2015/04/29

ブルーベリー葉茶

 健康食品には、共同研究で生まれたものが多い。共同研究は、幾つかの専門分野のエキスパートが集まって「お金になる木を育てる」という概念として捉えることが出来る。そのためには、研究する対象の特異性または特徴を分析し、それを探求する人、そして、その特徴が人にもたらす効果を検証する人、さらに、効率よく特徴を抽出し、適正価格で全国的に販売できる人と、概ね3つの分野に長けた人たちが集まる必要がある。

 その中でも最も難しいのは、その特徴がもたらす効果を検証してみせる事といえる。たとえば、その特徴の1つとして、それに含まれる物質が「高血圧に良い効果をもたらす」とする場合、それをどうやって証明するかが大きな課題である。一般的には、その高血圧に良い成分が多く含まれ、そのままの形で抽出される→食べたり、飲んだりすることで血圧が下がる→健康に良く、元気になる。という三段論法の形で表記されている。

 あるいは、影響力のあるマスコミや権威のある大学教授などを使って推奨する事もあるが、おおむねハッキリしたことは口にしていない。したがって、テレビなどでは、付帯事項として「個人の感想です」と表記するしかない。また、幾つかの効能が併記されていることもあるが、それは、一種のマーケティングで、対象になる人が幅広い方がより売れると言う概念だ。しかし、顧客が求めているのは、ピンポイントでも明らかな効果なのである。


  したがって、すべての健康食品は、一般的に自ら口にして試してみる他はない。しかし、手当り次第片っ端から口にするわけにもいかないので、自分の弱いところを補うように心がけて試してみるしかない。たとえば、胃腸が弱い人は青汁系食品が良いだろうし、視力が弱くなったと感じる人たちには、ブルーベリー系が良いとも言われていることから、このような商品に興味を持つのも自然なことといえそうだ。製造元も、多くの人たちに試験的に試して、良い結果が得られたに違いない。

 今日の商品は、ラビットアイブルーベリー葉に含まれるポリフェノールを、宮崎大学と宮崎県の共同研究により、独自製法技術によって、商品化したもの。葉に含まれるポリフェノールを損なうことなく抽出し、比較的安価でしかも年中飲みやすい葉茶として提供したという。ティーバッグ1袋300ccのお湯でおおよそ5分蒸らして抽出する。1パッケージにティーバッグ21袋入っている。実際に10日ぐらい飲み続けてみると、目がスッキリしてテレビやディスプレーの見え方が良くなっていることも実感できる。これも「個人の感想」ということである。

 また、茶葉のみならず、錠剤なども用意されているので、同社としては、ポリフェノール効能には相当の自信があると思われる。それでも、所詮健康食品の領域の品物で医薬品ではない。
詳細はこちら
https://www.i-port.or.jp/biomed/top_bluevery_kaihatsu.html
 

2015/04/25

セッション(原題:WHIPLASH)

  奏者仲間が集まって演奏をすることを「セッション」と言う。セッションは、奏者の楽しみでもある。そのためには、音楽的素養が同じ奏者が集まることはもちろん、互いの感性に合わせて演奏ができることが要求される。音楽的素養とは、幼い頃から培われ、体に埋め込まれた「正確な音程感」と「楽器を操作する技術」である。音程は物理で言うと周波数だが、奏者は相対的な音階(イタリア式:ドレミ・・・)でコミュニケーションする。譜面を見て演奏するには、正確に音(周波数、大きさ、長さ)として再現する能力が必要になる。これを生かすのが「身につけた音楽センス」である。音楽を専攻するには、最低限、譜面が読めること、正確な音程を再現できること、楽器の操作が正確に行えることなどが必須になる。それでも、セッションをするには、曲を暗譜しておく方が良い。

  音楽を提供する奏者は、誰でも譜面を見てその音を瞬時に組み立てる作業を行う。何か手本の真似をすることではないので、基礎が出来ている奏者が更に技術を磨くには、練習あるのみといえる。また、その練習も、1人では限度があるので仲間とセッションする必要がある。しかし、下手な仲間といくらセッションをしても上手くなることはない。だから、常に優れた仲間に入りたいと考えている。趣味なら、この程度の思考で十分に歌唱や楽器演奏を楽しむことができるが、頂点を目指して「それで飯を食う」ということになると、やはり最後に問題にされるのが「執念にも似たやる気とそれを支える不屈の精神」になる。つまり、指導者から鞭で何度打たれても、目標を見失うことなく這い上がってゆく精神力が必要だ。セッションの原題のWHIPLASHとは、「鞭で打つ」と言う意味である。

  全米屈指の名門校のシェイファー音楽院を舞台に、入学したばかりのドラム専攻の生徒アンドリュー・ニーマンと鬼教師と言われるテレンス・フレッチャー教授の間で繰り広げられる「執念の熱血指導」を描いた作品。公式ホームページはこちら http://session.gaga.ne.jp/


  フレッチャー教授は、ある日ニーマンの練習を見て、才能を発掘すべく目を付ける。数日後、全員バラバラの音を出しているニーマンの所属するバンドに現れ、それぞれ奏者の音をチェックして、ニーマンに自分のバンドに移るように指示する。それからフレッチャー教授の狂気にも似た指導が始まる。ある時は、バンドのトロンボーンの僅かにずれている音程をメンバー全員の前で責めたて、メンバーからはずす。それをみて、ニーマンも震え上がる。一方、ニーマンへは、テンポが違うと何度も何度も罵られる。そんなフレッチャー教授の仕打ちにもめげず、偉大なドラマーへの夢を叶えようと、ひたすら血の出る程の練習に没頭する。・・・と、あまりくどく説明するより、こちらを見てもらったほうが早い。https://www.youtube.com/watch?v=65P_HY_3aF0
 
  それにしても、フレッチャー教授の狂気の指導は、学生の才能を発掘して偉大なミュージシャンを育てるための1つの手段でしかない。しかし、現実にはこのような指導は通用しない可能性がある。だから、この作品は、一種の「指導者のロマンであり、学生の目指す究極の夢」と言えるのではないだろうか。今は、仮に学生に野心があったとしても、指導者側の熱意が行き過ぎたり、周囲に誤解されると、先では職を失うリスクさえ抱えているので、不本意ながら慎む傾向になる。そこは無難に、そこそこの演奏で、「良かったよ」と教授が褒めれば、「そうか、これでいいんだ」と判断するだろうし、有頂天になり、それ以上を望む活力さえ薄れてしまう。一方、貶されれば萎縮してその道から離脱することもある。僅かな勘違いであったとしても、そんな精神薄弱な学生に、教授は付き合うことは出来ないだろう。作品の冒頭から、そういう構図を見せ付けられるが、ニーマンは耐えに耐えてフレッチャー教授に必死に喰らいついていく。しかし、行き着くところ、ニーマンは退学、フレッチャー教授もシェイファー音楽院を去ってしまう。

  それでも、フレッチャーは、ニーマンの才能を見捨てられずにいた。もちろん、彼の不屈の精神にも可能性を見出していたからだ。フレッチャーは、ニーマンの住む街の近くのクラブでライブを開催し、彼が来るのを待ち構えていた。ある夜、街にはライブの音が漏れ聴こえて、ニーマンはその音に吸い込まれるように店に入り、フレッチャーを見つけてしまう。後ろめたい気持ちでニーマンは店を出ようとするが、フレッチャーに呼び止められる。酒を飲みながらフレッチャーは、「今までの仕打ちの背景と、それを後悔していない」ことを打ち明ける。別れ際には、フレッチャーはJVC音楽祭で、彼に代役を務めることを持ちかける。迷ったがニーマンは再びそれをチャンスにしようと立ち上がる。

  この作品の「セッション」の意味するところは、そのJVC音楽祭のステージの最後で「ニーマンとフレッチャー2人のセッション」として演出されているところだ。かつてこのようなエンディングは見たことはないが、観る者を少しだけ安堵させてくれるところが嬉しい。

 音楽作品(風?)なので、音響にそれなりの期待をしていたが、シンバルの音が訛り、パルシブな音も潰れていたりと、音を加工しすぎではないだろうか。あるいは、ドルビーシステムの影響なのだろうか。また、カメラが追う楽器と違う楽器の音を拾っていたりと、画面から伝わる緊張感とちぐはぐに感じ、そのあたりに「作品が安作りの印象」として見えてしまう。珍しく「心に突き刺さるような力作」だけに、フレッチャー風にもう少しちゃんと音に拘って「品位の高い隙の無い作品」に仕上げて欲しかった。

2015/04/23

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

   セントジェイムス劇場を出て、タイムズスクエアを歩き、群衆から揉みくちゃにされながら注目を浴びるシーンのCMが話題になって、なぜパンツ一丁なのか不思議に思う人も少なくない(その経緯は作品の中で楽しんでほしい)。その様子から 「バードマン」というより、「パンツマン」の印象がピッタリかもしれない。しかし、このシーンが「予期せぬ奇跡」を巻き起こすことから、タイトルに副題として付け加えられている。

 そして、その「無知」とは、ツイッターやフェイスブックを知らないパパ(=リーガン:パンツマンのこと)を責める娘(=サム)から見た「パパの様子」なのである。ならば、バードマンって?と続くかもしれないが、バードマンとは、架空のスーパーヒーローだった「バットマン」を捩ったようだ。何故なら、1989年に公開されたバットマン(マイケル・キートン)を演じていたリーガン(=マイケル・キートン)のその後を描いているからだ。そりゃー、かつてのヒーローがパンツ一丁でタイムズスクエアを歩けば、群衆は「バットマンだ!」って喜んで叫ぶだろうし、ツイッターやフェイスブックで即話題になり、拡散するに違いない。
公式サイトはこちら http://www.foxmovies-jp.com/birdman/


 バードマンで一度スターとして君臨したリーガンも、4作目を断って以来長い間オファーのない日々を過ごしながら、少々卑屈になっていた。そんな境遇から抜け出すため、自ら演出、主演するブロードウエイの舞台(格調高い)に立ち、それを踏み台にして再起しようと企てた。そんな計画を進める中、様々な不運が付きまとう。冒頭から共演者が舞台で怪我をしてしまい、代役を探すが、その代役(=マイク)は有名かつ有能だが、演出を貶したり、台詞の言い回しまで古臭いと非難する。さらに4倍のギャラを要求するなど手に負えない。そして、付き人の自分の娘(=サム)も言いたい事をはっきり言うマリファナ常習者、決定的なのは、舞台の評価を決定付ける「評論家タビサが史上最悪の批評」を載せると脅す、そして、追い討ちをかけるように、かつての自分自身(=バードマン)からも駄目出しを食らってしまう。そんなトラブルが続いていた。

 映像は、ステディーカム(撮影者の動きに滑らかに追従できるカメラの支持機構)付きによる1カット(切り替え、編集が無い)風の撮影になっていて、狭い劇場の通路を縦横無尽に駆け巡る。1カットのロング・ショット撮影では、俳優に秒刻みのスケジュールが割り当てられ、それを精密に演じることで、カメラは我々観客の視線であったり、ある時は、リーガンを含めた俳優たちの目線を追って撮影が進められていく。バックには、リズムを刻むドラムが流れて、あたかもそれが時計のように、淡々と時を刻む。まるでカメラとドラムのセッションのようだ。その連続によって日程(4日間)の区切りまでも見事に再現している(勿論その演奏中のドラムの前を通り、リアルタイムで演奏していることを裏付けている)。このあたりは、極めて技巧的で観る者を「うーむ、凄い」と唸らせる。作品全体の音楽のセンスも最高だ。そこが、同じ業界で仕事をする人にとって驚きにも似た感動を呼んだに違いない。余計なことだが、CMの背後に流れている曲も素晴らしい。
ここに参考にできる特別映像がある
https://www.youtube.com/watch?v=lau3bJB05P8

  印象に残るのは、役者が役者を演じているところで、あまりにもそれが自然に観れてしまうのだが、自分が演じる役が意に反する役でも、それを何度々も演じ切ることで、どこまでが自分なのか、あるいは、それが自分自身の一部になってしまうのではないか、そこで役者としての自分に満足できるのか、そんな言葉に出来ない矛盾やストレスを抱えていて、その環境に見舞われながらでも、抜け出す方法は、より高見を目指すしか無い。一方、そんな苦悩とは裏腹に、とかくファンは分りやすい作品(低俗性)を好む。この作品には、そんな役者の苦悩を再現しながら、ファンが好む低俗性が同居している(捻りの舞台)ところは目が離せない。映画は芸術の顔をした売り物だけど、評価はそれに全て集約される。かつて大スターに祭り上げられたヒーローが再起をかけようとする時、考えもしなかった低俗性の濃い事件が起こる。それが冒頭で説明したCMのシーンで、これを観た人の心を鷲づかみにして作品に引き込み、あなたにも「小さなバードマンがいる」と背後から囁やくのだ。そうすると、タイムズスクエアをパンツ一丁で歩いて、ファンから揉みくちゃにされても、それも「ファンの愛」ならば、忘れ去られるより、「はるかにありがたい」と言う意味が理解できるに違いない。そして、結局彼はコメディーから抜け出せなかったのである。

  映画ファンなら、観れば分るだろ的な構成なので、一般人にはやや説明不足。そこに、映画や演劇に特化した幅広い知識と奥深い教養を要求する作品であることは間違いない。それが1つや2つではないところに、観るものを迷わせてしまう要因がある。つまり、面白く感じるシーンでは、その捻りを痺れるくらい楽しめるが、それが理解できないシーンでは「何が?どゆこと?」となってしまうのである。もっと!面白さを満喫したいと思うのは私だけではないはずだ。しかも、それらは「業界の裏に潜む人間模様」を皮肉たっぷりに表現していることから、「ある程度社会に揉まれてきた人」でないと、その捻り自体も面白く感じることは出来ない。そこが、ハリウッドにまつわる業界人に「超うけた」にもかかわらず、我々一般のファンからすると、「うーむ、そんなに面白い?」と疑問を持たれた背景である。ただ、少々歳を重ねた人には共感を呼ぶようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=sCulv1Nf2iA



2015/04/20

ホテルオークラの味を伝える缶詰

   最近は、有名なホテルの中にあるレストランでも、食材の諸元をきめ細かく表示するようになった。お陰で、やっぱりそうだったかと思うことも多い。先日の話になるが、お昼のメニューを開くと、おっと、美味しそうな「お肉のステーキ(4,320円)」の写真が目に飛び込んできた。しかし、その下には「牛脂注入加工肉を使用しております」と併記してあった。正直なのは良いが、正々堂々とそのように書かれてしまうと、暗に「旨いかもしんないけど、品質は保証しないよ、シェフとしては責任ないからね」と宣言しているようで、意気消沈してしまった。

 そんな表裏一体の事情は、あからさまにせず、お客が「まさか」と思うように、気持ちよく美味しくいただける方法を考えて欲しい。それが調理技術ではないか。もちろん、そんな高額なお昼をオーダーする気分の持ち合わせはないが、その表記によって、すんなり、お客は夢を捨てて、引いてしまうのである。つまり、社会の中の「正直」と「開き直り」は、同類語でも反対語でもないのに、食事提供者側では極めて近い距離感にあるといえる。

  さて、話題は少々横道に逸れたが、それがきっかけで、今日は、昔から美味しいホテル・ブランドの缶詰を紹介しておきたい。最近、スーパーやコンビニなどに出回っているレトルト食品の中にも、かつて一流ホテルのレストランで出されたようなカレー、ハンバーグやビーフシチューが販売されている。しかし、実際に口にしてみると、それなり(対価格比で)にお味はよく出来ているが、本質的には全然違う(肉の質やカロリー感)ことに気がつく。そこで、確固たる信念のもと、戸惑うことの無いように、真似の出来ないホテルの味を、時々リファレンス(標準的なお味)として、しっかり頭に叩き込んでおこうと思う。もちろん、ホテルの味が全てではないし、好き嫌いもある。しかし、歴史と伝統の中で培われたお味は、少量でも見逃せない程の満足感を体に刻むことがある。

 そんな、こじ付けにも似た屁理屈はどうでも良いが、あの4,320円の牛脂注入加工肉を使用したステーキの印象が、頭の片隅に残っていて、どういう訳か「そこに何か大きな勘違いを見せ付けられたような気になって」、小田急デパートの地下で、ホテルオークラの缶詰を探していた。すぐに食べたいわけでもなかったが、なんとなく「心の不安を解消して満足したい」と思ったのである。サラダは別途用意するしかないが、スープ、ハッシュドビーフ (=牛肉のこま切れを炒めてデミグラソースで味付け加熱したシチュー)を揃えて並べてみた。ハッシュドビーフを単品で出されると、ご飯の上に掛けてハヤシライスで戴く人、あるいは、パンと一緒にビーフシチューのような食べ方にする人など様々だが、ハッシュドとは、「細かくした」と訳すと分かりやすい。つまり、料理の仕方を指した呼び方であって、どんな食べ方をしようと、周囲からとやかく言われる筋合いは無い。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212238&app=WordPdf

2015/04/16

懐中しるこ

 その昔、宮中に献じられた時に、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わり、あるじ感に入りて・・・」と包装紙に書かれた「鶴屋吉信 懐中しるこ」の登場になる。鶴屋吉信は、享和三年(1803年)創業の和菓子専門店で、京都御所、公家、有名社寺、茶道家元などの御用達として京菓子一筋の老舗として、広く知られている。京都和菓子という範疇に限られることから、既に馴染みは薄いかもしれないが、餡子、しるこ、となると、関東の和菓子屋とは歴然とした違いがあり、関西育ちの自分としては、それを欲しがる時は、どうしても鶴屋吉信の出店舗を探すことになる。

 その餡子やしるこの味の違いは、どこにあるかといえば、原理的には、原材料の三つの要素の違いでしかないが、小豆の灰汁の採り方に始まり、塩、砂糖類による歴史的な職人の微妙な味覚の違いに依存すると思ってよい。御所があった京都の歴史は長く、その経緯の中で洗練された甘味が成熟して行ったのである。それが、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わる」といった味覚の違いとして表現されている。そんな僅かともいえる甘味の進化と、京都御所を頂点とした、和菓子の味覚の「美味しさの基準」が、広く庶民にまで広がっていった様子を想像してしまうのである。


 そんな大げさなものの言いようで脅す訳ではないが、餡子、汁粉といえば、関西の老舗としてどう考えても同社店舗を外すわけにはいかない。ここの品物は、手間の掛かる漉し餡や、きめ細かく仕上げられた汁粉は、喉越しまで違って感じられる。特に体に僅かな疲れを感じたり、甘みを口先で欲しがる時には、この優しい甘味が体によく溶け込んで染みるのである。勿論、老舗和菓子屋の商品だから高価と思われがちだが、四季を通じて和菓子を楽しみの1つとするならば、決してお高いものでもなく、むしろ、当時の京都の風情に想いを馳せる一品となるものと言えよう。

 懐中しることは、当時、花見や紅葉狩り、雪見など、旅に携帯して「即席のしるこ」を欲しがったことから考案されたとされているが、さすがに、椀に入れて熱湯注ぐことのみならず、水でもよければ、冷水を注ぐだけでも美味しい汁粉が出来上がる。むしろ当時の花見や紅葉狩りなどではそのほうが現実的であったに違いない。お湯を注ぐと、しばらくして半月の形をしたもち米の香ばしい麩焼きで包んだ漉し餡が溶け出す。どのような客人に出しても恥ずかしくない、いや自慢できる程の上品なお味が年中楽しめるのである。
 同社のホームページ http://www.turuya.co.jp/

2015/04/13

美味しい蒟蒻ゼリー

 かつて、若い女性の間だけの話題だった「美しく痩せる」というコンセプトは、いつしか「中高年のおっさん」にまで広がり、さらに小中学生なども気にする時代が来て、全世代の日本人男女がこぞって目指す大目標になってきた。それもこれも、行列の出来る飲食店を紹介するテレビ番組の影響だとか、あるいは、ストレスの多い社会環境によるものか、日本人の肥満度はいづれ米国を抜き去るかもしれない。その兆しは、スーパーを出入りするお母さん方の体型にすでに表れていて、何か「食べている物が違う」と言った感じで、明らかに20~30年前には存在しなかった新種の人類のように見える。

 酷い事を言うと思われるかもしれないが、このような体型は、そう容易に達成できるものではない。過去の食の「積み重ねノウハウ」が生かされたものと考えられる。確かに、胃は拡張性に富み、知らず知らずのうちに、その容量を増加させることができる。しかも、大脳の言うことをよく聞く別腹機能まで備えていて、目の前にある美味しいものは、消化器のすみにまで押し込むことを可能にしている。そういう機能を上手に活用することによって、徐々に食べる総量を増やすことができるのである。むしろ、逆に胃を小さくするには、病気にでもならない限り実現できない。つまり、健康状態と食事環境、食事の仲間などの影響で大食を促すと考えることが出来る。

 だから、そんな状態で、少々蒟蒻を食べたからといって、スリムで美しいおっさんになることは出来ないのである。そこは、常日頃からその為の努力を怠ってはいけない。たとえば、会社帰りは、早々と電車に乗り、痴漢に間違われないように緊張感を持って車内で時間を過ごし、背後から刺されないように、駅からは早足で自宅へ向かう。自宅ではお酒も控えめに、ゆっくり時間を掛けて夕食を戴きながら「美味しい、美味しい」と口癖にして家族に感謝をしながら、食後もゆったりと時間を過ごし、時々は食後の洗い物を手伝ったり、子供の勉強を見たり、就寝時には、屋外から曲者などの進入に用心し細部の戸締りにも気を配りながら、枕元の近くにはバットを隠して待機をするなど、そうすることで現代社会を取り巻く環境に対応しながら、よく考えると、如何に緊張感の無い人生を過ごしているか認識できるに違いない。緊張感こそダイエットに効果的なのである。

  緊張感を高めた状態を維持するには、必要以上の食材を口にしてはならないのである。しかし、そんな状態を維持しても、全く体型に変化が無かったとするならば、是非にとも会社のお昼に、この美味しい蒟蒻ゼリーを食べてみてはいかがかと思うのである。つまり、お金を使わなくても、やれることは沢山あり、すべてやった後でも遅くは無いのである。その中で、どうしてもダイエット食品に頼りたければ、歴史ある食材の蒟蒻がよい。そして、同じ蒟蒻でも美味しい商品がなお良い。さらに、今必要な栄養素の補給ができると、もっと良いということになる筈だ。それが、蒟蒻に加えたフルーツ味と植物性乳酸菌やコエンザイムQ10である。しかし、それらが効くかは個人によって異なるが、フルーツ味と言う美味しさは共通するのではないだろうか。
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2015/04/10

水素水で健康に

  春先になると、野川の周囲で軽快な動きをみせる諸先輩方が目に留まる。ウォーキングやスロージョギングなど様々だ。ベンチに座って休んでいる彼等から聞こえてきたのは、「疲れを早く取り除く」話題が中心のようだ。その対処は様々で、「疲れてくると、血中に酸素が足りなくなるので、酸素水を飲むと、また、ひと踏ん張りできる」とか、スロージョギングをしている人は、「休憩中には炭酸水を飲んでいる」姿を見かけることも多い。炭酸水も良いそうだ。また、そんな飛躍的な発想よりも、「水分不足を早めに解消するためにスポーツ飲料を早くからコマ目に飲むことで、疲れが蓄積しないように配慮する」という人もいる。いずれも、すべて正しそうで説得力もある。

  一方、最近は、水素水も流行りのようだ。人は常に「酸素」を吸い込んでいるし、疲れは細胞の酸化で、それが活性酸素となって知らず知らずのうちに体調を崩す(体が錆び付く)とされ、その解消のため、時々「水素水」を飲んで、錆を水にして流すと言う理屈のようだ。まるで、「未来の乗用車」のような話だが、本気で若い女性にまで流行していて、少々高くつくけれど、水素錠剤を2~6粒ほど飲んで、ダイエットや美顔、健康に一役かっているらしい。おまけに元気はつらつというメッセージをツイッター等で発信している人も多いようだ。下の写真は、安価な錠剤の例。


  高純度のマグネシウムは、水を加えると水素が発生する性質がある。ほとんどの商品は、それを利用して水素を発生させている。その理屈だけなら分かるが、ではなぜ錠剤もあるのか?そこは、よく分からない(体の中でカプセルが溶けて体内の水と反応して水素を発生させるということになる)。また、原材料もさほど高価なものでは無いはずなのに、生産量が少ないなど理由はあるにしても、商品を調べてみると案外高価な商品に人気が集中している。一般的に安価な商品は、水素濃度は800~1200ppb (=0.8~1.2ppm) が目安とされている、しかし、生成して溶け込んだ水素量をどのように確認しているのか、さらに付け加えると、どのくらいの水素量をどの期間を飲み続けると効果が認められるのか、例えば、体重が60kgの人は・・・とか、そのようなことを示唆する情報は少ない。ま、信じて飲み続けるしかない。

  そうなると、むやみに濃度の高い表示の商品(=7.0ppm)を求めたり、スペックの優れた商品を求める傾向に走るかもしれないが、体は、急激な変化に弱いことから、いきなり強力な商品は、何か不確実な要因(=食べあわせとか、飲み合わせによる、相殺効果)があったり、もしかして逆効果を生むかもしれないので、最初は徐々に少量から始めるのが良い。少しづつ水素水の効能を探るとか、あるいは、水素(気体)そのものはどうなのか、よく調べてみたい。そこで、まず比較的低価格のグッズ風の商品を幾つか集めてみた。その商品に書かれている使用方法とか、効果をよく熟読し、他からの情報も集めながら、自らの体を使って全体の把握に努めてみたい。
ペットボトルに入れて水素発生を促すタイプはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212235&app=WordPdf

2015/04/06

まろやかケール

   青汁は、緑色の植物が原材料で、一般的に大麦若葉、ケール、明日葉等が使われている。どの種類がどれだけ優れているかは分かりにくいが、恐らく、いずれかを継続しながら、慎重に体の様子を観察すると、原材料が持つ性質の違いで、少しづつ効果を発見できるかもしれない。また、青汁全体として、どれだけ自分の体に効果があるかは、実際のところ長期にわたり自分で確かめてみる他はない。勿論、野菜不足の現代人にとって、何も「飲まないよりは、飲んだほうが良い」と思うのが普通の考えだ。そこに、この健康食品選択の曖昧さが残されている。

  原材料の種類も興味ある要素かもしれないが、むしろ、最近の価値観では、長期で飲む場合、優れた環境で育った原材料であったり、品質保証の出来る最新設備で作られていることの方が重要だと思える。特に、一日何度も口にするものは、体によい効果があればよいが、そうでなかった時には、まれに悲惨な結果を招くこともあるからだ。既に何十年も健康食品の研究や販売実績を持つ会社の商品を、飲み続けている人たちが、1.健康になっているとか、2.長生きをしているとか、3.まるで病気にならなくなったとか、何らかの実績が証明されていれば申し分ない。単に「苦くて、美味しい」だけでは、続けられない不安はある。

  最初に青汁を試すには、目的をはっきりさせておきたい。例えば、胃腸の調子の悪い時に飲む薬に、キャべジンと言う薬がある。キャベツを原材料にしてビタミンUを主体とした薬である。そこで目に付いたのが大麦若葉、明日葉ではなく、「ケール」である。ケールは、キャべツの原種と言われ、それと同様の効能が認められると推察される。つまり、ケールから作られた青汁を長期に渡り飲み続けることで、胃腸の調子が改善される可能性が考えられる。それによって、キャべジン等の常備消化薬が必要なくなるかもしれない。


  それだけではない、キャベツ、ブロッコリー、ケールなどアブラナ科野菜の辛味成分のイソチオシアン酸塩には、体内の解毒作用を活性化する働きや、抗酸化作用を高める効果があり、それらを毎日少しづつ摂取することで、成人病の予防に良いと言われている。もちろん、それらの採りたての生のジュースを摂取するのが最も効果的だが、それは、そう簡単に実現出来ることでもない。そうなると、最新設備を誇るヤクルトヘルスフーズ㈱の製造工程に魅力を感じる。その根底には、青汁に何か別のものを添加して、特別に飲みやすく工夫する必要もなく、忠実にケールの栄養素をストレートに取り込みたいからだ。

  同社の青汁スペシャルページには、粉末の青汁が出来るまでを動画で紹介してあるが、この中に、ケールの葉には「多くの紋白蝶が卵を産みに来る」シーンで、紋白蝶の幼虫を手で取り除くというのがある。大変だなと思う反面、そうか、紋白蝶が卵を産みに来るぐらい「安全」なのだと思えた。その動画(紹介)がこちら、前半が大麦若葉で後半がケール。
http://www.yakult-hf.co.jp/knowledge/aojiru/index.html

2015/04/03

枕崎産まぐろ丼の具

 電気製品や雑貨などとは違い、食品のように中身が写真だけでは良く分からない品物は、WEBページ単独出店の会社へ注文することはない。写真の写りがどうこうというわけではない。説明文が画一的で、ページからは販売に対する「幼稚な発想」が見え隠れすることもあるからだ。それは、商品の価格が明確でないとか、送られてくる食品の品質が見通せないことに繋がる。かつて、楽天が行った「標準価格の上乗せ表示」が象徴的な例といえる。それ以外にも、丼勘定的で都合の良い言葉で誤解をさせるような表現も見受けられる。

 そこで考える。多くの人の目にさらされる方が信頼できるといえることから、WEBページも在るけど、テレビショッピングもしている会社の方が、安全で安心ではないか。また、テレビショッピングに限ったことではないが、販売者は製造者と消費者の間の立ち位置があって、本来消費者の疑問に的確に答えたり、少なくとも安心と安全を担保するための「法的な義務」を確認しなければならない。さらに、販売者としての立場で、商品に対する責任を果たす必要がある。そういう機能が、販売者に必要だと感じている消費者は少なくない。

  今日の写真は、枕崎産まぐろを使用した「まぐろ丼用タレ付き切り身」セットになる。まぐろを1本釣りした後、船内で凍結し、陸揚げ後鮮度の高い状態で調理する。次に枕崎産の鰹節と北海道産昆布で出汁を取ったタレで漬け込み、1食分ごとに袋詰めしたものという。入手後は3~5分流水で解凍し、ご飯にのせるだけで「まぐろの漬け丼」が完成する。火力を使う事も、湯せんする事もなく簡単に食べられるので重宝しそうだ。これだけの説明で、既に食べてみたい欲求に襲われる人も少なくない筈だが、しかし、もう少し続けたい。

 まぐろ丼の具は90g、販売数(=8袋入り、12袋入り)と時期によってセットの袋量が異なる。冷凍で届くので、製造日より90日以内(-18度以下で保存のこと)で消費するよう賞味期間が設定されている。何故か、アレルギー物質特定原材料(=小麦と記述されている)。アレルギー特定原材料とは、食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、特に発症数、重篤度から勘案して、表示する必要性の高いものを、食品衛生法関連法令において、特定原材料として定めており、次の7品目の表示を義務付けている。 それは、「えび、 かに、小麦、そば、卵、落花生」で、どれか1つでも含まれれば表示する義務がある。

 さて、実際の商品を取り寄せて口にしてみると、商品自体がお手ごろ価格であるので、大きな期待をしていたわけではないが、想定以上に美味しさにやや感動している。勿論、丼に仕上げる必要もなく、野菜にのせて海鮮サラダもいい、あるいは酒のつまみに、付け合わせにと多彩に使える。一切火を通さないことから、冷凍を守って速やかに消費すれば、新鮮な状態が続く。だから、飽きるほどの量を入手するより、すぐに消費できる8袋入りあたりを時々発注するほうが良いかもしれない。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%212227&app=WordPdf