2009/04/28

続デジタルカメラ23

 映画やTVドラマでは、一番重要な事柄や対象を可能な限り後回しにしたり、ひた隠しにすことによって期待を高めるというテクニックがよく使われる。そして、ストーリーがたるみがちな時に、その実体に近づきながら、鑑賞意欲を継続させシーンを盛り上げる。さらに、後編へとか、つづくとか、焦らしながら引っ張ったりもする。今までのストーリーは何だったんだ!時間を返せって叫びたくなることもある。大切な事柄を先延ばしにしてしまう「人が決断にいたる優柔不断さというか、苦しい試行錯誤プロセス」を巧みに応用し、よりリアルに現実感を投影しているのかもしれない。ただ、実体や現実をある程度隠すことによって、想像力が高まるだけのことである。今まで、ここで「松本清張と粗引き蕎麦」とか、「深大寺温泉」とか、いくつか深大寺にまつわる話題をネタにしてきた。深大寺の実体をご存じない方は、きっと色々想像されたに違いない。その土地の名称だとか、かつてはそんなお寺があった場所なのだろうと思われたかもしれない。あるいは、お寺があったとしても、こじんまりとした瀟洒なものをイメージされているかもしれない。そこで、今日は、じっくりと「深大寺」をご覧頂きたい。

 深大寺は、天平5年(733年)に満功上人(まんくうしょうにん)が創建した寺で、天台宗別格本山である。縁結び、厄除け、商売繁盛のご利益があるとされ、寺名は、湧き水の豊富な武蔵野に祀られていた「深沙大王(じんじゃだいおう)」という「水の神様」に由来しているようだ。これによって、水を使った商売をする人たちから熱心に信仰されている。これが、歩留まりの良い蕎麦との関連性を生んでいるわけで、ふんだんに水を使う蕎麦屋にとって申し分の無い土地柄と言うことになる。また、それほど多くの湧き水があるならば、その成分によっては、温泉もありうる話だ。 加えて、満功上人のご両親には、壮大でロマンチックな恋愛物語が伝えられており、「いかなる熱意を持ってしても、難しいとされる縁結び」に不思議とご利益があると言われている。まあ、何事も熱意が無ければ誰も手を貸さないし、未来は無いということだ。

 さて、そのような様々な情報取材活動から、深大寺をどのように撮影して伝えるべきか思案する。撮影とは、由来、歴史、まつわる物語や現状を知り、「自分なりの解釈」を映像で表現すところに焦点を合わせる。幾度と無く通い、統計的な分類をしたり、時にはインスピレーションを得る必要もある。また、通いつめることによって、改めてその御利益に触れ、信仰心が芽生えるかもしれない。そして、いつしかその様な修行を重ねた時、実体の持つ美しさを改めて認識するのである。うぅーん、なるほど、ということで、朝に夕に深大寺に参拝し、その時間帯に参拝する人達を観察する。もちろん、観光バス、定期バスの来る時間帯、門前あたりの店じまいの時間帯、それらを知り尽くす必要がある。いつも自分の都合だけで訪れても発見は無いのだ。

 もっとも、いくつか定番的な撮影ポイントはあるように思えるが、「ぶらっと来て撮りました」では、満功上人に申し訳がない気もする。ならば、最初はオーソドックスに迫ってみようと思う。オーソドックスとは、「必然性があり正統的」であるという意味だ。それには、まず、その霊験新たかな情景、静寂、長い歴史の中でその地域の人々に親しまれてきたという事実を撮りこむ。本堂は再建されているため新しいが、歴史を雰囲気として織り込める場所は、ここしかないし、もちろん時間帯もこのタイミングがよい。

 今回はノートリミングでインポートした。解像力も470万画素と従来の約1.5倍とし、画像に柔らかさを表現したつもり。しかし、ノートリミングのため、2枚ともそれぞれ中心部から周辺に掛けて、レンズの異様な図形ひずみが気になったり、中心部と周辺との明るさの違い、周辺部の色収差、等が目立ち、一寸気になってしまうが、作画意図は伝わると思う。 あと、最近は補足説明をしていないが、モニターの明るさ調整を適正にして欲しい。通常ポジションが30ならこのコーナーは50くらいかな。ではこちら
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2009/04/24

オーディオマニア5

 最近のJ-POPには、電子楽器が多用されている。一本調子の重たい低音は、ちと嫌気がさすが、どうも、それでよいらしい。オーディオ装置を自己流で鳴らしている者にとって、CDに入っている低音再生は、装置の課題を自ら発見し、改善思考というか、試行錯誤をいつも余儀なくさせる。いまだに、チャンネルフィルタのレベルを調整する。困ったものだが、かつては、それが楽しみでもあった。そんな、今となっては、どうでもよい事が、ある時、妙に懐かしく感じる事がある。その頃は、何事にも妥協をせず、自分の持てる知識の全てを尽くし、熱心にそれにとリ組むという姿勢と、その時代の社会的価値観やたっぷりとした時間の流れ、そこにも懐かしさを感じるのである。いずれ、J-POPの低音なんて「こんなものでよい」と妥協するわけだが、低音を出しすぎで妥協するか、控えめに抑えるかは性格にもよるのかもしれない。

 昔、先輩に連れられて、いくつかの録音スタジオを取材した事がある。赤坂にあった東芝EMIで歌謡曲のマザーテープを聞かせてもらった時のことである。あんなに、低音が出ないと思っていたJBL-4320が朗々と重低音を鳴らしていた事に驚いた。それだけではないが、やっぱり、レコードには書き込むことの出来ない音が沢山ある事を、その時知ったわけである。また、FUJIから頼まれて、いやいやながら取材に行ったYMOのライブでも、何でこんなに「体が揺れるような、常軌を逸脱した重低音」が出るんだ、とつい感じ入ってしまい、考え込んだ記憶もある。また、無響室の中でスピーカ測定中に、B&Kは20Hzからスイープするのだが、コーン紙はぶるぶる最大振幅でゆれているのに、音にならないのはなんでか。そんな、素朴な疑問を真剣に理屈をつけて考えていたが、答えを実感しないまま、はるかな時間だけ過ぎてしまった。もちろん、私だけではない、「Hi-Fi」と言う「合言葉」を知っている、あなたも同じはずだ。

 今では、レコード屋も頻繁に覗かなくなったし、CDも特別録音の良いものを探すことも無い。店先に積んであるものから、分かりやすいのを買ってくる。このような習慣は、昔の過渡現象と言うのかもしれないが、それも僅かに心地よいところがある。そんなCDに何を期待して購入するのかと言われれば、やはり、最新の音作りである。どこかで、誰か優れたミキサーが良い音を作ってくれているのではないか、かつての東芝EMIの行方洋一さんの「京都の恋=渚ゆうこ」なんぞ、凄まじい重低音が記録されていたが、そこまで行かなくても、という、ごくごく 些細な期待感なのである。それが、ある種の宝くじ的な楽しみになっているのである。当たったらうれしいのは、宝くじの方かもしれないが、若さを取り戻せる可能性があるのはCDである。

 さて、最近の所感をちりばめてリードが少々長くなってしまったが、 今日のCDは昨年9月10日に発売された布施明のBALLARDE と、先日4月8日発売になった BALLARDEⅡである。 さすがに電子楽器のことはあり、十分にパルシブで力強い重低音が入っている。あなたの装置で、これを再現できるか。
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2009/04/21

低GI食品

 糖質の吸収度合いを示すGI(グリセリックインデックス)という概念が広く使われるようになった。食品を食べた後の糖質の吸収反応を0~100までに数値化したもので、高GIとは、糖の吸収が早く急激に血糖値が上がり、低GIとは、糖の吸収が遅く血糖値がブロードに変化することを示しているらしい。一般的には、糖の吸収が早いと、太りやすく、遅いと太りにくいと言う解釈でもよいが、糖尿病予備軍の我々としては、少ないインシュリンの処理能力に近づけるためには、低GI食品が好ましいと言う解釈になる。一方、スポーツ選手にとってみると、高GI食品は、瞬発力や爆発力、あるいは攻撃力が発揮されてよいが、またすぐに腹が減る。低GI食品では戦う気力は薄いが、だらだらと長期戦に向いている、延長戦においても腹が減って座り込むことなく戦える。というように考えると分かりやすい。

 では、高GI食品、低GI食品にはどのようなものがあるのだろうか、数値なども公表されているので、いくつか挙げてみると、高い方では、食パン91、フランスパン93、うどん85、じゃがいも90、ドーナツ86、フライドポテト85、チョコレート91、低い方では、蕎麦54、さつまいも54、大豆30、日本酒35、バター30、ナッツ15、珈琲16 といったところで、何となく常識的というか経験的な傾向が出ていて話のつじつまは合いそうだ。 しかし、ホウレン草は15と載っていて、古い話で恐縮だけど、アニメのポパイのように急激に元気が出る根拠はなさそうだ。

 あと、低GIを食べていると糖尿病予防に効果的と言う話ではないので、誤解されないように。では、数値幅のあるGIの概念をどのように使えばよいのかといえば、数時間レベルで急激に元気になりたいとか、あるいは、空腹感を伴わず持久力をもちたいとかを、食品を選んで食べることで上手に管理できるということである。風邪で寝込んだ後は、やはり、うどんとかパンを食べると早く元気が出て、仕事の復帰も早い。また、糖尿の心配のある年配の人は、蕎麦や大豆でできた豆腐を食べて地道にじっくり仕事を続ける。といった具合だ。

 実際に食事として何をどのように利用すればよいのか、全ての食品にGI値が記入されているわけではないので、あくまでも目安で利用するしかない。そこで、今日紹介するのがGI値55以下のSOYJOYである。実際にこれを食べると、人によって反応は様々だけれど、少ししか食べなくても3~4時間空腹感は無くなる。空腹になると不機嫌になったり、仕事のやる気を失う人は回りに迷惑を掛けないためにも是非使って欲しい。夜遅くまで残業をせざる終えない人、外出中は高カロリーの食事を控えている人、いつも、夕食まで時間が長いと感じている人、いつ襲ってくるか分からない空腹感に、SOYJOYで対処すればよいのである。私の場合は、ウオーキング時や写真撮影時に、一寸だけ空腹を満たしたいと思う時があり、かなり重宝する。 そのような限られた利用方法しかないかもしれないが、SOYJOYは特定の条件下で便利である。栄養バランスも良さそうなのと、カロリーが1本140kcal程度なので、効果的に使えばダイエットにも応用できるかもしれない。実際に4時のおやつ代わりに1日1~2本で1週間続けたら体重が800g落ちた。まあ、誤差範囲かもしれないが、気分はよい。何でも続けると飽きる性分なので、もっと種類を出して欲しいものだ。
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2009/04/17

自作料理10

 人は、経験で想像さえしなかったものを観てしまうと、やはり驚く。もっとも、いくら歳を重ねても、知っていること以外は知らないことである。これを強く認識し興味を持って命果てる日まで、何事にも謙虚であると同時に、「知らないこと」へ誠実に接して行きたいものだ。 先日、2泊3日で伊豆高原まで出かけてきた。ひょんなことから、お土産屋で一息ついていると、たまたま「海老蕎麦」というのがあったので、珍しいさが先に発ち、勇んで購入してきた。

 実は、一碧湖の見物をするため、駅前で数十人の人に紛れバスを待っていた。随分時間があると思いながら、ゆったりと座り込み、やや放心状態というか、眩しいような暖かい日差しに、気持ちの良い風と、ゆったりとした時間の流れに身を任せているといったところで、それはそうと、1時間に1本しかないのは辛いけど、どんなところなのかなあと、一寸だけ夢を膨らませていた。このような時は、回りのざわめきもあまり聞こえてくることも無い。ところが、遠くの、おばさん連中の話し声が少しかん高く聞こえてきた。「何も無いところよねぇ、そうよぉ、あんなところ誰が行くのかしらねぇ、そうね、酷かったわね、もう2度と行かないわよ、行く人がいたら教えてあげるのに」と、どこかへ行った時のことのようだった。「どうせ、つまらないところへでも出かけたんだろう、どこへ行くのにも、よく調べてから行けばよいのに、馬鹿だなぁ」と心の中でつぶやく。 しばらくすると、サボテン公園、御室山登山口行きのバスがきて、殆どの人がそれに乗っていく。さっきのおばさん連中も、話の続きなのであろうか、バスのステップに足を掛けながら、また、時間表を指差して、「湖しかないの、他に何も無いとこよ」と友達を戒めるように話しながら乗り込んで行った。

 その次の瞬間、ゆったりとしてたるみ過ぎた体に電気が走ったように、筋肉の末端にまで力が伝わるような感覚を覚えた。「何?湖」だって、あれ、ひょっとしたら「やべえ、そんなつまらないところ」へは行けねえ、と思い、一碧湖行きのバスが来る前に、忘れ物をしたかのような振りと、涼しい顔をして、お土産屋へスタスタと逃げ込んだのである。 しばらくして、落ち着きを取り戻しながら、保冷庫を何気なく覗き込んでいると、偶然、「海老蕎麦」なるものを見つけたという訳である。もし、そうでなかったら、一碧湖の「つまらない?比較画像」になっていたところだ。

 いつものように、温泉と伊勢海老目当てで伊豆まで出かけ、2晩とも伊勢海老のロースト・アメリケーヌソース付きコースを食べて、いたく満足してきたつもりだが、それでも、家に帰るまで「海老蕎麦」なるものが気になって仕方がなかったのである。早速、帰ってきてすぐに茹でて食べてみたのだが、なかなか食べ応えのある一品なので紹介しておこう。 やや、期待感というか商品のイメージが先行していたかもしれない。いや、伊勢海老を食った後にもかかわらず、美味しく感じるのは只物ではないと思う。

 ただ、この海老蕎麦だけ紹介するのも殺風景で寂しいので、得意技でもある野菜の天ぷらを加えてみる。何種類かの野菜を一寸づつ用意して、一気に揚げてしまう。これが、普通の蕎麦なら、「海老の天ぷら」でも、「小柱や小海老を玉葱」とかで、「かきあげ」もよいが、海老蕎麦には、やはり少々「くどい」感じがする。簡単な手順と準備するものを忘れないように、PDFに調理例をまとめたので参考にして欲しい。 名称は、「海老蕎麦(半生)粉付き」になる。原材料は小麦粉、そば粉、食塩、海老の粉末、酒糟、プロピレングリコール、コチニール色素、と記述がある。付属のつゆの方は、本醸造しょうゆ、かつおぶしエキス、昆布エキス、ブドウ糖加糖液糖、砂糖、米発行調味料、植物性蛋白加水分解物、アミノ酸、アルコール等。とあるが、やはり、少々甘すぎるので、これと昆布醤油、本醸造醤油、帆立のだしの素を使って独自のものにした。うふふ。

 販売者はカネヨ商店 静岡県静岡市清水区蒲原神沢340-1 電話0543-85-4855 となっている。 ではこちら
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2009/04/14

弁当シリーズ3

  食事は、本来「出来立て」の暖かいうちに頂くのが一番美味しい。頂く側の立場としては、目一杯にお腹を空かせておくのが鉄則である。その条件を満足すれば、どのような料理でも、それなりに美味しくいただける。人は、美味しく感じることに喜びを知り、さらに、後々体の各部の細胞から必要な養分が供給された情報が大脳へ集められ、快楽物質が放出され満足するのである。それは、大脳はしっかりと記憶に格納する。そのため、同じような体調、環境、空腹感に遭遇すると、同じものを欲するのである。また、大脳は、体の各部の細胞を精密に管理していて、今の体の状態が必要としている栄養をいつも大脳へオーダーしている。そして、思い出すように我々を記憶の食事にかきたてる。しかし、それが手近に無ければないで代用で済ませるが、それを渇望し、楽しみにしてきた場合は、それを外すことは大きく大脳を落胆させる。よく言われる「○○のお腹になっていた」という現象だ。

 自然な自分の欲求に応えて、最小限度を食べていれば、素直に生命維持が出来るようになっている。大脳は、何も食事にこだわっているわけではなく、その中に含まれている栄養素を要求しているだけで、必要な栄養素が入ってこない場合は、その取り込んだ栄養から再び必要なものを体内で再構成するか、もっと強い要求や警告を出すようになる。慢性空腹感を感じていたら、必要なものを供給していない可能性がある。メタボになるのは、このようなメカニズムが原因かもしれない。食べても、本当に必要としている栄養を摂取していないのである。季節によって旬のものを食べる習慣は、その遺伝情報が過去から呼び出されたものだし、体も欲しがっているのである。季節の変化に体を追従させるため、必要とされていると考えた方がよい。また、若いうちは、ステーキやハンバーグが好きでも、年齢によって食べたいものも変わってくる。歳を重ねると蕎麦が好きになる人が多い。蕎麦は、年配者に必要な栄養素が含まれている。 一方、食事の時「何でもいいよ」と言う言葉を口にする人がいるが、それは、誤った判定を起こしている要因があるに他ならない。そういう人に限って、頭の中は仕事で充満し、お腹は空いているのに、何が食べたいか判断できないのである。このようなときに、前の日と同じようなものを食べたり、口当たりのよい高カロリー食品を食べて、体に不必要なものを供給してしまうケースがある。

 そのような状況が起こった時は、選択的に判断するよう仕向けよう。その判断を支援するのに最も適しているのが、デパートの地下にある食品売り場である。ここを眺めると、自分が何を食べたいか、要求ぐらいは判断できる。一周すれば、食べてみたい候補が1~3品ぐらいは上げられる筈である。あまり考え込んではならない。あるいは、1品見つけたらそれを購入し、ほかは見ないという手もあるが、1品にしなければならない根拠も無く、第1候補と第2候補ぐらいを割り当てるのがよい。1品では失敗したときのダメージが大きいからだ。ただ、1度に2品も食べられないかもしれないが、残りは翌朝に回せば良い。半分づつ2品食べると言うのもひとつの選択肢である。

 ちょっと、いつものように回りくどい話になってしまったが、人が本能的に発する「食べたい」衝動は、理屈で解明されていない要素が含まれているので、それなりに慎重に対処しなければならないということである。いかにも食意地の張ったおっさんの言い分といえる。

 今日は、弁当といっても折に入ったものではなく、プレートで販売されているものを2品取上げてみた。持ち帰ったら、電子レンジで少し暖めなおすとよい。製造者はホテルオークラ・エンタープライズで、1品1,260円である。論旨に沿うように2品用意した。あなたなら、どちらをチョイスするか。最近いらいらする人は、カルシウムが自然に含まれた左側、少々風邪気味でたんぱく質を必要とする方は右側。いずれも、技が冴えるプロフェッショナルが製作した、「気の利いた美味さ」になっていると思う。余計なことだが、この2品のプレートを忠実に写真で再現できるように、照明などを工夫して撮影した。さしずめテクニカラーといったところ。美味そうに見えるかな?。
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2009/04/10

続デジタルカメラ22

 気温がどんどん上がり、紫外線も増え、空気も乾燥している。もう花見に行かれただろうか。今日は、我が家と深大寺を結ぶ「野川の川沿い」を紹介しよう。都心の桜は乾燥が進み元気が無いと言われているが、ここの桜は川沿いのため老木も元気である。写真の右側の散歩コースをすたすたと25分ぐらい歩き、小高い丘を越えると深大寺に至る。この季節は、朝から夕方まで、川沿いで桜を撮影する人や、花見に興じる人、子供達を遊ばせる人などでにぎわう。夜は、桜並木をライトアップして見せてくれるので、またもや人出が多く、川の緑地帯からこぼれて川で頭を冷やす人までいるくらいだ。昨日も、チラッと覗いたら近所の人が声をかけてくれたが、「はーい、はーい」と言いながらも、知らない人も一緒のようで遠慮した。このような遠慮は極めて常識的で、声をかける方としては、手ぶらで来てもらっても困るわけである。この道、平素はウオーキングやサイクリングを楽しむ人達が多いが、ここ1~2年、この道を通って「深大寺温泉」へ向かう年配の人が増えている。軽いウオーキングをした後「温泉」へ入って、深大寺門前で「蕎麦や天ぷら」を食べて、神代植物園で「植物鑑賞」して再びこの道をぶらぶら帰ると、ほぼ夕方で、毎日極楽、極楽。もちろん、家族にも迷惑をかけずに長生き出来るわけである。  

 近所に広大な桜の名所は多く、見慣れた場所だけでも3箇所ある。どうゆうわけか、どこも今年は、桜の花が白いのである。写真に撮ると空の雲に溶け込んでしまう。そこで、微妙な時間帯だが、朝早く(5時40分)から撮影に出かけ状況を見守った。なのに、朝早くから「じいちゃんばあちゃん」が散歩しているので挨拶にも忙しい。やはり、三脚を開いて撮影チャンスを待っている人も少なくない。この写真の撮影時間は6時20分である。向かって右側が東方向になり、日の出まじかの光は赤味を帯びているが、全体は朝特有の青味が強い。しかし、桜の花は太陽の光に反射し薄い桜色になってみえる時間帯である。 川のほとりは、当初「もや」がかかって空気が白濁していたが、気温が上がるにつれ消えた。

 このような情景での撮影は、いくつか注意する事がある。デジタルカメラは「色の解像力」が低いため、被写体から少し離れると「もこもこ、ぼーっ」と輪郭が無くなるので、被写体と適当な距離を確保する必要がある。また、手前の被写体をシャープに出さないと遠近感も出ない。しかし、背景をぼかし過ぎると臨場感に欠ける。そのために、異なる色彩を組合わせることも必要のようだ。ただ、場所によっては、黄色い「菜の花」が緑地帯を一面覆い隠すが、菜の花がフレームに入ると桜の花の微妙な色彩が霞んで見えるので避けた。今回は、川を挟んだ緑地帯と朝方の微妙な色バランスになっているが、 カメラのダイナミックレンジの狭さをカバーするには有効な手段になっている。いつも、このあたりは、清掃が行き届いて綺麗だが、今朝は、さしずめ昨夜のライトアップ夜桜鑑賞の「宴の後」といった感じで、ゴミのようなものがいくつか目立つ。風で木の幹は揺れているが、桜はまだまだ散る様子はない。
  
 前回は無責任にも「小安い弁当でも買って花見に出かけてはどうか?」と申し上げたが、どこへ行っても人が多く、ラジカセの音や叫び声がうるさくて落ち着いて物を考える気分にはならないに違いない。返ってストレスの溜まる時間になる可能性が高い。駄目である。少し反省してはいるものの、どうなっていくのだろう、年々、このような田舎も節度に欠ける行動が目立つようになってきたようだ。 ではこちら。
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2009/04/07

弁当シリーズ2

 暖かい日が戻ってきた。気分も爽快で、何か新しい事が起こりそうな予感さえしてくる。いつもなら昇給も楽しみだろうし、新しいメンバーと一緒に仕事をするのも楽しいはずだが、今年ばかりは、そう悠長な事を言ってられない人も少なくない。仕事を一生懸命する几帳面な人は、仕事のことがストレスになり、人間関係を重視する人は、それでストレスが増える、将来の事をよく考える人は、上司や年配者の仕事ぶりでストレスが増える。花粉症の人は、最終の山場がまだ残っているし、想像するだけでストレスを受ける。 人は、そんなストレスを嫌うが、しかし、適度なストレスは、人に「新たな思考構造」を生む事がある。

 人のストレスは、性格から来る。ただ、幼い頃育んだ性格はなかなか変えられないが、思考構造は変えられる。思考が変われば対処も出来るし、ストレスも軽減される。そのため、まず、自分の受けるストレスを分析する必要があり、発生要因の傾向を知るのが重要だ。その中から、共通性や突発性を抽出することで、分析・対処できる筈だ。少し余談になるが、ブログを書いていると、時としてストレスになることもある。 一般的にストレスは、「1.タイトな時間で実行する、2.不本意の事をする。3.未経験の事をする」時に発生する事が多いが、1.は経験を重ねることで、おおむね改善できる。2.の不本意というのに該当するかどうか分からないが、元来、自分は昔から瞬間激怒症というか、過激なところもあり、おまけに、反逆精神が旺盛である。これを隠すように、いつも、大人にならなきゃいけない、大人、大人と口癖のように自分を諫めてきたので、ストレスが溜まるのである。だから、あえて「過激になりそうなテーマを避けている」のかもしれない。つまり、自分を引き出しの中にしまいこんで、それを忘れようにブログをまとめているような気がするのである。 ブログのような、ある意味「自己満足」でも許される文章は、下手を続けると、わがままな人格を助長させ、自分を駄目にしてしまうが、抑えすぎると自閉症のような性格になる。しかし、時系列で振り返りながら読み返すことによって、本意なことを巧妙に外してきており、本来の性格を巧みに隠し通してきている様にも思える。つまり、文章にまとめること自体で、自分の人格や考え方を修正・改造するのに大変効果的なのである。

 3.の未経験の事をする。これは、人生そのものである。得意なことばかり扱っていても進歩しない。「知っていること以外は、知らないこと」であることから、よく調べて何度かそれに挑戦し、いけそうだと思ったら、とにかくプロトタイプのようにブログを作ってみるのである。そこで、自分を「様々な視点に立たせ、その軸足に沿って物を見る習慣」をつけることで、「視界は良好になり、明らかに肉眼で見るより、大脳で観る解像力が上がる」のである。 たとえば、「天ぷらを作るとき、蓮根の厚みと揚げる時間の関係」みたいなものが、体で覚えられたりするわけである。さらに、蕎麦を茹でながら、同時に天ぷらを揚げる。そこには、蕎麦の茹具合というか、天ぷらと蕎麦の同時完成を確保するために、茹でる火力も調整するわけで、麺を1~2本つまんでみなくても微妙な麺の振る舞いや動きから状態を捕らえる事が可能になる。そのような感覚に近い。

 それは、単なる想像力によるものではなく、それ自身が内包する必然性や根拠、あるいは自然の節理のようなものが分かってくるのである。さらに気がつかなかった自分自身の重点的な価値観までも見えてくるのである。これは、会社のプロジェクトに参加し自分を追い詰めることに良く似ていて、短い時間で様々な思考を試すことが出来るようになるのと同じだ。アイデアは、出せば出すほど、益々出るようになるし、より洗練されたものへ進化し、本質を追求するようになる。そして、それこそが、今の自分を客観的に評価し、置かれている立場 を認識し、これから自分の成すべき事が鮮明に見えてくるのである。

 自分のストレスは、自分でしか解決できない辛さがあるが、逆に言えば、自分だから解決できるのである。 今週あたり、暖かい日には弁当をもって近くへ花見にでも出かけるのは、どうだろう。花見といっても、「御座の上で大酒をくらう」のではなく、美しい風景を目と大脳で眺め、自分がストレスを感じるケースについて客観的に分析してみよう。大概のストレス発生原因は、自分の能力に挑戦せず「安易に考えていた時に起こることが=50%を占める」ことに気づくはずだ。また、「同じようなパターンが=80%以上ヒットすることにも気づく」それを修正するために、平素から時間を効率よく使い、準備しておけば、約40%のストレスを解消する事が出来る筈だ。さらに、意図的に「自分のストレス解消法」を止めてみるのもよい。そうすると、程度の軽いストレスは消えてくるし、いったい何がストレスなのか分からなくなることもある。

 そんなことを、春の風景を楽しみながら、これまた美しく、美味しい弁当を食らいながら分析してみてはどうだろう。もちろん、それにふさわしい弁当が必要なので、小安い京都の弁当を紹介する。ではこちら
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2009/04/03

自作料理9

 前回は、和風のカレーと称して野菜中心のカレー丼を紹介した。量的にみると、茶わんの大きさは直径15cm程度、その中に御飯は、おおよそ半分なので、普通なら軽く1膳といったところだ。大脳を目覚めさせるだけなので、大量は必要ないが、必ず朝に食べたい。しかし、毎朝は手間がかかるし、さすがに、3日目あたりからカレー自体に飽きる。だから、本来なら味の異なる何種類かのカレーを用意したいものだ。土、日曜は大脳がお休みでも構わないので、5種類用意できれば良しといえる。ということで、これからも研究を続けることにする。

 一方、百貨店地下にあるカレー屋のように、カレー自体を共通にして、上に乗せる具のみを変えていく方法もあるが、これは、あくまでも理屈で考えたカレーの分類で、視覚的な区別でしかない。これは、戦後の進駐軍の食堂にありそうな発想で、畜生に異なる餌を与えるような扱いだ。とても、微妙な味覚を備えた日本の食文化にはそぐわない。つまり、大脳を刺激するだけの魅力はないし、むしろ、早く飽きる要因の1つになってしまう。朝の食事は、空腹感を伴わないために繊細である。この繊細な反応を「理屈や視覚」で押切ることは出来ない。それは、返って大脳に矛盾を突きつける行為につながり、習慣としても良いことではない。そんなことは、会社だけにしよう。自分の中に、作り手としての自分と、食べる側の自分の2人がいる事を意識して、互いに日々改善する創意と工夫が必要だ。つまり、前夜から、翌朝に食べたいと思わせるだけの「魅力」あるカレーを追求し、一方で、前夕食を少し抑えるなどの消化器への「配慮」が必要になる。 そういう気持ちが、「美味しさ」に繋がるのである。

 「美味しい」とは、鬼平犯科帳に出てくる「俺の胃袋を刺激する」ものではない。あくまでも、大脳を刺激することである。そのためには、食感のみで評価することは出来ない。加えて、1.そこそこのコストで出来る。2.使われている食材の素性が分かっている。3.信頼できる人が作る。このような背景と必然性がほしい。この条件を満たすのは、あくまでも、自分自身で全てを管理することである。おっと、大御所の母さんを忘れてはならない。

 今日は、「大根と帆立」を使ったカレー丼になる。俗に、シーフードカレーと表現しても良いが「海鮮カレー丼」と名づけた。基本的には、前回と同じ手法で作るので、初めての方は前回の「自作料理7  和風のカレー丼」を参照されたい。それでは、異なる部分について補足したい。今回のポイントも、「和だし」を使うことになる。「あごだし」と「昆布だし」粉末を天然水で溶く。目安は4人分である。 手順の詳細は1例として添付のPDFにまとめてあるので、そちらを観ながら独自の工夫を考えてほしい。 まず、にんじんと大根、玉葱は、皮を剥き裁断し、玉葱、帆立、大根それらをオリーブオイルで炒める。帆立、大根は、すぐに煮出しても良いが、味を濃くするため、少しフライパンで焦げ目をつける。これによって、少々香ばしい薫りが得られ、味にも奥行き感がでる。丁度、「鰹のたたき」のような味わいを連想してもらうと良い。刺身だけに比べて、鰹独特の味が強調される。また、野菜スープを作るときも、同様に少し焦がして薫りを高めたり、味を濃くする前細工として多用される。

 次に、この炒めた玉葱、帆立、大根と、薄切りのにんじんを日本酒で煮るが、この工程で素材の臭みがなくなる。日本酒を入れることで、甘みが増えている印象を受けるが、アルコールが揮発すると同時に甘みも減っていく。トマトやりんごなどを投入すると酸味なども強くなるが、これも火加減で減ってゆく。使用する油分は出来るだけ減らそう。次に、カレー粉は2種類の使用になる。よく耳にすることとして、2種メーカーのカレールーを使うというのがあるが、それと同じである。主に、前回の「野菜カレー丼」と異なる味にするためである。また、香辛料をいくつか別途用意して、より好みの組合わせを模索しよう。1つ1つ香辛料を試しながら味を楽しむことも、大脳に良い刺激を与える。ベンガルのカレー粉(PDF写真下側)は美味しいのでお勧めである。海の食材を使ったカレーは、ややもすると具材が淡白に感じられる事があるので、そのためにも、スパイスは増やしたい。加熱と冷却の繰返しでスパイスの薫りは消えていくので、好みでどんどん追加してほしい。

 最後に、好きなトッピングを製作して味の違いを強調する。ここで初めてトッピングにバターを少量加え、さらにスパイスを加えて、薫りと旨味を調整する。ではこちら。
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