2011/01/28

やさしいダイズ、これはヨイ

 お客の考えの行き着く先まで検討し、それを先取りしている商品は、格別の魅力がある。そして、それが、ある時、会社の先進性を感じさせ、好印象を残す商品になる。大塚グループとは、昔からそういう会社であり、今後もそうでなければならない。僅かでも気を抜いてはならないし、言い訳をするような会社であってはならない。

 キャップが付いたぐらいで、再登場?と思われるかもしれないが、これがないと不自由でしょうがなかったのである。この紙パックといえども、だいたい内部の様子は外からは分かりにくい。バケツの水を連想してもらうと分かるとおり、容器を動かすと内部では大きな波が起こる。これが、容器の中を行ったりきたりしながら、隙間があれば外に飛び出してテーブルや床を不用意に汚してしまっていたのである。だから、パックの中身が半分ぐらいに減るまでは神経を使ってきた。なぜ、牛乳と同じパックにしないのだろうか疑問に思ったりもした。お客が牛乳でいつも行ってきた操作、つまり 「パックの開き方、注ぎ方、冷蔵庫に収め方、から飲み方」まで、この動作を資源と考えると、これを利用しない手はないはずである。わざわざ、「やさしいダイズ」の開封の為に「生け花に使う枝切りバサミ」を使い液体の出口としての大きい穴と、背圧を抜く為の小さい穴の2箇所を開けなければならないのか。全く苦しんできた人は多かったと思う。

 そもそも、こんな操作しにくいパックを大塚グループが作ってよいのか!と思っていた。恐らく、この「大塚チルド食品には、自前でお金を出してこのやさしいダイズを飲んでいる社員はいない」のであろう。だから、そんな容器の注ぎ口のことなんぞ、考えもしなかったに違いない。ま、優れた品質の商品を作ってさえいれば、お客は遠くからでも買いに来て、高くても買って帰るという、やはり昔ながらの発想の会社なのかもしれない。生産側としても、優れた素材を厳選して投入し、清潔で完全な生産設備を備え、技術に自信があればこそ、お客の台所の床だとか、冷蔵庫の中だとか、テーブルのことまでは考えられなかったのである。まるで、アメリカの大雑把で無神経な大量消費文化を象徴するような、少々こぼれたって、床を汚したり、テーブルに跡が付いても、「それが嫌なら飲むなよ」と言っている様な無神経さが漂っていたのである。

 といいながら、いつまでも無神経ではいられないのが競争社会である。「今ひとつ売り上げのノビが足りない」とくれば、売る為には何でもやらなければならない。確かに、このキャップをつけたことで新規のお客が増えるわけでもなさそうだが、でも、注ぎやすくなることで、今まで1日1回しか飲まなかった客が、1日3回ぐらい飲むようになるかもしれない、と都合のよい理屈を考えるのである。我々のような客は、安くなったわけでもないし、相変わらず冷蔵庫の場所は1.5倍占有するし、何も変わらないが、1つ良い事があったとすれば、これを飲む為の精神的苦痛がなくなったことである。
やはり、それは大きい。特に、枝きりバサミを使わなくても良いので年配のご婦人などには喜ばれるに違いない。
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 補足:写真のとおり、200ml容器のストロー口と同じ様な銀色の部分にキャップの付いた注ぎ口を挿入して注ぐ。なかなか具合はよい。



 

2011/01/25

お魚ステーキ

 あの無骨な男のお見上げには、様々な気持ちが込められていた。長崎から来た袋の中には、まだ残りがあって、前回紹介できなかった「お魚のステーキ」が2パック入っていた。危うくすっかり忘れるところだったが、元々この手の魚系は好きなので、今日は、これを1枚焼いていただこうと思って、パッケージにあるような付け合わせと一緒にお皿に盛ってみた。あとは、自分の好きなソースと併せて戴くことにする。わさび醤油がいけるかもしれない。少し甘味があるので、辛口の醤油との相性が良い筈だ。

 このお魚ステーキは、パックの中に収まっている状態でも、外見はとてもよく出来ていて、ミデアムに焼き上げられたロース牛肉を連想させる。元々ステーキとは、厚めに切った素材を鉄板の上で焼き上げる料理の総称ではあるが、さすがに魚肉の練り物だからといって、かまぼこのようなフラットな形状で白い物を鉄板で焼き上げたとしても、このような印象の魚肉のステーキに仕上げるのは難しいし、どのように考えても、この形状のような発想は生まれてこない。そこが、この商品の優れた独自性なのである。食べる前は、誰でも少々抵抗があるかもしれないが、一度口にすると、この外観デザインや食感を創作した人達の心意気が伝わってくる。また、部位によって食感が少しづつ異なるように仕上げられていて、それら芸術的ともいえる細工については、大変好感が持てる。

 この意表を突かれた外観と食感、そして食べ応えと、美味しさに加えて誰しも価格に驚くに違いない(ホームページ参照のこと)。これが、第58回全国蒲鉾品評会にて「農林水産大臣賞」、長崎県 水産加工振興祭水産製品 品評会 長崎市長賞、長崎県特産品 新作審査会優秀賞 などを受賞した背景なのである。だから、今日も、お皿の上には、できる限りステーキを連想してもらえるように配置してみた。このように、ステーキと思って、少しづつ切りながら食べるもよし、あるいは、あらかじめ1cm程度の幅で切りそろえておいても良い。お酒のおつまみにもぴったりである。

 こうやって、お皿に載った「お魚ステーキ」をカメラのファインダーを通して覗き込んでみると、自分としても、結構長い間生きてきたつもりだが、知っていることより、知らない事のほうが多い事を改めて実感するわけである。見た目から来る印象と、口にした食感の違いは極端に異なると思ったのである。特に、この表面のしわしわ感なる象徴的な表面処理は、どうやって創作するのであろうか。そして、ロース牛肉の断面などによくあるような、脂肪の部分の感じもよく出ており、食感もその部分は異なるし、感心してしまう。まあ眺めても、食べても、あちこち次々と口にしてみたくなる。一口でその魅力に引き込まれてしまう、楽しい1枚と言えよう。
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2011/01/21

疲れない体をつくるには

 今時は、何処へ出かけても年配の人だらけで、うじゃうじゃと何処からとも無く溢れ出てくる。さすがに高齢化社会だけのことはあると関心する次第である。年配の人達は疲れ知らずで、私の行くところに先回りして現れる。観光地や名所・旧跡はもとより、社寺仏閣、温泉、スーパー銭湯などにも出没する。一方、都会のど真ん中でも大きなリュックを背負って、首からは一眼レフを提げて、まさに「趣味こそ本気」を楽しんでいる人もいる。一方で、少々情けなくみえてしまうが、最近は、デパートの地下とかマーケットなどでもその様な方をたくさん見かけるようになった。いえいえ男性である。買い慣れないせいか、裏の記述を読んだりして、買い物にはたっぷりと時間を掛け、品物に納得して、1つ1つ厳選した物を食べたいのかもしれない。しかし、カートを押しているわけでもなく、かごを持ちながらの作業で、いつまでも疲れを知らないように見受けられる。

 このことを、自分の将来として捉えてみると、今から数年先を想定しても、今の元気さは無いはずだし、しかも、今でさえ「負けてるという実感」を覚えるのである。そして、いつしか、なぜその様に元気でいられるのか考えさせられるようになった。仕事をやめたからなのか、お金の苦労が無いからなのか、エバーライフの皇潤を欠かさず飲んでいるからか、・・・・・うーむ、そうではない。きっと、疲れが少ないから元気なのである。疲れが少ないとは、疲れてもすぐに回復する、疲れを蓄積しにくい体になっているということなのである。もし、人の体に「疲れを癒す機能」と言うものがあったとしたら、その機能が十分働いていると言うことになる。とかく、人は「少々のことでは疲れを知らない体を求めて、強靭な肉体と精神」を望み、あくまでも「体を鍛え抜く」と言うのが一般的な考え方であった。このような精神力や気合を伴うことは、歳を重ねると続かないことである。つまり、先行き行き詰る理屈であり、決して科学的とはいえない姑息な考え方なのである。

 したがって、生まれながらに標準装備されている「疲れを取り除く機能」を磨く事を考えるべきなのかもしれない。これならば、年齢、体力、気力に関係なく「無理が出来る範囲でその疲れを取り除く」事が出来る理屈になるのである。最近は、既に30代後半、あるいは40代でも疲れが取れないと、苦しんでいる人も少なくないらしい。そういう人達は、仕事の課題とそれに伴うストレスが多すぎて、いつも頭が仕事でいっぱいで、落ち着いて考える時間が欲しいとか、最近、運動してないせいで血の巡りが悪いのではないかとか、あるいは、サプリメントを摂っていないから、不足している栄養素があるのではないかとか、自分の環境や、他から力を借りることについてばかり考えるに違いないが、その考え方を抜本的に見直してみてはどうだろうか。

 そのきっかけを作ってくれる本が、今日紹介する「疲れない体をつくる免疫力」である。ここには、毎日少しだけ工夫すれば、疲れない体、あるいは、病気にかからない体をつくる、理にかなった都合のよい方法が網羅されている。徐々に実践しながら、たまった疲れを上手に取り除けるようにしてほしい。また、さらに奥深く読み取り、それらを専門的に人生に活かすことで、お金が無くても、いつまでも若々しく健康で、愉快で幸せに過ごす事が出来そうだ。高価なサプリメントを購入するとか、高額医療にも対応する保険に入る前に、この500円の本で知的な生き方を考えてもらいたい。
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2011/01/18

マッサージクッション

 何かにつけて、おおよそ楽ちんになるなら徹底して体は動かさず、身を任せると言うのが良い。マッサージ器ならば、アームやもみ玉が、早く動いてみたり、ゆっくり上下したりと、まるで指圧屋にでも行ったような夢心地を求めるのが普通である。構造は、一人掛けのリクライニング・シートと言った感じで、勿論、足など局部的なマッサージをする専用器と言うのもあって、それも、それなりに利用方法はあった。最初のうちは毎日でもそれに座り、30分でも1時間でも体を揉み解すのであるが、まあ、だいたい体調もよくなってくると、そのリクライニングシート自体が少々邪魔になるので、始末してしまった。しかも、最近は、廃棄のためにも費用がかかるので、特に大型の物は、よほどの利用価値がないと買わないのである。

 とにもかくにも、マッサージ器のキーデバイスは、もみ玉である。これが左右2個づつあって回転する。互いに反対方向へ回転し、そのもみ玉の回転する力で優しく凝りをほぐして血行を改善するわけである。もみ玉というくらいだから、体のどの部分でもその回転力が威力を発揮する筈である。確かに、リクライニングシート型では、上部の首筋から腰のすぐ上あたりまで上下する。それでも、このもみ玉のお陰で肩の凝りを取り除いたり、胃腸のへたりを活性化したり、あるいは腰の疲れまで、改善してくれる。ただ、良く考えてみると、その型から外れた応用が利かないのである。丁度、鯛焼きの型にはまったような状態で、ちゃんと入っていれば揉み解す部分も決まってくるが、ちょっと太ももを何とかしたいとか、頭のてっぺんを揉み解したいとか、そういう応用には全く使えないのである。

 だから、そういう型にはまるのが嫌いと言う人に向けたマッサージ器が存在する。それが今日紹介する「株式会社アテックス」の「ルルドマッサージクッション」である。マッサージしてもらうときに使うクッション?いや違う。クッション型のマッサージ器なのである。元日の報告したように、このブログをお読みになっている大半の人が腰痛をお持ちになっているようなので、私も自ら進んで購入してきたのである。概観は、36cm角の正方形で厚み15cmのクッションの中に、「ヒーター付きのもみ玉」を搭載している。つまり、もみたいところへ移動して、もみ玉をあてがって血行改善を図るマッサージャということである。つまり、頭のてっぺんから足の先まで、何処でも自由自在に揉み解す事が出来る優れものなのである。

 早速、横になって腰や背中をにあてがってみる。マッサージクッションは36cm角しかないので、上下に座布団を敷いてあると良い。あっちへ向けたり、こっちへ傾けたりと、ちょうど端から見ていると、クッションと戯れているように見えるかもしれない。まさに、気が抜けるようなというか、幽体離脱のような気持ちのよさである、スイッチを2回押すともみ玉のヒーターに電気が入り暖かくなる。肩甲骨の辺りなどは、本器ならではの特長が活かされて、痛みがいつしか心地よさに変わる。これだけでも、買ってきた価値はあるが、ふくろはぎからかかとまでも使えるし、ソファーの上部に置いて首筋に当てるとこれまた気持ちよい。で、常時仕事机の椅子の後部に置いて、疲れたなと思えばスイッチを入れると言った具合に使う事も出来る。15分で自動的に電源が切れるので、使いながら気持ちよくあの世へ行ってしまうことも無い。価格は7,800円なので、2個あっても使い道は多いし、胴体と両手両足で計5個買って一挙に全身という方法もあるが、それでもソファー型の安価なマッサージ器の1/4ぐらいの費用である。年寄りじみた話になるかもしれないが、ここんとこ寒いので、「ほぐし屋」など外出も辛い方にはもってこいの商品である。
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補足:安くても効果は変わらない、ええわ~ぁ。 

2011/01/14

長崎から来たカステラとお菓子

 僅かに照れた笑みを押し殺すように、男は階段を降りてやってきた。手提げ袋を少し上にかざし、狭い改札を抜けて、いきなり「変わんないすね」と言う言葉を掛けて来た。「まあね」とは言ったものの、それを額面どおり受け取るほどお調子者でもなく、と言いながら、何とかまだ誤魔化せる自分に安堵しながらも、7年近く逢っていない事実は無視できなかった。しばらく、ご無沙汰をしていても、彼は、そんな形式的で大人びた挨拶を私が喜ばないことを知っている。長い付き合いの中からくるものなのだろうか、あるいは、相手に合わせる思いやりのような会話で、長い時を刻んだまま変わらない神田駅を出ると、既に夕暮れが迫っていた。駅の近くにまで漂ってくるタレに包まれた鰻が焦げる匂いが懐かしい。その匂いの方へ向かって足を運ぶ。

 予想通り、この時間の「きくかわ」は席はまばらだった。以前から何度も座った事のある右端の奥のテーブルに着くと、次から次へと走馬灯のように、はるか昔なのに昨日の事のように思い出される。彼は「おみあげ」といって手提げ袋を差し出した。中には、本家のカステラと幾つかのお菓子が入っていた。今日のPDF写真がそれである。おっと、魚のステーキと書かれたパックもいくつか入っていたが、一緒に並べてみるのにデザイン上やや抵抗があったので、それは取り除いた。彼の実家は長崎である。長崎といえばグラバー園、そうくると「龍馬伝」か、龍馬伝なら福山雅治さんと言うことになるし、福山雅治さんは、もちろん高知ではなく長崎生まれである。ということで元に戻ってしまったが、長崎の人達とその地域に漂う独特の「控えめな反撃力」のような秘められたエネルギーは、ジャパネットたかたの社長、福山雅治さん、そして、この彼に共通するキャラクタのように見受けられる。うーむ、やはりそうか。
 
  と、無理やりというか、たまたま知っている3人をどこかでこじつけてしまうあたりが、B型の由縁かもしれないが、考えてみると確かに「人としての素」が出るところに共通する部分は多い。ところで、龍馬伝は、「映像と音楽が格別に優れていた」ようだ。分かりやすい単純な構図を好む従来の大河ドラマファンには評判が今ひとつ優れず、視聴率も振るわなかったようだが、映像を作っている職人(プロ)の人達からは興味深く受け止められたらしい。ただ、福山雅治さん演じる龍馬の優しさと言うか、細かいことに拘らない天真爛漫なところを包み込むように「白濁した画像」が龍馬と雅治さんを見事に融合させたし、香川照之さん演じる三菱財閥統師 岩崎弥太郎の這い上がる演技の後ろ盾としても、かつて無いほど映像が役割を果たしたし、音楽も効果的であった。

 話をカステラ本体に戻すと、龍馬率いる亀山社中でもカステラを試作している様子が映し出されていたが、カステラ作りはとても難儀な作業のように映像化されていた。手提げ袋にあった有名な老舗「福砂屋」を調べてみると、同社のホームページの中に、現在の手作りカステラの製造の様子を動画で見る事が出来た。卵の手割りに始まり、泡立て、混合、撹拌、釜入れ、焼き上げまで、ひとりの職人が一貫して責任を持つという、まさに時代の最先端を行く手間のかけ方こそが、ふっくら、しっとりとした福砂屋独特の食感、コクのある甘みと風味を生み出すのかもしれない。この映像が意図するところにこそ、重要な秘伝が隠されていて、簡単に真似の出来ない技術にもなっているようだ。ぜひ一度同社のホームページも参照されたい。
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補足 「きくかわ」はブログ内検索でどうぞ。好評の「神田シリーズ」の1本。

2011/01/11

関西風帆立めし

 「〇めし」と言うと、「蟹めし」、「鯛めし」とか、「イカめし」、そうそう「釜めし」ってのもある。昨年の前回は「あさりめし」を紹介したが、今日も貝類で続けて「帆立めし」に挑戦してみたい。私の場合は、どれもすべて「牡蠣めし」の作り方の水平展開で調理するのだが、この「〇めし」類は、誰がやっても失敗はない。関東風がお好きな方は、濃口醤油を多めにして、関西風がお好みの方は、薄口醤油でといいたいが、出汁醤油で代用するか、飛魚(あご)、椎茸、昆布の入った麺つゆ醤油などでもよい。これに日本酒を加えて炊き上げると「関西風の牡蠣めし」になる。東京で販売されている「広島名物の牡蠣めし」は、濃い口醤油で炊き上げてあるので、色目は濃ゆい。つまり、マーケットのニーズに合わせて関東風に炊き上げるところが商売上手なのである。同様にして、家族の好みを先取りした「牡蠣めし」が出来れば優秀といえそうだ。
 
 さて、貝類はどれも美味しいが、生の帆立は味が濃くて、これもまた格別に美味しい。バターで焼いて、少し醤油をたらしていただく時などは最高である。材料の帆立の全てを「生の殻付き」(大1個350円)でまかなうと、少々高くつくので、生の殻付きは2個ぐらいにして、残りは「茹でてある帆立」で数をこなす(合計1,000円以下が望ましい)。それでも生帆立が入るので、味は十分濃く仕上がる。お米一合あたり、PDF写真程度の生帆立1個が目安。

 さて、他の炊き込みご飯同様に、まず、1.御飯の炊き上がりの硬さを考える。これはあさり飯と同じだが、お米と炊き込む水分の濃度を調整する。通常の水だけの場合の硬さと、出し汁を使って炊き上げる御飯の硬さは、当然異なるわけで、最初にお米にお水を浸透させておくようにするのが良い。お米を洗った後、お米が沈むぐらい水で浸たし1時間程度放置する。一方で、2.磯の薫りの濃厚な帆立を豊かな御飯にする為に、お米2合当たり生の殻付き帆立を2個、蒸し帆立適量(または小柱でも良い)を用意する。帆立の殻に包丁を入れての貝柱を切って取り出し、四切れに切り分ける。生の八切れと蒸し帆立を麺つゆ醤油、日本酒、昆布一切れを入れて一度鍋で茹でる。帆立と麺つゆ醤油と一緒にして火を通す。生帆立が白くなったら冷ましておく。お米に水が染み込んだら、冷めた出し汁と帆立を加える。お米の水を捨てて、指定の分量まで出し汁で埋める。後は、炊飯スイッチを入れるだけである。出し汁の麺つゆ醤油は、好みによって増減させるが、お米が黄色く見える程度でよい。麺つゆ醤油は控えめにして帆立の旨味を生かして高級料亭風仕立てにしたい。日本酒は量を増やすとおこげができるし、味に深みが出る。田舎風に仕上げる時には、醤油と日本酒を増やす方が良い。あとは、生姜を千切りにして炊き上がった御飯に混ぜるか、後乗せとして用意する。ピリッとする生姜の食感と帆立の程よい薫りが食欲をそそり、たいへん美味しい。

 これだけの簡単な手順でも面倒だと思う人に最適なのが、今日紹介する、炊き込みご飯の素「ほたてめし」である。お米にこのパッケージを投入して炊き上げれば簡単に出来る。ここで、注意するのは、上記の1の部分に相当する水分量の浸透圧の関係である。そこだけは、1と同じ手順で行えばよいが、面倒な場合は、お米に加える出し汁を通常より多めにセットし、炊き上がりも十分に蒸らすとよい。ここでじっくり待てなければ、炊き上がりが硬めになり、冷えたら硬過ぎに感じる。今日紹介した手法は、あくまでも関西風というか、「広島風のほたてめし」になる(実際広島では、ほたてめしを食べた事は無い)、しかし、今日紹介しているパッケージは、香川県小豆島の製造商品である。ではこちら
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2011/01/07

京都祇園の黄金カレー

 昔から正月のCMといえば、「フジカラーで写そう」とか、「御節に飽きたらカレーもね」というのが定番であった。そこで、お正月らしいとても辛いカレーをフジカラー調のトーンの写真で見ていただこうと思う。このカレーのパッケージをよく見ていただくと、「辛おうてすいまへん。美味しおすので、かんにんしておくれやす。」と書かれている。辛さは、鷹の爪の10倍(日本分析センター調べ)、登録商標「日本一辛い黄金一味」使用、ということらしい。このパッケージの中央部には、黄金一味が風呂敷の間に挟まって映っている。

 そもそも、京都の祇園あたりは辛味処として有名である。いやいや、清水寺の帰りの松原通にある3年坂へ抜ける手前の七味家本舗なら知ってると言う人も少なくないと思うが、このカレーの販売元である「株式会社 祇園味辛」は東山区祇園町南側590で四条通りから大和大路を下ったところで、河原町から行くと、花見小路の1本手前の路を右へ入ってすぐにある。このお店では、江戸時代より珍重されて来た「黄金唐辛子」の原種を大切に守り続け、毎年国内の農家で栽培しているらしい。このカレーに使われているのは、その黄金唐辛子と沖縄産の黄金ウコンを配合したものである。

 レトルトパックをそのまま湯せんにかけるもよし、中身を絞り出して電子レンジで暖めなおすのもよし、いずれの方法でもレトルトカレーとしては、珍しくバランスよく辛さの刺激が残っていて、切れ味は素晴らしい。時々、辛さを強調したカレーの中に苦味を伴うこともあるが、これにはそれは全く感じない。全体に上品な美味しさの中に辛さが活きるカレーに仕上げられていて、飽きの来ない味で、何を食べても刺激が足りない人、あるいは「カレーは基本的に辛くなくっちゃいけねえ」という生粋の江戸っ子にもぴったりで、お勧めできる。販売元は京都祇園だが、製造元は茨城県鉾田市安房である。

 PDF写真のお皿の中にある付け合せは、いくつか野菜を用意して時々辛さの刺激を紛らわせるためである。とにかく辛さが際立っているので、付け合わせには気を配っておいて欲しい。御飯は、サフランライスを炊き上げていて、この味の取り合わせは如何なものかと心配したが、それでも辛さによく似合う感じで良かった。少し和風出しと醤油を加えて丼に盛り合わせてもお正月らしいが、そのままの、目の覚めるような辛さのカレーも刺激的で良いかも知れない。
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2011/01/04

フランス流紅茶芸術

 何処からともなく、素晴らしく良い薫りが漂ってきた。テーブルの上に置かれた、この箱の中にあるのは、きっと紅茶だ、と思いながらおもむろに開けてみる。最近見かけないようだけど、どこか懐かしい茶筒が3個セットされていた。ほーっ、これかあ、と懐かしさと中身に興味しんしんで茶筒を開けてみると、いきなり、むせ返る様な薫りが押寄せてきて、目が覚める。お湯を沸かしながら、説明書を食い入るように眺める。うーむ、こんなにフレーバーが強くても、やはり水質をデリケートに選ぶようだ。

 説明書は、このような記述から始まっていた。「マリアージュ家の兄弟によって、パリのマレにお茶の専門店を開いたのは1854年、ルイ14世にも遣えたマリアージュ家代々の知識、経験、技術、理念は受け継がれ、古くから中国、インド、各国との銘茶園との関係を持ち、厳選した品質とその芸術的側面の追求は、格式あるホテル、高級食料品店にて、確固たる評価を得てきた。以来150年以上にわたり、マリアージュ フレールは、その伝統により一層磨きをかけ、お茶を享受し、その文化に貢献してきた」・・とある。

 現在は、既に世界35カ国から約500種類以上に及ぶお茶を用意しているという、世界中で愛されている由緒正しいブランドである。この「マリアージュ フレール」は、銀座5-6-6 ずらん通りに本店を構え、新宿三丁目14-25 明治通り にも新宿店がある。説明書を読み続けるうちに、やかんの水をこの紅茶を抽出するのに適したミネラルウォ-タに入れ替えた。ポットやお湯の温度にも拘りたいが、何といっても、やはり、水が最も重要な要素だ。軟水で石灰分、塩素、鉛、酸化カルシウム、マグネシウムなどの不純物を含まないことが凄く大切らしい。それにしても、アールグレイ・フレンチブルーに入っている青いブルーエの花の色が鮮やかで美しい。

 PDFの写真は上部にマリアージュ フレールの紅茶を置いた。紅茶は3種セットされていて、マルコポーロと、アールグレイ・フレンチブルーの原産国は中国、ラトナビュラの原産国はスリランカである。内容量は各50g、ブレンド国は、もちろんフランスである。世の中には、こんなにふんだんに香料を使って楽しむ紅茶がある。いかにもフランスらしい、と言えるかもしれないが、まさに香茶といったところ。思いっきり高い薫りは、大脳を極度に刺激し気分も改善されストレス解消になる。生命力までも湧き上がってきそうであった。写真の下部には、㈱ハットトリック ア・ラ・カンパーニュのビジューグランという焼き菓子を配した。これもなかなか個性的な容器(同社の物は全て個性的な容器を使っている)で、これこそ中世時代のお菓子の容器を連想させる。
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2011/01/01

謹賀新年

 去年も、やりたかった事や、考えてきた事が頭に描いていたシナリオ通りには進まなかった。実時間は自分の認識より早く進むようで、もっと時間が欲しい。このまま努力しても、いったい何時になったら、思ったような成果や、納得する能力にたどり着けるのか見当が付かないし、人生にロスタイムは無いので、早め早めに何とかしないといけない。確かに、客観的には「とっくにピークを過ぎている」と言われれば、それまでだが、体力を磨いているわけでもないので、さほど気にすることも無い。後はやる気だけだ。・・・・・と自分を奮起させる区切りの日と言うか、決意を新たにする日が再び巡ってきた。うーむ、またか。

 ところで、全然話は逸れてしまうが、ブログを残すようになってから、過去の出来事を正確に振り返る事が出来るようになった。それまで曖昧にしか残っていなかった記憶が、写真と共に鮮明に甦るのである。もっとも、原稿や写真の中にその実体があるわけではないが、いずれかに関連付けて記憶しているようだ。そんなこともあって、今日は、決意を新たにする前に、去年のブログを見ながら少し振り返ってみることにしたい。まず、自分の趣向と、WEBに求められている情報は大きく異なると思うことが多い。それは、意図しないものにアクセスが継続していることから理解できる。当初から1番人気というのが、「腰痛治療」と「腰痛治療2」である。いつ、どのような期間(月別)で区切っても恐らくベスト10には入っていると思われる。腰痛は、みんな苦しんでいるということなのだろう。今日の話は、全て「検索からのアクセス」で、定期(継続)的な読者のデータは含まれない。

 そういう私も、坐骨神経痛で苦しんでいるが、激しい痛みに襲われる時には、「腰痛治療」で紹介している「西武治療室」へ行けばよいと思っているし、痛む理屈が「腰痛治療2」で分かったので「少々のことなら自分で修復しよう」と、安心しているのが現状である。これが、ブログに情報を残してメモ帳代わりに使うメリットかもしれない。腰が痛むと仕事にも差し支えるし、肉体のみならず精神面でも辛い思いをして、楽しみの活動範囲まで制限を受ける。今ごろの寒い時期は特に気をつけておきたい。
 
  また、文章は一切読まないが、写真だけを眺めている人も多い。その代表例が、不二家のミルキーロール、マカロン、輸入品が安い(紅茶)、ミニパン・シリーズ、パエリア等の食品関係で、いずれも家族全員の楽しい話題に関係するところで、検索からヒットしている一時的な情報収集といえそうだ。この上位人気どころの食品関係を取り除くと、ぐっと本質に迫り、本来の自分の趣向と同じ方向性を模索する読者が現れて、少なからず共感を得るところだと推察していたのである。しかし、ここも少しズレている事が分かった。残念なことに、今年は話題性のあった「坂の上の雲」に関連したページにアクセスが多かったように思われる。

  ここを探した人達は、長時間ページを開いていることから、このブログでしか楽しめない別の視点を楽しんでもらったと推察している。それは、「ほんまか嘘か怪しい感触の漂う内容」と言えるもので、まさに坂の上の「雲を掴むような話」である。小説を読んだことのある人なら、へーって思うに違いないし、読んだ事の無い人でも、な、な、なるほどと思えるような無謀な視点から生まれた完全フィクションなのである。ま、簡単に申し上げれば「ええ加減な事」を書いているわけだが、テレビ番組を詳しく観た人や番組に触発されて小説を読んだ人にとっては、そんな、「ええ加減な事」でさえ、新たな発見をして再び楽しみたいという願望が甦るのである。
 
 それには、撮影してきた現場の写真が、楽しむ手助けをするのに一役買っているのかもしれない。今日のPDFは、「坂の上の雲」のタイトルで使われている松山城の名所になった場所から、今度は「総天然色」でご覧いただく。今にも、律と子規の二人の話声が甦ってきそうである。
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補足:新たな決意はどうしたって? うーむ、ブログは最近軽い話に終始しているので、もっと回数を減らしてでも、時間を掛けて深みのある内容にしたい。・・・・と漠然と考えている。