2015/09/02

桃の紅茶

  商品のバリエーションの1つかもしれないが、テレビのCMで、紅茶に桃のエッセンスを移すというのがあった。桃が綺麗に剥かれて、「紅茶の中に沈んでいる映像」が僅かにフレームインしただけだが、それがしばらく印象に残っていた。今はCMのバージョンが大きく進み、そのCM映像は姿を消したが、どういうわけか試してみたい気持ちが心に残っていた。歳を重ねた人たちの中には、そういうエレガントな紅茶を楽しまれる方も多いのかな?とも想像してしまったが、杉下右京さんの世代を象徴して、やや保守的なのかもしれない。

   元々市販の英国製紅茶の種類は、後から薫り付けしたものが殆どだが、それらは輸入される時に、商品のバリエーションの中から日本人好みの種類に淘汰されてきた歴史的経緯がある。しかし、年から年中、同じ紅茶を楽しむのも飽きるので、夏場などは趣向の変わった薫りや甘みが付いていてもいい、確かに、本物の果実を使うのならば、「仕上げる手間とか、組合せる素材選び」が面倒かもしれない。さらに、不経済な使い方になる。それでも、結構な楽しみ方が広がるのではないかと思われる。

 最近は、人工的なフレーバーの使い方が、様々な分野で技術レベルが巧妙になって、本物と区別がつかないとか、身近に存在しないような薫りまで合成されている。紅茶への薫り付けは製品種類の拡大に最適の材料とも言えよう。そういえば!と思い出したのがお中元の品物の中に、たまたま白桃のフレーバーを加えた紅茶があったことだ。果たしてこれはどうなんだ?と思いながら紅茶にしてみる。確かに、桃の薫りが発つが人工的な薫りを否定することはできなかった。

 そこで、紅茶をストレートで抽出し、そこに「岡山の白桃ドリンク」加えてみた。これなら、不経済な使い方にもならないし、どうせなら、白桃をそのまま口にした方が美味しいと悩むことは無い。それにしても、この白桃ドリンク入り紅茶は想いの外美味しい。本物とフレーバーを使った紅茶との違いがこれほど大きいとは、想いもよらなかった。結局最初のテレビCMの話に戻るかもしれないが、「紅茶の中に剥かれた桃の切身が沈んでいる映像」が一番美味しそうな状態を表現していることが分る。


 

2015/08/23

割けるチーズ

  チーズを使った料理には、まだまだ可能性の残された美味しさがあるようだ。そこには、直接口にする時にも、形状であったり、食感などに未経験の美味しさが隠れているというのが、メーカーの主張すべきことのようだ。もちろん、商品単独に棚に並んだ種類だけを分類しても、既に無限といえるほど市場に存在する。柔らかいものから硬いものまで、口当たりのみならず、風味や塩気までも様々だが、さらに、チーズの持つ形状の違いによる食感の違いにも、目を付けてきたと言うわけである。チーズを薄くしたスライスチーズ、上から降りかけれる粉チーズ、そして様々な使い方が出来る「割けるチーズ」がそれである。それらは、いずれも料理を豊かで味わい深いものにしてきた。

   割けるチーズと言うのは、相当古くから出回っているにもかかわらず、地道な人気の中で、少しづつ改良が加えられてきた。実は、これに似たものを私は知っている。あくまで似たものという程度だが、それは「蟹カマ」である。割けるチーズは、暖かいうちに「伸ばしては、折り曲げ、また、伸ばしては、折り曲げ、その操作」を繰り返すことによって繊維状の形を構成する。しかし、蟹カマは細かく裁断することで、蟹肉の食感を得ようとしたものである。大昔(40年ほど前)に食品会社にいたことがあるが、その工場の片隅で幾度となく蒲鉾を使った特別注文品として作っていたのを見たことがある。左右42cm厚み5.5cm奥行き80cmもある(=上表面が5mmほど朱色に塗られている)大きな蒲鉾を縦横に順序正しく何回も裁断して、最終的に2mm角の5cmの長さにまで細分化する。それは大変精度が必要で、おまけに手間も一際で偽物という指摘は免れないまま、それでも採算性に課題を残していた。当時は、まだ限られた納入先向けの試作品レベルだったと思う。

  この2つの共通点は、食材に巧妙な「ほぐれる細工」を加えることで、より優れた食感を求め、その独特の食感によって、食感→食欲という付加価値を創造し、最終的に商品販売力に繋げると言う思惑である。うーむ、それにしても、かなり遠回りな戦略と言えたものだ。しかし、僅かな食感に優れた可能性を見出す人たちがいたようだ。そこに、素材から製品までの製造工程に、日本人ならではの「職人的要素と、他では真似のできない高い技術」が使われている。その、高い技術力を販売に結びつけるところが、独自の創造性というべき「日本のものづくりの原点」に繋がっているのである。今では、人気の高い「蟹カマ」を作る製造機械そのものを、全世界へ輸出している。

  ブロックのチーズだと、適当に裁断してそのままおつまみにするしかないが、割けるチーズには独自の特徴がある。それは、割く細かさによって食感が異なり、そのまま食べるだけでは到達し得ない「柔らかい空気感と渾然一体化した食感」を実現できるのである。また、割く度にチーズの中に埋め込まれた風味のようなものが漂い、それを料理に乗せたり、料理と混ぜ合わせたりすることで、料理の持つ味わいに奥行きが加わったり、時にはドレッシングのように料理全体の風味を増したりと、様々に使い分けることが出来るのである。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211390&app=WordPdf

2015/08/20

オークラの雑炊スープ

 最近の炊飯器には、「雑炊モード」と言うのがあるので、胃腸のことを考えて、時たま「今日は美味しい雑炊」を戴きたいと思うことがある。勿論、理屈は簡単なので、土鍋で 0からの自作も可能だ。例えば、和風なら鰹節の出汁、昆布出汁、細かくした人参、大根、椎茸、あと、塩とか醤油でベースのスープを作り、冷ご飯を加えて数分間煮立たせて仕上げる。更に、梅干しを乗せるとか、帆立を潰して加えるとか、蟹の缶詰を開けて上に乗せるとか、お好みの具材を入れれば、味としては、それなりにまとまるはずだ。

 ただ、味には独自の好みってものがあったり、何度か味見をしながら作り込むなんて、朝からそんな面倒なことはしたくない、だから「大手メーカーの洋風雑炊の素」を使うとか、「お吸い物の素」を使って簡単に作るとか、人それぞれだとは思うが、もっと「簡単に和のテイストで美味しく」と言うのが本音だ。そんな要求にぴったりなのが、ホテルオークラの雑炊スープ。同和食堂「山里」ならではの伝統と技術が伝わり、日本情緒豊かな味わいを備えた雑炊が堪能できる。

 この雑炊スープの使い方は、スープ(=250g)が袋詰めになってるので、まずそのスープを鍋に出し沸騰させる。そこに冷ご飯1杯(110g程度)入れて2~3分煮立たせる。一応これで完成である。この雑炊スープは、既に商品ごと帆立、蟹、梅など、好みを選べるので、その商品を選択した時点で味が決まっている。仕上げに何か追加するとすれば、定番過ぎるかもしれないが、とき卵を加えたり、みつば、塩昆布少々と言ったところ。

 雑炊なんて「さらっとした、柔らかいご飯と、鰹スープと椎茸があれば」十分美味しく出来る・・・と自作に自信のある方は、雑炊ごときで、何故ホテル・オークラの商品なんだ?と思われるかもしれないが、「口にすれば、うーむ、なるほど!」と美味しさに納得されるに違いない。残念ながら雑炊で思い出すのは、幼い頃お腹を壊したとか、お酒の呑み過ぎの時とかで、苦し紛れの時にしか食べないこともあって、あまり、その出汁の味にまで拘わる人も少ないかもしれないが、やっぱり美味しいものは朝から戴いて元気を出したいものだ。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212257&app=WordPdf
 

2015/08/16

圧搾法の一番搾り 亜麻仁油

  医者の考えることは、おおむね決まっていて、その周辺つまり近所の患者を継続的に増やすことである。生かさず殺さず長い間通院してくれる人が大好きなのである。しかし、中には煩わしい事を嫌い、孤独を好む変わった医者もいる。そんな先生にかかると、外来では、いつも叱られている様な錯覚にとらわれる。血液検査の結果を観ながら、「脂を採ってはいけないと言ってるわけじゃないけど、どうせ採るならオメガ3を採ってほしいと言ってるんですよ」 と先生は、その数値を指差しながら、まだ分っていないのかといった面持ちで口を開いた。⇒太り気味でコレステロール値の高めの人は、参考にして欲しい。
 
 要約すると、脂肪は「飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸」の2つに分けることが出来る。前者は、豚肉、牛肉、乳製品などの動物性の脂肪に多く含まれている。また、それは体内で生成できるので、特に意識して摂取する必要は無い。一方、不飽和脂肪酸は、オメガ3系、オメガ6系、オメガ9系の3種類に分類されていて、オメガ3系は、認知症予防、神経疾患の予防、炎症の抑制、メタボ体質の予防、血栓抑制、血管拡張、がん予防等に期待できるという。また、オメガ6は、日常的な脂としてよく使われているが、採りすぎるとアレルギー促進、炎症促進、血栓促進、血液の凝固等の危険が挙げられる。あの米国でさえも、オメガ6系は心臓疾患のリスクが高まるとして、2006年にニューヨーク市で、飲食店での全面使用禁止を条例で定めている。

オメガ3は、青背の魚の油、えごま油、亜麻仁油、チアシードオイル、インカインチオイル(2013/12/17に既に紹介) など、あえて「意識して」口にしなければならない。また、紫外線や熱を嫌うため、保存は冷蔵庫になる。オメガ6は、べにばな油、コーン油、ごま油、サラダ油、マヨネーズ などで、油炒めに使ったり、ドレッシングに使われている馴染みの深い脂といえる。また、オメガ9は、オレイン酸で、オリーブ油、キャノーラ油、紅花油などが該当する。酸化しにくく、加熱処理にも向いている。なお、オメガ9は、食べ物から摂取するほか、飽和脂肪酸と同様に体内で作ることもできるらしい。

 このブログでオメガ3の商品を紹介するのは2度目になるが、医者から薦められたのは初めてだ。
詳細に調べれば、いつでも分ることだけど、重み付けという意味では、初歩的な血液検査で、医者から言われると、そろそろ脂に注意するようにという警告として受け取れる。そこで、探し出したのが「カホクの圧搾法の一番搾り 亜麻仁油(オメガ3が56%含まれる)」である。2013/12/17 紹介のインカインチオイルは、酸化に強い反面、ナッツ風の味(サチャインチ種子風味)が付きまとい、食材との相性があるが、この亜麻仁油は、取り扱いがデリケートな反面、透明無臭で、どのような食材にも使用できる。もちろん和食にもマッチする。
 同社のホームページはこちら http://www.kahokuseiyu.co.jp/docs/index.htm
☆ホームページ上の商品カテゴリーは、外国産原料使用商品となっている。

 

2015/08/12

青森りんご100

 暑さが続く折には、無意識に冷蔵庫を覗き、清涼飲料水へ手が伸びる.。それでも、昔はラムネのような炭酸の入った飲料水が体に染み渡って気持ちいいと感じたものだが、今ではめっきり体に優しい自然に近い物を選びたいと思うようになった。しかも、体内に取り込める水分摂取の限界量も減ってきたように思う。つまり、若い頃は体から発散した分以上に摂取しても、違和感は感じなかったが、最近は、発散した水分を補う程度に抑えなければ、その後は胃腸の調子を崩してしまい、しばらく空腹感までも失ってしまうことがある。

 体に優しい自然に近い物となると、トマトジュースとか野菜ジュース、あるいはスムージーとか、どちらかといえば健康志向が強まり、重要な要素ともいえる清涼感から遠ざかってしまう。喉越しからも選びずらく(少々重たく)感じるが、色々目新しい製品も増えているので、ついつい試してみたいと思い手にとってしまう。ただ、成分表を覗いてみると多種多様な野菜や果物が含まれており、味の方向性を見失い、首を傾げてしまうこともある。

 長年の経験から推し図るとやはり、愛媛のポンジュースか、青森のりんごジュースが美味しいと思いだすことがある。自然な口当たりや喉越しが、採れる地域を連想させるほどの透明感を感じ、冬場は温めても、夏場は冷やしても、それなりに口当たりも良い。さらに、他の香料つき清涼飲料水を陳腐に感じる程の自然な風味が魅力といえる。

 先日、高級食材を取り扱うスーパーで、数段積んである「青研の葉とらず りんご100」というのを見付けた時に、そんなイメージが蘇ってきた。なにその「葉とらず」とは?(俺しらねぇ)と思ったが、迷いもせず過去の経験から数本購入してみた。それは、かつての「青森 りんごジュース100」より、味が爽やかだった。その特徴として、新たに青りんご(緑色のりんご)を直接かじった時のような風味が加わった新鮮で瑞々しい味わいが伝わってきた(あくまで個人の感想)。その風味から、改めてパッケージを眺め直してしまったほどで、さらに、在庫を用意したいと思い、再びスーパーに買いに戻ってしまった。

 では、その違いとも言える、「葉とらず」とは、いったい何を意味するのか、実は、りんごを収穫するまで、果実の周囲に存在する葉を「取り除かない」らしい。それによって、収穫する果実は、周囲の葉から光合成によって得られた栄養分(ソルビトール)を取り込む。それが酵素の働きによって、果実をより美味しくするというもの。そのかわり、収穫するまで葉を取らないので、果実の表面はすべて真っ赤にならず、葉が覆っていた部分は、まだらに黄色くなるようだ。

 このような手法で作られた「りんごジュース」は、インターネットを通じて情報が広がり、大変な評判を呼んでいるという。 
㈱青研のホームページはこちら www.ringo-seiken.co.jp 





 

2015/08/08

ミッション=インポッシブル ローグ・ネイション

 この映画のテーマ曲ほど「昔の人の心」を揺さぶるものは無い。かつて、1967年から始まったテレビドラマ「スパイ大作戦」のイントロのテーマ曲である。当時14歳の私としても強く印象に残っている。多少アレンジは異なるが、今、なお映画「ミッション=インポッシブル」で継承されてきた。そこでyou tubeにアップされた方に感謝しながら、当時を思い出してみたい。
 www.youtube.com/watch?v=erUcduVIt2A

 ミッション(任務)がインポッシブルな(難しい)ので、特殊な技能を備えた者が、さらにその腕に磨きをかけ、表向きの組織に属さないスパイ・グループの活躍を映像化したもの。つまり、この作品の面白さは、指令を出す当局は一切関知しない(関与を否定する)という、味方をも欺く難度の高い任務に、有能で失敗しない集団(組織名は↓説明)で、知恵と強靭な肉体を使って任務を遂行するところにある。「そこに、うーむなるほど」と思う、凄い見所がふんだんに盛り込まれてきた。それらは、秒を刻む程の正確に遂行する作戦であったり、その為の優れたマシンの用意や、人間の能力限界まで引き出した即戦力、あるいはメンバーの組織力であったりと、素人が考えるスパイらしさが満載であった。


 この映画シリーズの主役は、ご存知トムクルーズだが、あの「トップガン」でブレークした大好きな俳優だ。それは、F14トムキャット(艦載機)が正確無比の傑作と言われた全盛時代(28年前)に公開された映画で、ストーリーよりも、特に戦闘機の可変翼のビジュアル(コンピュータ制御:低速で主翼を広げ、高速で主翼を閉じ、旋回時にも主翼の幅を広げ高い旋回性能を得る)や背後に流れるサウンドが作品を一層盛り立てた。勿論、そのトップガン=米国海軍戦闘機戦術教育プログラムの中で、敵の戦闘機役を果たす特別有能な人材の合格メンバーを演じたことをきっかけに、その彼のイメージそのままに魅力を引き出す作品が次々と作られてきた。だが、トップガンのような映画に出演した後は、どんな作品に出演しても「少しゆるく見える」ことも確かだ。
 ☆F14トムキャットの可変翼に興味のある方のみ参考:トップガンから抜粋
 https://www.youtube.com/watch?v=vwBbrngafl0

  しかし、ミッション=インポッシブルだけは、彼自身の趣味性が強く「自ら企画を考える、不可能への挑戦」と思えるほど危険極まりない作品ばかりだ(その危険シーンを安全に撮影する技術こそスパイ作戦的技術と思わせる要素かもしれない)。確かに、観客が興奮し歓喜するから「自らがやってのける」。その気持ちこそがファンを引き付ける最大の要素かもしれない。そこで、「すべて本物という2例のアクション・シーン」のメーキング映像を参照されたい。
 こんなの見たことない!飛行機アクション
 https://youtu.be/WISQ_Uy2dV8

 撮影車、撮影機(ヘリ)も併走する、バイク・アクション
 https://www.youtube.com/watch?v=mT5Kxj4V3XA

 IMFと言っても、偉そうに他国の文化に余計な発言をした銀髪頭のおばさんがいる「国際通貨基金」のことではない。IMF=Impossible Mission Force 訳して、「難しい任務を遂行する部隊」である。なんと分りやすいことか!おっと、ついでに、今回の副題である ローグ・ネイション=Rogue Nation とは、「危険な組織、とか、ならず者国家」のこと。まあ、世界で通用する、これ以上の意味深な表現も無いと思われる。あと、作品の中でよく出てくるシンジケートとは、「人殺しをも厭わない組織犯罪集団」と考えられる。また、エージェントとは、「組織から依頼され、その代わりに行動する者」のことだが、イーサン・ハント自身もIMFのエージェントと見ることができる。それでは、今回のIMFの5人のキャラクターを覚えておこう。
   https://youtu.be/_J655H0XnQs
    
   既にシリーズ5作目になった今回のストーリーは、最後のミッションと豪語している。アクションの構成や映像の過激さからして、それにふさわしい。元諜報部員達が結成したスパイ組織(シンジケート)の活動の手がIMFにも及び、IMFは解体の危機に陥る。イーサン・ハント(トムクルーズ)は、かつての仲間と共に「世界の危機を救うため史上最難関のミッション」に挑む。それが、スタントなしで挑む幾つかの見せ場になる。共演は、シリーズ出演3作目となるベンジー・ダン(サイモン・ペッグ)、前作から登場したウイリアム・ブラント(ジェレミー・レナー)のほか、イルサ・ファウスト役の新ヒロイン(スウェーデン出身のレベッカ・ファーガソン)も参加。今回は、見所アクションの集大成とも言える作品だ。見逃してはならない。
それでは、予告編
 https://www.youtube.com/watch?v=_Dg3eAwCuVA

2015/08/06

青汁のめぐり

  改めて調べても、青汁を販売しているメーカーは増えている。サントリー、大正製薬、ヤクルト、ファンケル、世田谷自然食品、アサヒ緑健、ダイレクトテレショッピング等馴染みの他にも、4~5社ピックアップできるのに、それぞれの会社で数種類の派生商品までも用意している。先日来、ヤクルトの「まろやかケール」をヤクルト(乳酸菌飲料)に溶かして試してきた。毎日1~2回ほど飲み続けると、気のせいかにわかに胃の調子が良くなり、お通じもよく、なかなか快調と言える(個人の感想)。しかし、果たして、継続するのに、これをこのまま飲み続けるのが良いのか、あるいは、もっと何か自分に適した商品があるのか検討してみたいと考えるようになった。

  青汁の商品企画には、少なからずその会社の特徴を生かし、健康への思想や市場性が反映している。元々の青汁の理想を考えると、大麦若葉を「生のジュースの形」で摂取するのが良い。つまり、「加熱処理をすれば酵素の大半が無くなってしまう」からだ。昔からあった青汁スタンドは、ここを重視したもので、ブームの発端となった経緯がある。それには、目を見張る効果があったようだ(あくまで体験者の感想)。その次が、大麦若葉、ケール、明日葉の乾燥粉末に他の「幾つかの栄養素を加え」たものになる。混ぜ物が多くなると、何がどのように効いているのかわかりにくくなるし、曖昧な商品になる。逆に、青汁をより生かすための工夫をしたものは別だ、消化吸収を改善する目的で乳酸菌やオリゴ糖を加えたものは効果的とも思える。ただ、「飲みやすく」するために何か添加して青臭さを紛らわす目的のものは、(自分としては)論外と言える。

 最初のうちは、飲みにくいこともあって、食物繊維の代表である「抹茶」を加えたものを選ぶ人も少なくないようだが、その効果を実感しはじめると徐々に要求が専門的になって、やはり加熱処理の少ない商品を探すようになる。勿論、その効果が顕著な「生の青汁」を扱う会社もいくつかあり、ファンケルでも、冷凍の商品(プレミアム冷凍)を販売している。逆に、大正製薬はさすがに製薬会社だけのことはあって、コレステロールを低下させるキトサンを配合して別の市場を開拓しようとしている。また、武田薬品工業でも「緑の習慣」というミドリムシの入った製品(59種類の栄養素)を用意している。


 それでも結局、たとえ粉末でも製造工程で出来る限り加熱処理が少ないものから選びたい。そうなるとやはり、工場公開のヤクルトが候補にあがってしまう。やはり、そこには豊富に採れる原材料を如何に上手に工夫して、人の体に効果的に働かせるかを考えているように思えるし、またそれが、生産者を支えることでもあるという、そういった、地域と一体化した生産システムを構築している背景がより優れた商品への挑戦を促すと思われる。

  そのヤクルトから可能性を見出せる製品が、上の写真の「青汁のめぐり」で、めぐりとは、「大地から得られた緑の栄養素を体に巡らせるため、栄養素自体と吸収力に着眼し、青汁が腸の中でどのように働き、どのように機能しているかを研究した結果、腸内細菌の活性化のために、生きたまま腸まで届くガラクトオリゴ糖(自社のオリゴ糖)を加えたというもの。何故か先述の(=ヤクルトの「まろやかケール」をヤクルト(乳酸菌飲料)に溶かして)と似ているようだ。

 なるほど、食物繊維が腸内で活躍するための土壌を整備したともいえる。青汁の原材料としては、ケールと大麦若葉両方で商品化されており、基本的な考え方として食物繊維3g、ヤクルトのガラクトオリゴ糖2.5gが1日2袋で摂取するようになっている。原材料の違いを大まかに比べると、ケールは、βカロチンに加えてカルシウムが多く含まれ、一方の大麦若葉はβカロチンに加えてカリウム、鉄が多く含まれていると記載されている。結局、ヤクルトの「まろやかケール」と「青汁もめぐりケール」に落ち着いた。
同社の青汁商品ページ
https://www.yakult-hf.co.jp/products/aojiru/index.html

2015/07/31

ターミネーター(ジェニシス)

 過去に興行成績の良かった作品は、とてつもない資産を持っているのと同じだ。次回も「売上げを期待できる」という安全パイがあるので、お金もかけやすい。勿論、ファンにとっては見逃せない作品になる筈だ。おおよそストーリーの予測はできているにしても、CMであの「テーマ音楽」が流れたり、懐かしい「フレーズ」が聴こえてくると、ついつい無意識に興奮が蘇り、全身からパワーが漲って来る(あくまで個人的な反応)。

 また、主演に愛着を感じ、どんなに激しい敵の攻撃にも、絶対に殺されない(壊れない)ので、ファンとしてはそこも安心だ。今年の夏~冬は、この手の作品が顔を揃えている。ターミネーター、ミッションインポッシブル、007は外せないだろう。ターミネーターは、今回5作品目だが、3,4作品は、やや人気に陰りがあったせいか、5作品目の今回は「新起動」と言う副題が付けられている。それでは、何が違うのか、過去のターミネーター1,2作品の流れと、最新作の 5作品の背景から観てみよう。
   https://www.youtube.com/watch?v=LacFZxODnC0

   その手の専門筋の人の話では、ターミネーターと聞けば、電気回路に実装される終端抵抗を思い浮かべるらしいが、この映画シリーズでは、未来から過去に送り込まれる殺人ロボットを指す。名は目的を表すのか、めっぽう強靭に作られていて、ミッションを確実に成功させるという意味が込められている。その型名はT-800で、1985年からその役を演じてきたのが若き日のシュワルツェネッガーだ。今回も同じT-800だが、ガーディアン・ユニット(学習機能)装着済み(以降:T-800 ガーディアンと呼ぶ)として登場する(現在のシュワルツェネッガーが演じる)。


 そのほか、ターミネーターには、イ・ビョンホン演ずる液体金属製のT-1000、さらに今回は、ナノ粒子細胞から構成されているT-3000が初めて登場する。T-3000の特徴は、元々は黒色のナノ粒子細胞だが、「接触したすべての対象を複製して擬態化(ジョン・コナーに接触)」する。この2モデルがT-800 ガーディアンとサラ・コナーに襲い掛かる。性能から言えば、勝ち目の無い状況なのに、T-800 ガーディアンは何度か本音をこぼす。それが、「古いが、ポンコツではない」。この言葉には「学習してきた知恵」があることを示唆しており、これこそ、「往年のファンの心」を鷲掴みにして、心を揺さぶるメッセージと言えよう。見終わって映画館を出るファンとしては、より力強く知的な自分を実感できる筈だ。

 見所は、まず、T-800の旧バージョン(若き日のシュワルツェネッガー)とT-800 ガーディアン(現在のシュワルツェネッガー)が戦うシーンが挙げられる。予想外の展開といってしまえばそれまでだが、ガーディアンというバージョンを設けることで達成できたシーンと言えよう。そして次に、ガーディアンを襲うT-1000,T-3000の若干の弱みに関する映像表現の面白さが挙げられる。我々の持つ古い知識では、難解極まりないテクノロジーで裏付けられているようだが、あえて挙げれば、MR搭載型スパイラルCT(今だ存在していない)の放射線と磁場に引き寄せられて、ナノ粒子細胞が崩壊してゆく(すぐに復元する)T-3000の姿は極めて独創的で興味を引いた。あと、CMで見慣れてるとは言え、スクリーンでのバスの長手方向の宙返りには驚愕する。それでは、第1,2作品の監督・脚本であるジェームスキャメロンの感想を聞いてみよう。
  https://www.youtube.com/watch?v=jsWMiiqbHPI

   作品全体のアウトラインを覗いてみると、ターミネータは、スカイネットと呼ばれる人工知能(地球防衛システムが反逆して人類を滅亡させようとする)の管理下にあった。人類抵抗軍のリーダー(人類の偉大な指導者で、キリストのような立場:ジョン・コナー)の存在をなかったことにするために、リーダーの母親(聖母マリアに象徴:サラ・コナー)から抹消すためにターミネーターを過去へ送り込む。T-800 ガーディアンは、真逆に再プログラムされ、サラ・コナーを守るために過去へ送り込まれていた。また、ジョン・コナーの戦友とも、弟分とも言えるカイル・リースも自らサラ・コナーを守るために過去へ旅立つ。それでは、彼らの顔ぶれを見ておこう。おっと、あの「セッション」で鬼教師を演じたJ・K・シモンズもオブライエン役で登場している。
  https://www.youtube.com/watch?v=0txMHrFnoZ8

  ストーリーを追いかけて楽しむというよりは、映像表現を楽しむ作品と思われがちだが、「新起動」した(むしろ→ジェームス・キャメロン脚本版の継続)ことから、この作品は、次も、その次も存在するだろう。既に、第5作品にも、第1,2作品を継承する部分が多分に含まれていることから、その継続性の中に往年のファンだけが楽しめる部分があったり、ストーリーの謎や面白さが先行き浮き彫りになることも期待できる。上に挙げた3本の映像を観れば、作品への印象も少し違っていた事に気づくに違いない。ここは、1つターミネーターに興味の薄い人も、「暑気払いのつもり」で観ておきたい作品の1つと言えそうだ。
 

2015/07/29

スムージーキッチン

  少し前、紙パックで供給されるアサイーのスムージーを紹介したことがある(2014/11/28 )。確かに、これは美味しかった。しかし、生のアサイーのスムージーの風味には及ばない。しかもそれは、微妙な違いと言えるものでもなく、まるで別物に思えた。つまり生のスムージーは、やはり、加熱処理したスムージーとは「風味」に大きな開きがあり、そこには一口目から「さすがに、美味しい」と言葉にできる程の要素を秘めている。かつて生の青汁や生ジュースのスタンドのお店が散見される時代があったが、今から思い出すに、その提供者はその辺りの効能が良くわかっていたようだ。ただ、残念ながら、我々一般消費者にはそれが伝わっていなかった。

  私のような不勉強者は、「果汁100%」の表記や「濃縮還元」と言う言葉に迷わされ、徐々に「生の風味の持つ美味しさ」が分からなくなってしまったのかもしれない。さらに、新鮮な野菜や果物は、加熱処理することで「ビタミンや酵素などの栄養成分」が大きく低下することが知られている。今なら、もし果物のスムージーをその場で提供するお店を見つけたら、少量でも生のスムージーを戴くようにしたい。その「風味」の良さと、さらに本来の「生の野菜や果物が持つビタミンや酵素」などの飛び散るほどの栄養成分を加味すると、なおさら生の持つ価値が「価格差で表現できない違い」となっていることが分かる。

  とは言うものの、新鮮で美味しい生のスムージーを毎日戴くには、それ相応のコストと手間が掛かる。まして、果実のアサイーを入手すること自体も難しい。だから、時々、そんなお店を探すことを楽しみにするしかない。さらにもう1つ、スムージーという粉砕方法には、風味や栄養価とは違った「食感とか喉越し」という魅力もあることも忘れてはならない。スムージーが市場に広がった背景には、その口当たりとも言うべき要素が大きく寄与しているとも言われており、それは、単なるジュースや、ネクター等にはない「食物繊維感」が健康志向の人々を説得してきたようだ。

  それのみを捉えて、この手の加熱殺菌型スムージーを評価するのは難しいが、徐々に「食感とか喉越し」を重視した商品も種類を増やし、原材料に違いはなくても、ジュースとスムージーの差別化が図られている。メーカーとしては、食物繊維感を改善するために、原材料の種類ごとに加工方法を変更するなど、きめ細かい調整加工を施したことで、一際食感と風味が残されるようになった。その代表的な例として、カルピスから発売されたウエルチのスムージーキッチンを試してみた。それが、意外に美味しい(あくまで個人の感想)ので取り上げてみた。ざらっとするような大きさに裁断することで野菜と果物が保有しているビタミンや酵素などの栄養成分を残しているようだ。これから暑い日が続く折には、大量消費することになるので、それなりに重宝しそうだ。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212242&app=WordPdf

2015/07/26

冷やしぜんざい

  日本で古くから親しまれてきた調味料や食材には、他にはない品質に対する厳しさが浸みこんでいる。醤油、酒、味噌、胡麻油、などがその代表だが、おおよそ、それらを製造する会社は長い歴史を育んできた。工場などを拝見しても、老舗と呼ばれる風合いを醸し出している事が多い。しかも、商品に対するとてつもない拘りが脈々と息づいていて、話を聞けば聞くほど奥の深さに驚かされる。確かに、一般市場では世代が変わり、商品パッケージのデザインがモダンになることで、老舗なのか外資系なのか分からなくなることもある。しかし、それらの製造で外資系が入り込める余地は無い。それは、老舗ならではの「時間と手間を掛けた商品作り」と「継続性の高い商売のあり方」によるものだ。

  外資が入り込むとどうしても利益優先の商売がはびこる。その風潮を受けて国内メーカーもそれが正しい企業の在り方のような振る舞いをする。食材といっても、「自分が食べる訳ではない」から、CMをバンバン打って、見てくれさえ良ければ売れると考えているようだ。消費者も「みんなが食べているから安心」と考えているのだろう。しかし、日本では、1度でも悪事が暴かれると、未来永劫その悪いレッテルを貼ってしまう。例えば、森永ヒ素ミルク中毒事件(1955年)のことは、60歳以上の人はほとんど知っている。最近の話題では「マクドナルドの異物混入」は決定的で、歴史的にも同社は「根深い疑惑」があったことから、大きく信頼を失っている。

  一方、現在でも生き残っている老舗メーカーは、様々な社会環境の変化に対応しながらも、長い間培われてきた、自らの企業理念を崩さず物作りを進めている。今日紹介する「冷やし ぜんざい」のイチビキ㈱も創業243年を誇る老舗メーカー。小豆の加工品のような、昔からある「ぜんざい」なら誰でもその品質をチェックできる。もちろん、低価格(150円)な商品だからといって心配は無用のようだ。低価格にはそれなりの理由があり、ぜんざい1杯分わずか160gが袋詰めになっている。それは煮上げた小豆、砂糖、食塩、水、品質劣化の無い気密性容器で構成されている。つまり、少しだけ食べたいと言う人たちの為の「ぜんざいの小分け」販売なのである。

  この、「冷やしぜんざい」だけではない、おしるこや、赤飯など小豆を使った商品が豊富に用意され、それらは「イチビキ」の異色の商品群となっている。元々「イチビキ」は、名古屋の醤油、味噌の老舗として有名で、最近は幅広く食材を提供している。おおよそHP上に商品紹介が広がっているが、この「冷やしぜんざい」の情報は見つからなかったので、取り上げてみた。これは案外上品で美味しい商品に仕上げてある。小豆の姿が残り、むしろ「甘味を抑えた綺麗な形のゆで小豆」といった感じである。レトルトパウチのパッケージになっていて、消費期限も長い。夏場は「冷やしぜんざい」で食べても楽しいが、年間通じて寒天で固めた羊羹などを作って楽しみたい。これが少ない内容量160gの強みだ。そして、含まれる食物繊維をたっぷり戴こう。
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2015/07/22

マーマレード3種

 古い習慣は、たとえ社会的にかけ離れていたとしても、なかなか止められない事がある。特に食事に関するものは、体が継続一貫性を求めており、それを崩すには時間が掛かる。そんな抵抗感を拭いきれないのが、「食事と称して、菓子パンを食べる」代替食である。今時は、何処の町にもパン屋は数軒あり、そこには、選ぶのに困るほど美味しそうな商品が並んでいる。しかし、その店頭の隅に追いやられた食パンを眺め、その厚みと焼き具合を想像し、何をつけて食べようかと、考える人は少なくなったのかもしれない。今や、そんなかけ離れた話題なのに、それでも拘るという人に「今治の3種のマーマーレード」を試したのでレポートしたい。

 マーマレードは、夏みかん、伊予柑、日向夏、ゆず、温州みかん、ネーブルオレンジ、金柑、甘夏、デコポン、レモンなど、基本的には柑橘系なら何でも作れる。もっとも、自作するなら原材料は厳選したい。極力農薬を使わず、皮が厚いものを選びたい(ここで、ゆず、温州みかん、ネーブル、金柑は除外される)。さらに大量に安く入手できる時期(5月~10月は全て柑橘類の収穫はお休み)と、創作意欲を奮い立たせる時期であることも重要だ。また、皮を使うので、すみやかに中味を食べておかなければならない(レモンはやや厳しい)。昔は、手間を掛けて作り上げた優しいお味の自家製を自慢したものだが、今時、自作に拘るよりも専門店に行けば、珍しい種類が用意されている。


 探し出したのが、JAS(認定番号2005M-9) 取得の「はるみ、みかん、いよかん」の3種類のマーマレードで、原材料の柑橘(ラベルの果実)、砂糖、レモン果汁すべて有機栽培品を使用したもの。もちろん、「着色料、保存料は一切使用していない」と明記されている(したがって消費期限は短い)。ここまで厳選素材を使われると、少々お高くても、ある意味納得感が芽生えてくる。

  冬場の柑橘系果物が豊富な時期に、このような食材は珍しくない感覚が強く、やはり、6~9月の柑橘系果実を見なくなった時期に戴くのが良い。厚めの食パンを少し茶色に焼き色が付くぐらいに焼き上げ、そこに、マーマレードを全体に少し厚めに塗り、しばらく待つ。少しづつ食パンにマーマレードが浸潤して、果実の皮が表面に凸凹を残すくらいが食べごろだ。茶色の表面にマーマレードの甘味が渾然一体となって、シンプルだが他にはない美味しさになる。どの種類も水準以上に美味しいが、上記の3種類の中では、やっぱり「いよかん」が好きだ。少々苦味が利いている「はるみ」も珍しい食感。みかんは意外に美味しいのに改めて気がついた(すべて個人の感想)。
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2015/07/19

無濾過オリーブオイル

  厳重に濾過したオリーブオイルと、無濾過なオリーブオイルがどのくらい味に違いがあるかは、個人の経験則による検知限の違いによって、小さくも大きくも評価される。濾過した物に慣れてしまっていると、無濾過は「緑色の香り」が残った新鮮な印象を受ける。これが「うーん、薫りも良く、これも美味しい」と思った根拠と言えるだろう。まさに正直な感想になる。しかし、果たして大方の食材の組合わせで美味しく感じるかは、また別の話で、「緑色の香り」が、合わせる食材へ違和感を与えない事が前提になる。

 濾過とか無濾過のどちらが美味しいかという、単純な比較論では、必ず2つの意見が成立し、1つに絞られることはない。しかし、それが単に個人的な趣向によるものか、あるいは製造上による問題なのかは、分からない。たとえ、味に大きな違いがあったとしても、幾重にも時間を掛けて濾過した方が断然美味しいというのは、製造者にとっては苦しい結果になるのは明らかだ。それは、濾過するフィルターの目を細かくすればするほど濾過に時間もかかる。したがって、時間を掛けて濾過するのは、コストの上昇に繋がることになる。

 この話は、ドリップコーヒーに例えると、紙質の異なる何重ものフィルターを通すのと、1枚のフィルターを使うのとでは、抽出したコーヒーの味に大きな違いがあるというのと似ている。それは、恐らく、フィルターに1~2度お湯を通してからドリップすれば、フィルターの数は少し大目の方が美味しいという結果にもなる。これは雑味が最小になるからだろう。一方で、ドリップコーヒーに例えるのは間違いで、日本茶に例えた方が印象として似ていると言う人もいる。それは、「緑色の香り」とも言える煎茶のような、香りと旨味や渋みが調和している状態と、深蒸し茶のような濁ってはいるものの、渋みが抑えられ甘味の美味しさが際立ち、とてもお茶らしさが漂う中、自然な感じを受けるのと同じようだ。

 オリーブオイルは、搾りたてが一番栄養価が高く体に良い成分が多い。最近は基本的に「酸化してしまうと返って体に害がある」という説が大半を占めていることから、どうも、濾過の善し悪しよりも優先すべきは「酸化の度合い」であるというのが真実のようだ。最初に述べたように、無濾過は「緑色の香り」が残って新鮮な感じを受ける訳だが、この感覚が正しいかどうかは、どのくらい新鮮な物に触れているか、ということに関係する。産地から遠く離れ、入手に時間のかかる地域で食べ慣れてしまうと、果たして新鮮な物を選べるか不安だ。
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2015/07/15

プレミアガゼリ菌

  会社の中では、バジェットを達成するとか、売り上げに貢献するとか、そんなことより、如何に無神経に過ごすかということが最重要課題になる。いちいち上層部が言うことを真剣に考えていたら体が持たない。大体その椅子に座っていたら、目を瞑っていても、マーケットで何が起こっているか分かっている筈だ。面倒だが、時々上層部へ状況報告に行くことがある。そこでは、思っている懸念を発言するわけにもいかず、むしろ、上層部が喜ぶことを理路整然と話したり、あたかも100年に1度の追い風になり、今年はかつて無い程の売り上げを達成するという、占い師のような大風呂敷を広げることもある。

  「これはちょっとやり過ぎの数字かな」と思うことはあっても、1度や2度なら相手も喜んでくれるので、さして罪悪感も無いが、いずれ追い詰められて、大風呂敷も惨めな姿に終わってしまうこともある。そういう自己矛盾を抱えて苦しむから、「免疫力が低下し、お腹を壊して体調が崩れてしまう」のである。ま、それも自業自得と言う見方もあるが、一方で、市場環境は良いのに、数字だけが上がってこないという、不吉な状況が続くこともあって、自らは懸念材料として報告しているにもかかわらず、逆に、楽観的な上層部から慰めにも似た期待をかけられてしまうこともある。そんな時も、やっぱり、お腹は苦しいものだ。

  お腹の調子を悪くすると、途端に体から力が抜けるし、それほど弱気になることも無いのに、今まで信じていたことでさえ、都合が良すぎたかもしれないとか、妙な反省をすることもある。一方で、「そんな弱気でどうする!かつては、毎年のように部門の売上げNo.1だったこともあるではないか」と、バードマンのように、背後から呟きが聴こえてくる。そして、苦しみながらも、余裕で数字を達成しても、例年並でも、最悪の未達であっても、そういう環境で常に苦しみは続くのである。

  その救世主として「状況を緩和してくれる乳酸菌飲料」が登場した。「うーむ、ほんまか?」 と思われるかもしれないが、その状況(=自己矛盾症候群)に置かれた折には、是非試してもらいたいのがこれだ。また、アベノミクスが、「今だわが社に届いていない」と思われる方にも効果があるかもしれないし、社内の人間関係で苦しんでいる人にも有効だと思われる。ただ、申し上げておくが、CP-2305乳酸菌を大量摂取したからといって「理性を破壊する」わけではない。ただ、少々過大な発言や報告をしても、自ら体が痛めつけられたり、苦しむことが無くなる程度である。

  カルピス社の説明によると、プレミアガセリ菌 CP2305を摂取することにより、腸から脳へ働きかけることを確認できたという。それが、ストレス応答や自律神経活動に関わる脳内血流量を抑制すること、副腎交換神経活動を抑制すること、また、睡眠や行動を支配する大脳後頭葉の血流量を抑制することのようだ。これらは、長期にわたり継続使用で効果を確認できるとしている。



2015/07/12

チャイルド44 森に消えた子供たち

 1950年代のソビエト連邦、スターリン政権下で実際に起きた連続殺人事件をモティーフにして書かれた小説の映画化である。作品は、ウクライナの孤児院から抜け出した少年(13歳)が、軍隊に拾われ、「レオと名付けられる」ところから始まる。レオは、その後第二次世界大戦時ベルリン陥落に貢献したとした英雄として1953年20歳で国家保安省=MGBの捜査官としてスパイや反体制活動家達を取り締まる仕事をしていた。

 そんなある日、スパイ容疑でブロッキーの噂を耳にして取り締まりに農村地域へ行く、そこで、ブロッキーを荒野で捕まえるが、レオは少し離れた農家の方角に2発の銃声を聴いてしまう。ブロッキーを匿ったとされる農夫とその妻を見せしめに、ワシーリー(レオの部下)が銃殺してしまったのである。それを観たレオは激怒しワシーリーを酷く叱り倒す。農家には、女の子二人が取り残されてしまい、二人とも孤児院に送られる。このシーンは、その時代の社会背景、その象徴的な孤児院、それら幾重にも重なる「レオの心情」を表現しており、終盤のレオの言葉と行動に繋がる。


 事件は、レオの部下で、かつての戦友でもあったアレクセイの息子が、鉄道の傍で死体で発見されるところから始まる。アレクセイは目撃者もいて殺人だとレオに訴えるが、レオは少佐の命令でそれを撤回させるべく説得する。一方、農村地域で捕らえたブロッキーは拷問を受け自供、結局処刑されるが、その供述資料の中にレオの妻のライーサの写真があり、スパイ容疑がかけられてしまう。ブロッキーを捕まえる時にワシーリーが酷く叱られたことを根に持っていたことから、彼の捏造かもしれない。それでも、妻の潔白のため証拠を探すが見つからない。そして刑罰覚悟で潔白を主張するも、モスクワから遠く離れた田舎町ヴォリスクへ左遷される。ヴォリスクでは、ネステロフ将軍の下、警官として働く。

 ところが、その町でもアレクセイの息子と同じ状況の「線路の傍、溺死、内臓摘出」の殺人を観てしまう。同じ手口の殺人として、ネステロフ将軍へ訴え、事件の解決に向けて許可をもらう。ネステロフ将軍も、子供の死者の発見場所や資料や検視報告を探し、その共通性に驚き本腰を入れて捜査を開始する。線路沿いで犠牲者が出ていることから、捜査の範囲はウクライナの近くのロストフからヴォリスクという極めて広範囲を示唆し、この犠牲者が合計43名と言う事を知る。そこで、犯人は鉄道を使って移動しているという推測を立てる。

  ストーリーの補足は、文章にすると怖くも何ともなくなってしまうのでこのくらいにするが、スターリン政権下でMGBとくれば、庶民は怪しいと密告されると、拷問(これが怖い)にかけられ、挙句の果てに銃殺されると言うパターンが成り行きだし、そこは、大日本帝国の憲兵、ドイツのゲシタボ、現在の中国の公安部に勝るとも劣らない野蛮な仕打ちで怖がられた。そういう緊張感が常に付きまとう中で、話が進められるため、ドアを強くノックされるだけでビクッとする様なシーンの連続になる。

  レオは英雄であり、めっぽう腕っぷしも強いことから、あらゆる場面で「自力で難関を切り開く格好良さ」が印象的だった。最後は、ワシーリーとの泥沼戦まで見せてくれる。散々と言って良いほど「鋭い強さ」を見せ付けられた後になるが、彼が「それだけ」ではなかったことが分る。ただし、髪型(後ろ)はいつも怖い。音楽はロスケのクラシック、映像は限りなく冷たく美しい、時代考証も素晴らしい。さらに広範囲で技巧的な犯罪の展開、レオの強固な正義感など、ドキュメンタリーにも観えるところがより危うさを増しているが、たいへん優れた作品になっている。私にとっては、「100点満点といえる完成度」で素晴らしかった。
http://child44.gaga.ne.jp/
 
 余談になるが、レオ(トム・ハーディー)は、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」にも主役を張っている。 

2015/07/08

ぶっかけ うどんつゆ

  「ああ、やっぱり美味しいわ」と、無造作に置かれた一杯のうどんに1人で舌鼓を打った。余所者が駅前にある喫茶店で、幼い時から食べ慣れた「共通するお味」と遭遇するのは、理屈では珍しい事ではないのだが、想定外の喜びに心が満ち溢れてしまった。ここは、阪和線の和泉砂川駅である。まさに、意外な場所で古い親友にあったような気分なのである。うどんだから、咽越しはつるっと短かったが、余韻はいつまでも続き、車窓を眺めながら天王寺まで大昔のことをあれこれと思い出していた。

 古くからその地域で食べ慣れたお味は、無条件で「美味しい部類」に入るし、周囲も納得してくれる。それはもう、その地域の人達にとっては当たり前の事で、改めて「美味しい」と口にする事もない。その地域と言っても、ここでは範囲は広く、高松、大阪、兵庫あるいはそれ以上の範囲に及び、微妙にお味は違うにしても、古くは「瀬戸内海で獲れた煮干し」を使って作られた出汁には、共通性があるし、歴史が誘う懐かしい風味が漂ってくる。そんな背景から、今日の商品については、「これは個人の感想です」と補足をしなくても良いような気がする。

 お出汁の基本は、鰹節、けづり節、煮干し、昆布、椎茸等を使うが、これを手始めに食材に合わせて調味混合するのは、素人にとっては極めて難度の高い作業である。つまり、家庭で作られる和食の味の基本は、その環境で育まれた調味材と調理方法によって継承されてきた。そのため、関西から東京へ出てきた人にとっては、使いこなす事の出来ない程の醤油の辛さと濃さに、閉口される事も少なくない筈だ。それは、日清食品のどん兵衛(うどん)の出汁も関西風出汁とわざわざ表記して別個の商品を用意するくらい慎重に扱われる(どん兵衛2種 2014/02/18にて紹介)。また、セブンイレブンも最近は、地域に特化した限定商品を増やして味付けを変えている。


  前置きが長くなったが、今日の主役は、良く出来たヒガシマルの「うどんのつゆ」である。この中央にある小さなパックを使えば、冷たいぶっかけうどんから、冷やしたぬき蕎麦、冷奴、そうめん、和風パスタ、親子丼、かつ丼、天ぷらのてんつゆ、出汁を使ったお茶漬け等、何でもおいしく戴けるし、煮物などに隠し味に使えば、関西風高級料亭の味付けに仕上げることができる。まさに「万能な和風出汁の素」とも言える。もちろん、前の日から素材を水出しで用意するような手間は一切かからない。食材の上から「ぶっかけ」るだけである。しかも、1袋4カップ入り。価格は1カップ(写真中央)68円程度。関西出身の方には是非にでもお勧めしたい。

 

2015/07/07

ジェームス・ブラウン オリジナル・サウンドトラックCD

 このブログでも、さすがに人気が高かった。音楽好きが多いのか、年配の読者が多いのか、よく分からないが、映画ファンの読者も最近増えているようだ。60(歳)過ぎのおっさんの感想文を読んだからといって面白いかい~?と思ってしまうが、タイトルだけで検索されているのかもしれない。遅くなってしまったが、CDがやっと入手できたので追加報告する。

 オーディオ好きとしても、映画の中に興味深い発見はたくさんあったが、一番興味深いのは、サウンドトラック部分かもしれない。オリジナル・サウンドトラックCDには、全20曲を収録してあるが、CDに収められた説明文によると「映画内では、役者の吹き替えではなく、ジェームス・ブラウンの歌をそのまま使用されている」とある。また、「ジェームス・ブラウンのベスト盤でありながら、2曲の未発表ライブ音源[☆]、映画の為に手を加えられた soundtrack version 5曲[#]が収録されている」と記されている。以下、曲名を挙げてみた。


 1.セックス・マシーン 2.ザ・ペイバック、パート1 3.アウト・オブ・サイト 4.アイ・フィール・グッド 5.カルドニア[#] 6.プリーズ・プリーズ・プリーズ(ライブ)[☆#] 7.ナイト・トレイン(ライブ) 8.パパズ・ゴット・ア・ブランニュー・バッグ、パート1 9.イッツ・ア・マンズ、マンズ、マンズ・ワールド(ライブ)[☆#] 10.ゴールド・スウェット、パート1 11.マザー・ポップコーン、パート1 12.アイ・ゴット・ザ・フィーリン(ライブ) 13.アイ・キャント・スタンド・マイセルフ(ライブ) 14.セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド、パート1  15.セックス・マシーン(ライブ) 16.スーパー・バッド(ライブ) 17.ソウル・パワー(ライブ) 18.トライ・ミー(ライブ)[#] 19.プリーズ・プリーズ・プリーズ[#]
20.ゲット・アップ・オファ・ザット・シング

 3.8.はMONO、☆は1966年4月23日、フロリダのタンパに Fort Homer W.Hesterly Armory での未発表ライブ音源。#はプロデューサーチームの The Underdogs がサントラ用に手を加えたsoundtrack version とのこと。

 最後の場面で、親友のボビー・バードへ向けて歌い上げるバラード調の曲は、18番目に収録されているトライ・ミー。

2015/07/05

ジェームスブラウン 最高の魂を持つ男

  原題:Get On Up と言う原題がつけられた作品。日本では「ジェームス・ブラウン」とズバリ伝記風のタイトルに「最高の魂を持つ男」という副題が付けられている。おおよそ、そのような副題は、「作品を視聴した我々が席を立つときに感じる」もので、制作者もしくはリリース側がアピールすべきものではない。しかし、この作品の制作に携わった人達が、自らもぞっこん「崇拝している様子」を示すものとして受け取ることも出来る。したがって、ここは、「最高の魂を持つ男なんですよ~」とジェームス・ブラウンへの尊敬とか愛情たっぷりのニュアンスを投げかけ、作品を観て、聴いて、魂で我々と同じように感じて欲しいという意図なのかもしれない。


 ジェームス・ブラウンその人は、僕が理解できる領域の対極にある存在で、自慢ではないが、「ゲロッパのおじさん」とか、「カップ麺のCMのおじさん」程度のことしか認識は無かった。しかし、「えらくリズムにのったおじさん」と言う印象が残っていた。そのことが、唯一この作品へ誘う興味の1つだったと思う。あと、広告にある、「その躍動感溢れるパフォーマンスはマイケル・ジャクソン、プリンス、そしてブルーノ・マーズら、現代のアーティストに今もなお強烈な影響を・・・」という文言も興味を引いたし、また、音楽総監督にローリング・ストーンズのミック・ジャガーが努めているところも本腰を感じさせるものだった。そうやって、徐々に興味が膨らんでいったのである。

  このような伝記作品にありがちな、スクラップブックを捲るような雑で安っぽい作りとは違い、内容としては、年代を綿密に振り返り、子供の頃の回想と交互に並べながら、曲の持つ時代背景に合わせて、親子、親友、妻や子供、バンドメンバー等との関係までも織り交ぜながら、ジェームス・ブラウン本人の「人間像、あるいは彼の価値観に迫った作品」に仕上がっている。映像は、配色等からして紛れも無くジャズ風、また、立ち上がりの鋭く、パルシブで、切れの良い音と、間の取り方に、ここに来て今更のように、新鮮な魅力を感じてしまう。それぞれの曲は、時代背景を知ることで、しみじみと、そのリアリティーが増して感じられた。

  さて、そこはどんなに自由奔放なミュージシャンであっても、このジェームス・ブラウンには「負けそうだ」と思ったに違いない。そして、音楽性の理解よりも真っ先に、その体から放出される衝撃波のようなリズム感やパフォーマンスに引き込まれながら、その格好良さに魅了されてしまう。そして、PLEASE、PLEASE、PLEASE や Get On Up、Get On Up、Get On Up のように同じ言葉の繰り返しによって、徐々に彼の持つ音楽性が自らの魂に同期して、自然に体が覚えてしまい、徐々に活力に変換されてゆく。これが、ソウルと言われる曲の持つ魅力なのかもしれない。

 見所は沢山あった。まず、ジェームス・ブラウン本人役(16~63歳まで)を通して演じるチャドウィック・ボーズマンは、力強く歯切れの良い歌声を披露しているし、有名な股割りとそこから立ち上がる演技など、簡単ではなかった筈だ。それに、踊りの衝撃的で華麗な足裁きはどのようになっているのだろうかと不思議に思えたし、首を傾げながら何度も目を凝らして眺めたが分らなかった。また、てっきり、チャドウィック・ボーズマンは、こんな歌い方ができるんだと聞き惚れていたのだが、確かに歌っているし、バンドも演奏しているのだが、曲によって、音だけはジェームス・ブラウン自身の声と、当時のバンドの演奏が使われている。これは、ユニバーサル・ミュージックのアーカイブのマルチトラック・テープから構成したもので、演技や演奏、バックダンスが音と息の合ったところを見せ付けて、絶妙になりがちな映像も完璧に仕上げている。

 どこを抜き出しても、無駄のないシーンばかりで「もっと知りたい、もっと聴きたい」と思わせる構成が印象的だった。最後の場面では、親友のボビー・バードへ向けて歌い上げるバラード調の曲には、その素直なジェームス・ブラウンが表現され感動を呼ぶ。あと、少々余計だが、個人的に特に印象に残ったのが、ジェームス・ブラウンが練習中、バンド・メンバーにその楽器もあの楽器も全てドラムだと訴えるところで、一見確かに破天荒な発言に聞こえるが、そのくらい「タイトで溜めのあるサウンド」を作りたかったことが分かり易く伝わってきた。さすがに感性の男は凄いと思えた。
http://jamesbrown-movie.jp/ 

2015/07/01

トゥモローランド

 僕が10歳くらいの時には、一生懸命に「科学技術」を勉強して、大人になったら一端の科学者になる(挫折した)ことで、理想の未来が待っていると信じていた。そこには、スーパージェッターや鉄腕アトムが住んでいて、この映画に出てくるような都市空間が広がっている。そんな、夢を持って科学と言うものを崇拝していたような気がする。そのことを想い起こさせるように、作品の冒頭から懐かしい「ニキシー管の数字」がクローズアップされる(背後には幾つかの「地球モニター?」が並んでいる)。

 この表示管を見ただけで、1964年を思い出すことが出来る人たちは、物語の本質を探ることが出来るに違いない。1964年に開かれたニューヨーク万国博覧会には、ソニーから試作のソリッドステート電卓(ニキシー管表示:SOBAXの前進)が出展されている。以降、ニキシー管は各社電卓の表示に多用されてきた。つまり、その時代を象徴する最新デバイスだったのである。


  そのニューヨーク万国博覧会の発明コンテストにフランク(当時11歳の少年)は、今だ完成前のジェットバック装置(=エンジンを背負って空を飛ぶ装置)を持ち込む。このコンテストの審査をしているのが、後にトゥモローランドの提督になるニックスで、そんな未完成なジェットバック装置を不機嫌にあしらう。そこで大いに落胆しながらも執念を持って完成させたいと考えているフランクを観て可能性を見出すのが、トゥモローランドのリクルータを務める美少女アテナ。アテナは、フランクにTomorrowland のTロゴのあるピンバッジを手渡す。このピンバッチは、トゥモローランドへフランクを誘う。この発明コンテストに登場する3人が、この作品の中心人物で、重要な鍵を握っている。


 次に、場面が20年(1984年)ほど先の現代に移る。そこでは、アテナは見所のある17歳の高校生ケイシーに夢を託しTロゴのあるピンバッジを渡す。ここで、アテナは歳を取らないAA(オーディオ・アニマトロニクス:いわゆるロボット)というのが分るが、当時11歳の少年フランクは、孤独な中年男になってしまっている(ジョージ・クルーニー演じる)。高校生ケイシーは、ピンバッジによって麦畑の中で、遠くに未来の都市空間を垣間見てしまい、強く魅かれるが、トゥモローランドへは幾つかの難関が待ち構えていて、簡単に行くことは出来ない。さて、その難関へのプロセスが巧みに凝っていて、多彩な映像テクノロジーが駆使されている。しかも、かつて無いくらい奇想天外で、ぶっ飛ぶような面白いストーリーに仕上げてある。ここは、余計な説明は一切必要なく楽しめるので説明は割愛したい。

 しかし、何で孤独な中年男フランクがトゥモローランドではなく、現代の地球に存在しているか、と疑問に思われるかもしれないので、補足したい。最初に、背後には幾つかの「地球モニター?」と書いているが、この地球モニター(時間を越えて、今地球のどこかで起こっている環境破壊やテロなど危機的状況を映像として見れる装置のこと)を開発したために、トゥモローランドを追放されて、ニューヨークのピッツフィールド(田舎)でひっそりと暮らしていた。

 アテナ、ケイシー、フランク、ニックスの役割と実像を知れば、後は楽しむだけである。そのくらい単純な構図なので、誰でも屈託無く楽しむことが出来る。全体的な印象として、ややレトロな印象を受けるトーンで作品が構成されている。でも、不思議に現実感が漂うのは何故か。それは、忠実にイメージどおりに必要な部分が実際に作りこまれているからで、コンピュータグラフィックスにはない現実感を伴うからだ。そしてそれが、1960~1970年あたりに夢見た「未来のテクノロジー」を具体化した姿なので、昔の若者が夢見た未来社会=理想郷なのであろう。しかし、今の若者には、もうそんな夢なんて持たないだろうなと思うことに気づく。年配の人には、どこか懐かしいディズニー色の空気感が漂う作品になっている。
予告編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=KPcqt7OtbT0
 
 
 

 

2015/06/28

老舗洋食屋のビーフシチュー

  人それぞれ、今まで口にしてきた食材の経験値によって、滅多に無いことだが、感想の「食い違い」が生まれることがある。同じものを口にしても、意見が大きく分かれてしまうのである。おそらく、味わう要素が違うとか、そもそも期待値に違いがあるのかもしれないが、そんな状況で、好き勝手に言葉を並べても、何を基準にしているかはっきりしなければ、それを伝える言葉や文章は力を発揮しない。「えー、ほんまか?」と思いながら、そんなことを痛感したのが、この商品だった。だから、どのような食材の評価も、あくまでも個人の感想であることを忘れてはならない。

 元々、他人の感想や評価にはあまり関心はないのだが、それは「知らないお店の商品だし、写真の様子がどうも自らの持つ印象とは若干異なる」せいか、ついコメント欄を覗いてしまった。ところが、「こんな、まちまちのコメント見たことない」と思うほど賛否両論が並んでいて、美味しいのか、不味いのか、一体どちらが本当なのか、ハッキリしてもらいたいと不満が湧き上がって来た。更に付け加えると、もし自分だったら、どのような感想を吐き出すのか興味を持ってしまった。ビーフシチューなら多少能書きを主張できるので、すぐに取り寄せてみることにした。

 それにしても、これは難しい食材の1つと言える。以前(1914/04/18テラズフーズのビーフシチュー)も紹介した事があるが、おおむね冷凍で届けられるこの手の商品は、牛肉とシチューが入っていれば、付け合わせのじゃがいも、人参、玉葱、いんげん、マッシュルームなどは、別途用意しても構わない。また、量が足りなければ、2個使用すればよいし、その方が好みが活きてくるとも言える。したがって、評価のポイントは、あくまで牛肉とシチューの濃厚な「お味の作り方」にある。また、何処の洋食屋でビーフシチューを戴いたとしても、今時2,400~3,200円は持ち合わせが無ければならない。その認識の違いも評価のポイントになると思う。

  さて、前置きが長くなったが、それが今日の「浅草ヨシカミのビーフシチュー」である。この商品は、2袋1パックになっていて、3パック(6食分)が冷凍状態で届けられる。これが、消費税、冷凍送料込みで4,550円(ホームページ参照のこと)なので、お店に出向いてビーフシチュー戴く(2,450円)とすれば、約2回分と言ったところ。袋の中には、牛肉とシチュー、人参、マッシュルーム等が入っているようだ。凍った袋から1袋取り出し、そのまま沸騰したお湯に約7分温める。それをお皿に盛りつけたのがPDF写真。じゃがいも、いんげん、玉ねぎは別途付け加えた。

 牛肉の占める割合は30%と表記されていて、たっぷりではないが十分な量と考えられる。シチューは、赤ワインをベースにし時間を掛けて丁寧に作られているようで、不満はない。また、牛肉そのものも、ほろりと崩れるようで、一般的な仕上がり。しいて言えば、牛肉がややこま切れになっていて、シチューの中を探す感じだ。これは、意見は分かれるかもしれない。そのほか、マッシュルームや人参も良く煮込んである。ただ、ローコストに仕上げてあることで、人参の面取りは荒い。全体を通して、悪くはないが、もし意見が分かれるとすれば、使われている脂分などが人によって敏感に反応したりして、評価が分かれるのかもしれない。作りとしては、決して不評が与えられるような粗末な作りではない。
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2015/06/24

ボタニカル・カラー・トリートメント

  今から想うと、大変申し訳ない発想であった事を恥じるしかないが、髪を染めるのは結構苦労するものと言うのが分かった。何を隠そう、昔の話になるが、大先輩が定年退職をした後、久々にお目にかかった時に、「あれ、頭黒くなって顔の艶も良く、元気そうだし若返った」と不思議に思ったことがある。会社員の頃は白髪交じりで実際の年齢より老けて見えたものだが、会話の中で口を突いて良く出る「毎日日曜日だから」と言う口癖のせいか、そうか、ストレスが無くなり、よく眠れると髪まで黒く戻るのだと思っていた。ところが、いざ自分がそのような生活に突入しても、一向に髪は黒くなる素振りを見せなかったのである。

  世の中には、そんな合理的な反応の体質を持つ人もいるかもしれないが、自分の髪はそうではないと納得するしかなかったので、丹念に「染め」で行くことにした。しかし、そう簡単にきれいに染まる事もなかった。やはり、結局、焦らずに、時間のある時に、少しづつ上から重ねながら染めていく(ナル的要素必要)方法が良さそうで、少々色落ちが早くても、継続使用で効果をだせると思うようになった。そうか、なるほど、この時間の使い方が「毎日日曜日だから」という意味だったのかもしれない(それほど暇でもない)。

  今日は、あのテレビCM(白髪染め:ポイントリッチカラー)で有名な、化粧品の製造会社(分類ブランドとして:しらがねーぜ)が販売しているボタニカルカラートリートメントを使ってみたので紹介する。このような製品カテゴリーは、「じじ、ばば」向けのシルバー商品ではない。あくまでコスメティック(化粧品)の分類になる。さらにボタニカル(botanical)とは、「植物のとか、植物性の、といった意味だが、ここでは「植物由来の」と訳すべきだ。しかし、興味を持ったのは、やはり「白髪染め商品を扱っている」会社と言うところにある。つまり、白髪→年配者→頭皮が弱い→染める→頭皮が傷む→という構図の中で、問題が起きていないことが、ある程度の「安心・安全」を裏付けていると思えるからだ。さらに長い間日本人に支持されてきた国産品である事なども重要な要素といえる。

  このボタニカルカラートリートメント(税込価格12,960円)は、2014年10月10日にリニューアルされている。従来品に比べ、染毛力、トリートメント力、色持ちが改善されているようだ。製品の主な特徴としては、髪にツヤを与えながら、白髪を染めて、最後に洗い流すタイプで、シャンプー後、白髪の気になる箇所に塗って「5分」ほど放置しするだけ。通常のトリートメントと同じ様に入浴時に染髪できる。おおよそ1回の使用で白髪が染まる(注:洗髪のたびに髪色は徐々に色落ちし、約10日間に1回の使用で継続)とされている。

  従来品との比較では、以前使っていたNATURENAヘアカラーは、2時間ぐらい掛けていたので、5分と言うのは、いま1つ逆の不安を取り除けず、2倍の10分~12分程度そのままにしてみたら、かなり落ち着いた感じで白髪は目立たなくなった。結構満足できて、「毎日日曜日でない人」でも利用価値がある。ただ、翌日真っ黒と言うのも違和感がぬぐえないし、続けてみないと分からない事があるかもしれないので、何か気が付いた事があれば追加報告したい。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211749&app=WordPdf

2015/06/21

桑名カレー

  独創的なパッケージデザインが目を引いた。一皿の上に白いベルト状のご飯と、その左右にビーフカレーとポークカレーが盛り付けられた写真である。パッケージをひっくり返すと、盛り付け例としての説明が、「お皿の真ん中にご飯を細長く盛り、ご飯の左右にビーフカレーとポークカレーを盛り付けてください。それぞれの味を楽しんだり、両方を混ぜてお召し上がりください」と書いてあった。面白い企画だが、実物は美味しいのかな?と誰でも興味が沸くはずだ。

 その前に、何故そんな商品を?と疑問に思ってしまうが、どうも、桑名と言う地域は、木曽三川の河口に位置し、古くから交通の要衝として栄え、西のビーフカレー文化と東のポークカレー文化の中間地として知られているという。ほんまかなぁ~と思いながら、「上手いこと」こじつけたとも思える。それにしても、商品の企画をそこまで掘り下げるとは、なかなか出来る奴に違いない。結果として、貪欲なカレーファンを引き付け、おまけに地域必然性の理屈を付け加え、さらに桑名市長もお勧めと明記しており、先々名物にまで発展させようとする腰をすえた姿勢が見え隠れする。

 この商品を販売しているのは、あの地元老舗醸造会社のヤマモリ㈱(2014/08/12:タイ焼きそばで紹介の会社)である。それが分かったところで、納得感も出るし、お味にも期待できそうだ。

 黄色い包装の中には、2つ100gのレトルトパックが入っている。ビーフの方は、玉葱がよくローストされた本格派仕様で納得できるもの。しかし、最近食べなれた味とは違い、どこか懐かしく、昭和の香りが漂う。口にすると昔を思い出すような懐かしい風味に一寸胸が詰まってしまった。他方、ポークの方も、口当たりの良い懐かしいおいしさが特徴で、優しい香りが和ませる。ビーフだけ、ポークだけ、そしてビーフとポークを合わせてと書いてあるが、ビーフだけ、ポークだけ、で十分楽しめる。2倍ほど楽しめる商品だが、やや塩分が多い感じで好き嫌いが分かれるかもしれない(個人の感想)。食べ終わると、何処と無くノスタルジーに浸るような満足感が得られて、ヤマモリの巧妙な仕掛けにどっぷりとはまってしまった。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212259&app=WordPdf

 

 

2015/06/17

夏みかんカステラ

 60歳を過ぎたおっさんにとって、カステラは永久不滅の「贅沢なおやつ」である。それは、幼い頃から存在し、大方「変わらない美味しさ」が保たれ、贅沢感とも言うべき風格のある存在だからである。長い間には、甘さなどは控え目に変化したにしても、本質的な美味しさは変わらない。しかし、カステラが好きな人の中には、どんなカステラでも好きという人より、昔ながらの「蜜が染み出しそうで、もちっとした食感と粗目が広がる甘み」が好きな人の方が多い。それが、高級カステラを代表する食感だからだ。

 こういった伝統的で今も多くのファンを持つカステラは、味が変わらないことも重要だが、かといっていつまでも変わらないのは、作る側にも刺激が無いし、新たなトレンドに寄り添うことさえ出来なくなる可能性もある。だから、商品投入路線はいくつかに分岐して存在している。まず、伝統的な高級カステラは、目利きによる厳選素材、熟練による工程管理、歩留まりや品質に配慮した仕上げで、コストが掛かるため価値の高い商品になる。販売数は少なくても拘りの顧客のみならず、贈答品としても持て囃される。そのため、日々商品の品質の向上に勤めている。

 他方で、そんな一切れに食べ応えの重たく感じる商品より、風味や食感に高級感を保ちながらも、比較的軽い印象で食べ易く、価格も抑えた商品に仕上げた方が、市場に広がりが期待できる。おまけに年配の顧客のために、紅茶や日本茶と一緒に戴くと、口の中ですぐに解けるよう作られている。おおむね、今の主流はこのクラスになる。このタイプの商品のポイントは、決して「無理をして食べることがあってはならない」。だから、あえて小型のパッケージに拘るのである。そこには、「また食べたいと思わせる」風味や印象に残る美味しさが必要なのである。つまり、その「手軽さが購買力、美味しさが継続性」ということになる。

 そして、いつもお店に顔を出してくれるお客には、定番のみならず、季節要因を取り込んだ商品が用意されている。店頭で何か新たなものを発見することを期待してお店に寄るわけだから、季節限定とか言われると、今すぐにでも買っておきたい衝動に駆られる筈である。まして、お店で勧められると、それに耳を傾けながら、流れとしては素直に「じゃそれも」ということになる。新たな商品がたくさん揃っていてもジタバタしない、それが常連の優雅な買い方だからだ。元々、店頭に顔を出す顧客は、それが好きだし、興味もある。ただ、何か新たな言い訳とか、理由が必要なだけで、結局、何か買って帰りたいのである。だから、むしろ、背中を素直に押されることを望んでいる。

 ということで、その主流といえる商品を並べてみた。小安いカステラの分類に入るが、揃えて購入してみると、決してお安くは無い。中身の写真はこちら。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212264&app=WordPdf
 

 

2015/06/14

今半のハンバーグ

 以前、「今半の切り落とし肉が美味しい」という話を書いた。切り落としといえども、それは日によってお肉の生産地が異なるが、何時でも「美味しいお肉」が用意されていることに変わりはない。そこで、切り落としを買ってきて、さらにそれをおかずに調理するのは面倒だと思う人には、今半のハンバーグを紹介しておきたい。1個=120g なので、元気な若者には物足りないかもしれないので、そういう僕ちゃんは、2個使ってほしい。2個でも合計606円(税込み)なので、付け合せの野菜を購入しても、たかだか知れている。ただ、ソースは付属しないので自作する必要がある。その時は、ケチャップとソースを混ぜて使ってみよう。幼い時の母さんのハンバーグになる。

 このハンバーグは、精肉店舗の方で「冷蔵用として」販売されている。したがって、東京近郊の人にしかお勧めできない(冷凍がよい場合は、WEBショッピング・コーナーに更なる上級品が用意されている)。原材料は、国産和牛、玉葱、パン粉、ケチャップ、砂糖、食塩、胡椒である。(原材料の一部に小麦、乳成分、大豆を含む)と記述されている。調理は、フライパンでそのまま裏表に火を通すだけである。ただ、焦げやすいのでフライパンに載せる前に少し平らに変形させ、気長(表裏各4~6分、余熱を上手く活用のこと、染み出した脂は調理用のペーパーで除去する)に弱火で火を通すようにしたい。食べてみればすぐにわかることだが、ソースしだいで「昔ながらの美味しいハンバーグ」に仕上がる。


  上の写真は、ハンバーグの上に大葉、その上に大根おろしを乗せてみた。さっぱりと、和風の出汁醤油で戴きたい。ところで、かつてドイツハンバーグを紹介した時に、「お肉の素性だけに拘ってはいけない。そこに注目するよりも、シェフが味に責任を持って作った品物の方が、美味しさに偏りがなく、なるほど美味しいと思うことが多い」と書いているが、このハンバーグを口にすると、いや、やっぱりお肉こそ素性が重要だと思うに違いない。うーむ、ハンバーグとは、そのような紆余曲折というか、何度も回り道をして辿り着く食材の1つかもしれない。

  家族がたくさん居ると、自ら美味しい牛肉を買ってきて、自宅で作る方が美味しく出来るかもしれない。しかし、たまに、1個か2個、欲しい時のことを考えると、作った後の残りを冷凍しておくしかない。自宅での冷凍には美味しさを保つ機能(細胞レベルの冷凍振動などの管理)が無いため、後々、大方は品質が劣化したハンバーグを口にすることになる。食材の美味しさの魅力は、次にまた口にしてみたいと思うかどうかがだから、やっぱり、食べたい日に今半に寄って303円のハンバーグを2~4個ぐらい買ってくるのが良い。余ったら、カレーに乗せるとか、ハンバーガーのパテとして戴くのも良い。美味しいから、余っても使い道は色々ある。
代表的な店舗の東横のれん街の例。
http://www.tokyu-dept.co.jp/toyoko/norengai/shop/detail.html/?shopcode=ASAKUSAIMAHANseiniku

 

2015/06/10

小林牧場物語(飲むヨーグルト)

 新たな商品が登場すると、つい裏の諸元を眺めて素性を探ろうとする。しかし、そこに書いてある内容の半分ぐらいしか分らなくても、美味しそうに思えば、何となく「買ってみるか」と言う気分になるものだ。今日は、新種のヨーグルトを紹介したい。飲むヨーグルトの最高傑作は、「贅楽」だと思っているが(2013/07/09 2回目紹介)、しかし、長い間同じものの継続は、さすがに飽きるので、時々触手を広げたい。そういうのは誰にでもあると思う。まあ、別段にヨーグルトを口にしなくても生きていけるので、飽きればお休みするのも良い。

 種類の豊富なヨーグルト分野だけあって、消費者の味覚は肥えているので、小手先の美味しさでは納得してもらえない。そのために、生産者は表からは観えないところでも苦労している。ヨーグルトに限らず、乳製品には、何といっても、質の高い生乳が必要不可欠で、それを収穫するには、生み出してくれる牛さんの健康が重要だ。機嫌良く、毎日美味しい牧草を食べたり、散歩したり、疲れたら牧草の上で一休みとか、クラシック音楽を聴いたり、ストレスなく自由気ままで、健康的に酪農生活を送ってもらわなければならない。そこは人間と同じなのである。また、その環境整備のために、人は自らの手によって、土壌の安全性を確保したり、牛さんの声に耳を傾けたり、わがままを聞くなど愛情を注ぐ必要がある。そんな、細かな整備を都度改良するとか、手の掛かる仕事になっている。

 広い北海道の中でも特に小林牧場は拘り抜いた「循環型酪農」によって、優れた品質を長期間確保できる仕組みを完成させているらしい。その拘りによる長年の工夫や改良、そしてそれを実現してきた思想を含めて、「小林牧場物語」と定義づけているようだ。その優れた環境から生まれた生乳によって作られたヨーグルトに、余市のぶどう果汁とりんご果汁を使って、ゼリーにして(果肉に近い食感の得られる)ブレンドしたのが、「飲むヨーグルト 余市ぶどうゼリー/余市りんごゼリー」なのである。PDFの写真左には、プレーンタイプも用意した。

 いきなり、果汁入りのヨーグルトを口にしても、どの味が特徴になるか迷うことがある。そこで、まず、プレーンから馴染んでみる事にしたい。プレーンは、やや「酸味が強い」さっぱりとしたヨーグルトである。これぞプレーンと言った感じで爽やかな後味が残る。原材料を観ると、生乳、ぶどう糖加糖液糖、オリゴ糖、乳製品とあり、色々入っているようだが、やや難解(表記:乳製品とは?)な部分もあるが、あくまで純粋なイメージが強い。それに比べて、ぶどうゼリーやりんごゼリーを加えた商品は、ゼリーに加工して粉砕しているにもかかわらず、果物の美味しさを損なわず、むしろ強調された仕上がりには、少々意外性(優れた技術)を感じながらも、全体として風味の良い魅力的な商品に仕上がっている。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=cfbf77db9040165a%212250&app=WordPdf 

2015/06/07

体温計を使いこなす

 何気なく新しい体温計を購入した。それ自体、おおっぴらに自慢して話すほどのことでもないが、その背景にあったのは、今使用の体温計の計測時間が長すぎるという不満だった。少々大袈裟だが、人は、「体温を測る体勢で、どのくらい静止していられるか」という素朴な疑問に、歳を重ねるに従って「我慢できる時間が短くなってきた」と感じたり、その状態を保つことが難しくなったという気持ちが浮かんだりする。今や、いいところ1~2分で、最大限度は3分ではないかと思うのである。もちろん、一方で計測時間が長ければ、現実的な計測回数も減る傾向にある。

 今まで使っていた5分計で体温を計測するには、口腔とした場合、舌の下に挟んで5分我慢しなければならない。あるいは、脇下中央に挟んで5分、その体制をいつでも対応しうるかといえば、その程度なら「出来る」と思っていたが、試しに10分おきに数回体温を計測(同じ体制)してみると、残念ながら結果は変動してしまう。これは、正しく計測できていない証とも言える。結局、体温の計測しやすさと言う点においては、短い時間の方が有利に働くことは容易に想像が出来る。


  だから何!それほど度々体温を測る訳でもないのに、熱がありそうだと感じれば、その時、1~2回計ってみれば良いではないかと思われるに違いない。確かに理屈はそうだ。しかし、自分で熱があると感じる場合は、何度か計測し、その体温変化で、安心したり、不安が募ったりする現実があることを忘れてはならない。つい昨年末、インフルエンザが流行していたことから、できるだけ、決められた時間で体温計測を怠らないように努めてきた。決められた時間とは、8時、14時、19時など1日に3回程度が望ましいとされる。これらの時間では、一般的に健康でも順に体温は上昇傾向になる(標準が36.89度夕方)。しかし、呼吸器系に何らかの疾患を抱えた場合は、夕方になるほど更に体温が上昇する傾向になるため、夕方の体温チェックは必須になる。


 さて、短い時間で計測できる体温計は、予測して結果を出す様に設計されている。その短い時間で予測するという考え方に不信感を持つ顧客も多いとされ、高齢化社会では、拘る年配の人が多いようだ。しかし、精度ばかりに拘わらず、今の年齢で適した体温計を模索することも必要ではないのか。例えば、取扱説明書の文字が小さくて見づらくなったと感じたり、年齢とともに瞬間激怒性が芽生えてきたと感じたら、自覚しそれを修正するように前頭葉に働きかけるとか、それなりに努力が必要である。体温計も自分に適したものに買い換えるぐらいの精神的な余裕が必要だ。

 さて、私は、この写真の体温計を好んだ。誤解をされると困るが、必ずしも「この品物が良い」と申し上げてるわけではない。一般的な体温計だと、どことなく「露骨に神経質な空気が漂う」が、この形状の体温計だと書棚のオブジェとして置いておける面白みがあり、童心に帰れて楽しい。外形デザインは、そういう意味で重要である。新幹線ドクターイエローの姿をしているだけで、身の安全を意識できて、人生の安全運転に心がけるに違いない。また、本体温計の特徴として先端が柔らかく作られているので少々の動きは吸収できそうだ。本機の計測ルーチンは、体温が「変化しない状態が1分経過したら電子音が鳴る」ので、おおむねその状態が最高体温を表示している。しかし、電子音の周波数が高すぎて、年配の人には聞きづらいかもしれない。

 

2015/06/03

旭松 こうや豆腐

 こんなに簡単に、こうや豆腐を口にすることが出来る環境にあるとは知らなかった。今となっては、どのような理由でこうや豆腐を戴く必要があるのか迷ってしまうことも多いが、幼いころに食べた経験から、一種の懐かしさに引きづられて、「やっぱり食べてみたい」と思うことがある。幾つかのメーカーから同様な「即席こうや豆腐」が販売されていて、それぞれ少しづつ出汁の味に違いがあるようだが、それらは、おおむね「甘みの効いた出汁」と言った印象である。こうや豆腐は、高野豆腐(こうやどうふ)とか、氷り豆腐(こおりどうふ)とも記述され、歴史的背景や生産地域によって呼ばれ方は様々だ。JAS(Japanese Agricultural Standard:日本農林規格)では、「凍り豆腐」で統一されている。

  この様な乾燥した食品(乾物という)は長期保存に適している。栄養成分としては、代表的な値として、こうや豆腐1個あたり換算で、カロリー=123kcal、たんぱく質=8.7g、脂質=6.0g、炭水化物=8.7g、ナトリウム=580mg、カルシウム=93mg(牛乳80cc分)、鉄分=0.8mg(乾燥プルーン8個分)となっている。その他、元が豆腐だけに、ミネラル、ビタミン等を豊富に含んでいる。美味しさという意味では、食感は好き嫌いはあるかもしれないが、味付けには鰹エキス、椎茸エキス、昆布エキスが含まれており、日本人が美味しいと感じる要素で構成されている。

 昔テレビで紹介された製法を思い出すと、寒さにおいて極めて過酷な製造方法だった。豆腐が凍る前に作業している人が凍傷になるのではないかと心配するほどで、そこまでして保存食文化を継承しなければならないのか疑問に思ったものだが、最近は全て工場で作られているようだ。原理的には、水切りした豆腐を同じ大きさに裁断し、まず最初に、冬の夜凍るような風が吹く屋外に放置する。しばらくすると凍結するが、夜が明けて昼間は水分が溶け出す。昼夜の温度差で水分の凍結・溶解を繰り返し、徐々に水気が抜けて乾物になる。言い換えると、水分が凍結するとき氷の結晶になり、溶解する時にそれが気穴として残り、スポンジのような多孔質な豆腐が出来るという仕組みなのである。

 したがって、乾燥したこうや豆腐を、和風出汁に浸けることで復元する、これを「戻す」と表現する(単純に「お湯で戻す」ことも出来る)。つまり、ここでは、こうや豆腐の多孔質な気穴全体へ出汁を浸透させる。ちょうど、ミルクに食パンを浸けるような要領だが、加熱することで一様に素早く戻すことが出来る。こうや豆腐が並べられる容器に出汁を解き入れ、こうや豆腐を浸けて、電子レンジで5個12分(500Wにて)加熱。もしくは、鍋に出汁を解き入れ、こうや豆腐を浸けて、5個(10~15分程度)加熱する。出来上がったら、そのまま放置して冷めてから戴く。

 戻す出汁の味が少々甘すぎると感じる場合は、出汁を自作するのがよい。丁寧に出汁を椎茸、鰹、昆布から取り出して作ることで、京都の高級料亭の味にひけを取らないお味を実現できる。元が豆腐なので、原材料は国産大豆もしくは、「遺伝子組み換えでない大豆」と表記された品物を選びたい。
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2015/05/31

ホエー豚丼の具

 ホエー豚って何だったっけ?と忘れてしまった人も少なくないと思うので、まず、ホエーから思い出してみたい。ホエーとは、牛乳から乳脂肪分やカゼイン(乳たんぱく質)を除いた水のような乳精で、身近では、ヨーグルトなどの上部に溜まっている液のこと。ヨーグルトの製造工程で大量に排出される。ホエーの中には、生きた乳酸菌、ミネラル、ビタミン、乳糖等、動物の成長に必要な栄養素が豊富に含まれていることから、海外で、豚の餌として利用されていた。それを参考にして、国内でも同様に豚の飼育に使われるようになった。

 生後30日~95日の期間に、ホエーを50リットル以上飲ませて飼育された豚をホエー豚(ブランド化)としている。ホエーで大きくなった豚は、健康的で、成長も早いとされ、結果、その肉質も優れていて、口当たりの良さとジューシー感のある美味しい豚肉になるとされている。今やそれは全国的に評判を呼んでいるようだ。今回は、そのホエー豚の肉を使って、タレに漬け込み「豚丼の具として冷凍製品」に仕上げた商品を取り寄せてみた。フライパンで火を通し、ご飯の上に乗せるだけで、すぐに豚丼が作れる。

 正式名称は、北海道・十勝「花畑牧場 ホエー豚丼の具」となっており、類似の商品は、ネット上でも沢山紹介されているが、私はショップチャンネルで取り扱っている商品を選んだ。内容は、ホエー豚肉120g とタレ60g の 6丼分(アレルギー表示は小麦)になっている。取り寄せたこの商品は、17cmx14cmx1.5cm (厚み) 程度の袋に収まっていて、6枚重ねても、冷凍庫内でのスペースファクターは良い。冷凍庫から1枚取り出して、冷蔵庫に移して2時間ぐらいで解凍出来る。

 漬け込まれているタレは、醤油、砂糖、みりん、日本酒、昆布エキス、魚介エキス、酵母エキス、調味料としてアミノ酸などと記されていて、大変美味しく出来ている。丼用のためか和風な感じが強い(もっぱら個人の感想)。実際、お肉に火を通す時に、生姜を擦って加えれば、ご飯と味噌汁を付けて、しょうが焼き定食風にもなるし、そのまま包丁を入れて酒の抓みにも最適かもしれない。とにかく手早く豚肉料理が出来上がるので重宝する。既に、ホエー豚は調味液に漬け込まれた状態になっており、豚肉を比較する条件が揃わないので、ホエー豚の美味しさを単独で味わうことは出来ないが、バランスのよい味付け(濃い目)で仕上げてあるので、「とっても美味しかった」という印象は残る。
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2015/05/27

メイズ・ランナー

 メイズ(MAZE)とは、「迷路」のこと、しかし、この映画に登場する迷路はとてつもなく巨大で、おまけに日々作り変えられているようだ。タイトルに、ランナーと言う言葉を連結することで、巨大迷路の中を逃げる者と、追いかける物が登場する構図を暗に示唆している。舶来の映画作品には共通するかもしれないが、日本語訳をカタカナで表記されると、それが一体何を指しているのか当初は戸惑うことがある。文章で説明するにも、いきなりでは意味不明に思えるので、言葉とその意味の概略を説明しておきたい。

 そこには、若者が数十人登場するが、その若者が記憶を消してリフト(エレベータのような構造)で送り込まれてくる場所(グレードと呼ばれている)は、森林や草地が広がっている。その、緑地帯の周囲は四方向とも巨大迷路で囲まれている。巨大迷路には、ゲートがあって、朝開き侵入できる。また、夕方ゲートが閉じるまでに戻らないと、巨大迷路の中にグリーバーと呼ばれる怪物が出て、そのグリーバーに刺されることで徐々に死に至る。昼間グリーバーが現れない時間帯に数名のランナー達(リーダーはミンホ)が内部の構造を調べる任務を託され、巨大迷路に侵入して調査を行う。この作業は既に、ランナー達によって3年間継続されてきており、ミニチュアモデルさえ再現されていた。


 作品の冒頭から一体これはどんな作品なのか、疑うような視点で目を皿のように、耳をダンボのように広げて、作品に入り込むことになる。その緊張感に、かつて味わったことのない好奇心が加わり、さらに、気持ちを奮い立たせる巨大な風景が広がっている。作品冒頭からグレードに送り込まれたトーマス(記憶を失っている)の質問を通して、グレードに居る若者達の反応の中に、何か巨大迷路に対する憶測あるいは関連付けられるものは無いか考えを巡らせてしまう。しかし、グレードの中に居る若者には、様々な考え方、あるいは主張があり、トーマスの好奇心と実行力は妨げられる。

 しかし、ある日トーマスはアルビー(グレードのリーダー)の怪我を救うべく迷路に入り、グリーバーと戦い、ミンホの助けによってグリーバーを倒す。また、その勇気と活躍をミンホが評価し、ニュート(グレードの第2リーダー)は、トーマスをランナーの一員として承認する。その後、迷路をミンホと共に探索し、グリーバーの死骸から取り出したカプセルの誘導によって迷路の抜け路の一部を解明する。ここまで進んでも、まだまだ、観る者の好奇心は継続するが、なのにトーマスは謎をすべて解明する前から、グレードに残るか迷路を通って脱出するか全員に選択を迫る。この段階では、迷って当然と思う訳だが、勇気ある者は迷路に入りグリーバーと戦いながら辛うじて脱出に成功する。もう少し、迷路の調査を通して、観る者にその構造を説明するとか、内部の謎の解明に時間を掛けるのかと思ったが、意外にもさっぱりと通り抜けが出来てしまった。
公式ホームページはこちら
http://www.foxmovies-jp.com/mazerunner/home.html

 しかし、残念なことに、脱出に成功したからといって、その場に居た者が自由になれるとは限らなかった。その驚愕のラストとは、一体どうゆうことなのか。

2015/05/24

有機ルイボスティー

  ある朝、鏡の中に、一瞬父親がいて、はっとすることがある。おっと「どうした親父、疲れてるな」、いや俺か、と我に返る。そういう時に、親父が今の自分ぐらいの年齢の時には何をしていたか、古い記憶を繰り寄せるような気分になることがある。親父は、昔の人間だから、1人になると何か書き物をしていた。建設機械や土木の書籍も多く執筆していたが、「同じような本を何冊」も書いていて、もはやそれは趣味だった。それに邪魔にならないよう、いつも遠くから見守る距離感があった。そして、その机には、何か赤い「お茶」が用意されていた。

  親父のように、「研究熱心とか、学問が好き」とか、そういう部分は自分に遺伝しなかったが、しかし、どうしても切り離すことが出来ない、体質的というか DNA的な因果の継続、つまり、体に良い物、適する物は、同じ様に効果があるに違いないと思っていた。だから、その「赤いお茶」にも少し興味があった。一体それは何か。親父は眼鏡越しに曰く「黒人が元気なんは、このお茶を飲みょーるけよ」と自慢そうに話していた。しかし、自慢するほど本人は元気ハツラツだったわけではない。親父は、強靭なタイプではなかったせいか、若いころから健康食品マニアで、次々と珍しい物を探してきては、口にしていたような記憶がある。中には体に合わないものもあったに違いない。

  その口ぶりから、赤いお茶は「アフリカ産だということ」は知っていたが、何せ当時(50年前)は、今ほどアフリカに関心はなかったので、少々胡散臭く感じていた。それが、ROOIBOS(ルイボス)ティーと言う名称だったということが、ごく最近分かったのである。このお茶は「茶外茶」に属していて、ブラジルのマテ茶などと同じで「茶葉」ではない。同じ種類として扱われていのは、そば茶、麦茶、昆布茶、黒豆茶、等が属する。茶外茶と言う印象からは「茶葉」から抽出しないので、沸騰させながらある程度時間を掛けて煮出すという印象がある。ROOIBOS(ルイボス)ティーも、アフリカ原産のマメ科の植物で、針状の葉を持ち、その細かな葉を発酵、乾燥させたものが使われており、少し煮出した方が良い。色は赤、渋みは少なく、カフェインを全く含まない。

  現代人は、刺激を求めるように何杯も紅茶やコーヒーを飲むケースがある。特に、自らを痛めつけるように「新たな作品を搾り出す、創作的な仕事をする人」には、カフェインの刺激が頼りになる。しかし、人の体には、大量のカフェインが一挙に入ることは、中毒を起こしやすい。そんな事情から、カフェインは体に良くないと言われ続けてきた。そんな話がにわかに広まってから、この茶葉を使わない飲料の効能が注目されてきた(先日、カフェインの多く含まれるコーヒーやお茶は長生き出来る傾向があると発表されている)。そこで、どうせ選ぶなら、体によいものをということで、それに含まれる成分が比較されるようになり、ミネラルを大量に含むROOIBOS(ルイボス)ティーが一際脚光を浴びるようになったのである。天然のミネラルは人工の錠剤などより吸収しやすく、内臓を傷めつけることもない。アフリカの大地に秘められたパワーをすーっと体が吸収してくれ活力が沸き上がってくるようだ。ほんまか。
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2015/05/20

ボンヌママン

  かつて、「レシピ広がるブルガリア・ヨーグルト」をバター代わりに食パンに使い、低脂肪と低カロリーを実現することが、高カロリーを許さず「くたびれた体」には最適という、まるで摂生した住職のような話をしておきながら、一方で「今日のような、砂糖を大量に使った商品」のことを「美味いぞ」っていうのは、はなはだ抵抗があるにはあるが、美味しいものは美味しいし、それを古き伝統の美味しさとして扱ってみたい。昔からある商品なので、珍しくは無いが、同種類の他の商品を調べ、次はこれ、その次はこれといった具合に次々と試してみても、結局これに戻ってしまうのである。

    基本的にマーマレードは、甘夏など夏みかんで作られる。私が松山にいたころ、もちろん、半世紀も昔の話だが、母は、ネーブル、伊予柑、レモンを独自の割合でブレンドし、マーマレードを作っていた。「この方が美味しいんよね」と自慢げに話していた。松山は、柑橘系果実は品種も多く、品数も豊富で、価格も安く、マーマレード作りには適した地域で、近所の奥様方も、競って作るぐらい一般的なものだった。それらは、やはり人柄と言うのか、甘味や酸味に対するポリシーが反映されていた。当時の市販のマーマレードは、柑橘果汁に砂糖を混ぜて寒天で固めた程度のもの(ソントン)だったので、それら自家製は貴重な品物になっていた。

  今日紹介する、このボンヌママンのマーマレードは、そんなことを思い出させるような甘みと酸味がバランスよく閉じ込めてあって、「懐かしさ=本物らしさと美味しさ」が際立った商品である。大変美味しい反面、心の奥底で「危険を感じる甘味」だとも思っている。それもこれも、このマーマレードの甘さは、当時母がマーマレードを作る様子、つまり「砂糖を大量に鍋に入れる姿」を思い出すからである。うーむ、この甘さは危険だ!でも比類の無い「美味しさ」がある。たくさん食べないようにすれば大丈夫か?それにしても、忘れられない味なのである。

  ボンヌママンのマーマレードに魅了されて以来、同じシリーズの商品の中に、他にも美味しいものが「きっとあるに違いない」と思ってきた。いくつかの種類を次々と買い求めてみたが、このボンヌママンでなければ味わえない商品としては、どれも素材が良いことを印象付け、原材料の美味しさをとことん追求してある。今日の写真はマロンとミルクを用意した。ただ、どれも砂糖は大量に使われているので、カロリーを気にする方にはあまりお勧めできないが、PDF写真の商品ぐらいは、朝食のお供として一度試してもらいたい。
ではこちら
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補足:原産国はフランス。
 

2015/05/17

本場讃岐の鍋焼うどん

  テレビショッピングで、冷凍食品の紹介番組は定番である。その冷凍食品が活躍するのは、時間がなくなった時とか、体調が悪くて気力が無い時である。そこには手抜きも便乗して、常日頃から何か美味しそうで、口に合う食品はないかと、さりげなくテレビを食い入るように観ることがある。しきりに、美味しい!美味しい!と連呼するので、最初は「ほんまか?そんなん訳ないだろう?」とか邪推しているが、途中スタジオに電話がかかってきて、顧客の絶賛する反応を聞かされたり、注文数がどんどん増えて在庫の残りが少なくなる状況を見ると、徐々にその演出テクニックに追い詰められ、さっきとは裏腹に、うーむ、「美味そうだ、早く電話しなくっちゃ」と焦ってしまうようだ。

  今日は、そんな中から「本場讃岐の鍋焼きうどん(販売者:ショップチャンネル)」を取り寄せたのでレポートをする。おおよそこのような品物は、どこかに「天ぷら、蒲鉾、あるいは野菜などを加えると一層美味しく戴けます」とか書いてあるものだが、本品は、完パケ(完全パッケージ:全て揃っている)になっている。つまり、鍋を用意してお水を300cc注ぎ入れ、沸騰したら凍ったままの麺を、具を上にして鍋に投入する。煮立ったら付属の濃縮の出汁を入れて、再沸騰したら出来上がりになる。したがって、土鍋を使ってしまえば、中身を器へ移し替える必要もない。

  この「本場讃岐の鍋焼きうどん」には、具として 海老の天ぷら、味付けお揚げ、蒲鉾、人参、ほうれん草、乾燥わかめ が入っている。これが完パケの内容だ。調理と言うほどのものでもないが、仕上げて口にすると、つゆの味が薄い事に気がつく。決して濃い味が好きなわけではないが、そのままで美味しく戴くには水分量を半分ぐらいにするか、出汁を追加する必要を感じる。出汁を追加する場合は、「ヒガシマル食品」の「うどんスープ 粉末つゆの素」が手軽で美味しい。1袋を250mlのお湯で溶かしたものを使用すると良い。そして、たっぷりの美味しい出汁で沸騰させる。これで、卵を入れて固めても出汁の味が薄くなる事はない。

  本場讃岐と書かれているので、本来ならば、僅かな塩を追加するぐらいで、本来の味はいじりたくはなかったが、食べ方は、人それぞれで、何度か同じものを口にしたり、試行錯誤の末、「ヒガシマルのつゆの素」を追加して作ることが多くなった。かつて大昔に、高松に住んでいた事もあるので、そのイメージを再現したいと願った結果かもしれない。関東の人には、出汁醤油等を追加することで、しっかりしたお味に整える事で、より美味しく感じられるかもしれないが、いろいろ試して自らの好みを追求したいものだ。鍋焼きうどんなので、お味の柔軟性は広い。
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2015/05/13

Dr.Scholl の電動角質リムーバー

 日本語で「ショール」というと、肩にかける防寒用衣類であったり、頭にかぶる大き目のハンカチを連想させるが、その発想の延長線では、Dr と付いている不可解さは解消されない。極自然に考えるべきで Dr.Scholl =「ショールと言う名前のお医者様」である。そして、タイトルを訳すと「ショールドクターお墨付きの電動角質リムーバー」 ということになる。販売者はレキットベンキーザー・ジャパン株式会社。会社名は知らずとも Dr.Scholl は広く知られている。

 足下の角質が削られて、それが、パウダーのような煙に変わり、ほのかに漂う。そんな、綺麗になった踵の様子を見せられるTVCM を眺め、ありそうで無かった、この商品の構造に「なるほど」と感心してしまった。いや、「今時そんなの当たり前だよ」と思われるかもしれないが、商品を手元に取り寄せて、初めて関心すること(ヤスリの中央部がわずかに膨らんでいる)もあったり、あるいは、それを他に転用できる可能性(ヤスリ部分が交換できる)を考えたりするのである。ここまでニーズにジャストミートしていると、その素晴らしさに心が揺さぶられる。そこに、従来と「美を追求する価値観の違い」を感じないわけにはいかない。

 昔の日本人は、とかく器用な人が多かったので、足下に角質があったら、指の爪で削ったり、ヤスリでゴシゴシしたり、タコやマメがある場合などはカッターで削ったりする。私が幼い頃は、天気の良い日などは、縁側で文化包丁を器用に使って足のタコやマメを削るじいちゃんを見かけたことがある。もちろん、目を背けてしまうが、結果、血だらけになることもなく、仕上げにいたく満足する御様子だったことを記憶している。しかし、今、自らに当てはめてみると、削り取る部分によっては微妙に調整を必要とするケースもある。つまり、少しづつ削って「按配を探る」という行為が必要なのである。

 足は、左右共に3点間の筋肉張力で支えられている。それらは、親指の付け根、小指の付け根、そしてかかとになる。いずれも、分厚い皮膚で覆われているが、親指か小指の付け根のいずれかの皮膚が硬くなって、タコやマメが出来たりすることがある。それを無理して放置したままでいると骨盤にまで影響が及び、腰痛を発祥することもあるようだ。しかし、その分厚い皮膚は、一気に削りすぎると、再び自ら皮膚が厚くなり、しかも固く生成されて削られた部分を保護するので、わずかでも削り過ぎは禁物である。そこが、常に気に掛けて、微妙に「按配を探る」必要がある事情なのである。按配を探るには、「研磨と歩き具合」を繰り返しながら調整することであり、操作が簡単で僅かな削りに対応できる必要がある。

 この電動角質リムーバーは、角質のみならず、タコやマメあるいは、使い方によっては爪までも綺麗に仕上がる。いずれも、すこぶる軽快で具合が良い。これによって、もう角質で靴下を傷めることもなくなるし、腰痛の原因も取り除けるかもしれない。家族全員で使って3,000円はお安い。
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2015/05/10

300gのフルーツサラダヨーグルト

  お腹に安全な「おやつ」と言ってもよいヨーグルトだが、市場では次から次へと新たな商品が投入されている。これらを消費者側から観ると、飲むヨーグルトと食べるヨーグルトに大別できる。また、効能を売り文句にした、体の「免疫力を高める効果」を強調したもの、特定の「体調改善効果」を目的としたものなどが目に入る。一方で、高級感を出して「大人が芳醇な時間を満喫する」ための商品、あるいは、カロリーを抑えたもの、甘みを後で加えるものなど、また、「4パック入って98円ぐらい」がお手ごろよね!と言った完全に子供のおやつ向けまで、用途別にそれぞれ競争がなされてきた。

 何を選ぶかは、「テレビCMや店頭での印象」が重要な役割を果たす。しかし、不思議なことに、特定の「体調改善効果」を目的とした商品を探しにスーパーまで出かけたのに、なかなか見付けにくく、色々見比べている間に、パッケージからくる写真等の刺激によって更に空腹感も増して、徐々に「大人が芳醇な時間を満喫する商品」のほうへ触手が移ってしまったことも少なくない。かつて、これらの代表例は、文字通り「贅沢ヨーグルト(2010年7月2日紹介済み)」や「PREMIUM RICH(2012年6月12日紹介済み)」等もあったが、今は製造・販売が停止されている。

 最近の、このカテゴリーとも言うべき、フルーツ果肉をふんだんに使ったタイプは、「フルーツサラダ」が幅を利かせている。ファンが飽きないように季節を通じて、色々な果物タイプを用意してきた。それは、丁寧に前加工した果物を漬け込んだ商品とも言え、果肉からにじみ出た甘味と風味が独特の味わいを提供している。発売当初、間違いなく魅力的な商品と感じたが、価格がお手ごろとは言えず、少々継続は難しいと思ってはいたが、少しづつ時間を掛けて地道に市場を広げてきたようだ。もちろん、贅沢感と満足感の両方が得られる商品なので、ファンも増え続けているのだろう。他に、正面きっての競争相手がいないと言うのも、この商品の強みなのかもしれない。それだけ難しい市場に掛けているということでもある。

 今日は、その「フルーツサラダ」の300g大型パッケージ版(透明プラの蓋付き)と「どっさりフルーツ」の120g版を紹介しておきたい。何故300gなのかは、この「大人が芳醇な時間を満喫する」商品がお好きな方なら説明する必要は無いだろう。ま、「贅沢感と満足感の長時間化」とでも言えるような楽しみを提供してくれる。その比率は、重量では従来の130gに対して、なんと2.3倍で、価格は、従来の130gが174円(税別)に対し、300gは360円(税別)と2.06倍となっている。これで、サラダ風ヨーグルトの食べ応えを追求する人には、ぴったりの商品になった。
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2015/05/07

ねこぶまんま

  多少歳を重ねても、まだまだ「若い者には負けしませんでぇ~」と言う人は少なくない。しかし、具体的に勝っているところを観ることもなく、単に頑固になっただけとか、精神的な健康論を展開し、体の柔軟性を自慢するなど、平素から努力を怠らない姿勢を見せつけられる。さらに、健康に良いとされる自然食品も確保されていて、100億個の乳酸菌の入った青汁などは、ことあるごとに勧められる。そんな姿から、今「自然食品に興味を持っている人」がとても多いことに気がつく。そこで、自分としても、「こよなく愛せる食材」は何だろうと考え続けてきた。

  単なる先入観と言われてしまえば、そうかも知れないが、口にする物に期待するのは、特別ポパイのような腕力を伴う活力ではなく、やはり基礎体力的な免疫力の正常化だと思っている。それは、風邪をひいても年々治りにくく、徐々に長引く傾向があるからで、ここを早くから何とかしておきたいと思うのである。テレビなどで「肺炎をこじらせて亡くなられた」という話を聞くと、「やっぱりな」と、日常的な免疫力を改善しておきたいと痛感する事も多い。それは、にんにくのような瞬間的なパワー効果でもなく、例えば、母から受け取る基礎的な初期免疫力のような効果なのである。

  振り返ってみると、比較的に注意して食べているのが海藻類である。特に昆布を加工した物は何かと口にする事は多い。このブログでも、「めかぶや昆布出汁」を扱った話しが多いのも、そのような背景かもしれない。科学的根拠とか真偽の程は分からない(単なる思い込みとか感想の部類)が、自分でも「昆布の旨味成分は、体の免疫に影響している可能性がある」と考えている。それは、日本人としてのDNAに組み込まれていて、少しづつ口にすることで、「粗食でも免疫力が維持できる」のではないかと考えるのである。そのような考えを煮詰めていくと、「美味しい昆布や旨みの多い鰹だし」も健康に良いのではないかと想像するのである。もっとも、種の起源は海にあることから、そのように考えるようになったのかもしれない。

  そこで、それらの素材をごちゃ混ぜにした物を見つけた。それが今日の「ねこぶまんま」である。これは、北海道の東部で採れる「ねこ足昆布」を手すきにし、鰹節と白胡麻(とても良い組み合わせ)を加えた商品で、今、空前の人気を呼んでいるらしい。中は、ふりかけのような細かな食材をごちゃ混ぜにした形になっているので、どうみても「花鰹」や「とろろ昆布」の親戚のような使い方になるが、単調な食材と組み合わせると旨みが引き出せるので重宝する。また、比較論として、付け加えると、この商品の生産者は、昆布の乾燥を「天日干」しにしていると強調している。何を隠そう、実は、そのことがとても重要なのである。火力を使った乾燥機で乾燥させた昆布は、生産効率が上がる反面、品質や味が落ちてしまい、昆布に含まれる養分(ビタミン、ミネラル、グルタミン酸)が減ってしまうと古くから言い伝えられてきた。つまり、そのような拘りを1つの宣伝にしていることで、この会社の「まじめさ」が伝わってくるのである。
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2015/05/03

深川めしの穴子のせ

 東京駅も随分変わったな、と左右にお店が並んだ通路を通りながら、それでもまだ工事中のところは多い。いったいいつになったら最終完成版を公開してくれるのだろうか、楽しみでもある。東京駅に来ると、旅人でなくても最初に思い起こすのが弁当である。先々週、新幹線に乗り込むやいなやビールを開ける「プシュ」の音があちこちでして、じわーと弁当の匂いが自分の席まで押し寄せてきた。久々にまいった、別腹が疼いたのである。そこで、今日は自分も弁当を買ってから乗ることにしたい。

 物価上昇とともに、弁当の価格も徐々に上がってきた。でも「買っていいな」と思えるのは、いいところ1,800円(お茶込み)までで、鰻弁当の2,200円は少し辛いというのが正直なところだ。何処の駅でもそうだが、特に東京駅は場所代が高いから、テナントは安く仕入れた商品を高く売らざる終えない状況にある。ただ、東京駅のJR東日本から東海道新幹線乗り場のJR東海の改札を抜けるまで弁当を買えなかった乗客にとっては、10%ぐらい高くても納得感はある筈だ。

 現役のビジネスマンは、相手のスケジュールもある仕事だから時間的に諦めるしかないにしても、自由気ままな旅人なら、弁当は駅へ行く途中の「デパ地下か弁当の老舗本店」で買い求めるのがよい。駅構内で売られているのは「駅弁」であって、「デパ地下や老舗本店」で売られているのは、単に「お弁当」である。競争力が高いのは後者で、それらは、常に厳しい目が注がれているからだ。したがって、少し美味しいお弁当は、朝10時からデパートで買い求めたい。

 美味しいお弁当、とか競争力のあるお弁当とは一体どういうことか。評価するポイントは人それぞれだが、1.優れた食材で作られている、2.好きなものが入っている、3.手の込んだ仕事をしている、等が挙げられる。鰻弁当なら静岡産の鰻であったり、牛肉弁当なら浅草今半とか、炊き込みご飯なら深川飯とか、色々と手を変え品を変えて購入することで、自分の価値観と照らし合わせて評価する事が出来る。ふと、何気なく、そうそうあれ「また食べたいなぁ!」と思ったら、やはりそれは美味しいお弁当といえる。


 上の写真は、深川めし弁当のシリーズで気に入った弁当の1つ。ご飯は、もちろん浅利を炊き込んだ「深川めし」。その上に小ぶりな穴子を3列並べ、深川太郎(会社名)伝統の味「厚焼玉子」も盛り付けられている。例え小ぶりな穴子といえども、他の弁当のような、穴子を細かく切り刻んだ姿とは異なり、江戸前を姿形で表現しているところや、最後まで飽きが来ない味わいの深さに好感が持てる。

 連休を自宅で過ごす人にとって、お弁当は嬉しい一品になることもあるし、平日でも映画を観た後に戴く目的で、早めにデパートの地下で弁当を買っておくのも良い。コストパフォーマンスのよい人気の高い弁当は、すぐ売れてしまう、遅くともお昼までには完売だ。しかし、やや高級な(1,500円以上)お弁当は、夕方でも売れ残りがあり、値引きの札(-300円)がついていることもある。2割程度の値引きが目安だ。逆に、このような高級弁当を狙い目と考えるなら、夕方店頭で弁当を物色しながら「何だ1,000円の売り切れなの?」と呟きながら、迷っている(ふりをする)と、「こちらはいかがですか?」と2,000円の品物を400円引きで提示されることがある。夕方なら、こういう優柔不断作戦もアリだ。

2015/04/29

ブルーベリー葉茶

 健康食品には、共同研究で生まれたものが多い。共同研究は、幾つかの専門分野のエキスパートが集まって「お金になる木を育てる」という概念として捉えることが出来る。そのためには、研究する対象の特異性または特徴を分析し、それを探求する人、そして、その特徴が人にもたらす効果を検証する人、さらに、効率よく特徴を抽出し、適正価格で全国的に販売できる人と、概ね3つの分野に長けた人たちが集まる必要がある。

 その中でも最も難しいのは、その特徴がもたらす効果を検証してみせる事といえる。たとえば、その特徴の1つとして、それに含まれる物質が「高血圧に良い効果をもたらす」とする場合、それをどうやって証明するかが大きな課題である。一般的には、その高血圧に良い成分が多く含まれ、そのままの形で抽出される→食べたり、飲んだりすることで血圧が下がる→健康に良く、元気になる。という三段論法の形で表記されている。

 あるいは、影響力のあるマスコミや権威のある大学教授などを使って推奨する事もあるが、おおむねハッキリしたことは口にしていない。したがって、テレビなどでは、付帯事項として「個人の感想です」と表記するしかない。また、幾つかの効能が併記されていることもあるが、それは、一種のマーケティングで、対象になる人が幅広い方がより売れると言う概念だ。しかし、顧客が求めているのは、ピンポイントでも明らかな効果なのである。


  したがって、すべての健康食品は、一般的に自ら口にして試してみる他はない。しかし、手当り次第片っ端から口にするわけにもいかないので、自分の弱いところを補うように心がけて試してみるしかない。たとえば、胃腸が弱い人は青汁系食品が良いだろうし、視力が弱くなったと感じる人たちには、ブルーベリー系が良いとも言われていることから、このような商品に興味を持つのも自然なことといえそうだ。製造元も、多くの人たちに試験的に試して、良い結果が得られたに違いない。

 今日の商品は、ラビットアイブルーベリー葉に含まれるポリフェノールを、宮崎大学と宮崎県の共同研究により、独自製法技術によって、商品化したもの。葉に含まれるポリフェノールを損なうことなく抽出し、比較的安価でしかも年中飲みやすい葉茶として提供したという。ティーバッグ1袋300ccのお湯でおおよそ5分蒸らして抽出する。1パッケージにティーバッグ21袋入っている。実際に10日ぐらい飲み続けてみると、目がスッキリしてテレビやディスプレーの見え方が良くなっていることも実感できる。これも「個人の感想」ということである。

 また、茶葉のみならず、錠剤なども用意されているので、同社としては、ポリフェノール効能には相当の自信があると思われる。それでも、所詮健康食品の領域の品物で医薬品ではない。
詳細はこちら
https://www.i-port.or.jp/biomed/top_bluevery_kaihatsu.html
 

2015/04/25

セッション(原題:WHIPLASH)

  奏者仲間が集まって演奏をすることを「セッション」と言う。セッションは、奏者の楽しみでもある。そのためには、音楽的素養が同じ奏者が集まることはもちろん、互いの感性に合わせて演奏ができることが要求される。音楽的素養とは、幼い頃から培われ、体に埋め込まれた「正確な音程感」と「楽器を操作する技術」である。音程は物理で言うと周波数だが、奏者は相対的な音階(イタリア式:ドレミ・・・)でコミュニケーションする。譜面を見て演奏するには、正確に音(周波数、大きさ、長さ)として再現する能力が必要になる。これを生かすのが「身につけた音楽センス」である。音楽を専攻するには、最低限、譜面が読めること、正確な音程を再現できること、楽器の操作が正確に行えることなどが必須になる。それでも、セッションをするには、曲を暗譜しておく方が良い。

  音楽を提供する奏者は、誰でも譜面を見てその音を瞬時に組み立てる作業を行う。何か手本の真似をすることではないので、基礎が出来ている奏者が更に技術を磨くには、練習あるのみといえる。また、その練習も、1人では限度があるので仲間とセッションする必要がある。しかし、下手な仲間といくらセッションをしても上手くなることはない。だから、常に優れた仲間に入りたいと考えている。趣味なら、この程度の思考で十分に歌唱や楽器演奏を楽しむことができるが、頂点を目指して「それで飯を食う」ということになると、やはり最後に問題にされるのが「執念にも似たやる気とそれを支える不屈の精神」になる。つまり、指導者から鞭で何度打たれても、目標を見失うことなく這い上がってゆく精神力が必要だ。セッションの原題のWHIPLASHとは、「鞭で打つ」と言う意味である。

  全米屈指の名門校のシェイファー音楽院を舞台に、入学したばかりのドラム専攻の生徒アンドリュー・ニーマンと鬼教師と言われるテレンス・フレッチャー教授の間で繰り広げられる「執念の熱血指導」を描いた作品。公式ホームページはこちら http://session.gaga.ne.jp/


  フレッチャー教授は、ある日ニーマンの練習を見て、才能を発掘すべく目を付ける。数日後、全員バラバラの音を出しているニーマンの所属するバンドに現れ、それぞれ奏者の音をチェックして、ニーマンに自分のバンドに移るように指示する。それからフレッチャー教授の狂気にも似た指導が始まる。ある時は、バンドのトロンボーンの僅かにずれている音程をメンバー全員の前で責めたて、メンバーからはずす。それをみて、ニーマンも震え上がる。一方、ニーマンへは、テンポが違うと何度も何度も罵られる。そんなフレッチャー教授の仕打ちにもめげず、偉大なドラマーへの夢を叶えようと、ひたすら血の出る程の練習に没頭する。・・・と、あまりくどく説明するより、こちらを見てもらったほうが早い。https://www.youtube.com/watch?v=65P_HY_3aF0
 
  それにしても、フレッチャー教授の狂気の指導は、学生の才能を発掘して偉大なミュージシャンを育てるための1つの手段でしかない。しかし、現実にはこのような指導は通用しない可能性がある。だから、この作品は、一種の「指導者のロマンであり、学生の目指す究極の夢」と言えるのではないだろうか。今は、仮に学生に野心があったとしても、指導者側の熱意が行き過ぎたり、周囲に誤解されると、先では職を失うリスクさえ抱えているので、不本意ながら慎む傾向になる。そこは無難に、そこそこの演奏で、「良かったよ」と教授が褒めれば、「そうか、これでいいんだ」と判断するだろうし、有頂天になり、それ以上を望む活力さえ薄れてしまう。一方、貶されれば萎縮してその道から離脱することもある。僅かな勘違いであったとしても、そんな精神薄弱な学生に、教授は付き合うことは出来ないだろう。作品の冒頭から、そういう構図を見せ付けられるが、ニーマンは耐えに耐えてフレッチャー教授に必死に喰らいついていく。しかし、行き着くところ、ニーマンは退学、フレッチャー教授もシェイファー音楽院を去ってしまう。

  それでも、フレッチャーは、ニーマンの才能を見捨てられずにいた。もちろん、彼の不屈の精神にも可能性を見出していたからだ。フレッチャーは、ニーマンの住む街の近くのクラブでライブを開催し、彼が来るのを待ち構えていた。ある夜、街にはライブの音が漏れ聴こえて、ニーマンはその音に吸い込まれるように店に入り、フレッチャーを見つけてしまう。後ろめたい気持ちでニーマンは店を出ようとするが、フレッチャーに呼び止められる。酒を飲みながらフレッチャーは、「今までの仕打ちの背景と、それを後悔していない」ことを打ち明ける。別れ際には、フレッチャーはJVC音楽祭で、彼に代役を務めることを持ちかける。迷ったがニーマンは再びそれをチャンスにしようと立ち上がる。

  この作品の「セッション」の意味するところは、そのJVC音楽祭のステージの最後で「ニーマンとフレッチャー2人のセッション」として演出されているところだ。かつてこのようなエンディングは見たことはないが、観る者を少しだけ安堵させてくれるところが嬉しい。

 音楽作品(風?)なので、音響にそれなりの期待をしていたが、シンバルの音が訛り、パルシブな音も潰れていたりと、音を加工しすぎではないだろうか。あるいは、ドルビーシステムの影響なのだろうか。また、カメラが追う楽器と違う楽器の音を拾っていたりと、画面から伝わる緊張感とちぐはぐに感じ、そのあたりに「作品が安作りの印象」として見えてしまう。珍しく「心に突き刺さるような力作」だけに、フレッチャー風にもう少しちゃんと音に拘って「品位の高い隙の無い作品」に仕上げて欲しかった。

2015/04/23

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

   セントジェイムス劇場を出て、タイムズスクエアを歩き、群衆から揉みくちゃにされながら注目を浴びるシーンのCMが話題になって、なぜパンツ一丁なのか不思議に思う人も少なくない(その経緯は作品の中で楽しんでほしい)。その様子から 「バードマン」というより、「パンツマン」の印象がピッタリかもしれない。しかし、このシーンが「予期せぬ奇跡」を巻き起こすことから、タイトルに副題として付け加えられている。

 そして、その「無知」とは、ツイッターやフェイスブックを知らないパパ(=リーガン:パンツマンのこと)を責める娘(=サム)から見た「パパの様子」なのである。ならば、バードマンって?と続くかもしれないが、バードマンとは、架空のスーパーヒーローだった「バットマン」を捩ったようだ。何故なら、1989年に公開されたバットマン(マイケル・キートン)を演じていたリーガン(=マイケル・キートン)のその後を描いているからだ。そりゃー、かつてのヒーローがパンツ一丁でタイムズスクエアを歩けば、群衆は「バットマンだ!」って喜んで叫ぶだろうし、ツイッターやフェイスブックで即話題になり、拡散するに違いない。
公式サイトはこちら http://www.foxmovies-jp.com/birdman/


 バードマンで一度スターとして君臨したリーガンも、4作目を断って以来長い間オファーのない日々を過ごしながら、少々卑屈になっていた。そんな境遇から抜け出すため、自ら演出、主演するブロードウエイの舞台(格調高い)に立ち、それを踏み台にして再起しようと企てた。そんな計画を進める中、様々な不運が付きまとう。冒頭から共演者が舞台で怪我をしてしまい、代役を探すが、その代役(=マイク)は有名かつ有能だが、演出を貶したり、台詞の言い回しまで古臭いと非難する。さらに4倍のギャラを要求するなど手に負えない。そして、付き人の自分の娘(=サム)も言いたい事をはっきり言うマリファナ常習者、決定的なのは、舞台の評価を決定付ける「評論家タビサが史上最悪の批評」を載せると脅す、そして、追い討ちをかけるように、かつての自分自身(=バードマン)からも駄目出しを食らってしまう。そんなトラブルが続いていた。

 映像は、ステディーカム(撮影者の動きに滑らかに追従できるカメラの支持機構)付きによる1カット(切り替え、編集が無い)風の撮影になっていて、狭い劇場の通路を縦横無尽に駆け巡る。1カットのロング・ショット撮影では、俳優に秒刻みのスケジュールが割り当てられ、それを精密に演じることで、カメラは我々観客の視線であったり、ある時は、リーガンを含めた俳優たちの目線を追って撮影が進められていく。バックには、リズムを刻むドラムが流れて、あたかもそれが時計のように、淡々と時を刻む。まるでカメラとドラムのセッションのようだ。その連続によって日程(4日間)の区切りまでも見事に再現している(勿論その演奏中のドラムの前を通り、リアルタイムで演奏していることを裏付けている)。このあたりは、極めて技巧的で観る者を「うーむ、凄い」と唸らせる。作品全体の音楽のセンスも最高だ。そこが、同じ業界で仕事をする人にとって驚きにも似た感動を呼んだに違いない。余計なことだが、CMの背後に流れている曲も素晴らしい。
ここに参考にできる特別映像がある
https://www.youtube.com/watch?v=lau3bJB05P8

  印象に残るのは、役者が役者を演じているところで、あまりにもそれが自然に観れてしまうのだが、自分が演じる役が意に反する役でも、それを何度々も演じ切ることで、どこまでが自分なのか、あるいは、それが自分自身の一部になってしまうのではないか、そこで役者としての自分に満足できるのか、そんな言葉に出来ない矛盾やストレスを抱えていて、その環境に見舞われながらでも、抜け出す方法は、より高見を目指すしか無い。一方、そんな苦悩とは裏腹に、とかくファンは分りやすい作品(低俗性)を好む。この作品には、そんな役者の苦悩を再現しながら、ファンが好む低俗性が同居している(捻りの舞台)ところは目が離せない。映画は芸術の顔をした売り物だけど、評価はそれに全て集約される。かつて大スターに祭り上げられたヒーローが再起をかけようとする時、考えもしなかった低俗性の濃い事件が起こる。それが冒頭で説明したCMのシーンで、これを観た人の心を鷲づかみにして作品に引き込み、あなたにも「小さなバードマンがいる」と背後から囁やくのだ。そうすると、タイムズスクエアをパンツ一丁で歩いて、ファンから揉みくちゃにされても、それも「ファンの愛」ならば、忘れ去られるより、「はるかにありがたい」と言う意味が理解できるに違いない。そして、結局彼はコメディーから抜け出せなかったのである。

  映画ファンなら、観れば分るだろ的な構成なので、一般人にはやや説明不足。そこに、映画や演劇に特化した幅広い知識と奥深い教養を要求する作品であることは間違いない。それが1つや2つではないところに、観るものを迷わせてしまう要因がある。つまり、面白く感じるシーンでは、その捻りを痺れるくらい楽しめるが、それが理解できないシーンでは「何が?どゆこと?」となってしまうのである。もっと!面白さを満喫したいと思うのは私だけではないはずだ。しかも、それらは「業界の裏に潜む人間模様」を皮肉たっぷりに表現していることから、「ある程度社会に揉まれてきた人」でないと、その捻り自体も面白く感じることは出来ない。そこが、ハリウッドにまつわる業界人に「超うけた」にもかかわらず、我々一般のファンからすると、「うーむ、そんなに面白い?」と疑問を持たれた背景である。ただ、少々歳を重ねた人には共感を呼ぶようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=sCulv1Nf2iA



2015/04/20

ホテルオークラの味を伝える缶詰

   最近は、有名なホテルの中にあるレストランでも、食材の諸元をきめ細かく表示するようになった。お陰で、やっぱりそうだったかと思うことも多い。先日の話になるが、お昼のメニューを開くと、おっと、美味しそうな「お肉のステーキ(4,320円)」の写真が目に飛び込んできた。しかし、その下には「牛脂注入加工肉を使用しております」と併記してあった。正直なのは良いが、正々堂々とそのように書かれてしまうと、暗に「旨いかもしんないけど、品質は保証しないよ、シェフとしては責任ないからね」と宣言しているようで、意気消沈してしまった。

 そんな表裏一体の事情は、あからさまにせず、お客が「まさか」と思うように、気持ちよく美味しくいただける方法を考えて欲しい。それが調理技術ではないか。もちろん、そんな高額なお昼をオーダーする気分の持ち合わせはないが、その表記によって、すんなり、お客は夢を捨てて、引いてしまうのである。つまり、社会の中の「正直」と「開き直り」は、同類語でも反対語でもないのに、食事提供者側では極めて近い距離感にあるといえる。

  さて、話題は少々横道に逸れたが、それがきっかけで、今日は、昔から美味しいホテル・ブランドの缶詰を紹介しておきたい。最近、スーパーやコンビニなどに出回っているレトルト食品の中にも、かつて一流ホテルのレストランで出されたようなカレー、ハンバーグやビーフシチューが販売されている。しかし、実際に口にしてみると、それなり(対価格比で)にお味はよく出来ているが、本質的には全然違う(肉の質やカロリー感)ことに気がつく。そこで、確固たる信念のもと、戸惑うことの無いように、真似の出来ないホテルの味を、時々リファレンス(標準的なお味)として、しっかり頭に叩き込んでおこうと思う。もちろん、ホテルの味が全てではないし、好き嫌いもある。しかし、歴史と伝統の中で培われたお味は、少量でも見逃せない程の満足感を体に刻むことがある。

 そんな、こじ付けにも似た屁理屈はどうでも良いが、あの4,320円の牛脂注入加工肉を使用したステーキの印象が、頭の片隅に残っていて、どういう訳か「そこに何か大きな勘違いを見せ付けられたような気になって」、小田急デパートの地下で、ホテルオークラの缶詰を探していた。すぐに食べたいわけでもなかったが、なんとなく「心の不安を解消して満足したい」と思ったのである。サラダは別途用意するしかないが、スープ、ハッシュドビーフ (=牛肉のこま切れを炒めてデミグラソースで味付け加熱したシチュー)を揃えて並べてみた。ハッシュドビーフを単品で出されると、ご飯の上に掛けてハヤシライスで戴く人、あるいは、パンと一緒にビーフシチューのような食べ方にする人など様々だが、ハッシュドとは、「細かくした」と訳すと分かりやすい。つまり、料理の仕方を指した呼び方であって、どんな食べ方をしようと、周囲からとやかく言われる筋合いは無い。
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2015/04/16

懐中しるこ

 その昔、宮中に献じられた時に、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わり、あるじ感に入りて・・・」と包装紙に書かれた「鶴屋吉信 懐中しるこ」の登場になる。鶴屋吉信は、享和三年(1803年)創業の和菓子専門店で、京都御所、公家、有名社寺、茶道家元などの御用達として京菓子一筋の老舗として、広く知られている。京都和菓子という範疇に限られることから、既に馴染みは薄いかもしれないが、餡子、しるこ、となると、関東の和菓子屋とは歴然とした違いがあり、関西育ちの自分としては、それを欲しがる時は、どうしても鶴屋吉信の出店舗を探すことになる。

 その餡子やしるこの味の違いは、どこにあるかといえば、原理的には、原材料の三つの要素の違いでしかないが、小豆の灰汁の採り方に始まり、塩、砂糖類による歴史的な職人の微妙な味覚の違いに依存すると思ってよい。御所があった京都の歴史は長く、その経緯の中で洗練された甘味が成熟して行ったのである。それが、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わる」といった味覚の違いとして表現されている。そんな僅かともいえる甘味の進化と、京都御所を頂点とした、和菓子の味覚の「美味しさの基準」が、広く庶民にまで広がっていった様子を想像してしまうのである。


 そんな大げさなものの言いようで脅す訳ではないが、餡子、汁粉といえば、関西の老舗としてどう考えても同社店舗を外すわけにはいかない。ここの品物は、手間の掛かる漉し餡や、きめ細かく仕上げられた汁粉は、喉越しまで違って感じられる。特に体に僅かな疲れを感じたり、甘みを口先で欲しがる時には、この優しい甘味が体によく溶け込んで染みるのである。勿論、老舗和菓子屋の商品だから高価と思われがちだが、四季を通じて和菓子を楽しみの1つとするならば、決してお高いものでもなく、むしろ、当時の京都の風情に想いを馳せる一品となるものと言えよう。

 懐中しることは、当時、花見や紅葉狩り、雪見など、旅に携帯して「即席のしるこ」を欲しがったことから考案されたとされているが、さすがに、椀に入れて熱湯注ぐことのみならず、水でもよければ、冷水を注ぐだけでも美味しい汁粉が出来上がる。むしろ当時の花見や紅葉狩りなどではそのほうが現実的であったに違いない。お湯を注ぐと、しばらくして半月の形をしたもち米の香ばしい麩焼きで包んだ漉し餡が溶け出す。どのような客人に出しても恥ずかしくない、いや自慢できる程の上品なお味が年中楽しめるのである。
 同社のホームページ http://www.turuya.co.jp/

2015/04/13

美味しい蒟蒻ゼリー

 かつて、若い女性の間だけの話題だった「美しく痩せる」というコンセプトは、いつしか「中高年のおっさん」にまで広がり、さらに小中学生なども気にする時代が来て、全世代の日本人男女がこぞって目指す大目標になってきた。それもこれも、行列の出来る飲食店を紹介するテレビ番組の影響だとか、あるいは、ストレスの多い社会環境によるものか、日本人の肥満度はいづれ米国を抜き去るかもしれない。その兆しは、スーパーを出入りするお母さん方の体型にすでに表れていて、何か「食べている物が違う」と言った感じで、明らかに20~30年前には存在しなかった新種の人類のように見える。

 酷い事を言うと思われるかもしれないが、このような体型は、そう容易に達成できるものではない。過去の食の「積み重ねノウハウ」が生かされたものと考えられる。確かに、胃は拡張性に富み、知らず知らずのうちに、その容量を増加させることができる。しかも、大脳の言うことをよく聞く別腹機能まで備えていて、目の前にある美味しいものは、消化器のすみにまで押し込むことを可能にしている。そういう機能を上手に活用することによって、徐々に食べる総量を増やすことができるのである。むしろ、逆に胃を小さくするには、病気にでもならない限り実現できない。つまり、健康状態と食事環境、食事の仲間などの影響で大食を促すと考えることが出来る。

 だから、そんな状態で、少々蒟蒻を食べたからといって、スリムで美しいおっさんになることは出来ないのである。そこは、常日頃からその為の努力を怠ってはいけない。たとえば、会社帰りは、早々と電車に乗り、痴漢に間違われないように緊張感を持って車内で時間を過ごし、背後から刺されないように、駅からは早足で自宅へ向かう。自宅ではお酒も控えめに、ゆっくり時間を掛けて夕食を戴きながら「美味しい、美味しい」と口癖にして家族に感謝をしながら、食後もゆったりと時間を過ごし、時々は食後の洗い物を手伝ったり、子供の勉強を見たり、就寝時には、屋外から曲者などの進入に用心し細部の戸締りにも気を配りながら、枕元の近くにはバットを隠して待機をするなど、そうすることで現代社会を取り巻く環境に対応しながら、よく考えると、如何に緊張感の無い人生を過ごしているか認識できるに違いない。緊張感こそダイエットに効果的なのである。

  緊張感を高めた状態を維持するには、必要以上の食材を口にしてはならないのである。しかし、そんな状態を維持しても、全く体型に変化が無かったとするならば、是非にとも会社のお昼に、この美味しい蒟蒻ゼリーを食べてみてはいかがかと思うのである。つまり、お金を使わなくても、やれることは沢山あり、すべてやった後でも遅くは無いのである。その中で、どうしてもダイエット食品に頼りたければ、歴史ある食材の蒟蒻がよい。そして、同じ蒟蒻でも美味しい商品がなお良い。さらに、今必要な栄養素の補給ができると、もっと良いということになる筈だ。それが、蒟蒻に加えたフルーツ味と植物性乳酸菌やコエンザイムQ10である。しかし、それらが効くかは個人によって異なるが、フルーツ味と言う美味しさは共通するのではないだろうか。
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2015/04/10

水素水で健康に

  春先になると、野川の周囲で軽快な動きをみせる諸先輩方が目に留まる。ウォーキングやスロージョギングなど様々だ。ベンチに座って休んでいる彼等から聞こえてきたのは、「疲れを早く取り除く」話題が中心のようだ。その対処は様々で、「疲れてくると、血中に酸素が足りなくなるので、酸素水を飲むと、また、ひと踏ん張りできる」とか、スロージョギングをしている人は、「休憩中には炭酸水を飲んでいる」姿を見かけることも多い。炭酸水も良いそうだ。また、そんな飛躍的な発想よりも、「水分不足を早めに解消するためにスポーツ飲料を早くからコマ目に飲むことで、疲れが蓄積しないように配慮する」という人もいる。いずれも、すべて正しそうで説得力もある。

  一方、最近は、水素水も流行りのようだ。人は常に「酸素」を吸い込んでいるし、疲れは細胞の酸化で、それが活性酸素となって知らず知らずのうちに体調を崩す(体が錆び付く)とされ、その解消のため、時々「水素水」を飲んで、錆を水にして流すと言う理屈のようだ。まるで、「未来の乗用車」のような話だが、本気で若い女性にまで流行していて、少々高くつくけれど、水素錠剤を2~6粒ほど飲んで、ダイエットや美顔、健康に一役かっているらしい。おまけに元気はつらつというメッセージをツイッター等で発信している人も多いようだ。下の写真は、安価な錠剤の例。


  高純度のマグネシウムは、水を加えると水素が発生する性質がある。ほとんどの商品は、それを利用して水素を発生させている。その理屈だけなら分かるが、ではなぜ錠剤もあるのか?そこは、よく分からない(体の中でカプセルが溶けて体内の水と反応して水素を発生させるということになる)。また、原材料もさほど高価なものでは無いはずなのに、生産量が少ないなど理由はあるにしても、商品を調べてみると案外高価な商品に人気が集中している。一般的に安価な商品は、水素濃度は800~1200ppb (=0.8~1.2ppm) が目安とされている、しかし、生成して溶け込んだ水素量をどのように確認しているのか、さらに付け加えると、どのくらいの水素量をどの期間を飲み続けると効果が認められるのか、例えば、体重が60kgの人は・・・とか、そのようなことを示唆する情報は少ない。ま、信じて飲み続けるしかない。

  そうなると、むやみに濃度の高い表示の商品(=7.0ppm)を求めたり、スペックの優れた商品を求める傾向に走るかもしれないが、体は、急激な変化に弱いことから、いきなり強力な商品は、何か不確実な要因(=食べあわせとか、飲み合わせによる、相殺効果)があったり、もしかして逆効果を生むかもしれないので、最初は徐々に少量から始めるのが良い。少しづつ水素水の効能を探るとか、あるいは、水素(気体)そのものはどうなのか、よく調べてみたい。そこで、まず比較的低価格のグッズ風の商品を幾つか集めてみた。その商品に書かれている使用方法とか、効果をよく熟読し、他からの情報も集めながら、自らの体を使って全体の把握に努めてみたい。
ペットボトルに入れて水素発生を促すタイプはこちら
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2015/04/06

まろやかケール

   青汁は、緑色の植物が原材料で、一般的に大麦若葉、ケール、明日葉等が使われている。どの種類がどれだけ優れているかは分かりにくいが、恐らく、いずれかを継続しながら、慎重に体の様子を観察すると、原材料が持つ性質の違いで、少しづつ効果を発見できるかもしれない。また、青汁全体として、どれだけ自分の体に効果があるかは、実際のところ長期にわたり自分で確かめてみる他はない。勿論、野菜不足の現代人にとって、何も「飲まないよりは、飲んだほうが良い」と思うのが普通の考えだ。そこに、この健康食品選択の曖昧さが残されている。

  原材料の種類も興味ある要素かもしれないが、むしろ、最近の価値観では、長期で飲む場合、優れた環境で育った原材料であったり、品質保証の出来る最新設備で作られていることの方が重要だと思える。特に、一日何度も口にするものは、体によい効果があればよいが、そうでなかった時には、まれに悲惨な結果を招くこともあるからだ。既に何十年も健康食品の研究や販売実績を持つ会社の商品を、飲み続けている人たちが、1.健康になっているとか、2.長生きをしているとか、3.まるで病気にならなくなったとか、何らかの実績が証明されていれば申し分ない。単に「苦くて、美味しい」だけでは、続けられない不安はある。

  最初に青汁を試すには、目的をはっきりさせておきたい。例えば、胃腸の調子の悪い時に飲む薬に、キャべジンと言う薬がある。キャベツを原材料にしてビタミンUを主体とした薬である。そこで目に付いたのが大麦若葉、明日葉ではなく、「ケール」である。ケールは、キャべツの原種と言われ、それと同様の効能が認められると推察される。つまり、ケールから作られた青汁を長期に渡り飲み続けることで、胃腸の調子が改善される可能性が考えられる。それによって、キャべジン等の常備消化薬が必要なくなるかもしれない。


  それだけではない、キャベツ、ブロッコリー、ケールなどアブラナ科野菜の辛味成分のイソチオシアン酸塩には、体内の解毒作用を活性化する働きや、抗酸化作用を高める効果があり、それらを毎日少しづつ摂取することで、成人病の予防に良いと言われている。もちろん、それらの採りたての生のジュースを摂取するのが最も効果的だが、それは、そう簡単に実現出来ることでもない。そうなると、最新設備を誇るヤクルトヘルスフーズ㈱の製造工程に魅力を感じる。その根底には、青汁に何か別のものを添加して、特別に飲みやすく工夫する必要もなく、忠実にケールの栄養素をストレートに取り込みたいからだ。

  同社の青汁スペシャルページには、粉末の青汁が出来るまでを動画で紹介してあるが、この中に、ケールの葉には「多くの紋白蝶が卵を産みに来る」シーンで、紋白蝶の幼虫を手で取り除くというのがある。大変だなと思う反面、そうか、紋白蝶が卵を産みに来るぐらい「安全」なのだと思えた。その動画(紹介)がこちら、前半が大麦若葉で後半がケール。
http://www.yakult-hf.co.jp/knowledge/aojiru/index.html

2015/04/03

枕崎産まぐろ丼の具

 電気製品や雑貨などとは違い、食品のように中身が写真だけでは良く分からない品物は、WEBページ単独出店の会社へ注文することはない。写真の写りがどうこうというわけではない。説明文が画一的で、ページからは販売に対する「幼稚な発想」が見え隠れすることもあるからだ。それは、商品の価格が明確でないとか、送られてくる食品の品質が見通せないことに繋がる。かつて、楽天が行った「標準価格の上乗せ表示」が象徴的な例といえる。それ以外にも、丼勘定的で都合の良い言葉で誤解をさせるような表現も見受けられる。

 そこで考える。多くの人の目にさらされる方が信頼できるといえることから、WEBページも在るけど、テレビショッピングもしている会社の方が、安全で安心ではないか。また、テレビショッピングに限ったことではないが、販売者は製造者と消費者の間の立ち位置があって、本来消費者の疑問に的確に答えたり、少なくとも安心と安全を担保するための「法的な義務」を確認しなければならない。さらに、販売者としての立場で、商品に対する責任を果たす必要がある。そういう機能が、販売者に必要だと感じている消費者は少なくない。

  今日の写真は、枕崎産まぐろを使用した「まぐろ丼用タレ付き切り身」セットになる。まぐろを1本釣りした後、船内で凍結し、陸揚げ後鮮度の高い状態で調理する。次に枕崎産の鰹節と北海道産昆布で出汁を取ったタレで漬け込み、1食分ごとに袋詰めしたものという。入手後は3~5分流水で解凍し、ご飯にのせるだけで「まぐろの漬け丼」が完成する。火力を使う事も、湯せんする事もなく簡単に食べられるので重宝しそうだ。これだけの説明で、既に食べてみたい欲求に襲われる人も少なくない筈だが、しかし、もう少し続けたい。

 まぐろ丼の具は90g、販売数(=8袋入り、12袋入り)と時期によってセットの袋量が異なる。冷凍で届くので、製造日より90日以内(-18度以下で保存のこと)で消費するよう賞味期間が設定されている。何故か、アレルギー物質特定原材料(=小麦と記述されている)。アレルギー特定原材料とは、食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、特に発症数、重篤度から勘案して、表示する必要性の高いものを、食品衛生法関連法令において、特定原材料として定めており、次の7品目の表示を義務付けている。 それは、「えび、 かに、小麦、そば、卵、落花生」で、どれか1つでも含まれれば表示する義務がある。

 さて、実際の商品を取り寄せて口にしてみると、商品自体がお手ごろ価格であるので、大きな期待をしていたわけではないが、想定以上に美味しさにやや感動している。勿論、丼に仕上げる必要もなく、野菜にのせて海鮮サラダもいい、あるいは酒のつまみに、付け合わせにと多彩に使える。一切火を通さないことから、冷凍を守って速やかに消費すれば、新鮮な状態が続く。だから、飽きるほどの量を入手するより、すぐに消費できる8袋入りあたりを時々発注するほうが良いかもしれない。
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2015/03/30

博士と彼女のセオリー

  この日本語のタイトルは少々希薄な印象を免れないが、一方で THE THEORY of  EVERYTHING という副題も併記されていて、さしずめ、二人が選んだ「全ての理論」とでも訳せば良いのか、なかなか、理屈っぽい表題になっている。しかし、原作は Traveling to infinity: My life with Stephen 著者ジェーン・ホーキング。つまり、奥様の視点で書かれた物語。こちらは、単純明快で分かりやすく 「いつまでも旅する:スティーブンとの私の人生」 と言うことになる。スティーヴンとジェーンの恋愛に始まり、25年に渡る結婚生活を包み隠さず映像化した物語。2人とも、御健在なので本編をご覧になったとは思うが、どの様な気分なのであろうか。ホーキング博士には、少し責めらたように見えたかもしれない。しかし、理論的には合っていると納得されたに違いない。


  2人は、1963年にケンブリッジ大学で出会う。この時、スティーヴンは自転車に乗ったり、ジェーンとデートしたりする普通の大学院生であった。今では、まったく想像すら出来ない姿だが、「時間を巻き戻す」とこんな感じかなと、普通の若者としてスクリーンに蘇っている。ただ、彼が黒板に書き起こす数式を眺めると、やはり、我々とは異次元の生物であることを確信する。もちろん、スティーヴンとは、ニュートンやアインシュタインと肩を並べる理論物理学者のホーキング博士のこと。かといって、ありがちな、難しい性格の人ではなさそうだ。むしろ冗談好きでユーモア溢れる人柄として描かれている。しかし、その後、彼はすぐに筋萎縮性側索硬化症=ALSを患い、余命2年の宣告を受ける。あの様な幸せの絶頂にあった好青年を襲った病に、観る者としても「何でそんな病気に」と悔やまれる。

  この物語の最初の山場は、そんなスティーヴンが将来を悲観して自閉しながらも、ジェーンはそんな境遇に怯まずに、自らの愛を貫くために結婚を決意するところにある。スティーヴンの病の重さ(余命2年)を考えると、結婚自体は彼女にとって形式宣言でしかなかったかもしれないが、この崇高なる愛情は、どの様にして培われたのか、物語が経過するにつれ、その彼女の価値観を理解できるようになる。そして、そのジェーンの励ましに支えられてスティーヴンは、テーマ=「時空の特異点」で博士号を取得する。そんな病の進行状態を、あたかも本人のように演じているエディー・レッドメイン(=スティーヴン役)はとても印象的だ。本人がその病=ALSに時間を掛けて研究してきた成果と言える。その演技には、観る者ですら手を伸ばしてスティーヴンを支えたいと思う程である。こちらにエディー・レッドメインへのインタビューがある。
 https://youtu.be/vhzCyXcnqBE

  余命2年の宣告に立ち向かいながらも、5年、10年と時が過ぎていく。しかし、病状は改善されるどころか、少しづつ悪化を辿ることになる。そこには、並外れた強固な精神でなければ、先に進めないほどの境遇が待ち構えている。そんないっぱいいっぱいの状態の中、子供たちの面倒を見ながらも、ジェーンはスティーヴンを支え続けるが、徐々に疲弊してくる。そのことをスティーヴンはよく理解していたし、自らの気持ちを抑えながらも、ジェーンに対する理論的な決断をする。そして、その結論に自ら適応してゆく。そういう互いの気持ちを理解し、あくまで理論を信じて手を差し伸べる姿こそ、 THE THEORY of  EVERYTHING の意味するところかもしれない。

  声を失っても、スティーヴンへの希望を捨てないジェーンの姿は、彼に「生きて何をなすべきか」を態度で訴え続けているようだった。それが彼女の1つの論理的原動力かもしれないが、その背景には、スティーヴンの物理学への貢献を彼の使命と考えていたし、一方で家庭を守ることも英国女性として大切な役割として認識していたようだ。そのような環境でも、互いは年齢と共に大きく成長していく。そして、互いを慈しむ気持ちが膨らんで、やがて、2人とも別のパートナと時間を過ごすようになる。その姿に、形には拘らない2人が、少々理屈っぽく生きているような気がする。25年と言う長い年月に、観る者としては息苦しさがあるが、どのシーンにも暗さは残らない。いつも希望の光が差込み、どこか輝きに満ちていた。それが、最後のシーンに結実していて、観る者も心の底から救われる。

  全体を通して、その「理由とか言い訳の言葉」が少ないため、控え目な表現に思えるかもしれないが、メンタルな部分は、「観る者の経験」で補足しなければならない。しかし、それは、あくまで論理的に正しい前提が必要になるようだ。
予告編はこちら
https://youtu.be/mw_YOjM2DbQ

2015/03/26

イントゥ・ザ・ウッズ

  イントゥ・ザ・ウッズと書いて、「森の中に伝わるおとぎ話」と解釈しよう。これはねぇ、・・・「赤ずきん」、「シンデレラ」、「ジャックと豆の木」、「ラプンツェル」って知ってるよね、その古典的なおとぎ話の続きを1本にまとめたのさ!と言われると、ええっ、1本に?と違和感を感じながらも、絵本の中にあった「添え画の一部」を手繰り寄せるように思い出し、懐かしさに浸る。幼い頃、本を開いては想像を膨らませていた様に、この歳になっても映画を観て「幸せな気分」になれるならば、強引に4本を1つにまとめたとか、おとぎ話の続きが奇想天外だとか、そんなことはどうでもよい。しかし、多少興味を引くとすれば、その物語がどの様に展開し、どう結末としてまとめるのか、全体を通して根底に流れる「思想」ではないだろうか。


  ブロードウ­ェイで上演されたミュージカルを基に、ディズニーが映画版ならではの魅力を加えて再構成したわけだが、やはり、4つの童話を1つにまとめる魔女には大きな負担が掛かる。その魔女役には、あの「マーガレットサッチャー」(2012/05/01紹介済み)を演じたメリル・ストリープが務めている。さすがに風格の上にも艶やかな歌声で魅了される。赤づきんちゃんを唆す狼役にはジョニー・デップが、そして、今評判のエミリー・ブラントは、パン屋の女房役といて出演している。映画の見所はそれだけではない、さすが童話が原典であることから、その子供たちの歌声にも魅了される。食欲旺盛でパンを食べながら歌う「赤ずきんちやん」は、正確無比な音程が魅力で、その専門筋をも唸らせて、聴き応え十分。まめの木に登るジャックも、飛び切り歌が上手で彼女と好対照の選出。正しい音程はどの様なテクニックも及ばないということか、それがこの映画の素晴らしさの原点といえる。

  ディズニーの製作なので、次から次へとVFXを多用しながらも質感を犠牲にすることなく、隅々まで凝った映像美が展開する。実写の中に埋め込まれた華麗なVFXに、改めてその素晴らしさに興奮する。そして、最も魅力的なのが、オーケストレーションが後押しする音響効果である。必要なところに適した楽器の音を割り当て、金管ありーの、ハープありーの、地響きの様な重低音ありーのと、それに重なるフルオーケストラが奏でる「重厚で透明感のあるストリングス」が象徴的でとても綺麗。また覚えやすい旋律が、何度も繰り返され親しみやすく、知らず知らずのうちにそれを口ずさみ、どんどん親しみが増してゆく。しかし、映画館の再生装置では、中高域のきめ細かな音が歪っぽくなってしまい、サウンドトラック版CD(下の写真)に興味がそそられた。こちらは、まるで別物のように繊細かつ隅々まで端正な音が聴こえ、つい聴き惚れてしまった。オーディオマニアなら確保しておきたい1枚と言えよう。


  さて、物語の内容は、やはり、メッセージ性が高く、例えば「森の中では何が起こるか分からないほど危険がいっぱいだが、願いをかなえてくれるかもしれない。しかし、自分の願いだけを求めて行動するのは良くない。願いがかなった後の周囲の人たちのこともよく考えておこう」と訴えている。現代風に言えば、森は今の社会全体を象徴したもので、「子供が欲しいとか、お金持ちになりたいとか、優しく見える人でも一皮剥けば狼だとか、親元を離れてゆく子供が愛おしいとか、思いもよらない異性の誘惑には注意しよう」とか、様々な課題が具体的な映像になっていて、それを観ながら、どのように対処すべきか、脆弱な精神を自ら認識して、熟慮の末に道を進んで欲しいと促している。うーむ、確かにそうなんだよなと思わせるほど含蓄に溢れている。
予告編はこちら
http://www.disney.co.jp/movie/woods/video.html

2015/03/24

べにふうき緑茶

  最近は、大型量販店の健康食品売り場が幅を効かせている。さらに、その売り上げが伸びている状況は、今後も概ね20年は続きそうだと期待されている。昔から健康食品は、馬鹿売れする商品でもなかったことから、標準価格に対して利益率は十分に高い。言わば、高付加価値商品なのである。購入者は、「お金はあるわよ」といった感じの、昔ながらの奥様方で、ネット系に関心が薄いこともあって、友人と一緒に量販店に足が向くようだ。売り上げも右肩上がりが続いて、売り場の主任も鼻息が荒い。これらは奥様方にとって一種のレジャーかもしれない。だから値引きが良ければ、それなりに割安感がつのり、その分お昼に美味しい食事を召し上がったりするようだ。

 お金持ちの最後の望みは、おおむね「長生き」である。しかし、年齢にともなって体のあちこちの調子がいま1つ良くない事から、常々、昔のような体調を取り戻したいと考えている。また、残された時間をより楽しく過ごしたい為に、何か良い健康食品はないか気にかけている。そこに、健康食品の潜在需要とビジネスチャンスがある。ただ、どのような商品が良いか、どこのお店で安く売っているのか、よくわからない。そこで、周囲の同じ世代の人たちと情報交換をしながら、「えっ」と言うほどの遠くから仲間を誘い合ってやってくるらしい。

 そういう売り場では、テレビやラジオで宣伝している商品はもとより、想像もつかなかった品物が見つかることがある。今まで「自分だけの不調だ」と苦しんで来た症状も、それにぴったりのサプリメントを見つけることで、「自分だけじゃないんだと」安心感を覚えることもある。あるいは、「これで一挙に不安解消になるかもしれない」と言った、かすかな期待にも繋がることがある。そういう珍しい品物があるお店は、客層の多様化が進む根拠となりそうだ。また、そのような不安が解消できる商品を探し当て、実際に試してみることも楽しみなのである。

  今日は、そんなお店で、大勢の奥様方に紛れて「べにふうき緑茶」というのを買ってきた。決め手は、「すぐに実感、すきっとお出かけ」と書いてあることだ。裏面に記述されている「べにふうき」の説明として、概略を引用してみると、・・・「べにふうき」は、アッサム種に近い紅茶(発酵茶)の品種で、特徴が「メチル化カテキン」を含んでいること・・・らしい。これは、どうも抗アレルギー作用(ヒトでの効果)によって、「花粉症に効果」があるようだ。また、茶葉を発酵させてしまうとメチル化カテキンは消失してしまうことから、蒸し製法で加工したもの」とある。より抗アレルギー作用を引き出したものと考えられる。早速試してみたい。花粉症は今頃の春先だけではない、秋口にも花粉は大量に飛ぶようだ。
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2015/03/20

イミテーション・ゲーム

 イミテーションとは、「見習って模倣する」ことである。しかし、実態を把握していれば苦労はないが、暗号化する装置では、いかなるケースでも模倣が成立するような仕組みを考えて、それと同じ機能を実現することは難しい。この映画に登場する「エニグマ(enigma)」とは=「中身が理解できず、仕組みを説明できないもの」と訳すべきである。つまり、それは暗号機のことになる。「戦時中英国を悩ませた、ドイツの最高傑作と言われるそのエニグマを見習って模倣する戦いを描いた映画がイミテーション・ゲームになる。暗号機は、暗号(隠された)符号を数学的な手法によって組み替える機械を指す。

  数学的な手法とくれば、コンピュータが得意の分野である。現在では、絶対と言って良いほどに解読できない暗号化技術が日常的に使われているが、コンピュータが無かった戦時中では、時間のかかる数学的手法には限度があり、暗号化には設計者、あるいは発案者の趣味的な要素が多分に含まれていたようだ。ちなみに、日本海軍の歴史に残る暗号として「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」は有名で、開戦を昭和16年12月8日 午前0時とする」と言う相互理解の暗号で、その電信を受け真珠湾攻撃を開始した。また、「我 奇襲二成功セリ」と自慢げに「トラ、トラ、トラ」と電信する。しかし、いずれも米国に傍受解読されていた。

  そんな約束事程度の暗号から、数学的手法を駆使することで、より汎用的に短い時間で複雑な機能を持ち、日常の電信にもそのまま応用できる暗号機が作られるようになる。映画の粗筋としては、その精巧に作られた難攻不落のエニグマを駆使した情報戦によって、英国が窮地に立たされてゆく。また、この暗号を解き明かすには、159x10の18条の設定の可能性があり、「10人が24時間それに費やしたとして2000万年ほど掛かる」と説明し、そのエニグマが備えた機能の優秀性と、この解明作業が天文学的な数字になること、これらによって、この作業の重要性と難かしさを象徴して描いている。かといって、ストーリは決して難解ではなく、むしろその手の知的好奇心からすると物足りないかもしれない。


  過去には、ドイツ軍の所有するエニグマ本体を潜水艦から略奪する映画はあったが、仮に、そのエニグマを所有したとしても、それをどう使うか、つまり「モードの切替え」とも言うべき「宣言文」を入手しなければ、機能を果たさない。そこが、挑戦するものにとってより複雑に見えるところで、この天才数学者アラン・チューリングが正面からエニグマの謎に挑み、苦しみ抜きながらも約束の期限ギリギリで、わずかな言葉にヒントを得て、謎を解き明かす事に成功する。それにしても、このような話を、当初「英国政府が50年間隠し続けた意味」がどこにあるのかも、想像は出来なかったが、映画の中で、アラン・チューリングの幼少時代と大学教授時代の現在(1950年代)を同時進行で描くことで、その「筋金入りの事情」を知ることが出来る。そこに、アラン・チューリングが時代に翻弄され数奇な人生をおくったとされる所以があるようだ。

  では、彼が本当に「数奇な人生」を送ったかと問いかけられると、「いいや、クリストファー2号と毎日会話をして幸せだったに違いない」と思ってしまうところに、この映画の「切ない魅力」が映像で表現されている。そこには、機械と人間の係わり合いを端的に表現し、彼の目指す実像が見え隠れする。そして、もう1つ、印象に残るメッセージが「誰も想像しなかった人物が、誰も想像しなかった仕事をやってのける」と言う、励ましのかかり結びのように、映画の中で3度も連なって発せられる言葉だ。最初、同級生のクリストファーからその言葉で進むべき道を薦められ、その言葉を胸に秘めて青春時代を過ごし、その同じ言葉で婚約者ジョーン・クラークの背中を押す。そして最後に、そのジョーン・クラークから再びアラン・チューリングがその言葉を受け取る。この言葉にこそ「時代に翻弄され数奇な人生」と言われた本質が隠されているようだ。
それでは、興味のある人は、映画の中で机上の戦いを体感してもらいたい。
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