2008/12/30

続デジタルカメラ13

 人は、その時の気分次第で目の前の風景の見え方が変わる時がある。それは滅多に訪れることはないが、そんなタイミングを「1つのきっかけ」にすることが、自分の「活力を蘇らせる」チャンスである。

 いつもの空間が、いつものように見えるのは自然なことかもしれないが、実は、視覚から入る情報を、大脳は大雑把にプロットし「同じ」であることを認識するだけで、処理を流している。つまり、過去のデーターと、いくつかのポイントで照合しているに過ぎないのである。そして、四季を通じて、春とか、秋とか、その異なった「差分」を素早く認識することで処理を終了するのである。それは、自分がそういう「流し処理」をしたい、あるいは、すばやく「片付けたい」と無意識に考えているからに他ならない。

 今日まで、毎日仕事が忙しく、最近は防衛本能のみで日々を過ごし、日常風景の中にある木々の変化など、全く気にも留めなかったのに、ある時、会社の将来性に先が見えたり、人間関係にキレてしまったり、なんとなく自分の中に空虚な実体が生まれたりするときがある。そんな時、過去の仕事を振り返りながら、ふと落ち着きを取り戻すと、周囲が新鮮に輝いて見えたりするのである。あるいは、定年を迎えてゆったりとした時間が出来て、書庫を整理しながら、ふと庭を覗くと、記憶とは違う別物に写ったりすることもある。

 つまり、落ち着いて物事を処理する気分になると、今まで気にもとめなかった現象に気づき易くなる。木々の生命力に驚いたり、雲の動きに感動したり、日差しがいつもより輝いて見える事がある。これは、人が人としての「本来の活力」を取り戻している証拠である。そして、「次の夢を持ちたい」と願う時期でもある。もし、今それを実感していたとしたら、自分の「絶対的な実力不足」を徐々に感じ始めなければならない。本来、最初にそのことに気が付かなければならないが、なかなか自己を否定できないのが現実だ。この「年齢に対する能力」の極端なアンバランスを実感してこそ、人間(=大脳を駆使する動物)なのである。

 多くの時間を過ごす会社は、人を育てる場所ではないし、自然に成長できる場所でもない。知らず知らずの間に、会社という集団心理に感染し、潜伏期間を過ごしているにすぎないし、恐ろしいほど世間との「能力差」を生みながら、帰属意識に自己満足してきたのである。だからこそ、今、大いに反省し、自分に不足しているものは何かを探し求め、埋めていくために良いチャンスになる。自分の欠落部分を補ったり、誤りを修正して、「自己をバージョンアップ」する時期に来たと言えるのだ。 今までの大脳処理と同じ様に、毎日安易な「パターンの流し処理」に慣れてしまい、これからも、それでよいと思ってはならないのである。

 またまた、偉そうな話になってしまったが、自分のために大脳を上手に使い、毎日注意深く過ごそう。今日は、普段は気にも留めない、通勤途中にありがちな路上風景の1シーンであるが、どちらの色が記憶色に近いか見比べてほしい。もし、同じような場所があったら、たまには近づいて実物をじっくり眺めてみてはどうか。 このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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2008/12/26

粗碾そば

 たいがいの小説には、若干の「無理」がつきまとう。中でも、その、「ありえない、きっかけ」が面白いのである。「若手気鋭の検事(小野木)と、年上の美女(頼子)。偶然に出会う二人は、やがて恋に発展するが・・・・。頼子は人妻であり、小野木は、自分が携わる事件の捜査線上に、頼子が深くかかわっていることを知る。・・・」 我々は、その文章の描写力と非現実性に酔いしれ、その「ありえない、きっかけ」を、運命の必然性であったかのように思い込んでしまい、「こういうことも、あるんだあっ」と、知らず知らずのうちに事件に巻き込まれてゆくのである。その「砂の器」を描いた「おっさん」はいったいどんなやつなんだ。

 老舗の蕎麦屋には、「その蕎麦を愛した人達や、その蕎麦のいわれ」が書かれてあることがある。一種の「美味いんだぞ強制力」というか、悪あがきな「宣伝」と流してしまいがちだが、その人達を知っている客人には、大いに親近感が湧くのである。そして、そのいわれを知識の一部に加えて、時々「ひけらかす」のである。かつての文豪と呼ばれる人達は、とても蕎麦とのかかわりが深く、蕎麦をこよなく愛していたらしい。どうも、このおっさんも蕎麦好きで、深大寺を幾度と無く散策取材し、原稿の構想を練ったり、その「門前」で蕎麦を楽しんでいたようである。そして、いつか、「はるか遠くの点と、この門前を、蕎麦好きという線」で結び、新たな蕎麦を創造してしまったのである。この、奇想天外な発想力は、やはり只者ではなかったようだ。

 ここ、調布の深大寺と島根県の亀嵩(砂の器)を粗碾の線で結んだのである。それは、普通 「ありえない、きっかけ」でもあり、若干の「無理」があると言われるかもしれないが、彼には、そんな強引な距離感が普通のことであったに違いない。そんな、その島根県 亀嵩の蕎麦を、今、この深大寺でいただけるとしたら、それ自体、やはり「小説より奇なり」と思えるのである。その蕎麦こそ、深大寺の「門前」で出されている「粗碾そば」である。つまり、この蕎麦をいただくことで、文豪 松本清張のこだわりや嗜好を垣間見ることが出来る。その食は人であり、その「ひとなり」から描き出された、「個人の中に潜む魔性」の意図するところを、自分も深く心に戒める事が出来るのである。

 深大寺へ来たら、この「粗碾そば」を絶対に外してはならない。さらに、松本清張ファンなら、数々の著作に共通する「予想外の展開と高い論理性」が、この蕎麦の持つ「薫り高き、こしの強さ」に息づいていることを知るに違いない。そして、さり気なく、商業ベースに乗った蕎麦とは、品格の違いを知ることになるだろう。

 ということで、年末年始で時間に余裕のあるときに是非訪れて、壮大な「創作ロマン」に浸ってもらいたい。オーダー時は、あくまでも、「粗碾そば1枚」で済ませよう。オプションの天婦羅は論旨から外れているし、それは食べすぎである。

 今回ページは、「画像比較シリーズ」と混同してしまいA3になってしまった。だから、拡大は出来ないが、ご覧になるときは、画面の隅にあるグレースケールの黒とその隣が区別できるよう(レベル50相当)に「画面の明るさ」を調整していただきたい。終わったら、元に戻す(レベル30程度)ことをお忘れなきように。 ではこちら
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2008/12/24

OGGI のお菓子

 歳を重ねた人達は、お菓子等でいまさら 「美味しい」 と感動することは、あり得ないと思っている。もっとも、体の事を考えると、できれば平素から甘いものは、控えたいとも考えている。はたまた、甘いものは、最初から受付けない人も少なくない。しかし、そんな人達も、このお菓子だけは 「美味しい」 と誉めるに違いない。今日は、そんな ㈱オッジーのお菓子を紹介するが、購入時はあくまでも、「ちょっとだけ」にしてほしい。

 このお菓子は東京、目黒製である。OGGIは、イタリア語で「今日」という意味らしい。創業は、30年前の1978年である。今日まで、頑固に天然素材にこだわって、毎日丁寧な菓子づくりを続けてきた会社である。オッジーの商品は、いつも中高年から熱い視線を注がれてきた。それは、創業当時に若者だったファンが、歳を重ねても離れられない魅力があった、ともいえるが、本物を知る年配者が取捨選択した1つの結論なのかもしれない。ショコラ デ ショコラをはじめ、生チョコレートケーキやチョコレートクッキー、オレンジピールなどの、その独創的でアーティスティックな味わいは、人々を虜にしているのである。

 どのようなお菓子も、製造者はお客に本物を提供したいと思っている。そのために、まず天然素材にこだわり、余計な添加物を加えずに素材の「美味しさ」を引き出し、独自の工夫で「上品な甘さと深い味わい」を育んできた。そして、その品質にこだわり続ける姿勢こそが、製造者の熱意を「客からの信頼」に変える手段なのである。それが、長い間お客をひきつけ続ける要因にもなっているのだ。

 たまに、自分も「ちょっとだけ」美味しいものを食べたい、あるいは、知人、友人、あるいはお世話になった人へ、ちょっとした、お使い物、贈り物にと、それにも評価されているのである。このことは、大変重要な要素といえる。大切な人への贈り物は、あまり高額であっては、返って相手に気を使わせてしまう。だから、そこそこの価格で、少量でも飛びっきり 「高品質で、美味しい」 ものでなくてはならない。贈られた人は、それによって 「上質の美味しさ」 を知り、贈り手のセンスの良さとか、肉親にも似た親近感を認識すのである。そして、そういう知人を持ったことを誇りを感じるのである。このようなプロセスは、職業や年齢、上司と部下といった枠組みを取り払い、より互いに気持ちが通じるのである。このことは、他に手段が無いと言っても良いくらいだ。今日は、そんな天然素材の上品なお菓子を、小細工の一切無い白バックの写真で伝える。
ではこちら
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2008/12/20

続デジタルカメラ12

 一般的に、パソコン等の液晶モニターを明るくすると、色成分は蛍光色気味になる。また、高精細ピッチになればなるほど顕著で、明るさを落とさなければならないし、全体的に色も薄くなる。この振る舞いは、CRTモニターも同じだが、デジタルカメラの画素ピッチも同様で、高精細になれば蛍光色というか、色が薄くなる。受光素子の数を増やすと、その境界にとられる面積も多く、全体で色分解する面積が減るためである。さらに、色フィルターも面積自体が小さくなるため、明るさの直線性に対して色の飽和が早まる。デジタルカメラは、1000万画素より1500万画素が良さそうに言われているが、少し明るい画面だと色味がどんどん減っていき、つまらない画像になる。もっとも、人の目は、遠くの小さな物体は白黒でしか認識できないため、風景などの撮影では、こんなもの!とつい納得してしまうが、画素数の少ないカメラ画像と比較してみるとよく分かる。

 お散歩カメラは、この線上にある商品なので、このあたりが敏感で、気をつけて撮影しなければならない。明るい情景は、色がパステルになりがちだ。ノイズは、受光面積に比例して浮遊容量が増えるためCCDの面積に比例して増大するが、画素ピッチが大きくて飽和レベルが高い方がダイナミックレンジの点で有利である。したがって、彩度の高い被写体は、やはり露出をアンダー気味で撮影する必要がある。解像度を求めるにもその方が有利だ。

 このような経験から、大きさや重さ、さらに形状でかさばるが、同じ1000万画素でも、フォーサーズやAPS-C等、大き目の受光面積のカメラを求める人は多い。ちなみに、ここで紹介しているカメラの仕様を見ると、CCDの大きさの比較では、Fujiは1/1.6inch Panasonicは1/2.33inch となっている。米粒を並べたぐらいの大きさで、比較すると4:3程度の違いがある。Fujiは、Gchを大小2個を使用しながら1200万としているため、実質のRGBは、さらに少なく3/4 相当(約900万画素)と見るべきが妥当である。Gchを大小2個としているのは、高照度を、小さく感度の低い受光部が担当し、暗部を、大きく感度の高い受光部に担当させているためである。Panasonic は米粒3個程度の受光素子にもかかわらず、それでも均等に1010万画素を詰め込んでいる。

 これらの画素の大きさや、Gch 2個使いの仕掛けが最終的に画質の違いになっていることは確かなようだ。大型高精細の液晶モニター上で再生すると、明度の高いクロマ成分が蛍光色気味に表現されてしまうので、判断が付きにくいが、Full HDプラズマで見れば画質の差は明らかである。また、高精細といえども、Full HDは200万画素しかないため、1/4~1/5程度のダウンスキャンで見ることになる。このためには、ジャスト1/4または1/16と整数倍で見るのが妥当で、変則値でのダウンスキャンは画像がボケたり細部で崩れたり、無くなったり、偽信号が出たりで適切とはいえない。今日は、そのような明度の高いクロマ成分が多く含まれる画像を見ていただく。場所は、家の近所の深大寺である。時間のあるとき(年末年始)にでも寄ってほしい。そこで、来週ここの「蕎麦」を紹介したい。
 このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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2008/12/17

自作料理6

 違いの分かる男は、秋刀魚に檸檬汁なんぞかけたりしない、「すだち」に決まっている。この酸味の違いを知ることは、重要な味覚の基礎である。また、秋刀魚の表面に残されている塩の中に旨みを感じ、さらに「本醸造の醤油」をたらし、塩分の含まれた食材に塩分の含まれた調味料で旨みを引き出し、食欲をそそる。これこそが、日本人の節度ある貧欲な食べ方であり、味覚の原点でもある。 しかし、忙しくて活動的な若者は、秋刀魚なんぞよりも、ステーキが良いと思っている。塩と胡椒で表面を少し焦がした良質のお肉の旨みは、それだけで最高だという人も少なくない。 いずれにしても、塩は料理に重要な役割を果たす。

 海水から取れる自然塩には、マグネシウム、カリウム、カルシウム、亜鉛、マンガン、銅、クロム、ヨウ素、のほか様々なミネラルを多く含む。これを最近まで上手に生製する事が出来なかった。前回紹介した「ぬちマース」は、海水を霧状にして、空中でミネラルを瞬間的に結晶化させる国際特許製法によって製造され、「最もミネラルを多く含んだ美味しい塩」として評価されている。おおよそ1g10円である。ちなみにこれは、一番絞りのエクストラ・バージン・オリーブオイルよりも僅かに高いものになっている(へー)。

 今日は、そんな自然塩を積極的に利用したものを使う。「かたくちいわし」を長時間「塩熟成」させ、オリーブオイル漬けにした「アンチョビ」である。アンチョビは、高血圧になる可能性がある年配の方には、お勧めできない(一般論)が、実は、カリウムが塩分を放出するため、神経質になる必要は無いと思う。だから、命がけの食材ではなく、それこそ、枯れた大人の食材である。

 アンチョビは、そのままピザのトッピングとして、また細かく裁断してドレッシングに添加したりすると、粗末な料理でも一転して上等でお洒落な味になる。イタリア・レストランなどでも、メニューにはふんだんにアンチョビの記述が見られるが、実際の料理には、実体を認識することは少ない。 そんな姿無き不満を一挙に解消するため、アンチョビのフィレを贅沢に使って、枯れた大人の味を強調する。自作料理は、素材をけちけちしないで、その旨味を強調してこそ嬉しいのだ。 そして、それを食べることで、初めて「堪能する」という言葉が使われるのである。

 ブロッコリーは、マーケットで購入し、5分程度湯通しをして鮮やかな緑を強調する。アンチョビは、アヲハタを使っている。残ったアンチョビは、別の容器に移しておく、塩分が多いので腐りはしないが、早めに別の料理に使用する。今回のポイントは、パスタを茹でるお湯の塩分を少なめにしておくこと、これが重要である。そして、アンチョビとブロッコリーを合わせ、塩の加減を調整する。さらに、大き目のフィレを盛り付けて仕上げる。アンチョビ・ファンなら、今日は、徹底してアンチョビの旨味を堪能してほしい。
ではこちら
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2008/12/13

続デジタルカメラ11

 優秀なトレーナーは、アスリートに実際よりも程遠いトレーニング・メニューを実行させる事がある。何の役に立つのか分からないが、無心にそれをこなすことで、知らず知らずのうちに目的にあった体になるらしい。そして、実践では良い成績を収めるのである。本人は自分に才能があるのではないかと、有頂天になるが、トレーニングを怠ると、やはり簡単な事が出来なくなる。そして、再びトレーナーと対話する。そこで、やっとその練習の意味が分かり、納得をする。「わかった、なるほど、そうだったのか」と。ブルースリーの話ではないが、基本が想定外のところにあるトレーニングは、いくらでもあるようだ。もちろん、写真撮影も例外ではない。

 たとえ、どんなにとっさの思いつきでも、被写体とも言うべき「空間」をどのように写し取るか、それを瞬間的に要素分析するのがカメラの操作とそのフレームワークである。こんな、頭では分かっていそうな簡単なことが、いざとなったとき出来ないのは、基本を忘れている証拠ともいえ、大いに反省をしなければならない。

 書籍をいくら紐解いても、取扱説明書を難度読み返しても、書かれていない事がたくさんある。そんな時、子供の頃を思い出し、虫眼鏡で色々な物体を見るトレーニングをするとよい。時間のあるとき、様々な被写体をそれで覗くのである。カメラのファインダーをいつも覗き込んでいると、「たいした写真も撮らないのに、カメラばかり触っている」と回りから批判されるが、虫眼鏡だと、「父さんも、年とったんだなあ」と思われるくらいですむ。時には、太陽光で何かを焦がす事があるかもしれないが、それもトレーニングの1つと心得よ。じっくり、その中に写ったものを観察し、実物と比較してほしい。

 そのうち、少しづつ分かってくる事がある。そして、答えを自分で見つけた時、再びカメラを手にし実践してみるとよい。基本とは、「ゆるぎないもの」でなければならない。そのためには、原理原則が分かりやすく、単純な構造体を手にして経験を積むのが一番だ。それは、「お散歩カメラ」だけにとどまらず、35mm、6×6、4×5 まで、すべて共通して使える「普遍の理屈がそこにある」ことに気づく。

 このトレーニングは、運動能力を鍛えるのではないので、シャッターを切った回数や、山に登って写真を撮った回数等には全く関係は無いし、生まれ持った感性とも程遠い内容である。すべての自然現象には理由があり、そのルールを理解して、カメラに応用させた者だけが味わえる基本撮影技術がそこにあるのだ。

 今日は、訳の分からない「偉そうな能書き」だけに終始してしまった。電車を降りる時、いつも、「ちょっといい感じ」と思っていた。地元の駅は照れくさいがシャッターを切ってみた。場所は京王線の柴崎駅である。
このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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2008/12/10

舶来お菓子1

 今、輸入物が少しづつ安くなってきた。とりわけ、輸入菓子店では、円高還元セールとかで購買意欲をそそるポスターが貼ってあり、人だかりも多いし、試食コーナーなんかもあったりするので、何気なく覗き込むことも多い。国産品には申し訳ないが、舶来品は特別パッケージデザインが優れていて、特にヨーロッパ系のその「色使い」には、つい心を寄せてしまう。中身は未知でも、その優れたパッケージ・デザインの魅力によって「ひょっとしたら、美味しいかもしれない」と勝手な想像をしてしまい、つい購入する人も少なくないだろう。私も同様の経験があるが、それは、人として正常だと思っている。その場で、「物は試し」という気持ちと、優れたパッケージデザインに対価を支払う事を覚悟してしまうのだ。

 どのような商品でも、パッケージ・デザインは商品を象徴したものであるべきだと心得る。特に、何度も購入するものは、個性的で異色を放つものがよい。製造者が販売者であるとは限らないため、どのような環境でも「商品を個性で自立させる」必要がある。それを上手に表現するには、やはりパッケージでしかない。我々は、そのデザインの持つ魅惑の罠に知らず知らず引き込まれ、購買意欲につなげてしまうのだ。人は誰でも「美しいものに弱い」。それにしても、中身は案外意表を突かれ、当たり外れがある。簡単に不味いとは言えないが、「失敗!」のカテゴリーに入れてしまうことも少なくない。

 今日は、そんな未知の舶来お菓子の中から、我々の口にもぴったり合う「いけてる」やつを紹介しようと思う。 こんな、「チョコレート・クッキーは初めて」である。どのように「いけてる」のかを知ってもらおうと、チョコレート・クッキーのカットモデルをこしらえた。作業前にまず、20分ぐらい冷凍庫で冷やし、硬くなったチョコレート・クッキーを、フランスパン裁断用カッターでゴリゴリ削りながら、切りそろえようとするが、何度も失敗をしてしまう。中がクッキーになっているため、途中でよく割れてしまうのだ。また、こすり過ぎるとチョコレート・ガナッシュが溶け出し、断面が汚くなってしまう。普通なら理屈どおりに行かないと腹も立つが、その断片からは独特のチョコレートの薫りが漂ってくるせいか、何度失敗しても心地よい。作業が長引くと、照明の熱で表面のチョコレートがすぐに柔らかくなるので適当にすることにしたが、この商品を「知ってもらう」気持ちは、製造者と同じかもしれない。まさに、写真と文章による伝言ゲームだ。この二重の「魅惑の罠」に耐えられるか。

 もちろん、このような商品の特徴は、写真や文章だけで簡単に伝わるものではない。この分野に明るく、美味しいものをよく知っているあなたに「ベルギー産」と付け加えることにする。 もちろん、糖尿病予備軍には極秘扱いだ。ここで見たものを決して、彼等に話してはならない。
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2008/12/06

続デジタルカメラ10

 映像は、写真にしろTVにしろ、広い意味で、諸先輩方からの暗黙の指導によって成り立っている。これらの技を上手に取り入れて、より優れたものを目指す人も多い筈だ。一方、徹底した現場主義で自分の経験のみ信用し、それによって画像哲学を確固たるものにする人もいる。また、光の原理やレンズの持つ性質を研究しながら理屈のみで自分のスタイルを確立している人も少なくない。このように、映像表現は、様々なアプローチ方法があってしかるべきである。

 ここで紹介している 「お散歩カメラ」も、それなりに市民権を得て、魅力ある写真を公開している人も少なくない。ご本人にとっては、恐らく、なんでもない写真なのだろうが、「あっぱれ!」と関心する例も多く、その鋭利な刺激は心地よい。しかし、カメラのグレードの高いコーナーに、そのような優れた例が見当たらないとは皮肉である。

 今までの画像比較は、2種カメラの標準設定の比較だったが、今回は、もう少し積極的に画像を作るという視点で微調整をしてみた。かつてのカメラファンは、フイルムを交換することで、フイルム・メーカー独自の色調、分光感度やコントラスト、あるいはガンマを選択できることから、フイルムによって様々な個性を画像に反映してきた。また、そのような小細工によって、実物よりも、よりインパクトの強い画像を志向してきたともいえよう。この背景に潜んでいるものは、カメラ本体やレンズなどの機材の持つ限界であるとか、あるいは、自分の感性に自ら飽きるという、創作活動自体の限界を早々と感じてしまうためでもある。それは、道具自体に自分の能力以上のものを期待している依頼心からくるもので、技術や感覚を研ぎ澄ます前に、機材に責任転嫁をしているといってもよい。もっとも、その安易な要求が、カメラメーカーを育ててきたという歴史的背景も否定できないが、所詮、身近な風景や自然など、実在するものに向かい、ただシャッターを切ってリアリティーを追求するだけの写真では、早々と結論が出てしまう。

 今日は、そんな伝達情報の少ない情景の「勝手な切取型」の写真である。お散歩カメラでは、少々荷が重いフレームではあるが、意外に、その場の雰囲気に負けてシャッターを切ってしまった。こだわりがあるわけではないが、「このカメラで、どの程度いけるのかな」とちょっと興味があったのだ。これを見て、「お散歩カメラ」の画質の限界と、その使い方次第の可能性を確認してほしい。 場所は京王線の高幡不動尊である(やはり、美味しいお店は無くなっていた)。
このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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2008/12/03

自作料理5

 料理づくりは自分にとって、1つのイベントである。「1度食べたことがある」という記憶と、自分の持つ少ない発想でまとめ上げるところに面白さがあるが、すでに空腹を抱えていると、段取りを考えながら、「最も早く作る」ことに執着する。それにしても、「何を食べようか?」と自分に問いかけるところが一番苦になるところだ。たいがい、空腹時は「食べれれば、何でも良い」という気持ちが先走り、材料を冷蔵庫から物色する。「ちょっと違うな」と思いながら、そこに存在するもので何か作れないかと、さらに、「考えが閉鎖的」になるのが普通である。

 誰も、それを監視しているわけではないので、自由に考えればよいのである。食材が無ければ、ひとっ走りマーケットまで出かけてくるのも良い。そして、材料を目の前にして、食べるときの事を思い浮かべながら、ボチボチと楽しむのである。

 添付のPDFと、同じものを作って「本当に、美味しいね」なんて、オカマチックに同調してほしいわけではない。意地でも 「他人が作ったものなんか美味い訳がない」 と思ってほしいのである。ここでは、あくまでも、創作意欲をそそり、自分も 「何か作ってみようかな」 と思ってもらえればよいだけのことである。現代人には、そんな、創作することの面白さを満喫する自信さえ失っているし、美味いものと、一寸美味しくないものの区別さえ曖昧になっている。だから、美味いものは、一流シェフのいる、評価の高いお店へ出掛けないと駄目だと思っている人も少なくない。 味覚まで他人任せなのである。そんなことでは、これから会社で「新しい仕組みを作る役割」は果たせる筈はない。そこで、これからの時代の、担い手になるトレーニングとしても、「自分の考えを具体化する」経験を積む必要もあるのだ。だから、料理ぐらい、こだわって作ってほしいものである。

 そんな志向の中で、今日は平凡な、ベーコンとほうれん草のスパゲッティーである。身近にある材料を磨き上げて完成させる。このポイントというか、検討結果はベーコンの厚みにある。厚切りベーコンを少し時間をかけて、ベーコンの脂肪をフライパンの熱で搾り出すところが重要だといえる。抽出した油は、小さめのキッチンタオルなどでふき取りながら作業を進める。大方、油が出つくした頃に、ほうれん草を加えるが、ほうれん草は冷凍タイプでも、生ほうれん草を湯通ししたものでも、いずれでも良い。少しバターとぬちマース(塩)、胡椒等を加えて、ほうれん草自体にも、あらかじめ風味をつけておく。後は、スパゲティーと攪拌するだけ。途中のにんにくチップや鷹の爪も忘れないように。

 出来上がってみると、どうってことない普通のものではあるが、自作の強みは納得感というか、「出来た!」と思う満足感にあり、さらに、次回も何か挑戦しようとファイトが沸いてくるところにある。最終味付けでは、焦がし「昆布醤油」でちょっと和風にしても良いし、アンチョビ・ソースで塩味風にまとめるのも良い。ここが、自作の強みだ。少し焦げ目が付いた厚めのベーコンがボリューム感を演出し、自作ならではの味わいを満喫できる。この、極めて当たり前の事が、より次への創造的発想を刺激するところに、このPDFの意図するところを理解されたい。おっと、こからも、 まだまだ続くよ。
ではこちら
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2008/11/29

続デジタルカメラ9

 秋も深まり、肌寒く感じる頃は「早く家へ帰らなきゃ叱られる」という観念が僕を今でも足早にする。まだ5時過ぎなのに、もう真っ暗で玄関の明かりがボーッと燈り、たった4段しかない石段も補助車付きの自転車を上げるのに苦戦する。「ただいまー」と引き戸を開くと、いつものチリチリンと音がし、真っ暗の中から、魚の煮付けといりこだしの混ざり合ったような、様々な匂いが台所の方から押し寄せてくる。台所まで行くと大島の着物に割烹着姿の母が、「どこへいっとたんね、くろうなる前に帰ってきんさいや」と、鍋に箸を突っ込んでガスを調節しながら、きつい口調で小言を言う。ばあちゃんは、早々とコタツを作って入っている。そのテーブルとばあちゃんの間に割り込んではいると、暖かいのである。会話は、決まってテレビ番組だ「今日は、てなもんや三度笠じゃけぇ」と言いながらチャンネルを回す。画面の前には、それを拡大する大きなレンズが付いていて少々邪魔だった。

 大人になると、そんな昔の事を思い出すこともない。毎日、厳しい現実だけが待っている。歳を重ねるたびに、課題の難度が増してゆく。古くからのこだわりや愛着、あるいは「学びたかった事」への執着、等を清算できないまま時間だけが過ぎてきた。もちろん今は、常に能力以上の仕事をこなして疲れているのだ。それでも、会社の仕事が一番大切だから、これを何とか乗り切ろうと自分に言い聞かせ、冷たい風にさらされながら帰路に着く。そんなビジネスマンも多いことだろう。

 しかし、途中で、こんな情景に遭遇したら、きっと、何か遠いところから声をかけられたような気になる筈だ。店全体を見回し、何屋さんなんだろう、と不思議に思い、ちょっと行き過ぎては、また戻る。どこか懐かしく、楽しかった時代に引き巻戻されていきそうだ。「これは、結構古いぞ」しげしげと壁に貼られたポスターを覗き込み、なんでも鑑定団になったような、うれしさが湧き上がってくる。やや興奮気味の中にも、ところで、「七輪」って今の人にわかるのかなあ、と自分を現実に引き戻そうとする。漸くすると状況が見えてきた。残念だが僕には食べられない。しかし、この店の気概と心意気を感じる。その雰囲気だけで、なんとなく一寸だけ今の課題から逃れることが出来た。忘れかけていた自分を取り戻し、元気が湧いてくる。

 人は、昔の事を思い、少しだけ無邪気になってみるのも良い。そのきっかけを、いつも探そう。とにかく、「元気で頑張ってさえいれば、何とかなる」し、健康でさえいれば、間違った考え方も離れてゆく。人間本来の優れた道徳観と理性を遂行できるのである。もちろん、個人の尊厳を傷つけられる前に自己を防衛できる。欲さえ出さなければ、自由度も増し、より自己の理想にも近づく。毎日が自然体で楽になれば、チャンスは必ずやってくる。それを見逃さないようにしよう。無欲の勝利こそ美しい。 

 今日の画像比較は、夜景になる。ぜひ、今の緊張を帰りに解きほぐし、本来の活力を呼び戻してほしい。そんな、1フレームを紹介する。(毎日そうしてもチャンスの来ない人もいる)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら。(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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2008/11/26

自作料理4

 食事を作るのは、人として最低限度の行為である。自分が食べるものを人任せにするのは、人生を人任せにするのと同じだ。こんなことは、分かりきったことであったはずだ。そんな、基本的な事を俺は忘れていた。本来ならば、素材も0から作らなければならない。自分で畑を耕し、種を撒き、毎日、朝に夕に手をかけて作るべきだ。かつて、裏の畑で、ばあちゃんが丹精込めて作っていた野菜を覚えているか、きゅうり、茄子、トマト、パセリ、など、様々なものがあった筈だ。ばあちゃんは、よくその畑付近で草むしりをしたり、水をやったりして野菜を可愛がっていた。おまけに、茄子やきゅうりと話もできる。猫までも、ばあちゃんには尻尾を立てて、ズリズリしている光景を良く見たものだ。歳を重ねた人には、植物や動物の微妙でわずかなメッセージを受け取ることが出来るようになるらしい。そのくらい、木目細かい感性を駆使して育てているのだ。

 そんなことを考えたら、このトマトをいただくのに、たいそう恐縮してしまう。ひょっとしたら、たった144円/1個で買ってしまったことに罪悪感さえ覚えるのだ。多くの人たちの愛情と手数によって、たまたま、今、俺の胃袋に納まろうとしているわけだ。同じ畑で育ったトマトの兄弟は、ひょっとしたら天皇陛下がお召し上がりになるかもしれないのだ(ないない!)。そんな大切なトマトを簡単に食べては申し訳がないし、何の社会的貢献もない俺に、それを食べる資格があるかどうかさえ不安になる。もし、今、この隣にトマトを育ててくれた人や、運んでくれた人にがいたら、「いいすか?、本当に食べていいすか?」と問いかけるに違いない。今日はそんな気持ちで、創作活動に入ることにする。

 トマトを使うとするならば、トマトジュース缶やトマトのホール缶を使えばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、それは大きな缶違いである。生のトマトは生きている。皮もついているし、種もある、芯も残っているわけだし、何しろこの生き生きした生命力が残っているのだ。料理になってしまえば、結果的には同じように見えるかもしれないが、同じように見えても異なる物体はいくらでもある。物事を外見だけで判断してはならない。そして、もちろん最終的な状態だけで判断するのも良くない。農薬をたくさん使ったものと、そうでないものは簡単に見分けがつかないし、ばあちゃんは、昔から、ばあちゃんであったわけではない。様々な経験を通してトマトの話に耳を傾けることが出来るようになったわけだ。

 今のトマトは温室である。この不景気でまだ油の高い時期にトマトが風邪をひいてはいけないと思い、暖かくしてくれているわけだ。だから、マーケットに並んでいても元気なのだ。そのような本質的な違いを、自分の五感でかぎ分けらないとすれば、感性に欠けるし、この生のトマトを食べる資格はない。

 と、生産者側のことを考えながら、結局、自分でトマトを作ろうとすると、長い経験と愛情を持つ専門家には絶対にかなわないのである。それを認識した上で料理を始めようと思う。この生のトマトの持つエネルギッシュな生命力を生かすために、細心の注意を払おう。 そして、食べてその違いが分かったら、今こそ「このトマトを育ててくれた人」に感謝しようではないか。
今日はこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C4/%E8%87%AA%E4%BD%9C4.pdf

2008/11/22

続デジタルカメラ8

 今日は、16時40分ぐらいの夕暮れ時の写真である。お散歩カメラでは、様々な条件で撮影されるため、このようなケースもありうると考える。しかし、一般的には、太陽に向かって撮影することの方が多い。太陽に向かって撮影すると、微小な角度の違いにより画像が大きく変化し、2台のカメラの比較には適さない。むしろ、作画領域の比較になりかねないので避ける(家族や友人に自慢するならば、太陽に向かって5カットも撮れば、いつでも簡単に面白いのが撮影できる。ぜひ試してもらいたい)。自然界は、気温が下がれば下がるほど空気の透明度が増し、遠くまで鮮明な画像が得られるが、今の時期は、まだこの程度である。それでも、寒気の入った日を狙い打ちした。その成果の1つとして画像から雲をなくすることができた。行き当たりばったりの撮影は、それが画面に反映されて後々不満を残したり、散漫な画像になりがちだ。そうしたくなければ、あらかじめ、それなりの準備とロケーションの下見等をしておく必要もある。写真撮影用に使える時間帯は約20分間である。その中の5分程度の時間で2台のカメラを交互に交換使用し、太陽が画面左側に落ちて行く方向でシャッターを切った。

 実際の撮影写真は、上と下に画像があり縦横比3:2であるが、上下の画面をトリミングして横長に仕上げた。したがって、左右でピクセルは、Panasonic 3800、fuji 4000 でリサイズは一切していない。色味については、フイルムならば、もう少し色は濃くなり、マゼンタ系がもっと出るように思う。それが、この写真の大いなる違和感といえる。そのためだろうか、この2台とも少し色を濃くする「夕焼けモード」を備えている。しかし、この「夕焼けモード」で撮影してしまうと、カメラの比較ではなくて、画像処理の比較になるため、ここでは、従来どおりのモードにして撮影した。実際の楽しみとして使うならば、その「夕焼けモード」の方がそれらしく見えたり、楽しく使えるはずだ。

 このような情景をウォ-キングの途中で遭遇したら、ぜひ撮影してみてほしい。どのような立派なカメラを使っていても、もう少し「良いカメラ(レンズ)を買っておけばよかった」と思う瞬間になるからだ。受光部の色フィルターがRGB原色なので、このようなYMCで構成される画像は、余り得意とはいえないし、レンズのコーティングによる影響も出やすいからだ。このように、元と比較して忠実度を問題にするとか、自然界の発色を重視するような人には、不得意な画像になっている。しかし、その価値観もこれまた様々で、この季節、毎日のように、このような情景を撮影するこだわり派も多い。撮り方にも影響されるのかもしれない。

 撮影画像に対して細かい事を問題にするようになれば、次から次へと買い換えてカメラやレンズをテストする羽目になる。それ自体は、悪いことではないが、お勧めできることではない。得意、不得意を把握しておけばよい。カメラが小さいことの方が価値があるからだ。

 PDFの中には補足説明はないが、PDFにしてみると画像左右1/4ぐらいはトリミングしたほうが良いと思える。このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21655&app=WordPdf

2008/11/20

続デジタルカメラ7

 懐かしい喫茶店に入ると、そこは、昔のままだった。
 ここだけ、時間がゆっくりと流れている。遠くから「お好きなところへどうぞ」と声をかけられ、入口の近くに腰を下ろした。入口からそそぐ日の光は紛れもなく2008年のはずだが、室内は当時のままの面影を残している。つい、心地よい、その時間の流れに身をまかせようとする。いやいや、とりあえず珈琲が出てくるまでは、その心地よさに浸っていたい。いつの頃のことか、雲をつかむような断片だけがよみがえってくる、そして徐々にその時代に引き込まれてゆく。

 トントン、「おい、開けてくれ」としゃがれた声が聞こえて、それは、いつもとは違うが、確かに彼の声だ。アンプのボリュームを落とし、ドアを開けると、そこには、襟から袖まで血で染った彼が、青白い顔をして倒れ込もうとしていた。「おい、どうしたんだ、早く入れ」と石油の煤が臭う部屋へ抱えこんだ。彼は床にしゃがみこみ、丸く横になった。私は、状況が全く分からず立ちすくんでしまった。学校では、まじめにノートをとりながら真剣に授業を受ける男で、毎日毎日が実直そのものだった。まるで、戦前の学生をそのまま絵にしたような、まじめな、お前が何でこんな目にあわなきゃいけないんだ。訳を知りたいが、「まさか」と思う気持ちと、半ば激怒しなければならない立場の自分が、口調を荒げて言葉を投げかける「誰にやられたんだ」。少し沈黙が続き彼は、「機動隊にやられた、やつらは鉄パイプを振りまわして、無差別に攻撃してきたんだ。俺はデモに参加しただけだ。」と体を動かすこともなく口を開いた。

 そんな事は、当時は既に遠い昔の話(3年前)だと思っていたので、少しためらったが、タオルを絞りながら「もう、馬鹿なことはやめろ」と口を荒げてしまった。やるせない気分のまま、再びやかんをガス台にのせ、丸く横たわった彼を見ながら、静寂が暫く続いていた。なんて言葉をかければ、分かり合える会話になるのか自分では予想もできなかったのだ。自己主義の自分と、恐らく犠牲的精神を持った彼との間には、大きな隔たりがありそうだった。残念なことに自分は、「友人として、学友としての彼」を思いやる立場でしかなかったのだ。

 たとえ、即席珈琲でも冷えた体を暖め、時間がたつと平常心に戻り、「友人に迷惑をかけた」という気持ちが湧き上がったのか、いつもと違う情けない彼をのぞかせた。首と体がねじれたまま話し始めた彼の、信念にも似た「このままじゃ、日本は駄目になるんだ、分かってくれ、今の俺に出来る事をしたかったんだ」という言葉がいつまでも印象に残っている。今でも、その時の情景を度々思いだし、息苦しくなることがある。35年前の話なのに、昨日のことのようだ。

 と、深呼吸をしていると「お待ちどうさま」と珈琲が届き、カップがテーブルに置かれ「コッン」と言う音で我に返る。未だ半分も過去から抜け出せないまま、 首と体をねじりながら、ああ、こんな感じだ。今、思い出した事を忘れないように、ここで写真を撮っておこう。「お姉さん、こっち向きで写真とってもいい?」と声をかけながら入口を指差す。「どうぞー」と帰りながら部屋の隅々まで響くように了解してくれた。彼の考えていた事のほんの僅かかもしれないが、今の自分なら「理解できる」と思いながら、同じようにミルクと砂糖を入れた。

 今日は、その午後2時過ぎの室内の1フレームを紹介する。PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21715&app=WordPdf

2008/11/18

ゴールドラッシュ

 いまどき、気持ちが優れないのは、君だけではない。宝くじを買っても、一生懸命仕事をしても、ますます将来の不安が募ってきた数ヶ月だ。テレビのニュースを見ながら、国会で 「基本的には」 を連発するジジイは分かってんのかよ!ほどこしならいらねえよ、でも選挙対策なら少な過ぎるぞ、それにしても、「他に役に立つ使い方できねーのかよ!」もっと、頭使えよ!とぼやいてもしょうがない。アインシュタインも言っている。「他人に期待するのはよそう、他人も自分と同じ人間なのだから」。でも、そんなことはない、今の若者達は違うのだ。もっと苦労してるし、頭も使ってきた。ジジイより、賢いのだ。だから、将来の事を考えすぎて失望してはならないし、大切な時期に卑屈な想いをするのも良くない。目に見えない何かに脅えていても、冷たく時間が過ぎるだけである。

 1ついえる事は、結果が出るのは随分先になるにしても、世の中、これから間違いなく変わる。その変わり目の今こそチャンスなのだ。そして、これから繊細かつ大胆に能力を発揮するために、もっと、自由奔放な人生観を持とう、だから、たまには破目を外して、今週末は仲間や彼女と渋谷で朝まで呑み明かそうではないか。 渋谷は、強靭な肉体と底抜けの明るさを備えた若者だけを受け入れる。とにかくパワーが必要なのだ。疲れていても、彼女に「つまらない男」と思われないように、朝まで元気で付き合わなければならない。今日は、そんな君に、元気が維持できるハンバーグ店の紹介だ。

 この店は、カウボーイ時代の古いアメリカを思わせる空間になる。金脈を掘り当てるために集まった、カウボーイ達はハンバーグと4皿分もあろうかと思われる大盛りのライスを食べている。まさに、この街の胃袋を象徴するかのようだ。あちらも、こちらも、空気までも牛肉である。コンクリートの床は、下の階のライブの低音だけが響いてビートで揺れている。全く、外からは想像すらできない世界だ。暑くても、寒くても、いつも同じジーンズの上下とTシャツで、ちょっとロングヘアな、いかした男(いまどき?)が似合う。BGMは、「荒野の一人」のテーマがいい(ないっ!)。朝方、いつ車に引き殺されるか分からない現代では、やはり、腹いっぱい牛肉を食べ、元気で四方八方に気を配り監視しながら、機敏に動き回れることが重要なのだ。そんなパワフルな男だけが金脈を掘り当てられる。ハンバーグは牛肉100%である。もちろん、ベースになるものは同じだから、練りこみ素材、量(g)、トッピングなどを添え変えればバリエーションが広がり、熱いうちに上からかけるオリジナルのソースが風味を引き立てる。この仕組みこそが生産効率重視の比較的安価なハンバーグを提供できる背景といえそうだ。

 さて、今週末の君の使命だが、渋谷の「東急ハンズの1階正面」の、道路を挟んだ向う正面に「バイク店の左にエレベーター」がある。それに乗って4階のボタンを押せ。ゆっくりとドアが閉まり、僅かに縦に振動しながら動く、しばらくするとモーター音が止まり4階のドアが開く、そこがコンタクト地点だ。新たな店に行くのに脅えてはいけない。分かりやすいので地図はない。まず、そこで、この写真の席に座るのだ。ミッションは、MENUのガーリック・ハンバーグの欄に書いておく。味は俺より、もっと確かな「デブ男2人」が確認済みなので心配はない。格好は、自分の考える「一寸汚れたワイルド」な感じでまとめてほしい。セクシーなエージェントがコンタクトしに来たら、合言葉は「まいう」だ。では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5.pdf

2008/11/15

続デジタルカメラ6

 猫さんの写真集はいつも面白いし人気も高い。猫嫌いの人も少なくないので、大きな声では言えないが、吾輩は猫好きである。だから、猫さんと仲良くしたいと常々想いを寄せているが、大概は猫さんから誤解をされて、近づこうものなら、さっと逃げられてしまう。飽きもせず、見かけるとつい声をかけるが、そっぽを向かれ、すた、すた、と物陰に隠れてしまう。

 かつて25年位前に、家にも「ライオン丸」という猫がいたが、現在は彼の写真しか残っていない。当時は、朝方まで仕事をする境遇だったし、彼が、帰宅する頃がちょうど仕事も終わる頃で、その余ったフィルムでよく撮影をした。3板式カメラ・テストの6x6フイルムの間のフレームに今も残っている。部屋のスピーカの前にも、その代表的な2枚を写真建てに入れているが、いずれも、彼は疲れて眠っている。それでも、それを見て和むことも多い。写真の中にいれば、健康状態を心配することもないし、喧嘩で怪我をして大手術をすることもないからだ。写真は、個人的な理由による場合が多く、古い写真で昔を思い出すことも多い。それによって記憶を効率的に整理することや、情緒を豊かにすることもできる。

 自分の飼っている猫でさえも撮影が難しいのに、写真集で何故あんなに面白い写真が撮れるものだと感心する。きっと、そのカメラマンは、猫さんと事前の打ち合わせや、取引をしているに違いない。いつか、俺もそうなりたいと願っているが、どうも、うまくコミュニケーションが取れない。しかし、まれに、仲良くできる場合もあるが、必ずと言ってよいほど要求が先に出る。生活がかかっている仲間がいるようで、最低でも猫缶3週間分の内餌が相場らしい。もちろん、その後のサポートも必要だと言う。そんな中、「きじ猫さん」だけは、初対面でも仲良くしてくれる場合が多い。そういえば、ライオン丸も「きじ猫」であった。

 話は少し横道にそれるが、下の階に住んでいた霊能者のおばさんが、うちの玄関に立ち「お宅、猫を飼ってる?」と尋ねたことがある。「いいえ」と返すと、「いるわよ」、俺の部屋の方を指し、「今、そっちへ行ったわよ」。部屋から持ってきた写真を見せながら「こいつ?」と聞くと、「そうそう、これよ」と言われた。なんとも不可思議な話だが、いまだ成仏できず、家でちょろちょろしているようだ。そういわれてみると、時折「ライオン丸」が、俺の右肩の方から布団へ入ってくる夢をみることがある。

 今日は、そんな霊現象ではなく、実体のある「猫さん」の写真だ。旅先での初対面にもかかわらず、よく我慢してくれた。猫好きな方に解説は必要ないと思うが、スペースがあるので補足をした。おっと、霊能者のおばさんの話は別の機会に。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21714&app=WordPdf

2008/11/12

吉祥寺砂場

 蕎麦屋は、蕎麦粉の歩留まりが良いというのもあって、古くから「他より、ちょっと美味しいだけ」で儲かる、上手に「経営する」とすぐにビルが建つと言われてきた。そのような背景から、脱サラで蕎麦屋を始める人も多かったが、今は、そんなちょっと美味しい蕎麦屋も危うい状況になりつつある。今、外食をする人が減っている。そのせいか、いつもの食堂で出される料理の品質、量共に劣化して、お客が離れ、悪循環が始まっている。当然、決断の早いオーナーは、とっくに店じまいをしている。昔のお店を訪れて閉店の看板を見ると、寂しい思いをする。「渋滞に巻きこまれ、間に合わなかった救急車の運転手の気分だ。自分一人の責任ではないが、とても残念に思って見送る」そんな情景だ。半年前あたりから、そのようなケースが徐々に増えて、取材に訪店しても、紹介しにくいお店が増えた。今後は、暫く次々と閉店が続くに違いない。我々が、僅かな違いを評価して「ひいきにしていたお店」ほど、そうなってしまいそうな感じを受ける。早いうちに「食べ残しがないよう」に訪れておくことにしたい。

 ここは、神田の蕎麦屋のように、明るいうちから大工の頭領が、お酒をちびちびやっているようなお店ではない。たいがい、男女の二人ずれが訪れる。この街は若者で溢れ、エネルギッシュで、かん高い声で遊びまわるちびっ子もたくさんいる。店頭には山のように品物が並び、レジで順番を待つ人も多い。今もバブルの時代を髣髴とさせ、依然街全体が快進撃を続けているのだ。土日、祝日などは、幼い子供連れか、若い男女か、女性のグループか、・・・・他とは大きく違い、街中に、じじ、ばば、は目立たない存在なのである。いや、じじ、ばば、まで「お洒落に若返ってしまっている」のかもしれない、そんな高揚する雰囲気がある。

 今、若者に蕎麦好きが増えている。しかも、うるさいやつが多い、いやいや、騒がしいのではない。彼女に向かって、「蕎麦はこうして食べるんだとか、蕎麦湯はこう使う、オーダーの順番はこうだ」とか、○○のお店は「そばつゆが辛口」、この店は「箸の材料が本物」と、聞く耳持たずとも、わざわざ小耳に挟んでくれて、妙に私までも楽しくなる。彼らは、我々の時代より、はるかに楽しみ方を心得ているのだ。実は、そんな作法や流儀よりも、本当はもっと大切なことがある。それは、その店の馴染みになる、つまり「頻繁に顔を出し、同じ席に座る」事である。これこそが、「職人との勝負」する基本ルールなのだ。たとえ、それが「もり蕎麦」1枚でも構わない。そして、お勘定は明るく「ご馳走さま~あ」と奥に向かって声をかけることだ。この、「職人にちょっとした緊張感と、大いなる喜びを与える」のが常連の責務といえる。通へば、通うほど、お店の方から大切にされるし、珍しい味の試作も出たり、小品の楽しみ方も教えてくれ、「由来」も伝授してくれる。これも、客の喜びの1つである。しかし、食べ方について尋ねると、「いいえぇ、お好きなように食べてください」と言われるだけであるが・・・。

 先週、山から降りてきて、無性に蕎麦を食べたかった。山の中には「手打ち蕎麦」の看板が目立ち、妙に刺激を受けたからだ。でも、ありがちの味醂醤油の「そばつゆ」で落胆したくなかったので、誘われて寄る気分ではなかった。そこで、今、この店のいつもの席に座っている。
 撮影は、F1に詰めたフイルムが余っていたので、これでまかなう。照明とフイルムのせいで、若干いつもと色味が違うが、お許しいただきたい。
 では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A0%82%E5%A0%B4/%E7%A0%82%E5%A0%B4.pdf

2008/11/08

自作料理3

ここまで簡単に、しかも15分で作れるとしたら、仕掛けを知らない人は驚いてくれるに違いない。是非効果的に応用してほしい。自分が食べて楽しむのも良いが、戦略的にも活用できる即席のナチュラルな一品である。

 夜遅くまで、一生懸命に受験勉強をする息子さんを抱えていたら、時には、父として何か協力してあげる必要がある。テレビのお笑い番組を見ながら、ただ笑っていてもしょうがない。一緒に戦ってこそ親父である。そんな時、喜ばれるのはやはり後方支援といえる。いやいや、目に見える形でないといけない。SHOW the FLAG である。そんな時こそ、迷わずこれを作って差し上げてほしい。ついでに部屋まで出前でもして、「母さんは寝てるから、父さんが作ったんだ」と言い訳でもしながら、一発訓示でも、「学歴がすべてではない、しかし、学問のアスリートって言うのもいいんじゃないか」とかなんとか偉そうに余裕をかまし、微分方程式の1つでも解いて見せれば完璧である。

 翌日から、自分への産業廃棄物扱いはなくなるに違いない。いや、心のどこかで「親父も俺の事を考えてくれている」と、大いに親父の株価も上がるだろう。平素会話がなくても、美味いパスタと数学の出来る「すげえ男」と影で尊敬されるに違いない。 こういう「意表を突く」行為は、息子に大いにインパクトを与え、いつまでも記憶に残ることなのだ。特に、息子が苦しんでいるときほど効果的といえる。また、腹が減っていれば何でも美味く感じる。涙が出るほど美味いとは、このタイミングだ。チャンスは生かさなければならない。反面それは、将来回収できる投資とも言える。たとえ、会社の人員整理のメンバーに組み込まれて失業しても、「親父、今まで頑張ったんだから、少し楽でもしろよ、俺もバイトするからよ」といってくれるに違いない。もちろん、そんな甘くはないかもしれないが、そそぐのは、珈琲だけではいけない。出来るときにこそ「愛情もそそぐ」必要があるのだ。

 今日は、アサリを使ったスパゲティーである。俗にボンゴレとも言うが、さほど大げさなものではない。あくまでも、「もどき」である。腹が減っていれば同じにみえる。決め手はやはり、アサリである。特殊な真空パックになっているものを用意する。ここが最大のポイントといえる。繰り返しになるが、たった15分で作るためにはこれを使うしか手はない。大型マーケットで見つけることが出来る。見かけなければ製造元(PDFに記述あり)に問い合わせてほしい。アサリは、鉄分やミネラル、ビタミンを大量に含み、栄養価は高いし、人類の歴史的裏づけもあるので、誰にでも「美味しい」と思ってもらえる。スパゲティーは、消化吸収が早いので胃腸の負担も最小だし、まさに受験生にぴったりの夜食だ。そして、これから寒くなるので風邪をひかせないためにも、「みじん切りにんにく」をたっぷり入れてほしい。通常は、白ワインを使うらしいが、日本人には日本酒が合う。あとは、従来どおりでOKだ。
ではこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C3/%E8%87%AA%E4%BD%9C3.pdf

2008/11/05

続デジタルカメラ5

 (前回の続き)出来れば太陽が真上にいる午前中に山頂に上がりたいので、早々とリフト乗り場へ向かう。昨日、夜半に雨が降った。そのせいで、朝から遠くがかすんでいる。それもあって、気持ち的には半ばあきらめムードだった。順番を待つのに、ちょっとわくわくするのは、楽しみにしていた証拠だ。それにしてもリフトは便利だ。腰掛けていれば山頂へ連れて行ってくれる。苦労しないで撮影すると、また、撮りにくればいいやと気が緩む。そう、便利なものは、ついそれに甘えてしまう。オートホワイト、オートフォーカス、手ぶれ補正でつい撮影を安易に考えてしまうが、それがどんどん自分を駄目にする。いや、果たして本当に駄目にするのか、むしろ、逆だ。不満がつのるに違いない。手ぶれ補正は回転方向の補正は出来ないし、当然、画素ピッチのミクロンオーダーまで制御できるはずもない、1200万画素と思いながら300万画素ぐらいの画質を見て、満足なんか出来るはずもない。ホワイトバランスも、精度が追いつかないと、つい青系に振ってしまうのではないか、暗いところでは、そのずれが目立つのではないか、オートフォーカスもスピードを上げると後ろ、後ろの後ピンへずれていかないのかな、フルスキャンすればピークは出せるが、時間がかかる・・・・と様々に思いをめぐらしているうちに、「レバーを上げてください」と言われて頂上に到着した。

 ここは、ひどく眩しい世界だった。近眼の俺でも、裸眼でどこまでもピントが合ってしまうが、順光撮影では、やはりデジタルカメラの液晶モニターが背後に位置する太陽光を反射してしまい、まるで見えない。4x5で使う黒幕か専用フードがほしかったと反省。それでも、適当に4箇所移動して撮影する。背中は既にびっしょり汗ばんでいる。基礎代謝が高い証拠だ。そのせいか、汗が出るとなんとなく心地よく気分も良い。冷たい風が緊張感を与え、太陽はしっかりと俺の背中を捕らえている。しかし、どのフレームも気に入らないまま、仕方なく再びリフトで降りる。気に入らなくても目的を達成するため、余計に撮っておくのが取材の基本だ。この歳で、言い訳は許されない。リフトを降りて再び次を目指し、山頂のふもとを歩くが、いいところに限って電柱が邪魔になる。山頂の姿に目を向けながら、その回りを移動するが、どんどん時間ばかり過ぎてゆく。今、仮に撮れていない不満でシャッターを切っても、後で消去するだけだ。それにしても、太陽はどんどん遠のいてゆく。

 11月にもなると、日暮れが早い。結局2フレーム追加しただけで3時過ぎに、もう終わりだあ・・と思った。殆どは移動時間だが、思ったよりてこずった。それでも、なんとなく不満は残るので、ロスタイムだけどもう一発だけ、と太陽に叫ぶ。ここで最後の駄目押しをしようと思う。ところが、Fuji がすねてしまい、ピントを出してこないのに慌てる。壊れたか?どうもフレアーに苦しんでいたようだ。場所を少し変えて、再び仕切りなおしだ。あせりは、返って思わぬミスを伴ったり、ポカをやることがあるので、注意深く最後のショットを撮る。この緑の木漏れ日をどのように処理するんだろうと楽しみにする。しかし、撮り終わっても、何故か不甲斐なさだけは残っていた。

 今日は、その最後のロスタイムに撮った写真を見ていただこう。少し時間差があり、太陽の位置がずれているが、お許しいただきたい。(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21713&app=WordPdf

2008/11/01

続デジタルカメラ4

 今日は、ある山の中へ来ている。早速現場から報告する。昨日、駅を降りて延々と2.5km以上坂道をあがってきた。坂道は高い心肺能力を要求する。心臓はバクバクだし、シャツと背中の間で汗が渦巻いている。限度いっぱいいっぱいの体を引きずりながら一歩一歩前へ進む。平場で12km(週2回のウォーキングコース)を歩くより、はるかにきつい。と思いながら、裏腹に途中で一息入れて煙草を吸う。これがまた、頭の芯まで即効でニコチンを搬送し、ひどく聡明になる。荷物は当然F100fdとFX500と取説、着替え2日分と24mmレンズ付きF1(フイルム撮影用)と露出計、その他洗面用具と薬剤一式(何が起こるかわからないので胃腸薬、目薬、風邪薬、花粉用の薬、ビタミン剤、湿布薬、など)である。あと、即席珈琲、折りたたみ傘なども入っている。取材で最も重要なのは、ペデスタルともいえる自分の体である。

 いまどき、脆弱なおっさんはいつ強盗団に襲われるかもしれない。カードは持たず、現金のみを3箇所に分けてしまってある。2台のデジタルカメラは没収されても、古いF1は持っていかないだろう。これが残ればいい。万が一、殺されても好きな事をするために来たのだから、自己責任だし、今までそれなりに頑張ってきて(回りは誰もそう思っていない)特別思い残すこともない。心の準備は出来ている。などと、馬鹿な事を考え、無心になって前へ進む。振り返ると、そういう悲観的な考えを吹き飛ばすぐらいの壮大なスケール感が待ち受けていた。

 今日は朝から撮影場所を8箇所ぐらい想定し、太陽が日暮れまでに描く軌道を考えて移動を開始する。昨日の荷物のせいで肩も張っているが、3台のカメラを携帯して出掛ける。この見慣れないスケール感をどうやって切り取るか、とてもじゃないが収まりきれない、足早に移動しながら、ここもいい、あそこもいい、しかし、それにしても、高圧線や電柱が目障りだ。とりあえず、順光が照射する側面からシャッターを切ることにする。F1から撮影開始。デジタルは、ガンマがフイルムと違うので頭の切り替えが必要だ。早々と2台のデジタルカメラのズームレバーの動きが敏感なのに困った。フレームを合わせようとすると、ちょっと触れただけで余計に動いてしまう。「なんで、そうなるの?」と独り怒りながら腐心する。フレームを揃えて適正露光から1/3ステップづつ露出補正を+側、-側へ振って終了。現場では結構面倒な操作だ。次のロケーションを探すため、再び移動を開始する。デジタルは自動機能が多いので逆に神経を使うと実感する。 F100fdとFX500の互いの操作を間違いそうになったり、画質では、2台で黒の立ち上がり、ガンマーカーブ、ハイライトの処理が微妙に違う。また、F100fdはモニターのコントラストが見づらいし、FX500はモニター画像のエッジが強すぎる。ぶちぶち言いながら、結局4フレームを収めた。それにしても、慣れたフイルムの方は簡単だ。光の状況と露出計の癖が分かっているから「こんな感じ」でいけてしまう。次は山頂までリフトに乗ることにしよう。 ・・・・・

今日は、この午前中の撮影から1フレームを紹介する。
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら 。
(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21712&app=WordPdf

2008/10/29

追加・補足

 08/10/22 梅は果実
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%A2%85%E5%B9%B2/%E6%A2%85%E5%B9%B2.pdf

で紹介しましたPDF原稿について遅まきながら補足をさせていただきます。
ここでの表記の「A級2Lサイズ」に関しまして農林水産省に問い合わせを出しましたところ、
農林水産省の回答は、

(回答)
(1) 「野菜の標準規格」については、規格の統一と簡素化により市場取引の円滑化等を図るため、農林水産省において昭和46年から主要野菜について順次定められてきました。しかし、選別・出荷労力の軽減、生産・流通コストの縮減の一環から、平成14年に標準規格は廃止しました。現在では、生産者団体等による独自の規格により取引がされています。
(2) 果実については、農林水産省において、果実の円滑な取引に資するため必要最小限度の表示事項として「果実の全国標準規格」を定めています。都道府県によってはこれよりも細かい規格を定めているところもあります。なお、うめについては、全国標準規格には定めがなく、都道府県、生産者団体等において規格が定められていると考えています。
・・・とのことでした。
そこで、今度は製造元の「 紀州梅干し・みかんのJA紀南(紀南農業協同組合)」に問い合わせを出しましたところ、以下の回答をいただきました。

⇒品質はA級になっておりますので選別した中で一番いい梅を使用しています。
規格サイズで選果した物を塩漬、、天日干を行い、1粒毎に計測し、統計処理して平成6年に研究室で基準を作成しました。それが業界規格となっています。
梅干し2Lサイズになりますと14g以上19g未満になります。

・・・従って、紹介しているPDF原稿に、A級2Lサイズとは、「収穫後の選別で、いちばん良い梅を加工し、梅干になった時点で14gから19g未満の間にある粒を使用」という補足を入れるべきだったと反省しております。謹んでお詫びを申し上げます。

▼さらに、本文公開翌日、
「天日干しから樽に入れる際も選別し、梅干が付け上がって、商品になる際も選別いたします。」
との追加をいただきました。
修正版は、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%A2%85%E5%B9%B2%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E7%89%88/%E6%A2%85%E5%B9%B2%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E7%89%88.pdf

秋の手軽メニュー

最近、悩みを抱えた同世代の友人から集合をかけられる事が多い。そんな時、いそいそと集合場所のファミレスに出掛けるのである。

 話はだいたい決まっている。結局 「仕事が面白くない」 と人生観までも包括する話に集約されるようだ。色々理由を聞いてもしょうがない。暫く考えて、無責任にも、「よかったじゃん、辞めて少し好きなことでもやったら?」 と助言する。しかし、他に何もする気がないようだ。最近まで親父連中は、老後楽しむのに十分なお金は持って余裕をかましていたが、株価の下落でとことん気持ちが落ち込んで、先行きに不安が広がっているようだ。本人は、これから先、「自分が今までと違った人生観をもてるよう、変わらなければいけない」ことも分かっている。でも、口先だけだ。歳を重ねると人は慎重になる。にもかかわらず、「自分が変われないことにも、不安を持っている」。そんな、自己矛盾に苦しんでいるようだ。

 それは恐らく 「好きなこと・得意なこと」 なんぞ、生産性の無いつまらないこと、と決め付けているからだ。いや、好きなことはお金がかかるばかりで、入ってこないことにも不満があるようだ。これを、要約すると、「お金を使う」ことが「好き」あるいは「得意」なのだ。しかし、そんな事に執着していると、結局、他人には「お金にシビア」と思われ人は離れていく。「人は大脳を使うために生まれてきた」のだ、お金を使うためではない。そんなことを好きになったり、得意になったりしても仕方がない(意外に多いが)。まずは、方向転換だ。そのために、好きなこと、あるいは得意なことを深く掘り返してみる必要がある。また、最初から成功を考えていたら、何も手を出せなくなるが、人は皆、自分なりに暖めてきた夢をもっている。ただ、好きなこと、あるいは得意なことは、どこかで人のため、社会のため、あるいは困っている人のため、という「大意名文」も必要だ。これを疎かにしてはならない。それは、幅広く社会を知ること、つまり、客観的に自分を評価することに繋がるからだ。そして、まず、自分に現実を突きつける。そこで、今は自分に能力がない事を徹底して認識すべきである。そのとき、持ち合わせたプライドが邪魔をするだろう。しかし、それをスッパリ切り捨ててこそ明日が見えるのだ。

 人は脅迫されると何でもやるし、嫌でも始める。ただ、動機が不足しているから、一歩が踏み出せないのだ。だから、あえて「人が嫌がる事」を話す。そして自分にも言い聞かせているのだ。自分にはこれしか残されていないと思えばやるし、選択肢がなければ、その中で頑張るものだ。最初は、好きだ、あるいは得意だと思っていたことも、出来なくて落ち込むこともある。しかし、やっていくうちに大脳も徐々に順応して活性化してくる。3ヶ月で大脳は順応した体制を内部に作るのだ。すると、少しづつ面白くなり、いずれ上手に出来るようになるものだ。それを乗り越えたら、毎日が楽しくてしょうがない筈。さらに、その知恵で何でも制覇でもできるような気分になるものだ。たとえ、それで大成功できなくても、そのようなプロセスを踏むと、大脳は、体に良い物質を分泌するようになる(これこそが大脳を使うために生まれたという由縁だ)。それによって、充実感、爽快感、をはじめ、どこからとも無くファイトが沸いてくる。そして、その物質が減ると、再び増やそうと努力する。また、その「気持ちのよさ」を味わいたくなるのだ。とどのつまり、「好きなこと、得意なこと」は、自己最大の「普遍のリサイクル資源」なのだ。大切にしよう。

・・・・そんな話をすると、その同世代の友人は少し元気を取り戻す。でもそれは長く続かない。不足している成分が他にもある。人は、ビタミンやミネラルが不足すると気力が薄れてくる。持続力もなくなってくる。そんな疲れた同世代の親父には、これが必要だ。その栄養素は、私の田舎の近くの海で取れる、この貝にたっぷり入っている。それが「お手軽メニュー」に用意されたファミレスを紹介する。今日は、特別に話が廻りくどかったかな。でも、牡蠣を食べたら少しだけ思い出してほしい。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BA/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BA.pdf

2008/10/25

続デジタルカメラ3

 今回からシリーズで、先日紹介したカメラ Fuji F100fd と Panasonic FX500 2台の実際の撮影画像の比較をしながら、その画質について何回かに分けて紹介する。購入される場合に、どのくらい活用できるものか想定してほしい。いや、出来れば、購入しないで知識を増やす程度にしてほしい。お散歩カメラ程度の性能(2台共)といっても用途は様々で、道を歩いていて興味のあるものをサクッと撮影するとか、記念写真、メモ帳代わり、ブログにと、人それぞれ用途や目的は異なると思うが、全体を包括して話を進めたいと思う。画質の気になるところは個人的意見を加えた。・・・というか個人的意見のみで構成している。

 メーカーはそれぞれ、歴史的背景を抱えて、現時点では、「これがいちばん良い」と思って様々な工夫をしている。しかし、ユーザーとしては、「理屈は分かったが、撮影後のイメージは違う」と考え込むことも少なくない。また、画質以前のオートフォーカス、オートホワイト、手ぶれ補正などの効き目に差があるのも現実だ。一方、撮影時にユーザーの状況判断不足を補う 「推奨モード」 も多種にわたり充実しているし、この機能を使わずにユーザーの作画意図を支援する 「マニュアル機能」 も搭載していて、どれをどのように使うか迷うことも多い(古い人間)。一方で、ユーザーからよく耳にするのは、「100%使いこなしていない」という発言だが、使いこなすも何も無い、シャッターを押すだけの事である。とりあえず、「自分の意図した画像」が撮影できれば、良しとしなければならない。しかし、「自分が意図した」と言う言葉の中に、様々な 「すれ違い」 があるかもしれない。このシリーズを通して、それも見極めてほしい。

 このシリーズはA3横のPDFになっている。「PDF変換を高画質モード」で制作し画質の劣化を抑えた(Adobe Reader Ver7.0 以降必要)。適度な「拡大表示も可能」になっている。レンズの画角が2台で異なる場合が多いが、撮影したそのままのフレーミングとし、ちょうど左右を1/2にリサイズをしてレイアウトを行っている。実際の写真はこの4倍(面積比)の分解能を備えている。また、いずれも感度を恒久的にAuto ISO400にセットしているが、2機種で振る舞いが異なる。Panasonic は被写体が明るいと自動的に感度を下げてしまう。そのため、被写界深度が2機種で異なるという現実があるが、それは、作画の領域なので評価は省く。以上、これらのルールから外れるものに関しては、それぞれのPDF上のコメントとして記載しているので参考にしてほしい。

 PDFの「上下のグレースケール」の一番外側が黒になっていることから、その隣のダークグレーと区別がよく見えるように「モニターの明るさを調整」してほしい。かなり明るくする感じなので、見終わったら元に戻すことを忘れないように。また、蛍光体、色温度など、観測するモニターによって色のバランスが異なる場合があり、個人的意見と相関が取れないことがあるかもしれないがお許しいただきたい。 初回の今回は、カメラを買うと、すぐにテスト撮影すると思われる被写体を想定して、近所の公園内の風景である。2つのカメラの雰囲気の違いを見てほしい。初回は感じをつかむだけでOKだ。
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21711&app=WordPdf

2008/10/22

梅は果実

 祖母は、時々台所の床下から初夏に漬け込んだ梅の瓶を取り出して、なにやらぶつぶつと独り言を発していた。どうも、その様子と変化を見守っている。しかし、それを口にするのは、数年後ということになる。随分仕込みに時間のかかるものだ。今から50年くらい前の田舎の伝統的光景である。

 それは、毎年継続することに重点は置かれ、「何年もの」と書かれた札がついた状態で保存されていた。毎年その季節がくると、祖母と母は過去の経験を踏まえながら、よい梅を求めて街中を歩き回るようであった。「梅は紀州にきまっとるけんねえ」と八百屋のおばさんと話をしているのを聞いたことがある。梅干だけではない、私には関係はなかったが、梅酒も同様に瓶で漬けていたので、その季節二人は大忙しであった。 そして、その数年後は母が一人でそれを継承することになるわけだが、梅を広げて干したりするので、珍しく手伝うこともあった。私としては止めてほしくなかったという記憶がある。それには私なりに理由があった。

 母も億劫になったのだろう、そのうち、「買うたほうが早いんよねえ」と度々説明するようになり、いつしか自然にその年中行事は終了した。それでも良かったが、少し困る。昔は、そのようなイベントが毎月のようにやってきたし、そのイベントの前は、「勉強しんさいや」って言われることはないのだ。 これは、常々その言葉で抑圧された私にとって「自由で快活な動き」が出来る唯一の時間帯だったからだ。

 一方で、目がしょぼしょぼするくらい「すっぱい」 梅干に、子供心に閉口したものだ。「何で食べんのんねえ、食べんさいや」と、きつい口調の言葉が、いまだに耳元に印象深く残っている。いずれ、成長するに従い、梅干の効能やら、手間と時間とお金をかけているという母に洗脳されて、徐々にこの赤い実を受け入れていくようになる。そして、いつしか、「梅干」と言う言葉を耳にしただけで体が反応し、唾液が出るという条件反射を備えるようになってしまった。

 今日は、その大いなる苦痛から開放され、もっとモダンで現代風の、全く「すっぱく」ない梅干を紹介する。日本の家庭では、梅干はどこにでもあるので珍しくもないが、私のように梅干きらいの方にお勧めしたい。この「薄皮の果実」を連想するような梅干は、何の併食がなくても、単品で「美味しい」。 これと同様なものを食べた経験のある方は、そんなことはないだろうが、これを初めてご覧になると「唾液」が溢れてくるかもしれない・・・。 うふふ。
ではこちら。
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%A2%85%E5%B9%B2/%E6%A2%85%E5%B9%B2.pdf

2008/10/18

神田シリーズ7

 宮内庁御用達の「神田の藪蕎麦」へ行くには覚悟が必要である。
 ここも、明るくかん高い声で「いらっしゃい~」と広い店内のどこからともなく、山彦のように何度も声をかけられる。「はいはい、はいはい、と首を縦に振りながら、いつもの席に座るのが常連の作法と言える。ここで迷うようでは一見の証明だ。

 お店はなかなか風情のある店構えで、「夕方には、江戸前の大工の頭領が、仕事帰りに一人で一杯ちびちびとやっている。明日の仕事の段取りを考えながら顔を赤らめ、目もうつろになりがちで、最後にざる底に残った1本1本を、やっとの思いで拾い上げて口にし、いつしか手を上げて支払いを済ませ、ほろ酔い加減のまま帰路につく」。そんな、こだわりの一流職人が通うお店なのだ。また、時折、店の前には黒塗りのベンツが何台も入口を覆う。恐らく天皇陛下(昭和)も今日は同じものを召し上がるのかなあ~と思ったものだ。それも老舗の証明なのかもしれない。なのに、決して敷居は高くなく、価格もわずか(?)に高いぐらいの設定だ。では、覚悟とは、何か、それは蕎麦屋なのに「蕎麦が少し柔らか」なことだ。

 この店は神田を代表する蕎麦処で、暖簾を大切にしたお店である。一流とは、どの料理も一切、手を抜かず、多くの工程を厳密に管理して生まれる、洗練された「変わらぬ味」を維持することでもある。毎日通っても、時々訪れても、何年かに一度しか行かなくても、同じでなければならない。それを、まさに「神田やぶそば」に学ぶわけである。 そして、このことにこそ「蕎麦が少し柔らか」な謎を解く鍵がある。

 えへん、それは、”教えられねえな”。 蕎麦修行を重ねれば、おのずと分かることだ。
 世の中には、自分の経験や論理的考察だけでは、どうにも分からないことが数多く残されている。知っていること、あるいは、経験した事以外はすべて知らないことである。それは、いくら歳を重ねても永遠に続くことなのだ。食べて美味しいと思う客と、美味しいものを提供す職人の間には、そのくらいの大きな隔たりがあることを認識しなければならない。もっとも、それは、蕎麦に限ったことではないが。 どれだけの客がそれを実感しているかどうかは分からないが、とにかく客は多い。

 少し道がそれるが、蕎麦だけなら美味しい店は沢山あるし、多少風情のある店も少なくない。辛口の蕎麦つゆを出す店もいくつかある。「家の近所にも美味しい蕎麦を出す店はある」と思われる人もいらっしゃるに違いない。そのとおりだと思う。あるいは、「セブンイレブンの蕎麦も美味い」と思う若者も多いだろう、私も全く同感である。そのことに異論を挟む余地はない。好きなものは、どの様式や形状でも好きなのだ。少々食感が違っていても満足する。それも、これも、「美味しい蕎麦を知れば知る程」そうなってゆく、蕎麦とはそういうものらしい。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%97%AA%E8%95%8E%E9%BA%A6/%E8%97%AA%E8%95%8E%E9%BA%A6.pdf

2008/10/15

自作料理2

 自分がイメージする目標に近づくことは難しい。しかし、常にそのようなイメージを抱いて生きていくことは、とても大切なことだ。

 理屈も分かっている、手順は明解だ、コツも得ている。しかし、何度やってもうまく出来ない、いや、そうなれない。このようなことは良くあることで、とても苦しみを伴う。そんな時、自分で目の前の机を叩いて、「何でだ!」と自分に渇をいれ、「反省と見直しを迫り、さらに謙虚になるよう」指導する。いわゆる「自己拷問」だ。しかし、それも、歳を重ねると徐々に耐え難いことになってしまう。素直に反省すれば、楽になれるのに、「出来ない理由」を自分以外のものにしようとする。

 普通なら、そこで「自分に足りないものは何か」を探し始めなければならない。もちろん、そう決意出来た人は、努力できるし、その方法もある程度理解している。毎日毎日「それは何か」を模索し、僅かな手がかりも見落とさないよう注意する。人間は、考えてこそ進歩があり、苦しんで成長するのだ。分かったような理屈を言葉にして自己流に固まっていては、進歩がないし、その崇高なイメージに絶対に近づくことはない。謙虚になれたら、人の言うことを素直に聞く。たとえ、それがすべて承知のことでも、聞いてみることには価値がある。

 また、そのイメージの解説者になることも、自分の誤りに気が付く重要なタイミングになる。相手に旨く伝わらないことも、指摘をうけることもあるだろう。自分だけのノウハウだと思っていたことも、時間がたつにつれ、陳腐な妄想だったことに気づくことさえあるのだ。「他人は誰でも優れた知恵を持っている」その知恵を引き出すのも自分の姿勢次第なのだ。

 俺達は、その時々で様々な目標を立案し、完成イメージを抱いて階段を上る。そして、正しい手順を実行することで、頂点を極めることが出来きると信じる。もちろん、その目標の大小にかかわらず、手順やアプローチは同じである筈だ。そして、それは仕事にも大いに役に立つし、人生そのものだと思って差し支えない。

 ・・・・・と、またまた大げさに始めてしまったが、期待通り(?)今日もパスタの紹介だ。ここんとこ、毎日毎日僅かな時間を割いてパスタソースを考えて実験している。1日に2回パスタという日も少なくない。確かにお腹もきつくなった。しかし、あくまで自己流(楽しむとも言う)の練習でしかないのだ。最初は、市販のソースを併用するが、その学習の先には「飽きる」という恐怖がすぐにやってくる。だから、その都度手を変え、品を変えないと続かないに決まっている。そのために、早いうちに「食材の旨み」を体で覚えてしまわなければならない。そして最終的には、季節の安い食材を使って理論値(お湯を沸かす5分+パスタをゆでる7分)12分で作り、5分で食べ、片付け3分(合計20分)を目標にしている。これが達成できたら自作のメリットはあるし、唯一の楽しみにもできる。 今日は、まだ制作に20分もかかってしまった。 また次も頑張るぞ!
 では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C2/%E8%87%AA%E4%BD%9C2.pdf

2008/10/11

有機栽培

  「これは、午前2時30分から4時30分に起きた出来事である」・・・・・先週と今週の2週続けて、ジャックバウアーに付き合った。彼は、24時間ぶっ続けで、睡眠はおろか食事や珈琲さえも取らずに、合衆国のためにテロリストと戦う。何せ、テロリストは5発もの小型核爆弾を持っているわけだから、一瞬たりとも気を抜ける時間はなかったのだ。殆どの時間は、番組シリーズ共通で、彼が現場で悪と戦う姿を、世界最高の衛星ネットワークで支援するCTUスタッフの画面で構成されている。彼は、テロリストに囚われて極限の拷問を受けても、24時間は殺されることはないので安心(先は分からない)だが、自分の家族の裏切り(普通は予測しにくいが、現実には良くある)にあっても、精神的ダメージは最小で、すぐに気を取り直して(意外に早い)に敵に立ち向かう。そして、様々に立ちはだかる目の前の邪悪をブルトーザーのように薙倒し核心に近づこうとするが、我々を次から次へと予想外の新たな課題に巻き込んでゆく。

 ジャックの、上司や大統領さえも動かす行動力は、合衆国のヒーローである事を象徴しているが、他の出演者にも1人1人個性的な性格が割り当てられていて、そこに存在する人格、心情、等が巧妙に絡み合い、急激に展開する大枠ストーリーに加えて、CTUスタッフの摩擦や苦悩を演出することにより現実感を増している。一方、悪役俳優は特別格好よい人が、これまた知的に演じているため、つい、悪役にも心を寄せてしまう人も少なくないだろう。

 よく使われる場面の平列展開による視聴者の退屈排除もさることながら、面白さの指標となる要素を徹底して調査研究した結果が巧妙に仕組まれていて、幅広い層に支持されるようマーケティングされている。 もちろん、さほど背景を考えたり、能書きなんぞなくても、無条件で面白いTVドラマなのだ。

 その番組を合計24時間見たわけだが、我々視聴者も人の子。ジャックとは違い、お腹も空けば、喉も渇く、こんな夜遅く、いや朝早い時間帯には、睡魔も襲ってくる。もちろん、台所でごそごそする時間的余裕もない。目を離せないのだ。そこで、そのような状況下でも即席で美味しい珈琲を紹介しておこう。このような24時間フルタイム活動状況は最近増えている。海外のサッカーの試合を見る時も大いに役に立つ。その珈琲の美味しさとは、世界の珈琲産地であるブラジル、コロンビア、エチオピア、ペルー、メキシコなどで、遺伝子組換え、農薬、合成肥料などを使わない「有機栽培」で育てられている珈琲豆を使用したところにある。今日は、ちまちました写真の組合わせを止めて、フイルムの1発撮りでまとめた。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%9C%89%E6%A9%9F%E6%A0%BD%E5%9F%B9/%E6%9C%89%E6%A9%9F%E6%A0%BD%E5%9F%B9.pdf

2008/10/08

甘味処

 ああ、それって苦手なんだよって言う方もいらっしゃるだろう。若い女性には嫌う人もいる。でも本来大好きなはずだ。そういう抑圧された願望や欲求が歳を重ねることで、ついに弾けてしまった。そんな人に、デパート地下、食品売り場の傍でひっそりと隠れるように、口に出来るお店を紹介しよう。と、どこにでもありそうな話題で始めたが、昨日、今日、始めた甘味処には、そんな歳を重ねた人の居場所なんかあろう筈はない。やはり老舗という、客を外から隠す暖簾が必要なのだ。その代表格とも言うべき、老舗の京都和菓子店「鶴屋吉信」の高島屋進出店である。

 老舗といっても京都の老舗は、さすがに古さが並外れている。ここは、何と創業200年である。京都には、都が出来てから、お店を出しているという老舗も少なくない筈だから、200年と言っても理屈では大したことはないのだが、それが、まさに日本の文化の誇りそのものといえる。人がまともに仕事ができる期間は約40年(年金最低基準期間)だから、その5倍にもなるのである。すると、戦後のお店や会社は、昨日、今日、始めた新参者に他ならない。また、文化のない新参者ほど、お金、お金という。他には何もこだわるものもなく、ただそれしか目的がないのだ。いや、そうなってしまうのかもしれない。

 老舗とは、結果論でもある。職人がこだわりと誇りを持ち、時代が変わろうとも、「昨日と同じ、あるいは、昨日より良きものを作る」精神を継続させてきた結果なのだ。一方、客側も五感をフルに活用して「良きもの」をかぎ分ける能力と探究心が必要で、父、母から美味しいものを食べさせられ、周りにもそのようなものがすぐに手に届く環境があり、少しづつ分かってくるのである。そういう時間を重ねた者だけが、その価値を知ることになる。そこに、文化を感じることが出来るのであって、お金さえ出せば口に出来ると思っている人には、それを感じることは難しい。それでも、「食べて美味しい」だけでは何か足りないものがある、十分な満足感が得られない、そんな何かを求め続けると、この店にたどり着く、そんな和菓子店である。

 もっとも、そんな和菓子修行をしなくても、一口で美味しさのすべてが分かってしまう品物もあるのだ。 今日は、この店の和菓子ではなく、併設の甘味処の一品から紹介する。少々お高いが、それなりの価値のあるものと、そうでないもの(あれ?)がある。それを自然に嗅ぎ分けてこそ文化人だ。決して外してはならない。
こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E9%B6%B4%E5%B1%8B%E5%90%89%E4%BF%A1/%E9%B6%B4%E5%B1%8B%E5%90%89%E4%BF%A1.pdf

2008/10/04

続デジタルカメラ2

 テレビのドラマ映像が最近綺麗になってきた。放送局のインフラの整備も細部まで進んで全体的にハイビジョンに対応してきたようだ。従来のアナログテレビでも十分にそれを満喫できる場合も多い。中でも、驚いているのはフイルムで撮影されたもので、かつて中高年を興奮の坩堝に巻き込んだ「武芸」番組のハイビジョン制作版である。その目を見張る映像美には驚嘆する。それは、かつての映画会社の余りある撮影技術を惜しみなく投入し、更に新たなフレームワークで構成した新作なのだが、テレビ会社が制作した台本をナメルだけのものとの差は歴然としている。1カット、1カットに美学が溢れ、一切の無駄がない。映像に多少なりとも興味を持つ者としては、参考になることが多い。人を感動させる映像美とは何かを知らしめる精神が満載されているのだ。

 少しうがった見方をすれば、「山、川、道、橋、湖、社寺仏閣、人を含めた日本の美はこう撮るんだよ、わかってる?」と見せ付けているのだ。もちろん、そういう映像の中に、あるときは緊張感、またあるときは安堵感を伝えるための雰囲気の違いを出してくる。彼らは、まさに映像のファンタジタである。もちろん、VTRで何度も繰り返し見る価値があり、見るたびに新たな発見もある。

 一方、写真用のカメラを販売しているメーカーは、訳の分からない無機質な構造写真とか、外人女性、知らない海外の風景写真をカタログに載せて威張っているが、それではそのカメラの性能が良いのか、中途半端なのかよく分からない。現実との比較が出来ないからだ。カメラは夢を売る商品で、何度も買い換えてもらわなければならないわけだから、現実にある身近な日本の美を写真にしても、レタッチがばれるとか、がっかりさせるだけだと考えているに違いない。実は、日本人は誰でも生まれながらに比較画像にうるさいのである。だから、メーカーは物理特性の一面しか強調出来なくなってしまったし、後発メーカーは、購買意欲をそそる為に、海外のレンズメーカーのブランドを活用するしか手がないのかもしれない。ただ、フイルムがなくなっていく今後は、家電メーカーの底力でもある部品開発能力、革新的な映像テクノロジー、課題を合理的に解決する発想等が、カメラに惜しみなく投入され、画期的で安価なカメラを生む可能性がある。是非、身近な日本の美を写しこめるカメラに力を注いでもらいたい。
今日はこちら
http://www.nextftp.com/suyama/FX500/FX500.pdf

2008/10/01

自作料理1

 休みの日には、お昼に何を食べようか困ることは多い。大してお腹も空いていないので、まあ、何でも良いと思いがちだ。しかし、その思考構造こそ間違っていて、逆だと言える。お腹が空いていないからこそ、美味しい料理を作るとか、好きなものを作って食べるべきだ。ここは、本来自分の独自性や創造性を活かす時間帯なのだ。自分自身で自分のお昼ぐらいは創作しよう。健康のためにも、お昼はしっかり食べて、夜を少なめにするのが原則だ。

 仕事さえしていれば、優秀な人材と言われた時代は、すでに終わっている。会社では適度に上司に胡麻を擦りながら泳ぎ回る人こそ賢いとか、時々、出来そうもない奇想天外な事をぶち上げておけば、存在価値も出た。しかし、社会環境としては、そんなの許されないし、甘くもない。何でもそれなりにこなす「自立できる男」を必要としている。休みといえば、車やオーディオをいじったり、カメラの空シャッターを切っているようでは情けない。ボーッとテレビを観ていても時間の無駄だし、小説を読むくらいなら、書き手にならないと駄目だ。

 ここは1つ「美味い料理」でも作って、周囲を驚かせてほしい。母さんからは、「お前もやっと一人前になった」と言われるかもしれないし、父さんは、「翌日、会社で息子の料理を自慢する」に違いない。これこそが親孝行なのである。安いものだ。もし、息子と二人なら、きっと尊敬されるに違いない。学校の話をしてくれるかもしれないし、「父さんなら、うちの少年サッカーチームに入れるよ」と勧めてくれだろう。美味いものが簡単に作れるマネージャとそうでない人では、歴然とした付加価値に違いがあるのだ。また、彼女を招待するにしても、「美味い料理」でプレッシャーをかけると、いつもとは違う、心地よい緊張感が生まれるに違いない。

 さらに、簡単に美味い料理を作ることは、頭を鍛えることに繋がる。「適度なプレシャーを乗り越えて喜びを味わうこと」は、大脳にとって、とても有効な行為とされている。そして、大脳の血行促進にも効果がある。会社で血の巡りの悪い、気の利かない人というレッテルを張られないためにも、様々なものへ挑戦しよう。

 そこで、休みは早起きして、お散歩やジョギングの後は、大型スーパーマーケットへ直行し食材を揃えてもらいたい。簡単に作れて、そこそこ美味い、そして手を変え品を変えながらも、適度に標準化して楽しめる、経済効率の良いものを作ろう。
 これをご覧になると、何でこんなに回りくどい話になるのか分からないと言われそうだが。
それはこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C1/%E8%87%AA%E4%BD%9C1.pdf

2008/09/27

続デジタルカメラ1

 ウォーキング時にデジタルカメラを持つ人が多い。秋口になるとなおさらだ。私も負けじ劣らずカメラを持ち歩きたいが、腰が悪いので100gでも身軽にしたいと考えている。そして、心拍数向上のため、無心になって歩くので、たとえ携帯するにせよ、あまり難しい操作のカメラも困るのだ。例のカメラの先輩からは、「カメラは眼鏡の様に、体の一部にならないと駄目だ」と教わってきた。当時は、そんな簡単にそうなれるものでもないだろうと思っていたが、体重が増えた今、その「真の意味」がやっと分かったような気がするのである。確かに軽くないと駄目だと思える。

 3ヶ月ほど前に、時間つぶしにお店を覗き、成り行きで購入した軽いカメラ2台が箱に入ったまま放置してあった。買って安心してそのままになることはよくある。何故か・・・・、カメラは操作に慣れるのに時間がかかるので面倒だからだ。そういう意味では、私の取材に同行してくれる撮影ロボットがほしい。と馬鹿な事を考えているわけだが、涼しくなったので先週あたりから、重点的にこのカメラ2台を触ってみることにした。そこで、2回にわたって順次それぞれの印象を報告したい(次回は来週予定。ちょっと時期外れの感は否めないのだが)。あくまで印象報告であることをお断りしておく。本当はもっと、もっと書きたいが、カメラは道具である以上、使いこなしてこそ価値が出るのでアウトラインに留めた。

 やはり、時間をかけて使うことで、MENUや機能の意味が分かることもある。また、最近のカメラは内部で積極的に画像処理をしているので、その癖をつかみながら、それを避けて撮るのも難しい。したがって、うまく撮れるようになったら、別途それを紹介させてもらおうと思う。 想定している用途は、もちろんウォーキング用のアクセサリとしてだから、いずれも200gを切る軽量・コンパクトで、簡単に写せるカメラということになる。しかし、きっと特別なこと、車に引かれたとか、惨事に出くわしたとか、がない限りシャッターを切ることはないと思う、格好つけているだけで、あくまでもアクセサリーなのである。

 まず、最初に選んだのがコマーシャルで印象に残る「私にもこんなにきれいに写せる」という海老ちゃんのカメラだ。やはり、美女が勧めるのに弱い。困ったことに、自分もそのカメラを買って持っていると、上手に撮れそうな気になってくるからだ。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/F100fd/F100fd.pdf

2008/09/25

味覚と料理人

 人の味覚は様々だと感じることが多い。また、美味いものは世界共通だとも言われる時もある。味覚は、個人差があり、年齢、性、精神的・肉体的条件、出生地域、生活地やその気候風土の影響も受けるらしいので、違いがあることは分かっているが、共通点がある事もごく普通に認識できる。また、料理を食べる側の時は、他人との差を大きく感じることは少なくても、作り手側になるときは急に慎重になるはずだ、そして微妙な差を問題にするとき、自分の味覚に自信がもてなくなることも少なくない。お店の料理をそのような認識を持って食べると、こんなに美味いものが作れるんだと無条件で関心することもある。自分の味覚とシェフの感覚が一致した時といえる。プロだから当たり前だと考えるべきなのか、それとも、いちばん評価を受けた自信のあるものをメニューに出していると言う見方も出来るが、私の顔はおろか、年齢、出生地域、健康状態を知るわけでもないところが不思議だ。と、マジで考えるのであった。

 昔、神田には「客の顔をみてから、飯を炊く寿司屋があった」という話を聞いたことがある。あの、カメラの先輩の話である。いきなり、誰しも「ほんまかいな」と返したくなるような、信じられない話だが、それだけ客の満足を考えて「美味しい」ものを提供しようとする心意気なのかもしれない。現代でも、神田の寿司屋は常連になると、黙って座れば、好きなものをさらっと並べてくれる。過去の個人別データーを参照していて、疲れた客に言葉さえ発せさせない、「あんたの食べたいものくらい百も承知だ」という心構えで、勝負に出てくるのだ。

 一方で、客は客として、客の心意気と言うべきか、役割もあると私は考えている。今日は、これが「美味しかった」と料理人に伝えるべきであるし、「何故、今日は、こんなに美味しいか」尋ねてみる事も、役割の1つだと思う。このような感覚は、なじみにならないと、出来ない事かもしれないが、先日も、つい注文時に「赤座の、これって珍しくて、本当にいつも美味しいんだけどね、私には、ちょっと高いんだ。もっと、何とかならない?」、「そうですね、シェフに話してみます」。こういう、店側にとって困る会話は、ぎりぎりか、行きすぎか、あるいは脅しとも取れるが、関西人だから平気なのだ。でも、出てきた時に「これでどうでしょうか?」と声をかけてくれた。いつもより味は濃くて美味しく感じた。何らかの応答があったのだ。そんな時、デパートの中のお店だから高くても仕方ないと思える。今日は、そんなハンデを背負ったお店を紹介しよう。
それはこちらhttp://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%91.pdf

2008/09/20

オーディオマニア4

 ずいぶん朝夕は涼しくなってきた。2週間連休が続くと、ずいぶん元気も戻ってきたようだ。ウォ-キングする人も増えたし、軽いジョギングをしている人もいる。街には、こんなに人がいたのかと思われるほど、人、人であふれている。喫茶店は、話し込む2人連れでいっぱいになっている。こんなときは、外に出たくないという人も多いだろう。しかし、まとまって自由時間の取れる日も少なくなっているのではないだろうか。気分転換に、ぶらっと秋物でも観にデパートや大型電気店を覗くのも楽しい。

 テレビの音をよい音で鳴らすオーディオ装置が流行している。テレビというより、パッケージのDVDやブルーレイの音を再生するらしい。どのテレビ売り場にも、そのようなオーディオ装置がセットで販売されている。若者から年配者までDVDで映画を観る人たちに、特に人気があるという。ここにある装置は、実にバランスのよい再生音を出す。勿論、低音らしきものも出る。周りの騒音で聴き取りにくいが、かなり出ているようだ。思い出すに、30年前は低音再生に苦労していた。当時の理屈では、小さなキャビネットからは低音は出ないことになっていたので、どこのオーディオマニアも、家族の迷惑も顧みず巨大な低音再生装置を準備していたのだ。76cmウーファー(EV ザ・パトリシアン)という凄まじい装置もあったぐらいだ。

 オーディオでマニアらしさを象徴するのは低音再生だったから、みんな苦労していた。現在では、このテレビの横にあるオーディオ装置で十分いけるし、ゴロゴロと低音も楽しめるはずだ。質が違うとか、まだまだとか、細かい事を考えてはいけない。人には興味を持てる時期と、持てない時期がある。それを逃してはならないのだ。歳を重ねるごとに、なんでも細かいことは面倒になっていくものらしい。オーディオでは、いくら良い音を再生しても耳鳴りがしたり、高域が聴こえなくなったりするし、カメラでは、目が悪くなったり、かすんだり、黒の中のコントラストが視にくくなったり、ろくに趣味を楽しめなくなってしまうという。

 勿論、他人から誹謗中傷されてもどんどん平気になってくるし、冗談まがいで誹謗中傷を平気で発してしまうことも少なくないという。歳を重ねるとは、人が人として大切にしていた理性を削り取っていくという現実もあるのだ。これを劣化するというが、人によって早くから現れることもあると言う。そんな人の発することを、まともに受ける方もおかしい。だから、前回からの続きで言えば、細かいことが気になるナイーブな人には、ぜひ「社内誹謗中傷防衛システム」に必要不可欠な反撃力強化のために、インパクトのある音楽を聴いてほしい。そこで、「ライオン丸臨床試験」で実績のある、間違いなく元気が湧いてくる曲を紹介する。
それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%85%83%E6%B0%97%E7%94%A8CD/%E5%85%83%E6%B0%97%E7%94%A8cd.pdf

2008/09/17

洋食屋

 洋食屋には懐かしい響きがある。昔ながらの手の込んだ舶来の料理に、ソースなるものをかけてフォークとナイフを使っていただく洋食専門の店だ。赤いレンガの外観と文明開化を思わせる、ちょっと上品なテーブルや椅子があれば最高だ。コトコトと煮込んだデミグラ・ソース、ビーフシチュー、時間をかけた料理から、短い時間でささっと調理する熟練技を必要とするのも洋食だ。しかし、洋食屋の看板で生き延びているお店は少ない。今も看板が出ているとしたら、創業は明治という感じの老舗しかない。しかるべきところへ出かければ、あるにはあるが、手軽に美味しいお昼を戴くという状況にはない。どちらかといえば、高価な料理ばかりである。本来ならば、毎日出かけても、メニューの種類が豊富で、飽きの来ないお店が洋食屋の印象といえる。ちょっと小太りのおやじがいて、何でも簡単にすばやく作ってくれ、もっと色々食べたいと思わせる洗練された雰囲気があったのだ。 

 昔なら、休日にデパートや遊園地へ出かけた帰りに家族で寄るのが洋食屋だったはずだ。いつしか、その洋食は広く一般家庭内に入り込んで、その家庭の味として残って脈々と生き続けるはずだった。その代表格がハンバーグといえる。ところが、これら洋食の具材がデパートの地下やマーケットで販売されるようになったり、ファミリーレストランでも安く提供されるようになってからは、珍しくもなくなったし、お母さん方も腕を振るうことも少なくなってしまった。

 洋食屋としての需要は、どんどん減ってゆく。洋食時代のお客が高齢化してしまったこと、手ごろで良いお肉が入手しにくくなってしまったのも洋食屋が減っている理由だと思われる。確かに、お客が少ないのに、良いお肉をあらかじめ大量に用意するのは難しいし、それなりの「価格」で若者に美味しいと思ってもらうのも難しいと思う。外食産業大手は、生産者と直接契約するとか、自社生産で対応して食材は安価に新鮮なものが常に用意できるとしているが、今度は、その場でオーダーを聞いて調理できる本格的料理人が現場にいない。

 そこで、これら2つの要素を実現して、さらに「変えてはいけないものと、変えてもいいものを大胆に見極め、大きく積極的に変える」老舗の思想と新進気鋭の熟練技術を持ってすれば、洋食屋としてまだまだ、魅力のあるメニューを展開できるのではないだろうか。そんな中、今、割と手軽に訪店できて、それなりの価格で美味しい洋食といえば、この店しかないが、それでも、まだまだメニューの数は少なく、結局、客側から観るとビールとハンバーグ屋さんのイメージが強い。関西人の私としては、そこそこ簡単に作れるビーフカツレツを手軽に食べたいが、いかがなものか。
今日は、こちらhttp://www.nextftp.com/suyama/%E6%B4%8B%E9%A3%9F%E5%B1%8B/%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%82%81%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%AB.pdf

2008/09/14

オーディオマニア3

 夏の疲れがそろそろ出はじめる頃になった。なんとなく底力も湧いてこないし、これといって食べたいものもない。そんな時は、お昼寝に限る。それも、朝食が終わってからの、2度寝。これが優雅である。外からは気持ちのよい涼しい風が流れ込んでくるし、テレビからはかすかにニュースが流れて、隣の家の布団をたたく音も聞こえ、外では子供達がなにやら騒がしく走り回っている。「さっき起きたばかりなのに、何でこんなに眠たいのか分からない」 かといって、今日の午前中は特別することもない。でも、せっかく起きれたのに、時間がもったいないなあーと不安にならないわけでもない。

 ところで、睡眠学習法というのが流行した時代がある。人は眠っていても、大脳はしばらくは起きていて、耳からの情報を処理しているというのである。そこで、暗記しなければならない内容を、睡眠中に聞くと勝手に覚えるので、凄く便利とされたが、実際やってみた人の話だと、返って眠れなかったとか、疲れが取れなかったとか、にもかかわらず、一切覚えていないという人も少なくなかったようだ。一方、最近の研究では、睡眠中でも大脳は確かにわずかに起きているが、それは、「記憶を整理するために使われる」という説もある。とすると、例の「責任転嫁攻撃」は、寝ている間に左脳が分析し、要素分類して永久保存領域へ格納されていく。時々、はみ出して収容しきれなかったダメージの大きなものは、夢となって現れることさえあるそうだ。

 少し余談になるが、家にかつて猫がいて、「ライオン丸」と呼んでいた。彼は、喧嘩っ早く自分の縄張りを死守し、しかも、その縄張りを拡大することに夜中専念する攻撃性の強い猫だった。喧嘩で怪我をし2度も大手術をして生死をさ迷ったつわもので、私を困らせたが、その彼は、昼間は、自分の座布団の上で眠っている。しかし、時折、わけも分からずピクピク痙攣を起こして動いたり、耳をアンテナのように動かしたり、「うー」と唸ったりしているのだ。そんな状態が起こると、それなりに心配になるものだ。勿論、触っても起きようとはしない、夜中の喧嘩のストレスが睡眠中も彼を怒らせていたのだ。そこで、撫でたり、側で名前を呼んで話しかけてやると、少し落ち着きを取り戻す。さらに、小音量で音楽をかけてやると、不思議と無防備な姿になり、4つの足を広げたり伸びをしたりして、再び熟睡していくようであった。そして、夕方になると、むむっと起き上がり、そそくさと飯を平らげて、再び勇敢に出かけていくのである。

 そんな状況を鑑みると、我々人間も2度寝するときには右脳をあえて使い、「社内誹謗中傷防衛システム」の強化に取り組んだ方がよいのではないだろうか。いえ、寝ながら喧嘩をしようというのではない。目を閉じているわけだから、画像や絵画は観れない。つまり、お昼寝しながら小音量で音楽を聴き流すのだ。いつの間にか曲が終わり、静かになったところで目を覚ます。きっと元気を取り戻すに違いない。忘れていた食欲も湧くだろう。そして夜には、めかしこんで出かけるかもしれない。今日は、そんな「ライオン丸熟睡実験」で高い成果を収めてきた代表的な曲を幾つか挙げてみた。
それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/2%E5%BA%A6%E5%AF%9DCD/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E7%94%A8cd.pdf

2008/09/11

インドカレー

 ある日、ウォーキングの途中で、クルターを着たインドの人が私の前に手を伸ばしてきて、「おね、がいします」といいながら、お店のパンフレットを渡された。妙に人懐っこい顔で、微笑みかけている。インドの人は昔から「フレンドリー」なんだよなと思いながら、私も外人嫌いの日本のおっさんらしく「OK,OK!」と調子よく受け取った。新しいインドカレー屋さんのようで、稲田堤と中ノ島に出店したらしい。それには、ARIYANA(ARIYANNA)って書いてあり、意味の分からないまま、早速、物は試しということで、店に直行してみた。店内は予想通り、絵にかいたようにインド風で装飾されている。開店間もないというのに、意外にもメニューには多くの種類の料理が掲載されていた。その中に珍しく、ビーフカレーを見つけたので、それならいけそうだということで、再び「ビーフカレーOK?」ということでそれに決めた。テーブルに並ぶまでに約15分程度かかった。

 色はどう見てもカレーである。しかし、口には馴染みのない味が飛び込んできた。少々甘い感じ。あれって思いながら再び口にする。辛味に勢いもなく、肉の質もよくなかった。こういう料理だといわれると、そうなのかもしれないが、本当にそうかなー。さらに、途中でやめたいぐらいの気持ちになったが、やっとの思いで食べた。何度も確認するようにカレーだけ口に運んだが、やはり、自分の持ち合わせた認識と大きく異なるものだった。そこで、しばらく迷ったが、自分の認識にも問題があるのではないかと思えてきた。それは、周りの席では、妙な顔1つせず食べているお客が多かったからだ。そういう時って、本当に困るんだなー。自分としては、「秋葉原ベンガル」のカレーに慣れてしまっていたし、「九段下アジャンタ」のカレーからは遠ざかっている。勿論、インドでは、地域によって食材や味付けが異なるらしい。その場では判断もつかず、それとなく消沈してしまったのだ。

 心の中で、「ごめん、もう来れないわ」とつぶやきながらも、再び日本のおっさんらしく「ニコニコ」しながら、お勘定を済ませて外に出た。こういうときは、「パール判事に感謝の気持ち」を思い出すしかないと考えた。 

 この事がきっかけになり、おまけにカレー粉末を紹介したばかりだったので、再びあのアジャンタへ行ってみる必要性を感じたのだった。
 それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF.pdf

2008/09/08

オーディオマニア2

 人には、コンピュータでいうところの数値演算、インストラクションの実行を得意とする左脳と、画像処理などを専門にして瞬時に大量のデーターを都合よく処理する右脳がある。図形認識、音楽鑑賞など全体をすばやく把握できて楽しめる人は、右脳が優れている人が多いと言われている。一般的には、言葉を聴いて分析したり、思考したり、更に言葉を創造するのは、左脳の作業だと言われており、ほとんどのサラリーマンは左脳を酷使する。細かい数字を電卓でたたき今月の売り上げが足りない言い訳をするとか、あるいは、売れそうもない商品企画をプレゼンする人も、みんな、左脳ばかり酷使してやや加熱状態にある。頭を冷やせとはこのようなときに使われる。さらに、その売れそうもない商品企画で作り出した製品が、後々の売り上げ不足を引き起こすので、生産から販売まで、ほぼ、全員が左脳にダメージを受けている。

   そのような状況では、いずれ、その責任転嫁攻撃も始まる。向けられた批判的な言葉は、左脳内部で割り込みを発生させ、どうにも内部に居座り、それが障害となって何時までも処理が進まず、ついにハングしてしまうこともあるらしい。このようなケースが急増している。また、その病を持っていると、具体性はなくても同じような状況が想定できる場合、左脳は予測処理を実行してしまい、再びハングをしてしまう。困ったことだ。ならば、そのような状況下では、遊んでいる右脳に一部の処理を任せられる仕組みがあれば、左脳と右脳の両者が協調して負荷に強いシステムとなるのではないだろうか。 

   そのための右脳発達トレーニングは何がよいか、あるいは左脳と右脳の両者の協調動作する制御システムの考え方など、多くの医者や脳科学者が研究している。そこで、幾つか代表的なものを挙げてみた。1.ウオーキングや山登り、などの無心になれる運動をする。2.音楽を聴いたり、優れた絵画、映画などを楽しみ、情緒を深める。3.動物的な戦闘能力を高める事を心がける。4.人生観を明確にし、最終目標を鮮明にビジュアル的に描いてみる。などが挙げられている。1と2は、一般的に広く知られていることだが、3の、競争力、攻撃力は、右肩下がりになった会社では、既にその習慣が風化しており、呼び戻すのは難しい。4については、転職後のプランを明確にするようなもので、これは、売れる商品を企画するより難しい。 

 ということで、涼しくなったら1と2を心がけて、色々試してみる必要がある。今後は更に激化するであろう責任転嫁攻撃に対し、「社内耐誹謗中傷防衛システム」を強化しておいて欲しい。そのために、平素から、このような音楽を聴いてみたらどうだろうということで、1から4までの関連する要素を含んだ、幾つか音楽CDを紹介してみたい。段階に応じて聴く音楽も変えて、徐々に堅牢でバランスの良い頭脳制御を試みよう。

それは、まずこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88CD.pdf

2008/09/03

神田シリーズ6

人にはそれぞれ苦い経験をした場所や心機一転した場所がある。

 この店に連れてこられたのは、入社して1週間ぐらい経過してからである。そこは、神田「志乃多寿司」の斜め前にあったと記憶している。大先輩に連れられてドアを開いた瞬間、異様な光景を目にすることになる。だだっ広く四角の暗い空間に、横向きに並んだ椅子に客がずらりと座り、対向面にも同じように客が並んで座っている。その対向距離はおおよそ5mぐらいあったと思う。横に隣同士で座っておしゃべりをする事を想定した配置だ。奥ではコーヒーを入れるための大きなやかんが沸々と蒸気を上げている。その100%の湿気の中で、葉巻の薫りやパイプの煙で、むせ返る様な空気のよどみだった。美女こそいないが、そこはまるで都会の喧騒から逃れた初老の紳士が、隠れて大麻を吸い、快楽の局地を味わっているかのような、異様さが漂う場所だった。BGMには、ちょっと大き目のエンクロージャとバスレフポートからでる豊かな低音で、きらきら煌きのようなショパンを響かせている。その不釣合いにやや興奮した。もちろん飛び切り濃い、体に毒と思わせるコーヒーが出されて来た。

 入社まもない、右も左もわからないときに、「どうだい」といわれても、そこには、「はい・・・・」という言葉しか浮かばなかった。 

 そのうち、大先輩は「仕事に、どう取組むのか」の自己啓発を私に迫った。王道は今の自分にはまだ無理だし、定石は勿論ない。理念の中から具体化されたものを要求しているようだった。その中に納得できるものがあれば、何をも犠牲にすることを厭わないほどの積極性を感じた。他人には、禅問答のように極度に抽象化された言葉に聞こえたかもしれない。その会話を進めるうちに、大先輩の「底知れぬ程、考え抜かれた理屈」に、この仕事は、自分には向いていないのではと感じていた。

 その後、気を取り直し、膨大なバックナンバーを少しづつ読みあさることになる。読めば読むほど、その難解な文脈が立ちはだかり、大いなる基礎知識不足を痛感し、知れば知るほど自分の無知が恐ろしくなるものだ。認識不足に耳たぶが赤くなるようなこともしばしばだった。いつしか挫折というか、開き直るしかないことを悟ることになる。そして、それからは、そのバックナンバーを引き合いに出しながら、それを基本的な理論武装とし、わかり易い単純なポリシーを振りかざし、徐々に能書きタレマン、非理屈こきマンになって行った。

 そんな笑い話のようなことでも、まじめに1つ1つ自分をごまかさずに実行していた年齢を懐かしく思うことがある。そのきっかけになったのがこの場所だ。仕事は生き方でもある。仕事を理解しているだけでは、実践力は生まれないし、理屈だけでは、成果は出ない。とことん、経験して大脳に「深いしわ」を増やさなければならない。しかし、その深いしわは、時の流れの中であるとき陳腐化する。だからそのために、幾つになっても、新旧の「時代を素早く読む」能力が必要だ。まず、それを「最初に磨け」と、大先輩は言いたかったのだと、いつしか気がついたのである。

そこはこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3.pdf

2008/08/31

オーディオマニア1

 秋の夜長を、音楽に浸るオーディオマニアも相変わらず少なくないという。1度ハマるとこれも写真と同様、なかなか抜け出せない世界である。とはいっても、今なおHi-Fiを追求しているわけでもなく、時たま火を入れる程度に、相変わらず古いCDをかけて満足するのが現状かもしれない。便利なことに、音楽は溜め聴きが成り立つので、1度聞いたらしばらくは聞かなくても頭に残っている。牛の胃のように、時たま大脳から呼び出し、メロディーを口ずさんで満足することもある。 先日も、電車を待っているとホームの上で 「ホルストの惑星(木星)」 を口ずさんでいる若者がいた。鼻歌というより、壮大な感じを自らが力を込めて唸っているようにも聴こえてきた。無理もない、それは、テレビで4社CMに使われているからだ。しかし、残念ながらその4社の名前をあげることは出来ないだろうが、頭にはメロディーが残っていて、いつでも呼び出せるのだ。

 一方、テレビの番組では、昭和の歌謡曲を扱うケースが多い。これは、昔の流行歌を聴いて、楽しかったことや、苦しかったことを一緒に連れて呼び出すのに効果がある。司会者の導入ナレーションなどによって、それに関連する連鎖記憶を一挙に呼び出し、懐かしい想いに浸るのだ。時折、涙腺が緩んだままの人は、涙を伴う、でも涙を流した後にすっきり爽快感を味わうことも出来ると言われている。

 また、古い馴染みのあるヒット曲を、別の人が独自のアレンジでカバーし、再びヒットするというケースもある。歌唱力の差、声質、アレンジの妙味など、それらを駆使して大脳を刺激し、既に存在しているマーケットを喚起する。その手口によって既に累計300万枚売れたCDがあるという。そこで、今回そのCDを紹介しようと思う。ちょっと、オーディオマニアから離れた話題になってしまったが、BGMや気分転換、オーディオ装置のチェックにどうだろう。このCDの場合、人の声がウーファーにかぶらないか、パルシブな重低音は再現できているか、中音と高音のユニットのクロスオーバーがずれていないか等、チェックしてほしい。もちろん、趣味に合わない人は、レコード屋さんへ行って別のジャンルから選んでほしい。あくまでも、これはオーディオマニアへの刺激剤として受け取ってほしいのだ。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/VOCALIST/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E.pdf

2008/08/29

コーヒー

 この惑星には、コーヒー好きが多い。はるか、「昔アラブの偉いお坊さんが教えた」とも、聞いたことがある。そのお坊さんは、きっと「違いの分かる男」だったのだろう。ならば、京都には、たくさんのお寺があり、ここには、「違いの分かる住職」が多いのではないかと推察できる。また、屁理屈を!と思われるかもしれないが、実はそうらしい。ほとんどの住職の朝食は、な、な、なんとコーヒーとパンだと言う。住職とは、あらゆる面で最高のサービス業でなければならない。本職だけではなく、幅広い知識と教養を備え、法要の後の講和や、相談事などにも生かされる。人としての生き方や道徳感を、巧みな論理で説得する技術は比類がない。そのために、経文や古書を紐とき、毎日の修行で感性を極限まで高め、生と死の狭間を極めるのである。経験のないことを、あたかも見てきたかのように説明できるのは、その成果といえる。庶民は歳を重ねると、殺伐とした世間に落胆し、霊験新たかな世界を渇望する。その期待に応えていくのも住職の仕事なのだ。そのような、「苦しみ、悩み、迷い」の多い仕事には、考える時間はとても重要だ。そして、コーヒーはそれに必要不可欠な大脳刺激剤だったのである。右隣も寺、左隣も寺、と寺が密集した町では、このマーケットは大きい。京都にコーヒー店の老舗が多い理由も納得できよう。

 ということで、今日はこちら。濃くて美味しいコーヒーを楽しみながら、ゆったりとした時間と空間の中で、仕事をよく整理してみるのも良いのではないだろうか。
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%80%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%80%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC.pdf

2008/08/24

ハンバーグ

 一本道を歩いていたら、思ってもみないところに足を取られて、次々とつまづいて、ついに、ひっくり返ってしまったような、何か不甲斐なさに落ち込んでいる人も少なくないだろう。だから警告したじゃないか、JAPANの前に個人の名前をつけるのは「不吉」だって。

 それにしても、女子サッカーは楽しませてもらった。エースコックのようなパワフルなお姉さん連中を翻弄させる、正確なパス回しやサイド攻撃、気持ちよさそうにゲームを進める「なでしこJAPAN」は、すこぶる好感の持てるチームだ。チーム全員の軽快さが画面を通して伝わってくる。いつの間に、こんなに上手になったのだろう、いや、下手な男子を応援しすぎていたせいかもしれない。ゴールが決まるとつい、画面に向かって力を込めて拍手してしまった人も少なくないと思う。体格、体重や身長の劣るチームが、歴史あるハンバーグ・チームに堂々と互角のゲームを展開した時間である。熱意のある選手を多く抱えた監督は、ゲーム中、自分のチームに口出しすらできなかったようにも映る、テレビは、その一部始終を余すことなく伝えてきた。「なでしこJAPAN」は、自分達の能力を自らの足で証明したのだ。メンバーはベスト4入りをもっと誇りにすべきだ。そして、次もぜひ頑張ってほしい。 こんどこそメダルを賭けて。

 一方の、男子サッカーは「2チームとも監督が悪い」と、駅前の八百屋のおっさん、京王線の中の青色の若者達、街中の歯科医の先生、はたまた近所のサッカー少年のお母さん方まで話している。無理もない、能力のない者がやれる仕事ではないからだ。サッカーはフィールドの中で、考えながら動いて、実力がつくものだし、チームで相手を崩すスポーツだ。まず、かつて、それが出来なかった者に監督をやる資格はない。また、ゲーム中の監督の仕事は少ないにもかかわらず、その僅かな仕事をまともにやれない者は、チームの邪魔をしているのと同じで、本来なら監督を最初から辞退すべきだ。ゲーム終了後、「完敗だった、選手が一番分かっていると思う」とか「申し訳ない」としか言えないのでは、選手は、そんな監督に選ばれるた事を「恥だ」と思ったほうが良い。能力のない監督に選ばれても、自分に能力がないことを証明するだけに終わってしまうからだ。

 サッカー少年のお母さん方は、将来の息子の事を、そこまで心配しているのだ。「あんた、どうよ!監督はもっと優秀じゃなきゃ」「監督こそオーバーエイジよね~」「顔が駄目よね!悪いわよ」 「あの、前のオシまれた人・・・・ええとお~」「前の監督、良かったわよね」 と言った具合だ。さすが、やはり母は「恐るべし、鋭い見通し」である。息子のためにハンバーグの食材を買いに来た、お母さん方の会話を、うなずきながら、なるほど、はっきり言うなあ・・・・と聞くしかなかったのである。
 ということで、そんな色々心配かけた母さんを思い出すために、今日はハンバーグのお店を紹介しよう。 それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%8F/%E5%8D%83%E7%9F%B3.pdf

2008/08/21

カレー粉末

 日本にも「うこん」という食材がある。インドが原産で高温多湿環境下の、熱帯・亜熱帯に分布するショウガ科の多年草植物で、根茎を加工したものである。女性には、「美人になる食材」といわれ、お酒飲みには、「二日酔いに効果ある」とか、テレビでもCMが流れている。また、まこんぶと混合した「我神散」という胃腸薬(粉末)にも長い間使われている。随分健康的で愛想の良い食材植物と言えよう。しかし、それをお湯で薄めて飲もうとしても、刺激性があり、苦くて吐きそうになるが、体によいと言われると、何とか我慢できる程度の代物である。

   しかし、これがカレーに使われると俄然威力を発揮する。日本のカレーは英国式のシチュー風ボテボテ・カレーでウコンの占める割合は極端に少ないので分かりにくいが、サラサラのインド式カレーでは、うこんはターメリックと呼はれ、その他のスパイスと共に大量に使われて、その効能は配合比率によって家族の健康管理にも応用されると言われている。

   世界中に排出されているインドの優秀な人材は、みんなそのような環境で育っている筈だ。最近は、その効能を売りにしたインド人経営のカレー店も増えている。その様なお店では、日本での店舗代、光熱費、人件費、肉類の価格などによって、いくらスパイスが容易に入手できたとしても、優れた品質の安価なカレーは提供されにくい。一方、カレースパイスは、デパートでも多くの種類が販売されているが、揃えると案外高価になる。また、専門的な知識を持ってすれば、それらスパイスは漢方薬屋ですべて入手可能だが、ブレンドなどが難しいとされている。

 と言うこともあり、今日は「カレー粉末」を紹介しよう。カレーは最も単純なメニューでもあり、普段の製作には、英国式カレールーを使うことも少なくない。しかし、このカレー粉末を使って、体に優しくスパイシーで油成分の少ない、カロリー低めのカレーを楽しんでもらいたい。もちろん、英国式カレールーとの併用で食べやすく仕上げるのも良い。材料には、ジャガイモに変えて大根とか、さっぱりセロリなどを組み合わせてみると面白い。牛肉、シーフード等食材の選択は自由。いずれも、スパイスが薫り高く楽しめる。 特に、最近の研究で、中高年にはうってつけの食材になった。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB.pdf

2008/08/16

神田シリーズ5

 テレビの解説者が「ちょっと今の判定はおかしいですねー」とか「あのタックルは怪我をさせますね、まずいですよ」などと言っているにもかかわらず、審判は注意もせず絶対的な権威を持って平然と裁いている。審判の判定品質がゲームの品格を決定付けると言っても過言ではない。

 1:1でも、複数対複数でも勝ち負けを決定するスポーツは、そのくらい審判の役割は大きい。参加チームの世界ランキングがあるならば、審判自体の「評価システム」を公表すべきだし、「世界ランキング」を付けるべきだ。現在は様々な角度からテレビカメラがゲーム進行を追いかけている。審判の「誤審や見落とし」をいくらでも検証できる。また、数名の審判で行うとしても、それぞれの審判の責任を明確化すべきだ・・・・と日本人は審判にとても厳しい。

 それは、日本の選手は「正々堂々と戦う」ことに美学を持っているし、日本古来の審判は、自ら責任を取る究極の姿「腹を切る」と言う概念を持ち合わせていたからだ(勿論今はない)。つまり、審判は 「もし間違った判定をした場合は、腹を切ってお詫びをする」 その覚悟をもって審判は「判定に責任」を持っていたし、その覚悟のある審判の下でなら、選手も「命がけの勝負」が出来るという、極めて明確な論理だ。

 日本の国技でもある大相撲は、審判=立行司はそのために「短刀」をいつもさしているし、判定に文句を付ける「物言い」という立場の人もいる。正に高い次元でガラス張りの「勝敗追求システム」が機能しているのだ。

 ということで、今日は予想外の話になったと思うけれど、その「大相撲の名立行司」として歴史にその名を残す、「第二十二代 木村庄之助」にあやかった「軍配扇形最中」の紹介である。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%BA%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9/%E5%BA%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9.pdf

2008/08/14

神田シリーズ4

 老舗が老舗として誇りを持っているのは、やはり一流として認められたという事実があることに他なりません。その分かり易い例として、「宮内庁御用達」に拝命されたと言う事実もその1つではないでしょうか。

 古くから良い品をそろえ、地道に商いを行い、さほど高くもなく、いつも品質が優れている。それでいて庶民から最も愛されてきた。という実績がその結果に結びつくのです。産地はどこだとか、どのような作り方をしているとか、それは確かに要素の1つではあっても、絶対的な基準とはいえません。現代風に言えば、それはまさにオブジェクト指向。結果的に品質が高いレベルで安定していればよいのです。しかし、そのこと自体が逆に難しいものもあります。むしろそのために、作り方も同じで、産地も同じでなければならない、また、誰が作ったかを問題にするケース、天候条件など様々な要素が考えられるのです。

 そのような、細かい神経を使う商いを支える実力が、さらに、「宮内庁御用達」の権威を向上させる原動力にもなっています。そのようなお店は、我々一般人が試しても、やはり水準が高いと思わせる何かがあります。

 それでは、その「宮内庁御用達」で、お気に入りの店を紹介します。神田で食事をしたら、最後はこちらで締めてください。私が勧めるのも変ですが、もちろん、気に入っていただければ、こちらに直行でも構いません。どちらかと言えば、女性にお勧めです。とても、美味しい一流果物店です。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E4%B8%87%E6%83%A3/%E4%B8%87%E6%83%A3.pdf

2008/08/09

神田シリーズ3

 江戸前とは、江戸の前の湾で取れる海産物を使った加工食品に使われてきたが、海外から多くの海産物が輸入されるようになった現在では、材料はともかく、加工または調理の仕方に残されている。関東と関西では加工工程の異なる鰻には特別に区別して使われる。一方、寿司の江戸前とは大阪押し寿司の「発展型」であるとされている。

 「神田の生まれだってねぇ、おぅ、食いねぇ、寿司食いねえ ... 」「おぅ、神田の生まれよぅ」 「そうだってねぇ、おぅ、寿司くいねぇ。」・・・ これは、江戸の話のような扱いをされているが大阪での話(押し寿司を勧められている)である。ここで、着目すべき点は、次郎長一家の石松の性格である。おだてに乗りやすく、人情味溢れ、喧嘩っぱやく、せっかちであること。・・・・これが「神田の生まれ」の特徴である。だから、押してしばらく放置する大阪押し寿司は、神田っ子のせっかちな性分には、合わなかったのではないだろうか。

   寿司飯に刺身をのせて、一口大にしてすぐに食べられる、これがよかったのである。せめて、刺身に、あらかじめ下味をつけることが、江戸前になった所以ではないだろうか。その典型が「づけ」として江戸前の特徴として残る。したがって、しっかり、下味の付いた江戸前寿司に醤油をつけるなんてことは、本来、「本筋」から外れることなのだ。 せっかち者に食べさせる江戸前寿司はファーストフードである。ぶらっと寿司屋に入り、片っ端から好きなものだけ注文し、食べ終わったら、そそくさと仕事に戻る、そんな、忙しい商売人の食べ物なのである。

 今日は、もっと「せっかち」で忙しい、食べながら仕事をするあなたのための一品を紹介しよう。大阪押し寿司の流れを継承し、もちろん、丁寧な職人の仕事が冴える「江戸前の味付け」だ。弁当にもなる。美味いよー。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%BF%97%E4%B9%83%E5%A4%9A%E5%AF%BF%E5%8F%B8/%E5%BF%97%E4%B9%83%E5%A4%9A%E5%AF%BF%E5%8F%B8.pdf

2008/08/05

夏の水分補給

 父は夏場に脳梗塞で倒れました。元々、トイレが近くなるからといって大量の水分を摂取することに消極的で、さらに、「水分不足を補う」ような知識もありませんでした。しかも頑固、「暑い夏は精神力で乗り切る」そんなタイプだったのです。医師からこの病気の「主たる原因=水分不足」を後から聞かされ、悔しい思いをしました。

 だから、ご両親に同じような心配のある方、是非この夏場からでも、早速何か行動を起こしてほしいのです。ただ単に「水分を大量に摂取しろ」と伝えても、きっと、「分かった分かった」で終わってしまいます。それよりも「お前は元気か、仕事はどうだ?」などと余計な心配をさせてしまうのが落ちです。また、「あいつ、水を飲め、水を飲めって言ってたぞ!そんな、水ばっかり飲めないよな母さん」なんて会話で終わってしまいます。

 そこで、お盆には必ず帰省し、実践的な手本を見せる必要があるのです。ちゃんと説明をしながら、自分が飲んで見せるのです。同時に、「どのようなものを、なぜ、飲まなければならないか」をとくとくと説明するのです。「そのために帰ってきたんだ!」と強調も必要です。その熱意は、きっと伝わる筈です。そして、出掛ける前に必ず「母さんあれ・・」って習慣になれば完璧です。ほんの些細なことで、体の一部分が動かせなくなったら、様々な苦労があります。
 
  父の場合も、一般的な場合と同じで、食道と気管を自動で切り替える神経をやられてしまったのです。これが、どういうことになるか、少し考えるだけでお分かりだと思います。ちょっと、周りの人達が気をつけるだけで予防できるものは、出来る限り対処してあげてください。 もちろん、水分を摂る暇もないくらい忙しいあなたにも必要です。

 水分補給のために、手っ取りばやいのはこちら。最近水溶性粉末も出て、さらに使いやすくなりました。
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF.pdf

2008/08/02

神田シリーズ2

 先代あるいは先々代の仕事に似せて仕事をすることを「仕事を似せる=仕似せ」という。暖簾(のれん)とは、冬場、隙間風が客にあたらないように目張りをして客を守ったことから「暖かい簾=暖簾」と書く。代々続く仕事の品質を継承し、客を大切にする店が「老舗」なのである。この現代で、難しいとされる仕事を継承していくためにはどうすればよいのか、難しくても「変えてはいけないものと、変えてもいいものとを、現在の価値観で冷静に見極める」ことが重要だ。たとえば、職人が作ったものと、同じものが協力会社で可能ならば、そのほうが良いかもしれない。しかし、協力会社が手抜きをした場合、自分で作り直せる技術は確保しておかなければならない。職人が駄目といえば、すべてが駄目なのだ。そんな時、「暖簾に傷がつく」という判断がなされる。結果的に、お客が僅かでも不快に思うことは許されない。職人も「うちの客は僅かな味の違いも見逃さない」という誇りを持っている。それは、過去ずっと優れた品質を継承してきた(客を満足させてきた)証でもあるのだ。

 最近は、「優れた食材を使っている=美味しい」 筈だという他力本願型の店も少なくない。店として「料理人の、考えや仕事へのこだわり、その裏付けとなる技術」の優位性を感じられないことはとても残念だ。だから「仕事を偽って=仕偽」というケースが出てくるのかもしれない。このような「すり替え」は、身近な様々な分野の商品でもありうる。それは、何をどう変えるか「現在の価値観で冷静に見極める」ことができなかった悲しい現実といえよう。そしてそれは、勿論、我々消費者にも責任がある。

 また、老舗を訪れるとき、過度に「味」に期待をするケースが多いが、お勘定をしてから、何気なく 「また来よう」 と思ったら、それは、もう十分老舗を味わっていたことになる。その何気なく見たもの、感じたものは、いずれ、「この店でないと駄目だ」に成長するはずである。 老舗で、味わうこと、感じること、そして、それを分析することは、本質を見抜く感覚を磨くことに繋がるのだ。

 と、自分で書いていても、能書き「たれ」マンを感じる。えっ 「たれ?」、そう、今日はタレを使った蕎麦のお店。本当は「タレではなくて、蕎麦つゆ」と言うが、どうにもタレのイメージが強い。

それはこちら、 (おっと、忘れないうちに付記しておこう。「神田まつや」では、お勘定をするのに奥に座っている女将の傍へ行き、自分が食べたものを申請して支払うことになっている。伝票はない。 )
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84.pdf

2008/07/30

敗戦と戦争論

 8月になると、如何に戦争が悲惨であったか、周辺諸国に残虐なことをしたか、など見るに苦しい番組が制作され放送されている。今年もこの季節がやってくる。見なければよいと言う考え方もあるが、戦争に関する我々一般人の圧倒的な知識不足は、時として、一方的な理屈で押し切られ、教科書問題にまで発展する。それは、明らかに後世に責任転嫁しようとしていることだ。戦争が悲惨なことぐらい誰でもわかっている筈なのに、なぜ、そこまで先送りにするのか、そのような番組制作は安易で無責任すぎると言える。

 戦争体験者は口を閉じ、真実を語ろうとはしない。不本意に徴兵させられた人たちが、当時、地獄の苦しみを味わって生き残り、不条理な葛藤の中でやっとの思いで、今、静かに生きているのに、時として犯罪人のように登場させられる。取材する対象が、このような犠牲者ばかりではいけない。戦争を始めた両政府、そして、それを「助長していった両国の新聞社」、その彼らに取材して更に本質に迫る番組制作せずして、何の報道なのだろうか。そういう取材は、ある意味で難度の高いことは理解できるが、たとえ陳腐な内容になったとしても、こちらのほうが姿勢として大きく前進である。我々は、あの戦争に至る経緯を詳細に把握し、様々な角度で検証し、決着をつけ責任を明確にオーソライズする権利を持つ(敗者に権利はないが・・)。

 また、その時、政府への取材記者は何を考え、デスクはどう判断し、社の体制にどう組込まれていったのか。それを取材することで、自分達がこれから先、世界に対して、どのような報道を行うべきか良い教訓になる筈だ。 いつも際どい取材をすることで、緊張感と責任感の中で目標意識を高く持ってほしい。その姿勢こそが政府への監視になる筈だし、我々はそのような番組を決して疎かにしないし、忘れもしない。

 今年は、帽子をテーマにしたドラマ番組もあると聞いた。私の故郷の話であることはありがたいが、本来やるべき8月の番組制作の本道から逃げるべきではない 。今なら、竹島問題を徹底取材すべきではないだろうか。そして、繰り返しになるが毎年毎年、「不本意に犠牲になった人」に反省を求め、涙を誘うだけの番組制作は止めるべきである。何の反省にもならないし、本質から乖離する、それは、「みんな一緒に犠牲になったから、仕方がなかった」・・・とも聞こえてしまうのだ。

 ・・・と、偉そうな事を言えた立場ではないが、戦争に興味をお持ちの方に、お勧めの本がある。きっと、色々な側面から考えさせられる筈だ。もちろん、凄く読みやすく、短時間で戦争を考えるいい素材を提供してくれる。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%963%E5%86%8A.pdf

2008/07/23

ファーストフード

 幼少の頃に母から与えられ口にしたものは、今でも無条件で「美味しい」と思うように、大脳は設計されている。それは、口にするものは如何に信頼関係を要求するかという証ともいえる。

 中学時代は高松に住んでいた。サッカーの練習が終わると、お腹もペコペコだ。今で言うファーストフードは「うどん」だった。黙って座ると「今日は何にする?」 と、おばちゃんは水を持って聞きにくる。「きつね」、「天ぷら」、・・・・チームメンバーのオーダーは様々だけど、必要なこと意外はしゃべらない。それほど疲れている。さほどメモも取らないで、さっさと奥に消えていく。2~3分もすると、次から次へとテーブルに並んだ「うどん」はオーダー通りだ。あちこちでズルズル音がし始め、あっという間に平らげる。誰ともなく、どんぶりを重ねて奥へ持っていく。外では後輩がへたり込んでいる。「終わったぞ」と声をかけると、残りのメンバーがけだるそうに無言で入る。おばちゃんは陸上部の同級のお母さんである。我々を息子の友達だと思っているようで、サッカー部であろうがバレー部であろうが、運動部なら全員の顔と名前を知っていた。その気持ちは、「より美味しいうどん作り」に傾けられていたようだ。

 前の日からしっかり仕込んだうどんは、コシが違う。熱湯を長時間くぐらないうどんは、喉ごしが楽しめる。うどんとはどういうものか、高松で知った。このスピーディーで消化吸収の良いファーストフードは最近東京のあちこちに進出してきているが、似ているのは、うどんの上にのせる具が選択できるところぐらい(そんなことはどうでも良いことだ!)で、麺本来の「美味さ」と「喉ごし」は再現されていない。「讃岐うどん」という看板だけで客を呼ぶスタイルにやや寂しい思いをするのは、私だけではないはずだ。
今日はこちらです。
http://www.nextftp.com/suyama/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E4%B8%80/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E4%B8%80.pdf

2008/07/22

神田シリーズ1

 どうしても、「食意地(くいじ)」の張った私は、食べ物の話題にみなさんをどんどん引き込もうとしています。良くない良くないと戒めながらも、安易な方向へ寄っていくのです。出版社に勤務していた10年間で神田、秋葉原、神保町あたりでお昼を食べていたという背景もあるのでしょうが、先輩が良くなかった。いえ、よかったです。仕事は勿論こだわっていたのですが、スタッフで取り組む以上、案外マニアックなことは外れていきます。

  しかも、作り手側ですから、広く読んでもらわないといけないし、入門風のこともやんないといけません。しかし、「カメラと食いもの」は、毎日のように含蓄の嵐でした。カメラは我々にとって仕事の道具ですから要求は厳しいものがありましたが、食いものはまさに、評論家でいられるのです。のびのびと、「ああでもない、こうでもないと」好き勝手なことを言い合い、どんどんエスカレートしていきます。その影響が現在も魂のどこかに色濃く残っており、ついつい出てしまうのだと思います。それでも、想像もされないでしょうが、私なりに気を使って載せているのです。

  人様に紹介するのに、「ただ美味しい」ではつまらないし、半完成の原材料を購入して調理したら、どのくらい費用がかかるものか、とかをデパートで調べたり、大型マーケットで価格を聞いてみたり、バックグラウンドの取材にも時間を割いています。そして、料理人の仕事の価値をどのような形で評価するか、と言うところに重点を置いています。味には好みもあり、様々な価値観もあると思います。しかし、「失敗だったとだけは、絶対に言わせない」自信はあります。少々絶対額が高いお店でも、それなりの価値を見出すことができれば、その洗練された仕事ぶりが、御自分の仕事にも参考になるはずです。特に、老舗と言われるお店が何故長年継続できるのか、その仕組みや心意気を評価してほしいのです。そういう意味で、「試してほしい」と付記しています。

・・・・と、いつも能書きと、前置きが長いのですが、「神田シリーズ」と称して、時々「神田」の名店を紹介することにしました。
今日は季節柄こちらです。
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%81%8D%E3%81%8F%E3%81%8B%E3%82%8F/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%8D%E3%81%8F%E3%81%8B%E3%82%8F.pdf

2008/07/15

定食

 ええ?定食?なんやー、と言われるかもしれません。心のやさしい人は、学食を思い出したり、社員食堂を連想したり、「ひややっこ」を思い出したりと様々だと思います。「定食」の言葉に反応して、お腹が空いた方もいらっしゃると思います。

  一般的には、焼魚定食、天ぷら定食、刺身定食、A定食、トンカツ定食、伊勢海老定食(?)と、おおよそ、惣菜もしくは主となる「おかず」にご飯、味噌汁、おしんこなどで構成されるセットものを定食と言います。また、定食とは言わなくても単品をオーダーすると、ご飯と味噌汁がついてくるケースもあります。ということで、様々なパターンがあることをご理解ください。しかし、あまり選択権を与えられないのも特徴の1つです。ここでは、少し特化した定食屋を紹介します。

  一般的な定食屋と比較すると、お客の出入りは、かなり多いと思います。ということで、「美味しい定食」だと言うことは外からでも分かります。もちろん、これに似た定食を出すお店は、いくらでもあります。価格もさほど安いわけではありません。安さだけならもっと他にもあります。あえて、少しだけ特徴を言わせてもらえば、調理プロセスが全てオープンなこと、そして、客人それぞれが「自由で快活な注文の仕方」をし、みんな「満足そうな顔」をして出て行くというのが、少し異なる点です。定食屋ですから、当然若者も少なくありません。別にもったいぶっているわけではありません。ちょっと好き嫌いがあるかな、と思って遠慮しながらのレポートです。 夕方は5時から営業です。

 おっと、アドバイスがあります。田舎者(昔の私)みたいに、「むやみに高いもの」を注文するのは、止めましょう。そして、周りの「客人の注文」に惑わされてはいけません。加えて、たくさん食べればよいと言うものでもなく、食べたい衝動に負けるのは、人として恥ずかしい事です。あくまで、腹8分目。
それでは、こちらです。
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%AE%9A%E9%A3%9F/%E5%AE%9A%E9%A3%9F.pdf

2008/07/12

サーバー用メール削除ソフト

 長い間ホームページを運用していると、どこからともなく「システム管理者宛てのメール」が届くようになります。最初のうちは、ほー、こんなところからと、興味本位で開いて見るものですが、3ヶ月位経過すると検索エンジンが探し出し、(あるいはドメインリストから)裁き切れないほどメールが着信してしまいます。これは、1年、2年、3年と増加の一途をたどります。また、それなりの不正アクセスも増加します。6年目の現在では、メールは少なくとも1時間に300通ほど着信しています。

  また、サーバーが壊されるのではないかと思うほど、訳の分からないところから大量にアクセスされています。ログがすぐに一杯になり、これもサーバーの容量を圧迫します。ちょっと目を離していると、ドメインサーバーが契約時の容量をはるかに超えてしまって、動きが鈍くなっているのです。自分で自社のホームページにアクセスすることはないので、分からなかったのですが、先々週、ついに、止まってしまいました。ハード的には動くのでしょうが、契約容量違反です。

  この中で、17万通の「システム管理者宛のメール」を削除するのに苦労しました。全て、迷惑メールとして扱われるセールスメールです。サーバー管理をお願いしているNTTPCコミュニケーションズに対策法を尋ねたのですが、予想通りの回答でした。「まあ、そうだわな、しかし、この会社、先がないな」と妙に納得し、現在は、とりあえず毎日毎日「システム管理者宛ての迷惑メール」を削除しています。そのためだけに契約容量を増やすわけにもいかないし、他社(あるいは自社)サーバーへのマイグレーションもすぐに決められないからです。そんなメール削除を時間短縮してくれるソフトウエア「nPOP」を紹介します。

 ご存知の方も多いかと思いますが、これから、そのような「システム管理者宛ての迷惑メール」が増えそうな方にお勧めです。
 操作は簡単ですが、ソフトのダウンロードから操作までを簡単にまとめました。
こちらです。
http://www.nextftp.com/suyama/npop/nPOP%E8%AA%AC%E6%98%8E.pdf

2008/07/10

黒胡麻あずき

 夏こそ、冷たいものが恋しくなることがある。ミンミンと蝉時雨の中、とぼとぼと麦藁帽子と昆虫採集の網をもって、桃畑の中を「かぶと虫を」求めて、探し回った記憶がよみがえってくる。その帰り際には、氷と描かれた「のれん」を決まってくぐる。「おばちゃん、宇治金時、練乳がけもだよ」と、疲れ果てていても、テーブルに顎を載せて、「シャッ、シャッ」と削る音を見るのが楽しみだった。

  甘いあずきと鷲のマークの缶から出てくる練乳は、子供心に最高のご馳走だった。氷が解けて、あずきと練乳、そして抹茶色が渾然一体となった器をすする情景は、今でも懐かしい。頭の芯まで冷え、頭痛を抱えて帰る道のりは長い。だからさすがに、今は「かき氷」は食べられない。しかし、あずきと練乳は不滅のハーモニーだ。また、生クリームの入ったものは、抜けが悪いことを体が覚えている。これも無理なのだ。ということで、最近はまっているデザートの紹介。

  ここまで説明したら何が出てくるか、おおよそ推測がつくだろう。これから暑い夏と戦うために、ちょっと懐かしく、しかも、体にやさしく、しっかり冷える、そして後味が良い。その名も 「黒胡麻 あずき」 。これで今年の夏も乗り切れる。あなたの家の近所にもあるから是非試してほしい。もちろん体にエコ、お財布にも、凄くエコ。
 それは、こちら。
http://www.nextftp.com/suyama/mos/%E9%BB%92%E8%83%A1%E9%BA%BB%E3%81%82%E3%81%9A%E3%81%8D.pdf

2008/07/03

デジタルカメラ5

 写真の撮り方を教えてくれた先輩は、くどくど説明はしませんでした。結果は、誌面の中にあり、担当したページの写真がよくなければ、誰からともなく自己反省を迫られるからです。時折、自らそんな自白をすると、周りの先輩は、どうゆうわけか、「現像所が良くなかったとか、製版屋が手を抜いたとか」 本気で未熟な私を擁護してくれるのです。過去にあった彼らの不十分な仕事ぶりを次々と挙げて、本気で怒っているのです。これほど、身にしみる間はありません。写真は、記事の内容の信憑性を左右します。また、筆者が精魂つめて書き下ろした文章に、陰影を加えたり強調するのに使います。あるときは、インパクトとして駄目押しに加えたりします。つまり、これが出来なければ編集屋の資質がないのと同じです。なのに、時として緊張感を失い、考えの及ばないミスを犯すのです。仕事に慣れ始め、自信がつき始めた頃こそ要注意です。

 先輩の慰めとも思える話は、間接フリーキックのようなもので、これも自分の責任を問う結果に到達します。たとえ自分が納得していても、現像者や製版屋のオヤジ(仲間としての親近感)が、その写真を見て 「これは、なんとしても、良い物に仕上げてやりたい」と思ってもらえるように、撮影者の熱意と、それを支える社会性の視線を感じてもらわなければならないのです。また、あるときは、意思疎通の有無にかかわらず、感じ方が違っていても、「論点を外さない」ような、「説得力のある写真」という条件も必要なのです。画像にかかわる仕事をしている人たちは、どのような状況でも、そのような空気感や緊張感をもった画像にとても敏感なのです。くどくど説明をしない先輩は、よくこのように遠まわしで「統括的なじゅうたん攻撃」をしたのです。

 あるとき、明らかに35mmの写真じゃないと思えるページを見つけました。活版印刷でそんな違いは我々でないと分かりませんが、明らかに違うのです。こりゃ何だろう、「密度感が違うから八ッセル」じゃないのという意見、いや、「この切れ込みはきっとニコンの新しいレンズ」だよという意見、さまざまな考えに及びました。その後、製版屋のオヤジ(社長)が顔を出し、自慢そうに、我々に聞くのです。どうですか?どうですかって。・・・・製版用のレンズを換えたというのです。

 まさに想定外でしたが、そうだったのかと、やっと我々も納得したのです。その、安堵感と間合いの中で「社長!全然違うよ、よくなったよ」 と先輩は口を開きました。同時に、「でもアポニッコールだろ、もっと出るよな」、と先輩は一刀両断でした。社長は参ったなという顔をして指差しながら、「何で分かるんですか?なんで、なんで」 と驚いて問い詰めました。・・・先輩は笑みを浮かべながら、「そんなのわかんないで、ここに座ってられねーよ」 と言い放ったのです。

 ひえー、そんな凄い先輩だったのかと、改めてその眼力に驚き、隣に座っている自分の無邪気さを恥ずかしく思いました。それ以来、尊敬の念は、先輩に対し常に一定の距離感を持つことになります。鋭い感性は、実際の経験と、その毎日の鍛錬で磨き上げられるという話でした。
・・・・・ということで、今回(5回)で撮影に関する基礎的な考察は終了します。ご覧いただき、ありがとうございました。

今回も前回と同じホルダです。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21624&app=WordPdf

2008/07/01

デジタルカメラ4

 109の前でモデルを撮影しているのを覗いた。周りで携帯のカメラで撮影している若い女性もたくさんいる。みんなファッションには敏感なようだ。撮影しているのはプロのスタッフだ。前玉が飛び出した、美しい輝きを放つレンズを使っている。nikonのスーパーワイドだ。まず、これが僕の目に飛び込んできた。照明さんはレフ板抱えてモデルの傍にしゃがんでいる。左手でモデルに何か指示を与えながら、小気味よく撮影を進める若者は、当然遠慮がない。このあつかましさこそがプロの所以だ。

  後ろで心配そうに見守るのは化粧道具を持ったメイクさん、時折モデルの前に出てきては僅かな乱れを直す。露出計を首から提げたスタッフの一人は、次のモデルに何か指示を与えているようだ。誰がタイミングを計っているかわからないが、1つの仕事に向かって時計仕掛けのように動いて、次から次へと撮影をこなしていく。このスピード感と余裕の間合いは、どこから生まれるのか。沿道で覗き込む人々も、このような息の合った仕事に憧れを感じているに違いない。

  彼や彼女に任せておけば大丈夫。自分は自分の仕事に集中してちゃんとやれば、仕事は完成するはず。自分は、数字を聞いてセットし構図を決めてシャッターを切るだけ。それだけで良いのだ。彼等は自分がいい仕事をするために必要不可欠な役割を担ってくれている。だから、クライアントのどのような要求にもこたえられる。そんな姿は、もはやストリートパフォーマンスに匹敵する出来栄えだ。撮影は、僅か数分で終わった。

  その露出計を首から提げたスタッフは、沿道で覗き込む我々に「ご協力ありがとうございました」と声をかけ、スタッフは無言のまま109の中へ消えていった。そんなスマートな仕事ぶりに対し、昔、新製品発表会で、あつかましくも「すんませーん、すんませーん」といつの間にか最前線に立ち、他誌の迷惑顧みず、ストロボをたいていた自分を恥ずかしく思い出すのであった。

 と、全然デジタルカメラとは関係ない話になってしまった。なぜか!・・全く連携のない乗組員のUボートは、いとも簡単に幻の無敵艦隊に撃沈されたからだ。これに激怒している。

 連携のない仕事ぶりは、いずれ命取りになる。・・・という戒め。そこで、システム管理という視点で、セルフテストをして自己反省に迫る。
前回と同じホルダです。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21623&app=WordPdf


2008/06/28

デジタルカメラ3

 今日も電車の中でデジタル一眼を持っている人を見かけました。最近は私が行くところで、必ずといっていいほどそんな人を見かけます。大切そうにお腹の前で抱える姿は、新しいテレビゲームを買ってもらった子供のように、幸福感に満ち溢れています。カメラはC社の最新型のようでしたが、持ち主の製造年月日はかなり古そうでした。 このような情景は最近のものです。昔は、このような場合、所有のカメラはライカやローライフレックスでした。初老のアクセサリーは舶来だったのです。

  そんな格好のよい「ジジイ」に憧れた時代もあります。そして、古いものを大切に使うことは、紳士の条件でもありました。まさに「もったいない」の精神を継承するものです。撮影にもじっくり時間をかけて、1枚1枚丁寧に撮影していきます。「お父さんと行くと写真撮るのに時間がかかる」って家族から不満の声も上がります。そんな声には少しも耳を傾けず、ひたすらマイペース。「俺流」を貫くこと、これが紳士のプライドです。そして出来上がった写真は隅々までシャープそのもの、めがねを外してファインダーを覗く姿からは想像も出来ない出来栄えでした。

 そんな古いイメージに想いを寄せながら、自分には、そんな演出できるカメラはないって思っていたら、このカメラを知らない人がいることを知りました。私が編集屋の駆け出しだったころ、ひたすら使った(強制的に使わされた)カメラです。カメラの「カ」の字も知らなかった私が、電球1つと、このカメラで戦ったのです。勿論、露出計はありません。全て勘です。勘とは、積み重なる経験から生まれる、やや、あいまいな感覚です。最初は見様、見真似です。絞りを16~22まで絞り、シャッターを開いたまま、電球を左右に一定のタイミングで移動させ、被写体に影ができないようにするのです。込み入った部品が乗った基板があると、スイッチバックのように電球を移動させます。光の量がどのエリアでも均一になるように工夫を凝らしました。これらは、今となっては、とてもよい経験になりました。

 そのカメラを時たま持ち出すことがあります。勿論、露出計は必要ですが、太陽からの直接光を測定しておくだけなので、とても簡単です。そんな、忘れかけた「往年の名機」というか、暗箱にレンズをつけただけのカメラを被写体に選びました。撮影方法はデジタルカメラでも同じです。このカメラをご存知の方は、青春時代を懐かしく思い出しながらご覧ください。

前回と同じホルダです。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21622&app=WordPdf

2008/06/24

デジタルカメラ2

 最近は、夜中から朝までテレビを見て興奮することもしばしばです。意表を突くテクニックに予想外の展開、もうホワイトプランどころの騒ぎではありません。最初から、ボールのスピード、攻撃へ転じる速さに自分がついていけてません。後半のロスタイムなのに、なんでまだそんなに走れるの?こっちが息切れしてしまいそうです。まるで、テレビゲームを見ているみたいなスピード感です。動悸も高まり、うそ、うそ、はいった。なんで入るんだあ~。そんなあ。

  まいったな。と感嘆詞の連続です。いえ、私は布団の中でじっと見ているだけですが、こんなに興奮するのは久々です。でも、これから、まだしばらくこの興奮は続きそうです。地球の裏側から送られてくる映像も鮮明で色鮮やか、それでいて新しい試みもふんだんに投入され、比類のないゲーム進行の見易さ(ジーコが日本で提唱した選手の足回りとボールの動きを追っかけるカメラワークも面白いけれど、数段ゲーム進行が分かりやすいこちらも好き。この辺が個人技のブラジルと、チームのシステムに重点を置くサッカー文化の違いか?)。監督なんかより、はるかに見やすく臨場感溢れる映像には、もう降参です。映像文化の歴史と先進性を感じさせ、今、自分が布団の中にいることさえ忘れさせてくれます。

 そんなことより、ドイツのチームには改めて感心しました。物凄く分かりやすい単純なボールさばきなのに、チームがチームとして機能し、簡単に点を取るのです。だから、出来るはずないのに、俺にだって参加出来そうだって思えてしまうんです。そこが凄いんだな。基本的なことを何度も何度も繰り返し、精度を高めてシステムが高速で機能するようにすることは、やはり重要だと痛感する次第です。そう、基本的なこと、これが出来なければ、やっぱり、何も出来ないのと同じです。

 前置きが長くなりましたが、今日も「基本中の基本」、ライティングー(最近は伸ばすらしい)です。 この忙しいサッカー時期に、読んでもらえるとは思いませんが、とりあえず作ってみました。
PDFにまとめてありますので、ご覧ください。
前回と同じホルダです。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21621&app=WordPdf

2008/06/22

デジタルカメラ1

 今、デジタル一眼カメラが流行しています。若い人から年配の方まで、様々なカメラを首からぶら下げて歩き回る光景を目にします。観光地ならともかく、ウォーキング中であったり、川べりで鳥を撮影したり、富士見台では富士山を、などなど余った時間をシャッターとともに過ごす日々のようです。 もともとカメラの趣味は、写真を撮る目的だけに発達してきたものとは言い切れません。精巧なメカニズムを操作する楽しさから、またレンズの撮像効果であったり、最先端精密テクノロジーへの関与する楽しみであったりと、様々な形でユーザーを刺激します。
  
  映像撮影は総合的な力量を表す「感性」という、やや知的なベースの上に成立し、経験のなかで「こだわり」を形成し独自性を育んでいきます。この趣味の守備範囲は、我々傍観者から覗くと、とてつもなく幅広くみえます。あるときは撮影技術であったり、またあるときはハードウエアであったりと、なかなか話題の中にも入っていけません。といいながら、所詮基本は簡単で、シャッターを切れば、それなりの結果が得られます。あえて補足すれば、その結果は全て自分の能力を映し出しているということで、責任は全て自分にあるのです。

 一方、コンパクト型のデジタルカメラは、光学レンズから半導体技術まで幅広い技術を統括し、ある種の技術的な夢を身近に所有できる製品であるため、体の運動能力が低下してからも参加でき、一生を通じて楽しめるツールであるともいえます。まさに「口で撮る」とでも言うのでしょうか、要求レベルの高い能書きが先という人も少なくありません。そんな、老いも若きも一緒になって、わいわいがやがや出来る面白さは、使い方さえ間違えなければ、まさに健全そのものです。

 一時期不調であった業界も、携帯カメラに端を発し、マーケット底辺の拡大も著しいものがあります。また、デジタル化のみが実現できた「高感度」は比較にならないほど撮影領域を拡大し、忘れかけていたマニアまでも奮い立たせています。もちろん様々な新しいテクノロジーを投入してあるために、撮影者の必要としていた基本的な撮影知識さえも「全く無用」のものにしてしまいました。 それでも、わずかな画質の不満がハードウエアの進化を推進し、次から次へと新たな機能を開発して、再びユーザーを刺激する製品が生まれるのです。このような基礎代謝の高いマーケットは成長します。さらに、1度このルーチンに巻き込まれるとなかなか抜け出せない人も増えて、業界も活性化しているのです。

 そこで、「自分では余り興味はないけれど、この世界をどうしても知識ベースで理解しておきたい」そんなあなたのために、撮影の基本を私なりに考察してみました。数回に分けて紹介します。
PDFに紹介をまとめてありますので、ご覧ください。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21620&app=WordPdf

2008/06/16

牛肉弁当

 いまさら「弁当」か、と弁当を馬鹿にしてはいけません。出張の退屈な車内を、充息の時間に変えるにはこれが一番です。出張の多い人の為に、いくつか「お勧め弁当」はあるのですが、今日は、牛肉弁当でいきます。水準以上の美味いのを紹介します。

 だいたい、駅の弁当は視覚だけで選ばれています。ウインドウの中に見本が展示されていて、ちょっと小腹が空いたお客さんたちは、早く買いたいのにもかかわらず、迷ってしまいます(ここが、お店の狙いです)。「たくさん積んである弁当は、きっと美味くないんだろうし、前回買った弁当は美味くなかったから、今回は違うのにしよう」など、様々に考えを巡らして、また、同じように、さほど美味しくない弁当を手にすることになるのです。「今日はお茶が付いてきた」とか些細なサービスに喜んで、納得して改札を抜けていきます。席に座ったら、発車する前から食べ始め、仕事のことを考えながら、空腹を満たそうとします。「資料の続きをまとめておかないといけないし、質問されたときの回答も頭に叩き込んでおかないと、そして、・・・・弁当なんてこんなもんだ」と思いながら。お茶で流し込むように食べているのです。 こんなの体に良くないし、分かってはいるけど、車内をどのように過ごすか、ここが最大の山場と位置づけている人も少なくないと思います。

 そんな仕事の仕方は、明日からは止めましょう。そういう「戦いの前」には、美味いものを食べて、余裕をかましてください。それでは、「浅草今半」の牛肉弁当を紹介します。

 出張のみならず、単身の方にもお勧めです。また、御年配の方にも満足していただけると思います。お店には、美味しそうな3種類の弁当が並んでいますが、迷ってはいけません。こんなところで意思決定が遅いようだと、「本当にできないやつ」と思われます。一言「牛肉弁当」と言えばよいのです。
 PDFに紹介をまとめてありますので、参考にしてください。
http://www.nextftp.com/suyama/lunch/%E4%BB%8A%E5%8D%8A%E5%BC%81%E5%BD%93.pdf

2008/06/14

北海道ラーメン

 少ないラーメン店の知識をこのタイミングで出してしまうのは、後がないといいますか、恐らく最初で最後だと思います。

 私も麺食いの端くれとして、他にラーメン屋さんを知らないわけではありません。お店を回って評価するだけなら一刀で、ずばっと切れます。可哀想なくらいノックダウンしてしまいます。歳を重ねる度に多少遠慮とか、思いやりとかは出てはきましたが、そんなことで妥協していたら、お店に入るときは、必ずお腹が空いているというタイミングが必要です。それでは、正しい評価になりません。それにしても、「すぐ飽きて箸を置いてしまう」店はたくさんあります。 

 お腹一杯でも、別腹が機能するぐらい「美味しく」ないと、人様に紹介出来るわけありません。ラーメンとはそういう物のようです。したがって、紹介するお店は厳選されていくのです。もちろん、人には人の好みがあることは分かっていますし、だから、ただ「美味しい」では、説明になりません。
 まず、麺は必ず、歯ごたえのある食感でなければなりません。まさに、「麺の品格は腰にあり」です。 これが大前提になります。

 そしてスープには、鮮明で洗練された主張が必要です。麺との絡みに優れているのは最低限度の条件です。

 また、たとえいくつかの厳選素材を使っていても、味にまとまりがあり、コクと旨みに溢れ、単独でも飲み干すのに適正な濃さが必要です [ とかく、使っている「素材」や「煮込んだ時間」を強調する傾向がありますが、ここは、職人の仕事ですから、言い訳ばかりではなくて、ちゃんと結果を出さないと駄目です ]。

 この二つが渾然一体となって「独自の美味しさ」を構成するのです。
 ・・・と、能書きはこれくらいにして、北海道ラーメンの店、渋谷「壱源」の紹介です。 もう、何年も通っているのですが、スナップを撮るのは初めてです。

 いくら美味しいと思っても、2杯は体に良くありません。時折、そんな若者達を見ることがあります。御年配の方は、よく噛んでお召し上がりください。
ご存知の方も多いと思いますがレポートにまとめましたのでダウンロードしてご覧ください。
http://www.nextftp.com/suyama/noodles/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3.pdf

2008/06/11

祖父の残した1冊

 「吾国魚雷の由来」と時代錯誤のタイトルですが、祖父である「須山 智」がまとめた魚雷の技術史です。 これをこの度私が現代風にリメイクし補足解説を加えて、技術者向けのレポートにまとめました。 「吾国魚雷の由来は」元々は祖父がまとめたものです。

 呉の海軍工廠に勤めていた祖父は、魚雷の開発を行っていました。初期には、輸入しか出来なかった魚雷ですが、国産化を進め、量産化・更なる高性能化のため(1917年)英国に渡り、技術を持ち帰りました。その後、海軍工廠で魚雷の主機関、加熱装置の研究・開発を極め、世界で最初に実戦で使用できる「特用空気魚雷」を完成させます(一般的には「九三式酸素魚雷」として広く知られています)。その開発経緯と実験結果を詳細にまとめてありました。

 この手の(兵器としての)歴史に興味をお持ちの方に、かつて、父が分かりやすく再構成した「我国魚雷の由来」(1字違い)として出版していたのですが、それは、それで歴史的には良い資料かもしれませんが、私は、それを若いとき眺め、読む前から漠然と何か欠かけている、何か隠蔽されているものがありそうだと思っていました。

 だから、本気で読むのをずーっとためらっていたのです。それがいったい何なのか、今、私は改めて探ってみたくなり、読みながら取材と時代考証を進め、現代でも参考になるポイントを抽出してみました。もちろん、原書にはない「隠蔽されていた事実への模索を加えて」私自身が祖父の苦悩に迫ります。事実を機軸に、事実を積み重ねながら検証を進めていくことで、意外な真実も見えてきました。次の世代に何か1つ伝へるために、PDFとしてまとめてみました。

  あくまでも、私的な話なので興味があればご覧ください。
ファイルサイズが大きい(4.5MB)ため下記のSkyDriveに配置しました。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21208&app=WordPdf

2008/06/06

水出し珈琲

 夏はやはり「水出し珈琲」(ダッチ珈琲とも言います)の季節です。昔から、まるで化学の実験装置のような「ウォータードリップ」で抽出される珈琲は珍重されてきました。それは、熱を加えないため、芳醇な香りを逃がさず、珈琲本来の「こく」と「うまみ」が残り、良質な甘みや苦味を味わうことが出来ます。しかし、残念ながら、家庭では「ウォータードリップ」装置の置き場所や、豆の品質管理には手間と時間とさらにコストがかかり、それでいて、短時間で大量に作ることは出来ません。せいぜい、一晩(8時間)で2杯分程度でしょうか。もっとも、「だから、美味いんだ」と思えるのですが、せっかちな私は、年中フィルター付きの「水出し珈琲」を使用しています。

 用意するものは、
1.600ml程度のガラス容器(ピッチャー)、
2.KEY COFFEE水出し珈琲1袋、
3.アルカリイオン水500ml、
これだけです。

 作り方は簡単ですが、下記のPDFにまとめておきましたのでご覧ください。
 2は、様々な専用珈琲が販売されていますので、お店やインターネットで好みの商品を探す楽しみもあります。ただ、3のアルカリイオン水を使用するところが、今回、私の勧めるポイントです。数多くの試験結果の賜物といいますか、譲れない結論です。

 アルカリイオン水とは、 ph8~10 の弱アルカリ性の水のことです。

 少し余談になりますが、人体は、弱アルカリ性で最も活性化すると言われ、現代人にありがちな酸性に傾いた体を、飲用することで正しく修正します。効能は、慢性胃腸障害、消化不良、腸内異常発酵、胃酸過多のみならず、激しい運動をした後の肉体にも効果を発揮します。最近のサッカー日本代表の強さも、このような背景があるのかもしれません。

 お勧めは、「キリンのアルカリイオン水」です。余った「アルカリイオン水」は、料理にも活用できます。昆布やいりこからだしを採るとか、炊飯、煮物などにも色々使えます。浸透力に加えてエキスの抽出効果があるようです。したがって、「水出し珈琲」にも使え反応が早いのです。

 ということで、アルカリイオン水を使用した「水出し珈琲」は体にも優しそうだということをご理解いただき、ぜひお試しください。コンデンスミルクを加えると、「本格的なミルク珈琲」になります。
冬は電子レンジで加熱して、夏は冷蔵庫で冷やして楽しめます。加えて、珈琲は苦手とおっしゃる方は、ぜひ紅茶、日本茶(茶葉はそのまま沈みます)をアルカリイオン水でお試しください。夜寝る前セットして冷蔵庫へ、朝の冷茶は「凄く美味しい」のです。じわーっと体の隅々まで浸透し、みるみる活力が湧いてきます。もちろん、夏バテの防止にも効果ありです。

 ご注意) 美味しくて飲みやすいからといって、「必要以上に濃い抽出液」では、浸透力が早いことによる、身体への影響(カフェインが強過ぎる)も考えられますので、飲みすぎにはご注意ください。
この紹介は、 http://www.nextftp.com/suyama/water/%E6%B0%B4%E5%87%BA%E3%81%97%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC.pdf

2008/06/05

朱蒙〔チュモン〕

 テレビ番組の紹介です。折角、プラズマのフルハイビジョンテレビ(液晶かプラズマか?2月ご参照)を導入したのに「楽しめる番組がない」と思っていたのですが、紹介された番組が意表を突く面白さに、ついにはまりました。BSフジのハイビジョンで放送している壮大な連続歴史風ドラマ「朱蒙」です。

 紀元前100年頃、漢の侵略により、朝鮮が崩壊し、その流民達を集め、漢に抵抗するタムル軍を率いる2代目英雄「朱蒙」のお話。古すぎて、映像による再現は難しいのではないか、日本では余り手をつけられていない時代ということもあって、最初はもちろん興味本位から始まりました。やや、批判的姿勢のままです。時代考証がどうの、身に着けているものが安っぽいとか、はたまたカメラワークがどうのこうの。いや、前回の格闘シーンと同じ場所で今回も撮影しているとか、挨拶の間の取り方が長いとか、わざとらしい演技の連続だとか、けちばかりつけていたのです。 でも、どういうわけか、回を重ねるうちに、そんなことはどうでも良い、文句なく「面白~い」。無条件で楽しくなっていったのです。

 「朱蒙」の成長を毎回リアルタイムで見ているように錯覚し、どんどん強く、逞しく、そして格好よくなっていく姿に、まさに「実寸大のリアリティー」がそこに映像化され、人はどうやって成長していけるのか、そこには綿密に計算された人間関係と「信念を貫く為の賢者の選択」が描かれているのです。製作者は従来の「歴史ドラマ」とは異なるライティングで、全く別次元のメッセージを伝えようとしているのです。 

  さらに、評価を大きく変えた理由は他にもあります。こんな非常識的な場所での空撮?すごいじゃないか。このバックのオーケストレーションのスケール感は圧巻、格闘シーンは理屈どおりの構図とすばやい動き、本物に見間違える程の刀さばきの連続、全く偽のない身のこなしなどは、某国営放送局の数十台にも及ぶカメラワークやみえみえ編集による創作画像とは一線を画し、鍛え抜かれた人達による格闘シーンは、よりストレートに迫力を増しているのです。 内容的にも、人間味あふれる展開には愛、嫉妬、親子、などの関係は想定外ともいえる展開に発展します。しかし、部下との結束をより強固にする信頼関係のあり方、そこには自分の成長過程で失いかけた、部下を思いやる優しい気持ちに満ちています。そして、その部下へ伝わった気持ちが再び、次の自分を支えてくれる力になるというロジックを、共感を呼ぶ豊かな映像で表現し、新しい国づくりの根幹こそ、ここにありというメッセージ性も組込んでいます。

 そして、運命に翻弄されながらも、強い信念を貫くため、若き「大将」としての課題を無謀ともいえる突破力で見事に解決するあたりは、生まれながらの「王」となるべき資質を表現し、痛快そのものです。こんな長編なのに自由奔放で、まさに、その荒削りな時代らしい物語として毎回提供してくれるのです。見るべき番組を渇望していたという背景もあるのでしょうが、半ば感動しています。というわけで、「24」や「プリズンブレイク」のない今こそ見るべき番組、毎週水曜日夜8時 BSフジのハイビジョンでその空白を埋めてください。[毎週水曜日はNO残業デーです。]
詳細はこちら、1度では面白さが分かりにくいと思います。3度続けてみてください。
http://www.bsfuji.tv/jumong/

2008/06/03

小型カイロプラクティック器具

 中山式快癒器という「カイロプラクティック療法の元祖」なるものが、我家にもありました。これは、祖母が所有していたもので、86歳で他界するまで枕元に置いて愛用していました。形状は木製で、指ぐらいの丸い突起を2つ備え、白く塗装されおり、使い方としては、これの上にねっころがって、丸い突起を脊椎の左右に当てて神経を外から刺激します。実物を見れば、何に使うかは簡単に分かるのですが、若いうちは、痛いだけで、逆効果でしたが、歳を重ねるうちに肩の凝りもなかなか取れにくくなり、「中国式整体」、「ほぐし屋」等に通うことが増えるようになってからは、この快癒器を離せなくなりました。最近は勿論、出張や温泉にも持って行きます。ちょっと無理をして頑張ると肩の凝りが増えて取れなくなるからです。

 現代人は、パソコン・ディスプレーの前で仕事をすることが増えて、偏頭痛や肩凝り、指の筋、の凝り、あるいは持病の腰痛などに苦しむ人が多いといわれています。学会では、長時間ディスプレーの前で仕事をすると、体温が上がっていないにもかかわらず、熱っぽく感じるとか、自律神経系にも様々な症状を訴える患者が増えているという報告もあります。そのような環境下で、とりあえず肩凝りぐらいは解消したいという方にお勧めしたいと思います。もちろん、腰痛などにもそれなりに効果を期待できます。2~3千円で手に入り、壊れずに一生使えます。この快癒器は昭和22年に発明(製造元の説明)されたそうです。父も愛用していて、私が上京するときに4個付きを鋸で半分に切って2個付きにして持たせてくれた。

 使い方のポイントは、首から腰まである背骨の左右を快癒器にある2つの突起で刺激しながら移動させます。凝りの酷い時はその周りを含めて刺激します。刺激方法は、その上に自分の体を乗せて、自分で背中に当てる力で調整します。できれば、整骨院でやっているように、背中を暖めてから行うと良いと思います。注意するポイントは、1.使用中に眠らないこと、2.同じ場所を継続的に押圧しないこと、3.絶対に強く刺激しないこと、です。

 購入する時は、出張にも持っていける2球式の一番安いものを選びます。使用前の基礎知識として、説明書などをよく読み、凝りのメカニズムや原因を調べておくと効果的です。単純な足の筋が張っている場合などは、どこの脊椎から神経が出ているかを知っておきましょう。また、胃や腸などの内臓から凝りがくる場合もあり、そのような場合は、むやみに刺激をせず、専門医と相談した方が良いと思います。くれぐれも、ご注意ください。

 私は時々、体全体の調整のために、五反田にある中国整体にも出掛けますが、1.今日は緊張して胃がもたれているな、というような場合。2.立ち仕事(説明員)が長くて足が張っている時。3.パソコンの前で長時間仕事をした時。4.天気が悪くて、腰が痛む時、など軽症の調整にはこの快癒器に頼っています。私の場合、元々腰痛のために色々なところに様々な症状が出ます。 いずれにしても、体の一部で凝りが酷くならないうちに、簡単に調整するために使用してくだい。
商品は、こちら
http://www.nakayama-shiki.co.jp/shopping/cat_kaiyuki/1400.html

2008/06/01

システム管理

  仕事でSUNを触らなきゃいけなくなったとか、設置サーバーの特殊性からサービス期間が過ぎたけれどリプレースできない、とか、SUNの仕事を押し付けられてしまった方に、紹介したい本があります。
  
  そもそもUNIX関係の本自体が少ないうえ、Linux系が流行なので Solaris の本はとても少なくなっています。少し前では 「サーバー構築」 というと Solaris に決まっていたのですが、現在では数冊しか残っていないのが現状です。まして、そのサーバーのハードを触るなんて、「面倒でしょうがない」と思うものです。物理的には簡単でも、ソフトウエアを再調整しなければならず、正確な手順を要求します。[本来、SUN の保守管理はSUNのサービスエンジニアに依頼するのが一般的です。それでも、その壊れている状況を示すシステムログをネット上のサービスリクエスト専用サイトに送付しなければなりません。

  たとえば、ミラーディスクの障害の場合では、DiskSuite か Volume Manager のツールを使ったログを明示しなければならないのです。そうです、最初からディスク管理に詳しくないと駄目なのです] 最近は、SUNエクスプローラを使って、システム全ての情報を一括収集するように指示されますが、障害が発生しているところで、ハングしてしまったり、レスポンスを返さなかったりと、困ることも多々あります。

  知らないままそれを使うと、どんどん深みにはまるのです。まして、サービス期間を過ぎてしまった場合、ほとんどの場合お手上げです。簡単そうに見えるRAIDディスクの交換ぐらいはしたいけれど、それも、RAID Manager 等を実践操作して熟知しておかなければならず、案外苦労するものです。ということで、ここで紹介するこの3冊を読むと、「システム障害や保守の概念」が理屈で良く分かり、それぞれの最新の詳細はSUNのサイトから情報を得ることができるようになります。

① Solaris システム管理 ISBN4-7561-3568-4 発行所:㈱アスキー
② Solaris 9 システム管理ハンドブック ISBN4-7561-4324-5 発行所:㈱アスキー
③ Solaris 10 教科書 ISBN4-7981-1178-3 発行所:㈱翔泳社

  どの書店からもISBNコード(上記)で取り寄せが可能です。神田の大型書店等には在庫も残されており、探される方のために写真を添付しておきます。
この写真とコンテンツは、 http://www.nextftp.com/suyama/books/Solaris%E7%AE%A1%E7%90%863%E5%86%8A.pdf


2008/05/25

ウォーキングで頭爽快に

  ウォーキングは体に良いと言われて来ました。腰痛が軽減したり、不眠が解消したり、基礎代謝能力が上がったりと、それなりの効果があります。しかも、糖尿病予防、心肺能力の改善、小腸、大腸など活性化、など健康上の価値は非常に高いといわれます。しかし、経験上最も良かったことは、頭がすっきりして冴えてくることです。勿論、考えもまとまります。
たとえば、「そんな年齢でもないのに、あるいは、そのような年齢だ」とあきらめている方、下記をチェックしてみてください。

1.昔に比べて決断・実行が遅くなった。
2.人の名前がすぐに出てこなくなった。
3.体の左右方向の敏捷性に欠けると感じたことがある。
4.肩が凝ってなかなか治らない、腰も痛い。
5.よく足を何かにぶつけたり、時々ガラスの食器を壊してしまう。
6.気温の変化や季節の変わり目が体にきつい。
7.家にも居たくないけれど、会社に行くのがなぜか億劫。
8.混んだ電車で酸欠に苦しむことがある。
9.自分の動機付けに苦労している。
10.怒る気力もなくなってきた。
 それなのに、何にでも腹が立つ 等、どれか一つでも当てはまる方、そんな方にぴったりです。そこで、お勧めのウォーキングコースをご紹介します。多摩川の周りをウォーキングするためのガイドをまとめてありますので、是非一度歩いてみてください。

週に1回歩いて、徐々に昔の自分を取り戻してください。 メタボリックな方は心臓などに大きく負担がかかる場合があり、お勧めできません。

このレポートは、https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21618&app=WordPdf


2008/05/20

サーバーを導入する

  新規で、サーバー導入を計画されている、経験のない方は何から勉強すればよいか不安になるものです。難しそうに書いてあるものはたくさんありますが、基本的な知識として、どのあたりをどの程度理解しておけばよいか境界が分からない場合も多いと思います。セールスマンはとかく最新のシステムに話を移しますが、自分の要求を最低限達成するものなのか、あるいは過剰品質なのか判断できないことも多いと思います。

  また、導入されてから、幾つかの疑問に直面したり、業界の常識として高額な保守費用を請求されたりと、不本意な導入計画を余儀なくされる場合がほとんどです。そのためにある程度の基本をおさえておくと、少なくともセールスと対等に話ができると思いますし、自分の要求を適切に相手に伝えることも可能になると思います。また、要求仕様を満たすスペックを提示することも可能になります。それらの基本を文書にまとめたものがありますので紹介しておきます。もともと社内セールス用に作成したものですが、「簡単に読めて分かりやすい」とユーザーから評判が高いので参考資料にしてください。 ただ、センター方式は独自のアプリケーションで対応する必要があり、一般的な方法ではありませんのでご注意ください。

このドキュメントは、4部から構成されています。
http://cid-0ff68288dd53524e.skydrive.live.com/browse.aspx/INSTALL

に「.pdf」として置いてあります。
ダブルクリックしてダウンロードしてください。

2008/05/15

腰痛治療

人は多かれ少なかれ腰痛に苦しめられます。加齢とともにそれは大きくのしかかる場合があります。私もお腹の調子を崩すとすぐ腰に来ます。また、雨の振る前や、生暖かい日など環境によっても左右されます。最近は肩の凝りや腕さえもあげにくいとか、もうぼろぼろです。そのような時、将来も腰痛だけは治らないかもしれないと不安に思うことも度々です。同じお悩みの方に良い治療室を紹介します。私も、年期の入った腰痛持ちですから、少々では治らないと思っています。だから、切羽詰らないと行動しません。ここ2週間ぐらい調子が優れず、足の子指が痺れ、左足を引きずるように仕事をしていました。「まあ、騙されたと思って行ってきなさい」と紹介され、仕方なく朝早く、いそいそと出掛けました。「午前中診察カードを出しておけば午後には診てもらえる」と聞いていたからです。西武線の石神井公園駅(南口)よりからも、かなり距離があり地図どおりでした。バスを待つ余裕はありません。足を引きずりながら、ぼちぼちと行ったのです。

 「こんな、民家のようなところで?」と思いながら覗くと案の定、多くの人が待合にいました。初診の受付をしてもらい2時間待ちました。

 診察は、ベットに座り、「右腕を上げて」、先生僕、腰が悪いんです・・・聞いていない、「今度は左腕を上げて」、はい、次に回転する寝台を指差し、うつ伏せになるように指示されました。あー、やっと横になれる、と思いながら体を投げ出しました。しばらく、先生方(2名)は背後で「これだね、そうだね」といいながら、背骨を触っていましたが、さ、焼くなり、煮るなり、好きなようにやってくれと俎板の鯉になった気持ちで、治してくれるなら、少々は我慢しなければと覚悟を決めていたのです。寝台は45度ぐらい傾いたまま、体を任せるというのも気持ちの良いものです。すると、「はい良いですよ」と寝台が90度に戻りました。ああ、やっぱりひどすぎて手に負えないのか・・・・。またもとのベッドに座り、「右腕を上げて」、「はい、歩いてみてください。」・・そ、そんなー、変わってないでしょ。と思うや否や、あれ?俺どこがわるかったんけ?と思うほど普通なのです。不思議なほど普通なのです。あれー?と思いながら治療費を支払い 「西武治療室」 を出ました。あんまり普通なので、走ってみましたが、走れるんです。昔のようにスキップもできました。凄いです。「ただ、筋肉は悪いときのままになっているので、戻りやすく、時々来ると良いかもしれませんね」 といわれたのを思い出しますが、いまのところ、快調です。
 誰にでも同じような効果を発揮するとは限りませんが、今までの中ではベストです。腰痛でお困りの方は是非一度どうぞ。 「西武治療室」はこちら
http://www.seibucpo.info/

2008/05/10

テープライブラリーの弱点

 7年間継続運用した病院のサーバーとクライアントシステムを昨年末で終了しました。システム装置の目的は、CTやMRあるいは血管造影装置などの検査装置からサーバーに送られた画像データー(DICOM)をクライアントで閲覧するものです。導入当初当時(2000年)は現在のような自由に増設できる高速FCディスク・ネットワーク(SAN)はまだ一般的ではありませんでした。古典的な方法ではありすが、ディスク装置からあふれたデーターをライブラリーにマイグレーション(移行)させるものです。ライブラリーはDTF-2(1/2inch カセット式)を使用しています。 

 どのようなシステムでも、使用した後から振り返ってみて、その過程から得られた障害回数やその内容などの傾向判断でないと評価に値しないのですが、弱点を知る、または予測しておくことで、それなりの結果が得られると思います。また、この装置に限らず、どのように理論的に優れたシステムでも、製造技術、品質保証システムなどに歴史的背景と稼動実績が必要です。もちろん、システムは全ての構成部品がそうでなければなりません。ここでは、このテープライブラリーの長期継続運用の難しさを紹介します。
 このドキュメントは、
http://cid-0ff68288dd53524e.skydrive.live.com/browse.aspx/exViewServer

に3つのPDFに分けて置いてあります。
最初にReadmeをご覧いただき、PDFの日付でご覧ください。

2008/04/30

パイン材の便利な棚

 部屋の整理をするためには、どうしても棚が必要になることがあります。完成された家具だと、移動が大変です。かといって、安価で軽いものは壊れやすい。鉄やステンレスを使用したものもは始末に困ります。自分で設計した図面を工務店で裁断してもらい、組み立てる方法もあります。それでも、実は費用がかえってかさむことがあります。そこで見つけた「安価で頑丈、分解、始末も容易」な棚がありましたので、お探しの方は参考にしてください。

  それは、こちらです。 http://www.muji.net/store/cmdty/section/S02703 

  この中にある、パインユニット棚 小です(2~3ページ目も参照ください)。 私の場合は、当初プリンターの増設に伴う棚の拡張に使用するつもりでしたが、パイン材が綺麗なので食卓の高さにそろえてテーブルの拡張に利用しました。結局、「どの選択肢よりも安価で頑丈」さらに塗装をしていないため溶剤等の臭いはありません。パイン材自体は、2~3日で臭いも消え快適です。アレルギー反応(個人差があります)も大丈夫でした。 

  また、棚板、側板、補強金具などを別々にも販売していますので、高さ3種類、横幅2種類の寸法を選択することで、適用範囲も広く増設なども簡単です。購入時には、棚板などを計画的に購入すると運送費の無駄がありません。 あまりにも便利で安価なので3セットも購入してしまいました。

2008/04/20

Visio の利用

 簡単に短時間で自分のイメージをドキュメントにしたいと誰でも思っています。報告書、契約書、説明書、簡易カタログなど、ちょっとだけ格好をつけたいと思うことも多いと思います。しかし、なかなかそのイメージが湧かないということもあります。 

  その自分なりのイメージを作るには、色々な書籍やカタログを眺めることが役にたちます。私は、お客様からの質問にメールだけではうまく伝わらないので、写真や図面やキャプション、クレジット等を付け加えて、分かりやすい補足資料を添付したいと思い、いくつかの「ページ作成ソフト、組版ソフト」などを使って見ましたが、最初は、操作を覚えるまでに「難解な用語を理解する」のに手間取ったり、パソコンには重すぎ(動作が遅い)たりしました。
 
  そんな時、Visioを見つけ(当時Visio社)、数年こつこつと使ってきました。当初は十分なアプリケーションではありませんでしたが、最近のリリース版はいくつかの問題は残すものの、数ページならば思うようなイメージで仕上がるようになりました。 

  操作方法については、紹介文書や資料がWEB上にありますので、ここでは、制作例をみて参考にしていただければと思います。  2~4ページものまで、以前に制作したカタログと取説のドラフト・サンプルを
http://cid-0ff68288dd53524e.skydrive.live.com/browse.aspx/Visio
に置きましたので、ダブルクリックしてご覧ください。

Microsoft Visioの詳細はこちらです。
http://www.office.microsoft.com/ja-jp/visio/default.aspx

2008/04/10

抜け毛に効果あり

 カーペットやフローリングに抜け毛が散乱してお悩みの方(抜けてしまった方は非該当です)は、ローラーなどで取り除く度に不安になるものです。このまま行くと髪の毛がみるみる無くなるかもしれない。一挙になくなってしまうなら仕方が無いけれど、何とか進行を遅らせる手段は無いだろうか・・・と真剣に考え始めます。 

  気になると益々気になるものです。私も、早めの手立てと思い、薬局でいくつか育毛剤などを購入し試してみたのですが、匂いなどがジジイ臭さを感じで継続できず、明らかな効果を得ることはできませんでした。 ここで紹介するのは、TVのCMで興味をお持ちの方も多いのではないかと思いますが「柑気楼」です。

  発注時には、電話の先で「半年ぐらい継続してお使いいただくと効果が分かりますので、2ヶ月おきに定期で送付いたします」といわれます。確かに、そうだ、今までそんな長期の間、試したことが無かったことに反省をして、使ってみることにしました。 
 
  その頃、ツルツル頭の人が「泥で毎日頭を洗ったら髪の毛が生えてきた」というTV番組を見たので、微細な墨入りの石鹸を購入し、シャンプーを止めて、墨石鹸とクレンジング マッサージブラシ(十字に細かく動かす)で洗髪し、よく乾燥させた後に「柑気楼」を使用することにしました。 匂いは、わずかに「柑橘系」です。 

  すると、1ヶ月ぐらいで抜け毛が減って、2ヶ月を過ぎると、細かな産毛が増えているのが確認できました。「おおっ」と思い更に勢いがつき、現在4ヶ月になりますが、頭髪に明らかな厚みが増えました。(環境や条件、あるいは頭皮の状態によって効果が異なります) ポイントは、「柑気楼、墨石鹸とクレンジング・マッサージブラシの組み合わせ」だと確信しています。抜け毛が気になる方は、ぜひお試しください。いずれもWEBで検索すれば紹介されています。 勢い余って(欲張って)、余計なものまでお求めになりませんようご注意ください。

2008/03/30

パソコンの改造

 私は6年前のパソコンを少しづつ部品交換をして稼動させています。これは、現在使用しているアプリケーション・ソフトを継続使用するためです。また、適度な処理スピードを確保するために、1つ1つ丹念に新たな部品に交換しています。

  制作するファイルサイズが大きくなったり、修正や表示を何度も繰り返すようなアプリケーションでは、いつか少なからず現状の実行速度に不満を持つようになります。また、新たなアプリケーションに対応するためにも、新しい部品に交換する必要性は出てきます。 背景や理由は他にもあるのですが、部品交換によるパソコンの継続運用方法を紹介します。

  メーカー製のパソコンを使用する魅力は、CPUからブリッジ、バスに至る各ステージが正しく同期して安定して動作することです。それを損なうような部品交換はかえって逆効果です。部品交換に最も適しているのは、メーカー製の堅牢な筐体を上手に活用して、HDD、グラフィックス、CPUの順が効果的です。

  また、障害発生時にも運用継続するための手段として、同じハードウエアで構成したパソコンを2台平行して使用することも有効です。 ここでは、部品交換を実施する度に加筆修正して残したドキュメントを紹介します。 
このドキュメントは、
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21611&app=WordPdf

2008/03/20

ミネラルは大地と海から

 昔、蜂蜜を食べて元気になったことを思い出し、また、少し始めようと探していました。一般のマーケットでは昔風の結晶が白濁したものは見当たらず、どれも半透明の液体になっていました。価格も割高なのに、食べると水あめで薄めたような味でした。そんな折に、中国産の偽蜂蜜の報道を見て憤慨していました。あきらめかけていたところ偶然に「西村はちみつ」を見つけました。勿論こちらは本物。風味のよさとこの雑味は紛れもなく昔食べたものと同じです。

 塩は、案外嫌われる食品の一つです。血圧が上がるからといって嫌われます。原理は間違いなくそうですが、ミネラルを大量に含んだ塩は、逆に摂取する必要があります。そこで、とてもおいしい塩を紹介しておきます。それは、「ぬちマース」ぜひ一度お試しください。美味しいからといって、たくさん使ってはいけません。

 市販のサプリメントからミネラルを摂取するのも悪いことではありませんが、サプリメントは体の吸収がよく、それに体が慣れてしまうと自然の物を吸収しにくくなります。できれば、最初から天然物から摂取して体調を整えるようにしましょう。 特徴・価格・効能は、「西村はちみつ」は
こちらhttp://chofu.com/n-hachimitsu/

と「ぬちマース」はこちらhttp://www.nutima-su.jp/nuti/index.html
です。

2008/03/10

不治の病を治す

 仕事では、過去に医療用の画像ソフトウエアの開発とシステムの販売をしてきました。
当然仕事柄、様々な先生方と遭遇してきました。

 ここで紹介するのは、こちらの先生。
http://www.igtc.jp/aisatsu.htm
 こちらの本文をお読みいただき、御自分がもしこの関係の病気になったときに思い出してください。
 あちこちの大病院に掛かって、多額な治療費を支払ってしまう前に、こちらの病院の堀先生と相談して、最初から適切な治療をしてもらったほうが、トータルの治療費が安く上がり早く社会に生還できます。治療そのものは、体への負担は最小で、治療を進めながらでも会社へ通えます(病気の状態や進行程度によって治療方法や入院期間は異なります)。

  とても効率のよい治療ですが、極めて微細なテクニックが必要で、エキスパートのいない大病院では実現できない治療です。
 堀先生は、この分野の第一人者にもかかわらず優しい先生です。

2008/02/28

ジョイフル・ブラス

 30年ぐらい前、Hi-Fiオーディオが全盛でした。私も雑誌(昔の「ラジオ技術」)を読んでコンポーネントを交換してみたり、スピーカーを組み立てたりと楽しんだものです。雑誌を読むことで、真のHi-Fiとは何かを考えさせられました。計測データーを積み重ねていくことは根本的な見識を磨くことに役立ちました。

 しかし、さほど生の楽器の音を聴いた記憶はありません。そんなオーディオマニアの方は多いのではないでしょうか?そうです。ここで紹介するのは、オーディオマニア向けの生演奏グループです。 グループ名は、The Joyful Brass でJAZZ UNITです。

 メンバーは、それぞれ別々に活躍するスペシャリストですが、年に何度かグループで演奏活動を行っています。ぜひ、鮮烈なサウンドを今、オーディオマニアの方にも、昔そうだった方にも聴いてほしいと思います。そして、ご自宅のオーディオ装置のバランスを調整したり、音の聴き方を変えてみてはいかがでしょうか。 それどころか、オーディオ熱がよみがえり、再び半田ゴテを握ってみるのも充実した時間を過ごすきっかけです。 最新のコンサート・パンフレットは、
http://www.nextftp.com/suyama/Joyful/Soul%20of%20Brass%20%EF%BD%83%EF%BD%8D.pdf

 にPDFとして置いてあります。ダブルクリックしてご覧ください。
メンバーのプロフィールは掲載されているアドレスからどうぞ。

2008/02/20

液晶かプラズマか?

 自分用の地上波デジタルテレビを購入するに当たり、その選択経過をレポートとしてまとめました。これからテレビを液晶にしようか、プラズマにしようか迷っている方々に参考になればと思います。 ポイントは、画像ポリシーを図式化して、その項目を選択的に評価していくところにあります。自分の部屋で自分の好きな番組を見るわけですから、すべて、自分の目で確認して結論を出すべきです。 スポーツ、芸能、ドキュメンタリー、映画、バラエティー、TVショッピングなど、人はそれぞれ「美しく見たい番組やこだわる画質」があるはずです。
http://www.nextftp.com/suyama/TV/TV%20TEST.pdf

に「TV TEST.pdf」として置いてあります。ダブルクリックしてダウンロードしてください。

2008/02/10

ピーコックヒル

 伊豆高原で、美味しい食事のいただけるお宿を探すなら、迷わずピーコックヒルへ行ってください。絶対お勧めです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~p-hill/

 私は年2回お邪魔します。もちろん温泉と露天風呂もあるのですが、それだけなら他にもたくさんあります。しかし、ここは食事がまるで違います。夕食は、有楽町や銀座で食べるコースと遜色ありません。別オーダーで伊勢海老のローストをお願いするのも伊豆ならではの楽しみです。朝食も一流ホテル並みです。まさに、虚飾を廃した「食事と温泉」のお宿です。

 温泉は、人気の少ない季節外れに行くに限ります。じっくり、自分の考えをまとめたり、結論を導くには時として「旅行者の喧騒」が邪魔になるからです。

 食事をして一泊、温泉(眺望のよい露天が2つある)に入って、交通費を加えても、お手軽に出掛けられる場所です。

 東京から直通のJR特急(乗り換えなし)に乗っていくのは、便利ですが交通費が贅沢になるので、できれば、小田原まで小田急ロマンスカーに乗り、そして→JR→伊豆急を使ってください。伊豆高原駅からは、体力づくりのためにできれば歩きましょう。自信がなければタクシーがあります。もちろん時間に余裕があれば大室山までバスで行き、そこからピーコックまで歩くのもよいと思います。

翌日は、駅まで車で送ってもらいましょう。
 特に、交通機関をくふうして無駄な出費を抑えてください。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21616&app=WordPdf
に体験記としてPDFがあります。ダブルクリックしてご覧ください。