2008/11/29

続デジタルカメラ9

 秋も深まり、肌寒く感じる頃は「早く家へ帰らなきゃ叱られる」という観念が僕を今でも足早にする。まだ5時過ぎなのに、もう真っ暗で玄関の明かりがボーッと燈り、たった4段しかない石段も補助車付きの自転車を上げるのに苦戦する。「ただいまー」と引き戸を開くと、いつものチリチリンと音がし、真っ暗の中から、魚の煮付けといりこだしの混ざり合ったような、様々な匂いが台所の方から押し寄せてくる。台所まで行くと大島の着物に割烹着姿の母が、「どこへいっとたんね、くろうなる前に帰ってきんさいや」と、鍋に箸を突っ込んでガスを調節しながら、きつい口調で小言を言う。ばあちゃんは、早々とコタツを作って入っている。そのテーブルとばあちゃんの間に割り込んではいると、暖かいのである。会話は、決まってテレビ番組だ「今日は、てなもんや三度笠じゃけぇ」と言いながらチャンネルを回す。画面の前には、それを拡大する大きなレンズが付いていて少々邪魔だった。

 大人になると、そんな昔の事を思い出すこともない。毎日、厳しい現実だけが待っている。歳を重ねるたびに、課題の難度が増してゆく。古くからのこだわりや愛着、あるいは「学びたかった事」への執着、等を清算できないまま時間だけが過ぎてきた。もちろん今は、常に能力以上の仕事をこなして疲れているのだ。それでも、会社の仕事が一番大切だから、これを何とか乗り切ろうと自分に言い聞かせ、冷たい風にさらされながら帰路に着く。そんなビジネスマンも多いことだろう。

 しかし、途中で、こんな情景に遭遇したら、きっと、何か遠いところから声をかけられたような気になる筈だ。店全体を見回し、何屋さんなんだろう、と不思議に思い、ちょっと行き過ぎては、また戻る。どこか懐かしく、楽しかった時代に引き巻戻されていきそうだ。「これは、結構古いぞ」しげしげと壁に貼られたポスターを覗き込み、なんでも鑑定団になったような、うれしさが湧き上がってくる。やや興奮気味の中にも、ところで、「七輪」って今の人にわかるのかなあ、と自分を現実に引き戻そうとする。漸くすると状況が見えてきた。残念だが僕には食べられない。しかし、この店の気概と心意気を感じる。その雰囲気だけで、なんとなく一寸だけ今の課題から逃れることが出来た。忘れかけていた自分を取り戻し、元気が湧いてくる。

 人は、昔の事を思い、少しだけ無邪気になってみるのも良い。そのきっかけを、いつも探そう。とにかく、「元気で頑張ってさえいれば、何とかなる」し、健康でさえいれば、間違った考え方も離れてゆく。人間本来の優れた道徳観と理性を遂行できるのである。もちろん、個人の尊厳を傷つけられる前に自己を防衛できる。欲さえ出さなければ、自由度も増し、より自己の理想にも近づく。毎日が自然体で楽になれば、チャンスは必ずやってくる。それを見逃さないようにしよう。無欲の勝利こそ美しい。 

 今日の画像比較は、夜景になる。ぜひ、今の緊張を帰りに解きほぐし、本来の活力を呼び戻してほしい。そんな、1フレームを紹介する。(毎日そうしてもチャンスの来ない人もいる)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら。(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21726&app=WordPdf

2008/11/26

自作料理4

 食事を作るのは、人として最低限度の行為である。自分が食べるものを人任せにするのは、人生を人任せにするのと同じだ。こんなことは、分かりきったことであったはずだ。そんな、基本的な事を俺は忘れていた。本来ならば、素材も0から作らなければならない。自分で畑を耕し、種を撒き、毎日、朝に夕に手をかけて作るべきだ。かつて、裏の畑で、ばあちゃんが丹精込めて作っていた野菜を覚えているか、きゅうり、茄子、トマト、パセリ、など、様々なものがあった筈だ。ばあちゃんは、よくその畑付近で草むしりをしたり、水をやったりして野菜を可愛がっていた。おまけに、茄子やきゅうりと話もできる。猫までも、ばあちゃんには尻尾を立てて、ズリズリしている光景を良く見たものだ。歳を重ねた人には、植物や動物の微妙でわずかなメッセージを受け取ることが出来るようになるらしい。そのくらい、木目細かい感性を駆使して育てているのだ。

 そんなことを考えたら、このトマトをいただくのに、たいそう恐縮してしまう。ひょっとしたら、たった144円/1個で買ってしまったことに罪悪感さえ覚えるのだ。多くの人たちの愛情と手数によって、たまたま、今、俺の胃袋に納まろうとしているわけだ。同じ畑で育ったトマトの兄弟は、ひょっとしたら天皇陛下がお召し上がりになるかもしれないのだ(ないない!)。そんな大切なトマトを簡単に食べては申し訳がないし、何の社会的貢献もない俺に、それを食べる資格があるかどうかさえ不安になる。もし、今、この隣にトマトを育ててくれた人や、運んでくれた人にがいたら、「いいすか?、本当に食べていいすか?」と問いかけるに違いない。今日はそんな気持ちで、創作活動に入ることにする。

 トマトを使うとするならば、トマトジュース缶やトマトのホール缶を使えばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、それは大きな缶違いである。生のトマトは生きている。皮もついているし、種もある、芯も残っているわけだし、何しろこの生き生きした生命力が残っているのだ。料理になってしまえば、結果的には同じように見えるかもしれないが、同じように見えても異なる物体はいくらでもある。物事を外見だけで判断してはならない。そして、もちろん最終的な状態だけで判断するのも良くない。農薬をたくさん使ったものと、そうでないものは簡単に見分けがつかないし、ばあちゃんは、昔から、ばあちゃんであったわけではない。様々な経験を通してトマトの話に耳を傾けることが出来るようになったわけだ。

 今のトマトは温室である。この不景気でまだ油の高い時期にトマトが風邪をひいてはいけないと思い、暖かくしてくれているわけだ。だから、マーケットに並んでいても元気なのだ。そのような本質的な違いを、自分の五感でかぎ分けらないとすれば、感性に欠けるし、この生のトマトを食べる資格はない。

 と、生産者側のことを考えながら、結局、自分でトマトを作ろうとすると、長い経験と愛情を持つ専門家には絶対にかなわないのである。それを認識した上で料理を始めようと思う。この生のトマトの持つエネルギッシュな生命力を生かすために、細心の注意を払おう。 そして、食べてその違いが分かったら、今こそ「このトマトを育ててくれた人」に感謝しようではないか。
今日はこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C4/%E8%87%AA%E4%BD%9C4.pdf

2008/11/22

続デジタルカメラ8

 今日は、16時40分ぐらいの夕暮れ時の写真である。お散歩カメラでは、様々な条件で撮影されるため、このようなケースもありうると考える。しかし、一般的には、太陽に向かって撮影することの方が多い。太陽に向かって撮影すると、微小な角度の違いにより画像が大きく変化し、2台のカメラの比較には適さない。むしろ、作画領域の比較になりかねないので避ける(家族や友人に自慢するならば、太陽に向かって5カットも撮れば、いつでも簡単に面白いのが撮影できる。ぜひ試してもらいたい)。自然界は、気温が下がれば下がるほど空気の透明度が増し、遠くまで鮮明な画像が得られるが、今の時期は、まだこの程度である。それでも、寒気の入った日を狙い打ちした。その成果の1つとして画像から雲をなくすることができた。行き当たりばったりの撮影は、それが画面に反映されて後々不満を残したり、散漫な画像になりがちだ。そうしたくなければ、あらかじめ、それなりの準備とロケーションの下見等をしておく必要もある。写真撮影用に使える時間帯は約20分間である。その中の5分程度の時間で2台のカメラを交互に交換使用し、太陽が画面左側に落ちて行く方向でシャッターを切った。

 実際の撮影写真は、上と下に画像があり縦横比3:2であるが、上下の画面をトリミングして横長に仕上げた。したがって、左右でピクセルは、Panasonic 3800、fuji 4000 でリサイズは一切していない。色味については、フイルムならば、もう少し色は濃くなり、マゼンタ系がもっと出るように思う。それが、この写真の大いなる違和感といえる。そのためだろうか、この2台とも少し色を濃くする「夕焼けモード」を備えている。しかし、この「夕焼けモード」で撮影してしまうと、カメラの比較ではなくて、画像処理の比較になるため、ここでは、従来どおりのモードにして撮影した。実際の楽しみとして使うならば、その「夕焼けモード」の方がそれらしく見えたり、楽しく使えるはずだ。

 このような情景をウォ-キングの途中で遭遇したら、ぜひ撮影してみてほしい。どのような立派なカメラを使っていても、もう少し「良いカメラ(レンズ)を買っておけばよかった」と思う瞬間になるからだ。受光部の色フィルターがRGB原色なので、このようなYMCで構成される画像は、余り得意とはいえないし、レンズのコーティングによる影響も出やすいからだ。このように、元と比較して忠実度を問題にするとか、自然界の発色を重視するような人には、不得意な画像になっている。しかし、その価値観もこれまた様々で、この季節、毎日のように、このような情景を撮影するこだわり派も多い。撮り方にも影響されるのかもしれない。

 撮影画像に対して細かい事を問題にするようになれば、次から次へと買い換えてカメラやレンズをテストする羽目になる。それ自体は、悪いことではないが、お勧めできることではない。得意、不得意を把握しておけばよい。カメラが小さいことの方が価値があるからだ。

 PDFの中には補足説明はないが、PDFにしてみると画像左右1/4ぐらいはトリミングしたほうが良いと思える。このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21655&app=WordPdf

2008/11/20

続デジタルカメラ7

 懐かしい喫茶店に入ると、そこは、昔のままだった。
 ここだけ、時間がゆっくりと流れている。遠くから「お好きなところへどうぞ」と声をかけられ、入口の近くに腰を下ろした。入口からそそぐ日の光は紛れもなく2008年のはずだが、室内は当時のままの面影を残している。つい、心地よい、その時間の流れに身をまかせようとする。いやいや、とりあえず珈琲が出てくるまでは、その心地よさに浸っていたい。いつの頃のことか、雲をつかむような断片だけがよみがえってくる、そして徐々にその時代に引き込まれてゆく。

 トントン、「おい、開けてくれ」としゃがれた声が聞こえて、それは、いつもとは違うが、確かに彼の声だ。アンプのボリュームを落とし、ドアを開けると、そこには、襟から袖まで血で染った彼が、青白い顔をして倒れ込もうとしていた。「おい、どうしたんだ、早く入れ」と石油の煤が臭う部屋へ抱えこんだ。彼は床にしゃがみこみ、丸く横になった。私は、状況が全く分からず立ちすくんでしまった。学校では、まじめにノートをとりながら真剣に授業を受ける男で、毎日毎日が実直そのものだった。まるで、戦前の学生をそのまま絵にしたような、まじめな、お前が何でこんな目にあわなきゃいけないんだ。訳を知りたいが、「まさか」と思う気持ちと、半ば激怒しなければならない立場の自分が、口調を荒げて言葉を投げかける「誰にやられたんだ」。少し沈黙が続き彼は、「機動隊にやられた、やつらは鉄パイプを振りまわして、無差別に攻撃してきたんだ。俺はデモに参加しただけだ。」と体を動かすこともなく口を開いた。

 そんな事は、当時は既に遠い昔の話(3年前)だと思っていたので、少しためらったが、タオルを絞りながら「もう、馬鹿なことはやめろ」と口を荒げてしまった。やるせない気分のまま、再びやかんをガス台にのせ、丸く横たわった彼を見ながら、静寂が暫く続いていた。なんて言葉をかければ、分かり合える会話になるのか自分では予想もできなかったのだ。自己主義の自分と、恐らく犠牲的精神を持った彼との間には、大きな隔たりがありそうだった。残念なことに自分は、「友人として、学友としての彼」を思いやる立場でしかなかったのだ。

 たとえ、即席珈琲でも冷えた体を暖め、時間がたつと平常心に戻り、「友人に迷惑をかけた」という気持ちが湧き上がったのか、いつもと違う情けない彼をのぞかせた。首と体がねじれたまま話し始めた彼の、信念にも似た「このままじゃ、日本は駄目になるんだ、分かってくれ、今の俺に出来る事をしたかったんだ」という言葉がいつまでも印象に残っている。今でも、その時の情景を度々思いだし、息苦しくなることがある。35年前の話なのに、昨日のことのようだ。

 と、深呼吸をしていると「お待ちどうさま」と珈琲が届き、カップがテーブルに置かれ「コッン」と言う音で我に返る。未だ半分も過去から抜け出せないまま、 首と体をねじりながら、ああ、こんな感じだ。今、思い出した事を忘れないように、ここで写真を撮っておこう。「お姉さん、こっち向きで写真とってもいい?」と声をかけながら入口を指差す。「どうぞー」と帰りながら部屋の隅々まで響くように了解してくれた。彼の考えていた事のほんの僅かかもしれないが、今の自分なら「理解できる」と思いながら、同じようにミルクと砂糖を入れた。

 今日は、その午後2時過ぎの室内の1フレームを紹介する。PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21715&app=WordPdf

2008/11/18

ゴールドラッシュ

 いまどき、気持ちが優れないのは、君だけではない。宝くじを買っても、一生懸命仕事をしても、ますます将来の不安が募ってきた数ヶ月だ。テレビのニュースを見ながら、国会で 「基本的には」 を連発するジジイは分かってんのかよ!ほどこしならいらねえよ、でも選挙対策なら少な過ぎるぞ、それにしても、「他に役に立つ使い方できねーのかよ!」もっと、頭使えよ!とぼやいてもしょうがない。アインシュタインも言っている。「他人に期待するのはよそう、他人も自分と同じ人間なのだから」。でも、そんなことはない、今の若者達は違うのだ。もっと苦労してるし、頭も使ってきた。ジジイより、賢いのだ。だから、将来の事を考えすぎて失望してはならないし、大切な時期に卑屈な想いをするのも良くない。目に見えない何かに脅えていても、冷たく時間が過ぎるだけである。

 1ついえる事は、結果が出るのは随分先になるにしても、世の中、これから間違いなく変わる。その変わり目の今こそチャンスなのだ。そして、これから繊細かつ大胆に能力を発揮するために、もっと、自由奔放な人生観を持とう、だから、たまには破目を外して、今週末は仲間や彼女と渋谷で朝まで呑み明かそうではないか。 渋谷は、強靭な肉体と底抜けの明るさを備えた若者だけを受け入れる。とにかくパワーが必要なのだ。疲れていても、彼女に「つまらない男」と思われないように、朝まで元気で付き合わなければならない。今日は、そんな君に、元気が維持できるハンバーグ店の紹介だ。

 この店は、カウボーイ時代の古いアメリカを思わせる空間になる。金脈を掘り当てるために集まった、カウボーイ達はハンバーグと4皿分もあろうかと思われる大盛りのライスを食べている。まさに、この街の胃袋を象徴するかのようだ。あちらも、こちらも、空気までも牛肉である。コンクリートの床は、下の階のライブの低音だけが響いてビートで揺れている。全く、外からは想像すらできない世界だ。暑くても、寒くても、いつも同じジーンズの上下とTシャツで、ちょっとロングヘアな、いかした男(いまどき?)が似合う。BGMは、「荒野の一人」のテーマがいい(ないっ!)。朝方、いつ車に引き殺されるか分からない現代では、やはり、腹いっぱい牛肉を食べ、元気で四方八方に気を配り監視しながら、機敏に動き回れることが重要なのだ。そんなパワフルな男だけが金脈を掘り当てられる。ハンバーグは牛肉100%である。もちろん、ベースになるものは同じだから、練りこみ素材、量(g)、トッピングなどを添え変えればバリエーションが広がり、熱いうちに上からかけるオリジナルのソースが風味を引き立てる。この仕組みこそが生産効率重視の比較的安価なハンバーグを提供できる背景といえそうだ。

 さて、今週末の君の使命だが、渋谷の「東急ハンズの1階正面」の、道路を挟んだ向う正面に「バイク店の左にエレベーター」がある。それに乗って4階のボタンを押せ。ゆっくりとドアが閉まり、僅かに縦に振動しながら動く、しばらくするとモーター音が止まり4階のドアが開く、そこがコンタクト地点だ。新たな店に行くのに脅えてはいけない。分かりやすいので地図はない。まず、そこで、この写真の席に座るのだ。ミッションは、MENUのガーリック・ハンバーグの欄に書いておく。味は俺より、もっと確かな「デブ男2人」が確認済みなので心配はない。格好は、自分の考える「一寸汚れたワイルド」な感じでまとめてほしい。セクシーなエージェントがコンタクトしに来たら、合言葉は「まいう」だ。では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5.pdf

2008/11/15

続デジタルカメラ6

 猫さんの写真集はいつも面白いし人気も高い。猫嫌いの人も少なくないので、大きな声では言えないが、吾輩は猫好きである。だから、猫さんと仲良くしたいと常々想いを寄せているが、大概は猫さんから誤解をされて、近づこうものなら、さっと逃げられてしまう。飽きもせず、見かけるとつい声をかけるが、そっぽを向かれ、すた、すた、と物陰に隠れてしまう。

 かつて25年位前に、家にも「ライオン丸」という猫がいたが、現在は彼の写真しか残っていない。当時は、朝方まで仕事をする境遇だったし、彼が、帰宅する頃がちょうど仕事も終わる頃で、その余ったフィルムでよく撮影をした。3板式カメラ・テストの6x6フイルムの間のフレームに今も残っている。部屋のスピーカの前にも、その代表的な2枚を写真建てに入れているが、いずれも、彼は疲れて眠っている。それでも、それを見て和むことも多い。写真の中にいれば、健康状態を心配することもないし、喧嘩で怪我をして大手術をすることもないからだ。写真は、個人的な理由による場合が多く、古い写真で昔を思い出すことも多い。それによって記憶を効率的に整理することや、情緒を豊かにすることもできる。

 自分の飼っている猫でさえも撮影が難しいのに、写真集で何故あんなに面白い写真が撮れるものだと感心する。きっと、そのカメラマンは、猫さんと事前の打ち合わせや、取引をしているに違いない。いつか、俺もそうなりたいと願っているが、どうも、うまくコミュニケーションが取れない。しかし、まれに、仲良くできる場合もあるが、必ずと言ってよいほど要求が先に出る。生活がかかっている仲間がいるようで、最低でも猫缶3週間分の内餌が相場らしい。もちろん、その後のサポートも必要だと言う。そんな中、「きじ猫さん」だけは、初対面でも仲良くしてくれる場合が多い。そういえば、ライオン丸も「きじ猫」であった。

 話は少し横道にそれるが、下の階に住んでいた霊能者のおばさんが、うちの玄関に立ち「お宅、猫を飼ってる?」と尋ねたことがある。「いいえ」と返すと、「いるわよ」、俺の部屋の方を指し、「今、そっちへ行ったわよ」。部屋から持ってきた写真を見せながら「こいつ?」と聞くと、「そうそう、これよ」と言われた。なんとも不可思議な話だが、いまだ成仏できず、家でちょろちょろしているようだ。そういわれてみると、時折「ライオン丸」が、俺の右肩の方から布団へ入ってくる夢をみることがある。

 今日は、そんな霊現象ではなく、実体のある「猫さん」の写真だ。旅先での初対面にもかかわらず、よく我慢してくれた。猫好きな方に解説は必要ないと思うが、スペースがあるので補足をした。おっと、霊能者のおばさんの話は別の機会に。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21714&app=WordPdf

2008/11/12

吉祥寺砂場

 蕎麦屋は、蕎麦粉の歩留まりが良いというのもあって、古くから「他より、ちょっと美味しいだけ」で儲かる、上手に「経営する」とすぐにビルが建つと言われてきた。そのような背景から、脱サラで蕎麦屋を始める人も多かったが、今は、そんなちょっと美味しい蕎麦屋も危うい状況になりつつある。今、外食をする人が減っている。そのせいか、いつもの食堂で出される料理の品質、量共に劣化して、お客が離れ、悪循環が始まっている。当然、決断の早いオーナーは、とっくに店じまいをしている。昔のお店を訪れて閉店の看板を見ると、寂しい思いをする。「渋滞に巻きこまれ、間に合わなかった救急車の運転手の気分だ。自分一人の責任ではないが、とても残念に思って見送る」そんな情景だ。半年前あたりから、そのようなケースが徐々に増えて、取材に訪店しても、紹介しにくいお店が増えた。今後は、暫く次々と閉店が続くに違いない。我々が、僅かな違いを評価して「ひいきにしていたお店」ほど、そうなってしまいそうな感じを受ける。早いうちに「食べ残しがないよう」に訪れておくことにしたい。

 ここは、神田の蕎麦屋のように、明るいうちから大工の頭領が、お酒をちびちびやっているようなお店ではない。たいがい、男女の二人ずれが訪れる。この街は若者で溢れ、エネルギッシュで、かん高い声で遊びまわるちびっ子もたくさんいる。店頭には山のように品物が並び、レジで順番を待つ人も多い。今もバブルの時代を髣髴とさせ、依然街全体が快進撃を続けているのだ。土日、祝日などは、幼い子供連れか、若い男女か、女性のグループか、・・・・他とは大きく違い、街中に、じじ、ばば、は目立たない存在なのである。いや、じじ、ばば、まで「お洒落に若返ってしまっている」のかもしれない、そんな高揚する雰囲気がある。

 今、若者に蕎麦好きが増えている。しかも、うるさいやつが多い、いやいや、騒がしいのではない。彼女に向かって、「蕎麦はこうして食べるんだとか、蕎麦湯はこう使う、オーダーの順番はこうだ」とか、○○のお店は「そばつゆが辛口」、この店は「箸の材料が本物」と、聞く耳持たずとも、わざわざ小耳に挟んでくれて、妙に私までも楽しくなる。彼らは、我々の時代より、はるかに楽しみ方を心得ているのだ。実は、そんな作法や流儀よりも、本当はもっと大切なことがある。それは、その店の馴染みになる、つまり「頻繁に顔を出し、同じ席に座る」事である。これこそが、「職人との勝負」する基本ルールなのだ。たとえ、それが「もり蕎麦」1枚でも構わない。そして、お勘定は明るく「ご馳走さま~あ」と奥に向かって声をかけることだ。この、「職人にちょっとした緊張感と、大いなる喜びを与える」のが常連の責務といえる。通へば、通うほど、お店の方から大切にされるし、珍しい味の試作も出たり、小品の楽しみ方も教えてくれ、「由来」も伝授してくれる。これも、客の喜びの1つである。しかし、食べ方について尋ねると、「いいえぇ、お好きなように食べてください」と言われるだけであるが・・・。

 先週、山から降りてきて、無性に蕎麦を食べたかった。山の中には「手打ち蕎麦」の看板が目立ち、妙に刺激を受けたからだ。でも、ありがちの味醂醤油の「そばつゆ」で落胆したくなかったので、誘われて寄る気分ではなかった。そこで、今、この店のいつもの席に座っている。
 撮影は、F1に詰めたフイルムが余っていたので、これでまかなう。照明とフイルムのせいで、若干いつもと色味が違うが、お許しいただきたい。
 では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A0%82%E5%A0%B4/%E7%A0%82%E5%A0%B4.pdf

2008/11/08

自作料理3

ここまで簡単に、しかも15分で作れるとしたら、仕掛けを知らない人は驚いてくれるに違いない。是非効果的に応用してほしい。自分が食べて楽しむのも良いが、戦略的にも活用できる即席のナチュラルな一品である。

 夜遅くまで、一生懸命に受験勉強をする息子さんを抱えていたら、時には、父として何か協力してあげる必要がある。テレビのお笑い番組を見ながら、ただ笑っていてもしょうがない。一緒に戦ってこそ親父である。そんな時、喜ばれるのはやはり後方支援といえる。いやいや、目に見える形でないといけない。SHOW the FLAG である。そんな時こそ、迷わずこれを作って差し上げてほしい。ついでに部屋まで出前でもして、「母さんは寝てるから、父さんが作ったんだ」と言い訳でもしながら、一発訓示でも、「学歴がすべてではない、しかし、学問のアスリートって言うのもいいんじゃないか」とかなんとか偉そうに余裕をかまし、微分方程式の1つでも解いて見せれば完璧である。

 翌日から、自分への産業廃棄物扱いはなくなるに違いない。いや、心のどこかで「親父も俺の事を考えてくれている」と、大いに親父の株価も上がるだろう。平素会話がなくても、美味いパスタと数学の出来る「すげえ男」と影で尊敬されるに違いない。 こういう「意表を突く」行為は、息子に大いにインパクトを与え、いつまでも記憶に残ることなのだ。特に、息子が苦しんでいるときほど効果的といえる。また、腹が減っていれば何でも美味く感じる。涙が出るほど美味いとは、このタイミングだ。チャンスは生かさなければならない。反面それは、将来回収できる投資とも言える。たとえ、会社の人員整理のメンバーに組み込まれて失業しても、「親父、今まで頑張ったんだから、少し楽でもしろよ、俺もバイトするからよ」といってくれるに違いない。もちろん、そんな甘くはないかもしれないが、そそぐのは、珈琲だけではいけない。出来るときにこそ「愛情もそそぐ」必要があるのだ。

 今日は、アサリを使ったスパゲティーである。俗にボンゴレとも言うが、さほど大げさなものではない。あくまでも、「もどき」である。腹が減っていれば同じにみえる。決め手はやはり、アサリである。特殊な真空パックになっているものを用意する。ここが最大のポイントといえる。繰り返しになるが、たった15分で作るためにはこれを使うしか手はない。大型マーケットで見つけることが出来る。見かけなければ製造元(PDFに記述あり)に問い合わせてほしい。アサリは、鉄分やミネラル、ビタミンを大量に含み、栄養価は高いし、人類の歴史的裏づけもあるので、誰にでも「美味しい」と思ってもらえる。スパゲティーは、消化吸収が早いので胃腸の負担も最小だし、まさに受験生にぴったりの夜食だ。そして、これから寒くなるので風邪をひかせないためにも、「みじん切りにんにく」をたっぷり入れてほしい。通常は、白ワインを使うらしいが、日本人には日本酒が合う。あとは、従来どおりでOKだ。
ではこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C3/%E8%87%AA%E4%BD%9C3.pdf

2008/11/05

続デジタルカメラ5

 (前回の続き)出来れば太陽が真上にいる午前中に山頂に上がりたいので、早々とリフト乗り場へ向かう。昨日、夜半に雨が降った。そのせいで、朝から遠くがかすんでいる。それもあって、気持ち的には半ばあきらめムードだった。順番を待つのに、ちょっとわくわくするのは、楽しみにしていた証拠だ。それにしてもリフトは便利だ。腰掛けていれば山頂へ連れて行ってくれる。苦労しないで撮影すると、また、撮りにくればいいやと気が緩む。そう、便利なものは、ついそれに甘えてしまう。オートホワイト、オートフォーカス、手ぶれ補正でつい撮影を安易に考えてしまうが、それがどんどん自分を駄目にする。いや、果たして本当に駄目にするのか、むしろ、逆だ。不満がつのるに違いない。手ぶれ補正は回転方向の補正は出来ないし、当然、画素ピッチのミクロンオーダーまで制御できるはずもない、1200万画素と思いながら300万画素ぐらいの画質を見て、満足なんか出来るはずもない。ホワイトバランスも、精度が追いつかないと、つい青系に振ってしまうのではないか、暗いところでは、そのずれが目立つのではないか、オートフォーカスもスピードを上げると後ろ、後ろの後ピンへずれていかないのかな、フルスキャンすればピークは出せるが、時間がかかる・・・・と様々に思いをめぐらしているうちに、「レバーを上げてください」と言われて頂上に到着した。

 ここは、ひどく眩しい世界だった。近眼の俺でも、裸眼でどこまでもピントが合ってしまうが、順光撮影では、やはりデジタルカメラの液晶モニターが背後に位置する太陽光を反射してしまい、まるで見えない。4x5で使う黒幕か専用フードがほしかったと反省。それでも、適当に4箇所移動して撮影する。背中は既にびっしょり汗ばんでいる。基礎代謝が高い証拠だ。そのせいか、汗が出るとなんとなく心地よく気分も良い。冷たい風が緊張感を与え、太陽はしっかりと俺の背中を捕らえている。しかし、どのフレームも気に入らないまま、仕方なく再びリフトで降りる。気に入らなくても目的を達成するため、余計に撮っておくのが取材の基本だ。この歳で、言い訳は許されない。リフトを降りて再び次を目指し、山頂のふもとを歩くが、いいところに限って電柱が邪魔になる。山頂の姿に目を向けながら、その回りを移動するが、どんどん時間ばかり過ぎてゆく。今、仮に撮れていない不満でシャッターを切っても、後で消去するだけだ。それにしても、太陽はどんどん遠のいてゆく。

 11月にもなると、日暮れが早い。結局2フレーム追加しただけで3時過ぎに、もう終わりだあ・・と思った。殆どは移動時間だが、思ったよりてこずった。それでも、なんとなく不満は残るので、ロスタイムだけどもう一発だけ、と太陽に叫ぶ。ここで最後の駄目押しをしようと思う。ところが、Fuji がすねてしまい、ピントを出してこないのに慌てる。壊れたか?どうもフレアーに苦しんでいたようだ。場所を少し変えて、再び仕切りなおしだ。あせりは、返って思わぬミスを伴ったり、ポカをやることがあるので、注意深く最後のショットを撮る。この緑の木漏れ日をどのように処理するんだろうと楽しみにする。しかし、撮り終わっても、何故か不甲斐なさだけは残っていた。

 今日は、その最後のロスタイムに撮った写真を見ていただこう。少し時間差があり、太陽の位置がずれているが、お許しいただきたい。(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21713&app=WordPdf

2008/11/01

続デジタルカメラ4

 今日は、ある山の中へ来ている。早速現場から報告する。昨日、駅を降りて延々と2.5km以上坂道をあがってきた。坂道は高い心肺能力を要求する。心臓はバクバクだし、シャツと背中の間で汗が渦巻いている。限度いっぱいいっぱいの体を引きずりながら一歩一歩前へ進む。平場で12km(週2回のウォーキングコース)を歩くより、はるかにきつい。と思いながら、裏腹に途中で一息入れて煙草を吸う。これがまた、頭の芯まで即効でニコチンを搬送し、ひどく聡明になる。荷物は当然F100fdとFX500と取説、着替え2日分と24mmレンズ付きF1(フイルム撮影用)と露出計、その他洗面用具と薬剤一式(何が起こるかわからないので胃腸薬、目薬、風邪薬、花粉用の薬、ビタミン剤、湿布薬、など)である。あと、即席珈琲、折りたたみ傘なども入っている。取材で最も重要なのは、ペデスタルともいえる自分の体である。

 いまどき、脆弱なおっさんはいつ強盗団に襲われるかもしれない。カードは持たず、現金のみを3箇所に分けてしまってある。2台のデジタルカメラは没収されても、古いF1は持っていかないだろう。これが残ればいい。万が一、殺されても好きな事をするために来たのだから、自己責任だし、今までそれなりに頑張ってきて(回りは誰もそう思っていない)特別思い残すこともない。心の準備は出来ている。などと、馬鹿な事を考え、無心になって前へ進む。振り返ると、そういう悲観的な考えを吹き飛ばすぐらいの壮大なスケール感が待ち受けていた。

 今日は朝から撮影場所を8箇所ぐらい想定し、太陽が日暮れまでに描く軌道を考えて移動を開始する。昨日の荷物のせいで肩も張っているが、3台のカメラを携帯して出掛ける。この見慣れないスケール感をどうやって切り取るか、とてもじゃないが収まりきれない、足早に移動しながら、ここもいい、あそこもいい、しかし、それにしても、高圧線や電柱が目障りだ。とりあえず、順光が照射する側面からシャッターを切ることにする。F1から撮影開始。デジタルは、ガンマがフイルムと違うので頭の切り替えが必要だ。早々と2台のデジタルカメラのズームレバーの動きが敏感なのに困った。フレームを合わせようとすると、ちょっと触れただけで余計に動いてしまう。「なんで、そうなるの?」と独り怒りながら腐心する。フレームを揃えて適正露光から1/3ステップづつ露出補正を+側、-側へ振って終了。現場では結構面倒な操作だ。次のロケーションを探すため、再び移動を開始する。デジタルは自動機能が多いので逆に神経を使うと実感する。 F100fdとFX500の互いの操作を間違いそうになったり、画質では、2台で黒の立ち上がり、ガンマーカーブ、ハイライトの処理が微妙に違う。また、F100fdはモニターのコントラストが見づらいし、FX500はモニター画像のエッジが強すぎる。ぶちぶち言いながら、結局4フレームを収めた。それにしても、慣れたフイルムの方は簡単だ。光の状況と露出計の癖が分かっているから「こんな感じ」でいけてしまう。次は山頂までリフトに乗ることにしよう。 ・・・・・

今日は、この午前中の撮影から1フレームを紹介する。
PDFの容量が大きいので、このシリーズはこちら 。
(初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21712&app=WordPdf