2012/12/31

謹賀新年

  毎年毎年、年末年始をせわしなく過ごす人は多いはずだ。確かに、田舎へ帰省していた若かりし頃は、切羽詰まった仕事を年内に片付けなければならないとか、往復の切符の手配やら、親戚縁者へのお土産げやら、体だけ動かすってわけにもいかず、色々面倒で仕方なかった。しかし、今は、その様な時期があったことを懐かしく思い出す。帰省しても、もう、父もいないし、正月料理を作ってくれる母もいない。幾つになっても、人は親元へ帰る気持ちだけは残っているのだろう。確かに、墓参りもしなければならないし・・・、今時、新幹線をみるだけでそんな気持ちが蘇ってくる。

  またまた、「何か食べたいものがあれば送るけど、でも今日、牡蠣が行くよ!」って、一昨日大量の牡蠣が送られてきた。我が家は満席でも2名なので、そんなに一度に大量は食べられない。だから牡蠣飯にして、コツコツ食べることにした。そういえば、わざわざ牡蠣の美味しい2月頃にも帰省して、腹が割れるほど食べた記憶もある。そうやって、新年を迎えた実感を得ていたのかもしれない。「何か食べたいもの?・・・」 うーむ、と思い出したのが、幼い頃(半世紀ほど前)、母の実家でよく食べた雑煮である。広島県の福山の方では、お雑煮の上に「ブリの照焼き」をのせる習慣がある。「とりたててそんな食べ方をする必要はない」と思われるかもしれないが、ブリの旨みが徐々に雑煮の出汁に溶け出し、雑煮が美味しくなるのである。

    それだけの事なので、どうのこうのと屁理屈をこねまわすつもりもないが、ブリの照焼きを作るには、一般的に七輪を使う。炭の赤外線を使ってブリの内部まで火を通し脂を落とす。しかし、ブリから出た脂が燃え、大量の煙が台所に充満して往生する。一方のフライパンで作るには、ブリから出る脂を丁寧にペーパータオルなどで取り除きながら作業を進めていく必要がある。まず、最初は、強い火力で焦げ目を付けて焼く。気をつけながらひっくり返す。次に、火力を小さくして内部にじっくり火を通し、常に脂を取り除く。その時、タレには浸し煮つめて濃くなるようフライパンに放置するだけでもよい。火から降ろして温度が下がるときにタレが浸透する。火力をしばしば適正に管理することで脂の少ない仕上がりが可能になる。


  お餅は、杵つきの滑らかな舌触りが得られ、コシと粘りが昔ながらの「南魚沼産のこがねもち」を用意した。出汁は、先週紹介した「ほめられ香りだし」に日本酒と創味のつゆを加えた。後は彩りに蒲鉾、人参、椎茸、ほうれん草などを載せただけである。手前味噌になるが、材料もそこそこなので美味しい。手前味噌で思い出したが、鳥取で味噌ベースの松葉ガニにもちを入れた雑煮があった。それもなかなか美味しいので、簡単に渡り蟹で代用してみたい。これも、蟹の表面をよく荒い、一度沸騰したお湯を通して、くさみを十分洗い流してから使うのがポイントで、蟹の味が強すぎると返って美味しくない。雑煮の下に敷く円形の大根も一緒に火を通したい。こちらも簡単な割には美味しいのでお勧めできる。


  ついでに、箸やすめに「かぶの漬けもの」でも用意したい。さて、それぞれの食材は手近な物で、作り方も気まま勝手にやっているので、もはや昔に食べたものとは違うが、何故か「やった」と想う満足感がひとしおで、気分的に嬉しい一杯になった。

  今日のPDFは、初詣へ行くまでの間の雰囲気作りに、深大寺の元三大師堂の正面を選んでみた。
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2012/12/28

昭和の流行歌10

  昭和の時代は、活気があってよかったという人は少なくない。この活気を背後から支えたもの1つに流行歌がある。音楽は人の気持ちを楽しくし、歌はストレスを発散し人を元気にする。そんな背景からなのだろう、最近、再び「昭和の歌謡曲を特集する番組」が増えた。何せ、30~40年くらい昔の曲ばかりなので、番組では3種類の再現方法が使われる。1つは、保存されているビデオテープから再編集したもの、2つめは、ご本人が登場して当時流行った曲を聴かせる、そして、3つめは、別の人が番組中だけで古い曲をカバーするというものである。いずれも、かつての流行歌を耳にしながら、ほのぼのと青春を思い出すこともあるし、元気が漲ってくるという人も少なくない筈だ。

  実際、ご本人が声をからして当時の曲を歌うとか、別の人が流行した曲を歌うというのは、当時を鮮明に思い出すにはやや不向きなことが多い。今1つ、あのような歌い方ではなかったし、よく聞こえないフレーズがあったとか、逆にフラストレーションが溜って、どうしてもオリジナルを聴き直しておきたいと思うこともあるようだ。一方、そういう直接的な刺激とはまるで逆になるが、時折、お昼休みなどに、遠くにあるラジオのスピーカから聴こえてきた当時の曲に、懐かしさがこみ上げてきたと言う人も少なくない。ラジオ番組でも「当時の曲のリクエストが絶えない理由」がそんなところにもあるのだろう。何度も当時「その曲を聴いて気持ちを癒した」人達にとって、オリジナルが一番その頃を思い出すようだ。

  昨年は、山口百恵さんのヒット曲のシングル盤のジャケット写真をまとめた。シングルジャケットの懐かしさは、それを見ながら何度も聴いたという人には懐かしいに違いない。人それぞれ、少し違った想い出もあると思うが、今日は、その第2弾として中森明菜さんのシングルジャケットをまとめてみた。おおよそヒット曲は15程度と思われるが、間違っていたら「ごめんなさい」である。レコード大賞を2回も受賞し、歌は大変上手である。もちろん曖昧な音もない。歌手だから歌が上手なのは至極当然だが、当時は、「音が外れる人が多かった」ので、今でもちゃんと区別しておきたい。加えて、その頃のどのアイドル歌手より映像美術的感性に優れていたと思う。

  そのセンスとは、曲1つ1つに、自分が拘って曲に合わせた衣装デザインや振り付け、メイキングに介入し、曲に合わせたイメージを高い次元で作り上げていた点である。その、優れた映像美をブラウン管を通して視聴者に訴えてきた感性は、最初から他のアイドル女性歌手とは一線を画していたと思える。歌手だから、与えられた歌をそこそこ上手に歌えば良い、あとはスタッフが、曲に合わせて様々に手を変え品を変えてコーディネートしてくれる、そういう忙しないアイドル量産時代であったのも事実である。最近でも、自分の好きなようにやって「個性を出している」ケースが見受けられるが、「センスの悪さ」が目立ってしまうことが多い。そう考えると、無難かもしれないが専門のスタッフの指導の方が良い場合が多い。やはり、難しいことなのである。中森明菜さんは、そんな美学を備えた良い印象の残る歌手であった(過去形で済ませたくはないが)と思う。しかし、15枚のシングルジャケットには、そういう拘りはなさそうである。
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2012/12/25

ほめられ香りだし

  前の日から、鍋に水を入れ、いりこ、昆布、乾燥椎茸を加えてそのまま放置する。朝が来る7~8時間後じっくり溶け出した出汁に、さらに削り節を加えて煮出す。その出汁を、お雑煮、お吸い物、味噌汁、うどんやそばのつゆなどのベースに使う。誰しも、このような母の姿を幼い時から観てきた筈である。地域によって多少材料が異なっても、この姿が、日本の家庭料理の基本の型なのである。出汁作りは、素材が良ければ最終的な料理が「間違いなく美味しくなる」。それを我々は忘れかけている。それは、家族が少ないことや、このような出汁作りが、普遍かつ計画的で手間がかかりすぎるし、コストも割高になる。「拘りの蕎麦屋」でも開店するならいざ知らず、即席の顆粒などで十分美味しいと考えらているからである。

  美味しい素材と、手間と時間の掛かる出汁作りを珈琲に例えるなら「水出し珈琲」に相当する。一方、即席顆粒の出汁を例えるなら「即席珈琲」といったところ。この違いは、歴然としたものがある。さすがに即席出汁は、一度顆粒になるため薫りが激減し、味を濃く仕上げる傾向になり、しいては塩分が強くなる傾向がある。できれば、逆の「味は薄いが薫りが高い」状態が健康にも良いし、それに美味しさを感じて、次々と口へ運びたい動機が満ちてくるのがよい。お味噌汁に例えるなら、この味噌汁と御飯があれば、もう十分満足と言えるような「高級和食店のお味」といったところである。それが当たり前であった昔を思い返すと、現代なら、もっと「美味しいお出汁が簡単に採れるようになってもいい」と思っている人は少なくない。特に昔から拘ってきた奥様方が強く希望してきた。

  今日紹介するのは、そういった人達から推奨されそうなネーミングの「ほめられ香りだし」という商品である。これは、鹿児島の鰹節会社の商品で、薫り高く美味しい出汁が簡単に採れる。これを使い始めると、もう以前の即席には戻れない代物である。それは、はるかに「美味しいし、簡単」だからである。このような形態の商品は、特に珍しいわけでもないが、原材料や鰹節の品質の違いによって、再現される薫りも違うし、美味しさが違ってくる。今回比較として、豆腐とネギと味噌を用意し、「ほめられ香りだし」と「千代の一番」とを全く同じ作り方で比較してみた。「ほめられ香りだし」は、「ああ、これはいい」とにかく「美味しいわ」といった、わかりやすい旨味と美味しさが再現される。一方の「千代の一番」は、昔ながらの美味しさと上品さが引き出せる。恐らく、ブラインドテストをしたら、10人中7人までが「ほめられ香りだし」に軍配を上げるに違いない。

  チャックつきの袋の中に抽出用の10包が入っている。その包には細かい素材が10gほど入っていて、おおよそ500gの沸騰したお湯に2~3分煮出して使用する。これには「焼きあご」が含まれていて、格別な柔らかい旨味と薫りが楽しめる。これが美味しさの大きな決め手になっていると思われる。この包の素材でもある魚の小片は、出汁として抽出するだけではなく、そのまま他の調理の隠し味としても利用する事が出来そうだ。このような出汁をティーパック形式で素早く抽出する自然素材は、高級日本料理店などに古くから存在していたが、業務用として大量仕様がほとんどであった。家庭用に使われるようになったのは、小口仕様で調味料を加えた完全製品で手間が無く、価格も大幅に下がってきたためで、今回の商品は、500gの出汁の制作に40~50円程度なので、かなり無理の無い価格である。是非、年越し蕎麦やお正月用のお雑煮、煮物等に使いたい。
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補足1:「あご」とは、飛魚(トビウオ科の魚の総称)は、日本近海、瀬戸内海などで見られる。飛魚は、水上艇のように胸ヒレを広げて水上を滑空する。飛魚は美味しい魚としても有名で、よく刺身などでも食べられている。

補足2:「千代の一番」を紹介したPDFページ(再掲)。
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2012/12/21

100円ショップDAISO

   今、主婦や子供の出入りが最も多く、繁盛しているお店といえば100円ショップである。かつては、徹底した合理性とコストダウンのみを追求した商品ばかりで、安物を並べたと言う雰囲気で溢れていたが、今や100円ショップならではのマーケティングで独自性の高い商品を取り揃え、激しい戦いを繰り広げている。商品は、国内で企画・検討され、中国をはじめとする東南アジアで製造されている。もちろん通常の流通機構を経由するわけではない。全ての商品は、本社から直接系列店に搬入される。取扱商品は次から次へと拡大し、寝具、衣料、薬、以外ならおおよそ生活が出来るくらい商品が揃えられる。

 世の中はデフレが進む一方である。このデフレが「100円ショップの増加」を加速していると言っても過言ではない。100円ショップの勢力拡大は、隠れていた商品本来のグローバルな価値を露呈していると言える。この価値観が定着することで、他への波及も更に進むに違いない。バブルの前に青春時代を過ごして来た世代は、昔に戻るだけという気分かもしれないが、彼らは、質素倹約を旨とする堅牢な精神を持ち合わせている。その賢い目利きは、商品の品質、価格、使い易さ、無駄等のバランス感覚を体内に備えていて、今、その価値観に耐えうる商品を「100円ショップ」に見出そうとしているし、100円ショップ側は、その様な厳しい要求までも取り込み始めている。

 お店に並んでいる商品を眺めてみると、あくまで「自分にとって」という条件付きだが、この商品が100円なら、こちらは200円しても仕方ないと思われる商品もある。これが、100円ショップの泣き所というか、面白いところなのである。また、うーむ、これも100円か?と、少し前なら、一流メーカーが数百円で販売していた商品の類似品であったり、「この手の商品は、かつて秋葉原にでもありそうだな.」と思う様な超小型の音響商品まで、自分の経験や知識を再認識させられ、価値観を問われる。そして、楽しい思いが出来る場所でもある。それも、お店によって少し商品のデザインが違っていたり、あるいは、全くその店にしかないオリジナルであったりと、幾つかのお店を回ると、100円ショップならではの価値の違う商品が見つかるような気がしてくる。

 今日は、DAISOで手に入れた商品をいくつか並べてみた。ありきたりのものばかりだが、写真の商品は占めて735円である。中でも、ステンレスのトレーの左端に転がっている黒い長い棒のような品物は、鋭い先端を庭の土に埋め込んだり、ベランダに固定しておくと、昼間は太陽光が上部のソーラーパネルにあたって発電し、バッテリーに充電する。夜になると、LEDが点灯して、ほのかな照明になるというもの。フル充電で約5時間点灯する。電池寿命は500回と書いてある。そのまま固定しておけば半年程使えるという計算である。明るさが足りなければ、数を増やせばよい。これも1個100円で楽しめる。どういうわけか、飛ぶように売れているという。そんな商品にちょっとした面白さと、やや強引に実用性を考える人が他にもたくさんいるようだ。
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2012/12/18

きつね蕎麦 どん兵衛

   今頃になると、「今度、蕎麦でも食べに行かないか」と誘われることがある。「そうね、近いうちに」と答えるのはいいが、相手がどのような蕎麦好きなのか、分からないで困ることもある。その手の蕎麦好きは、蕎麦を食べながら、作法だとか、由来だとか、意外にうるさいことを話すことがあるので、少々敬遠しがちである。好きなものぐらい自由にお店を選んで、時には、むかし通ったお店などを覗きたくなったり、空いた時間に一人で気楽に楽しみたいものだ。しかし、気心知れた蕎麦好き同士で行くなら、話はまるっきり違ってくる。お店に入っただけで少々興奮気味で、今日は、何にしようか、そんなお品書きを見ながら迷うこと自体が楽しくなるのである。

    本当の蕎麦好きは、意外に蕎麦の許容範囲は広い。私の友人も、近所の蕎麦屋で「ざる」をよく食べる。笊の上に蕎麦がくっついてゴムの山ようになっていても、器用にほぐしながら食べる。また、深大寺の粗挽き蕎麦も首を傾げながら「旨いな」と感心しながら食べる。その姿は、蕎麦を本当に愛していると思える。そういう彼とは、恐らく何処のお店へ一緒に出掛けても、それなりに満足してくれる筈だ。もちろん、老舗の蕎麦屋の話になると身を乗り出して、日本橋の室町砂場とか、神田のまつやの話をする。

 そんな彼が「これは結構旨い」と教えてくれたのが、日清食品の「どん兵衛のきつね」である。一見、老舗の蕎麦屋とは別世界のように思われがちだが、すぐ蕎麦を食べたくなった時、遠くの店まで出かけたくなっても、今時は、お店が混んでいて落ち着かないし、それを考えると億劫だったりする。一方、即席はすぐに飽きがくることである。なので、最近は、即席蕎麦を美味しくいただく方法を密かに研究しているらしい。ただ、蕎麦で一番重要なのは、やはり「つゆ」で、その美味しさが決め手である。蕎麦つゆが美味しくなければ、いくら喉越しの良い蕎麦でも、好きになれないようだ。最近醤油メーカーの市販の「つゆのもと」商品が大変美味しくなったので、つゆだけ、それらの商品を使って自作することも多いという。

 話を聞いているうちに、我々の年代ならではの拘った食べ方とも言うべき作法があるようだ。しかし、麺は変えようがないし、お揚げは最大の魅力でもある。それをどうするんだろうと思ったが、そこで、残された出汁と薬味に関して、幾つか選択肢を用意することのようだ。1つは、出汁を別途用意する、「煮立ったお湯に、花かつおを投入して薫りを取り、創味のつゆを加えて出汁にする、あるいは甘みを加えたいときは、ぶっかけつゆ(讃岐のうどん用)を使う」。2つ目は、薬味にわけぎを投入して生々しさを出す。3つ目は、一味や七味に代わって山椒や山葵を使いこなす・・・というものらしい。いずれにしても、「蕎麦をじっくり楽しみたい」という気持ちが根底に流れているようだ。ちょっとしたことだが、幾つになっても、真面目に蕎麦を楽しんでいる姿は、親しみがわくのである。

2012/12/14

クリスマスの楽しみ

   もう、今更「クリスマスプレゼント」が欲しいと言える歳ではないが、この時期、街中を歩いていると、「おっと、いいなあ~」と、手に取ってみたくなる物を見つけることがある。特に、ブリキで作られた舶来のおもちゃを目にすると、近づいてしゃがみ込んででも、それをまじかに観察してしまう。それは、ずっとずっと幼い昔に引き戻されるような感覚になるからである。ブリキのおもちゃは、後に登場したプラスティックとは大きく異なる質感を備えていて、直線的な鋭い光沢感に満ちている。なのにエッジは丸く加工してある。なんて素晴らしいことなのだろう。そして、そこに描かれた絵柄の精度も高い。その絵柄の先鋭度や鮮明さが好きなのである。今でも、ブリキにしかできないものは多い。

 今日は、そんな気になったクリスマスグッズをいくつか買ってきた。本来なら、ブリキの汽車だけでよかったのだけれど、他のお客さんもカゴいっぱい商品を載せていたので、ちょっと体裁が悪いと思って、あえて気になった商品を追加してレジへ並んだのである。やはり、雑貨とか舶来お菓子を販売しているショップだと、ちょっと欲しい物があっても、「客層が違うな、俺も場違いか?」とか思ってしまい、買いにくいこともあるし、長蛇の列に並ぶのも面倒になってしまうことがある。やっとの思いで会計を済ませた後は、木枯らしの吹く路上を通り、知らず知らずのうちにショップの喧騒を忘れて地下へさがり電車に乗り込む。すると、どうやらやれやれと疲れが出て、車内の温かさに力が抜けていきそうだった。

 向い側の、赤い長靴を持って楽しそうにしている子供たちを見ると、そんなもので喜んでくれるうちが可愛いよなと思うのである。もう少し大きくなったら、次は学校で流行っているテレビゲームが欲しいと言うに決まってるし、そうなると勉強そっちのけで、そればっかりやるんだろうなあ。そんなことに思いめぐらしていると、眠くなってきて「うとうと」してしまった。ドアが閉まりかけ、小学4年生ぐらいの子供たち3人組が、ガタガタと走り込んできた。彼らは、息を切らしながらドアの方を向いたまま話を始めた。お前、サンタに何が欲しいと書いたんだ?「僕は、LTEと書いたよ」。「僕もだよ、今のは遅いからね」。そうか、でも少し高いじゃねえ?「君は?」俺は、小型高性能の太陽光パネルって書いておいたよ。母さんに蓄めた電気を売ろうと思って。「ふーん!売れるの?」うん、母さんは「使えない電気カイトルビアーン」と言ってたよ。

 そんなひそひそ話のような会話が聞こえきて、全く面白い奴らだと思って、目が覚めてしまった。素直に「君は偉いね」と誉めてあげたいくらいだった。さすが社会事情に敏感なようだ。これなら日本の将来も案外捨てたものではない。今の子供達は、「いじめと闘い」ながらも、勉強して、それなりの「成果を出し」ながら、「将来のこと」を考え、さらに「家計や電気のこと」まで気にしながら学校へ通っているのだ。つまり、全方位であらゆる課題に正面から取り組んでいるのである。ひょっとしたら、お父さんよりしっかりした子供に育っているのではないだろうか。それに気がつくと、全く自分の認識が甘かったことを思い知らされたようだった。そんな子供たちは、日本の将来をどのように考えているのだろうか、ぜひ話を聞いてみたいものである。

  ・・・と、思いを巡らしながら買ってきた物を並べた。やっぱり、自分の性格と言うべきか、一種の甘さが買い物にも反映しているのかもしれない。
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補足:2年前(2010年)に同じようなGoodsを紹介しているが(下記アドレス)、その時、木製だったカレンダー(結構なお値段)が今年は見当たらなかった。それで、今年は198円の厚紙でできたカレンダーを買ってきた。それでも、中にチョコレートが入っている。
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2012/12/11

かるかんと春駒

  今まで食べたこと無いお菓子でも、おっつ、美味しい。しかも、何故かどこからともなく懐かしさが込み上げてくることがある。改めて振り返って考えても、食べた記憶はないのだが、と思いつつ、つい、自然に「美味しい・・すね」って、先輩のお土産に舌鼓を打っていた。そんな空気感とは裏腹に、みんなに配られた白い「軽羹」は、机の上に置かれたままだった。世代の違いと言うべきか、あるいは、甘い物は体に良くないと思っているのか、お菓子のお土産は難しい側面を覘かせる。それにしても、お土産を配られて、すぐに反応しないのは失礼である。


 たった、「美味しい・・すね」と、そんな一言を覚えておいてくれたのか、あるいは、何かのついでか、あるいは他に選択肢がなかったのか、ま、いずれでも構わないが、あの白い「軽羹」が、先輩から届いた。「うれしい、とにかく気持ちが嬉しい」。もうすぐ健康診断という事もあり、甘い物を控えていたところなので、益々「美味しく感じる」。口にすると、何となく、遠いすぎ去った甘さにつつまれ、こういうのって、この歳じゃないと分からないかもな・・・・なんて、大人になってよかったと思う一瞬であった。

 さて、箱の中は、四角い「軽羹」、丸い「こし餡の入った軽羹」、そして「春駒」の3種類の詰め合わせである。それぞれの由来を書いた和紙の間から「美味しいしおり」という1枚が出て来た。裏返すと、「かるかんは、生菓子でございます。開封後は目安として翌日までにお召し上がりください」と書かれていた。そ、そ、そうか、それって無理でしょと呟きながら、いくら好きだからと言って、ゆっくり時間を掛けて食べてはいけないようだ。それで、軽羹はご丁寧に二重包装になっているのか。日が経てば電子レンジで15~20秒(500W)、蒸し器で1~2分程度、オーブントースターで3~5分と、少し焦げ目がつく程度が美味しいと書かれていた。

 軽羹の原材料は、砂糖、米粉、山芋である。この原材料が、時間と共にじわじわと固くなってしまう。素朴で美味しく、日持ちしない和菓子にはこういう理由があったのである。しかし、それで、再び温めると一層美味しくなる理由も然りである。だからこそ、食べた経験のあるような気がするのかもしれない。調子に乗って食べ過ぎると、後でドスンとお腹に響く。これも米粉、山芋の仕業である。春駒は、気持ちがよいくらい、さらにドスンと来る、「うーわ」。もう夕食は要らないって感じなのである。急いで食べるより、色々二次加工をして試してみたい。
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2012/12/07

野川を散策する

   調布を横断するように流れる野川の護岸工事が始まった。この川の周囲がにわかに脚光を浴びているからだ。野鳥や鯉、鮒などを川岸まじかで見れる様に、河川敷そのものの整備とそこへ降りるような階段をいくつか用意しようとしている。しかし、それだけに留まらない。犬の散歩のような、い出立ちでワンちゃんを抱いた奥様方が立ち話をしていたり、何処からともなく集まって、川沿いの公園のテーブルを囲み、夕方まで井戸端会議を楽しむお婆ちゃん集団。何かしら、みんな怪しい面持ちで、はっきり言葉にしていないが色々御不満を抱えているようだ。ワンちゃんからも、もっと気楽に河川敷を走り回りたいと言う希望があったようだ。


  あと2ヶ月で60歳だと言うのに、いまだに突如襲う五十肩の傷みで苦しんでいる。一体どうなってるんだと、右肩を回しながら野川沿いを歩き始める。川の両脇は遊歩道兼サイクリングロードになっていて、様々な世代の人たちがウォーキングやスロージョギングで行きかう。近くに小学校もあるので、子供たちの通学路になっているし、電動椅子に乗った人達も見えるのに、自転車がスピードを出すので危険を感じることが多い。一方、長時間ウォーキングで困るのが休憩場所やトイレだが、川沿いに設けられた小公園にいくつか設置されているので心配は無い。これは、多摩川の土手の遊歩道より安心である。だから、ここはウォーキングにかなりお薦めできる。


     野川に生息する野鳥は、カワセミ、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、ダイサギ、マガモ、ハクセキレイ、コサギ、スズメ、メジロ、ユリカモメ、コガモ、カルガモなど種類も多い。群れになって集まる場所が決まっていて、集まれば、くちばしを向い合せにして仲良くするし、飛び立つときは一斉にと、秩序が保たれているように思える。人が集まるより、マナーの良さを感じるのは、どういう訳だろうか。そんな不思議発見に魅かれ、シャッターを切る人も少なくない。何か動くものを見かけるとカメラを向け、タイミングを見てシャッターを切る、それとなくわかるような気がする。


   大きなレンズを川面に向けている人と遭遇する。「428ですか?」と声にしてみると、「54だよ」とすぐに返事が返ってきた。500mm F4 という意味らしい。ボディーの左側にある、これは何ですか?「ああ、これねサイドファインダー、本体のファインダーだと、鳥が飛び立つと視界から消えちゃうんだよ、これで追っかける。このあたりでは、みんなつけてるよ」。全く素人は困るな、と言いいたい口調だった。話しかけるのは、撮影の邪魔なので早々に離散したが、再び遭遇したら、もっと色々尋ねてみたい。


    喜多見にある小田急線の車両基地まで行こうと張り切って歩いていると、途中で再び大きな白いレンズ振り回す集団を見つけてしまった。やはり、なにやら専門的に野鳥を追いかけているようだ。川沿いで大きな声で話し合っている。撮影日和でもないのにどうしたことだろう、色々話を聞いてみたい。こんな重たいものを縦横無尽に振り回せる腕力は凄いと思うが、五十肩をどうやって乗り越えたのか。
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補足:五十肩とは、傷みで肩が上がらない状態。肩内部の炎症で、肩甲骨の筋肉と骨が擦れて筋肉が傷つく状態のこと。最初は結構な痛みがらあるらしい。しばらく放置すると傷みはなくなるが、肩が上がらないなど徐々に動きが硬くなってしまう。専門家によると、おしぎ体操でほぼ解消出来るという。これで改善されないのは五十肩ではないという。予防にはラジオ体操が良いらしい。

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2012/12/04

新宿 東天紅


   一口に中華と言っても様々だが、ちょっとお昼を食べに行きたい中華のお店は、高級すぎては困るが、少し高級でないといけない。この限定的な言い回しは、本質的に中華で苦労してきた証しでもある。餃子やチャーハンを連想させる学生街にあっては二の足を踏むし、銀座の一等地にあっても入りにくい。品川に勤めていたころは、3軒ほどあったホテル内にある中華店によく出かけた。それで痛感したことがある。中華には当たり外れは少ないと言われるが、意外にそうでもない。そして、必ずしも本格的な中華料理が美味しいとは限らない。

  どのような店舗も、お客を呼び寄せるにはその立地条件が大切である。しかし、その立地条件が多少悪くても、他店とは異なる日本人向けの工夫で「美味しいお品」が用意され、それなりの競合他店を意識した価格で提供されるならば、条件反射的に思い出して、「それを楽しみに想いながら」お店に通う事が出来る。しかも、それは、多くのメニューで実現されている必要はない。特別高級料理では困るが、幾つかの主力になるシェフの自信作だけでも良い。

  今日紹介したいのは、新宿センタービル53階にある「東天紅新宿店」である。ビジネスマンだと、お昼休みに、ビル街を歩き、横断歩道の信号を待ち、センタービルのエレベーターで53階、という距離は、時間的に覚悟の必要な距離といえる。なのに、お客が絶えないのは何故だろうか。お客を引っ張る魅力がたくさん用意されているからである。お昼のメニーは、宣伝効果が高いので、どのお店でも、それなりのお品が提供されている。高価な夜のメニューに比べると、多少材料に違いがあるにしても、小安いからと言って一切手を抜かず、お店のコンセプトを貫いている筈だ。ここの東天紅のそれは、定食メニューの「酢豚」にその工夫の一端を垣間見ることが出来る。

  酢豚とは、衣で覆われた豚肉と大ぶりの野菜を甘すっぱいあんにからめた定番料理である。一口で言ってしまえばそれだけである。一般的に家庭でもよく作られるので、様々に工夫があったとしても、それは限定的だと思っていた。しかし、東天紅の酢豚は、豚肉の衣が意外にも堅目で、その中は、熱々のジューシーなお肉が収まっている。この少し硬めの衣を砕いた時の食感は良質の肉汁が溢れ出て、その堅さと熱さの対比が「独特の美味しさ」に繋がっている。そして、隣にある野菜の柔らかさが抜群に心地良く、「うーむこれは凄い」と感心したのである。たったそれだけ?と言ってしまえばそれまでだが、この食感を知れば、人生がまた少し豊かになるし大変印象に残り、後を引く事請け合いである。だから、近くのビジネスマンは「それを楽しみに思いながら」通う事が出来るのであろう。
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