2009/10/30

プリザーブドフラワー

 先日、家内の誕生日に知り合いから白い箱が着いた。いまどき誕生日だからといって、そのために贈り物を届けてくれる気持ちがありがたい。なのに、しばらく玄関に放置されていた。まるで、電話帳を受け取った時のように、受け取った姿のまま床に置いてある状態が続いたのである。白い箱は透明の窓があり、中味が見えるので開けてみるほどでもなく、覗いてみると、小さなバラが顔を並べ、「苦しいから開けてくれよ」と叫んでいるように見える。その後、2日経過しても、本人は忙しそうにして、開けてみようとしないので、尋ねてみると「知ってる、開けてみたら」と冷たい反応であった。間に「そんなに興味があるなら」という言葉が割愛してあるので、全く興味が無いわけではない。本人としては、少し時間的余裕が出来てからじっくりと開けてみたいと思っているのかもしれないが、それだけではなさそうにも見える。花が好きな割には不可解である。

 それにしても、知人から何か頂戴する気分はとても嬉しいが、贈り物には、贈り主の社会性を伴うセンスが盛り込まれるし、人なりの価値観も反映される。また、受け取った側としては、何はともあれ気持ちが嬉しい筈である。さらに、自分が全く知らない物が入っていた時には、「まあ、凄い」と感動する場合もある。まれに、がっかりすることもある。たとえ、自分宛ではないにしても、日々この箱に興味がつのるのは自然である。

 さすがに生花のように見えるので、何日も放置できない。開けずに枯れてしまっても本人はがっかりするだろうし、それが1番困る。枯れてしまったときの事を想定して、写真でも撮っておこうと思った。そして、4日目には、意を決して開けてみることにしたのである。ダンボールは見た目より堅牢に出来ていた。中味は、ハート型の鉢の上に小さな花がいくつか並んだ姿をしていた。恐る恐るセロファンの袋を開くと、むせ返るような薫りが広がった。「おーっ」と言う感じである。その薫りがやや人工的なのでそういう反応になってしまったが、赤紫と桃色の球体から薫りが出ているようだ。どうも、小型のバラは丁度、生花と造花の中間的存在で、どちらかと言えば、表現としては少々息苦しさを伴うが、生花のミイラ処理というか即身仏のような作りではないだろうか。小さいので、置き場所をとらず可愛い感じで、まとまりも良い。加えて、存在感だけは一流の雰囲気を漂わせている。

  人は、誰でも小さな物を可愛がる本能があるが、それをくすぐってくれそうだ。それにしても、製造工程を想像しなければ、なかなか意表を突くお洒落な贈り物と言えそうだ。箱の中には、メッセージカードと説明書が同梱されていた。これは、生花加工品=プリザーブドフラワーと言うらしい。

 説明書には、生花加工品なので、水をあげる必要が無く、逆に水をかけると色落ちの心配があるという。また、特殊染料を使っているため、色落ち、色移りの心配があり、親油性があるため、プラスチックやニスなどと直接触れると溶ける恐れがあると書いてあった。写真を撮っても写らないとは書いてなかったので撮影してみることにした。撮影中に、薫りに包まれていると、ふと、家内が開けて見なかった理由が分かりそうな気分になってきた。この商品を既に知っていたに違いない。 私もバジルとミニトマトを育てているので、葉の色が少し悪いだけでも気になる事がある。生き物を大切にする気持ちの普遍性は高い。それが、贈り主との間で、素直に割り切れる気持ちになれなかったのではないだろうか。そんな感覚が頭をよぎったのである。

 今回は、多少芸風の違う写真のように思われるかもしれないが、やはり実体を反映してか、ことのほか、生命力の乏しい画像になっている。
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2009/10/27

武者小路実篤記念公園

 今日は、実篤記念公園に来ている。ここは、うちの近所なので、もう何年もの間、いつでも行けると思って、忘れかけていた場所である。武者小路実篤の詳細は、実篤記念館のホームページがあるのでそちらをご覧戴きたいが、もっぱら私の興味は、実篤が「一人の男として」どのような環境で、晩年の創作活動を過ごしていたのだろうかである。

 あの、人生の重箱の隅を穿り返すような、まさに、中高年のためによく整理されたオペレーティングシステムとでも例えればよいのか、あるいは、細部までよく描かれた精神安定剤的文字列とでも言うべきか、その卓越した創作をどのようにして成し得たのであろうか。「残された時間の流れと、自然が蓄えた空間と、より洗練された文章を追求する精神」の3つが見事調和して描かれた人生観は、目標意識とその整合性の結集と言えそうだ。ややもすると評論的人生観と受け取られがちだが、自分自身への啓発メッセージであることを鑑みると、それを生み出した「実篤が存在した空間」を眺めながら、彼の生きた時代に想いを馳せることで、何か僅かでも、自分にも「一人の男として」取り込める手がかりがあるのではないかと、勝手に思い込んだ訳である。それを 「覗いて見たい」という単純な冒険心的欲求を、その実篤の晩年作品と照らし合わせるという理屈を組み立てて、現場に行って観ることにしたのである。

 場所は、仙川からつつじヶ丘へ至る急な斜面に位置して、仙川側から入門して下るか、つつじヶ丘側の実篤記念館から入場するかによって大きく印象が異なるが、おおむね上部と下部の2つのステージに分ける事が出来る。その象徴が、上部にある「上の池」、下部にある「下の池」である。いずれも自然を愛する実篤らしく、周囲に目を配りながら客人と話をするのに最適なロケーションになっている。それが、主導的に客人からその真意や思考の本質の引き出しやすさを演出しているものと思われる。きっと実篤は、同じ志向の人種と語り合うことが好きだったに違いない。当時とは、庭園の状況や空気感は違うにしても、何か魂が落ち着きを取り戻し、人が人としての本質を取り戻せるような、心を和らげる武蔵野の面影を残している。

 一方で、その創作力は、仙川に降った雨が大地に染み込み、たっぷりとした時間をかけて、湧き出てきた水源とそれを湛えた池、さらにその池の中央にある島に相当する部分に象徴的な部分を見る事が出来る。そこにはあたかも、自然崇拝的とでも言うべき情景が漂っており、実篤自身の「精神性と創造性が巧みに交差する場所」なのだろう。子供の頃の気持ちをそのまま残したとも考えられるが、「回りを水に囲まれた孤立無縁の存在」も好んだようだ。そこには、心の落ち着きとやや自閉的というべきか、自己集中的というか、その精神性に根付くこだわりを感じる構造である。
 つまり、この公園自体は、「精神的開放感と閉鎖的孤立感」の両立を実現しているかのように思えたのである。 本来ならば、「上の池」の周囲の写真を撮影して、より本質に迫りたかったわけだが、ここは、実篤に強い興味を持たれた方が、実篤をより深く理解するために、実際に自分の目でご覧になったほうがよいと思える。まさに閉鎖的孤立感を体で感じて欲しいと思う。そういう意味で、今回の取材は、私にとって少し勉強不足を感じたのである。

 しかし、その流れは、「下の池」の周囲にも認められ、この場所なら、実篤の精神的開放感を素直に理解できると感じたのである。少なくとも、今までの自分の実篤へのイメージを具体化したらこのような感じかなと思えた場所がある。少し横路にそれるが、小路とか大路とかは、京都の地名に多くあり、武者小路町という場所もある。そんなことから、実篤を京都の人かと勘違いしていた。そして、何とも伝統的風情を感じさせる高貴で贅沢なペンネームを作り上げたものだと思っていた。昨日まで、そう思っていたのである。そんな背景から、「こういう感じの写真が自分のイメージかな」というのが、このPDFの写真であり、自分の上澄み的な認識に対する1つの回答だと思えるのである。 もちろん、この写真にも、「上の池」にもあるような、自然の中に生かされている自分の存在を象徴するように「水に囲まれた場所」が用意されているのである。

 今日の感想として、まだまだ自分には、この先晩年を迎えられたとしても、そのような創作意欲や卓越した人生観を受け入れる気持ちには、まだなれないと思ったのである。 実篤記念公園を去るとき、そう感じたことが、妙に自分に安心感を与え、今の社会に生きる活力とでも言うのであろうか、今の社会生活に引き戻されることへの幸福と、自分なりの単純で慎ましい生活に慰めを感じたのである。

 だから、これからも先行き度々訪れて庭園を眺め、実篤の日々の心境を知る楽しみとして、この場所を大切にしたいと思うのである。次回は、いつになるか分からないが、是非「上の池」を紹介できるように勉強しておきたい。
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2009/10/23

オーディオマニア8

 最近のレコード店には、社会環境を反映してか「大人のCD」というコーナーがある。これは、20歳以下は聴いてはいけません、ではなくて、ここは中高年向けの売り場だと主張しているのである。かつて歌唱力に定評のあった歌い手が、当時流行した他の歌手の曲を、アレンジをしてバラード調というか、自己流に歌い上げたCDが並べられている。1970年頃のいわゆる和製ポップスを心得ている人向けに、円熟した歌い手のお洒落な雰囲気のCDを並べた一角といえよう。 もっとも、「さして音楽そのものには興味は無い、しかし、昔流行した曲と歌手」は良く承知していて、聴きなれた曲でも、一寸新しい感覚で聴いてみたい人が「私の知っている歌手はいるかな」と探す場所でもある。どちらかと言えば、こちらではないかと思われる。

 大人ならば、その同じ時代を生きた歌い手に共感する懐かしさと、上品なパッケージの雰囲気に、つい見入ってしまうに違いない。しかし、実はお店の方も、世代が変わっていて、これらのCDは名前の順に並べた場所に置くには目立たないし、しかも、かつては歌唱力に定評のあった人達なので、ちょっと別コーナーにまとめてみようかなと、気を利かせているということになる。このコーナーでは、歌い手はともかく、知っている曲があるかどうかも重要な要素になる。かつて紹介した徳永英明、布施 明もこのような場所に置いてあった。このコーナーに出くわすと、「これって私のコーナー」って思ってくれる人もまれにいるわけで、何かを勘違いして買って帰る人も少なくない。

 一方で、ある程度内容を理解出来ている人たちは、出てくる音質にも「枯れた大人の録音」を期待している。当然「歌手の歌いっぷり」も納得いく物でなければならない。ちょっとBGM風に「豊かな低音とアコースティックな響きを、秋の夜長に朗々と鳴らしても、恥ずかしくない」音質であってほしい。これが大人のCDに対する勝手な個人的イメージである。そんな、たわいも無い音楽に浸りながら、秋の夜長を上質な珈琲タイムで過ごしたり、職場から持ち帰った仕事を進めるのも良い。
 とかくファンとしては、勝手に良い方向でイメージを膨らませるわけだが、それに対して期待はずれもあるわけで、経験的に見ると、実際は3枚に1枚ぐらいしか気に入った物は無い。それは、バックの演奏が非常に元気が良いのに、年齢のためかボーカルが歌えてないとか、優しい印象を出すために、アレンジが単純すぎるとか、アコースティックな音は姿を消し、軽薄なエレキサウンドで構成されているとか、薄っぺらい作りであったりする。これが、少々購入時に勇気のいる理由でもある。

 それにしても、とにもかくにも聴いてみないことには、何ともいえないわけで、そこで、今回は女性ボーカルが男性の曲をカバーしたアルバムにした2枚を購入してきた。言い方はよくないが、「騙されても騙されても、騙され続ける喜びと言うか、世の中の本質をこんな僅かなお金で体験できるなんて、他に無い」と妙に納得しながらも、もしかすると、と一種の期待もするわけである。それもこれも、ファンの気持ちや要求をもっと具体的なサウンドにして表現すべきではないかと思うからである。もっとも、期待=購入意欲と言うこともあるのだが。

 さて、どちらも10~12曲入りで3,000円である。詳細はPDFをご覧戴きたいが、確かにリリースする側も「絶対に数は売れない」と思っているに違いない。私のような物好きが、間違えて買って帰るぐらいに考えているのであろう。まあ、それでもよいし、でも、この2人は、かつて歌いっぷりもしっかりしていたので、そんなにはずれではないだろう。 曲を思い出してもらうために、曲名ごとに作詞・作曲者名を付け加えた。
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2009/10/20

GABAN なドレッシング

 GABAN のロゴを見て、ラーメン屋さんの「いくらでもかけてちょうだい」と言わんばかりの「青と銀の胡椒缶」を思い出す人は少なくない。かつて、少々振っても出ない四角柱の白い胡椒が置いてあった頃は、ラーメンは和風で旨味の時代であった。それが、GABAN の登場でラーメンの主流が一変する。スープに野菜、お肉や魚をふんだんに投入し、味わい深い濃厚なコクを特徴とする時代に変貌したのである。さらに女性陣の参入による辛味へのあくなき追求なども加わって、時代はまさに強力なスパイスを欲していたのである。そんな現代の濃厚ラーメンを牽引するGABANは、既に幅広い年齢層が親しみを持つ「スパイス専門の業務用のブランド」である。

 今日紹介する商品は、GABAN が味の素のグループ会社であることを正々堂々と知らしめる商品と言える。味の素の製品にもかかわらず、GABANと銘打ったこのドレッシングは、瓶の底数センチまで沈殿するほど、ふんだんに「荒引きのスパイス」を投入して作られている。この様子は、世の奥様方をきっと惹きつけるに違いない。食卓では、お父さんも「おっつGABANか」といって手に取って繁々と眺める筈だ。そんな、幅広い層に知られているブランドを前面に押し出し、スパイシーなドレッシングを印象付ける「味の素の戦略」は、必然性のあるコラボレーションには違いないが、「形振り構わず」という印象も隠せない現実のようだ。味の素が担当する、オリーブオイルやスピリット・ビネガーは、もはやお皿の上の盛られた野菜や食材とGABANのスパイスを結び付ける、「庵かけの庵」のような役割りでしかない。しかし、この新たな試みと言うべき、スパイシーな分野を拡張した作品は「案外新鮮」で、目的別にスパイスを組み変えて4種のラインナップに仕上げられている。これらを揃えることが、味覚のヘッドクオーターともいえる親会社としての役割なのだろう。

 さて、実際に、これらの4種のドレッシングを使い分けてみることで、幅広い用途の味に対応できることが分かる。それぞれの味は極めて馴染みやすく、どこかで食べたことあると記憶を呼び起こすような気分になる。家庭用としては特別スパイシーなので、少し分かりにくいかもしれないが、「味自慢のファミレス」で使われている味に近い。どのドレッシングを使っても味のまとまりがよく美味しい。そういう意味では、特別な新しさは感じられないが、最初から定番的な安心感が存在している。もっとも、キレと言うか先鋭度が際立っており、4種揃えておくと適度に使い分けながら楽しめる筈である。

 ガーリックペッパーとハーブレモンの箱には、オリジナルレシピなるものが織り込んであり、近所のイトーヨーカ堂、ヨークベルマン、ヨークマートなどのスーパーで揃えられる食材で一寸手軽な新しい楽しみ方が提案されている。 これによって、もはやデニーズ風のサラダ、マリネ、丼物が簡単に出来てしまうのだ。

 もちろん、自由にアレンジして個性的な利用も可能だ。たとえば、鰻屋のあの香りだけで、御飯とお新香を戴くような空虚な満足感も味わうことができる。レタスだけのサラダに「黒ゴマと黒胡椒」を使うと、どこかに豚のお肉があるような錯覚になったり、ローストビーフに「ハーブレモン」を使うことで、ビーフのマリネに変貌したり、焼いた少し厚めのベーコンに、「ガーリックペッパー」を使うと、ステーキ風サラダになったりと変幻自在である。邪道といってしまえばそれまでだが、人の味覚とはそんなものなのかもしれない。実体が無くても、その味をしっかりと認識することで、満足感と低カロリーの両立が可能になるのである。そんな使い方は、よほど体重を気にされる方か、ダイエット中の人以外にいないと思うが、逆にみれば、実はドレッシングとしてまとまりよく出来ている証拠である。

 味自慢のファミレスよりスパイシーなドレッシングをたっぷりと楽しめ、小安い価格で、しかも手軽に使い分けができることは、今の時代に優しい商品戦略なのだが、ただ、ここで何気なくオリジナルレシピなるものを眺め、先ほどのスーパー名が何故明記されているか疑問を持つことで、背景にある販売戦略の「恐るべし」要因が見え隠れする。かなり遠回りな戦略とはいえ、明確な意図を感じるのである。うーむ。ただ、そんなことは我々ユーザの「知ったこっちゃない」わけで、これら4種を揃えることで、毎日の野菜、魚、お肉がかなり幅広いバリエーションとして楽しめれば良いはずである。野菜は何も生だけではなく、火で炙ってからドレッシングを使ってもよいし、蒸しても美味しい。 それにも、ぴったり合う筈。
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2009/10/16

ウォーキング3

 準備編と実践編を2回に分けて説明してきた。今日は、その補足である。ウォーキングを始めようとするには、やはり、きっかけがある。また、それを継続させるためにも、それなりの考え方や背景が重要な役割を果たすことがある。まず、そこからお話したいと思う。少し前の「銀座梅林のカツ丼の具」でもお話したとおり、私は、腹膜炎で手術をしたことがある。

 手術当日は、耳元で「終わりましたよ、全部綺麗にしましたから」と、まるで私のお腹が散らかっていたので、片付けておきました、そんな風にも似た明るく大きな声が聞こえ、私は目を覚ました。「終わったんすか」とつぶやきながら、頭は朦朧としていた。部屋に戻されると、スニーカーを履いた軽快で機敏な先生がやってきた。「今日は、ゆっくりお休みください、明日から歩いてもらいますから」と声をかけられたのである。そんなわけ無いよな、だって、俺は、今手術が終わったばかりの重症患者なんだけんど、と思いながら、「ええっ?」って目をしかめたら、駄目押しのように「あ、る、く、ん、で、す」と子供に含んで聞かせるように耳元でささやき、その言葉だけを残して去っていった。翌朝、身の回りを良く見ると、体には、点滴の管、尿道からの管、そして、腹部からも3本の管が出ていた。腹部の管は、牛乳瓶2本分ぐらいの透明のタンクに繋がれ、中には管から流れ込む血液が既に半分ぐらい貯まっていた。これでどうやって歩くんだよ、と思いながら待っていると、看護士さんが手際よく歩けるようにしてくれたのである。

 ごろごろと点滴のスタンドを押しながら、重たい体に大半が神経を失っている状況で7階のフロアーを行ったり来たりする。少し歩くだけで貧血になり凄く疲れるが、休み休みでも歩くようにと指導されているので、なかなかベッドには戻れない。腹膜炎なので当然、お昼も、夕食もあろう筈が無い。もっとも、食べる気力も無いわけだが、それにしても、もう2本目、こんなにたくさんの血液がお腹から出ていくと、後々どうなるのか心配にもなる。
 人は痛めつけられても結構我慢できるものだと、よくわかる。そして、そんな日が3日ぐらい続くと、慣れてくる。何か新たな物を知りたいと思う願望も回復し、院内の別棟まで探検に出かけたりするようになる。

 数日後、教授の回診があった。教授は、テノール歌手のような体型で、ピチピチの白衣を揺らしながら、回りの先生方にも促すように、私に向かって、「歩いてますか?歩くのは体に良いんですよ」、「歩くことで腸が動き、元気になるんですよ、免疫力が上がりますからね」と話かけたのである。もちろん回りの先生方も首を縦にうなずきながら、私を覗き込んでいる。「こんな状況で、体に良いってよく言えるよな、ほんとかな」と思いながら、やや強張った顔で顎を引くしかできなかった。最後に付け加えるように教授は笑みを浮かべ、「ライオンも猫も犬もお腹をゆすって歩いてるでしょ」、と付け加えたのである。その言葉に妙に共感を覚え、教授が去った後も、ずっと心に残ってしまった。そして、その言葉通り、既に手術後5日目には、お粥を平らげ、喫煙所で血液のタンクを抱えながら、入院仲間と元気に高笑いをしていたのである。

 入院以前は、ウォーキングをするのに、年寄りの暇つぶしか、体重を減らすとしても、大した効果はないと思っていた。消費カロリーだけなら、食べなきゃいいわけだし、他にも方法はある。血行を良くするならお風呂で十分である。体脂肪を落として筋肉質になるなら別のスポーツもある。色々言い訳を考えてウォーキングをなめていた。しかし、将来的な事を考えると、1人で歩くだけで、健康バロメータともいうべき、免疫力が高まるなら話は別だと少しづつ思えてきたのである。これがきっかけになるわけだが、ストレスは大きく免疫力を低下させると言われている。生きている限りストレスから逃れることは出来ない。ならば、歩くしかないという結論に達する。思い当たるフシのある方は頭の片隅に残して欲しい。

 さて、それでは、本題のウォーキング継続中の注意点をまとめてみる。

 ①健康を管理する。ウォーキングを継続させていると、風邪をひいたりすると、すぐに咳や鼻水などの症状が出て、発熱し、また、すぐに治る。このレスポンスの速さが特徴である。もっとも、平素から痛んでいる部位があると、ウイルスはそこに身を寄せるらしく割と症状は長引く。早めに体調を知るには、正常時の体温(/時刻)と現在を比較すればよい。微熱を感知できれば、対処も早い。ちなみに、日本人の体温は舌下血管5分計測で36.8度で、これは脇の下の計測値に比べて高い値(+0.5程度)を示すと言われているが微熱を計測するにはこちらが良い。 通常体温が高い人は、元々免疫力が高いと言われており、それが、加齢と共に下がり気味になった人は、免疫力も低下するらしい。また、病気の治りが遅かったり未病状態が続くのも老化の特徴言われている。
 胃腸の弱い方にとってウォーキングは快便の効能が顕著だと思う。快便が続くとお腹周りもすっきりする。ただ、経験的に歩きすぎても良い結果にはならないことがある。歩く距離によってその効果が大きく異なるので、いくつかの歩行コースで距離を調べながら歩き、快便のための最低歩行距離を割り出しておきたい。快便は食欲の源である。

 ②自分を過信しない。とかく体の調子がよくなると自信がつく。これが危ない。実は、誰でも既に40歳ぐらいから微小な脳梗塞が進行しており、これによって、運動神経が大幅に低下している。さらに、使わなくなった筋肉は既に衰えている。大きな動作は問題ないが、俊敏な対応力や、瞬発力が低下してくる。いくらまっすぐ歩くのが上手になっても、運動神経が回復しているわけではない。よほど自信のあること意外は注意して実行した方が良い。

 ③目と肌の保護。ここ4~5年紫外線の強さが報告されている。目にはUVカットタイプの眼鏡を装着し、髪の毛のある人は帽子をかぶる。無い人も別の意味で帽子をかぶる。むやみに肌を紫外線で痛めつけないようにしたほうがよい。

 ④夕方から夜間は歩行厳禁。人の目は、正常でも急に暗くなると実体が見え辛くなる。これは、車の事故も夕方が多いことから容易に理解できる。また、50歳ぐらいから暗い部分の解像力、階調再現が著しく低下する。つまり、一定の暗さ以下では物体を認識しずらくなる。これは、徐々に水晶体が白濁してくるからである。毎日通っている夜道は、頭の中で障害物は既に認識されているが、不慣れな道では、障害物などに近づかないと認識できない危険性があるので、夜の歩行は厳禁である。

 ⑤歩行中の水分補給。歩きはじめて初めの頃は何かと疲れやすいので「酸素水を頻繁に」飲むと良い。慣れると「梅肉エキスの薄め液」なども良い。 いずれも既に紹介済み。

 ⑥歩く事が果たして本当に健康によいか、常に検証する気持ちを持つ。歩き始めは、何かと顕著な反応があるので、気分もよくなる。ストレス解消になったとか、お腹がよく空くようになったとか、よく眠れるとか言われる。しかし、それは、運動による単なる体の反応である。健康になっているかどうかは定かではない。また、継続している人は、自分は健康だと、そう信じ込んでいて、しばらく歩けない状況が続くと、どうも体調が悪いとか、不満を漏らす人が多い。これも、体を休めて何が悪いのか分からない。つまり、むやみに歩くことが体によいとは限らない。その程度の認識でよい。あくまでも、体調管理の1つの手段でしかないからだ。軽いストレッチで済ませたほうがよいとか、睡眠をとったほうがよいとか、それを判断するのが人間である。

 ⑦時々負荷を増やす。同じ平場をひたすら前に進むだけではなく、広い場所では、時々後ろ向きに歩いてみたり、 蟹のように横にも移動して、衰弱した神経や筋肉に刺激を与える。そして、坂道を歩いて心肺に負荷を掛けるように心がける。階段でも効果が高い。

 ⑧コースの時間を計測して楽しみを探す。どのコースを使って、どのくらいの時間で達成できたかを知り、平均歩行速度を求めたり、目標値を持つことで、継続意欲は少し上がる。 ストップウォッチを用意しておくと、さらに本気になる。

 ⑨携帯する物。小銭いれ(電話番号、名前を書いた物を入れておく) 、タオルのみ。身軽にして煩わしい事を忘れる。ガムを携帯し、トロリンチョな顔にならないように、ガムを噛んで顔の筋肉も鍛える。

  ⑩歩行中は血流が早くなるので、必要なビタミン類や栄養素は歩く前に補給しておくと効き目が良い。

 以上、補足として注意点をまとめてみた。どれも当たり前のことばかりだけど、気持ちよく歩くためには、危険を回避しながら目標を達成する必要があるので、たとえ、歩き慣れた道でも気を抜かないで歩くようにして欲しい。
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2009/10/13

ウォーキング2

 いつも同じ路を歩いていても、少しづつ風景は変わって行く。四季の変化、建設中の建物、道路を走る車量の変化、ここは多摩川の周囲にある遊歩道である。ちょっと大袈裟になるが、手持ちのウォーキング・コースは3種あり、季節や天気などによって度々予告なく変更されている。予告なくとは、周囲に伝える必要は無いという意味である。途中で、脳梗塞を起こそうが、心筋梗塞で倒れようが、背後から自転車にぶつけられようが、当事者の自分以外は誰も知ったことではない。そのまま行き倒れも運命と心得ている。死ぬときは誰でも一人だ。

 最近のコースは、昨年5月に紹介したコースより短めになった。体力が低下した訳ではなく、交通事情によるところが大きい。ウォーキングは、大道を行くのが良い。信号や横断歩道が整備されていて、人気があるところが、やはり安全なのである。それにしても、休日をウォーキングで楽しむ人がここ2~3年急激に増えてしまった。動物的習性なのだろうか、何故か同じ方向に向かって歩くと、その先には、きっといいことがあると漠然と期待してしまう。そして共通の目標意識は、妙な連帯感を生むのである。といっても、人が多いところではトラブルも多い。最近は、自転車に乗ってこの道を高速走行で楽しむ人が増えた。人それぞれ考えがあってのことなので、批判するつもりは無いが、運転は正しく常識の範囲で行った方が良い。道路の構造上、歩行者も自転車運転者側もいずれも危険である。多摩川のこの遊歩道では、毎年何人もの死者が出ている。まさに、ここは機敏に反応できない人たちの「三途の川」と化しているのだ。だから、もう単なる遊歩道などと悠長なことは言ってられない。まさにインディージョーンズさながらの、命がけのアドベンチャーなのである。 みんな気をつけて歩こう。

 そんなことに気を配りながらも、歩いている時は、どうゆう訳か「大脳に爽快感」が満ち溢れる。そして、壮大な風景を観ながら歩くことで、益々元気が湧いてくる。
 歩く前は、歩く行為そのものに退屈感を抱えている人も少なくないと思う。私自身も、歩くことで手持ちの時間が減ってしまい、今日やらなければならないことが、先送りにされるとか、何の役に立つのか、本当に体に良いのか、今日じゃなきゃいけないのか、もう一人の自分が私に問いかけることがある。これは、7年間歩き続けている今でも変わらない。忙しいときは特にそう感じる。そこで、心理的な葛藤の末の苦し紛れにステレオ・イヤホンを付けて歩く人もいる。しかし、これももはや危険な行為である。お勧めは、せいぜい、今自分が抱えている「最も大きな課題を考える」ために歩くと思ったほうが良い。

 さて、意を決して歩き始めると、少しづつそれらの不安が薄れ、前回の続きのように軽快な足の運びに変わる。体が勝手に歩く事への喜びを覚えているのである。しばらく進んで調子が出てくると、目の前にあった「課題、悩み、あるいはネガティブな発想」が汗となり、秋空に少しづつ蒸発していくようだ。無心になり、次々とギヤチェンジをしながらスピードを上げていくと、左右の足や腕が、心肺のリズムに合わせて同期するようになる。精神は、やや興奮気味で強気になり、軽快に何処までも、何処までも、無限に歩けるような勇気にも似たファイトが湧いてくる。これが、快楽物質の放出し始めるタイミングなのだろうか。この快楽物質が大量に放出され、徐々に体の隅々にまで行き渡り、毛細血管にまで浸透する頃には、魂に日常潜んでいる「欲求不満や多くの煩悩」までもが影を潜めていく。これをコース上で例えれば、丁度第3コーナーを回った頃(半ば過ぎ)である。ついつい、前を歩いている群れが煩わしくなる。いつもの休憩所まであと少しだが、疲れは感じないので続行したい気分である。しかし、それをあえて休憩するのが紳士的で健全な行為といえよう。足を止めて水分を補給し、時計を眺めて今後の運行計画を再検討する。十分予定通り進んでいるようだ、と、いつもと同じ風景を眺めても、何か新鮮さを感じる。5~6分休息したら、よし行くぞと、再び歩き始める。休息の後の再起動はつらい。これは、肉体的にどん底から這い上がるような苦痛を伴うが、ちょっと気合を入れて徐々に軽快なスピードにまで戻そうとする。もちろん、快楽物質は、すでに体内に蓄積された乳酸が食べつくしたような状態で、足の筋肉に蓄えてあったエネルギーまでもが底をついている。太陽は少しづつ西に傾きはじめ、群青色の闇が背後から追いかけてくると、少し焦りを感じ始める。そして第4コーナーに差し掛かる頃、あと残されている区間も僅かな事を知り、再びエンジン全開で気合を入れなおし、軽快に動き続けるのである。ここまでくると、すでに足の筋肉に少し疲れを感じているが達成感が上回り、終盤はあっという間に訪れる。この最後の伸びしろが自分の健康状態との相関が強い。状態がよければ、まだ、少し続けたいような気持ちも残っているが、終了しよう。歩き終わったら、軽いストレッチをしながら、とぼとぼと、その先にある「壮大な日暮れの風景」に近づく。ここが、ウォーキングの最後の区切りといえるものになる。そして、風景を眺めながら、俺って、「何か今すぐ解決しなければならない課題を抱えていたかな」と、すっかり忘れていた事を思い出そうとすのである。すると、「そうか、そうだった。 だったら、まじめに正面から突破するようにしよう」と、ひどく前向きな自分になっていることに気がつくに違いない。

 この文字を追いかけながら、危険を顧みずここまで読み続けられたら、ついでに多摩川の日暮れを一緒に眺めて欲しい。最初の、歩き始めは左の京王線の鉄橋の向こう岸あたりから始まり、ずっと右へ進み、小田急線の手前の多摩水道橋まで行く。そこを渡って、ここまで戻ってきた。

 次回は、本気で歩いてみようと思っている方々の為に、予定には無かったが、このウォーキングを始めた動機と、継続するための注意点を補足しておきたい。
注)画像の右下が赤く見えるのは、フードが短いために起こるレンズのフレア。
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2009/10/09

カロリーメイトの新製品

 我々の世代には、大塚製薬の古くからのファンが多い。そこで、ウォーキングの予定された連載を中断して、スパッと割り込みでカロリーメイトとSOYJOYの新製品紹介をしよう。 カロリーメイトのような、携帯型のバランス栄養食は、発売当初、庶民から縁遠いという意味で宇宙食のように言われてきた。しかし、最近では、効率的な食材として、もっぱら若者に定着し、さらに当時発売を見守った我々中高年からも高い支持を得ている。当時とは、今から25年くらい昔のことである。

 その頃はスペースシャトル初期の宇宙開発時代で、人類の未来を予感した同社の社長による崇高な理念によって企画された製品である。そして、今スペースシャトルはその使命を終え、次のステップである宇宙ステーション滞在試験時代を迎えようとしている。カロリーメイトも同様に、これだけ息の長い商品であるがゆえに、次のステップに進むことで、これからも益々重要度が高まっていくに違いない。勿論、売れない時期もあったはずなのに、粘り強く継続する姿勢に、おのずと周囲からの信頼も高まっていると言えよう。

 さて、商品ラインナップは、1.フルーツ味、2.チーズ味、3.チョコレート味、4.ポテト味、に加えてこの度5.メープル味が加わった。いずれも、11種類のビタミンと6種類のミネラル、そして、たんぱく質、脂質、糖質、食物繊維が含まれている。チョコレート味やフルーツ味に比べて成分的にチーズ味やポテト味の糖分が異なっているのかと思えば、全く同じ40~41g使われている。しかも、栄養成分比較をしても殆ど違いは無い。あるのは、味付けだけのようである。

 私も含めて、昔ながらのファンはフルーツ味が好きである。いつも、口の中の水分を全て持っていかれるのが大変辛いので、珈琲のお供のお菓子ぐらいの扱いでしかなかったのだが、今回、改めて新製品を含めた5種を比較してみると、自分自身がお菓子の概念を捨てきれずにいた事に気がつく。だから今まで、ポテト味には手が出せてなかった。しかし、改めて並べて比較してみると、ポテトも結構いけるではないか。これは、まさにじゃがいもの加工品を食べている印象で「どっぷり大人の味」である。そして、まさに、これこそ開発当初の「バランス栄養食」の本来のイメージに近いと思えたのである。それに引き換え、新製品のメープル味は、やはり、再びお菓子に近づいた商品になっている。これでは、お菓子の種類を増やしたに過ぎず、美味しいに間違いは無いけれど、少々企画に行き詰った結果なのかも知れないと、そんな感じを受けた。

 考えるに、カロリーメイトの期待される将来像は、やはり、お菓子の種類を増やすことではないように思う。あくまでも、社会とのかかわりを強くするところが重要な使命なのではないだろうか。例えば、勝手に考えるに、あくまで勝手にとお断りしての話だが、ダイエット効果を既に認知されている現在、次のステップは、製薬会社の特権を生かしながら、露骨な表現は出来ないにしても、効能があるといわれている天然素材を添加した、例えば①ボケ抑制、②老化先延ばし、③血管強化 などの高齢化社会に係わり合いのある、若干際どい効果を伴う製品作りである。勿論、製薬会社であるが故の難しさもあるだろうが、やはり、ぎりぎりの線で話題を先取りしながら、自社のアドバンテージを生かしてこそ、カロリーメイトの社会的価値を決定付けると考える訳である。

 安易に、別路線でベーコンエッグ味とか、ハムサラダ味などを揃えるのも悪くは無いが、中高年の我々の期待に応えるべく、今後、社会全般として不足しそうな栄養素を投入してこそ高付加価値のバランス栄養食になるのではないだろうか。 あくまでも勝手な期待である。

 おっと、忘れないうちに、もう1つの話題がSOYJOYのブルーベリー味の登場である。こちらは、Fe、葉酸、カルシウムを強化したタイプではなく、7種類用意されたスタンダードなラインに加えられている。外装デザインは、レーズン・アーモンドと酷似しており、店頭では間違いそうである。よく確認してお求め戴きたい。中身はブルーベリーにオレンジピールが加えられ、食感は従来品に比べ、さらにクッキーやケーキにより近づいた感じで、まさに小腹の空いた4時のおやつである。 これでまた1つ選択する悩みが増えたという人も少なくないだろうが、万年液晶モニター観測派には、こちらの方が好都合なお菓子である。そうそう、カロリーメイトにも、効能は気休めかもしれないが、こうゆう感じの商品が欲しいのである。
 ではこちら
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2009/10/06

ウォーキング1

 「今から健康になるんだ」と、決意する中高年が増えている。若いときから、体調を崩すとどうも胃腸や腰に来るとか、苦悩を抱えたまま歳を重ねた人達がいる。今までは、それを全て仕事のせいだと考えていた。しかし、ある程度自由な時間が増えた現在でも、その症状が改善されないことに気が付き、「何か体に良い事をしたい」と思うようになるようだ。そんな人達の中にも、少し歩いてみようかなと思っている人は少なくない。そんな漠然と考えている人の為に、私の経験と実感をまとめてウォーキングの取組み方としてまとめてみた。参考にしてもらえば幸いである。準備編と実践編とに分けて2回で紹介したい(温泉めぐりではないので効能編はない)。

 まず、ウォーキングを始める前の1週間~10日ぐらいは準備を兼ねて、体の事を細部まで把握し、現在の状態を見極めておいたほうが良い。既に内部で老朽化が進んでいるかもしれないので、やはり、慎重に調査してほしい。自分の体のメカニックになった気分で、ボディーのメンテナンスやチューニングをするように考える。勿論、現在の体重、体温、体脂肪率、(必要があれば、血圧、脈拍など)無駄かもしれないが、基本的なスペックは全て押さえておこう。

 最も注意すべきところは、体のエンジンである心臓の働きである。そこで、心臓の負荷ともいえる、発汗機能を把握しておきたい。発汗が上手くいかないと、歩き始めの頃に、頭や心臓の小血管に大きな負荷がかかってしまい、頭痛や疲労を感じる事がある。最初は、誰でも負荷の事よりも、自分の体力が落ちていると勘違いし、つい無理をしてしまう事がある。これは、非常に危険である。そこで、歩き始める前に数日間を使い発汗調整をしておこう。まず、低い温度のお風呂に入り、長時間かけて発汗できるようにする。慣れたら、徐々に体温を(平均体温=36.5度)+1度まで上げ、心拍数の上昇(85程度)に伴い、汗がすぐに溢れてくるように改善できればベスト。発汗は、心臓の負荷を軽減し、長時間の運動に重要な働きをする。

 次の準備として、骨盤の調整である。楕円を描くように腰を動かし、突っ張る筋や筋肉がないことを確認しておく。もし、骨盤の状態が悪いと、膝や特定の筋肉に負担がかかり痛みを伴う場合がある。いわゆる、サスペンションの調整のようなもので、このあたりの調整が、安定歩行に大きく影響する。また、骨盤をベルトで締めて足先は揃え、ベランダの手すりを両手で握り、ベリーダンスの基本動作のように腰を回転させる。暇があれば実行し、癖をつける。傍から見るとちょっと滑稽だけど、ドリフの加藤ちゃんの腰の動きも加えて練習すると良い。特に腰痛持ちの人は、これによって内部筋肉が鍛えられ、腰が大幅に楽になるはずである。また、平素から足腰の筋や筋肉を伸ばす癖をつけるのはよいことだ。

 次に、体重である。平素の状態から3%程度軽量化をしておくと良い。平素67kgあるとすると、2kgぐらい減らして足腰への負担を減らそう。まず、食事から考え直し、炭水化物、油分、糖分を減らし、たんぱく質と食物繊維を中心に摂取するよう心がける。なにせ、体は自分にとってマシンなのだから食べる物ぐらい良く考えて、慎重に準備を進めてほしい。さらに、怠け者としての自覚のある人は、ダイエット食品を併用して徹底すると良い。SOYJOYやカロリーメイトを用いるのもよいが、短期間でチューンナップするので、今日は、その脇役のダイエット食品を紹介することにする(後述)。

 そして、いよいよ調整コースを少し歩いてみる。歩く前は、スポーツドリンク以外は口にしないのが良い。靴は、最初クッション性の高いもので楽に歩くと良い。準備運動がてら、歩行速度を3段階程度に分けて歩いてみる。異常を感じた場合は、すぐにピットインする必要がある。たとえば、歩きはじめてすぐに、右足のくるぶしが・・・ってこともあるし、何故か首や肩が凝ることもある。これは、腰の調整が不十分だと思う。かつてヘルニアを痛めた人は、大小を問わず必ず肩こりを起こすか、膝を痛める。まず、腰の辺りの背骨の上下の並びを確認して欲しい。背骨を触り、どこか、一箇所でも飛び出した部分があると、要注意であるが、このような場合、少々腰を回したりしてもそう簡単には治る筈がない。また、首に痛みのある人は、抜本的に何か背骨が左右方向に曲がっている可能性がある。いずれも、暇を見つけては、骨盤の調整を一生懸命行う必要がある。そして、それでも障害を持ちながら歩き慣れるよう努力していく必要もある。また、それで腰痛を克服できる可能性もあれば、さらに、将来挫骨神経痛に発展する可能性もあるので重々歩く姿勢や体の使い方を検討していただきたい。

 歩き方は、あくまで胃袋のあたりを中心軸にして、腰から先に前に出し、腹部をねじる感じで交互に前に進む。一般的に、腰やお腹はそのままで、足だけで歩いている人が多いが、そのような場合は、膝から下の筋肉だけが痛み、少しも体全体に効果が波及することはない。当然、ヒキガエルのようなお腹はそのまま温存される。正しく歩くには、体の稼動部分を広い範囲で動かし、一直線上を移動するのが良いとされる。 また、しばらく歩き続けていると、足の裏の特定の部分が硬くなることがあるが、これも左右の脚の筋肉のバランスが悪い場合があるので、歩行時の足の運び方を家族や友人に観てもらい、意見を聴いて修正するしかない。

 自分の体の優れたメカニックになるためには、骨や筋肉の構造を把握しておく必要がある。現在の骨や筋肉は生活習慣で作られた形で、必ずしも長距離歩行に適しているわけではない。それを「向上心と知識」で、適正な方向に誘導する必要がある。また、それは自分に適した歩き方や、自分の弱点を克服する歩き方を編み出すことにも繋がる。

 たとえば、ある程度心拍数を上げたまま歩く「体脂肪燃焼型」なのか、体全身に神経を行き届かせ、体全体を使うことに重点を置いた「筋肉強化型」なのか、腰痛を克服するために、少し腰を後ろに引っ張りながら歩く「腰痛改善型」でも良い。あくまでも、自分の体のメカニックは自分自身である事を認識して、歩行状態のフィードバックを早めに行いながら歩く姿勢や足の運びを工夫するようにして欲しい。

 さて、そのダイエット食品の話に移ろう。今日紹介するものは、若い女性に広く使われて来た商品である。最近は、糖尿病予備軍の中高年の間でも使われるようになった。素材も天然由来であることや、長い間使われてきた経緯から、製品自体に問題はなさそうである。用法・用量は説明書に従って貰いたいが、実際に使用してみた感じで申し上げると、まず、食事の後に大量の水で飲むと、満腹感が増し、追加で何か食べたいと思わなくなる。もちろん、その分食事を減らしても良い。次に、便通が良くなる。何故か食べてる以上の量が排出される感じである。したがって、お腹の張りは無く、むしろ、へこむ感じである。これは、余計な物が吸収されずに、そのまま排出されるためだと思われる。無理なく最初は1週間で1kg程度は下がるので、それ以上は、多少他の低カロリー食品を併用するなどして欲しい。ただ、このようなダイエット食品を恒常的に摂取すると、活力やファイトが低下する事があり、日常生活はもとより、長時間歩行には必ずしも好ましいことにならない。慎重に使うように心がけたい。

ではこちら。次回は、実際のコースに出て注意することを補足したい。
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2009/10/02

カフェド クリエのマカロン


  焼き菓子の作り方も、本来は母さんから教わる物であった。実際に、生地から自分で作り、寝かせたり、温度や微妙な生地の変化、あるいは時間の管理は豊かな経験が必要である。それらを、書物や画像から読みとるのは難しいし、1人で実践するのは難儀を極める。ただ、形の小さい物は簡単そうに見えてしまうため、つい手を出してしまう人も少なくない。このマカロンの作り方は、卵白にグラニュー糖を加えて泡立て、アーモンドの粉などを加え、さらに、着色する場合は、ココア、食紅、抹茶なども添加する。それを丸くクッキングシートの上にいくつかドーム状に搾り落として乾燥させ、オーブンで焼き上げて、その2枚の間にクリームを挟めば仕上がる。こんな簡単に作れそうな焼き菓子だが、案外綺麗で美しく作られている物は、いまだかつて拝見した事が無い。丸い厚みのあるドーム状までは良いが、大概、若干上下がチグハグで、色も薄く見るからに硬そうで、既に固まったクリームが挟んである。そんな印象を持っていた。いくらフランス風の由緒正しいお菓子でも、とりわけ美味しい物でもなさそうだ。やはり、お菓子は「外見が美しく、食べてみたい衝動にかられそう」な形状が重要な要素である。

 今日紹介するマカロンは、とても「形といい、色といい、美しい」と思う。1度でも自力で作った経験のある人なら、恐らくその色合いに感動されるだろう。感動の後に、何か新たな技術革新を使って作られているのではないかと疑われるかもしれない。私も最初、きっと、高精度なアルミダイカストの型に流し込んで作られているのではないかと思ったぐらいだ。手作りだとしたら、もはや神業である。そのくらい、製品の形状均一性、色再現共に、芸術の領域に達していると思える。勿論、これだけの美的感覚で作られているので、挟んだクリームにも工夫が凝らされて、お味の方もなかなか美味しいと思う。1個150円でお高いように思われるかもしれないが、むしろ、よく出来ていることに感銘を受けて味わい深い。時間つぶしにカフェドクリエを訪れたら試して欲しい。OHs と言った感じである。

 このマカロンの製造工程で、もっとも難しいとされているプロセスは、「マカロナージュ」という作業で、これは、ゴムへらで泡立てたメレンゲをボールにこすって、潰すことらしい。この泡立てながらもそれを潰すという相反する作業が、生地に後々柔らかさと艶を与える結果になるという。このあたりは、何度か試してみないと分からないことだ。しかも、この作業の後の、焼き上がりのイメージがこの段階で湧くようになるには熟練が必要である。なぜなら、その次のプロセスで、生地を搾り袋に入れて、丸く搾り出す作業、さらに、生地を乾燥させるプロセスもあり、そのまま焼き上げるのとは少し案配が異なり、このあたりに熟練を要するため、素人が安易に手を出しにくいところと言えそうだ。

 このような、感覚的に掴む部分は、案外教えてもらえないことが多い。これを菓子作りのノウハウとでも言うのだろうか、教える側は、「本人が何度か失敗するうちにコツが分かってくる」とか、もし、「コツが分からないようでは、お菓子作りを自ら諦めるに違いない」とでも思っているのだろう。このようなことは、趣味でも、仕事でも、何かにつけて介在する。何か、人から教わるときは、漠然とメモを取るのではなく、最初に「先生、ポイントとなる箇所を3つ教えてください」と質問するのが良い。そして、「早めに何故そうなのかを分析」することだ。そうでもしないと、多くの卵白が必要になったり、大量の不良在庫が増えてしまうことになる。おまけに、最後は菓子作りのセンスが無いとまでいわれる。そういう意味では、やっぱり母さんから教わるのが良い。

 PDFを見ていただくと、まず、色が綺麗で、全ての形が均一なことがお分かりになると思う。PDFにしていることで、実物より解像力は低下しているが、是非、他のマカロンの写真と比較してみてほしい。 写真にも興味のある人は、パナソニックのホームページの「ファッションムービー一眼カメラGF1」の紹介で「マイカラーモード」の写真見本も、参考にして欲しい。ここにもマカロンが使われている。 ではこちら
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