2015/07/31

ターミネーター(ジェニシス)

 過去に興行成績の良かった作品は、とてつもない資産を持っているのと同じだ。次回も「売上げを期待できる」という安全パイがあるので、お金もかけやすい。勿論、ファンにとっては見逃せない作品になる筈だ。おおよそストーリーの予測はできているにしても、CMであの「テーマ音楽」が流れたり、懐かしい「フレーズ」が聴こえてくると、ついつい無意識に興奮が蘇り、全身からパワーが漲って来る(あくまで個人的な反応)。

 また、主演に愛着を感じ、どんなに激しい敵の攻撃にも、絶対に殺されない(壊れない)ので、ファンとしてはそこも安心だ。今年の夏~冬は、この手の作品が顔を揃えている。ターミネーター、ミッションインポッシブル、007は外せないだろう。ターミネーターは、今回5作品目だが、3,4作品は、やや人気に陰りがあったせいか、5作品目の今回は「新起動」と言う副題が付けられている。それでは、何が違うのか、過去のターミネーター1,2作品の流れと、最新作の 5作品の背景から観てみよう。
   https://www.youtube.com/watch?v=LacFZxODnC0

   その手の専門筋の人の話では、ターミネーターと聞けば、電気回路に実装される終端抵抗を思い浮かべるらしいが、この映画シリーズでは、未来から過去に送り込まれる殺人ロボットを指す。名は目的を表すのか、めっぽう強靭に作られていて、ミッションを確実に成功させるという意味が込められている。その型名はT-800で、1985年からその役を演じてきたのが若き日のシュワルツェネッガーだ。今回も同じT-800だが、ガーディアン・ユニット(学習機能)装着済み(以降:T-800 ガーディアンと呼ぶ)として登場する(現在のシュワルツェネッガーが演じる)。


 そのほか、ターミネーターには、イ・ビョンホン演ずる液体金属製のT-1000、さらに今回は、ナノ粒子細胞から構成されているT-3000が初めて登場する。T-3000の特徴は、元々は黒色のナノ粒子細胞だが、「接触したすべての対象を複製して擬態化(ジョン・コナーに接触)」する。この2モデルがT-800 ガーディアンとサラ・コナーに襲い掛かる。性能から言えば、勝ち目の無い状況なのに、T-800 ガーディアンは何度か本音をこぼす。それが、「古いが、ポンコツではない」。この言葉には「学習してきた知恵」があることを示唆しており、これこそ、「往年のファンの心」を鷲掴みにして、心を揺さぶるメッセージと言えよう。見終わって映画館を出るファンとしては、より力強く知的な自分を実感できる筈だ。

 見所は、まず、T-800の旧バージョン(若き日のシュワルツェネッガー)とT-800 ガーディアン(現在のシュワルツェネッガー)が戦うシーンが挙げられる。予想外の展開といってしまえばそれまでだが、ガーディアンというバージョンを設けることで達成できたシーンと言えよう。そして次に、ガーディアンを襲うT-1000,T-3000の若干の弱みに関する映像表現の面白さが挙げられる。我々の持つ古い知識では、難解極まりないテクノロジーで裏付けられているようだが、あえて挙げれば、MR搭載型スパイラルCT(今だ存在していない)の放射線と磁場に引き寄せられて、ナノ粒子細胞が崩壊してゆく(すぐに復元する)T-3000の姿は極めて独創的で興味を引いた。あと、CMで見慣れてるとは言え、スクリーンでのバスの長手方向の宙返りには驚愕する。それでは、第1,2作品の監督・脚本であるジェームスキャメロンの感想を聞いてみよう。
  https://www.youtube.com/watch?v=jsWMiiqbHPI

   作品全体のアウトラインを覗いてみると、ターミネータは、スカイネットと呼ばれる人工知能(地球防衛システムが反逆して人類を滅亡させようとする)の管理下にあった。人類抵抗軍のリーダー(人類の偉大な指導者で、キリストのような立場:ジョン・コナー)の存在をなかったことにするために、リーダーの母親(聖母マリアに象徴:サラ・コナー)から抹消すためにターミネーターを過去へ送り込む。T-800 ガーディアンは、真逆に再プログラムされ、サラ・コナーを守るために過去へ送り込まれていた。また、ジョン・コナーの戦友とも、弟分とも言えるカイル・リースも自らサラ・コナーを守るために過去へ旅立つ。それでは、彼らの顔ぶれを見ておこう。おっと、あの「セッション」で鬼教師を演じたJ・K・シモンズもオブライエン役で登場している。
  https://www.youtube.com/watch?v=0txMHrFnoZ8

  ストーリーを追いかけて楽しむというよりは、映像表現を楽しむ作品と思われがちだが、「新起動」した(むしろ→ジェームス・キャメロン脚本版の継続)ことから、この作品は、次も、その次も存在するだろう。既に、第5作品にも、第1,2作品を継承する部分が多分に含まれていることから、その継続性の中に往年のファンだけが楽しめる部分があったり、ストーリーの謎や面白さが先行き浮き彫りになることも期待できる。上に挙げた3本の映像を観れば、作品への印象も少し違っていた事に気づくに違いない。ここは、1つターミネーターに興味の薄い人も、「暑気払いのつもり」で観ておきたい作品の1つと言えそうだ。
 

2015/07/29

スムージーキッチン

  少し前、紙パックで供給されるアサイーのスムージーを紹介したことがある(2014/11/28 )。確かに、これは美味しかった。しかし、生のアサイーのスムージーの風味には及ばない。しかもそれは、微妙な違いと言えるものでもなく、まるで別物に思えた。つまり生のスムージーは、やはり、加熱処理したスムージーとは「風味」に大きな開きがあり、そこには一口目から「さすがに、美味しい」と言葉にできる程の要素を秘めている。かつて生の青汁や生ジュースのスタンドのお店が散見される時代があったが、今から思い出すに、その提供者はその辺りの効能が良くわかっていたようだ。ただ、残念ながら、我々一般消費者にはそれが伝わっていなかった。

  私のような不勉強者は、「果汁100%」の表記や「濃縮還元」と言う言葉に迷わされ、徐々に「生の風味の持つ美味しさ」が分からなくなってしまったのかもしれない。さらに、新鮮な野菜や果物は、加熱処理することで「ビタミンや酵素などの栄養成分」が大きく低下することが知られている。今なら、もし果物のスムージーをその場で提供するお店を見つけたら、少量でも生のスムージーを戴くようにしたい。その「風味」の良さと、さらに本来の「生の野菜や果物が持つビタミンや酵素」などの飛び散るほどの栄養成分を加味すると、なおさら生の持つ価値が「価格差で表現できない違い」となっていることが分かる。

  とは言うものの、新鮮で美味しい生のスムージーを毎日戴くには、それ相応のコストと手間が掛かる。まして、果実のアサイーを入手すること自体も難しい。だから、時々、そんなお店を探すことを楽しみにするしかない。さらにもう1つ、スムージーという粉砕方法には、風味や栄養価とは違った「食感とか喉越し」という魅力もあることも忘れてはならない。スムージーが市場に広がった背景には、その口当たりとも言うべき要素が大きく寄与しているとも言われており、それは、単なるジュースや、ネクター等にはない「食物繊維感」が健康志向の人々を説得してきたようだ。

  それのみを捉えて、この手の加熱殺菌型スムージーを評価するのは難しいが、徐々に「食感とか喉越し」を重視した商品も種類を増やし、原材料に違いはなくても、ジュースとスムージーの差別化が図られている。メーカーとしては、食物繊維感を改善するために、原材料の種類ごとに加工方法を変更するなど、きめ細かい調整加工を施したことで、一際食感と風味が残されるようになった。その代表的な例として、カルピスから発売されたウエルチのスムージーキッチンを試してみた。それが、意外に美味しい(あくまで個人の感想)ので取り上げてみた。ざらっとするような大きさに裁断することで野菜と果物が保有しているビタミンや酵素などの栄養成分を残しているようだ。これから暑い日が続く折には、大量消費することになるので、それなりに重宝しそうだ。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212242&app=WordPdf

2015/07/26

冷やしぜんざい

  日本で古くから親しまれてきた調味料や食材には、他にはない品質に対する厳しさが浸みこんでいる。醤油、酒、味噌、胡麻油、などがその代表だが、おおよそ、それらを製造する会社は長い歴史を育んできた。工場などを拝見しても、老舗と呼ばれる風合いを醸し出している事が多い。しかも、商品に対するとてつもない拘りが脈々と息づいていて、話を聞けば聞くほど奥の深さに驚かされる。確かに、一般市場では世代が変わり、商品パッケージのデザインがモダンになることで、老舗なのか外資系なのか分からなくなることもある。しかし、それらの製造で外資系が入り込める余地は無い。それは、老舗ならではの「時間と手間を掛けた商品作り」と「継続性の高い商売のあり方」によるものだ。

  外資が入り込むとどうしても利益優先の商売がはびこる。その風潮を受けて国内メーカーもそれが正しい企業の在り方のような振る舞いをする。食材といっても、「自分が食べる訳ではない」から、CMをバンバン打って、見てくれさえ良ければ売れると考えているようだ。消費者も「みんなが食べているから安心」と考えているのだろう。しかし、日本では、1度でも悪事が暴かれると、未来永劫その悪いレッテルを貼ってしまう。例えば、森永ヒ素ミルク中毒事件(1955年)のことは、60歳以上の人はほとんど知っている。最近の話題では「マクドナルドの異物混入」は決定的で、歴史的にも同社は「根深い疑惑」があったことから、大きく信頼を失っている。

  一方、現在でも生き残っている老舗メーカーは、様々な社会環境の変化に対応しながらも、長い間培われてきた、自らの企業理念を崩さず物作りを進めている。今日紹介する「冷やし ぜんざい」のイチビキ㈱も創業243年を誇る老舗メーカー。小豆の加工品のような、昔からある「ぜんざい」なら誰でもその品質をチェックできる。もちろん、低価格(150円)な商品だからといって心配は無用のようだ。低価格にはそれなりの理由があり、ぜんざい1杯分わずか160gが袋詰めになっている。それは煮上げた小豆、砂糖、食塩、水、品質劣化の無い気密性容器で構成されている。つまり、少しだけ食べたいと言う人たちの為の「ぜんざいの小分け」販売なのである。

  この、「冷やしぜんざい」だけではない、おしるこや、赤飯など小豆を使った商品が豊富に用意され、それらは「イチビキ」の異色の商品群となっている。元々「イチビキ」は、名古屋の醤油、味噌の老舗として有名で、最近は幅広く食材を提供している。おおよそHP上に商品紹介が広がっているが、この「冷やしぜんざい」の情報は見つからなかったので、取り上げてみた。これは案外上品で美味しい商品に仕上げてある。小豆の姿が残り、むしろ「甘味を抑えた綺麗な形のゆで小豆」といった感じである。レトルトパウチのパッケージになっていて、消費期限も長い。夏場は「冷やしぜんざい」で食べても楽しいが、年間通じて寒天で固めた羊羹などを作って楽しみたい。これが少ない内容量160gの強みだ。そして、含まれる食物繊維をたっぷり戴こう。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211695&app=WordPdf

2015/07/22

マーマレード3種

 古い習慣は、たとえ社会的にかけ離れていたとしても、なかなか止められない事がある。特に食事に関するものは、体が継続一貫性を求めており、それを崩すには時間が掛かる。そんな抵抗感を拭いきれないのが、「食事と称して、菓子パンを食べる」代替食である。今時は、何処の町にもパン屋は数軒あり、そこには、選ぶのに困るほど美味しそうな商品が並んでいる。しかし、その店頭の隅に追いやられた食パンを眺め、その厚みと焼き具合を想像し、何をつけて食べようかと、考える人は少なくなったのかもしれない。今や、そんなかけ離れた話題なのに、それでも拘るという人に「今治の3種のマーマーレード」を試したのでレポートしたい。

 マーマレードは、夏みかん、伊予柑、日向夏、ゆず、温州みかん、ネーブルオレンジ、金柑、甘夏、デコポン、レモンなど、基本的には柑橘系なら何でも作れる。もっとも、自作するなら原材料は厳選したい。極力農薬を使わず、皮が厚いものを選びたい(ここで、ゆず、温州みかん、ネーブル、金柑は除外される)。さらに大量に安く入手できる時期(5月~10月は全て柑橘類の収穫はお休み)と、創作意欲を奮い立たせる時期であることも重要だ。また、皮を使うので、すみやかに中味を食べておかなければならない(レモンはやや厳しい)。昔は、手間を掛けて作り上げた優しいお味の自家製を自慢したものだが、今時、自作に拘るよりも専門店に行けば、珍しい種類が用意されている。


 探し出したのが、JAS(認定番号2005M-9) 取得の「はるみ、みかん、いよかん」の3種類のマーマレードで、原材料の柑橘(ラベルの果実)、砂糖、レモン果汁すべて有機栽培品を使用したもの。もちろん、「着色料、保存料は一切使用していない」と明記されている(したがって消費期限は短い)。ここまで厳選素材を使われると、少々お高くても、ある意味納得感が芽生えてくる。

  冬場の柑橘系果物が豊富な時期に、このような食材は珍しくない感覚が強く、やはり、6~9月の柑橘系果実を見なくなった時期に戴くのが良い。厚めの食パンを少し茶色に焼き色が付くぐらいに焼き上げ、そこに、マーマレードを全体に少し厚めに塗り、しばらく待つ。少しづつ食パンにマーマレードが浸潤して、果実の皮が表面に凸凹を残すくらいが食べごろだ。茶色の表面にマーマレードの甘味が渾然一体となって、シンプルだが他にはない美味しさになる。どの種類も水準以上に美味しいが、上記の3種類の中では、やっぱり「いよかん」が好きだ。少々苦味が利いている「はるみ」も珍しい食感。みかんは意外に美味しいのに改めて気がついた(すべて個人の感想)。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=cfbf77db9040165a&page=view&resid=CFBF77DB9040165A!2274&parId=CFBF77DB9040165A!1282&app=WordPdf

 

 

 

 

2015/07/19

無濾過オリーブオイル

  厳重に濾過したオリーブオイルと、無濾過なオリーブオイルがどのくらい味に違いがあるかは、個人の経験則による検知限の違いによって、小さくも大きくも評価される。濾過した物に慣れてしまっていると、無濾過は「緑色の香り」が残った新鮮な印象を受ける。これが「うーん、薫りも良く、これも美味しい」と思った根拠と言えるだろう。まさに正直な感想になる。しかし、果たして大方の食材の組合わせで美味しく感じるかは、また別の話で、「緑色の香り」が、合わせる食材へ違和感を与えない事が前提になる。

 濾過とか無濾過のどちらが美味しいかという、単純な比較論では、必ず2つの意見が成立し、1つに絞られることはない。しかし、それが単に個人的な趣向によるものか、あるいは製造上による問題なのかは、分からない。たとえ、味に大きな違いがあったとしても、幾重にも時間を掛けて濾過した方が断然美味しいというのは、製造者にとっては苦しい結果になるのは明らかだ。それは、濾過するフィルターの目を細かくすればするほど濾過に時間もかかる。したがって、時間を掛けて濾過するのは、コストの上昇に繋がることになる。

 この話は、ドリップコーヒーに例えると、紙質の異なる何重ものフィルターを通すのと、1枚のフィルターを使うのとでは、抽出したコーヒーの味に大きな違いがあるというのと似ている。それは、恐らく、フィルターに1~2度お湯を通してからドリップすれば、フィルターの数は少し大目の方が美味しいという結果にもなる。これは雑味が最小になるからだろう。一方で、ドリップコーヒーに例えるのは間違いで、日本茶に例えた方が印象として似ていると言う人もいる。それは、「緑色の香り」とも言える煎茶のような、香りと旨味や渋みが調和している状態と、深蒸し茶のような濁ってはいるものの、渋みが抑えられ甘味の美味しさが際立ち、とてもお茶らしさが漂う中、自然な感じを受けるのと同じようだ。

 オリーブオイルは、搾りたてが一番栄養価が高く体に良い成分が多い。最近は基本的に「酸化してしまうと返って体に害がある」という説が大半を占めていることから、どうも、濾過の善し悪しよりも優先すべきは「酸化の度合い」であるというのが真実のようだ。最初に述べたように、無濾過は「緑色の香り」が残って新鮮な感じを受ける訳だが、この感覚が正しいかどうかは、どのくらい新鮮な物に触れているか、ということに関係する。産地から遠く離れ、入手に時間のかかる地域で食べ慣れてしまうと、果たして新鮮な物を選べるか不安だ。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211585&app=WordPdf&wdo=1

2015/07/15

プレミアガゼリ菌

  会社の中では、バジェットを達成するとか、売り上げに貢献するとか、そんなことより、如何に無神経に過ごすかということが最重要課題になる。いちいち上層部が言うことを真剣に考えていたら体が持たない。大体その椅子に座っていたら、目を瞑っていても、マーケットで何が起こっているか分かっている筈だ。面倒だが、時々上層部へ状況報告に行くことがある。そこでは、思っている懸念を発言するわけにもいかず、むしろ、上層部が喜ぶことを理路整然と話したり、あたかも100年に1度の追い風になり、今年はかつて無い程の売り上げを達成するという、占い師のような大風呂敷を広げることもある。

  「これはちょっとやり過ぎの数字かな」と思うことはあっても、1度や2度なら相手も喜んでくれるので、さして罪悪感も無いが、いずれ追い詰められて、大風呂敷も惨めな姿に終わってしまうこともある。そういう自己矛盾を抱えて苦しむから、「免疫力が低下し、お腹を壊して体調が崩れてしまう」のである。ま、それも自業自得と言う見方もあるが、一方で、市場環境は良いのに、数字だけが上がってこないという、不吉な状況が続くこともあって、自らは懸念材料として報告しているにもかかわらず、逆に、楽観的な上層部から慰めにも似た期待をかけられてしまうこともある。そんな時も、やっぱり、お腹は苦しいものだ。

  お腹の調子を悪くすると、途端に体から力が抜けるし、それほど弱気になることも無いのに、今まで信じていたことでさえ、都合が良すぎたかもしれないとか、妙な反省をすることもある。一方で、「そんな弱気でどうする!かつては、毎年のように部門の売上げNo.1だったこともあるではないか」と、バードマンのように、背後から呟きが聴こえてくる。そして、苦しみながらも、余裕で数字を達成しても、例年並でも、最悪の未達であっても、そういう環境で常に苦しみは続くのである。

  その救世主として「状況を緩和してくれる乳酸菌飲料」が登場した。「うーむ、ほんまか?」 と思われるかもしれないが、その状況(=自己矛盾症候群)に置かれた折には、是非試してもらいたいのがこれだ。また、アベノミクスが、「今だわが社に届いていない」と思われる方にも効果があるかもしれないし、社内の人間関係で苦しんでいる人にも有効だと思われる。ただ、申し上げておくが、CP-2305乳酸菌を大量摂取したからといって「理性を破壊する」わけではない。ただ、少々過大な発言や報告をしても、自ら体が痛めつけられたり、苦しむことが無くなる程度である。

  カルピス社の説明によると、プレミアガセリ菌 CP2305を摂取することにより、腸から脳へ働きかけることを確認できたという。それが、ストレス応答や自律神経活動に関わる脳内血流量を抑制すること、副腎交換神経活動を抑制すること、また、睡眠や行動を支配する大脳後頭葉の血流量を抑制することのようだ。これらは、長期にわたり継続使用で効果を確認できるとしている。



2015/07/12

チャイルド44 森に消えた子供たち

 1950年代のソビエト連邦、スターリン政権下で実際に起きた連続殺人事件をモティーフにして書かれた小説の映画化である。作品は、ウクライナの孤児院から抜け出した少年(13歳)が、軍隊に拾われ、「レオと名付けられる」ところから始まる。レオは、その後第二次世界大戦時ベルリン陥落に貢献したとした英雄として1953年20歳で国家保安省=MGBの捜査官としてスパイや反体制活動家達を取り締まる仕事をしていた。

 そんなある日、スパイ容疑でブロッキーの噂を耳にして取り締まりに農村地域へ行く、そこで、ブロッキーを荒野で捕まえるが、レオは少し離れた農家の方角に2発の銃声を聴いてしまう。ブロッキーを匿ったとされる農夫とその妻を見せしめに、ワシーリー(レオの部下)が銃殺してしまったのである。それを観たレオは激怒しワシーリーを酷く叱り倒す。農家には、女の子二人が取り残されてしまい、二人とも孤児院に送られる。このシーンは、その時代の社会背景、その象徴的な孤児院、それら幾重にも重なる「レオの心情」を表現しており、終盤のレオの言葉と行動に繋がる。


 事件は、レオの部下で、かつての戦友でもあったアレクセイの息子が、鉄道の傍で死体で発見されるところから始まる。アレクセイは目撃者もいて殺人だとレオに訴えるが、レオは少佐の命令でそれを撤回させるべく説得する。一方、農村地域で捕らえたブロッキーは拷問を受け自供、結局処刑されるが、その供述資料の中にレオの妻のライーサの写真があり、スパイ容疑がかけられてしまう。ブロッキーを捕まえる時にワシーリーが酷く叱られたことを根に持っていたことから、彼の捏造かもしれない。それでも、妻の潔白のため証拠を探すが見つからない。そして刑罰覚悟で潔白を主張するも、モスクワから遠く離れた田舎町ヴォリスクへ左遷される。ヴォリスクでは、ネステロフ将軍の下、警官として働く。

 ところが、その町でもアレクセイの息子と同じ状況の「線路の傍、溺死、内臓摘出」の殺人を観てしまう。同じ手口の殺人として、ネステロフ将軍へ訴え、事件の解決に向けて許可をもらう。ネステロフ将軍も、子供の死者の発見場所や資料や検視報告を探し、その共通性に驚き本腰を入れて捜査を開始する。線路沿いで犠牲者が出ていることから、捜査の範囲はウクライナの近くのロストフからヴォリスクという極めて広範囲を示唆し、この犠牲者が合計43名と言う事を知る。そこで、犯人は鉄道を使って移動しているという推測を立てる。

  ストーリーの補足は、文章にすると怖くも何ともなくなってしまうのでこのくらいにするが、スターリン政権下でMGBとくれば、庶民は怪しいと密告されると、拷問(これが怖い)にかけられ、挙句の果てに銃殺されると言うパターンが成り行きだし、そこは、大日本帝国の憲兵、ドイツのゲシタボ、現在の中国の公安部に勝るとも劣らない野蛮な仕打ちで怖がられた。そういう緊張感が常に付きまとう中で、話が進められるため、ドアを強くノックされるだけでビクッとする様なシーンの連続になる。

  レオは英雄であり、めっぽう腕っぷしも強いことから、あらゆる場面で「自力で難関を切り開く格好良さ」が印象的だった。最後は、ワシーリーとの泥沼戦まで見せてくれる。散々と言って良いほど「鋭い強さ」を見せ付けられた後になるが、彼が「それだけ」ではなかったことが分る。ただし、髪型(後ろ)はいつも怖い。音楽はロスケのクラシック、映像は限りなく冷たく美しい、時代考証も素晴らしい。さらに広範囲で技巧的な犯罪の展開、レオの強固な正義感など、ドキュメンタリーにも観えるところがより危うさを増しているが、たいへん優れた作品になっている。私にとっては、「100点満点といえる完成度」で素晴らしかった。
http://child44.gaga.ne.jp/
 
 余談になるが、レオ(トム・ハーディー)は、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」にも主役を張っている。 

2015/07/08

ぶっかけ うどんつゆ

  「ああ、やっぱり美味しいわ」と、無造作に置かれた一杯のうどんに1人で舌鼓を打った。余所者が駅前にある喫茶店で、幼い時から食べ慣れた「共通するお味」と遭遇するのは、理屈では珍しい事ではないのだが、想定外の喜びに心が満ち溢れてしまった。ここは、阪和線の和泉砂川駅である。まさに、意外な場所で古い親友にあったような気分なのである。うどんだから、咽越しはつるっと短かったが、余韻はいつまでも続き、車窓を眺めながら天王寺まで大昔のことをあれこれと思い出していた。

 古くからその地域で食べ慣れたお味は、無条件で「美味しい部類」に入るし、周囲も納得してくれる。それはもう、その地域の人達にとっては当たり前の事で、改めて「美味しい」と口にする事もない。その地域と言っても、ここでは範囲は広く、高松、大阪、兵庫あるいはそれ以上の範囲に及び、微妙にお味は違うにしても、古くは「瀬戸内海で獲れた煮干し」を使って作られた出汁には、共通性があるし、歴史が誘う懐かしい風味が漂ってくる。そんな背景から、今日の商品については、「これは個人の感想です」と補足をしなくても良いような気がする。

 お出汁の基本は、鰹節、けづり節、煮干し、昆布、椎茸等を使うが、これを手始めに食材に合わせて調味混合するのは、素人にとっては極めて難度の高い作業である。つまり、家庭で作られる和食の味の基本は、その環境で育まれた調味材と調理方法によって継承されてきた。そのため、関西から東京へ出てきた人にとっては、使いこなす事の出来ない程の醤油の辛さと濃さに、閉口される事も少なくない筈だ。それは、日清食品のどん兵衛(うどん)の出汁も関西風出汁とわざわざ表記して別個の商品を用意するくらい慎重に扱われる(どん兵衛2種 2014/02/18にて紹介)。また、セブンイレブンも最近は、地域に特化した限定商品を増やして味付けを変えている。


  前置きが長くなったが、今日の主役は、良く出来たヒガシマルの「うどんのつゆ」である。この中央にある小さなパックを使えば、冷たいぶっかけうどんから、冷やしたぬき蕎麦、冷奴、そうめん、和風パスタ、親子丼、かつ丼、天ぷらのてんつゆ、出汁を使ったお茶漬け等、何でもおいしく戴けるし、煮物などに隠し味に使えば、関西風高級料亭の味付けに仕上げることができる。まさに「万能な和風出汁の素」とも言える。もちろん、前の日から素材を水出しで用意するような手間は一切かからない。食材の上から「ぶっかけ」るだけである。しかも、1袋4カップ入り。価格は1カップ(写真中央)68円程度。関西出身の方には是非にでもお勧めしたい。

 

2015/07/07

ジェームス・ブラウン オリジナル・サウンドトラックCD

 このブログでも、さすがに人気が高かった。音楽好きが多いのか、年配の読者が多いのか、よく分からないが、映画ファンの読者も最近増えているようだ。60(歳)過ぎのおっさんの感想文を読んだからといって面白いかい~?と思ってしまうが、タイトルだけで検索されているのかもしれない。遅くなってしまったが、CDがやっと入手できたので追加報告する。

 オーディオ好きとしても、映画の中に興味深い発見はたくさんあったが、一番興味深いのは、サウンドトラック部分かもしれない。オリジナル・サウンドトラックCDには、全20曲を収録してあるが、CDに収められた説明文によると「映画内では、役者の吹き替えではなく、ジェームス・ブラウンの歌をそのまま使用されている」とある。また、「ジェームス・ブラウンのベスト盤でありながら、2曲の未発表ライブ音源[☆]、映画の為に手を加えられた soundtrack version 5曲[#]が収録されている」と記されている。以下、曲名を挙げてみた。


 1.セックス・マシーン 2.ザ・ペイバック、パート1 3.アウト・オブ・サイト 4.アイ・フィール・グッド 5.カルドニア[#] 6.プリーズ・プリーズ・プリーズ(ライブ)[☆#] 7.ナイト・トレイン(ライブ) 8.パパズ・ゴット・ア・ブランニュー・バッグ、パート1 9.イッツ・ア・マンズ、マンズ、マンズ・ワールド(ライブ)[☆#] 10.ゴールド・スウェット、パート1 11.マザー・ポップコーン、パート1 12.アイ・ゴット・ザ・フィーリン(ライブ) 13.アイ・キャント・スタンド・マイセルフ(ライブ) 14.セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド、パート1  15.セックス・マシーン(ライブ) 16.スーパー・バッド(ライブ) 17.ソウル・パワー(ライブ) 18.トライ・ミー(ライブ)[#] 19.プリーズ・プリーズ・プリーズ[#]
20.ゲット・アップ・オファ・ザット・シング

 3.8.はMONO、☆は1966年4月23日、フロリダのタンパに Fort Homer W.Hesterly Armory での未発表ライブ音源。#はプロデューサーチームの The Underdogs がサントラ用に手を加えたsoundtrack version とのこと。

 最後の場面で、親友のボビー・バードへ向けて歌い上げるバラード調の曲は、18番目に収録されているトライ・ミー。

2015/07/05

ジェームスブラウン 最高の魂を持つ男

  原題:Get On Up と言う原題がつけられた作品。日本では「ジェームス・ブラウン」とズバリ伝記風のタイトルに「最高の魂を持つ男」という副題が付けられている。おおよそ、そのような副題は、「作品を視聴した我々が席を立つときに感じる」もので、制作者もしくはリリース側がアピールすべきものではない。しかし、この作品の制作に携わった人達が、自らもぞっこん「崇拝している様子」を示すものとして受け取ることも出来る。したがって、ここは、「最高の魂を持つ男なんですよ~」とジェームス・ブラウンへの尊敬とか愛情たっぷりのニュアンスを投げかけ、作品を観て、聴いて、魂で我々と同じように感じて欲しいという意図なのかもしれない。


 ジェームス・ブラウンその人は、僕が理解できる領域の対極にある存在で、自慢ではないが、「ゲロッパのおじさん」とか、「カップ麺のCMのおじさん」程度のことしか認識は無かった。しかし、「えらくリズムにのったおじさん」と言う印象が残っていた。そのことが、唯一この作品へ誘う興味の1つだったと思う。あと、広告にある、「その躍動感溢れるパフォーマンスはマイケル・ジャクソン、プリンス、そしてブルーノ・マーズら、現代のアーティストに今もなお強烈な影響を・・・」という文言も興味を引いたし、また、音楽総監督にローリング・ストーンズのミック・ジャガーが努めているところも本腰を感じさせるものだった。そうやって、徐々に興味が膨らんでいったのである。

  このような伝記作品にありがちな、スクラップブックを捲るような雑で安っぽい作りとは違い、内容としては、年代を綿密に振り返り、子供の頃の回想と交互に並べながら、曲の持つ時代背景に合わせて、親子、親友、妻や子供、バンドメンバー等との関係までも織り交ぜながら、ジェームス・ブラウン本人の「人間像、あるいは彼の価値観に迫った作品」に仕上がっている。映像は、配色等からして紛れも無くジャズ風、また、立ち上がりの鋭く、パルシブで、切れの良い音と、間の取り方に、ここに来て今更のように、新鮮な魅力を感じてしまう。それぞれの曲は、時代背景を知ることで、しみじみと、そのリアリティーが増して感じられた。

  さて、そこはどんなに自由奔放なミュージシャンであっても、このジェームス・ブラウンには「負けそうだ」と思ったに違いない。そして、音楽性の理解よりも真っ先に、その体から放出される衝撃波のようなリズム感やパフォーマンスに引き込まれながら、その格好良さに魅了されてしまう。そして、PLEASE、PLEASE、PLEASE や Get On Up、Get On Up、Get On Up のように同じ言葉の繰り返しによって、徐々に彼の持つ音楽性が自らの魂に同期して、自然に体が覚えてしまい、徐々に活力に変換されてゆく。これが、ソウルと言われる曲の持つ魅力なのかもしれない。

 見所は沢山あった。まず、ジェームス・ブラウン本人役(16~63歳まで)を通して演じるチャドウィック・ボーズマンは、力強く歯切れの良い歌声を披露しているし、有名な股割りとそこから立ち上がる演技など、簡単ではなかった筈だ。それに、踊りの衝撃的で華麗な足裁きはどのようになっているのだろうかと不思議に思えたし、首を傾げながら何度も目を凝らして眺めたが分らなかった。また、てっきり、チャドウィック・ボーズマンは、こんな歌い方ができるんだと聞き惚れていたのだが、確かに歌っているし、バンドも演奏しているのだが、曲によって、音だけはジェームス・ブラウン自身の声と、当時のバンドの演奏が使われている。これは、ユニバーサル・ミュージックのアーカイブのマルチトラック・テープから構成したもので、演技や演奏、バックダンスが音と息の合ったところを見せ付けて、絶妙になりがちな映像も完璧に仕上げている。

 どこを抜き出しても、無駄のないシーンばかりで「もっと知りたい、もっと聴きたい」と思わせる構成が印象的だった。最後の場面では、親友のボビー・バードへ向けて歌い上げるバラード調の曲には、その素直なジェームス・ブラウンが表現され感動を呼ぶ。あと、少々余計だが、個人的に特に印象に残ったのが、ジェームス・ブラウンが練習中、バンド・メンバーにその楽器もあの楽器も全てドラムだと訴えるところで、一見確かに破天荒な発言に聞こえるが、そのくらい「タイトで溜めのあるサウンド」を作りたかったことが分かり易く伝わってきた。さすがに感性の男は凄いと思えた。
http://jamesbrown-movie.jp/ 

2015/07/01

トゥモローランド

 僕が10歳くらいの時には、一生懸命に「科学技術」を勉強して、大人になったら一端の科学者になる(挫折した)ことで、理想の未来が待っていると信じていた。そこには、スーパージェッターや鉄腕アトムが住んでいて、この映画に出てくるような都市空間が広がっている。そんな、夢を持って科学と言うものを崇拝していたような気がする。そのことを想い起こさせるように、作品の冒頭から懐かしい「ニキシー管の数字」がクローズアップされる(背後には幾つかの「地球モニター?」が並んでいる)。

 この表示管を見ただけで、1964年を思い出すことが出来る人たちは、物語の本質を探ることが出来るに違いない。1964年に開かれたニューヨーク万国博覧会には、ソニーから試作のソリッドステート電卓(ニキシー管表示:SOBAXの前進)が出展されている。以降、ニキシー管は各社電卓の表示に多用されてきた。つまり、その時代を象徴する最新デバイスだったのである。


  そのニューヨーク万国博覧会の発明コンテストにフランク(当時11歳の少年)は、今だ完成前のジェットバック装置(=エンジンを背負って空を飛ぶ装置)を持ち込む。このコンテストの審査をしているのが、後にトゥモローランドの提督になるニックスで、そんな未完成なジェットバック装置を不機嫌にあしらう。そこで大いに落胆しながらも執念を持って完成させたいと考えているフランクを観て可能性を見出すのが、トゥモローランドのリクルータを務める美少女アテナ。アテナは、フランクにTomorrowland のTロゴのあるピンバッジを手渡す。このピンバッチは、トゥモローランドへフランクを誘う。この発明コンテストに登場する3人が、この作品の中心人物で、重要な鍵を握っている。


 次に、場面が20年(1984年)ほど先の現代に移る。そこでは、アテナは見所のある17歳の高校生ケイシーに夢を託しTロゴのあるピンバッジを渡す。ここで、アテナは歳を取らないAA(オーディオ・アニマトロニクス:いわゆるロボット)というのが分るが、当時11歳の少年フランクは、孤独な中年男になってしまっている(ジョージ・クルーニー演じる)。高校生ケイシーは、ピンバッジによって麦畑の中で、遠くに未来の都市空間を垣間見てしまい、強く魅かれるが、トゥモローランドへは幾つかの難関が待ち構えていて、簡単に行くことは出来ない。さて、その難関へのプロセスが巧みに凝っていて、多彩な映像テクノロジーが駆使されている。しかも、かつて無いくらい奇想天外で、ぶっ飛ぶような面白いストーリーに仕上げてある。ここは、余計な説明は一切必要なく楽しめるので説明は割愛したい。

 しかし、何で孤独な中年男フランクがトゥモローランドではなく、現代の地球に存在しているか、と疑問に思われるかもしれないので、補足したい。最初に、背後には幾つかの「地球モニター?」と書いているが、この地球モニター(時間を越えて、今地球のどこかで起こっている環境破壊やテロなど危機的状況を映像として見れる装置のこと)を開発したために、トゥモローランドを追放されて、ニューヨークのピッツフィールド(田舎)でひっそりと暮らしていた。

 アテナ、ケイシー、フランク、ニックスの役割と実像を知れば、後は楽しむだけである。そのくらい単純な構図なので、誰でも屈託無く楽しむことが出来る。全体的な印象として、ややレトロな印象を受けるトーンで作品が構成されている。でも、不思議に現実感が漂うのは何故か。それは、忠実にイメージどおりに必要な部分が実際に作りこまれているからで、コンピュータグラフィックスにはない現実感を伴うからだ。そしてそれが、1960~1970年あたりに夢見た「未来のテクノロジー」を具体化した姿なので、昔の若者が夢見た未来社会=理想郷なのであろう。しかし、今の若者には、もうそんな夢なんて持たないだろうなと思うことに気づく。年配の人には、どこか懐かしいディズニー色の空気感が漂う作品になっている。
予告編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=KPcqt7OtbT0