2013/08/30

カクテル・チョコレート

  最近は、たっぷりとした時間の余裕が出来たせいで、お酒が呑める人が羨ましいと思うことがある。特に、こんないい薫りが口いっぱいに広がり、知らない世界へいざなう時には、もっと深みにはまってみたいと思うし、周囲の喧騒から離れて、しばらく深みから抜け出せなくなっても、あるいは、そのまま向こうの世界まで行っちまってもいいか、とか、はっきり言って、無理しない程度の「程良い冒険心」のような気分に浸りたいのである。それこそ、気分が大きくなるというか、本来の自分の能力が普段以上に発揮できるような気持ちになるのである。

  お酒飲みの人からは鼻で笑われてしまうが、洋酒の入ったチョコレートは、少しだけそんな気持ちにしてくれるところが嬉しいのである。口先は甘ったるい芳醇な薫りに包まれながら、適度にいい雰囲気になる。その深みが永遠に続くわけでもないし、チョコレートが解け終わる頃には、徐々にその風味と薫りが無くなり、自然と現実に引きもどされてしまう。そこに不安を感じると、また違う品を口にして、「ああ、これもいい」と、再びその世界に潜ってしまうような錯覚に襲われるのである。 

   そのような感覚が世界共通と言うわけでもないだろうに、海外の洋酒入りのチョコレートは、味が鮮明に美味しいと思うことが多い。一般的にこのような洋酒チョコレートは、洋酒を包んだ周囲のチョコレートの質が国内品と輸入品は少し異なるようだ。国内の洋酒チョコレートの周囲はミルクが多い。よく練り込んである。しかし、輸入品はミルクが少ない。それが全体のイメージに与える印象は、「あっ舶来だ」といえるぐらい違いを感じるのである。それは、どうもチョコレートの作り方による甘さと洋酒のバランスの違いによるものといえそうだ。

 今日買ってきたのは、ドイツのハシェチョコレート社のTALERカクテル2種類、1つは、ラムベースのトロピカルカクテル・モヒートクリームをビターチョコでコーティングしたもの、もう1つはTALERカクテル ストロベリー・ダイキリでカクテルの代表ダイキリにストロベリーの甘さを加えたクリームをビターチョコでコーティングしたもの。さらにもう1つ入手できなかったが、 ココナッツとパイナップルが 香る南国風のカクテルクリームを ビターチョコでコーティングしたタイプもある。 これらは、とても美味しかった。ま、時には、こういうのを口にしないと、何時まで経っても大人になれないような気がする。
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2013/08/27

ほんまもん麦茶

 香川県は、年間を通して降雨量の少ない所で、日照り続きの場合は、農業用水に溜め池の水が使われる。もちろん、それは古くから「うどん用の小麦」にも使われてきた。近年、うどん用の小麦はオーストラリアから大量に輸入されているものの、やはり、香川の小麦作りは、長い歴史があるだけに、それだけ優れた品質を誇っている。それに溜め池も大いに貢献しているのである。香川県の小麦には、うどん用の他、はだか麦と言う品種もあって、麦味噌や麦ご飯、麦茶に使われている。麦と言うとすぐにビールを思い浮かべる人も少なくないが、そちらは、二条大麦で、さらに、一般的に「麦茶」に使われるのは、その兄弟分の六条大麦らしい。結局、国内の麦には大小合わせて4種類あると言うことになる。

 この「ほんまもん麦茶」は、「香川県産の裸麦イチバンボシ」という品種で作られている。六条大麦に比べて、澱粉の抽出量が豊富で、やさしい口当たりに濃厚な麦の香ばしさ、ほのかな甘さに優れているという。厳選された裸麦イチバンボシを100%使ってあることから「ほんまもん麦茶」という名称がつけられたようだ。「ほんまもん」とは、「本当の」と言う言葉と「物」との関西風合成語と考えられるが、これに対し、類似品を明らかな「にせもん」とは言わず、同じようにみえるけれど少し品質が落ちるという意味を使って「まがいもん」という。つまり、どこか訳のわからない「まがいもん」ではなく、香川県の「ほんまもん」なのである。微妙だけれど、名称自体で相対的に他と明らかな差別化を考えた「ブランド商品」である。

 「ほんまもん麦茶」の作り方は2つある。1つは、煮出し=1.5Lのお湯に1パックを投入し、5分程度煮出す。あとは、パックを取り出し、常温まで下がったら冷蔵庫で冷やすと言う方法である。もう1つは、水出し=1Lのお水に1パックを投入し、そのまま冷蔵庫で2時間抽出する。水出しの方はなかなか色濃くならないが、お味はとてもやさしく美味しい。苦味や色の濃いのがお好みなら、2パックを2Lで煮出すぐらいが良い。どちらも独特のやさしい香ばしさと甘みがあり、本物を実感させる。お勧めは、アルカリイオン水を使った濃い目の水出しになる。

 ほんまもん麦茶のパッケージの中を覗くと、麦の焙煎された薫りがふわっと押し寄せる。その薫りに、どこか「屋島をバックに畑の中を走る琴電のような、田舎の田園風景」を思い浮かべてしまった。テレビでは、TPP問題とか、農協も云々かんぬんと言われているようだが、この麦茶のパッケージにあるように、これからは、原材料生産地、製造者「JA香川県」のように、明確にして安心・安全に十分な気を配っていることを明示して欲しいものだ。要は、そのままでも、水出しでも、安心して食べられるものが競争に残れるように、どこのJAも力を尽くして欲しいものである。
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2013/08/24

くずきり

    今日のように蒸暑い日には、朝から冷蔵庫に涼しげな甘いものを捜すことがある。それは、アイスでもなく氷菓でもない。意外かもしれないが、冷えた缶詰なのである。「井村屋の葛(くず)小豆」といって、葛を固めたものの中に、小豆の甘納豆を散りばめた冷甘味で、その風景がいかにも涼しげなのである。葛そのものは、寒根葛(かんねかづら)の根から取れる澱粉から作られ、半透明に固められたものである。葛切りや葛餅などの原料として知られているが、葛粉は良質の澱粉なので、昔は、安価に栄養を取るには優れた食材と言われてきた。

  それにしても、我々は、幼い時から具体的な由来や効能を知らずに、いつも決められた時期にそれを食べさせられることがあった。もっとも、その由来を知らずとも、形や大きさ、そして食感などを覚えてしまう。そして、「それが一生を通じて、昔の父や母あるいは祖母の記憶と一緒に閉じ込められ、思い出多き味」になるのである。それが季節感であったり、幼い時の記憶であったり、家族の思い出であったり、様々だが、ついそんな食感を口にしたいと思うことがある。葛は、そんな日本の伝統菓子素材の1つと言えるのではないだろうか。

  葛を使った商品は、最新の創作技術で再現され、一般的な新しいデザートとして市場に出回ることもある。しかし、新しい食材と組み合わせた葛商品でも、老舗の和菓子屋でないと購入するのに納得できないかもしれない。それは、葛商品の自己認識が邪魔をして、組み合わされる食材はもとより、器の形や包装紙にも歴史を感じさせる「古き良き和への回帰」が似合うと思い込んでいるからに他ならない。さらに、加えて、葛の印象と言うか、それ自体への、古く家族の記憶や思い入れを大切にしたい気持ちが、邪魔をするかもしれない。それ程こだわらなくても、甘みや酸味と自然に組み合わせ、いかにも澱粉を固めた食感豊かな食べ心地が必要なのである。

  そんな葛自体に格別に愛着があるわけではないのだけれど、ちょっと変わった葛商品があれば、口にしてみたいと思うのは自然なことだ。今日買ってきたのは、柚子レモンと葛きり、甘夏と葛きりのい生菓子2種である。生菓子と言っても、柚子レモンとか甘夏のジュースで満たされた、さっぱり清涼感漂う葛きりで、新しい美味しさと言える。価格は200円/1個。最初から最後までやや酸味の強いお味で、比較的に葛の食感は薄い。もう少し葛の大きさを工夫してもいいと思うが、しばらく間隔をおいて「忘れかけたころ再び戴きたい」逸品になっている。
それはこちら 
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2013/08/22

EMPEROR

   日本では、「終戦の」という言葉を先頭に付けて「終戦のエンペラー」と題した映画を観た。誰もが知る「昭和天皇とGHQ最高司令官マッカーサーの会見」の様子を忠実に再現したものである。今日は、それの「60歳のおっさんの感想文」である。当然、年齢や成長した地域、あるいは知識や経験によって映画の捉え方も異なるので、「ふーん、そう」と言うぐらい、人によって異なるものである。

  さて、その誰もが知っている話を、「いきさつ、そして、その場の陛下のお言葉の重みや漂う空気感」をどう表現してくれるのだろうか。その一点にしか興味は無かった。私は、陛下のそのお言葉を、おおよそ「54年ほど前に父から伝え聞かされたことがある」。それ以降、尊敬の念をこめて「陛下を天ちゃん」と気軽に呼んできた。国民が陛下のことを「ちゃん」を付けて呼ぶのは、大いなる親しみであるが、絶対の信頼を持っているという証でもある。しかし、そう呼べるのは、後にも先にも昭和天皇だけである。その当時は、貸本屋から戦争漫画ばかりを借りてきて、父に読んでもらうのをいつも楽しみにしていた。父は、解説を加えながら朗読し軍艦マーチを口ずさむ。漫画には、腹が減っても勇敢に戦う兵士達、世界で最も優れた軍艦や戦闘機が描かれ、一方「無能な大本営」という構図が浮き彫りで、陛下への情報操作、首脳陣の精神論や、国民のメディアに流され易い気運が浮き彫りになっていた。

  さて、本題だが、結論から申し上げると、その会見の場の映像だけは、日本人として、「かなり満足できるもの」であった。自分のイメージどおりで、諸先輩方も納得してくれるに違いない。この映画には、歴史を忠実に再現したいと言う意図と、もう1つ、日米を対等に扱いたい意思が織り込まれている。にもかかわらず、明らかに「日本びいき」に仕上げられている。それは、冒頭の映像にも登場する原子爆弾投下の反省が背景にあるからで、その現実を見極め 「世界で最も危険な国が米国」であることを強調しているからに他ならない。また、キャッチフレーズにある「戦いの終わりに、分かり合えるのか」と言う言葉は、戦争前に対して「戦争を終えて、むしろ分かり合えなくなっている」と考えられる。今でも「米国は日本を敵国(補足1)として扱い、あるいは、日本は、米国を支配者」と考える人達が増えている。そのことに、もっと配慮すべきである。日本では、これを「根に持っている」という言い方をするが、年月が経ったからといって原爆2発落とされたことを忘れることは出来ない。

  映像は、かつての戦争映画のように古めかしいものではない。どちらかと言えばギラギラしたデジタル調での作りである。原爆を搭載したB29エノラゲイが飛び立つ映像は、表裏反転映像で使用したと推察される。いずれにしても、そのリアルな表現技術を使って、東京の焼け野原を再現しているところは、つい「ため息をつくほど恐ろしくも見事」である。しかし、撮影カメラは、少し古いかもしれない。ヘッドライトが水平スメア(偽映像)となってしまい、観るものを邪魔する。さらに、戦前の日本の風景、街中、家財等の様子は時代考証も素晴らしいし、それも見所と言える。一方、マッカーサーの乗る飛行機が富士山を目指して飛んでいるシーンは、富士山がいかにも作り物で凄く安っぽく描かれていて、少し残念に思える。続けて、その飛行機が厚木基地に着陸して向きを変える時のジュラルミンむき出しの輝きはとても印象に残った。さらに、どうでも良いことだが、マッカーサーへの取材カメラは、リンホフスーパーテヒニカ(補足2)などが用いられていて、当時の米国における取材風景を思い起こさせる。

  日本びいきとか、拘りと言えば、それはキャストにも現れている。マッカーサーにトミー・リー・ジョーンズが登場した最初の(飛行機から降りる)シーンは、一瞬ギャグかと思って笑ってしまった。きっと「この惑星のエンペラーは・・・・」とでも言いそうである。鹿島大将役の西田敏行の登場の時も同じである。この軍人2人は、まったく対照的に描かれているが、どことなく人間味が溢れていて共感できる。つまり、今の日本人の中には2人の価値観が共存すると思えるのである。次に、昭和天皇役の片岡孝太郎は、とても「それらしい印象、つまり=お言葉の重みや漂う空気感」をリアルに再現してくれた。マッカーサーの前で、「陛下が国民に対して責任を取ろうとする姿」にぐっと来て、涙が自然に溢れてしまった(うーむ、やっぱり素晴らしい)。そのほか、夏八木勲は、特に印象深く、彼ならではの表現力が輝いていたように思う(補足3)。

  全体の流れとしては、戦後、米国が寄生虫のように日本の資産を吸い上げ続けていることを忘れさせるほど、日本人が気持ちよく(反感を持たず)観ることのできるストーリーになっている。こうやって振り返ると、その徹底して考え抜かれた構成に驚かされる。そこで、気をよくしてマッカーサーを通して米国に親しみを持ち、彼らの名誉さえも高めるところは、「日本びいき」とは真逆の米国のレトリックそのものであった。あと、これも余計なことかもしれないが、准将ボナーフェラーズが、愛した「あや」という怪しくも空想の日本女性は、何としても「日本を理解しようとする気持ち」を具現化したものとして捉えることができる。全体があたかも「あや」とのラブストーリのような印象を受けるかもしれないが、そこは、難解な日本人のメンタリティーに対する、米国人の分かりやすい「愛」を引き合いに出したものと思える。所詮ハリウッドの考えることは、この程度なので、あまり気にすることは無いが、あえて言わせてもらえば、それほど難解なメンタリティーよりも、愛の方が「価値が上だ」と騒いでいるとも取れる。
こちらは、予告編。
http://www.emperor-movie.jp/

補足1:少なくとも「日本は米国の敵国」と思っている米国人は多い。その理由として「いつ原爆の仕返しをされるか分からない」からだという。
補足2:ドイツ製の取材用の4x5カメラ。
補足3:今年5月に他界されている。

2013/08/20

ひやし茶づけ

  今年は、こんなものまで買ってきた。ふと、ご飯も何とか冷やして美味しく戴きたいと思ったからだ。それも、これも、氷を入れるカップヌードルのCMに嗜好が刺激されたのかもしれない。この暑さの中では、逆に熱いものを食べたほうがよいと言う「頑固なじじい」もいるが、そんな真似をしていたら、命が何時までもつか分からない。やはり、朝から晩まで、いつでも冷たいものが欲しい。そんな折に、とても涼しげな雰囲気を醸し出した商品を見つけた。和紙の質感に仕上げられた包装が全体を覆い、裏側の説明文は霞みがかかったように、見えるか見えないか際どく、つい引き寄せて文字を追いかけてしまった。

 そこには、その食べ方の指南ともいうべき、ちょうど良いご飯とお水の案配が書かれてあった。無視して好き勝手に食べてもよいが、1袋の中には、3杯分の用意があり、1杯分としてのご飯の量は100g、冷たいお水の量が150g となっている。それは、具材6gつまり「あられや漬物、海苔など」と、お茶2g「緑茶と粉末昆布混合」(写真では銀色のパッケージ)の2つに分けて封印してある。もちろん、足りなければ、2袋、3袋分を使えば良い。若者なら1回2杯分を使うぐらいが適当だと思う。PDF写真は、普通に少し浅い茶碗を用意して1杯分にしたが、2杯分だと少し深めの茶碗に、削り氷などをたっぷり追加して、喉を一気に冷やしたいものだ。

 この「ひやし茶づけ」は、京都の老舗あられ屋(有)藤沢永正堂が提供しているもので、「執念とも言うべき様々な拘りで固めつくされて」いる。それは、お茶から漬物(みぶ菜、しば漬け)、梅、昆布、海苔、あられ、塩に至るまで産地が明確に記載されているのである。これからの「食品や食材の手本」とも言うべき表示方法である。そして、化学調味料などの食品添加物は、もちろん一切使用せず、上品にし上げたとも書かれている。それを順に読み進むだけで、美味しそうな手ごたえが深みを帯びてくる。緑茶のほのかな香り、味わい深い具材、風味豊かな焼海苔と、あられの旨みがご飯とよくあうお茶づけであることを、勝手に想像できてしまうのである。

 さすがに、全く上品なつくりで端正。ちょっと涼しげな風鈴の音とあわせると、まるで、夏の京都を思い浮かべ、CMのように「こんなものしかおへんけど」と美人のお上が、お昼に出してくれた「冷やし茶づけ」に見えてくるのである。東京の味覚とも言うべき、許容範囲の広い美味しさに慣れてしまっている我々にとって、この商品のように、ここまで正確無比に味が整えられると、嗜好心のど真ん中を矢でぶち抜かれたような、忘れていた王道とも言うべき、「食に対する京都の歴史」を思い起こさせられるのである。美味い!
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2013/08/16

8時間の水出し珈琲

  業界の標準が4時間というのに、CAFE KALDI は、その2倍の8時間が必要な「水出しアイス珈琲」を販売している。あえて、業界標準の向こうを張ることで、幾つかの差別化とも言うべき、販売価格、抽出時間、利便性、品質保持、美味しさ、に拘っているようだ。8時間の抽出時間は利便性と大いに係わり合いがある。たとえば、夜就寝時間前に冷蔵庫にセットすると、朝食にタイミングよく並べられが、中途半端な4時間の設定では、ちょうど「丑三つ時」に一度目を覚ませ、容器から珈琲バッグを取り出すと言う作業を強いられる。結局、4時間の抽出時間の概念は、ただ、無駄に抽出時間競争に走っているだけとも取れるのである。

  水出しアイス珈琲の商品化には、どうしても他社との差別化として、価格が安くて、抽出の早い方が良いという、自然現象に反する難度の高い目標を掲げたがる傾向にある。しかし、それは米国的マーケティングにありがちな 「安易で短絡的な上辺の考え」とも言えよう。本来、水出し珈琲の本質を熟知している人達にとっては、少々価格は高くても、抽出時間を掛けても、何に代えても商品価値を「風味とか、薫りの高さや美味しさ」に傾けるべきだと考えている。水出しの最も重要な要素は、やはり、「じっくり時間を掛けて」美味しさを引き出すことにあり、その自然現象に委ねた考えを譲るわけにはいかないのである。その抽出時間を大切に決めることで、珈琲バッグの大きさや内容量、水の指定量等の条件が織り込まれ、最終的な味の品位が確立するのである。

  だが一方で、そんな、製造者が神経を使って試行錯誤の上、微妙な味わいを問題にしているにもかかわらず、しかし、そんな商品企画とは異なり、ユーザーといては、どの様な使い方をしても良いことになっている。たとえば、水出し珈琲の風味と苦味を活かして爽やかにストレートで飲みたい時もあれば、ミルクたっぷりで戴くカフェオレ調も良い。また、思いっきり濃い珈琲を出し、牛乳で割って砂糖を加え、昔に銭湯でよく飲んだ珈琲牛乳風に作って、風呂上りに楽しんでも良い。そんな、人それぞれの楽しみ方があるがゆえに、商品の選択肢があったり、各社独自の特徴を打ち出しているのである。

  爽やかで薫り高く、ほろ苦い味を備えたアイス珈琲に仕上げるには、一番重要なのは、やはり水の選択を忘れてはならない。さっぱり爽やかを追求するには、多少、抽出時間を短めに設定することがあり、その時、抽出した「元の水の味」が残ってしまうことがある。水単独では分からなかった水の味が、僅かに何か加わると「水の味」の違いを感じるのである。それを嫌うなら、やはり、組み合わせとして、そう感じさせない水をあらかじめ選択しておく必要がある。市販の天然水とか、ミネラル水、アルカリイオン水の中でも、経験的に最も嫌味の無い自然な感じなのがアルカリイオン水と言える。また、アルカリイオン水は、浸透、抽出が早い傾向があり、それが意外にも美味しさに繋がっている可能性も考えられる。

  今日紹介する8時間抽出の水出し珈琲は、標準的で無難といえるほど大人しい商品なのだが、それだけ、爽やかな風味と苦味のバランスは良いと思える。使う抽出水や抽出時間を好みに合わせて欲しい。
ではこちら
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2013/08/13

あら川の桃

  今年は、局地豪雨の影響で、各地に野菜や果物にも大きな被害を受けた。毎年、送ってもらう山陰のトマトも、今年は熟度がいまひとつで、芯に青味が残っていながら、周囲はすでに熟しているとか、奇妙な姿が多かった。結局、多くをパスタソースにしたり、スープに使ったりと工夫を余儀なくされた。また、毎年山梨から送られて来る大振りの桃は、味は変わらないが傷みが少し目立った。一方、和歌山から今年初めて送られてきた桃は、まったく傷もなく非常に綺麗な状態であった。このように、今年の夏の野菜や果物は、被害を受けた地域と、そうでなかった地域を線で引いたように、出来具合に違いが生じてしまったようだ。豪雨にさらされた農家の人は、大変困ったに違いない。

   まったく傷も無く、綺麗な桃を送ってくれた産地は紀ノ川市で、関西空港のある泉佐野市から少し南へ下った大阪府の最南端に隣接する。大昔「紀ノ川」という「主演 南田洋子の」ドラマで有名になったが、ドラマ自体は「全くつまらん内容」だったと思うが、その温暖で豊かな土地が描かれていた様子が思い出される。大昔からそこには、膨大な水量を誇る紀ノ川が流れ、年間を通じて水の供給には不自由は無い。また、山や丘など水はけの良い土壌として、果物の生育にも大変適している。果物は、バナナとパイナップル以外なら何でも栽培できると豪語される地域でもあり、特にブルーベリー、無花果、柿、桃は全国的にも有名である。このような多品種で、大量の農作物生産を誇る地域は、その果物の生育方法にも配慮し農薬を極力減らすよう、安心安全も徹底している。また農協は生産品の宣伝にも力を入れており、自ら農産物の効能についても、徹底的に調査している。

 そこで、桃における体への効能を参照してみると、元々中国から入ってきたもので、古くは「不老長寿の果物」といわれるほど、甘くて美味しい果物だったことは広く知られることだが、それは、大昔の甘い果物が少なかった時代の話で、現代人にとっても同じ事が言えるかどうか不明である。そう考えると、果たして糖尿病の人にも「不老長寿の果物」としての効果のある成分を含んでいるのであろうか。そんな疑問が沸いて来る。その疑問に対し、ちゃんと説明も用意されていて、メカニズムはこうだ。桃が体に入ると、褐色脂肪細胞が刺激され、脂肪の代謝が活発となり、インスリンの働きが良くなる。その効果を取り上げて、桃には、糖尿病等の予防効果までもあると言われているのである。

  さらに、果肉には、鎮痛、鎮静効果があるとされ、微量でも葉や花には青酸化合物が含まれているともされている。そのほか、動脈硬化、高血圧予防、ガン予防、老化防止、血中コレステロール値低下などの効果も期待されている。それにしても、それだけ甘くて美味しい桃が、想像より体に対して幅広い効能があることに、やや興奮してしまいそうだが、それらは、二次的、つまり間接的な効能で、病気に直接働くものではないので、食べすぎは禁物である。しかし、桃自体にはペクチンや繊維質が多く含まれていることから、便秘の解消には明らかに効果的と思われる。

  太平洋高気圧で猛烈な暑さを受け止めた和歌山の桃は、それでも飛び切り綺麗な出来具合だった。しかし、こんなに品種によって、香りや甘みが違うのかと驚いたのだが、そういえば古い記憶になってしまったが、昔の白桃のイメージはこれに近く、皮ごとかぶりついたり、皮が薄くつるっとむけたりしたものである。それよりも、改めて効能にも興味を持つことで、効果のある食べ方を試みていきたい。
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補足:糖尿病および糖尿病予備軍は推定で、すでに国民全体の27%(ヘモグロビンA1C = 6%以上)に達したと言われていて、その数は膨大な数に達しているが、今後益々増加すると推定されている。

2013/08/09

水出し珈琲

  本格的な水出し珈琲を作るには、大量の珈琲豆の中に水を一滴、一滴と落下させ、下部でそれを集める。それを具体的な形にすると、じっくりと何時間も掛けて抽出する仕掛けの装置が必要になる。ポタ、・・・・・・ ポタ、と言った感じで抽出されるので、喫茶店などでは、高価な珈琲メニューの1つになる。しかし、このグラス1杯の珈琲の「薫り豊かで爽やかな味わい」は、他のどの珈琲にも勝ると珍重されてきた。昔、秋葉原ガード下に「古炉奈」という喫茶店があり、場所柄その専門筋の若者達が抵抗やコンデンサなど電気の部品を買い求めた後、一息入れる場所になっていた。そこにも、水出し珈琲の装置(高さ1.5m程度の巨大なガラス装置)がカウンターの左奥に置いてあり、実際に稼動している水出し珈琲装置を見ることができた。もう、ずいぶん昔の話である。

  珈琲を焙煎し、粉砕してフィルターバッグに包んで水に浸すことで、同じように珈琲液を抽出できる。細かく粉砕してあると抽出も早い。夏場は、何でも冷えてるのが好ましく、緑茶や紅茶も冷水で出すと意外に美味しい。沸騰したお湯に比べると時間はかかるが、冷水の方が「薫り高く、まろやかで上品な美味しさ」があり、時間さえ許せば、こちらをお勧めである。逆に、通常の沸騰したお湯を注ぐ珈琲を水出しとして使うには、袋フィルターの適当なものがないので難しい。むしろ、水出しアイス珈琲だけは、市販の商品の方が便利になっている。それらは、珈琲豆の種類、焙煎状態、粉砕の細かさなどが各社固定で、作る側として、水量や抽出時間を調整することで、それなりに美味しいアイス珈琲を作ることが出来る。ただ、どの様な手法を使おうと、珈琲粉が長い時間水に浸っていると、徐々に苦味が抽出される。そこは、作る側としての制限事項である。
  
  今日紹介するユニカフェの「水出しアイス珈琲」もそうだが、フィルターバック形式の水出し珈琲は、抽出4時間と言うのが業界標準になっているようだ。以前に、といってももう数年前になるが、KEY COFFEEとかUCCの商品も扱っているので、その過去の容器と同じ物を使い、その上でパッケージの「裏面にある作り方どうり」に冷水で作ってみる。1Lの常温水で4時間抽出してみても、あれっ?て思うぐらい薄すぎる。そのまま、がぶがぶ飲む人には、この濃さもありかもしれないが、それでも少し無理がある。時には、ミルクや砂糖、氷を入れたい時のことを考えると、もう少し濃い目にしたい気分になる。このような状況を鑑みて、趣味的な要素から好みの濃さにむけて、水の量とか抽出時間を調整して把握しておきたい。

  そこで、抽出時間は4時間とし、水の絶対量として 1000mL、800mL、600mL と変えて試してみた。この時の濃さ、薫り、すっきり感で800mL が良かった。それでも、まだ少し薄めに感じたので、さらに2時間、4時間と抽出時間を追加して計6時間と、計8時間で試してみると、800mLで計8時間では、すっきりした感じが無くなり苦味が強すぎて、ミルクや砂糖が必要になる。それに対して、800mLで4時間常温で更に2時間冷蔵庫というのが、おおむねベストな状態になったと思える。もう少し、水量と、抽出時間を変えて経験を重ねることで、自分の考える「水出しアイス珈琲」の「薫り豊かですっきりとした味わい」を実感することが出来そうだ。UCCの個性とは違い、意外に癖も無く素直に飲める。
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2013/08/06

半夏うどん

  かつて、住んでいたことのある場所で、最新のイベントの事実を周囲から聞かされたりすると、「ふーん~」と不本意な挙動をすることがある。自分の想像のどこかで、何か歴史的な必然性があったのではないかと、一生懸命記憶を呼び戻し、そこに何があったのか、あるいは、どういう発想でそれが実現されたのか探偵のように推測することがある。果たして、この「半夏(はんげ)うどん」が、そのような価値に相当するかどうかわからないが、意外にも(遅かったが)、ごくごく数日前にそれを知ることになったのである。

  何か、地域的に凄い歴史的云われとか、そこに熱を帯びたものを感じる程の記念なのか、よく分からないにしても、お店のおじさんから薦められ、それに反応して、爽やかで「物分りの良い、いい男」だと思われたい気持ちもあったのかもしれないが、「ふーん、あー、ふーん」と合図ちを打ちながら、最終的に「旨いの?」と聞くと、「それはもう、これ以上美味しいうどんは無いんよ」と言わんばかりに、商売人の最終弁論ともいうべき「騙されたと思って、食べてみてよ」といわれてしまった。そこまでいうなら、と思いながら2パック(4人分)買って帰ってきたのである。

    半夏(はんげ)とは、「夏至」から数えて11日目のことを言うらしい。その日は、毎年小麦の豊作を祈って、小麦から作られる「食材=うどん」を食べる日を記念したものということらしい。6月下旬に採れる新小麦をすぐに挽いて(果たしてそれが)美味しいかどうかは、私の知るところではないが、「豊作を喜んで、出来るだけ多くの人とそれを分かち合う」と言う観点から、その時期のお祭りになったのであろう。余計なお世話かもしれないが、個人的には、その時期は梅雨なので、夏まで待つとか、時期的に盛り上がるには、少々早いような気もする。昔は、そのようなイベントは無かった。

  と言う背景を思い出し、期待に胸を膨らませながら、早速鍋を2つ用意し、お湯を沸かすことにする。ふつふつと鍋の縁に泡が出来て、沸騰し始めるころに麺をほぐしながら投入する。一方で鰹の出汁をとる。付属の「希釈出汁の素」より、ストレートな味で戴いてみたい。麺はやや黄色を帯びて、それが妙に美味しそうに見える。「ええっと、何分だっけと包装をひっくり返してみると、なんと15~16分」と書いてある。そんなに長く?と不思議に思いながら、いつもなら、ずっと大きな鍋で泳がせるのだが、この程度の一人前を作るには、少し箸で動かしてながら待つ。ピッピッと時間が来たので、冷水で何度か麺を磨く。その表面はツルツルになり凄く綺麗だった。汁が薄いので、麺の中の独特の塩気を感じたが、それがいかにも讃岐っぽくて懐かしいし、美味しい。おじさんの言うとおり「とてもこしのある美味しいうどん」であった。 
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補足:香川県産小麦「さぬきの夢」は、美味しいうどんのために10年掛けて開発した新麦である。1000人もの専門家が、既にオーストラリア産より「はるかに美味しく」なったと口をそろえて絶賛した麦である。

2013/08/02

鰻の炊き込みご飯

  今日は、常々試してみたいと思っていた「鰻の炊き込みご飯」を作ってみた。何でわざわざ、美味しい「鰻の蒲焼」を炊き込みご飯にしなければならないのか、という疑問も沸くかもしれないが、それも「一種の美味しさ」の追求なのである。まず、その根拠となる背景には、関西と関東の鰻の処理の違いにある。現在、全国のスーパーなどで販売されている鰻の蒲焼は、蒸し工程を含んで「ふっくら柔らか処理」がなされているが、元々関西では、その処理を行わない川魚処理そのものであった。そういう工程の中で「脂の少ない鰻の美味しさ」を追求してきたわけだが、現在の鰻は、四万十川で採れる様な天然物は一般市場に存在せず、一部の高級鰻料理店等で取り扱われている程度で、ほとんどは、養殖物である。養殖物は脂の乗りがよく、臭みもないので美味しい。天然物は高価である割には、まれに河川の臭いがある物があり、大量の山椒が必要なことがある。

  関西の「蒸し工程」のない鰻の蒲焼は、一般的に大型の「穴子」のような食感に例えられると思う。もちろん、お店で戴く時には、出来立てなので、それなりに美味しくいただけるが、一度冷えてしまうと、穴子寿司に入っているような、固めの食感に戻ってしまうのである。そこで、そのような冷えた品物が手に入ったら、是非に、「炊き込みご飯」に使ってみたいと思ったのである。今回入手したものは、「広島の老舗料理店の鰻の蒲焼」そのもので、蒲焼になってから真空パックで20時間程度経過したものである。大昔の記憶になるが、もちろん、そのお店へ出かけ何度か鰻重を戴いたこともある。その頃は、この大田川の支流に生息する鰻なのだろうと思ったのを覚えている。

  さて、冷蔵の宅配便で送られてきた鰻の蒲焼を、とりあえず1尾処理してみることにする。注)この1尾(または一本)というのは、丸々一匹加工済みの状態を指し、串に刺された状態では1串という。生きた状態では、もちろん一匹と表記する。さて、まず、その蒲焼状態に加工された一尾を1cm幅で裁断する。付属の調味液と日本酒、山椒を加え、一度電子レンジで加熱する。日本酒が飛んでしまうぐらい(約60秒ぐらい)で取りだし、放置して冷やしておく。お米は、1尾あたり2合の量にする。お米を洗浄して2合にあわせた水を入れておく。1時間ぐらい放置した後に、裁断した鰻の蒲焼を半分と、調味液を2/3ほど(PDF写真の容器参照)加えて炊飯スイッチを入れる。お米の水は、若干薄い茶色になる程度に抑える。ここで濃過ぎると焦げやすい。

  炊き上がったら、一度口にし味が足りなければ、調味液を追加する。調味液は、その薫り自体で、ご飯がいただけるという人がいるくらいの代物なので、この調整は重要で、濃いのが良いと言う人もいれば、濃すぎると鰻の味が引き立たないと言う人もいる。若干薄目が良い。同時に、少々鰻に臭みを感じれば、もちろん、少し冷えると臭みが分かりにくくなるが、ここで山椒を追加しておく。さらに、残りの半分の鰻の蒲焼を全て投入してから大雑把にかき混ぜておく。20分ぐらい良く蒸らしてから茶碗にもって戴く。今日は、浅いお皿に盛ってみた。この時期、付合せの梅干は必須である。
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