提げ袋に入れてくれる。これが「侍プリン」を意識した丈夫で素敵な袋である。

  これらの商品以外にも、同じ容器に入った「とろーり」、「ミルクリッチ」、「ひめプリン」、「マキアート」、「白胡麻と黒蜜」、別にロールケーキとして「侍ロール」、アイスプリンの「侍のカタラーナ」、羊羹として「侍の羊羹」がある。
詳細はホームページ参照のこと、http://www.purin-honpo.com/



 

2015/01/20

俺のそば

  最近、「俺の・・・」という名の「立ち食いレストラン」が流行っている。それは度々テレビで紹介されるので良く承知しているが、知らず知らずのうちに、イタリアン、フレンチのみならず、割烹、やきとり、焼肉など、様々に店舗を増やしてきた。それにしても立ち食いは、ちょっと胃腸に負担が掛かる感じがあって苦手だし、しかも、長蛇の列に並んでまで食べたいとは思わないし、テレビの中の話と割り切っていた。テレビで、いくらオーバーな「美味しい表現」をしても、所詮何も伝わることもなく、視聴者は無責任な「やらせか?」と捉えているかもしれない。しかし、テレビの中の人々は「安くて美味しい」から並ぶわけで、そこだけは「情報として」少し興味を引きずっていた。

  先日、銀座の数寄屋橋交差点のソニービルへ寄ってきた。4階あたりまで昇ってみたが「うーっ、何と薄っぺらい展示群か!」何とかならない?と思いながら早々に降りてきた、行き場のない想いで迷っていたら、C1出口の地下途中で「俺のそば」を見つけた。首を傾げながら二の足を踏んだが、ものは試しだと意を決して、表の看板を眺める。もり蕎麦は、凄く大盛りで、おまけに大量のねぎが載せられて何と300円、ぐっと安い感じ。蕎麦は少し太めで茶色をした田舎そば風だ。お品書きの中に穴子の天ぷらがあった。もちろん、注文を受けてから穴子を裂いて、衣を浸けて揚げるだけだが、2尾も付いて500円とこちらも超割安価格である。


 ルールも知らず入店。「すんません、どうすれば?」と聞くと、お盆、箸、お冷を持って列に並んで!と指示され、品書きを確認している暇もなく次々と順番が回って来る。穴子は、しばし時間がかかるせいか、後で席まで持ってきてくれた。どうして、そんなに蕎麦が早いのか不明だが、蕎麦はなかなか風味があって美味しい。そばつゆは、「ごま油」が最初から加えてあり、香ばしさを出しているのかもしれないが、人によっては嫌悪感が先行するかもしれない。私としては、不味くは思わないが、山葵、一味等と同様、選択肢の1つにしてほしかった。穴子は、別皿に塩と一緒にのってくる。天つゆが付いてこないところがコストダウンである。こういう場合は掛けを頼んでおきたい。しかし、この穴子が、とても新鮮で美味しい。2尾といっても小ぶりだが、それがまた美味しさの鍵と言えそうだ。

  恐らく、蕎麦を口にするきっかけは、若者から年配者まで千差万別で、駅蕎麦のように素早く口に出来ることや、価格が安い割には満足感があるという C/P派から、趣味的に昔ながらの老舗の味に舌鼓みを打ち、その雰囲気の中で、ちびちびと時間を過ごすことに重点を置く呑酒派も今だ健在だと思う。しかし、この「俺のそば」のように、定番の品書きというより、定食屋のような、その日のお薦め献立表的なメニューがあった方が、楽しいのである。みんな同じものを食べながら、今日は、これが安いから嬉しい。また、たくさん入荷したから安く提供します、じゃ食べてみようかなと、あたかも、まかない昼食のように柔軟性を特徴とするのが新しいファスト蕎麦屋の形なのかもしれない。これは、神田まつや、日本橋室町等ではありえない要素といえよう。

補足:左がマリオン、道路を隔てて地下鉄銀座線 C1出口(右)。その階段を下がると左側にある。







 

2015/01/16

スプレータイプの醤油

  食事の塩分で最も身近に感じるのは、味噌とか醤油と言う印象がある。昔の記憶を手繰り寄せると、確かに、「減塩」と言う言葉が店頭に並び始めた頃は、味噌や醤油に、多くの塩分が含まれているのだと想像したものだ。しかし、当時は、その塩分のお陰で間接的にも、美味しくご飯を頂いていたわけで、あたかも毒を盛っていたような表記や表現には賛同できない。例えば醤油に限ってみても、減塩醤油とか薄塩醤油とか表示されても、塩分と醤油の旨味は微妙に絡み合っていて、美味しく感じるための製造には、多くの工夫が凝らされている。もちろん、塩分が全く無ければ、誰も使わないだろう。そこには、醤油の味に、「人それぞれ塩に対する感度の違い」があるからだ。

  醤油は大豆、小麦、塩を原料とし、麹菌、乳酸菌、酵母による発酵過程を経て作られるため、含まれる、たんぱく質、アミノ酸、ビタミン、ミネラル等、広範囲な成分を豊富に含んで栄養価は高い。また、他にも食欲を高める働きや、腸内の大腸菌などに対する殺菌力もあると言われている。

  醤油は、調味料としてJAS規格で種類が規定されている。地域性もあり、その分類に含まれない製品も多いが、おおよそ、「しろ、濃口、薄口、溜り、再仕込」に分けられている。なのに、いつしか趣向品の領域に広がリを見せてきた。それは、煮つけの醤油は一升瓶に入った「濃口」の量産品でよいが、刺身には、「溜り」を発展させた刺身醤油が使われる。漬物には、「濃口」に昆布を溶かし込んだ自作の昆布醤油等もお薦めだ。卵ご飯にも市場には専用の醤油がいくつか存在する。このように、美味しさの追及の仕方に趣向が多く含まれてきたからだ。

  醤油に含まれる「塩に対する感度の違い」は、昔から、その使い方に良く現れてきた。一升瓶に入った醤油を醤油差しに移され、さらに、小皿に少量抽出される。その小皿の醤油に食材を適宜少量浸けて口に運ぶという繊細な作業である。これを正しく使いこなしてこそ和食を美味しく楽しめるという理屈である。しかし、高度成長時代には、一般家庭で醤油差しから直接おかずに「ぶっかける」ような使い方が一般化した。それが、この醤油や味噌に含まれる塩が高血圧や胃癌の元だと言いがかりをつけられ、いずれも減塩に進むことになっていったようだ。

  最近、スプレー式のSOY SAUCE (スプレータイプ) が各社から次々と発売されている。このスプレータイプの醤油も絶対量を減らす目的だが、どうも、日本文化や和食を理解できない外国人には使いよさそうで、評判がいいようだ。もちろん、減塩を希望する人にも、小皿の醤油に食材を適宜少量浸けて口に運ぶという作業が苦手な人には最適かもしれない。さらに、ミストを放出するので醤油の絶対量が少ない割には、香りが良くて、塩相当量は少ないという結果に繋がる。一種のソースとして捉えれば、何の抵抗もないが、自分には半ば邪道と言う印象が拭えなかった。

  実際使ってみると、凄く具合が良く、まるっきり印象が変わってしまった。それは、使い方自体にバリエーションがあると言うことだ。動かすと形が崩れてしまうような食材には、物凄く効果的であることが分かったのである。確かに、もはや日本文化に溶け込み、優れた醤油噴霧器となっている。ただ、この容器は、醤油自体を減塩にしないと、乾燥が続いて目詰まりが起こりやすいと言うのもあるようだ。
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2015/01/13

寒天に黒蜜か抹茶蜜

  以前、寒天と茹小豆、さらに抹茶を使って、水羊羹のおやつをこしらえ、こんなに満足できて、しかも、これには食物繊維がタップリ含まれ、お腹に優しく万全だという報告をした。そこに、寒天を通して甘味とどのように付き合っていけばよいか、何か手ごたえのようなものを掴んだと思えたのである。勿論、その実現のために、食材の持つ特徴や知識を広げると共に、一方で、自ら不足している食材とか、摂取しすぎている食材に対する抑制やその代替えの用意など、そこで得られた知識を整理することで、体との係り合いを自然に実践できるという点も魅力である。そこには、古くから日本人に親しまれてきた食材が存在しており、改めて日本の食文化の奥深さを痛感させられるのである。

  そんな難しいことを探し求めなくても、かつて祖母と一緒に生活していた幼い頃の事を思い出してみたり、年間を通して祖母の習慣を目にして身に付けておけば、それらの食材を何の抵抗もなく受け入れ、自然にたくさん食べて、それでも健康を維持できてきたのである。昔の人は遊びや、日常の楽しみを通して、その食材の持つ意味を知らず知らずのうちに体で理解していたのかもしれない。確かに、抹茶も時々飲まされた記憶もあるし、夏場には寒天を大量に使った蜜豆を作って大きなガラスのボールごと冷蔵庫に入れてあったり、春、秋のみならず、何か嬉しいことがあると、おはぎや赤飯、よもぎ餅などが作られた。

  これらの創作は、手のかかる作業で、いつも忙しそうに動き回る祖母にとっては、時間の合間をぬった得意技ともなっていた。現在では、趣味でそのような物を創作する余裕はない。したがって、それらの創作の中から必要最小限度を真似て自分の食生活に組み込む以外に方法はないと考えられる。やはり、如何に整理してもキーワードになるのが、食物繊維ということになる。そこで、もう少し簡単に美味しく食物繊維を戴く方法として、寒天をそのまま戴く方法に変更してみたい。それは、お湯に寒天を溶かしながら加熱して固めたものと、それに抹茶を加えて固めたもの2種を用意してみた。さらに、「茹小豆に無糖の商品」を用意しておき、黒蜜や抹茶蜜を上からかけて戴くことで、糖度の調整も自由自在だし、さらに総量としての糖分も減らすことが出来る。甘味は黒蜜や抹茶蜜だけなので、表面に浸けるだけで美味しくなるし、余ったら器に残ることになる。

  現在でも単品で黒蜜と抹茶蜜等があるのだろうかと、常々興味を持って探していた。 インターネット・ショッピングでは、思った以上に様々な商品を見付けることはできるが、どうしても醤油のような容器や牛乳パックのような形態は、業務用を思わせ当初から気に入らなかった。恐らくそれらは、氷菓のシロップ用として用意されているもので、実用本位になっている。そこで乾物屋へ出向き、見かけた瓶入りで濃そうな商品を買い求めてきた。これは、夏は氷菓用に使うとか、冷蔵庫で冷やした緑茶には、抹茶蜜を加えるとか、冬はホットミルクに黒蜜を加えて戴くとか、お餅に付けても口にしても美味しいはずだ。これらは、少量でも香りが高く自然な甘さが魅力だ。
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2015/01/09

ヤクルト ミルミル

 私が物心ついた時には、既にヤクルトはあったが、当時は、まだ乳酸菌がどっちを向いているかも分からない頃で、詳細な説明を受けたいとも思わなかったし、また、まともに説明が出来るようなお店もなかった。とにかく乳酸菌は胃腸に良いとしか聞かされなかったのである。それでも、ヤクルトは、テレビのCMではないが100年近く続き、今や日本が世界に誇る会社の1つとなった。もちろん、シロタ株も一般的になってきたし、ジョアとか、ミルミルなどの乳製品から、医療用の抗がん剤まで研究開発をする優良企業に成長している。

 乳酸菌飲料がヤクルトしかなかった頃は、明らかに清涼飲料水と差別化されていて、今でいえば健康食品の様に大切な扱いをされていたが、最近は、中途半端な発酵乳製品が増えて、それらは腸内細菌の餌としては、良いのかもしれないが、正確な正確な差別化がされないまま市場に溢れている。消費者も、それらの違いを問題にすることは無い。常に小安い3~4パック物か、あるいはデザートの様な美味しい物、あるいはのが選択されて扱われている。一方、大豆飲料などでは、遺伝子組み換え輸入品大豆を使っているから危険だとか、北海道産大豆は美味しいとか、大きく原材料の違いまでを問題にする。これは、利益至上主義の米国に対する不信感の現れといえる。つまり、怪しい原材料を使っているもの、あるいは同様の製造者が作った製品は、素直に口に出来ないと言う日本人の性格が反映している。

 製造者と消費者の間に存在する信頼関係の中には、長い間企業として経営を続けてきたとか、優れた商品を世にたくさん送り出しているとか、社会に貢献できる商品を提供しているなど、日本人の社会的価値観に一致することが望まれている。そういう意味で、今ではヤクルトはそのような信頼される会社なのだが、効能が目に見えにくいことによって大変に苦労を強いられた会社でもある。ヤクルトレディーなるFase to Faseの販売網を拡充して、正しい知識と効能をきめ細かく説明して、継続して飲んでもらうことで、効果を実感してもらう正攻法の戦略で、現在でもその販売形態を継続している。つまり、ヤクルトやミルミルが本当に小腸や大腸に効果的に働き、人の免疫力を改善できるという裏付けがあるからこそ出来る、唯一の証明方法だと言える。

 そういう私も、先日以来、腸の調子が優れず、何か良くない感じなので、ヤクルトさんの説明に耳を傾けてみた。すると、「へーそんなこと出来るんだ」と思いながら、実践してみて驚く結果を得ることが出来た。それは、「ヤクルト200または400とミルミル」を一緒に飲むと言う裏技である。普通は、小腸も大腸も一色単に考えて、胃腸の調子が悪いとヤクルトでも飲んでおこうと考えるものだ。しかし、説明は、実は一緒に飲むと相乗効果があるというのである。つまり、ヤクルトは小腸へ、ミルミルは大腸へ生きたまま乳酸菌が届き、連携して効果を上げると言う仕掛けのようだった。なかなか商売上手のセールストークだと思いながらも、実際に試してみたら、たった2日で、効果が現れたのである。うーむ、凄い裏技だった。と言うわけで、食べ過ぎ、飲みすぎ、睡眠不足、あるいは神経の使い過ぎの方には、2つを一緒に飲むと効果が早いようだ。
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2015/01/06

今時の買い得商品

  少々オーバーな話だが、人生で「一番面白い」ことは、お買い得商品を見付けることだということが、最近やっと分かってきた。勿論、お買い得商品とは(=安くて良い商品)のことで、それまで、価値観の中に「安物買いの銭失い」という、やや固定概念が頭を巡らせていた。安い品物は、標準より、どこかでコストダウンを図っていて、それを使うまでは「素人では見抜けない内容」であったりする。逆に少々割高に感じる物は、きっと良く考えてあり、知らず知らずに長持ちしたり、便利に出来ていたりするのだろうと思ってきたのである。勿論、使用経験の豊富な道具は「自ら目利き」になってしまい、最高級な物にしか興味をそそられることはないが、最近、自ら頻繁に買い求める台所、風呂場、洗面場、あるいは、ご不浄等で使用するような家庭用消耗品は、経験が少なかったせいか失敗することも多い。

  大昔は、職人技で作られた製品を長い間大切に使い込むことが価値観の1つになっていたし、バブル前の高度成長時期は、耐久性が低かったから、最初のいいところだけを使い、度々新たなものに交換しながら使っていたという人も多い。最近は、100円ショップにそんな40年前の日本の物づくりを見るようで、昭和を生きた人たちには、懐かしさを隠せないようだが、そこには、国内で売り上げが伸びた製品を、海外工場でそのまま「見様見真似」で作らせたという製品が並ぶ。そんな製造地域の変化の中で、日本国内での販売では、それでもやはり品質が求められる。もちろん、100円ショップでも例外ではない。一方で、最高級なものは、デパートにあり、若い女性には人気があるが、売れ行きは今ひとつ広がらない。それは、多くの主婦がそこに価値を見出さない為と考えられる。

  100円ショップという、極めて厳しい環境下でも、やはり「優れた商品」は、同じような商品群が並ぶ棚の中で、ずば抜けたも売り上げが目立つ。そういう商品を調べるだけで、その背景にある、素材、生産技術、環境適用など、様々な価値観の結果とも言うべき商品が浮き彫りになるのである。日に何度も使い、度々新品に交換する食器クリーナは、長持ちするのも魅力には違いないが、洗剤が少なくて済むのも歓迎される。そこで、是非にでもお勧めしたいのが、水だけで「脂汚れ、茶しぶ」まですっきりするという「アクリルニットクリーナ」である。「水だけで」と書いてはあるにはあるが、ほんのわずか洗剤を加えると更に馴染みが良い。もちろん食器洗いに水の量は少なくできるし、思いの他簡単に汚れが落ちる。これを使い始めてから、コスト面を含めて、他のクリーナは使えなくなってしまった。その構造は、内部は単純なスポンジ、周囲はアクリルニットで包んであるだけだ。一般的にこの類の最低価格として163円(2個入り:ネットショッピングにて送料別)があったが、PDF写真は100円ショップにて108円(2個入り)の商品。使い方にもよるが、アクリルニットの耐久性は十分ある。

  紹介したい品物のもう1つは、不織布(ふしょくふ)マスクである。不織布とは、「繊維を機械的に絡ませたり、化学的に融着・接着させ繊維間を結合したシート状の素材」と定義された布のことで、工程が少ない分、製品化が早く、低価格を実現できるようだ。これは通常、一般的なハウスダスト、花粉程度の大きさに効果的なマスクとなっている。このクラスの品物としては、100円ショップでも最低価格は、6~7枚入り100円程度であるが、この不織布マスクは、50枚入りで260円である。サイズは17.5x9.5cm、立体三層構造(プリーツ)、ノーズワイヤー付。PM2.5のような微細な埃やゴミは除去できないとしても、その都度使い捨てに出きる程の価格に抑えられていることから、高級なマスクを1日中使うより、日中何度か交換している方が清潔であることは間違いない。ちょっとした距離でも電車やバス、あるいは2時間でも映画館などで、マスクがあった方が良いと感じる場合も少なくない。
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2015/01/02

アラスカのシーフード

  歳を重ねた人たちは、自分の経験から「決め付けたものの言い方」をする事が多い。それは、一種の信念にも似て、簡潔な言葉でまとめられている。しかも、意識の中には、自らの経験からでしか発言できないとした、前提までも加味されてるかのようだ。その言葉を、年寄りじみていると切り捨ててしまえばそれまでだが、その対象が秘めてきた履歴を知るための、「一種の手がかり」として扱うことで、「長い年月の変化」を捕らえることができる。そういう話に耳を傾けながら、その重みに気づき、自分にも同じような経験から来る拘りに信念を持つことは多い。しかし、一方で、そのような頑固になる年齢に近づいたのではないかと不安になることがある。

  最近、ある小冊子でアラスカの魚師が、鱈とか鮭を採る様子が紹介されていた。荒波の海と、雪をいただいた山々を背後にした美しい風景の中、氷点水温の凍えるような海へ繰り出して行く姿が、勇敢にも頼もしく見える。さすがに、豊かな漁場が広がって、天然物がたくさん採れそうに見えるのである。しかし、アラスカは州として厳しく漁獲制限を行っている。しかも、古くから天然資源の生育環境が持続可能に保つよう努力を重ねてきた。さらに、1990年には養殖漁業を禁止して、山、森、河川、海など広い視野から、生態系に人の手が一切入らないように、天然資源を守ることに拘ってきたという。その環境から生まれた海の天然資源を、現在「100%天然の海の幸」と位置づけている。

  そんなアラスカ州の崇高なる理念と確立された安全性の仕組みに共感を呼び、憧れともいえる期待感となって、極寒の地で採れる、その100%天然の海の幸を口にしてみたいと思うようになっていた。瀬戸内で育った者として、鱈や鮭というと、ちょっと大振りな魚として、大味という印象が付きまとい、頭から塩漬けの鮭という印象が強いが、たまにはサーモンステーキもいいと思うこともある。しかし、常に馴染めず、しかも許せないのがすし屋のサーモンである。これだけは決して口にすることはない。もちろん、いずれの場合も、それなりに魚臭さの少ない種類が使われ、日本人好みになっていて、私の認識以上に世間では親しまれてきた。特に最近、店頭などで扱われている紅鮭は、紅色が薄く、匂いも淡白な種類ばかりのようだ。「淡水に戻る魚だから」と理屈を返されれば、そうかなとも思うが、紅鮭にしても肉質の色や味に深みが無くなっているように思えるのである。

  ところが、この缶詰を口にしてから、紅鮭の印象が格段に良くなった。やっぱりこうでなくっちゃいけねえ!と、昔の紅鮭は、こういう深い赤色で、味も濃かったと「想いを寄せ、深みのある味」に100%天然の海の幸を実感できたのである。たまたまアラスカの紅鮭の種類の違いかもしれないが、一種独特の懐かしささえ感じてしまった。この違いは鮭の種類によるものか、何故そうなのかは判らないが、明らかに旨味の強い紅鮭らしさが残っていて、昔はこのような深みのある味だったと記憶をたどるような気分になってしまった。所詮、缶詰だけど、味に違いがあるのに驚く。結局、味の強い野菜や卵等と合わせるときには、鮭缶はこれを選びたい。
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