2015/03/30

博士と彼女のセオリー

  この日本語のタイトルは少々希薄な印象を免れないが、一方で THE THEORY of  EVERYTHING という副題も併記されていて、さしずめ、二人が選んだ「全ての理論」とでも訳せば良いのか、なかなか、理屈っぽい表題になっている。しかし、原作は Traveling to infinity: My life with Stephen 著者ジェーン・ホーキング。つまり、奥様の視点で書かれた物語。こちらは、単純明快で分かりやすく 「いつまでも旅する:スティーブンとの私の人生」 と言うことになる。スティーヴンとジェーンの恋愛に始まり、25年に渡る結婚生活を包み隠さず映像化した物語。2人とも、御健在なので本編をご覧になったとは思うが、どの様な気分なのであろうか。ホーキング博士には、少し責めらたように見えたかもしれない。しかし、理論的には合っていると納得されたに違いない。


  2人は、1963年にケンブリッジ大学で出会う。この時、スティーヴンは自転車に乗ったり、ジェーンとデートしたりする普通の大学院生であった。今では、まったく想像すら出来ない姿だが、「時間を巻き戻す」とこんな感じかなと、普通の若者としてスクリーンに蘇っている。ただ、彼が黒板に書き起こす数式を眺めると、やはり、我々とは異次元の生物であることを確信する。もちろん、スティーヴンとは、ニュートンやアインシュタインと肩を並べる理論物理学者のホーキング博士のこと。かといって、ありがちな、難しい性格の人ではなさそうだ。むしろ冗談好きでユーモア溢れる人柄として描かれている。しかし、その後、彼はすぐに筋萎縮性側索硬化症=ALSを患い、余命2年の宣告を受ける。あの様な幸せの絶頂にあった好青年を襲った病に、観る者としても「何でそんな病気に」と悔やまれる。

  この物語の最初の山場は、そんなスティーヴンが将来を悲観して自閉しながらも、ジェーンはそんな境遇に怯まずに、自らの愛を貫くために結婚を決意するところにある。スティーヴンの病の重さ(余命2年)を考えると、結婚自体は彼女にとって形式宣言でしかなかったかもしれないが、この崇高なる愛情は、どの様にして培われたのか、物語が経過するにつれ、その彼女の価値観を理解できるようになる。そして、そのジェーンの励ましに支えられてスティーヴンは、テーマ=「時空の特異点」で博士号を取得する。そんな病の進行状態を、あたかも本人のように演じているエディー・レッドメイン(=スティーヴン役)はとても印象的だ。本人がその病=ALSに時間を掛けて研究してきた成果と言える。その演技には、観る者ですら手を伸ばしてスティーヴンを支えたいと思う程である。こちらにエディー・レッドメインへのインタビューがある。
 https://youtu.be/vhzCyXcnqBE

  余命2年の宣告に立ち向かいながらも、5年、10年と時が過ぎていく。しかし、病状は改善されるどころか、少しづつ悪化を辿ることになる。そこには、並外れた強固な精神でなければ、先に進めないほどの境遇が待ち構えている。そんないっぱいいっぱいの状態の中、子供たちの面倒を見ながらも、ジェーンはスティーヴンを支え続けるが、徐々に疲弊してくる。そのことをスティーヴンはよく理解していたし、自らの気持ちを抑えながらも、ジェーンに対する理論的な決断をする。そして、その結論に自ら適応してゆく。そういう互いの気持ちを理解し、あくまで理論を信じて手を差し伸べる姿こそ、 THE THEORY of  EVERYTHING の意味するところかもしれない。

  声を失っても、スティーヴンへの希望を捨てないジェーンの姿は、彼に「生きて何をなすべきか」を態度で訴え続けているようだった。それが彼女の1つの論理的原動力かもしれないが、その背景には、スティーヴンの物理学への貢献を彼の使命と考えていたし、一方で家庭を守ることも英国女性として大切な役割として認識していたようだ。そのような環境でも、互いは年齢と共に大きく成長していく。そして、互いを慈しむ気持ちが膨らんで、やがて、2人とも別のパートナと時間を過ごすようになる。その姿に、形には拘らない2人が、少々理屈っぽく生きているような気がする。25年と言う長い年月に、観る者としては息苦しさがあるが、どのシーンにも暗さは残らない。いつも希望の光が差込み、どこか輝きに満ちていた。それが、最後のシーンに結実していて、観る者も心の底から救われる。

  全体を通して、その「理由とか言い訳の言葉」が少ないため、控え目な表現に思えるかもしれないが、メンタルな部分は、「観る者の経験」で補足しなければならない。しかし、それは、あくまで論理的に正しい前提が必要になるようだ。
予告編はこちら
https://youtu.be/mw_YOjM2DbQ

2015/03/26

イントゥ・ザ・ウッズ

  イントゥ・ザ・ウッズと書いて、「森の中に伝わるおとぎ話」と解釈しよう。これはねぇ、・・・「赤ずきん」、「シンデレラ」、「ジャックと豆の木」、「ラプンツェル」って知ってるよね、その古典的なおとぎ話の続きを1本にまとめたのさ!と言われると、ええっ、1本に?と違和感を感じながらも、絵本の中にあった「添え画の一部」を手繰り寄せるように思い出し、懐かしさに浸る。幼い頃、本を開いては想像を膨らませていた様に、この歳になっても映画を観て「幸せな気分」になれるならば、強引に4本を1つにまとめたとか、おとぎ話の続きが奇想天外だとか、そんなことはどうでもよい。しかし、多少興味を引くとすれば、その物語がどの様に展開し、どう結末としてまとめるのか、全体を通して根底に流れる「思想」ではないだろうか。


  ブロードウ­ェイで上演されたミュージカルを基に、ディズニーが映画版ならではの魅力を加えて再構成したわけだが、やはり、4つの童話を1つにまとめる魔女には大きな負担が掛かる。その魔女役には、あの「マーガレットサッチャー」(2012/05/01紹介済み)を演じたメリル・ストリープが務めている。さすがに風格の上にも艶やかな歌声で魅了される。赤づきんちゃんを唆す狼役にはジョニー・デップが、そして、今評判のエミリー・ブラントは、パン屋の女房役といて出演している。映画の見所はそれだけではない、さすが童話が原典であることから、その子供たちの歌声にも魅了される。食欲旺盛でパンを食べながら歌う「赤ずきんちやん」は、正確無比な音程が魅力で、その専門筋をも唸らせて、聴き応え十分。まめの木に登るジャックも、飛び切り歌が上手で彼女と好対照の選出。正しい音程はどの様なテクニックも及ばないということか、それがこの映画の素晴らしさの原点といえる。

  ディズニーの製作なので、次から次へとVFXを多用しながらも質感を犠牲にすることなく、隅々まで凝った映像美が展開する。実写の中に埋め込まれた華麗なVFXに、改めてその素晴らしさに興奮する。そして、最も魅力的なのが、オーケストレーションが後押しする音響効果である。必要なところに適した楽器の音を割り当て、金管ありーの、ハープありーの、地響きの様な重低音ありーのと、それに重なるフルオーケストラが奏でる「重厚で透明感のあるストリングス」が象徴的でとても綺麗。また覚えやすい旋律が、何度も繰り返され親しみやすく、知らず知らずのうちにそれを口ずさみ、どんどん親しみが増してゆく。しかし、映画館の再生装置では、中高域のきめ細かな音が歪っぽくなってしまい、サウンドトラック版CD(下の写真)に興味がそそられた。こちらは、まるで別物のように繊細かつ隅々まで端正な音が聴こえ、つい聴き惚れてしまった。オーディオマニアなら確保しておきたい1枚と言えよう。


  さて、物語の内容は、やはり、メッセージ性が高く、例えば「森の中では何が起こるか分からないほど危険がいっぱいだが、願いをかなえてくれるかもしれない。しかし、自分の願いだけを求めて行動するのは良くない。願いがかなった後の周囲の人たちのこともよく考えておこう」と訴えている。現代風に言えば、森は今の社会全体を象徴したもので、「子供が欲しいとか、お金持ちになりたいとか、優しく見える人でも一皮剥けば狼だとか、親元を離れてゆく子供が愛おしいとか、思いもよらない異性の誘惑には注意しよう」とか、様々な課題が具体的な映像になっていて、それを観ながら、どのように対処すべきか、脆弱な精神を自ら認識して、熟慮の末に道を進んで欲しいと促している。うーむ、確かにそうなんだよなと思わせるほど含蓄に溢れている。
予告編はこちら
http://www.disney.co.jp/movie/woods/video.html

2015/03/24

べにふうき緑茶

  最近は、大型量販店の健康食品売り場が幅を効かせている。さらに、その売り上げが伸びている状況は、今後も概ね20年は続きそうだと期待されている。昔から健康食品は、馬鹿売れする商品でもなかったことから、標準価格に対して利益率は十分に高い。言わば、高付加価値商品なのである。購入者は、「お金はあるわよ」といった感じの、昔ながらの奥様方で、ネット系に関心が薄いこともあって、友人と一緒に量販店に足が向くようだ。売り上げも右肩上がりが続いて、売り場の主任も鼻息が荒い。これらは奥様方にとって一種のレジャーかもしれない。だから値引きが良ければ、それなりに割安感がつのり、その分お昼に美味しい食事を召し上がったりするようだ。

 お金持ちの最後の望みは、おおむね「長生き」である。しかし、年齢にともなって体のあちこちの調子がいま1つ良くない事から、常々、昔のような体調を取り戻したいと考えている。また、残された時間をより楽しく過ごしたい為に、何か良い健康食品はないか気にかけている。そこに、健康食品の潜在需要とビジネスチャンスがある。ただ、どのような商品が良いか、どこのお店で安く売っているのか、よくわからない。そこで、周囲の同じ世代の人たちと情報交換をしながら、「えっ」と言うほどの遠くから仲間を誘い合ってやってくるらしい。

 そういう売り場では、テレビやラジオで宣伝している商品はもとより、想像もつかなかった品物が見つかることがある。今まで「自分だけの不調だ」と苦しんで来た症状も、それにぴったりのサプリメントを見つけることで、「自分だけじゃないんだと」安心感を覚えることもある。あるいは、「これで一挙に不安解消になるかもしれない」と言った、かすかな期待にも繋がることがある。そういう珍しい品物があるお店は、客層の多様化が進む根拠となりそうだ。また、そのような不安が解消できる商品を探し当て、実際に試してみることも楽しみなのである。

  今日は、そんなお店で、大勢の奥様方に紛れて「べにふうき緑茶」というのを買ってきた。決め手は、「すぐに実感、すきっとお出かけ」と書いてあることだ。裏面に記述されている「べにふうき」の説明として、概略を引用してみると、・・・「べにふうき」は、アッサム種に近い紅茶(発酵茶)の品種で、特徴が「メチル化カテキン」を含んでいること・・・らしい。これは、どうも抗アレルギー作用(ヒトでの効果)によって、「花粉症に効果」があるようだ。また、茶葉を発酵させてしまうとメチル化カテキンは消失してしまうことから、蒸し製法で加工したもの」とある。より抗アレルギー作用を引き出したものと考えられる。早速試してみたい。花粉症は今頃の春先だけではない、秋口にも花粉は大量に飛ぶようだ。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211708&app=WordPdf

2015/03/20

イミテーション・ゲーム

 イミテーションとは、「見習って模倣する」ことである。しかし、実態を把握していれば苦労はないが、暗号化する装置では、いかなるケースでも模倣が成立するような仕組みを考えて、それと同じ機能を実現することは難しい。この映画に登場する「エニグマ(enigma)」とは=「中身が理解できず、仕組みを説明できないもの」と訳すべきである。つまり、それは暗号機のことになる。「戦時中英国を悩ませた、ドイツの最高傑作と言われるそのエニグマを見習って模倣する戦いを描いた映画がイミテーション・ゲームになる。暗号機は、暗号(隠された)符号を数学的な手法によって組み替える機械を指す。

  数学的な手法とくれば、コンピュータが得意の分野である。現在では、絶対と言って良いほどに解読できない暗号化技術が日常的に使われているが、コンピュータが無かった戦時中では、時間のかかる数学的手法には限度があり、暗号化には設計者、あるいは発案者の趣味的な要素が多分に含まれていたようだ。ちなみに、日本海軍の歴史に残る暗号として「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」は有名で、開戦を昭和16年12月8日 午前0時とする」と言う相互理解の暗号で、その電信を受け真珠湾攻撃を開始した。また、「我 奇襲二成功セリ」と自慢げに「トラ、トラ、トラ」と電信する。しかし、いずれも米国に傍受解読されていた。

  そんな約束事程度の暗号から、数学的手法を駆使することで、より汎用的に短い時間で複雑な機能を持ち、日常の電信にもそのまま応用できる暗号機が作られるようになる。映画の粗筋としては、その精巧に作られた難攻不落のエニグマを駆使した情報戦によって、英国が窮地に立たされてゆく。また、この暗号を解き明かすには、159x10の18条の設定の可能性があり、「10人が24時間それに費やしたとして2000万年ほど掛かる」と説明し、そのエニグマが備えた機能の優秀性と、この解明作業が天文学的な数字になること、これらによって、この作業の重要性と難かしさを象徴して描いている。かといって、ストーリは決して難解ではなく、むしろその手の知的好奇心からすると物足りないかもしれない。


  過去には、ドイツ軍の所有するエニグマ本体を潜水艦から略奪する映画はあったが、仮に、そのエニグマを所有したとしても、それをどう使うか、つまり「モードの切替え」とも言うべき「宣言文」を入手しなければ、機能を果たさない。そこが、挑戦するものにとってより複雑に見えるところで、この天才数学者アラン・チューリングが正面からエニグマの謎に挑み、苦しみ抜きながらも約束の期限ギリギリで、わずかな言葉にヒントを得て、謎を解き明かす事に成功する。それにしても、このような話を、当初「英国政府が50年間隠し続けた意味」がどこにあるのかも、想像は出来なかったが、映画の中で、アラン・チューリングの幼少時代と大学教授時代の現在(1950年代)を同時進行で描くことで、その「筋金入りの事情」を知ることが出来る。そこに、アラン・チューリングが時代に翻弄され数奇な人生をおくったとされる所以があるようだ。

  では、彼が本当に「数奇な人生」を送ったかと問いかけられると、「いいや、クリストファー2号と毎日会話をして幸せだったに違いない」と思ってしまうところに、この映画の「切ない魅力」が映像で表現されている。そこには、機械と人間の係わり合いを端的に表現し、彼の目指す実像が見え隠れする。そして、もう1つ、印象に残るメッセージが「誰も想像しなかった人物が、誰も想像しなかった仕事をやってのける」と言う、励ましのかかり結びのように、映画の中で3度も連なって発せられる言葉だ。最初、同級生のクリストファーからその言葉で進むべき道を薦められ、その言葉を胸に秘めて青春時代を過ごし、その同じ言葉で婚約者ジョーン・クラークの背中を押す。そして最後に、そのジョーン・クラークから再びアラン・チューリングがその言葉を受け取る。この言葉にこそ「時代に翻弄され数奇な人生」と言われた本質が隠されているようだ。
それでは、興味のある人は、映画の中で机上の戦いを体感してもらいたい。
予告編はこちら
http://imitationgame.gaga.ne.jp/

2015/03/17

タラバガニ・ラーメン

 おおっと、店頭でタラバガニという文字が目に入ってきた。しかも、醤油味と味噌味の二種類が並んでいる。その袋の裏には、こんな記述がった。それを、そのまま引用すると→「四季折々の味を生み出す、雄大なオホーツク海から漁獲された新鮮なタラバガニの風味を、当社独自の製法により生ラーメンに練り込み、より一層のコシと歯ごたえを生みだすため、四~五日間熟成乾燥させた”タラバガニラーメン”をぜひご賞味ください。きっと、ほのかな北の海鮮の想い出と北海道ラーメンとの出逢いをご満悦いただけるでしょう。」とある。僅かなスペースに小さく書かれてはいるが、「流氷の浮かぶオホーツク海からの冷たく強い風と、その風に晒されている麺」が鮮明にイメージ出来てしまった。そんな、厳しい環境で生み出されるラーメンの、心のこもったメッセージを受け取ってしまったのである。

 味噌ラーメンに蟹の足が数本入っているとか、あるいは蟹缶から取り出したような、ほぐし身が乗っているラーメンなら札幌のラーメン横丁にもある。しかし、タラバガニの風味をラーメンの麺に練り込み、その麺を四~五日も寒風の中で熟成乾燥させるとは、何としたテクニックなのだろう。そんな、旨い物を追求する心意気に感心する次第である。しかし、その寒風による熟成乾燥の作業は、先に紹介した「海老ラーメン」にも使われていて、それは北海道における麺製造の定石なのかもしれない。・・・そんなことをレジを待つ僅かな時間に考えていた。荒削りのパッケージ・デザインからは想像すらできない、拘りのある商品を手にしながら、それとなく家路を急いだ。

 少々無駄に思えるけれど、麺を茹でるための十分なお湯と、丼にスープを溶かすためのお湯は、いつも別々に沸かし、最後に合わせることにしている。それは、2つ分のたっぷりとしたのお湯を用意したとしても、麺に付着したかんすいや加工でんぷん、あるいは小麦粉や炭酸カルシウムの一部がスープに混ざるのを嫌うためだが、今日は、麺に練り込んだタラバガニの風味まで溶け出してしまうのではないかと心配し、裏に書かれている説明を追ってみた。でも、普段通りの別々の作り方で良いらしい。お湯が沸騰するまでは同じ鍋でもよいが、あつあつのまま口に運ぶスープに溜を作ったり、麺を箸でほぐしたり、鍋の中を泳がせたりする作業を考慮すると、どうしても麺とスープのお湯は別々に用意したい。

 何も具材を載せないで、そのまま頂くことを想像すると少々寂しい印象を受けるかもしれないが、最初の1杯は、むしろそうあるべきだと考えている。一方で、具材をたくさん載せると如何にも美味しそうに見えるが、味の濃い物が入ることでスープの味がどんどんぼけてくるし、折角慎重に試作を繰り返したスープを一刀両断に切り捨てるような結果になってしまう恐ろしさを避けたい。袋の裏には具材として、焼豚、メンマ、モヤシ、ゆで玉子、なると、のりなどが推奨されているが、スープへの影響の少ない具材を合わせるのが王道である。最初は、なると、わけぎ程度に抑えたい。もちろん、その後何を入れて食べても文句を言われる筋合いはないが、それほど最初のインパクトは重要と思えるのである。つまり、「ほのかな北の海鮮の想い出と北海道ラーメンとの出逢い」を感じるならば、薬味は少々でいかがだろうか。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211514&app=WordPdf

2015/03/13

手作りならではのドイツ・ハンバーグ

  食品が大量生産される時の特徴は、最大公約数的な美味しさが隅々まで浸透し、誰が食べてもそこそこ美味しいとか、外れがないこと、あるいは品質管理が行き届き、安心安全が何処までも浸透していることかもしれない。今までも幾つか、ショップチャンネルやQVCのハンバーグを取り寄せてみたが、消費者による好き嫌いはあるにせよ、美味しさの幅は果てしなく広く、ハンバーグといえども「色々特徴があるんだな」と思わせてくれた。

 まだまだ研究は足りないが、それなりに目ぼしい物を一通り口にしてみて、共通する幾つかのことがわかってきた。当たり前だといわれればそれまでだが、やはり、お肉の素性だけに拘ってはいけない。そこに注目するよりも、シェフが味に責任を持って作っている品物の方が、美味しさに偏りがなく、なるほど美味しいと思うことが多い。ただ、様々な幅広い美味しさが、飽きがちな食事を豊かにしてくれることもあるので、美味しいものはそれなりに、趣向が少し違っても、美味しく頂く側のコツというのも必要かもしれない。


 今日撮影したハンバーグは、贈答カタログ品から取り寄せた商品なので原材料などの詳細は不明だが兵庫県姫路市にある「株式会社 ハング」という会社の製品。ドイツ家庭料理専門店の何軒かレストランを出店していて、そこで使われている「こだわりハンバーグ」である。そのようなお店で出されているハンバーグは、まさに大量生産では到底たどり着けない職人技の集大成ともいえる美味しさで仕上げられている。加えて、ソースの美味しさが断然違うと言った感じである。

 なるほどこれなら、お店で「拘りの逸品」としてメニューに並べられても、それを目当てにお客がやってくる理由があると納得できる。確かに手間も拘りも滲み出ている。この箱詰めパッケージの中には、ハンバーグの「赤ワイン煮」と、「オールドハンバーグ」と称する品物の2種類があり、同社独自のデミグラソースもパックされていた。いずれも素晴らしい美味しさを提供してくれる。そのドイツ家庭料理専門店は、株式会社 ハング 兵庫県姫路市南条字高田436番地 TEL 079-288-8387になる。

補足:贈答カタログ品=贈答品が掲載されたカタログ冊子が送付され、その中から商品を指定すると、その商品が贈られてくる。

2015/03/10

国産 わけあり刻みうなぎ

  世界的に鰻の稚魚の入手困難が続いており、鰻好きの人にはさびしい時期に突入しているが、ここ数年は我慢が続くと思われる。特に最近は価格の高騰のみならず、一方で職人の減少に合わせて蒲焼の機械化が進み、柔らかく職人技の蒲焼の入手自体が困難になってきた。つまり、老舗の鰻屋へ出向かないと今までのような美味しい鰻を戴くことが出来なくなっている。そんな状況の中で、デパ地下やスーパーなど、何処へ行っても大量に並んだ鰻の蒲焼パックを観ながら、いつでも、同じ疑問が頭をよぎる。


  こんなに綺麗に、大きさや形が揃った蒲焼を仕上げる工程は、柔らかさを犠牲にして、適度な硬さを保って歩留まりを向上させ、無駄が出ない仕組みなのだろう。つまり、老舗店の蒲焼の作り方と、大量の蒲焼製造システムは、「重視する思想」が根本的に異なり、当然食感も味も異なる結果になるに違いない。昔は、1尾づつ丁寧に熟練の職人が作業していたわけで、途中の「さばき、蒸し、焼き」などの工程で、ふっくら仕上げようとするため、どうしても身が切れてしまったとか、形が崩れることがあった。業界では、それらを「はね出し」というらしいが、はね出しが出ることが「職人の作業の証」でもある。

  そのはね出しを集めて、訳ありと称して 「刻みうなぎ」仕様にすることで、味はそのまま、大変お買得な商品として売り出されることがあった。そんな商品を久々にTBSショッピングで見付けたので、それに飛びついて取り寄せてみた。国産訳あり「刻みうなぎ」の中身は60g×10袋、タレ10cc、山椒×10袋。鰻の原産地は、愛知、鹿児島、静岡で養殖と書かれている。1袋づつ湯銭にかけて、温かいご飯の上に乗せるだけで鰻丼になる。それ以外に、ご飯に混ぜておにぎりに使ったり、山椒や大葉を添えておつまみにもなり、使い方次第だ。

  同社の説明では、厳選された国産うなぎを、美味しい蒲焼に仕上げるために、熟練の職人が拘わって作業していると説明している。1尾1尾を手でさばき、遠赤外線と溶岩を使った特製の焼き台で、秘伝のタレを付けては焼き、付けては焼きと、何度も繰り返すそうだ。そういう作業を通じて、じっくり焼き上げることで、表面は香ばしく、中はふっくら柔らかで脂ののった美味しい蒲焼になるという。まさに、大量の蒲焼製造システムでは実現できない仕上がりといえる。確かに、鰻自体は皮が薄く肉厚で、柔らかな食感なので、お年寄りにも喜んでもらえる。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%212228&app=WordPdf




2015/03/05

アメリカンスナイパー

 知らず知らずのうちに愛国心と引き換えに心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむようになる米国狙撃手の実話。PTSDとは、強いストレスが心理的なダメージとなって、その経過時間後も関連する刺激によって、強い恐怖を誘発する心の病気。災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因で、動悸や息切れ、血圧不安定などの障害が襲うことで知られている。この映画では、イラク戦争で米軍史上最多の160人を狙撃した伝説的なスナイパー クリス・カイル(海軍ネイビーシールズ所属)の半生を描いてある。監督は、昨年ジャージーボーイズで感動を撒き散らしたクリントイーストウッド。


 作品の主眼として、狙撃する腕前がずば抜けて優れていたとか、160人狙撃したと言う実績が素晴らしいとか、そのような表面上から理解できる内容ではない。素直に「国の為に、家族を愛し、仲間を守る」という優しい男クリス・カイルがイラク遠征でどのようにして心が崩壊していったのか、そして、そのイラクの戦場になぜ4度も戻らなければならなかったのか。1つ1つ丁寧に心の動きを、緊張感溢れる衝撃的な映像で振り返っている。しかも、戦場の仲間は英雄視するだけで誰も彼の心を蝕む病に気がつかない、それが戦争だからだ。

 狙撃者は、高い場所に陣取り、影を潜めて照準器を覗く時が最も冷静になれる時間であった。しかし、彼は一瞬たりとも気が抜けない地上班と共に行動し始める。一方で、仲間が敵の狙撃手ムスタファ(元オリンピック金メダリスト:シリア人)の標的になり、何人も遠距離から狙撃されてしまう。それがきっかけでクリスに憎悪が膨らみ、さらにクリス自身も賞金が賭けられて狙われる。イラクの地上戦の恐ろしさを実感できる映像と、このまま続ける危うさに「もういい、クリス、国に帰ろう」と叫びたくなる。4度目の遠征では、その敵の狙撃手ムスタファを追い詰め、実に1920mもの遠距離狙撃でそれを成功させている。もちろん、そのムスタファにも妻や子供がいて、クリスとまったく同じ境遇で、その鏡のような構図が映像で強調されている。
https://www.youtube.com/watch?v=MF40oKgQ9Jg

 彼が戦火の中、携帯電話で妻のタヤ・カイルに「決めた、君のもとに帰る」と叫ぶのを観て、私も、やっとホッとしたが、そこに彼が唯一「本来の自分を取り戻す瞬間」であったのかもしれない。それでも、まだ現場は一瞬たりとも気を許せない、並外れた緊張感が刻々と過ぎてゆく、巨大な砂嵐が襲い掛かるも、数m先が見えないさなか、銃撃戦にまみれながら危機一髪で脱出する。そして母国に帰るが、壊れた心をそのままでは家に寄り付けない姿に恐ろしさが漂う。整理できないまま自宅に戻っても、戦場の音や仲間の声が頭から離れず、緊張を強いられながら恐怖が押し寄せる。カウンセリングを受けるが、完全に心が崩壊しているのを隠すかのように「もっと仲間を助けたかった」と言う言葉が切なく響いてくる。

  様々なTV報道で分かった気になっていたものの、当時のイラクの地上戦の再現を初めてスクリーンに見ることができ、その現実の恐ろしさを肌で感じてしまった。また、PTSDの自覚に伴う苦しみと、どのような「過程で心を蝕んでゆくのか」をまるで自ら体験するかのような緊迫感で描かれている。狙撃という一種独特の技能戦を格好良く眺めることもできるかもしれないが、それはTVドラマだけの話だった。引き金を引くその1発1発が、「自らの心を踏みにじる拷問」であることを顧みると、その任務の過酷さを痛感する。体に応える映画だが、見逃さないでよかった。ぜひ、みなさんもご覧になってほしい。
予告編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=_tZ-hDcIG2o


 

2015/03/03

エクソダス 神と王

  「エクソダス」とは、「エジプトを出て行った人々」と言う意味である。「神と王」とは、出生を知らずに王の子ラムセス2世(王子)と一緒に育てられたモーゼ(青年期にヘブライ人であることを知らされる)この2人のことを指す。そのモーゼといえば、十戒、髭を蓄え、杖をつき、紅海を割って人々を通すという神の遣いとなる。その「出エジプト記」を描いた宗教色の強い映画をイメージしてしまうが、確かに、ストーリーは、その「出エジプト記」そのものなのだが、まったく宗教色を感じることも無く、むしろ、分かりやすい人間味あふれる物語に仕上げてあり、ラムセス2世とモーゼの戦いが現代風に描かれている。スッキリとした構図で分かりやすく気持ちが良い。


  壮大な映像美はかつて無いスケール感とともに観るものを圧倒する。古代エジプトの繁栄を余すところ無く表現されているセットなど、その構造物、建築物に留まらず、机の上に配置された天秤や装飾の品など、あるいは、キャストが身に着けている衣装や小道具など、それらが持つニュアンスまでも、正確に再現されている。きっと美術監督は古代エジプトに造詣が深いのだろう。また、そこで生活しているエジプト人、あるいは奴隷として働かされているヘブライ人の数も、半端ではない。それらの登場人物の顔つきまで微妙に異なる様子など、このような時代公証は、どのような手順で行われるのか興味深い。この映画に対する専門家の参考意見をまとめた映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=G8TL4N-l-uA

 エジプト兵士がヒッタイト族を攻撃する戦闘シーンなどは、まさに、「冒頭から度肝を抜かれてしまった」と言えるほどの壮大さで描かれている。登場人物も多く、それぞれが綿密な剣さばきと動作で、圧巻の映像を見せ付けた。そうかと思えば、ワニが船の乗組員を襲うシーンに始まる「10の奇跡(次々と起こる災い)」は、実写とVFXが見事に融合し、さすがに神の仕業のように、「とてつもない気持ちの悪さ」として再現されている。実際にそんなことが起こるかどうかわからないにしても、映像の中でラムセス2世を支える顧問は、それを神の仕業とすることも無く、あくまで科学的に証明しようとするところなど、まさに現代風といえるかもしれない。

 そのように曖昧な宗教色を排除した、拘りの映像美を持つリドリー・スコット監督独自の「十戒」作品ともとれるが、とにかく最後まで凄まじいスケール感に圧倒されてしまう。また、何処で撮影されたんだろうと思わせる美しい風景も見所の1つ。細かいところまで、見逃さず、もっと観たいと思うのは私だけではない筈だ。この作品に溢れている、巨大なスクリーンの映画館ならではの楽しみ方に、観終わった時の爽快感が心地よい。そんな1つ1つのシーンに必要な創造技術や美意識を感じさせてくれるところがこの巨匠の技なのだろう。久々に、分かりやすく素晴らしい映画を見せてもらった感じである。
予告編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=SAb5kpVZD-w