2009/03/31

オレンジジュース4種

 今頃は、期末の忙しさから開放される頃でもある。しかし、「やっと一息」と思っていても、もう、すぐに次の計画が発表され、再び慌しくなる頃だ。気温の変化も激しく体調の管理が難しい。そこで、回復力や免疫力に即効性があり、体の負担が少ないビタミンC、クエン酸、アントシアニン等を大量に含むジュースを紹介しておこう。大概の企業戦士は、これらが慢性的に欠乏している。 ただ、市販のビタミン剤等からそれらを摂取している方は、効果が薄い。既に吸収に優れたビタミン剤からしか体が受付なくなっているためだ。 今回紹介するオレンジジュースは、イタリアのシチリア島で採れるブラッドオレンジ、バレンシアオレンジなどを搾ったジュース2種と、瀬戸内海で採れる柑橘、温州みかんを搾ったジュースの2種である。

 ブラッドオレンジのジュースは、EU(欧州連合)規格の有機農法(完全無農薬)で育てられた完熟ブラッドオレンジを、現地の有機JAS認定工場で搾り、輸入して広島県にある有機JAS認定工場でビン詰めしたもので、徹底した「品質保証システム」で管理されているものである。EUでは、シチリア産のブラッドオレンジを法規2081/92により地理的表示保護の認定もしており、伝統や地域性に根ざした高品質な食品として認めている。また、EU/イタリアの有機栽培基準は、有機JASと同等性が認められている。有機JASは、農薬や化学肥料を使用しないで栽培するのを原則としているが、自然界にあるものは使用できる。しかし、規定によって具体的にその品目が定められている。また、使用された物は記録に残し管理される。それを第3者の認定機関が監査をして、認定された者だけが有機JASの認定業者になる。もちろん海外で生産される有機農作物に関しても、生産者が有機JAS認定業者になるか、同等と認められる場合、所定の手続きを経て有機JASマークをつけることができる。つまり、有機JASとは、「安心・安全の品質保証」と考えてよい。

 では、味はどうか、このような生産および製造プロセス、あるいは完熟搾りを明示されたブラッドオレンジジュースを飲んだ事が無いので、イタリア系のお店等で用意されているブラッドオレンジジュースとの印象比較しかできないが、酸味と甘さのバランスが全く違うのである。今までのブラッドオレンジが目の覚めるようなシャープな酸味があったのに対し、こちらは、「酸味と甘みと深み」の点で異なる。それは、ブラインド・テストで誰が比較しても明らかであり、おそらく100人中100人が、こちらの方が「まるで違うが、明らかに美味しい」という感想になるに違いない。

 これを、単純なジュースとして評価するなら、高級な美味しいものでしかないが、体調整備飲料とか風邪予防飲料、あるいは健康美肌飲料のような視点で観ると、720ml=980円は、全く高いジュースとは思えない。むしろ、このような飲料こそ、かつての牛乳のように、毎週1本づつ配達して欲しいものだ。 そのくらい、このブラッドオレンジジュースは美味しいし、体調も改善され良くなる。 残りの3本のジュースについても、安全・安心に関してはブラッドオレンジに準ずるような製品に仕上げてある。気になる糖度は4種全て13%前後であるが、酸味や渋みなどのバランスの違いにより、味は大きく異なる印象を持つ。したがって、実際に試飲して、好みや飲みやすさの点から選ばれることをお勧めしたい。私は種類が多いほうが楽しいので、4種揃えたいが、どれか1つ選べといわれたら、決定的に「ブラッドオレンジジュース」を選ぶに違いない。
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2009/03/27

北海道ラーメン2

 昨年6月、渋谷の「壱源」のコタンラーメンを紹介した事がある。昨年11月ぐらいに近くへ寄る機会があったので訪ねてみたら、何と閉店してしまっていた。あのあたりは、地価高値安定の地域だから、採算の取れる客数を確保できなくなったのでろう。北海道出身の人達は、大変残念に思うに違いない。このお店に限らず、故郷のご当地料理を出す店は、飛行機で往復するより安いことに間違いは無いので、少々高くても本場の味が楽しめることはありがたいし、好きなものがあるなら、とことん楽しみたいものだ。

 一方、東京は、懐かしい味に執着するよりも、新しくて美味しいものが次から次へと沢山用意されている。だから、いつしか故郷の味なんぞ忘れてしまい、お洒落な店へ通うようになるに違いない。田舎者ほどそうなる。もっとも、そんなご当地ならではのお店も集客数拡大のため、東京の趣向に沿った味に変貌してしまい、本来の良さを見失うことにもなりがちだ。 結局、景気に左右され客数が減ると、何をどのように手を尽くしても、撤退せざる終えないことになる。特に、100軒あれば100通りの味があるといわれるラーメン店の経営は、多くの地方出身者が集う大都会でも、既に難しくなってきたのかもしれない。

 私は、ラーメンを食べるなら味噌味が好きだ。元々関西人であるので、尾道ラーメンや広島ラーメンも嫌いではないが、「それは、もういいや」と思っている。北海道ラーメンの中でも、辛味噌仕立てが特別好きである。中に入っているものは、とんこつの成分であることは十分理解していて、平素、このようなコラーゲンの大量に含まれる食品を嫌うため、1つの補給手段としてもありがたいと考えている。そして、1番美味いと思わせる要素は、何と言っても、ちぢれ麺の「腰の強さと喉越し」であり、讃岐うどん、イタリアン・パスタ、ともに、それは酷似していて、麺を食べる醍醐味に共通性があり、自己のデーターベースの上では「納得感のある麺類の1つ」と位置づけている。ただ、辛味噌オロチョンのトッピングの中には、どういうわけか焼き豚のような四角く裁断された肉の固まりがいくつか混入しており、いつも、このお味は、「美味しくないんだけどな」と思いながら頂く。ここには、もう1つ工夫がほしいところだ。 このような、自分では何でもない要求は、提供者側からすれば、「わかってない」客になるのかもしれない。

 さて、今日紹介するのは、同じ渋谷にある「味源熊祭」というお店で、看板に付け加えるように「おくむら」と書かれてある。JR渋谷駅からも近く、便利な場所なので東急ハンズの帰りなどに寄ってみるには好都合である。

 同じ辛味噌のオロでも、あの「壱源」とは、少々異なる味になっている。それにしても、より濃厚で、なかなか手数をかけ、作りこんだ美味しさが楽しめる。麺は、縮れた玉子麺ではないが、手打ちを思わせように、太くて腰もあり、喉越しも良い。これも、なかなか満足感を伴う食べ応えのある1品といえよう。私の場合、普通は辛味噌以外のラーメンを食べる事が無いが、激辛の鉄火麺もかなりいける。辛いのがお好きな方は、これもお勧めだ。そのほか、札幌味噌、函館塩、旭川醤油などもあり、それらの感想をぜひ、北海道出身の方がいらしたらお聞きしたいと思っている。店内は大変綺麗で、ラーメン屋さんの匂いさえなければ、ちょっとした小料理屋を思わせるお洒落な感じで、女性の方にもお勧めできる。
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2009/03/24

続デジタルカメラ21

 最近は、あえて人が寄り付かないような場所で写真を撮る事が多い。どうゆう訳なのだろう、自分も人格的にやっと一人前になったのか、人の邪魔にならないように心がけているのである。こんな謙虚で真摯に撮影をする自分に、大人になった誇りを実感するのである。

 一般的に撮影によい場所は、人が集まるものだ。この場所で撮影しておけば間違いはないと考えているか、あるいは、絶対に外せないと最低条件として考えているのだろう。天邪鬼な自分としては、目的も対象も違うので、そんな場所には余り興味は無い。しかし、あえて遠く離れてカメラを構えていても、立派なカメラを首から提げた「おっさん」が、通りすがりのような顔をして2~3カット連続で流すように、目の前を撮り去ることもある。また、じっくり構えている時に限って、「カメラを持ったおばさん」が寄ってきて、レンズの方向と同じように眺め、「ここいいわよ~」と大声で仲間を呼んだりするのである。「あんた、そのレンズでは無理だよ」 とも言いたいが、全く「自分の独自性や考えの無い」撮影をする中高年が多い。加えて、そんな連中に限って「高級一眼カメラ」を持っていたりするので、マナーの説教もしにくい。

 今日も、人を嫌い、近くにある誰も近寄らない桃畑で撮影をしようと出かけた。いくつか対象になりそうな木々を探しながら歩き、周囲を眺め、人がいないので、遠慮もないし、気分も良いと満足し、心が弾む。日差しは強く、一寸汗ばむ陽気で、微風が初夏を思わせる爽やかさであった。しばらく散策して、1本の桃の木の前で静止する。「ほうー」と思い、何故かその木の前でしばらく、じっと眺めながら、「どうしたものかな、どのように撮ろうか」と考えながら、おもむろにカメラを取り出し、液晶モニターを片目で覗く。立体感を片目で確認するためだ。大きな深呼吸をして、ため息を付き、「このカメラでは、難しいな」とつぶやく。ちょうど昔、母の育てた庭の花を撮影させられ、うるさい事を言われたなあと、懐かしく思わせる被写体である。やっぱり、折角だから、とりあえず撮影をしようと、カメラの位置を模索する。太陽光の状況を見極め、しばらく時間を置くことにした。太陽の位置が少し後の方が良いからだ。じっと眺めながら待ち、しばらくして撮影を始める。

 なにやら、後方遠くで少し人の声が聞こえたが、悪い事をしているわけでもないし、撮影禁止のような場所でもないので、気が付かない振りをしながら、あえて撮影を続ける。声をかけられて邪魔が入る前に一通り撮り終えておきたいと思い、1台目の液晶モニターの構図を確認しながら、急いで2台目を撮影する。2台とも露出を変えて数枚ずつ撮影するので、短いときで2~3分、長くても4~5分である。

 終わって液晶モニターを確認しながら、再び深呼吸をしながら何気なく振り向くと、驚いた。大勢の車椅子の「じいちゃんやばあちゃん」がいるではないか。しかも、私の背後を囲むようにしている。総勢15人ぐらいはいそうだ。ずっと、後ろで黙って見守ってくれていたのか?「ええー」と声が出そうになったが、みんな車椅子の後ろには、眩しいような白衣の看護士さんを従えている。つい、私の方から「すんませーん」と声を発してしまったが、何故、俺が謝るのかわからなかった。一人のばあちゃんが、私の方を向きながら、「やっぱり、この木が一番いいわよねー」と声をかけてくれた。  「そ、そ、そうですね」と言いながら、後ろに下がる。恥ずかしさも、その言葉で救われたようだった。ひと気の無い、遠くに飛行機の音や鳥のさえずりしか聞こえない場所で、こんなことに遭遇するのは、大変奇妙な感覚である。自宅に帰って撮影したものを見ると、救われるほどいい写真ではなかったが、イメージに近い状態で撮れていた。枯れたばあちゃんには、その生命力が羨ましかったのかもしれない。かつて、母から何度も取り直しをさせられ、一番苦労した「立体感の再現」は、合格していると思う。 やはり、どのような面倒な被写体でも、状況をよく見極めると、それなりに経験は生かせるものである。
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2009/03/20

ソースの美味いパスタ

 不景気が続いている。みんな、お金が無いわけではない、悪い流れがいまだ隠蔽されている以上、先行きが不安なだけである。でも、人が活動する限り、必要なものは必要であるし、食べてきた物は、食べたいのである。だから、美味しい物は、食べる回数を減らすしかない。それは、散髪に行く回数と同じ傾向を示す。端的に言えば人にまつわる事柄は、殆どが回数を減らすことで状況を切り抜けようとする。時間稼ぎというか、課題の先送りと同じ思考だ。しかし、それにも、当然限度はある。

 特に、激しい競争で淘汰されてきた「デパート地下のお惣菜屋」でさえも苦戦を強いられている。手を変え、品を変えて、購買意欲をそそろうとするが、そんな努力は全くの無駄である。今、デパートに来ている人は目的がはっきりしている。いつもの商品を買いに来ているだけである。大幅に値上げされた商品には躊躇しても、そうでなければ購入する。 ただ、店側にとってみれば、現状では明らかに販売数が伸び悩み、損益分岐点を下回っているので、いつこの売り場から撤退しなければならないか、不安を抱え、深刻な事態になっている。だから、店主はいつも電卓を叩いているし、店先では、私にまでも声をかけてくる。

 半年ほど前になるが、小田急デパートから出たところで、インタビューアに引っかかってしまった。「これからのデパートのあり方について」色々と聞かれた。結論は、「再編・統合しかないしょ」というと、インタビュア、カメラマン、マイクさんまでも、5人そろって顔を強張らせた。「いやいや、デパートだけじゃないすよ、家電メーカー、大型電気店、カメラ量販店、ほら、そのヨドバシ、ビッグカメラ、さくらや、・・・そんなに数は必要ないし、「ポイントと言う名の(=次回値引きなしの預け金)」の競争までして買わないでしょ、インターネット・ショップもあるし・・・」。予想屋でも占い師でもないが、客観的に観て誰でもそう思うに違いない。先行き、明るいのは、これから増える「我慢して先延ばしに出来ない葬儀屋」、合わせて仏壇屋ぐらいしかないが、葬儀屋も適正で安価になったし、仏壇もモダンでアーティスティックに変わってきている。ニーズのあるところでは、手を変え、品を変えるのが定石だが、ニーズの減ったところでは、そんなことをしていたら、それが命取りになる。これは、作り手、売り手が時代の変化を素早く捉え、追従する事が出来ない過渡現象によるものだ。負けの構図が分かった時点で、さっさと撤退すべきである。

 ちょっと、横道にそれてしまったが、ついでだから明るい話として、美を追求する年配(60歳以上)の女性が増えて、「いくらお金をかけても、美しさを維持したい」と言う要求が高まっている。年配女性向けの化粧品、加圧トレーニング、美容整形、高栄養剤血管内投与、などが流行っている。これらは、気分的な美から、老いることを遅らせる美学まで、多彩に用意されている。もっとも老いから来る病気を防ぐ効果もあるため、最高の予防医学でもある。勿論、旧来の医者には手が出せない新たな機材や技術が使われている。日本も欧米並に、若返り対してコストをかけるようになった。お金が余っている人達に残されている最大の課題は、やはり「老い」なのである。このような本質的な課題の先送りの技術は付加価値が高く、最先端テクノロジーが威力を発揮する。

 我々庶民は、適度に楽しく生きて、ある日、「ぽっくり行く」これが理想であるが、それも、ままならない現状がある。ならば、今、好きなものぐらい、食べようではないか。それも、明日への元気の源だ。 今日は、デパート地下で販売されているパスタを紹介しよう。アントニオデリというお店(東急フードショウ、二子玉川の高島屋などにある)の「4種のチーズ・ソースのリガトーニ」である。たまに頂くと、このチーズソースが「たまらなく美味しい」のである。もちろん、自分で材料を購入して作るより安い計算になる。勿論、イタリアンのお店で頂けば1,800円ぐらいはしそうだ。このように、購入者にとって明らかに割安感が感じ取れるものは支持を得る事が出来るが、いくら美味しいものでも、平素は買わない珍しいものや、今時の高級品は説得力が無い。

 この時期、庶民には小安い価格で、他より鼻差、首差メリットが計算できるだけで十分といえる。それが分からないデパート感覚には、やはり問題がありそうだ。 ではこちら
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2009/03/17

蜂蜜

 市販の蜂蜜には、一切の加工処理を行わない「純粋 蜂蜜」。水あめやブドウ糖や果糖を加えた「加糖 蜂蜜」。加熱し脱色脱香した「精製 蜂蜜」などがあるらしい。ここでは、「純粋 蜂蜜」であることを前提に話を進めたい。家の近所に「西村蜂蜜」という専門店があるので、ぼちぼち購入するようになり、体調も改善され、なかなか具合が良いので興味を持つようになった。

 西村蜂蜜店には、様々な蜂に関する特産品が並んでいる。国内品のみならず、海外品まで取り扱い販売している。それらを眺めながら、世界中で、こんなに多くの種類の蜂蜜が販売されているには、きっと少なからず効能があるに違いないと思い、話を聞きながら、試食をさせてもらうようにもなった。お客は女性の常連客が圧倒的に多くいらしい。効果が肌に現れると言う。このような食品は、理屈ではない、自分が何か良い変化を感じれるようになれば続くはずだ。それでも、やはり動機は重要な要素なので、聞いた話などを要約してまとめてみた。

 蜂蜜は様々な有用成分が含まれているが、アミノ酸、ビタミンC、ナイアシン、ビタミンB群などの水溶性ビタミン、ミネラルではカリウム、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄分などが、豊富に含まれている。蜂蜜は砂糖とほぼ同じ甘さで、カロリーは100g当たり54kcalも低いらしい。つまり、砂糖に代えて使えば、同じ甘みを確保しながらカロリーを押さえ、肥満予防やダイエットに利用できそうだ。歴史的に観ると日本では、れんげ草の蜂蜜が好まれてきた。さっぱりとして、ほのかな薫りが多くの人に支持されてきたものと思われる。これは、トーストなどに塗布して戴くのが一般的で、ミネラルやビタミンと糖分が寝起き時には有効に機能する。れんげ草のほか、みかんの花、ブルーべリーの花の蜂蜜なども朝のトーストに向いてそうだ。

 一方、蜂蜜は肌に塗ると徐々に浸透していき、肌に潤いを保つ効果があり、皮脂の代わりの役を果たす。うるいおを求める人には、もってこいかもしれない。同時に抗菌作用があり、春先などに汗が手のひらの皮膚下に溜まり、水泡などが出来る事があるが、これにも効果があるようだ。キーボードを多用する仕事には効果を発揮するかもしれない。もちろん、天然素材なので手肌には、やさしいと言われている。これには、アカシアの花、ローズマリーの花、ラベンダーの花の蜂蜜が良い。

 その他、不健康な人における主な効能について調べてみると、二日酔いの防止、口内炎、動脈硬化、心疾患、高血圧などが挙げられている。その心配のある人は、ヨーグルトに混ぜて食べるなどすると良いらしい。この場合、腸内善玉菌の拡大により消化器官にも有効に機能するという。また、珈琲、紅茶等に投入することで飲みやすくなるとも言われているが、蜂蜜の薫りが高いため、珈琲には「珈琲の花の蜂蜜」、紅茶に「檸檬の花の蜂蜜」が良いと思われる。また、紅茶には、りんごの花の蜂蜜も合うかもしれない。

 中高年の方には、「蕎麦の花の蜂蜜」がお勧めのようだ。蕎麦自体も効果があるが、毎日頂くわけにも行かない。蜂蜜にはその効能が凝縮されており、それなりの効果はありそうだ。

 ここでは、効能の高いものを2つと、朝食のトーストや紅茶に使える2種と計4種取り上げてみた。純粋な蜂蜜は、贅沢品に見えるかもしれないが、これらによって少しでも体調を管理できるとしたら、薬の投与に比べると体に負担がなく、優しいものと言えそうだ。ただ、花粉症の人には、「花粉の含まれる蜂蜜」は絶対良くないので注意が必要である。あと、蜂蜜は、自然の限られた資源なので、専業メーカーでさえも、水飴で薄めたものが多い。購入時はよく調べる必要がありそうだ。純粋蜂蜜の賞味期限はほぼ5年と長いので、大瓶で用意しても大丈夫である。 ではこちら
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2009/03/13

ディスカバリー1

 過ぎ去った昭和を懐かしく思う人が増えているようだ。中でもオーディオ熱が再び蘇ると、始末が悪い。友人もその1人だ。コンピュータ会社で最先端のハードウエアの開発をしていたが、疲れ果てたといって、何年か前にアメリカから戻ってきた。今は、コンサルティング会社を経営しているが、家では密かに真空管アンプを作って楽しんでいるらしい。昔から多くの真空管をストックしていたようで、50歳過ぎて夢を実現しようとしている。お仕着せではなく「最初から自分で考えて、これと思った事」をとことんやることに喜びを感じているようだ。髪の毛もなくなって、お腹も出ているが、その熱中した姿は、昔を髣髴とさせる。それにしても、頭の毛がなくなると、何でひげを生やすのだろう、それではまるで「おやつのカールのおじさん」じゃないか。・・・・・と思いながら、私は、再び 「おい、聴きに来ないか?」 といつ声がかかるか分からない恐怖に脅えている。 

 私が、オーディオに興味を持ったのは、大学時代である。回りの学友はみんな、オーディオを当然のように趣味にしていた。「電子計算機や情報処理を専攻しているやつらが、なぜ、オーディオなんだ!」と思いながらも、周囲に影響され、夜は毎日のように真空管アンプの音を聞かされた。しかも、彼らのオリジナル設計である、回路がどうの、部品がどうの、ああでもない、こうでもない。使う部品で音が変わるなんて、雑誌が話題にする前から、厳然とした事実があった。学生食堂でもそんな話ばかりしていた記憶がある。私は、電子管工学の授業で、二次電子放出と言われても、それがさっぱり見えない事が不満なくらい疎い方であった。しかし、「門前の小僧お経を読む」ではないが、どんどん彼らによってオーディオの世界へ引き込まれていったのである。よく考えてみると、彼らにとって計算機室にある「電子計算機自体」が趣味に近かったようだ。この頃から、自然に自分に「知らない事を聞き出す能力」が養成されて来たのかもしれない。「知っていること以外は、知らないこと」を信条に、知識や理屈を組み立てていく。だから、基本が分かってないと言われることもあるし、そんな理屈は無茶苦茶だとも言われた。反論として、「分かってない俺に、分かるように説明できない」お前は、本当に分かっているとはいえない、という屁理屈もこねた。そのくらい、オーディオとは、「理屈と音」を結びつける趣味である。分野は、マテリアル、自然科学、大脳生理学、音楽、物理、数学などに及び、議論は尽きない。だからこそ、ライフワークにもなる。ただ、趣味はなんでもそうだが1人独自で楽しむのは辛い。仲間が必要なのだ。理屈をぶつけ合い、自分の考え方を検証しながら話題を展開する。集めてきた情報を議論するとき、大脳も活性化する。実際に出ている音よりも、はるかに細かい話をしながら聴き比べをするのは、ある意味、苦痛でもある。 そこは時間と共に「戦いの場所」と化してしまうからだ。

 ちょっと、余計な話になってしまったが、最近、歳を重ねた人が、本格的にオーディオ装置に手を入れるケースが増えていると言う。アンプは、マークレビンソン、スピーカはJBL、CDプレーヤはPhilips とか舶来の高級品が人気が高い。お金に余裕がありすぎるのも考え物だ。スピーカ・ケーブルにまで数十万円のお金を使うようになるという。オーディオを再燃させた動機は、そのような場所に遭遇したからかもしれないし、そういう装置しか販売していないという現実もあるのかもしれない。しかし、どのようなオーディオ装置を用意するにしろ、終わりの無い趣味であるから、先行きに「適度な夢」が無ければならないし、自分が求める音作りが必要だ。趣味は、理屈と実践が一致した時、初めて喜びを感じる事が出来る「頭のスポーツ」である。自ら考え、作り、あるいは工夫し、そして第三者の評価を得る。そのプロセスを繰り返しながら、少しづつ趣味として充実したものになるはずだ。

 結局、私はオーディオマニアにはなりきれず、「門前の小僧」を脱していないが、それでも、音を鳴らすすべは知っているつもりだ。先日も、秋葉原でかつての銘器といわれるスピーカ・ユニットLE-8Tや2405の展示処分品を見た。思わず、オブジェとして買いたい!と思ったが、結局、それを眺めながら、遣り残している事があることを思い出し、断念してしまった。しかし、それが大きなきっかけになり、倉庫を整理してみる気持ちになった。そんな動機は、誰にでもあるはずだ。だから、このPDFから何かの刺激を受けて、できれば再燃してほしい。今日紹介するスピーカ・ユニットは、1983年5月に「ラジオ技術」誌に原稿をまとめた後、予備で購入した補修部品と実験用部品のストックである。友人のように再び情熱が蘇れば楽しいかもしれないが、と思いながら、記念に写真を撮って再び倉庫の奥にしまってしまった。ではこちら
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2009/03/10

自作料理8

 今日は、市販の蕎麦を試してみることにした。勿論即席だ。最近のマーケットでは、蕎麦展示の一角の面積を増やしてきた。それらは、乾麺、生麺、太麺、希釈用つゆ付きなど様々の品種に及ぶ。テレビなどでも、「ごんぶと」なる宣伝を見た事がある。そんな多くの製品の中から、江戸の味「東京・藪そば」=(製品名)と書かれた即席蕎麦を再現してみる。何とも雰囲気のあるパッケージデザインに魅了され、つい手が伸びてしまったのだ。これは、「藪」系統の蕎麦屋の製品で、甘皮色を入れた淡緑色の蕎麦で更科蕎麦と共に、東京蕎麦の代表格である。製造元は「麺処本舗」=株式会社 東京三八 (調布市佐須町2丁目31番1号)である。

 蕎麦といえば、「もり」か「かけ」だが、もりにして、ついでにだし巻き玉子も作る。蕎麦好きが10人いれば10通りの嗜好があり、全ての人達を満足させるのは難しい。とくに、蕎麦つゆは、お店等では独自性を出すため、よく「秘伝」と言う言葉が使われるぐらいだ。おっと、最近の「秘伝」とは、「教えられない」と言う意味だけに使われる。

 特に、同梱されている蕎麦つゆは極小量しかないため、何かしらの追加が必要だ。そこで、市販の蕎麦つゆ、本醤油、顆粒だし等を組合わせて作ることにする。基本的には、味醂と醤油とだし(鰹節、鯖節、など)の3点で調味混合されている蕎麦つゆは、独自の工夫で様々な味を作ることが出来る。お店を開くなら、それに本格的に取組んでも良いが、この蕎麦を美味しく頂く程度には、市販蕎麦つゆ混合方法でも十分近づける事が出来そうだ。市販の蕎麦つゆは、保存性を高めるため、たいがい甘く作られている。何種類か比較しても甘さが残り、その割には味が薄い(PDF写真でもつゆは薄い)。そこで、本醤油を加えて(少し火を通し)甘さを抑えた「神田まつや」風にするか、甘さを抑えたところで、あごだしを加えて、「砂場」風に仕上げる。さらに、刺身醤油を微量追加したり、蕎麦の蜂蜜を少量添加してコクを出す。その後、最後に天然水を少量加えて薄め、冷却する。この方法は、あくまでも、「もどき」であるが、これでも十分楽しめる。なぜなら、ネギやわさび、大根、一味など薬味を追加するからで、ある程度自分の好みが実現できれば良いからである。

 一寸余談になるが、今までに蕎麦屋は4軒紹介してきたが、蕎麦の麺は、深大寺粗引き蕎麦が断トツNo.1 といえよう。しかし、蕎麦つゆは難しい。合わせる蕎麦によっても違うし、日によって、体調でも異なる味に思える、もっとも、自分が関西人であることもあって、砂場の蕎麦つゆは親しみやすい。もちろん「だし巻き玉子」も砂場が好きである。

 だし巻き玉子を作るときは、天然水で薄める前の濃い調味混合液に三温糖か、砂糖を追加して甘みを加えて玉子と攪拌する。玉子は味が抜けやすいので、色は若干濃く感じるぐらいで丁度良い。玉子焼き用のフライパンに胡麻油をごく少量加えてから、フライパンに満遍なく通し、玉子を流し込む。決して強火にはせず、半熟が残っている間に、ゆっくり巻き上げて余熱を活用する。誰でも簡単に柔らかい「だし巻き玉子」が5分程度で出来る筈だ。 ごく少量しか使わないが胡麻油が嫌いな方は、普通のサラダオイルでも、オリーブオイルでも構わない。出来上がったら、大根を多めにすりおろし、絞って蕎麦つゆを加えて脇に添える。

 蕎麦麺の茹で加減は、たっぷりのお湯を使って麺を泳がせるようにすることと、茹で上がったら冷たい水で、ほぐしながら洗うように冷やすのが注意点だ。笊は、水切りの為にも、風情を楽しむ為にも、必らず用意してほしい。最後に薬味を用意すれば作業完了である。全体を通した制作時間は流れを手際よく考えて実行すれば、おおよそ20分もあれば十分である。 また、こうして、自分なりの「蕎麦つゆ」を研究してゆけば、蕎麦屋での味わい方も変わる。また、市販の蕎麦麺に対する見方も変わり、結構、面白くなると思う。

 この蕎麦を総評すると、茹で時間次第ではあるが、今日の「藪そば」は、やはり、神田藪そばに近いと思う。目的を果たすと言う意味では、よく出来ている。昨年10月に「神田藪そば」の報告があるので、そちらを参考にされたい。 では、こちら。
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2009/03/06

続デジタルカメラ20

 今回で、20回を迎えるデジタルカメラシリーズだが、カメラの画質については、ある程度お分かりいただけたと思う。撮影対象に関しては人それぞれだし、結果における満足度も様々と思うが、使い勝手は、殆どの人が同じ意見を持つと思う。したがって、操作系についても少し補足しておこうと思う。 このクラスのカメラは、ホームページの制作等にも多用されるし、家族の誰が使うか分からない、それらを考慮しておこう。

 デジタルカメラと言えども、全く新たな操作を要求しているわけではなく、フイルムカメラの歴史的背景を考慮して設計されている。受光部には光電変換素子が使われ、光を電気に変える。このときの電気はアナログである。その後、画像処理をするためにデジタル化される。我々が操作できるのは、光電変換の前の部分で、光電変換部に与える光の量を調整するだけに留まり、後の処理はお任せになる。ここは、色フィルターを通過したあと電気に変換されるため、色再現は色フィルターで決まる。したがって、どのカメラも本質的に色再現には大きな違いは無い。

 主な操作は、ASA感度、絞り、シャッター速度を変化させて露光を調整する。これには、自動機構が働いているが、それでも、実物と比べてその対象が明るかったり、暗かったりするため、露出補正機能を使い自分で調整する必要がある。液晶モニターを見て、目的の被写体が暗ければ、露出補正を+1/3、+2/3、と増やし、明るすぎる場合は逆に-1/3、-2/3、と下げる。これによって、自分が重要と思われる部分の露光量を微調節することができる。これは、かなり実用的な機能となっている。絞りは、被写界深度(ピントの範囲)を決定し、シャッター速度は、動きの早さに対応する。どちらかを優先させる場合は、それに適したモードが用意されているので、それに切り替える。その判断は、説明書に記述されているが十分とは言えない。撮影時の状況で有効なモードがどれに該当するのか迷うこともある。デジタルカメラは、その場で再生できるため、モード切替をして実際の画像を確認しかない。

 このように、露光の基本的な機能が、簡単に使えるかどうかが重要である。メーカーによって、操作に対する考え方の違いがあり、コメントしにくいが、 「撮影を容易」にするのか、「画質を改善」するのか、の2つの機能に集約される。これを混在して操作系に組込んでしまうと、設計者には理屈に合うものかもしれないが、撮影者は混乱する場合が多い。その流れからみると、独自の切替え機構をつけたF100fdは、常用する露出補正操作が階層でMENU→撮影メニューと2段下がり、そこでセットするため、操作が面倒である。FX500は、1段で変更が可能で使い易い。 シャッターを切ったときに、自動的にピントを合わせるオートフォーカス、手ブレを自動的に修正する「手ぶれ補正」が2機種とも搭載しているが、これは、明らかにFX500が優れている。F100fdは少々だらしなく時々ボケボケの画像を出すことがある。 ズームレンズは、いずれもワイド端で周辺の光量の落ち込みが顕著であり、これは、どのようなズームレンズでもワイド系になればなるほど起こり易いので仕方が無い。 後でトリミングしかない。

 F100fdは、このカメラの性質を知った上で、難解な操作を克服してメーカー推奨画像(ダイナミックレンジ)と同じ撮影をしたいと心がける人を対象にしたカメラで、それを受入れれば、画質面での技術的工夫が威力を発揮する。ただ、それで必ずしも画質が優れているとは言い難いし、条件がクリティカルで、同時に限度もあるようだ。また、撮影後のデーター書込みスピードが遅いのが気になる。一方、シャッタータイミングに専念して撮影する写真には、FX500 が信頼できる。どこへ持っていっても、どのような被写体でも、100点とは言えないにしても、全て80点以上をたたき出す優等生的な製品である。ただ、FX500 の画質は、ややビデオ・カメラのような明るさ(全て明るめ)と色調で、面白みに欠ける。どちらかと言えば、操作の欠点がないことに重点が置かれている。撮影後のデーター書込みスピードは素早く軽快と言える。

 総合的に観て、F100fd は、画質のランクとしては1つ上といえるが、操作系が一般的ではないため、改良した次期モデルに期待したい。FX500は、使いやすいカメラで、1家に1台あれば誰でも使える優れもの。できれば、もう少し画質(ダイナミックレンジ)の広い機種を選びたいところだ。いずれのモデルも、まだまだダイナミックレンジに不足があり改良の余地は残されている。 画質に関しては、じっくり使い込むことで色々明らかになるので、特徴に合わせて目的を固定して、数台のカメラを使い分けるのが良い。

 今日は、温室が空いている朝から神代植物園へ来た。ここの温室は、午後から人の流れが多く、撮影に適した時間帯が短い。朝から、もうマクロ撮影している人もいる。温室の中から、年中変わらないベコニアを撮影してみた。ベコニアは様々な原色の花を咲かせるが、色の直線性が悪いカメラでは、露出量によっては品位のない軽薄な色になってしまいがちで、花びらを分解できないことすらあり、色再現が難しいので注意が必要だ。(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21825&app=WordPdf

2009/03/03

弁当シリーズ1

 今日は、渋谷の東急ハンズの帰りに駅前地下の「東急フードショー」に寄って、弁当を買ってきた。ここも所狭しと様々な種類の弁当が並ぶ。新たな食材を使ったもの、古典的料理だが容器や量に違いのあるものなど、色々工夫が見られるが、いくら合理的提案があっても、弁当は、あくまでも、自分にとって如何に馴染み易いかで選ばれているようだ。味の異なる食材を少しづつ配置して、おかずの種類を増やした弁当(幕の内風)は、自分で作ると大変な作業になるため、それなりの価値を認めざる終えない。しかし、食べたい気持ちは、また別の価値感と言える。1.美味しさは知っているが、ちょっと高いし、いまどき贅沢だ。2.美味しそうだと常々考えているが、失敗が怖いために、無難に、いつものやつでいい。3.しばらく食べてなかったから、また食べてみたいが、前と何か一寸違う。と人それぞれだ。やはり、「これしかない、これを食べたい」と思う衝動が起こらなければ、清水の舞台からは飛び降りるわけにはいかないのだ。大脳は、なかなか難しい処理を要求しているようだ。

 私だけかもしれないが、美味しいと思ったものは、飽きるまで食べる習性があり、新たな弁当を観ても、つい、いつものそれと比較してしまうのである。当然、浅草今半の「牛肉弁当」が基準、「すき焼き弁当」が上級ランク、東京大丸の「うなぎ弁当」が最高ランクになる。そんな価値観で店頭を覗いて歩く。やはり全体的に物価上昇の兆しが際立ってきた。そんな中から、今日は、小安い弁当で、自分でも作れるし、馴染み深い「故郷の味の炊き込みご飯」の1例である。その弁当の中に活かされた、東京でも通用するプロの仕事を知りたいと思ったからである。

 そもそも、炊き込みご飯とは、大量に収穫されて、余って行き場のない食材が、ご飯と一緒に炊き込まれたという歴史的背景をもつ。最近は、収穫されたものは、すぐに都会に輸送されてしまうが、かつては、大量に採れたものは処分に困ったわけだ。畑の肥料にしたり、干してみたり、燻製にしたり、乾燥させたりと工夫されていた。さらに、炊き込みご飯にすれば、家族全員でご飯と一緒に食べるため、消費量が増え無駄にする事がないと考えられたものだ。大量に採れる時期を旬といい、旬を食べる郷土料理として多くの人に親しまれてきた。味が染み込んだ炊き込みご飯は冷えても美味しく、おかずは、味噌汁と漬物ぐらいでよい。小腹が空けば、いつでも好きなだけ食べる、というのがこの炊き込みご飯の特徴といえる。昔は、おやつ代わりに食べることもあった。また、弁当やおにぎりにも広く応用された。

 炊き込みご飯は、実はみんな好きである。秋刀魚を焼いて一緒に炊き込んだり、たけのこ、松茸、栗、芋、鯛、鶏、銀杏、帆立、など単品から、それらを組合わせたものまで多種多様あり、制約などはない。アイデア1つで、誰にでも簡単に作る事が出来るが、炊き込む具が少量では美味しさを堪能することは出来ない。炊き込む具を大量に使うのが「故郷の味」を再現するポイントになる。 最近、松茸などは、珍重されて高級なものになっているが、子供の頃は、田舎では山中で沢山採れた。私も、毎年母の実家の山へ松茸狩りに出かけたものだ。当然、その場で焼いて食べても、炊き込みご飯にしても、そんなに美味しく感じたことはないし、取れる場所と同じ薫りが漂っているため、その薫りをかぐと、ちょっと日陰のかび臭い場所を思い出す。どうせなら、伊勢海老、蟹、穴子、鯛、秋刀魚などの海産物を炊き込んだ方が、はるかに「美味しい」と思っている。もちろん、人それぞれだが、今となっては、採れる場所や採る行為の難しさが、「美味しさ」の連想資源となっているのではないだろうか。そこまでして炊き込む必要などない。
ではこちら。
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