2010/12/30

紅ずわい蟹のおこわ

 田舎のお正月は、近くの親戚や知り合いが顔を出す。もっとも、楽しみに待ちこがれているわけでもないが、来ればそれなりに何かもてなしをしなければならない。年末から、そのための準備に余念がない。お酒さえあれば良いという人達には、「加茂鶴」を出せばよいので簡単だが、料理と言うのは案外難しい。種類をたくさん出してもうんざりされるだけだし、広島では、牡蠣料理のアラカルトを出しても、大して珍しがられる事もない。やはり、独創性が要求されているわけである。そこで、今年は手軽な完全パッケージの食材を加えてみようと考えたのである。たくさんは食べられないという人にもぴったりで、すぐに帰りたがる客人にもお持ち帰り可能である。やはり、少しだけ珍しい物が出ると、目で楽しんで、箸でつついてみると、気持ちも楽になって、屈託のない話が展開されると思うのである。気に入ってもらえば、2個でも3個でも食べてもらえば良い。
 
 かつて母が正月に腕を振るっていた頃は、隠しだまのような料理まで作って用意していたので、その頃が懐かしく思い出されるが、今はその様な習慣もなくなり、重箱におせち料理を入れることすら面倒で、何かにつけて購入したまま保存してあることもある。去年の正月は、「鰻のおこわ」を紹介したが、今年は、「紅ずわい蟹のおこわ」にしよう。ずわい蟹は、山陰では「松葉かに」、北陸では「越前がに」とブランド化されているが、どちらも同じ蟹を指す。瀬戸内近郊の旅行代理店では、冬の味覚として鳥取へ「松葉かに」を食べに行くツアーが人気で、この時期の旅といえば温泉と蟹を結びつけたものが多い。もっとも、山陰、北陸のみならず日本海側の温泉地では、この「ずわい蟹の需要」によって旅館や民宿も賑わいを見せるようだ。
 
 それだけではない、ずわい蟹の人気は全国的にも高く、年末になるとテレビショッピング等で3kg=9,800円とか、小安く販売されている。本来の山陰、北陸の「ブランド物」、つまり松葉かにや越前かには、「こおらの直径」が12cm~14cm程度で一杯30,000円~50,000円である。これが蟹は高いと言うイメージを作り上げてきたが、これらは五体満足で、美しい姿や形を楽しむ要素が高いからである。つまり、逆に「パーツ単体には価値がない」といえる。したがって、お腹いっぱい蟹を食べたい人には、足だけとか、食べやすいところが、安くてたくさんあると嬉しいに違いないが、匂いも強いので、別の意味で保存に困る食材でもある。ほどほどに取り寄せた方が良い。

 と言っても、ボイル後の冷凍物を送ってもらうよりも、その場の茹で上がりを戴くのが美味しい。だから蟹が採れる場所まで出かけて、温泉でゆったりして、部屋でゴロゴロ、食っては寝て、起きたら温泉する、というのも最高なのだが、色々とその条件や距離感、おまけに時間の制約等を考えると、かなり前もって準備が必要なので、億劫な話である。そんな、食欲中枢と大脳の駆け引きによる紆余曲折があったとしても1つの結論として、蟹の加工食品を用意してお茶を濁すのも安上がりでよいと思ったのである。しかも、この程度の価格だと、現地に行った気になれば、冷凍庫いっぱい買っておいても、お釣りが来る。また、2ヶ月保存も効くので食べ飽きることもない。ま、残念には違いないが、こうやって、こたつに入って「紅ずわい蟹のおこわ」を戴きながら、雪のちらつく日本海の荒々しい風景を思い浮かべて、時折、身震いしながら食べるのでよいと思うのであった。うーむ。
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2010/12/28

金胡麻ドレッシング

 今年の初めに、浅草今半の牛肉とすき焼き用のタレということで、「牛肉と割下」の話を紹介したが、今日は、胡麻風味でたいへん美味しい「人形町今半の金胡麻ドレッシング」を紹介したい。金胡麻とは、胡麻の皮の色によって分けられた胡麻の1種である。胡麻の皮の色が白ければ白胡麻、黒ければ黒胡麻、そして黄色や茶系色の皮の色を金胡麻と称している。特に、このドレシングは、高級料亭のお味とでもいえるような、上品で高級感のある美味しさになっているので、若者から年配の方まで、かなり、御気に召してもらえるに違いない。

 もともと胡麻自体は、体に良い事が古くから知られており、不老長寿の薬とも言い伝えられてきた。胡麻には、微量にセサミンという物質が含まれていて、それを上手に取り出し、効率よく体に吸収させるために、ウイスキー・メーカーが研究を重ね、体に良いビタミンEと組み合わせて、健康食品にすることに成功している。その、セサミンとビタミンEとの関係 を見ると、ビタミンは肝臓に届くと活性酸素によって酸化してしまうが、セサミンと一緒に入るとセサミンが先に酸化されるのでビタミンは酸化されずに、全身に行き渡り抗酸化物質として機能するようになる、ということらしい。そのセサミンとビタミンEを組み合わせたセサミンEに、さらに最近では、DHAやEPA、ロイヤルゼリー、Q10、プロポリス等とも組み合わせた商品等も豊富に用意されている。

 ゴマに含まれる特有の抗酸化成分は、総称として「ゴマリグナン」といわれ、それには、セサミン、セサモール、セサミノール、セサモリノール、セサモリン、ピノレジノールが含まれている。ゴマリグナンは、煎ることで抗酸化力が増加するらしい。ゴマリグナンの中の1つセサモリンが、一部煎ることで分解し、より強いセサモールという抗酸化物質を生成するようだ。胡麻の効能としては、老化防止、ガン予防、肝機能改善、二日酔い防止、滋養強壮、動脈硬化予防、高血圧防止、ストレス抑制、貧血防止、眼精疲労、そのほか、近年、育毛にも効果、細胞の活性化=内臓の衰えや傷を治す、便秘の解消 等が挙げられており。かつては、胡麻を煎って香ばしくして、すり鉢で擦って使うなど日常的であったが、最近は手間の掛かる事がどんどん消えていく。そう考えると、昔から伝えられてきた胡麻による健康法は、理にかなっていたようだ。

 さて、この「金の胡麻ドレッシング」には、大量の「すりつぶされた胡麻」が入っており、そのドレッシングとしての美味しさとあいまって、野菜をモリモリ食べる事が出来る。このドレッシングの特徴としては、酢とオリーブオイルを使ったさっぱりしたドレッシングとは異なり、濃厚な仕上げになっているため、野菜のみに使うドレッシングとしても満足度は高いが、シーフード、冷シャブ、冷やっこなどにも使える。また、味噌ラーメンなどに少し加えると高級感も出る。ドレッシングは一種類では飽きが来る事も多いので、1つ、この「金胡麻ドレッシング」を食卓に加えてみるのも良い。毎日少しづつでも摂取し続けると、上記のような効能が得られる可能性があるのも嬉しい。
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補足 胡麻を食べる時の状態は、煎った後にすりつぶされるのがよいとされる。まれに、胡麻風味とか、胡麻入りとかの胡麻がそのままの姿で入っているドレッシングも多いが、胡麻の効能を重視するなら、せめて胡麻がすりつぶされている商品を選択すべきである。

2010/12/24

美味しいハンバーグ

 何年か前のことだけど、食肉偽造問題が発覚してから、食肉加工食品に関しては、よりシビアな視点が注がれてきた。今日紹介するハンバーグもその様な食肉加工食品の典型例といえる。ハンバーグ自体はポピュラーな商品なのに、案外小安い商品が多く、ただ小安いという理由だけで不安がよぎり、手に取る事は少ない。しかし、自分しか食べないので、自作するにはスケールメリットもなく、美味しい商品があれば買っておきたい物の1つである。その価格の目安として、単品として1gあたり2.5円から3.5円つまり、1個150gで 375円~525円 が望ましい価格帯で、スポット的なターゲットとして1個450円と心得ている。このあたりは、食品会社にいた頃に得た価格感覚である。何かにつけて、その時代の視点が邪魔をするけれど、時おり、商品によっては、そんなに安く作れるはずはないと思う事も多い。

 一般的に、野菜や魚は別として、特にお肉の加工食品は、調味料やフレーバー、防腐剤などによって味が決まると言ってよい。工場から出荷される時は、「こんなに美味しいと売れるよな」と思っていても、時間が経過したものを口にすると、案外そうでもない。小安い原材料を使って味付けや香料に工夫をしたものほど時間が経つと美味しさが「へたる」のである。だから、商品の宣伝文句に「原材料に拘った」と言う言葉がよく使われるが、出来るだけ不必要な添加物を入れないのが良い。出荷時はもとより、時間が経っても、素材のよさは残りやすいので、最初から最後までそれなりに美味しいと思えるのである。つまり、それこそ原材料に拘る重要性を痛感するのは、製造者自身であると言っても過言ではない。

 食品加工で一番問題になるのが、原材料の品質のばらつきである。顧客の口に入る時には、やっぱりこの会社の製品を選んでよかった、少々高くても納得できる、などとと思ってもらわなくてはならないにもかかわらず、原材料の品質は加工技術だけではどうにもならないからだ。少しでも味が落ちたと思われると、コストダウンしたのではないかとか、品質が劣化したのではないかと推測されるからだ。そのあたりの難しさは、長い歴史の中で、原材料の入手先を多数契約することで乗り切るしかない。すると逆にその製造部門は、原材料を消費する為の商品を専門に製造するように変貌してしまうわけで、やはり、歴史のある専門店はそれなりに安定した品質で価値が高いと言うことにもなる。それは、たやすく真似のできることでもない。

 今日の写真は、六合ハム販売株式会社のチーズ入りのハンバーグで、1個 490円である。チーズのないタイプも同一価格で、どちらも美味しい商品といえる。熟成ロースハムもベーコンも美味しいので並べてみた。いずれの商品も食肉科学研究所による特定JAS製品で、工場内の品質管理は徹底したものがあり、お肉の美味しさがそのまま残っていて、品質は大変優れている。他社品に比べて、全体的に少々高額になっているが、それだけのことは十分感じられる。
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補足:美味しさが「へたる」=味のバランスを崩して、元の状態がわかりにくくなること。

2010/12/21

俵屋第2弾 御召列車

 昔から、よく使われていたかどうかはわからないが、「食感」という言葉は、大変便利だと思う。というのも、今日のように、いくつかの種類の和菓子の味を表現するのに、最初からかけ離れた表現でもなく、かといって、ただ美味しいという無頓着な表現でもなく、美味しさの評価が2つの方向から構成できる事を示唆している。たとえば、「食感が良く、美味しい」といえば、実際に食べた人の言葉として扱われそうだが、ただ「美味しい」では、社交辞令かもしれないし、単に売主の宣伝文句かもしれないという推測に終わってしまうからだ。特に和菓子は、それこそ食感を重視して作られている為に、さらに細かい口腔内の感覚を言葉にすることで、情緒溢れる表現として、美味しさを伝得る事が出来るのである。たとえば、「とろける舌触りと薫りで美味しい」とか、「微妙な歯ごたえと喉越しで美味しい」とか、「じわーっと溶ける瑞々しさが美味しい」とか、口腔内での親和性のよさで評価する表現ができるようになる。

 さて、和菓子ほど職人的気質や、技術やこだわりが重要な創作物は他にない。和菓子はお茶と一緒に戴くことも多く、大概の場合は、複数の人達が一箇所に集まって、品評会のように目の前で直接口に運び入れ、美味しさを語り合って楽しむ習慣もあるくらいだ。和菓子は見た目にも、美味しそうに見せる要素はたくさんあるが、一寸した原材料のこだわりから、製造方法などにも由緒正しい職人の流儀が脈々と流れており、一種の伝統芸術のような品格をあわせて楽しむ事が多い。そのために、新作のお菓子を口にした瞬間、その技術の高さにも驚き、やや半信半疑のまま「うーむ、なるほど美味しいわ」と後口にも感心するわけである。そんな、新たな発見をした時、屈託の無いコミュニケーションのきっかけが生まれることもある。これがお茶菓子の持つ役割の1つといってもよいかもしれない。 

 そんな会話があったかどうか分からないが、昭和天皇がお召し上がりになったお菓子は、今でも、案外世の中にたくさん残っている。もっとも、日常の宮内庁御用達という調達方法とは異なり、こと、甘いお茶菓子に関しては、イベント発注型とでもいうべき、何かの行事とかご旅行などに、必要な量だけ調達されるものである。昭和天皇は、多くの国民から「天ちゃん」と呼ばれ、ぐぐっと親しまれた天皇陛下で、そのくらい、列車と馬で日本全国を旅されることも多かった。そんなときには、必ず行き先の土地にちなんだお茶菓子か、いつものお気に入りのお菓子を召し上がられたと伝え聞いたことがある。私と同じ様に、「天ちゃんも、かなり甘い物がお好きだった」のだろうと勝手に想像するのである。

  今日は、その昭和天皇がお召し上がりになったと伝えられる、俵屋のお饅頭「御召列車」を紹介したい。加えて同じ写真の中には、絵日傘という、京きな粉をまぶした、とろける舌触りの「羽二重餅」、大きさ比較のための、前回と同じ大納言最中の「福多和良」、極上の小豆を使った「白菊最中」を並べてみた。菓子作りの職人にとって、天皇陛下からご拝命を受けることは、今でもそうだが、当時から大変名誉なことだったのである。 紹介するお饅頭、餅や最中はどれも先に説明した、舌触りや、じわーっと溶けこむ食感の美味しさを備えている。
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2010/12/17

手軽に美味しいスープ

 美味しいスープは、それ自体で奥深く、技術が隠された料理の1つである。レストランでもホテルでもスープが美味しいと、それに続く料理は全て美味しい。そのぐらい料理人のセンスが集約されたものといえそうだ。また、その美味しさは、心に深く印象付けられ、再び訪れたいと引き付けられることもある。勿論そうでないこともある。それほど、かつてはホテルのスープの缶詰等も、もてはやされた時代があった。今でもホテルのスープの缶詰は美味しいが、食品メーカーも同種の商品を小安くして、幅広く商品展開してきている。今日は、その様な商品の中から、そのままお湯で暖められるポタージュ4種を紹介したい。いつも朝は、パンに珈琲と決めている人も少なくないと思うが、休みの日にはゆったりと、ポタージュと共に過ごすのもいい。

 厳密に言えば、ポタージュはスープのカテゴリーに属し、より高い満足を追求した物である。スープは、お湯の中で野菜、魚や肉などから栄養分や旨味などが溶け出した液体を指すが、そのスープには、少量だが特徴的な具材が入っていることもある。その殆どは、僅かに色のついた透明の液体で、様々な料理のベースとしても利用される。そんなすっきりと飲み干せるスープはディナーに適している。一方、ポタージュと言うと、スープ的要素に加え、さらにミキサーにかけた、まめ類、イモ類、穀類などを裏ごしした素材が入っていて食べ応えがあり、それ自体が最終的な形になる。ブランチには、そんな腹持ちの良いポタージュがよく似合う。そんな用途を考えると、スープはやや素材的な要素が強いが、ポタージュは1つの料理として完成しており、最終的な形に違いがある。

 今日紹介するポタージュ4種は、宣伝文から引用すると「北海道の豊かな大自然の中で作られた野菜のポタージュで、生クリームやバターなど乳製品でこくと深みの有るリッチな味わいに仕上げてある」と書かれている。化学調味料は無添加ということで子供から老人、病人まで安心していただけるようだ。ポタージュの状態は、野菜のエキスが溶け出していて、さらに野菜の細かい実体も溶け込んでおり、素早く吸収しながらも、それ自体で腹持ちも良いので十分満足感はあるし、冷え込みの厳しい昨今の朝などに戴くと、しばらく暖かさが続き、気分もゆったりとする。

 あくまでも、個人的な趣味になるが、この4種のポタージュを美味しい順に並べると、コーン、かぼちゃ、じゃがいも、ほうれん草の順になる。やはり、ほうれん草は苦手である。内容量は全て160gなので、大き目の珈琲カップに入れると半分ぐらいになる。仕様的には、最近の食品は原材料名も正確に開示してある。アレルギーなどで由来が気になるとか、他方で、成人病予防のため低カロリーが好まれる傾向もあるので、成分の表示には細かいところまで気にする人も増えている。好き嫌いは別として、その4種をPDFにまとめた。写真のパンは2種類とも、いつもの TROISGROS で購入したもので、器に入っているのは苦手のほうれん草のポタージュ。それでも、最近のハインツは自然な感じになってきた。
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2010/12/14

本濱のお昼の定食

 先々週、NGUYENの牛肉の赤ワイン煮を食べに行った帰りに、見付けてしまった和食の店「本濱」へ、早速今日「鯛めし昼定食」(1,200円)に訪れた。その「本濱」へは、JR浜松町駅の北口から線路の下の信号を渡って、文化放送の前を通って右折し50m程先の左側の道路沿いにある。健全な五感を備えている人であれば、目立たないが漂う匂いで分かる筈である。だいたい美味しい物を出すお店は、近くの空気まで美味しい。ついでに言わせて貰うと、美味しいお店は、あまり見てくれにお金をかけない。丁度開店と同時刻の11時30分入店し、着席して大人しく待つ。メニューは昼定食だけなので「音なしの構え」で待機する。しばし(25分ほど)経つと、入店の順に奥の席から膳が出てくる。鯛めしに、刺身、薄味仕上げのあら煮、その他小物2皿が乗っている。表の黒板には唐揚げ付きとあったが、それらしきものは何処にも見当たらない。

 それにしても、何かと都会人は、平素から魚というものに餓えていて、御飯が鯛めしと聞くだけで、密かに「うーむ・・美味そう」とほくそえむかもしれない。そんな人は、このように、お皿にたくさんの刺身が乗っている光景を目にすると少し驚くかもしれない。そして食べ終わって満腹になったならば、何かと周囲に大袈裟な話題として話す事もある。だけど、お昼の定食に魚料理で満足させるのは容易なことではない。仕入れから調理法まで、幾つかの工夫が重ならなければ他店との違いは出せず、客は満足などしないからである。普通に考えるなら、まずは、魚の目利きになって朝早くから市場へ出向き、活きの良い美味しそうな魚を選んで買ってくる。いや、料亭や老舗の旅館ならいざ知らず、上品で小奇麗に焼き魚定食や刺身定食を出したとしても、魚に餓えた都会人の胃袋をそれで満足させることは難しいのである。

 と、まあ、ぐずぐずと能書きを考えていても仕方ないので、記念写真を撮って、とにかく箸を付けてみることにする。鯛めしはかなり本格的な炊き上げで、おまけに焼いた鯛の切り身が上に乗っている。この鯛めしの上に焼いた切り身を乗せる手法は、間違いなく「瀬戸内料理人の手口」である。その一番美味しい切り身を崩しながら御飯と一緒に、ほおばるのが最高なのである。鯛めしは、お代わりができるが、焼いた切り身は乗ってこない。次に、刺身は、たっぷり何枚も何枚も皿に重なっていて、食べ応えはある。刺身は、意外にお腹にたまって、たくさんは食べられない。ここでも実際に困るぐらいの量がある。この2つ皿の構成で、「刺身と鯛めし定食」として出してもよいくらいだ。次に、あら煮の方をつっついてみるが、あら煮というより、あら煮風の煮付けに近く、中身は、いくつかの種類の魚の切り身が煮付けになっている。通常のあら煮のような味の濃さはなく、薄い煮付けのだし醤油に浸っているといった感じである。おっと、この中に切り身の唐揚げが隠れているではないか。うーむ、この意表を突くような感覚は確かに難解ではあるが、これもまたこれで、鯛めしと組み合わせて「あら煮風煮付けと鯛めし定食」が完成しそうである。

 一応食べ終わるのに15分と言ったところか。特別に鯛めしのお代わりをしたわけでもないし、もったいないので、刺身は全て戴いたけれど、あら煮は残してしまった。それでも、「お昼を食べ過ぎると体が辛く」なるようだ。瀬戸内海では、伝統的な魚師風の料理が数多くあるが、この「旬彩 本濱」の仕立ては、それに由来した伝統的なものと、この店ならではの新たな感覚を切り開こうとしている。まさに愛媛県宇和島市の鯛めしに、魚師風仕立ての都会風な新感覚で、お昼の定食作り上げたと言えそうだ。ここでは、純日本式の魚料理としての上品さよりも、豪快な盛り付けで迫り、魚料理に餓えた都会のサラリーマンが納得する量で勝負している。食べ方は、どれも自由自在で特別な流儀等はないし、箸は気ままに進めてよい。さらにお味には、全体的に塩気を抑える工夫が取り入れられてあるため、中高年層にもありがたいといえそうだ。
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 補足1:唐揚げと言っても、もちろん鳥ではなく魚の切り身の唐揚げである。
 補足2:本濱のこの鯛めしは、愛媛県松山市より南の宇和島等の地域で食べられている鯛めしである。したがって、ここのお店で使われている魚は、全て宇和島あたりで毎日採れた魚の直送ではないだろうか。クンクンクン・・そんな印象を受けた。

2010/12/10

飛騨牛ビーフカレー

 その地域独自の特産物をふんだんに投入し、全国で販売できる独創的なレトルトカレーを作ろうとする活動は再び増えている。すでに、独自のアイデアを活かして地域の活性化を進めてきた経緯はあるが、目指す方向性として、高級志向で素材を厳選使用し、味を吟味し尽くした商品が増えている。そして、まれにそんな雰囲気のレトルトカレーを店頭で発見すると、少し気持ちがわくわくすることがある。使ってある原材料に期待を寄せてパッケージの裏に目をやると、美味しそうな能書きが現れる。それが、どのくらいカレーの中味に貢献しているのか気になってしょうがない。ただ、その様な気持ちにさせるパッケージデザインも重要である。先日もデパートの中で、「広島の牡蠣カレー」のパッケージを手に取ってはみたのだが、これが、残念なことに食欲をそそるパッケージではなかった。結果的に美味しいかどうかは、個人の好みになってしまうが、視覚的にはパッケージにも熱意や美味しさを感じられる必要があり、それが手に取る要素にもなっている。

 その次に、重要になるのは小売価格である。一般論としては「お安く手軽にが良い」という気分があるかもしれないが、こと地域特産のレトルトカレーには、その様な価格戦略は返って逆効果で、あくまでも素材と味に拘ったという心意気で、家庭では絶対に作れない満足感を提供することで、再びそのパッケージを探すことになるのである。つまり、価格は少々お高くても、それなりに美味しい個性的な商品であることの方へ価値が移動しているのである。賞味期限も2年ほどあり、単身で赴任している人達や、多忙に毎日を過ごしている方々にとって、温める事が楽しみになるとか、しかも、安全・安心である食品を期待しているのである。

 今日は、全国へ向けて出荷されている、その豊富なレトルトカレー群の中から、岐阜県大垣市で作られている、「飛騨牛をふんだんに使ったビーフカレー」を紹介したい。飛騨牛自体は、元々現在の兵庫県で高い評価を得ている丹波牛と同じ種類で、一流の黒毛和牛の流れである。そのブランド牛のお肉の霜降り断面写真をパッケージにあしらってあり、その感じ方は人それぞれにしても、好きな人にとってみるとストレートに牛肉の旨味が伝わってくるようだ。とかく霜降りの牛肉には、牛肉の旨みと言うべき動物油脂が強い匂いを放つ。これが、牛肉好きにはたまらない薫りになり、たとえレトルトカレーに紛れ込んだとしても、はっきりと本物として識別出来るのである。そして、それこそがこのビーフカレーとしての人気の決め手になっていると思われる。

 実際に口にしても、期待を裏切らない美味しさが嬉しい。上質の脂肪分が溶けて薫り高く、満足感も高い。ただ、カレーは、御飯と共に食べる為のソースの役割もあるので、少々の大盛り御飯も考慮してか、10%程度の容量増仕様(220g)になっている。とにかく具沢山で満足感もひとしおである。また、カレー自体は、ある程度塩分が重要な役割を果たすことから、その調整には神経を使われているようだ。このくらいの塩味の方が美味しく感じると言う人が多かったに違いないとは思うが、私の個人的な感覚だと、若干塩味が効き過ぎているように思える。詳細は、栄養成分表示を参照されたいが、スポーツマンとか活動的な若者向け仕様になっているのかもしれない。
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2010/12/07

八幡太郎義家納豆

 微生物の酵素による働きの1つに発酵がある。これは、微生物が新たな物質を生成したり、分解する事を示している。微生物とは、カビや細菌のことで、カビの働きを利用したものの中に代表食品として鰹節がある。また、細菌の働きを使ったものには、納豆、漬物、チーズ、ヨーグルトなどが広く知られている。さらに、細菌のなかには、分類として酵母と呼ばれるものもあり、これは、パンや酒類を作るときに用いられている。酵母は細菌の一種で、糖質を分解してアルコールと二酸化炭素や乳酸に変える特徴を持つ。そして、最もポピュラーなものとして、それらカビ、細菌、酵母の3つの作用を組み合わせて作られるものに、味噌、醤油、清酒などがある。これら膨大な発酵食品は、古くから親しまれてきた物ばかりだが、どの時代もそれは偶然に発見されてきた。
 
 その細菌や酵母の働きはさておき、それを偶然に発見し、腐っているのではないかと思いながらも、試しに、食べてみた先人達には敬意を払わなければならない。現代に伝わるそれらの食品も、安全と分かっていても、臭い匂いを放つものがあり、それを想定しただけでも、「うーむ、俺にはとても出来ない」と思ってしまうのである。そんな、挑戦者とも言うべき先人のお名前を拝した納豆がある。それが、秋田名物「義家納豆」である。納豆発祥の伝承として、包装紙に由来の説明があり ・・・「今から約900年前、後三年の役(平安時代後期の奥州=東北地方の戦役)で将軍源義家(通称・八幡太郎)が、今の秋田県横手市金沢町にある砦を攻めた時、農民に煮大豆を供出させたところ、入れ物が間に合わず俵に詰めて差し出しされた。数日後、中で豆が香り放ち、糸を引いているので、驚きつつ食べてみると美味しかったので、広く伝えられたのが納豆の始まり」・・・だと書かれている。

 源義家が辿った軍路を、奥州平定(前九年の役、後三年の役)の折りに北上したとされるのが、丹波、甲斐、大田原、水戸、白河、会津、米沢、仙台、平泉、秋田の順路とされており、どこも古くからの納豆の産地として知られている。秋田はその最終地で、そこで初めて煮大豆から納豆が出来る事を知ったのであろうか、900年も前のことなので知るすべもないが、いずれにしても納豆発祥には、戦いという場において、軽量でパワーが出る食品として、持て囃されたような雰囲気が漂っている。さらに体の調子を整えるには、最適な食品である事が早くから発見されたのではないだろうか。また、その義家と納豆が辿った順路を見ても、後に納豆を名物として販売していることから、誰にでも安くて美味しい食品であったことが推察される。

 今日紹介する、義家納豆は(購入価格313円/100g)滅菌処理したワラで包んである。滅菌処理をするあたりは、この義家納豆をより慎重に伝承し、同時により美味しくといった、全く新たな発酵技術を使って再現した納豆と言ってもよい。1970年代には、同じ様なワラを使った水戸納豆(こちらも美味しい)が、都内のデパートなどで販売されていたが、ワラ自体の性質が納豆には適していても、現代の市場環境にはそぐわなかったのかもしれず、その殆どが、衛生的な発泡スチロールになってしまった。それでも、このワラに包まった納豆には、時間と共に発酵が進むようで、ワラの間から香ばしい薫りが漂い、醤油やからしを使わなくても、上品な風味と香ばしい美味しさが広がるのを体感できる。
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 補足1:pdf 写真は、質実剛健の日本的朝食のおかずの一部として納豆を撮影してみた。最近、和の朝食を忘れかけた人がいたら、これを見て思い出し、ちゃんと食べるようにして欲しい。

  補足2:製造元のヤマダフーズは発酵へのこだわりが強く、この最先端のバイオテクノロジーともいえる「菌」の操作に着目し、独自の研究を続け、何十種類ものオリジナル納豆菌を開発し保有しているという。

2010/12/01

NGUYEN(グエン)

 お昼にブイヤーベースか牛肉の赤ワイン煮のランチを食べに行かないか?この11月の最終週28~3日は6周年記念のメニューだという、私には、どちらも魅力的だと思う誘いが飛び込んできた。なのに、そのランチ価格は平常と同じ1000円。サンプル程度の少量かもしれないが、パンとかスープ、珈琲(または紅茶)等も付いてくるらしい。むしろ、いい加減な物が大量に出されるより好感が持てる。場所は浜松町で、新宿から神田へ出る途中に寄れることから、早々にお店に予約を入れてもらう事にした。そのNGUYENは、JR浜松町駅の北口から目の前の信号を渡って2分程度の距離で、路地に入った中程にあった。それは、大都会の喧騒の中に、ひっそりとたたずみ、小豆色の建物に白い窓枠が印象的で、シックで綺麗なお店であった。

  内部の席数は1階、2階それぞれ10組程度で、喫煙と禁煙で階が分かれるらしい、その限られた空間は秘密の隠れ家的な印象を受ける。昼夜を問わず、美味しい空間に浸れそうだ。殆どが女性客で、みなさん話し声も小さく、時折ホークやナイフがお皿に接触する音が小さく響く程度。夕方からはワインなどを傾けながら、ゆったりと時間の流れを楽しむのも良いかもしれない。このようなお店がランチに力を入れるのは、それなりの大きな宣伝効果があるからだ。浜松町と言う場所で、お店の活性化を図るには、常に新規顧客の開拓を心がけなければならないし、常連客からは「何を食べても、いつも美味しい」と信頼されなければならない。料理のベース作りがしっかりしていることは当然だが、飽きのこないバリエーションの豊富さも重要な要素になる。そのあたりに、この店の工夫と徹底ぶりが感じ取れる。

 さて、たっぷりとお昼を戴きたい向きには、ランチの量としては物足りなさを感じるかもしれないが、料理は間違いなく美味しく味わい深い。手の込んだ仕事で、文句のつけようがない。やや家庭的な雰囲気もあり、女性に人気が高いのもよく分かる。自家製のパンは焼き立てで美味しいし、多少の胃袋の大きさの違いは、このパンによって調整できそうだ。勿論、軽い昼食を願う女性達には丁度良い量だと思えるし、一寸だけで美味しい物をと考えている年配の人にも最適である。しかし、それでも物足りなさを感じるようだと、夕方の仕事帰りに寄ってみればよいわけで、この規模のお店としては、堅苦しい感じもなく、丁度良い空気感が漂う。ブイヤーベースの魚の仕事を見ても、的確な調理技術の裏づけを持ち、細かな部分にまで徹底した調理法を伺わせるところが、都会の中で女性の人気を集めている理由なのであろう。

 そして、最後にお勘定を済ませてお店を後にした時、どのような印象が自分を支配するかが重要なのである。このときの印象が再び訪れるエネルギーになる筈だ。もっとも、その日のメニューによっても違いがありそうだが、今日のメニューの、ブイヤーベースも牛肉のワイン煮も、いずれも納得できて、今週は、3日は来てもよさそうだと思えるのである。お店の雰囲気もよく、接客、器やお皿の統一感から満腹感というより、むしろこの店の流儀に納得出来ると思う。特にお皿の模様には、どこか強く魅かれるところがある。この模様が、お店の名称とか、料理の地域性とか、味のまとめ方とか、歴史的な中にも新しさを感じ、それらが漠然とした一体感に繋がっているところも心地よいのである。
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 補足1:NGUYEN とは、ベトナムの王家の姓に由来しているらしい。そういわれてみると、少しアジアンな印象が漂う。

 補足2:NGUYENの前を出て、広い通りを左に行くと、旬彩 本濱(和食の店)を見つけた。WEB検索で何かのついでに拾ってきたのを読んだ記憶がある。このお昼の定食が1,200円でめっぽう安くて美味しいと言う話だったと思う。いつかこちらもレポートしたい。

2010/11/30

さんま丼

 少し前に、炊き込みご飯の話題が続いたこともあって、今日のタイトルを「焼さんまの炊き込み御飯」と混同されそうだが、それとは全く違う。「焼きさんまの炊き込みご飯」は、大変美味しいので好きだけれど、無責任にも喉に骨が刺さったままになりたくないので、自分で作るというより、和食の専門店で戴きたい。そこで、今日はそんな危険のない「さんまの蒲焼丼(略してさんま丼)」にしたいと思う。このような丼物に関しては、それだけでも楽しめるが、添える物として、赤出しの味噌汁とか、大根や白菜の漬物と合わせたい。そういう段取りや、さんまの蒲焼を通して、日本人の原点とも言うべき質実剛健の精神構造に近づきたいと考えるのである。

 ま、そういう感覚を大切にしたいと日頃は考えていて、やはり丼に使われる器にも、常々自分の胃袋にジャストミートしたものが欲しいと思っているわけである。それも、一般的な丼は少し大きすぎて、つい食べ過ぎてしまうし、かといって小さければ上に乗せるものが大きくはみ出す。この状態は、私にとってはなはだ不本意な構造だと言うしかない。つまり、どーんと見てくれがよくて、あまり量がないと言うのが、豊かで健全な感じがして体にも良いと思うのである。考えるに、大小の器(上が大きく、下が小さい)が重なったような器がいいと思って探している(そんなのあるはずない)。

 さて、一般的に、さんまは色々な形に加工されているし、様々な調理方法で食べられている。さんまの干物ならよく知っているが、へー 「さんまの蒲焼かあ」 缶詰もよく見かけるけれど、 と商品を手に取ってみた。たった300円のパッケージの中には、さんまの蒲焼が2枚っている。「鰻のたれ」と同じたれが付属してくるので、さんまを御飯の上に乗せて、たれを掛けていただくようだ。おまけに山椒まで付いていて完璧なパックである。これなら、今時のキャンプにも好都合ではないだろうか。お安いので、つい4パックも購入してきた。次に、調理方法だが、1袋にさんま蒲焼2食分(2枚)入っているので、1枚はそのまま細く切って、たれと合わせておき、1合の炊き立て御飯の中に山椒と一緒に混ぜる。ちょうど鰻のひつまぶしのような状態になる。小さめの丼を用意して、そのひつまぶし風になった御飯の「普通の茶碗一膳分をお釜から取り出して」を丼に入れる。そして、残りの蒲焼1枚を暖めてどーんと上に乗せるのである。そして、再び たれ、山椒、漬物などを乗せて出来上がりにする。

 確かに、「さんまの蒲焼の丼」を戴くとなかなか新鮮な感じを受ける。味は鰻丼と同じであるが、「ふっくらさんま」と表記されているが、鰻のようにはいかない。しかし、価格は鰻のおおよそ1/5~1/10である。普段のさんまの価格は、目安として冷凍は1尾100円、生は今年1尾150円ぐらいである。内臓を取り除いて干物にしても1尾換算で150円ぐらい。しかし、頭と尻尾を取って、内臓や小骨を大方取り除き、しかも炭火で焼き上げてパックにするなど手間をかけたうえ、たれも付けて 2尾300円は、かなりお手ごろといえる。お味は、誰でも満足できるものだと思えるので、蒲焼だけでお父さんのお酒のお供に、また、受験生の夜食にも丁度良いし、カルシウム不足(100gあたり160mg含有)のビジネスマンにもぴったりかもしれない。 
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2010/11/26

クリスマスグッズ

 今年も、もう1ヶ月と残り少なくなった。デパートやスーパーなどでは、入口に見上げるようなクリスマスツリー、店頭の飾り付けには大量に並んだ赤や白の長靴など、子供達は目をまるくして眺めたり、小さな指でその長靴に向かって指差したり、近くへ行ってみたりと、心が躍っているようだ。すでに、今月初めから徐々にムードが盛り上りはじめ、毎日待ち遠しそうである。わかるなー、今時は他に楽しみはないからね。もちろん、今時のクリスマスイブは、そんな赤や白の長靴だけでは済みそうもない。サンタのおじさんも物入りである。さらに、それ以前にも少しづつ楽しみを作ってあげてほしい。ということで、クリスマスツリーのように、今から1ヶ月の間だけ、待ち遠しさを楽しみに変えるグッズを並べてみたい。

 クリスマスに限ったことではないが、待ち遠しい日々をどのように過ごせば退屈でなくなるのか、人生もそうかもしれないが、やはり人は希望や楽しみを抱いている時が幸せなのである。まず、そのひとつの具体的な回答を用意してみた。それが写真の一番手前に写っているアドベント・カレンダーと呼ばれるものである。これは、このカレンダー上にある「その日のフタ」を開けて、中に入っているキャンディーとかチョコを取り出してその日に食べるのである。それを楽しみに、みんな寄り道もせず学校から帰ってくるわけで、辛い人間関係も乗り越えられるし、今日の楽しみ、明日の楽しみと、毎日僅かな楽しみの中で過ごし、嫌なことは忘れて、クリスマスイブまでプレゼントを楽しみに頑張るのである。写真の本体は、全て木製で精度よく仕上げてある。このカレンダーを見て、幼い日を懐かしく思い出す人も少なくないと思う。

 12月になると、毎日夕方から家の周囲をLEDの点滅で飾り付けたお宅が見受けられる。このような仕掛けは、お父さんがお休みの日に家族全員でその作業を手がけたのであろう。そんな家族が団結している姿を見たことはないが、しきりに点滅をしている状況をみると、勝手にそんな風景を想像をしてしまう。我々の幼い頃には無かったものである。50年前はせいぜい、小さなもみの木を買ってきてもらい、毎年同じ飾り付けをほどこして24日のクリスマスイブを待つというのが一般的であった。そこで、今日は、押入れの奥から取り出してきた、超小型のライトツリーも一緒に飾っておくことにする。動作としては電球が点滅するだけだが、それでも気分だけは楽しくなる。

 あと、写真のパネトーネ(写真左) は、クリスマスの1ヶ月ぐらい前からイタリアの家庭で作られ、親族や友人に配るという習慣のある菓子パンである。パネトーネ種の酵母を用いてゆっくり発酵させたブリオッシュ生地の中に、ドライフルーツを細かくして混ぜて焼いてある。パネトーネの酵母は国外流通を拒んでいるため、パネトーネのイタリア国外での製造は難しいとされている。写真に写っているものも、もちろんイタリア製。あと、ブリキの長靴(ミニブーツティン)は、マシュマロとチョコレートが入っている。このような小さめのグッズの集合は、大して費用もかからないし、集める品物の形や色合いによってセンスが活かされる。こじんまりと玄関にでもスペースを作って、毎日クリスマスまでチカチカと楽しんでもらいたい。
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補足:子供さんの口に入るものには注意が必要で、グッズの製造元や原産国の表示を確認したり、お店の人に安全を確認するとか、可愛いからと言って無条件で子供に与えてはいけない。

2010/11/23

いつまでも危険な男

 本屋の棚に、今にも飛び掛ってきそうに、こちらを睨み付けているおっさんがいた。私は久々に彼の姿を見た。その姿を見る度に「潮騒」や「宴の後」を思い出すなら健全なファンかもしれないが、私は彼が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の、総監室の前のバルコニーから、急遽集まって来た自衛隊員へ向かって演説する、凛々しい姿を思い出すのである。丁度それは、高校三年の秋の出来事であった。その写真の姿は、自信に満ちて特別格好がよかった。詳しい演説の内容はともかく、「演説の終了後、彼は割腹し、すぐに、介錯された」と書いてあった。その場で、血の気が引いていくのを感じながら、何度もその夕刊の活字を追った。心の中で現場を思い浮かべ、一生懸命否定しながら何度も何度も読み返したのである。その後は、思い出す度に、その日の天気、気温、情景などが鮮明に甦るようになってしまった。

 当時は、彼の小説のことを少しだけ知っていたが、さらに人間像に迫れるほどの知識はなかった。それは、一種の危険な領域へ近づくような怖さと、理解に苦しむ彼の振る舞いによるものであった。その後、大人になるにつれ少しづつ彼を理解できるようになる。彼の略歴は、学習院高等科卒(首席)→東大卒→大蔵官僚→小説家で、本名は平岡公威(きみたけ)である。しかし、よくテレビなどで、三輪明宏さんが彼の印象とか人柄を振り返って話されることがあるが、鋭利な刃物のような鋭い言葉を弄ぶ気さくな(?)人柄だったようだ。また、小説からは、彼の作品は隅々まで造形的で優美を放ち、行間には想像力を超えた輝きがある。勿論、読むほどに味わい深い情景が押寄せ、その根底に流れる、日本人としての規範とも言うべき独自の道徳観と、ずば抜けた描写力のなかにも、繊細な精神構造をうかがわせ、彼の幼少期の育ちのよさを髣髴とさせる。まさに、何から何まで一流を貫いて行こうとする男なのである。

 彼の美学には、崇高なプライドにも似た創造性と芸術性が秘められている。それに引き込まれるファンも少なくないが、一方で、時代を重ねるにつれ輝きを増す、彼のブランド力を支えてきたものに、彼の残した幅広い多様な作品があり、それが彼を月並みな言葉で語りつくせない要素になっている。それも、大方は経歴の裏に秘められた明晰な頭脳から繰り出された文章に映されているが、一方で程遠いと思える、血の通った実証主義的な精神構造を忘れてはならない。自衛隊体験入隊とか、極端に磨き上げた肉体と、「締め込み」が似合いそうな後姿とか、まるで、古き好き日本男児を思わせる姿に忽然と輝きを覗かせる。彼は、理想とする人間像に比して、幼い頃から病弱であったことから、徐々に、自ら肉体改造に目覚め、まるでオブジェのような姿に肉体を鍛え抜いていた。ただ、そのやや行き過ぎた日本男児としての風景からは、たくましくも、しなやかな感触の同性愛を匂わせる。

 そんな、難解ともとれる彼の多様性を眺める時、やはり、小説の作品だけでは、納得の行く三島由紀夫像を知ることは出来ない。立ちはだかる大きな壁に遮られながらも、距離を置くことしか出来なかった当時の未熟な私にとって、今日こそ、この別冊本を紹介しながら、より彼の本質に近づいてみたいと思うのである。その本のサブタイトルには、「小説、戯曲、評論、随筆、いずれの領域でも才華を放ち、昭和と言う時代を疾駆した恐るべき作家の軌跡と展がり」 と飾られている。それこそ 「別冊太陽 の日本のこころ175 三島由紀夫 11月25日発行 」という新手の三島バイブルである。それを眺めながら、1つ1つの作品の寸評をかみ締め、彼の残した写真、元原稿、筆跡、メモ、関係者の話などから、これも1つのチャンスとして、彼の内面へより近づくことで、現代にも通用する日本人ならではの卓越した精神性を追求してみたい。さらに、この歳になって初めて理解できることもあるだろうし、それを自分の糧として掴み取ることが出来るかもしれない。そうすることで、氷が自然にテーブルの上で溶けていくように、長い年月を経た間欠的フラストレーションを少しずつ解消したいと思うのである。
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補足1:締め込み=褌のこと
補足2:中央公論新社から「三島由紀夫と戦後」という本も出ているが、こちらはつまらん。

2010/11/19

リンゴと生姜のジュース

 暑い夏が続いた後の秋は、必ず早々と寒波が押寄せる。しかし、気温の変化は、過渡な変化でもあり徐々に収束する。そこで、今からこんな事を話題にするのもいかがな物かと思うが、他力本願型体温上昇の勧めとでも言えばよいのであろうか、自主性無しに体温を上昇をさせ、如何に手っ取り早くその恩恵に与るかについて考察してみたい。最近といっても、もう3~4年になるけれど、体温を上げると、免疫力が改善されるという説があった。確かに病気になると微熱や体温が上がったりするので、因果関係はありそうだ。それが顕著に出るのが夕方の体温である。夕方微熱が感じられるのは、注意が必要だといわれている。さて、そんな健康の事ばかりではない。寒さに耐える為に体温を上げて活動しやすくしたいとか、あるいは、体温を上げることで血流を活発にして脂肪を燃焼させ、目を見張るほどスマートになりたい(むり)、など理由はいくつかあると思うが、体温上昇志向と言うのが流行り続けている。それは、やはり自分の体で、それなりの効果を実感できるからである。

 一生懸命に体を動かして、体温を上げるのとは違い、体の反応を利用して、あたかも自分の体温が自然に上がったがごとく感じるのがよいのだそうだ。それによって、体も軽くなり、活動的になるなど、愛好家からよく自慢されることがある。それには、生姜や唐辛子が使用されるという。風呂へ入って温まるのと同じと思われるかもしれないが、熱効率的に言えば、体の中心から外に向かって温度の低いところへ熱が逃げる構造が良いのである。一方、私の場合は、ウォーキングで150分ぐらい歩いてくる。すると、ま、先に「暇だね」とも言われるが、体を動かして機能させ、結果的に体温が上昇するという、プロセスが本質的に優れていると思っている。これには理由が幾つかあるが、体を動かすことによって筋肉を強化し、基礎代謝を改善するとか、骨に対する刺激により関節の強化など、運動でしか得られない効能も多いのである。

  さて、食事をしても、それらはエネルギーに変換される。そのエネルギーの75%は体温維持に使われているという。つまり、食事をすると熱くなるのは、温かい御飯を食べたからという単純な理由ではない。実はここに重要な意味がありそうで、その理屈は、今だ解明されていないが体温を高く維持する事は、生命維持にとても深い関わりがあるそうだ。そこに年配者として、現役引退後の重点施策を設定するのは、最も基本的な健康管理と言えそうだ。本当は、幾つになっても軽いジョギングやウォーキングをするのがよいが、そんな暇がないとか、関節が痛むとか、もろもろの屁理屈のような言い訳をする前に、まず体温上昇させる実践をしてみるのがよい。年齢を重ねるにしたがってより効果的になりそうだ。もちろん、若くても低体温の人や、寒さの一番厳しい時期には誰でも試してみた方が良い。

 今日は、リンゴと生姜のジュースを用意した。生姜が入っている分だけ暖かさが継続する。これから寒さも一段と厳しさを増す中、リンゴと生姜の味覚の相性は抜群で、ホットですっきり美味しく飲める。おまけに、しばらくすると、ぽかぽかと思った以上に心地よい時間が過ごせ、引きかけた風邪の症状の鼻水や喉の痛み等は、どこかへ飛んで行きそうな感じになる。こんなに体が楽チンになって果たしてよいのであろうか。ウォーキングが出来ない雨の日は、これも良いと思う。
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2010/11/15

最近の話題を追って

 少ない情報からでも、不条理な発言には苛立ちを覚える。そもそも、事件の背景を調べたり、法的根拠と照合しながら、あるべき姿としての持論を展開するようになると、誰の言葉でも1つ1つに敏感に反応するようになる。それにしても、官房長官が、直接テレビの画面を通して持論を展開する我々に向かって誹謗中傷をするとは思わなかったが、それが彼の防御本能の証かもしれないし、単に彼が未熟者だったのかもしれない。ただ、彼の多くの発言への審判は我々国民の手の中にある。しかし、判断力のない者を選んだ我々にも責任がある。彼は、民主党だが、元は社会党の出身であるために、国と国の関係やグローバルな戦略を手がけるには未熟である。加えて、かつて元小沢幹事長が、今の民主党には政権担当能力がないと内部告発をしたが、全くそのとおりであった。

 今回の「映像流出事件」に関して、広範囲で様々な意見が出て興味深かったが、映像を流出させた保安官を、あたかも犯罪者のような報道をしておきながら、「政府が国家機密と定めた」その映像を、事あるごとに番組タイトルにまで使い、何度も何度も放送するマスコミ(放送局全社)の無責任さには閉口した。自分達は、国民が渇望する取材を何も達成出来なかったにもかかわらず、映像流出後はこれ幸いと、全ての責任を保安官に委ね、その情報(映像)のパクリで飯を食おうとする姿はジャーナリズムの風下にも置けない恥ずべき行為である。また、過度な報道が中国への刺激を増幅させていることに早く気が付くべきであった。こちらの方が責任は重い。本来の正義と国益の両立を願うならば、その映像は適度に自粛すべきだし、あからさまな部分だけを編集した映像を頻繁に流すべきではない。

 結論から言えば、保安官のしたことは 「動機としては正しいが、手段が悪かった」と思い気持ちを落ち着かせるしかない。だからと言って、手段が悪いと責めているわけではない。周囲の同僚を巻き込まないように配慮するとか、家族の将来に及ぶ名誉棄損等を考えていたならば、その時点で手段の選択肢は、無かったと思うからだ。しかし、自ら出頭して「その意図をちゃんと説明をする計画が最初から織り込んであった」とするならば、もっと優位にゲームを進める方法が模索できたのではないだろうか。そこに、美学にも似た、敗因の要素とも言うべき脆さが、隠れているような気がする。ただ、海上保安官であり国家公務員の行為ということで、事件を必要以上に拡大解釈する専門家もいるが、その前に「人としての心情や危機管理としての動機」を重視して評価すべきではないだろうか。今後も見守りたい。

 今回の事件は、我々国民にも責任がある。国境に対しての認識が低いのが主たる原因とも言えそうだが、日中関係の歴史的認識にも欠落がある。戦時中、中国に対して日本陸軍が何をしてきたか、そこを紐解くと、満州事変、南京虐殺にはじまり、横暴な支那を懲らしめよと言って中国全土を侵略し、「人として恥ずべき行為」も行ってきた。日本は勝手にアメリカに負けて敗戦後は生まれ変わったが、一方の中国は侵略された時代から「怒りが収まらない」ままである。65年経っても中国は、今だ心情的には停戦中のままといっても差し支えない。そして、日本はいつどのような形で過去の反撃をされても「文句が言えないほど無防備で脆弱」なのである。つまり今、日本を取り巻く周囲の環境は、戦前より力学的に不利になっている。だから、何事にも注意深く対応していなければならない。なぜなら、人の心の中に植えつけられた憎しみは、簡単には消えないからだ。

 補足1:海上保安本部に「海上保安官をかばってほしい」といった意見が寄せられていることについて、官房長官は、「国民の過半数が、そのように思っているとはまったく思わない。国民は信頼できる捜査を求めており、事件が起こればしかるべき処分をしてもらいたいという、健全な国民が圧倒的多数だと信じている」と述べた。
 確かに、海上保安官の行動としては、問題があるかもしれないが 「事件の情報開示行為として、許そうではないかと熟慮している人達」も多い、あるいは、「よくぞ見せてくれたと賛辞を送る人達」も少なくない。その人達に向かって、そう思う「おまえ等は健全な国民ではない」と誹謗中傷している。
 恐らく、流出する前に映像を見たいですかと聞いたら、ほぼ100%に近い人達が見たいと答えるに違いない。これが「健全な国民」である。しかし、観た後その映像に慣れてしまったら、法に違反してまで見せたのは問題だと言う人が必ず出る。また、優等生のように法律に反するからと言う理由だけで、絶対に許せない行為だったと言う人も出る。これも「健全な国民」なのである。つまり、健全な国民であればあるほど、多様な考えを備え、いつも健全な国民であろうと努力するのである。

 補足2:風下にも置けない:風上おろか風下にも置けないくらい臭くて、恥ずかしい立場だと言う意味である。

 補足3: 11月14日18:00 時点での情報を元にまとめた。

2010/11/12

お魚でパスタ

 ちょいと「高級なイタリアンのお店で、珍しいパスタ」を食べながらヒントを得たかもしんないし、あるいは、酒のつまみにと、台所に隠してあった「さんまの塩焼缶詰」を開けながらイメージを広げたのかもしれないが、・・・・いや、そんな事はどうでもよいのだが、一寸したアイデアで、これほど便利に使える缶詰があったのかと感心させられる。この缶詰には、魚、たとえば、さんま、まぐろ、さけ等を主な原材料とし、そこに、にんにく、オリーブオイル、唐辛子、食塩、調味料、等が缶にパッキングされていて、茹で上げたパスタにそれを加えて、フライパンで炒めれば、な、なんと、「さんまのぺペロンチーノ、まぐろのガーリック醤油、さけのガーリックバター」味のパスタが出来上がるというのである。もちろん、缶詰だから長期保存にも適している。

 ま、何も特別な事をせずとも、簡単に本格的なパスタが出来上がるのである。負け惜しみではないが、小安いさんまの塩焼き缶詰を見ながら、その中にある「さんま」を小さく切って、パスタに使うと、どうなんだろうなと考えを巡らせながら、それでも、保守的にやっぱりレトルトパックを使ってアラビアータを食べるしかない、といった、過去から脈々と続いてきた既成概念を捨て去る必要があるような気がする。なぜ、今までこのようなアイデアが出てこなかったか不思議でもある。誰でも、薄々そう思ってはいても、新たな発想を受け入れるには時間も掛かる。そのリスクに嫌気したのであろうか。それにしても、目の前にあったものを組み合わせただけのようにも思えるが、うーむ、何か新たな技術が必要だったのであろうか。

 魚をパスタの材料にするには、様々に手間が掛かる。普通に考えると、まず魚の鱗や内臓、小骨を綺麗に取り除き、邪魔にならない適度な大きさに裁断しなければならない。もっとも、スーパーなどで売られている、焼き物、煮物、などに使う切り身には馴染があるが、そこから、小さめに切り出す作業が必要になる。板前さんがお持ちになってるような、よく切れる包丁で、毎日魚を捌いていれば、簡単に2cm四方の切り身を作れるかもしれないが、私のような者には、そう簡単な作業ではない。誰でも、そこにそれなりの抵抗を感じるので、手軽に手っ取り早く食べたいパスタにまで、魚の切り身を使うのは最初から考えなかったのかもしれない。

 はごろもフーズは、古くから「みつ豆の缶詰」等で有名で、私が幼い頃、もっとも50年位昔の話なので、今とはまるっきり違うかもしれないけれど、コーン、あずき、ひじきなどの料理素材、あるいは缶詰のデザート、即席調味料、ふりかけ、のり、等を販売してきた。また、ここ近年であろうか 「ポポロスパ」 と言うパスタが用意されている。そうやって、1つ1つ台所にある乾物マーケット(缶物も含む)の地道な拡大を企ててラインナップの充実に努めている。その背景もあって、今日紹介する「お魚でパスタ」の箱にある説明には、「ポポロスパ」という自社のパスタが推奨されている。「ポポロスパ7分結束」と言った具合の表記になっている。

 残念ながら、今回の写真に使ったパスタは、DECECCO Cottura 6 min である。また、皿の上には、いつものように残ったソースを使って食べるベビーリーフを敷いてみた。一寸ハイカラなパスタに思えるかな。どうよ。フライパンで炒める時に、ニンニク、オリーブオイル、唐辛子、等が薫りなどに物足りなさを感じれば、適度に追加すると良い。
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補足 スーパーでの価格の1例。さんまのぺペロンチーノ(価格218円)、まぐろのガーリック醤油(価格268円)、さけのガーリックバター(価格298円)。

2010/11/09

ディスカバリー4-b

  それでも、当時のコンピュータは今のとは違い、自分でプログラムを作って動かすことに重点が置かれていた。そうしなければ、その価値を引き出せないと考えたからで、コンピュータを所有している人に対して、何に使っているのか?当時は誰でも興味の沸く話であった。きっと、難しい事をしているに違いないと考えたからである。 そんな、今とは違った昔の感覚を思い出しながら、この続きを読んでもらいたいが、科学技術計算に向いたといわれるFORTRANには、絵を描く機能など存在せず、プログラムは、ひたすら高速で答えを求める手段でしかなかったのである。ゆえに、CRTの画面をコマンドラインからグラフィックスモードへ切り替えるなんてこと自体が新しいことであった。俺流で言うところの、「うーむ、なるほど」っていう感じだったのである。ということで、今日の出力先宣言は PLOTTER IS 705 である。

 さて、2軒目に就職して、まだ駆け出しだった頃(26~27歳のころだったと思う)、YHPの人達と一緒に仕事をしたことがあって、その時に、まだ日本に入って間もない自動計測システム(販売前)を特別に見せてもらった。そこには、オールインワンで大き目のキーボード台の付いた、テレビのような画面と、その脇で8色のペンを自由に使い分けてデーター結果を描く装置があった。コンピュータは、様々な計測機器とHP-IBで接続されていて、データーを定期的に取得してようであった。プロッタは、データーを取得するとその都度ペンを取り代えてデーターを描いていた。縦横軸のスケールの文字もローマン体で綺麗に描かれていたのには驚いた。 そんな、器用にアームとペンが動いて文字まで描いているさまを見ると、いつかプロッタを自由に使いこなしてみたいと、憧れるようになるものである。当時、その業務用のプロッタは、A3サイズの8色ペンで、決して個人で購入できる価格ではなかった(150~180万円ぐらい)。
  
 それでも、何の為に使うのか特定もせず購入したのが、今日紹介するHP-7470A(54万円)である。HP-GLを参照しながらペンを動かしてみる。個人で大量の被測定物を処理することはないので、別の事を考える。理屈的には「理論や数式を丸呑み」して頭に叩き込むより、少々手間はかかるけれど、視覚的にその現象を把握することが理解を容易にするのではないか、と思ったのである。たとえば、俗っぽい話で例えると、スピーカ・キャビネットの容積Vを求める計算式があったとする。そこそこ複雑な計算式で、幾つかの定数とFc(=キャビネット時のf0)で容積Vは決まる訳だが、逆にキャビネットの容積Vを固定し、その定数であるコーン紙のm0(等価質量)を変えて、対周波数として振幅特性をプロッタに描かせてみるのである。m0をある範囲で動かしてみると、別の現象が分かるのである。そうやって、片っ端からスピーカに関する数式を扱ってみると、「おおっと、そういうことなのか」と、全体の概念を理解するのが早く次々と興味を引いたのである。ネットワーク回路設計においても、コンデンサとコイルの等価容量値から様々にフィルターの特性を描かせることも容易で、すこぶる便利であった。

 さらに手法を発展させ、NTSCフォーマットのRGB信号から、色差信号、IQ信号、ベクトル、バーストの振幅と位相などを同時に生成し描かせてみると、またまた新たな発見があるわけで。映像信号は細かな数式と定数がふんだんに出てくる。一見は難しそうだが、定数同士の関連性が強い為に、数式だけでも理屈を把握出来そうだが、実際にグラフにしてみると案外全体の理解も早く深められるし、このNTSC自体が大変よく考えられている事が分かる。早い話、NTSCの仕組みの面白さがすぐに分かってくるのである。つまり、数学の得意な人にとっては、どうって事無いことでも、そうでない我々として、コンピュータとプロッターを使いこなすことによって、一歩先を進む事が出来るわけで、当時は複雑な数式であれば、ついついプログラムしてプロッターに描かせるということで遊んだ。本来、もっと幅広い知識と教養があれば、さらに面白い利用方法が可能になったに違いない。いつの時代も、コンピュータというものは、使う人達のアイデアによって価値が決まるのである。ではこちら
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 補足1 YHP 当時の横河電機とHPの合弁会社である横河・ヒューレットパッカード㈱のこと。

 補足2 HP-GL グラフィック ランゲジーの略で、プロッターに線や点、文字などの絵を描く為に使用するHP独自のコマンド体系。後々、他社のプロッターも、ほぼ100%HP-GLをサポートしている。

 補足3 輸入品で一番苦労するのが取扱説明書の言語。しかし、同じ様な製品を販売した日本の電気会社の説明書より、「はるかにHPの英語の説明書の方が分かりやすかった」のは何故か。

2010/11/05

関西風あさりめし

 貝類を使った炊き込みご飯は、大変美味しい。それだけではない、貝類を使ったお吸い物や味噌汁も美味しいし、何の料理でも貝類を使うと美味くなる。そんなことで、今日は、その代表ともいえる「あさりめし」を作ってみることにしたい。このスーパーやデパートなどで販売されている「炊き込みご飯の素のパッケージ商品」は、さほど高価ではないので、手間を考えると便利な商品ではあるが、やはり、出し汁に長時間浸かって、出し汁の燻製になっており、生々しさと言うか、新鮮さからは少々程遠い。確かに、お米に加えるだけなので便利なことは確かだけれど、自分なりのこだわりが活かせない。そこで、生の素材を使用した時の作業を想定して話を進めることにする。写真にも、生の素材を加えて、創作意欲を刺激したい。

 実際の生のアサリを使った炊き込みご飯の場合は、最終的に仕上がりのイメージを描いてから始めるとよい。ポイントは、いくつか考えられる。まず、1.御飯の炊き上がりの硬さを考える。そのためには、お米と炊き込む水分の濃度を調整する。通常の水だけの場合の硬さと、出し汁を使って炊き上げる御飯の硬さは、当然異なるわけで、最初にお米にお水を浸透させておくようにするのが良い。お米を洗った後、お米が沈むぐらいアルカリイオン水で浸たし1時間放置する。一方で、2.食感と薫りの豊かな御飯にする為に、生のアサリのみを用意する。お米1合当たりアサリ200g程度用意して、たっぷり美味しく作る。砂を抜き、アサリがしっかり浸かる位置まで水を入れ、活きている間にボイルする。貝の口が開いたら取り出し、出し汁の出たお湯の部分と貝を分けて、出し汁には、醤油、日本酒、昆布1切れを入れて再び一度沸かして冷やす。貝は冷えたら身を取り出しておく。

 お米にアルカリイオン水が染み込んだら、冷めた出し汁を加える。出し汁が多く残っていれば、お米の水を捨てて、指定の分量まで出し汁で埋める。後は、炊飯スイッチを入れるだけである。出し汁の醤油は、好みによって増減させるが、控えめにしてアサリの旨味を生かす高級料亭風にしたい。日本酒は量を増やすとおこげができるので、田舎風に仕上げる時には、日本酒を増やす方が良い。あとは、生姜を千切りにして炊き上がった御飯に混ぜるか、後乗せとして用意する。ピリッとする生姜の食感とアサリの程よい薫りが食欲をそそり、たいへん美味しい。

 これだけの手順でも面倒だと思う人に最適なのが、今日紹介する、炊き込みご飯の素「あさりめし」である。お米にこのパッケージを投入して炊き上げれば簡単に出来る。ここで、注意するのは、上記の1の部分に相当する水分量の浸透圧の関係である。そこだけは、1と同じ手順で行えばよいが、面倒な場合は、お米に加える出し汁を通常より多めにセットし、炊き上がりも十分に蒸らすことがポイントになる。これを間違えると、炊き上がりが硬めになり、冷えたら硬過ぎに感じる。今日紹介した手法は、母親伝授の「広島仕立ての牡蠣飯の作り方」を、アサリに水平展開したもので、「関西風のあさりめし」になる。もちろん、今日紹介しているパッケージは、香川県小豆島の製造商品である。 
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2010/11/02

1本満足バー

  我々にとって「ゆるい拘束時間内の空腹ほど辛い物」はない。おおよそ、空腹感というものは、ある周期で何度か襲ってくる。1度目の空腹感は、自分の健康状態を示すバロメーターとして、「よしよし、今日も快調」と励みになるかもしれないが、3度目ぐらいになると、本気で「お腹が空いた危機感として、大脳から特別な指令が出る」。人によっては、不機嫌になったり、いらいらしたりもする。それは、丁度時間的にも18時~19時頃かもしれないし、仕事が一息ついたもっと遅い時間帯かもしれない。そんな、微妙な緊張感の中で、机の引き出しに隠されたお菓子を取り出して、ボリボリと口にすることがある。

  人は、普段と同じ環境に置かれていれば、お腹がすいたら、どのような物を食べたいか、冷静に考えられる。体の事を考えて、ある程度は我慢も出来る。しかし、徐々に忙しくタイトな時間に変貌してしまう環境の下では、その様な余裕はない。例えば、夕方から始まる会議がそうだ。空腹では、いつもの積極性が抑えられ、新しい提案も浮かばなくなる。それでは駄目だ。いつまで続くか分からない会議に、自分の考えを力説したり、参加者全員に納得してもらう為には、パワーが必要なのである。だから、何か点火剤を口にすることで、いつもの沸き上がるエネルギーに変えて 「会議に臨みたい」と考えるのである。そんな活力ある現場に立ち会ったことはないが、大塚製薬のソイジョイは、独自に売り上げを伸ばし続けてきた。また市場も拡大し続けているように、明治製菓やアサヒフードアンドヘルスケアも品種を増やしたり、リニューアルして商品を改善している。今日は、そのアサヒフードアンドヘルスケアの製品を食べてみることにする。

 名称は「1本満足バー」という。それは、1.少しの量でも大きな満足感がある。2.本当に美味しい製品を目指す。3.栄養素をたくさん含んだお菓子にする。4.実売価格で100円以下が目標。と、1本でも、何とか満足出来るお菓子を目指してきた。それは、いったいどうやって実現しているのかというと、まず、他社製品に対して若干成分バランスを変えてきた。比べてみると、1.全品種190kcal前後と、若干カロリーそのものが高い。2.歯ごたえの良い硬いタイプと柔らかいケーキタイプの2種類を用意した。3.明確な甘さを打ち出している。4.5種類のビタミンを配合した。 と言うのが特徴だ。それが、従来に比べて「満足感を拡大した」のである。ただ、この手の商品を愛用している人達にとってみれば、商品の種類が増えたのと同じ効果でしかないが、従来品では、甘さとか満足感に今ひとつ物足りなさを感じてきた若者には、この「1本満足バー」は、それらの課題が解決されており、ニーズにミートした商品になったと思える。

 そこで、最初の「ゆるい拘束時間内」の空腹に話を戻すと、そんなデリケートな時間帯には、どの製品が最適か迷う事も多い。それも、好きとか嫌いとかではなく、どのタイミングで口にしたら、どのくらい気持ちを抑えられるか、あるいは、それらを口にしても、果たして後々美味しく夕食を戴く事が出来るか、やや矛盾する気持ちが頭をよぎる筈である。やはり、この「1本満足バー」の食べ方を自分で模索しなければならない。食べた時の満足感は、食べ心地と腹持ちのよさの2つの要素に分けられるが、このシリーズは、十分な甘さに特徴があり、一種独特のダイエット食品の食感からは程遠く、昔風のお菓子と言えるほど食べ心地が良い。少し違うところは、食後の腹持ちが良すぎるところだ。これは、グルコマンナンやセルロースという消化分解できない繊維成分が適度に組み合わてある為と推察される。この腹持ちの時間は人によっても違うので、慎重に評価しておきたい。
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補足 グルコマンナンは蒟蒻芋に多く含まれる水溶性中性多糖で、体内の消化酵素では消化できない。消化器の中で水分を吸収し何十倍にも膨れる。そのためダイエット食品に多く使われている。

補足 セルロース 繊維質で、木の葉や木材に含まれる。それはグルコマンナンと同様に人が体内で分解する酵素を持っていない。

2010/10/29

ハロウィン

いわゆる、イギリス、アイルランドやアメリカなど、白人主体国家と考えられているアングロサクソンの、カトリック系の収穫感謝祭をハロウインという。日本で言うところの、お盆と秋のお祭りを一緒にしたようなお祝い行事で、この時期は、ここ数年来、国内でもハロウインに関連するグッズが店頭を飾っている。日本人は、昔から商売となれば何でも外枠で取り扱う傾向にあるが、ハロウインの宗教的な背景やそのお国柄、民族主義などを知った上で取り扱うのが望ましい。もちろん、日本国内には宗教上の紛争問題はないが、基本的に他宗教の行事を面白半分で取り扱うことは、お勧めできることではない。

  人類は、太古の昔から目に見えない「大きな力が存在」していることを信じてきた。その人の手が及ばないくらい大きな自然の力は、神の支配と考えて豊作は神の恵みとし、災害は神の怒りとして崇めて来た。毎年10月31日には神に感謝し、来年も豊作であるようにと願う、感謝と願いを神に伝える大切さも、後世に継承してきたのである。そして、人の力の未熟さも謙虚に受け止めるようにと戒めたといえる。その考え方は、何も自然を相手にした農産業だけのことではない。我々も、今年は、健康に恵まれていい仕事が出来たので、来年も頑張ります。と感謝し、願いを込めて祈り、今日、そして明日も精一杯頑張らなければならない。そのためにも、頑張りの邪魔をされないように、自分の身の回りに寄ってきそうな悪魔を追い払っておく必要がある。悪魔は、いつでも何処でも身近に存在し、気が緩みかけた瞬間 「人を悪への衝動」へ誘い込む。そんな気分で「魔が差さない」よう注意をしなければならない。

 そこで、まずシンボルともいえる、このハロウインのいくつかのグッズと魔除けを購入することになる。日本人は昔から「本質よりも、形から真似る」のが得意とされており、まずは、子供達は、普通の八百屋などでは見かけないオレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ内側からろうそくで照らす。カボチャ(最もハロウィンらしい対象)を入手できなければ、プラスティック製を購入すればよい。一般的に、ハロウィンを祝う家庭では、怖い顔や滑稽な顔を作り、悪魔を怖がらせて追い払う習慣があるので、同じ様に真似て製作し、部屋を行きかう廊下や階段、窓際などに配置する。次に、それらしい美味しい物を用意しなければならない。お母さんの手作りケーキやお菓子でも良いが、KALDI のお店など、カボチャ風のランタンを販売しているお店には、ハロウイン用のお菓子類も用意されているので、一緒に購入してくると良い。例として、PDF写真の中にある人形型やボール型のチョコレートのほかに、ポップコーン、クッキー、ビスケット、ケーキ、キャンディー類などがある。

 そのカボチャをくりぬいた形のシンボルは、様々に工夫を凝らした商品が販売されている。もともと、これは「ジャックが悪魔と取引をして得た、火の魂で作られたランタン」なので、灯がともる構造になっているが、今日は、上の写真の「シンキング ジャックオーランタン」(単三電池3個必要)を見ていただく。彼は今静かに眠っているが、前を人が通ったり、ジャックの顔に手をかざしたりすると、それに反応してジャックの目と口が開きライトが光る。同時に「HAPPY HALLOWEEN」など、いろいろの言葉を、まばたきをしながらしゃべり、大変滑稽で面白い。わいわい、がやがやと騒がしくても声が通るように、大きな声でしゃべる。どちらかと言えば、静かにハロウインを楽しむ方には不向きである。
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補足 面白半分 面白そうな気分だけで取り扱うこと。真剣さに欠けること。

補足 魔が差す:悪魔が心や体に入り、一瞬の判断や行動を誤ること。取り返しの付かない最悪の事が多い。それは、あたかもブレーキとアクセルを踏み間違えた時の感覚だと言う。また、考えの浅い出来心も、この範囲の行動として扱われる。このような事を起こさないように、平素から行動の先々を深く考えて、たとえ悪戯と思っても誤解を与えないように、いつも注意をしておきたい。

2010/10/26

昭和の流行歌8

 今日も、昭和の流行歌を代表する2枚のCDを紹介したい。1つめのCDは、クレージーキャッツのベスト版で、ディスク・レコードをCD化した製品になる。音声は、当時の音響技術を反映してモノとステレオの混在となっており、原版はかなり古いことが分かる。恐らく1960年代の前半頃と思われる。さて、いつの時代も、世の中を 「斜めから見る」、「ひねって眺める」とか、「口にしにくい本音」で迫る時に、一寸だけ面白いと感じる側面を垣間見ることができる。 普段は気が付かないことでも、クレイジーキャッツの歌詞にあるような際どい人間関係描写は、より具体的でシビアな経済関係の上に成り立つとして捉えることが出来るし、その延長線上で社内のサラリーマン観を戒めてもいる。さらに、全体を通して、この右肩上がりの先にある、繁栄による壮大なロマンを感じるのである。当時の激しい競争は、サラリーマンと言えども「社内で営業をする為に出かけているのと同じ」であった。そんな切実な気分を反映しているせいか、空前のヒットに繋がったと推察される。一方、現代のサラリーマンは、社内で「給料が同じなので、無駄を省き、できるだけ働かない方が、省エネでお得」になると考えるらしいので、今では流行らない。まさに時代が変わったといえよう。

 このCDには、そんな右肩上がり経済のダイナミズムを感じさせる曲ばかりが集められている。これらの曲がヒットした後、その曲にふさわしい映画(東宝クレージー映画)も作られてきた。植木 等さんがサラリーマン役で、歌詞のイメージをそのまま演じるといった「笑いが止まらないくらい楽しく、愉快で、勇気の沸いて来る映画」なのである。かつては、お正月の深夜番組で5年おきぐらいに何度かシリーズで登場していたが、最近は見かけなくなってしまった。何度見ても、やっぱり笑えて楽しいが、身近なことに置き換えてみた時、自分には、とても真似出来ないが、それを簡単に出来たら人生がどれだけ楽しいか、と思ったサラリーマンは多かったに違いない。それによって、多くの若者が勇気付けられた。

 2枚目は、テレサ・テンさんのベスト版である。台湾から来た女性歌手はみなさん個性的であったものの、テレサ・テン(鄧麗君、デン・リージュン)さんは、どのようなジャンルの曲でも綺麗に歌う人であった。台湾のみならず、中国、東南アジアでアジアの歌姫として君臨し、絶大な人気を誇り、レコード売り上げ枚数で群を抜いた実績を残している。ジュディーオングさんも、欧陽菲菲さんも同じだが、歌詩の中の英語部分の発音が優れているので、そこで外人さんである事を思い出すことがあったが、彼女達は日本語の歌詞を「心をこもめて丁寧」に歌っている(そうでないチャンもいた)。ここが最大の魅力だったのである。しっかりした音程感はもとより、声質も魅力ではあるが、丁寧に気持ちを込めて歌うことによって、歌詞の内容がより哀愁を帯びて聴こえ、片言のように聞こえてくる部分には一種の可憐さを伴っていたのである。

 作曲家:三木たかしさんと、作詞家:荒木とよひさ さんの名コンビで作られた「つぐない、愛人、涙の条件、時の流れに身を任せ、分かれの予感」は、ご本人のヒット曲を収めたものだが、それ以外の曲は、真夏の果実(作詞作曲:桑田佳祐)とか 人生色々(作曲:浜口庫之助)などのカバーが収録されており、彼女の歌唱力の幅の広さを実感する事が出来る。あと、例のヒット曲「空港」は、作曲:猪俣公章さんと 作詞:山上路夫さんの作品。さらに、おまけで、李香蘭(本名旧姓 山口淑子)が歌った「何日君再来」の日本語バージョンが収められて、新旧入り乱れて広いファン層を意識したCDになっている。テレサ・テンさんは亡くなられて既に15年経っており、CDの種類も数量も少なくなっている。1枚選ぶとしたら、やはり「何日君再来」の収められているこちらがよい。
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 補足 先月、クレージーキャッツのメンバーで、「ガチョーン」で一世を風靡した谷啓さんが亡くなられた。犬塚 弘さんは、置いていかれたような気持ちと語っておられた。ご冥福を祈りたい。

 補足 モノ:モノフォニックの略で、モノーラルの略ではない。対比する言葉が違い、モノフォニックに対してステレオフォニック、モノーラルに対してバイノーラルとなる。モノーラルとステレオを対比して使うのは間違いである。

2010/10/22

逸脱する病院ビジネス

  リーマンショックの3年ぐらい前だったと思うが、病院の経営状態は急に悪くなっていた。医療費節減の為の薬価引き下げで、病院の倒産が増えていたのである。その他にも整理統合、合併、閉鎖、経営交代などで新聞を賑わしていた時期で、それは、日本の医療がみしみしと音を発てて崩壊にむかっていく予兆でもあった。病院の半数以上が赤字になったと言われ、我々納入業者に対して、「まけてくれ、まけてくれ」と頭を下げて頼み込む「用度課の連中の姿」を思い出す。今、11部屋あるオペ室の内5室使えない状態だとか、オペ用の手袋や薬剤が足りなくなっているとか、如何に苦しい状況か(オペ室の状況は誰でも心配する)を言い訳のように説明をして、費用を削ってほしいと頼むのである。いくら頼まれても、俺達には関係ない話だと、怒鳴り返すしかなかった。

  現場では、医者がメーカーからバックリベートを貰って私服を肥やしている。勿論そうでない医者もいる。例えば、体に埋め込む医療用具の会社から頼まれると、医者は、体に埋め込む必要のない人へにも、「いや、できれば埋め込んでおいた方が安心ですよ」と勧めるわけである。本人は出来れば避けたいが、回りの家族は無責任にも、先生のおっしゃるとおりにするよう勧めたりする。体へ埋め込む為には、手術も必要だし、一度埋め込むと、電池交換とかリプレースとか一生その会社の製品を使うことになる。この類は、病院も儲かり、医者個人もポッポできる。加えて、病院へ将来継続的に通わざる終えないように治療することは、病院経営の安定化を図るとして重要視されている。そういうのを20年ぐらい、まじかに見てくると、病院にお世話になるときは、必ず知り合いの先生に紹介してもらおうと思うわけである。

 医者は、知合いの先生の紹介状を持った患者や、医薬品や医療用具を扱う業者の患者を、一般外来患者とは別の扱いをする。医者にとっては、同業者もしくは関係者は身近な存在なので、神経を使うのである。一方で、一般外来はその限りではない。つまり、患者は診療される前から選別されランキングが付けられる。ランキングの上位の患者は何かと神経を注がれるが、そうでない場合は、金儲けの道具にされる可能性もある。そして、それによって一般患者は泣き寝入りをせざるおえない事態になることも少なくない。しかし、本来、医者は悪い噂が広がることを極力嫌う。経歴に傷が付くとか、学会での立場もあるので、神経を尖らせる。ところが、絶対に勝てる相手には強く出る。そういう歴史的によどんだ空気の中で、きめ細かく医者としての「個人のソロバンを弾いて採算を計算」して診療は行われていく。

 病院の中で行われる、主たる医療行為は、全て診療報酬制度によって点数に変換され、国に請求されている。それは、診療品質の違いと点数の多い少ないは因果関係はない。つまり、経験豊かな先生も、駆け出しの先生も、ちゃんと説明をしてくれる先生も、知らん振りをする先生も、かかる診療報酬は一定なのである。さらにそれを対極側まで推し進めて考えれば、独占的に診療点数加算も可能なのである。患者は一人でも、担当医として「自信を持って多くの病名」をつけさえすれば、いくらでも検査はできるし、手術も出来る。それに伴い点数はどんどん上がることになる。つまり、まじめに患者の為を考えて、控えめで適正な診療に抑えたり、最小限度の診療で済ませるよう工夫をしてきた良心的な病院ほど、早く倒産したとか、あるいは倒産する可能性があったといえるのだ。病院の経営方針が変わると言うことは、診療報酬の解釈を調整するという事でもある。

  一方、視点を変えると、最近は、クリ二カルパス通りに治療を行えば、最も効率のよい治療が行えるとして、それに全診療科をあげて取り組む病院が多い。赤字を抜け出すためには、必らず乗り越えなければ成らない条件でもある。簡単に言えば、「標準化された治療システムを構築し、それにしたがって画一的な仕事にする。特別に手間をかけたり、余計なことはしない」治療で、診療保険点数にないことは一切やらない。それが嫌なら他を当たるしかない。まあ、「所詮他人の体なので、統一的にやるべき事をやって、治ればよし、治らなければしょうがない」という考え方になる。これも、裏を返せば、「結局、我々被保険者を含めた社会全体で望んでいた」ことなのである。口先ではあくまで立派な事を言いつつ、お金を出ししぶるからである。その社会的背景から、病院は、その考えに沿った方向へ変貌を遂げようとしてきた。その中身は、不払い切捨て、病弱者切捨て、不治病切捨て、と、ごく自然で、一般的な企業の生産システム並みの仕組みを構築するようになってきたのである。今後は、さらにシビアになると考えられる。

 人は、元気なうちは医療費を無駄なお金のように考えているが、大病をしたら、もっと丁寧に治療をして欲しいと思うに違いない。今まで病気などをした事がない人は、昔の概念で病院を訪れて、身を任せることは、少しためらった方がよい。少なくとも、入院をする前には、それなりに病院や医者を調べておくべきである。ま、認識の甘さを捨ててもらうために、今日は、医療業界関連としては、珍しくまともで、それらをよく取材してあると思える本を見つけた。このような取材を通して、業界の内部を垣間見るのも、氷山の一角とはいえ参考になると思う。
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補足 理論派で学者タイプの先生もいれば、手術の大好きな先生もいる。普段患者と話すことは時間の無駄という先生もいるし、仕事熱心な先生もいる。また、リスクを避けたがる先生もいて、これらはある程度、端から見ていても判断はできる。しかし、治せる先生と治せない先生の区別は難しい。

2010/10/19

鬼太郎茶屋

   
    「ゲゲゲの女房」という朝の連続テレビ小説の影響はとても大きく、我々のような古い世代の妖怪ファンをも懐かしがらせ、さらに近頃は子供達からも絶大な人気で、ついつい調布までお出掛けになる家族連れも多い。調布駅前から天神通りには、その妖怪たちのモニュメントが待ちうけ、監視の目を光らせている。また、調布駅と布田駅に程近い旧甲州街道沿いに、この妖怪たちのグッズを販売したり、資料を公開している「調布市観光案内所ぬくもりステーション」があり、一通り妖怪たちの履歴や得意技を知ることが出来る。妖怪たちとは、ゲゲゲの鬼太郎を筆頭に、水木しげるさんの表現する妖怪の世界のキャスティング達である。それぞれ特徴があって、適度に個性的で怖いが、やっぱり懐かしいと思えるような、幾つになってもそこには微妙な距離感がある。

 この、我々と妖怪たちの間にある、磁石の同極に作用するような微妙な距離感こそが、水木しげるさんの表現する世界なのである。日本昔話に出てくるような妖怪は、徹底して分かりやすい悪柄で、子供を食べてしまったり、人を騙したりと、何処までもその距離を広げてゆきたい気分になるが、ここに登場する鬼太郎率いる妖怪たちは、知的で正義感が強く、義理人情にも厚く、みんなが力を合わせて社会をよくしようとする優れた妖怪たちなのである。もちろん、知的な妖怪なので悪戯は大好きである。しかし、妖怪なのに命がけ(死なない)で人を救うことに挑むこともある。そんな時、ぐぐっと彼等に近づきたいと思うわけである。

  今日紹介する鬼太郎茶屋は、この妖怪たちにまつわるグッズを数多く採り揃えたお店であるが、妖怪たちと一緒に遊びほうけるエリアとして、子供達にとっては妖怪の館になる。どこまでも怪しげな外観と風貌で、深大寺の門前という場所にあって異色を放っている。昼間、多くの子供達は深大寺参拝をそっちのけで、妖怪グッズを求めてここにたむろし、その中で自然に妖怪と同化してしまう程、右を向いても妖怪、左を向いても妖怪、上を見上げても妖怪、隣の人も妖怪と、楽しい時間を過ごすのである。そんなこともあって、夜は、この深大寺周囲一帯の店舗には、誰一人として残っていないはずなのだが、この鬼太郎茶屋だけは、人がいなくなってから深夜にまで、妖怪たちが集まり「売上げ促進会議」が催される事がある(PDF写真参照)。

 お店には、島根県境港市の本社から提供される、島根県の独自の20世紀梨のソフトクリームや、大山(だいせん)白バラ牛乳のソフトクリーム(各350円で、とても美味しい!)に始まり、そのほか目玉のおやじまん(120円)、じゃころっけ(150円)、お土産には、下駄すごろく、目玉餅などもある。喫茶コーナーには、ぬり壁の味噌おでん(350円)、目玉オヤジの栗ぜんざい(500円)、目玉オヤジのクリームぜんざい(700円)、壁オーレゼリー(400円)、妖怪クリームあんみつ(500円)、砂かけ寒天(400円)、妖怪抹茶セット(500円)、一反もめんの茶屋サンデー(700円)など、ほとんど妖怪の愛称が付けられている奇怪な甘味品が揃っている。お父さん向けには、鬼太郎ビールなども用意されているから大丈夫だ。
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補足1 上の写真は、日中は高い位置(店頭前)から、この深大寺門前の道を監視している。鬼太郎と目玉オヤジは、妖怪達が人間に化けてバスから降りてきたりするところをすかさず見付けておき、悪戯をしようとするとすぐさま懲らしめるのである。

補足2 妖怪たちは、平素シャッターや壁の中に隠れているため、動き出すことは出来ないが、丑三つ時には開放されるので、抜け出して深大寺の周囲を歩き回る事が許されているという。

2010/10/15

松茸ごはん

 本来の「国産松茸」を使って作ると松茸御飯は高価なものになってしまう。また、炊き込み御飯の1つでしかない松茸御飯はそのコストを照らし合わせた時に、素直に庶民が美味しいと言えるものではなくなった。さらに、松茸は「採れたてが一番芳しく、2日が保存限度」と賞味期限は短い。それ以降は、どんどん品質が低下する。これを念頭に置いて、デパートで松茸の実物を眺めてもらいたい。そこで、それを手にする価値を見出すのは難しいと思う。つまり、店頭展示されている松茸は、今や「店の品格を誇示する」象徴であり、まれに、価値を見抜けない富裕層がふらっと買って帰るぐらいである。それでも、備長炭のひちりんに乗せてみると、最後の良い薫りが出る。そして、それを裂いて食べる。ま、視点を変えると、究極のダイエット食品でもある。形の悪い物はスライスして、御飯と、醤油、出し汁、日本酒などと一緒に炊き込んで、松茸御飯にする。それでも、相変わらず国産を使う限り「美味しさ対コスト」の関係は悪いままである。したがって、現代においては、松茸御飯としては、最初からアプローチ方法を考え直した方が良いことになる。
 
 またまた50年ぐらい前の話になるけれど、母の実家は材木屋だったので、多くの山を所有していた。その中に、いくつか松茸が取れる山があって、当時は、秋口になると親戚一同が集まり、その随分奥地にある山まで松茸狩りに行ったのである。年によっては、不作の山もあって、山を変えないといけない状況もあった。松茸は乾燥した落ち葉の下にいて、子供の私でもコツさえ覚えれば面白いように採れた。そして、その場でひちりんの火に焙って醤油を掛けていただくのである。この作法は、一番美味しい食べ方である。大人は、松茸の焼ける香ばしい薫りの中で、日本酒を呑んで騒いでいた。残った松茸は、木の箱2つ分ぐらいを持って帰り、近所に配ったり、夜は松茸御飯になったのである。当時私は、そのような松茸を使った料理を大して美味しいと思わなかった。

 それでは、なぜ、松茸が高額になってしまったのだろうか。まず、基本的に天然モノしかないからである。秋口のこの時期しか採れないし、松茸が生える山自体は元々少ないのである。さらに、人が分け入る事が難しいような山が多く、しかも、その年の天候や雨の量にも影響を受けると言われている。さらに、松茸の生えてくる場所を探して歩く労力を惜しまない、いわゆる「松茸採りの名人」が少なくなったことも挙げられる。今や、国内では、それ自体で儲けを出すことはおろか、採取を楽しみにすることすら難しいのである。つまり、山の土地柄を熟知していて、労力を惜しまず歩き回る割には、成果を出しにくいというのが現実である。この悪循環が松茸の商品化を先細りにして来たようだ。今やこのことは、山へ分け入る日本の名人のみならず、中国でも、カナダ、アメリカでも同じだと思われる。

 そこで、今日は「奥信濃の味麓庵」の松茸ごはんの素で、松茸御飯を作ってみることにしたい。本物をすぐに裂いて炊き込むのと違い、だしや醤油に漬け込んである薄い松茸のスライスを一緒に炊き込む。これで薫りと出し汁による僅かな松茸の薫りを楽しむのである。この松茸御飯の調理は、極めて簡単である。お米2合をといで、そこに本品を液ごと入れる(本品は、松茸のスライスを薄い醤油、調味料などに漬け込んだ状態でパックされている)。そして、本来の2合炊きの水加減まで水を加える。あとは、炊飯するだけである。出来上がったものは、お釜の中に少しおこげが出来て、なかなか美味しい。勿論、松茸も上品に薫るので楽しめると思う。勿論そのまま戴くのもよし、お弁当やおにぎりにも丁度良い加減である。また、本品自体は酒蒸し、土瓶蒸しの材料にもよいと書かれている。使われている松茸の産地は、製造元の長野ではなく中国と書いてあった。
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補足 国産の松茸が良いという人は多い。これは薫の良い、優れた松茸を採取できる人が多かった為だと言われている。また、松茸が採れるのは、あかまつの下が多いと言われている。輸入品は、必ずしもこの限りではない。中国産、カナダ産、アメリカ産には、それぞれ微妙に違いがある。国産と同じ物を見分けるために、DNA検査を使った識別法が用いられている。

2010/10/12

石榴(ザクロ)ジュース

 昔から「ほんまか?」と思うような話題が出る「ザクロ」である。こんなものが健康を気にする世代(以降:健康世代と略す)を騒がせてきたのかと思うと少し不思議に思える。そもそもザクロなんて幼い頃から親しんでいて、実家の裏の公園(二河公園)に何本か植えてあったのを思い出す。実が熟してくるこの季節になると、仲間と一緒にもいで(もぎ取って)食べた(トゲに注意)。自転車にまたがったままザクロを割って、種の周りにある果汁を吸引し、口に残った種を遠くまで飛ばす競争をするので、あたり一面ザクロの種だらけ。そして、ザクロは愉快な思い出になった。甘酸っぱい独特の味は、この時期しか食べられないし、今でこそザクロの社会的地位はそこそこ高いが、当時は、いちじく、柿やみかんと同様で庭で育てる果実として、決して珍しい物ではなかった。この背景にあったのは、やはり農業国日本の名残であり、食料自衛の一環であったと思われる。それは、畑がある農家だけの話に留まらず、猫の額ほどの都会の家の庭でもみかん、いちじく、ザクロや柿を植えていたのである。勿論、現在でもそのような習慣は残っている。また、都会の公衆公園でも同じ様に果実が実る木を植えている地域も多い。

 一方でザクロは、木材としての評価はすこぶる高かったようだ。床の間で花を活けながら母は、背後の私に自慢そうに「あんたあ、これはねえー、ええザクロの木よ」と声をかける。私は、「あの赤い粒粒の実が成るザクロ?」と興味のない話のような振り(もいで食べてることは極秘事項)をして聞くと、「ほうよねえ~」、続けて話を聞く 「何で、そがいなものを床の間に使うんね」、「そりゃー、硬うて、強いけんねぇ、えんよー」。・・・・ 母は材木屋の娘であった。 硬くて堅牢、磨けば艶が出るが、加工は難しいとされていたらしい。そんな普段の会話の中から、ザクロの木は強く、とても大きくなる木と承知していたのである。私の「ザクロ」の知識は、残念ながらこの小学生時代から全く変わっていない。

 さて、それでは、健康世代の人がザクロの何に魅かれたのであろうか?。それは、大まかに申し上げて2つある。1つは、ザクロには女性ホルモンのエストロゲンに似た成分を含んでいるということ。これは、不妊、更年期障害、外見の若さを保つ、などに効果があるとされ、女性には重要な食品になる可能性がある。もう1つは、前立腺肥大、前立腺癌に効果が認められたと言う話である。こちらは、50歳以上の男性には朗報といえそうだ。そのほか動脈硬化に効果があるとか、抗酸化作用も強いとか、中高年向けの健康食品的な話に言及しており、男女を問わず特に50歳以上の人達が興味を引くのに十分な内容である。しかし、それらが有能な研究者の報告から得た情報とするならば、もっと正確な情報になっていると思われる。例えば、どの種類のザクロで、実、皮、種など、どの部分で効果があったか、あるいは、どのような条件下で効能が認められたのかをもっと鮮明にするはずである。そういう意味で、今ひとつ根拠に不鮮明な部分が多く、全てにおいてにわかに信じ難たい側面を備えているのである。ザクロの効能に興味のある人は、ぜひ調査・研究して欲しいが、私としては、更年期障害でもないし、前立腺肥大でもないので、今日の取り扱いは、あの懐かしい味を口に含んでみたい欲求を実感したいと思っただけのことである。そこで、最近急激に人気が上がっている「ザクロ・ジュース」なるものを買ってきた(750円/本)。ためしに飲んでみることにしたい。

 どういうわけか、独特の酸味は無くなっていて、印象より甘かった。少し、甘すぎるかもしれない。だから、確かに懐かしい味だとは思えるが、さすがにジュースだけでは「ザクロ」と言う感じは希薄になる。強い酸味や歯ごたえも記憶の一部なのである。さて、今日のpdf 写真の「ザクロの枝」は、近所の農家で分けていただいたもの。昔から、近所に生け花に使う先生がいらして、この季節は「ザクロを専門に使うらしい」と話してくれた。まだ、実は若く小さいので食用には向かないが、記念写真のつもりでフレームに入れてみた。デパートや果物専門店では、もっと大きくて真っ赤な、あるいは、真っ黒なザクロが販売されている。そちらは美味そうだ。
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 補足1 ここで言う「健康世代」とは、健康にやや不安を持ち、何かと体に良いとされるものに執着する世代のこと。特に、まだまだいけると思っている50歳以上から、やや諦めムードの漂う65歳ぐらいまでの年齢で、体調が今ひとつという人達を指す。

 補足2 ザクロに関する臨床的な報告で、信頼できると思える記述は1つとして見つけられなかった。

2010/10/08

オーディオマニア12

  一雨ごとに涼しくなって、秋の夜長を満喫しながら、やっと読書に浸れるという人も少なくないと思う。それにしても、今年は暑すぎた。しかし、本物の読書好きの人達は、時間さえあれば、暑さや、寒さはあまり関係が無いようだ。人の興味というものは、いつもより数段に集中力を向上させ、周囲の環境などを排除して没頭してしまうのかもしれない。そんなに、面白い書物があれば教えてもらいたいが、その様な人々は、古くから書物を読みなれていて、その経験によって、幅広い知識と奥深い教養を重ねているため、読解力に優れ、何かにつけて素早くピンときたり、たっぷりと面白さを実感することが出来るのである。しかし、何を読んでも、あまり面白いと感じられない、私のようなイマジネーション不足の人は、読書並みの集中を得るには、かなり落ち着きを取り戻し、それなりの条件が揃わないと始められない時がある。

 そこで、何事にもすぐに集中できない人の為に、ゆるい読書をしながらバックグラウンドで流すのに最適な、JAZZアレンジで聴けるCDの紹介をしたい。これで徐々に、イマジネーションを高めてもらえばよい。少々余談になるが、以前に、このブログでも紹介した事があるけれど、近所に、「咲蘭房」というお店があって、土曜日はライブハウスで、平日は喫茶店、そうそう、しょうが焼きの美味しいお店として紹介した。そこのマスターがもう10年位前に、お店で鳴らしていたのを聴いた事があった。こんな田舎の喫茶店なのに、高級ホテルのラウンジへ来たみたいに、結構な音を出していて、妙に落ち着くではないか!と思ったのである。こういう音が豊かに周囲で鳴っていると、何処からとも無く気持ちに余裕が生まれ、平素より数段集中力が増したり、緊張がほぐれて疲れが取れたりと、自然体に戻ろうと力が働くことがある。今年のような暑い日が続いた後は、なおさら、体が思うようにならないこともある。そこで、このCDを聴き流しながら少しづつ集中力を高めてみたいと思ったのである。

 今回紹介する、この「JAZZアレンジ」で聴かせてくれる対象には、クラシックの名曲とJ-POPの名曲が豊富に取り揃えられていて、レコード屋さんでも「JAZZで聴く」というコーナーも用意されている。何故クラシックをJAZZで聴かなきゃいけないのかと、首をかしげる風潮もあるが、J-POPはJAZZで聴くのはなかなかご機嫌である。そこはそれ、30年位前の歌謡曲をそのまま鳴らすのは、かなり抵抗もあるし勇気がいる。やはり、俗っぽくてリアリティーがありすぎると思うのである。いや、たまには良いかもしれないけれど、そう度々できることでも無い。その点、アレンジされていると、ちょっとお洒落でネイティブな感じになってくるのである。ま、近所の迷惑も十分考慮しなければいけないということなのだ。

 そんなチョイスとして、今日は井上陽水の作品集「JAZZで聴く 少年時代」と松任谷由美の作品集「JAZZで聴く あの日にかえりたい」の2枚を選んで購入してきた。J-POPといえども、私に言わせれば歌謡曲そのものだが、JAZZ風にアレンジされると凄く聞き流しやすい感じになる。もっとも、いくらJAZZ風だからといって、パラゴンやランサー101などのJBLで聴くような音作りではない。どちらかといえば、モジュラーステレオでさりげなくバックグラウンドで鳴らし、読書するとか、会社から持ち帰った仕事を処理するとか、朝食のあと2度寝をするとか、そんな、気持ちよい時間を過ごすのに最適なのである。
ではこちら
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補足 「幅広い知識と奥深い教養を重ね、読解力に優れている」からといって、社会生活でもその能力を生かせるかといえば、そうでもないらしい。案外「筋書き通り」に行かない事が多いようだ。

2010/10/05

栗ごはん

  先日、近所の山へ栗拾いに出かけてきた。近所といっても多摩川の先に見える丘で、歩いて行ったら片道92分もかかってしまった。現場の栗の実は、既に半分以上が大地に落ちていて、その光景は一瞬、これが海中の「うに」ならどれほど嬉しいか、などと気持ちが交錯してしまった。栗の実も、「うに」も、どちらもその防御構造が堅牢だが、栗の実の茶色いイガイガは、見た目以上に両手に刺さり、痛さに閉口した。放射状にぎっしり並んだ栗の実を取り出そうとすると、これがまた案外難儀な作業である。手袋をしていてもイガイガはしっかり手に刺さるし、刺されてしまうとジンジン痛むようなので、その先端には、微量だが触ると痺れるような物質が存在しているかもしれない。時間を掛けてしまうとこちらが不利になる。ということで、そんなに数があっても無駄になるので、大きなものを選んで50個ばかし袋に詰めて持ち帰ってきた。

 さて、この「栗の実」の利用方法として、栗ごはんしか思いつかないが、既にイガイガに苦しめられていた私の手は、鬼皮剥きを拒否しているし、さらに渋皮の剥きも考えると、凄く長い道のりに感じられる。だからといって、捨てるわけにいかないので、ぼちぼち、準備を進めることにする。まず、お米は洗浄してザルに上げ水分を取る。栗の実は30分ぐらいお湯に掛けて鬼皮を柔らかくする。次に栗の実の底面に包丁を入れ切り落とし鬼皮をむく。 残った内側の渋皮もむく。やや小さめに半分ぐらいの大きさにする。あわせて40個ぐらい用意できたら、日本酒入りのお湯にかける。栗の実の甘いのがお好きな方は、ここで砂糖を加えると良い。アクを取りながら15分ぐらい加熱する。その後30分ぐらいそのまま漬けて置くと良い。 お米を炊飯器に入れ、通常通り適切に水を加え、栗の実をお米の上に載せ、ここでも30分ぐらい放置した後に「通常モード」で炊飯スイッチを入れる。炊き上がったら、よく混ぜて蒸らしてから器に盛る。好みで黒ごまを散らす。

 そんな、梨やぶどう狩りならともかく、栗拾いなんか出来る場所もないし、栗を採って来ても後々の加工にも手間が掛かるし、そこまでするのは面倒だという人達の為に、スーパー等の店頭には、凄く簡単に「栗ごはん」が出来る優れもののパックがある。もちろん今の季節だから、数社「栗ごはんの素」が並んでいるが、今日は、石井食品株式会社の炊き込みご飯の素「栗ごはん」(=米3合炊き)で作ってみた。これを使えば、自分の手で栗の実を加工するより、はるかに素早く出来上がる筈だ。

  石井食品の「栗ごはん」は、栗の色が鮮やかに仕上がるし、御飯もやや黄味がかかり色合いもよいのでPDFの写真はそちらを使用した。作り方も凄く簡単で、袋を開けると、シロップに漬かった剥き栗のパックと、炊き込む時に入れる調味液のパックの2つが現れ、シロップを捨てて栗だけをお米と一緒にして、次に調味液を上から加えて放置する。30~40分後に炊飯器のスイッチを入れる。それだけの簡単な作業である。出来あがりの栗ごはんの写真には、栗の木の枝も並べてみた。通常は、この緑のイガイガが、茶色に変化し自然に割れて、枝から大地へ落下する。栗好きの動物達は、この栗の実が美味しい事を良く知っていて、食べに来るらしい。こうやって、実物を手にしてみると、イガイガは花の付け根にある「そうほう」と呼ばれる部分が成長したものというのがうかがえる。
ではこちら
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2010/10/01

一枚流し水羊羹

 夏場の炎天下のトレーニング・コースは、先日紹介したFUJI FILMのフォト・ギャラリーの前を通って、杏林大学病院を抜け、三鷹の森 シブリ美術館を横目に、井の頭公園から吉祥寺に抜けるコースを使ってきた。もちろん休息のないウォーキングである。7~8月は、どうしても往復166分ぐらい掛かっていたが、9月中旬からは、暑さが少し遠のいたせいか往復144分以下で行けるようになった。涼しいと体力の消耗も随分抑えられるようで快適である。杏林大学病院を過ぎると吉祥寺までは「吉祥寺通り」を進む。慣れるとわき道などを探し、日増しに増える自転車から離れて歩きたい。

 ところで、新しいルートに挑戦すると、街並みのお店が気になったり、ルートに慣れると店の暖簾をくぐってみたくなる。それ自体も楽しみなのだ。いや、むしろ、新たなお店を探すためにトレーニングコースを開発していると言ってもよい。お洒落な喫茶店、腰の強い蕎麦屋、懐かしい味の洋食屋、大納言が活きてる和菓子店、生クリームに拘る洋菓子店、など店舗の雰囲気にも興味を魅かれれば覗いてみたくなるのである。最近は、何処もお客の数が少ないので、お食事処は準備時間が長くなっているし店じまいも早い。販売店は品物の数が少なかったりして、やや疲弊感が漂よう傾向がある。シャッターが下りているお店も多い。しかし、やはり外から見ても周囲が綺麗に整備されていたり、掃除や水撒きが行き届いていると、店内にも活気が漂っているようだ。

  今日は、少々季節を外してしまったかもしれないが(まだまだいける)、吉祥寺の御殿山にある和菓子のお店 俵屋さんの「一枚流し羊羹」を紹介したい。お店も一際目立つ存在で、間口は小さいけれど、ひっきりなしにお客が訪れる。綺麗な和菓子が所狭しと並んでいて、見ているだけで楽しい。初夏の頃、暑い時にはやはり「水羊羹」だよな、と思って1個買ってみたけれど、これが、大変美味しかった。口の中で溶ける舌触りが際立ち 「な、なるほど、瑞々しいとはこういうことか」 という認識を得たのである。いくら食感が素晴らしいと言っても、それに慣れてしまうと、感動も薄れてしまうので、1夏に3枚程度に抑えるのがよい。例えるとすれば 「本小豆で一番絞りの水羊羹」 といったところ(PDFの写真のもの)。体積の割には価格は1,050円とちと高いが、虎屋の水羊羹を買って帰るより価値があるし美味しい。

  俵屋さんは、安政二年(1855年)と155年も前から、この地で創業し続けた超老舗和菓子店のようだ。包装紙にも井の頭池やその周囲の風景が描かれていて、眺めているだけで安政二年に連れて行かれそうになる。品物は、産地最高の原材料を1つ1つ集め、全て伝統の技法を使った職人の手作りだそうで、店頭には技を凝らした品物の、季節の生菓子、和風ゼリー、栗蒸し羊羹、あずき羊羹、饅頭類、最中類、羽二重餅、大納言最中、甘納豆、など、定番中の定番が並んでいて、どれも本気で美味しそうなのである。少々余談になるが、和菓子屋も分業化が進んでいて、すでに自社であんこを製造しない和菓子屋も多い。ま、一流蕎麦屋に限って専門の製麺業者から蕎麦麺を購入しているのとよく似ている。それもあって、俵屋のお上は、暖簾の裏から「出来立てですよ」といって、まだ熱い大きな甘納豆を出してくれたりする。でも、あんこ好きの私には、お店に入った瞬間の匂いで、美味しい品を作っていることはわかっているのである。今回は、絶対お勧めの「一枚流しの水羊羹」を紹介するが、暑い時期にしっかり食べておきたい。この後も、俵屋のその他のお菓子を紹介してみたい。
ではこちら
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 補足 一枚流しには、黒豆が入っているもの、つぶあんが入っているものなど、その店のオリジナリティーが生かされている。俵屋の一枚流し水羊羹は、完全なプレーンタイプ。きめ細かくこされているので、たいへん均一性に優れており食感が瑞々しい。

 補足 吉祥寺には、他にも幾つか羊羹や最中では名店はあるが、俵屋は受け継いだ伝統の職人の技の範囲が広いといえる。和菓子、羊羹、最中、饅頭、甘納豆などの技術を受け継ぎ、品物の一品一品の仕上げが奇麗だし、実に美味しい。これが老舗の老舗たる由縁である。

2010/09/28

動員学徒の碑

 今年の2月に、見舞いで広島赤十字病院を訪れ、ついでに平和記念資料館を25年ぶりに見学し、改めて原爆被害等について、概要をこのブログ上に残した。被害の大きさ、人体に与える影響、被爆数年後における癌の発祥等について、改めて自分としても整理しておきたいと思ったからである。かといって、一歩踏み込んで平和活動の「真似事」はできないので、興味を持った事柄について、折を見ながらブログに残しておこうと思う。さて、その2月には、広島赤十字病院の正面に保存されている、当時の爆風の強さを示すモニュメントである「窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁の一部」も拝見していたが、隅々まで確認を怠り1つ見逃した事があった。

 誰でも原爆投下の瞬間に受ける人体の損傷については、想像するはずである。 さて、 その内容をもう1度振り返ると、地上600mで原子爆弾が炸裂すると、爆心地から500mほど先では、熱によって「人は蒸発」する。そして、次の瞬間には、周囲の空気が急激に膨張して超高圧の熱爆風となり、遠く約1.4km先の建物を破壊し、窓ガラスを粉々にし、人々は致命的な「大やけど」を負い、同時に放射線による「東海村の臨界事故のような傷害」を被る。この状態は、手の施しようのないものである(PDF参照)。また、爆発力が強い為、コンクリートやガラスなどの崩壊によって致命的な2次被害を被る。さらに、放射線を浴びた時に、染色体を傷つけ、あるいは切断する。それが、被爆後、数十年におよび、その影響と思われる症状が出る。5年後白血病、10年後甲状腺癌、20年後乳癌、肺癌、30年後結腸癌、骨髄腫、などの悪性腫瘍が発生する事が統計的に証明されている。・・・・ということであった。
 
 つまり、どのように考えても、「体に対する何らかの損傷は大きな物があった」とずーっと考えてきた。特に外傷は、大やけど、中やけど、あるいは、2次被害によるものと考えられる。2次被害の例としては、私の叔父も広島の歯科医専で原爆の被害を受けたが、爆風で学校の窓のガラスが破壊され、無数の破片が体深く刺さり、被爆同月31日に亡くなっている。現存する叔母に、その時の様子を聞いたことがあった。原爆投下の後、「広島から兄さんは、呉線の線路を伝おうて歩いて帰ってきょっちゃったんよ、体じゅう血だらけで、私は、もう駄目(右手を左右に振るアクションをしながら、声を詰まらせ)じゃあ、思おたんよね。・・可愛そうじゃったんよ」。確かに、この時すでに被爆もしていたに違いないが、爆風による2次的なガラス被害が直接の死因になったと考えられる。被爆後24日間苦しみぬいて死んでいったという。このような被害は、他にも計り知れないほどあったに違いない。

 しかし、そのような悲惨な被爆状況下でも、「全く外傷のない亡くなられ方」をしている大勢の子供達がいたことを知ったのである。被爆した場所は、広島赤十字病院の近くで、爆心地からの距離は約1.5kmである。全く不自然に思えてしまうが、このことは、様々な状況を考察しても、全くもって想像すら出来なかった。しかし、「被爆しても何の損傷も無く、一時たりとも苦しまなかった」としたら、ものすごく幸いであったと思える。死になんら違いはないといわれればそれまでだが、もし、体が解けるような大やけどを受け数時間、あるいは数日間苦しみぬいて、死を迎えるのがよいか。また、被爆でやけどをした体で生き延び、周囲から差別され、さらに、常に病気の恐怖に慄きながら人生をまっとうするのがよいか、あるいは、瞬間的に蒸発してしまっていた方がよかったか、究極の選択かもしれないが、もし、自分がその場で選択権を与えられたら、苦しむ時間は極限まで短い方を希望する。そのくらい被爆後は生き残ることの方が、辛いことなのである。
ではこちら、今日は3ページ仕様。
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 補足1 この写真は、広島赤十字病院の敷地内にあるモニュメントの傍にある墓標を撮影したもの。今年の2月に見学したときは、恥ずかしながら気が付かなかった。描かれている絵は、当時の事を思い出して描かれたものと思われるが、それらが墓標になったのは最近のようだ。 この写真の中の絵の説明は、その中の記述が全てと思われる。

 補足2 東海村の臨界事故(1999年)で亡くなられた篠崎理人さんの公開された写真の一部と、当時公表された病状と治療の概要を資料として転載した。文章は中国新聞社の「被爆と人間」より、そのまま使用。このレポートから、被爆直後の広島・長崎の人々の体の状態が推察される。

 補足3 テーマとして原爆や敗戦がらみの話は、残すことに価値があると考えている。いまさら、誰も興味はないだろうと思っていた。しかし、意外にも「時間を掛けて閲覧された方」は多かった。ふと、世の中捨てたものではないなと思った。

2010/09/24

黒胡麻仕立ての坦々麺

  鰻、寿司、カレー、ハンバーグ、ラーメンは国民食だ風に明言した手前と、さらに連休中という緩んだ緊張感、加えて久々の「冷たい雨」によって、普通では紹介しないラーメンをあえて登場させてみたい。ただ、どうも最近流行の若者向けの「こってりラーメン」に関しては、とんと興味をそそられることはない。それでも、時折そんな麺類を食べたくなると、近所にある昔ながらの中華屋さんへ出かけることもあるが、私にとって肝心な「坦々麺」だけはメニューにない。そこで今日は、様々な即席ラーメンの中から、個性的な「黒胡麻仕立ての坦々麺」を取り上げる。この商品はとにかくスピーディーに調理できるし、味は本格的な感じを漂わせてまとまっているし、濃い仕上げなので追加野菜なども自由自在なので、常に1~2個は冷凍庫に入っている(購入は特売日に限る)。

 かねてから、私の好物というか、ある一定の腹周期でたまに食べたくなる「濃厚ラーメン」の1種が坦々麺で、古くは味自慢でこだわりの坦々麺の専門店などが都心には数多くあったが、やはり、お客の嗜好と利益率の悪さが、このメニューの足を引っ張ってきたようで、最近、坦々麺を扱うお店は極端に減っている。高級な中華屋さんでさえも、このような定番的なメニューを用意しなくなっているし、残っていたとしても、やや仕上げも充実感に乏しいものになっている。やはり、需要と競争の無いところには、美味しいものは生まれない。先日も、新宿伊勢丹の向かいにある、古くからの中華専門店でがっかりしたばかりである。

 そのような、時代背景を残念に思ったのかどうか分からないが、最近は具材のない即席タイプの坦々麺が発売になったりしている。さすがに、具材もなくスープの薄い即席坦々麺は、いくらお安くても、物寂しいのである。それは、肉味噌の製作が難しいとか、一方で代用できる物もなく、なのに、そのパッケージの裏の記述には、「お好みにより、そぼろ肉、野菜などを加えますと、一層美味しく召し上がれます」、などと無神経な一文を加えてあったりするからである。もちろん、悪意はないが、即座に虚しさが押し寄せてくるに違いない。そんな、諦めムードに押し流されて、昔から根強い坦々麺ファンから言わせると、それも同情を誘う嘆かわしい話になる。

 ということで、本題の冷凍「黒胡麻仕立ての坦々麺」を見ていただくが、本パッケージ品の中には、 完全ともいえる具材、1.電子レンジ用のたけのこ、揚げ茄子等の入った肉味噌パック、2.スープパック、3.黒胡麻パック、4.チンゲン菜と一緒に冷凍された麺パッケージが用意されている。この1の電子レンジで調理するものと、4を鍋で再加熱する作業を並行処理することで、おおよそ3分以内で完成する。 出来上がりは、黒胡麻の薫りが広がり、さらに濃厚感も十分あり、それなりに味わい深い印象だが、もし、物足りなさを感じるようだと、他の具材などを追加してもらいたい。たとえば、インゲンやさやえんどうをボイルした物とか、トマトを四角のさいの目に切ったものなど、一寸野菜が入ることで、味にまろやかさが出る。個人的には、今日のPDF写真のように、ザーサイを細かく裁断したものとか、加熱した茄子を加える(エクストラバージンオイルを絡めフライパンで90秒加熱したもの)とかを用意する。あとは山椒やラー油等を使って適宜辛味を加えるとか、自分なりの工夫をすることで満足感を高められると思う。
ではこちら
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補足 日清食品は年間数百種類もの即席調理麺を新発売している。同社の冷凍商品の中にも生産の終了を余儀なくされる商品もあるかもしれず、市場で、該当商品が見当たらない場合もあることをご了承いただきたい。

2010/09/21

黒毛和牛のカレー

   鰻、寿司、カレー、ハンバーグ、ラーメンは国民食だと思っている人は多い。中でも、家庭でよく作られるのは、やはりカレーのようだ。それは、お父さんでも作れる手軽さにあって、おまけに御飯さえあれば、好きなだけ、お腹いっぱい食べられ、御代りも出来るからだ。うーむ、この「お腹いっぱい食べられる」・・・という言葉の響きは懐かしい。私にも腹が割れるほど食べても、平気だった時代がある。そんな慢性空腹症は一生治らないと思っていたが、年齢とともに案外簡単に治ってしまった。今は、情けないが一寸食べるだけで、すぐにお腹いっぱいになる。だから、何でも、少しでいいから、美味しいものを選びたいと考えるようになった。しかも、懐かしく馴染み深い味に執着する傾向もある。

  去年は、カレー丼などと称して、幾つか自作カレーを紹介したが、いくらターメリックが頭や体に良いと言われても、最近は何故かバタバタ忙しくて、なかなか自作に手が出せないでいる。もっとも、去年よりは今年の方が上級になっていなければならないと思う反面、カレーに上級も中級も無い筈だと自問自答するわけである。ただ最近は、豆乳、青汁、コラーゲンなど、飲むものも多くて、じっくり自作に取組む前に、お腹がいっぱいになっていて、カレーへの気力が沸かないのかもしれない。それでも、いつか、浅草今半の牛肉をふんだんに使って、飛び切り美味しいビーフカレーを紹介してみたいが、まあ、確かに美味しいには違いないけれど、ここのお肉の「脂肪分と価格にやや時流から外れた抵抗感」が無い訳ではない。
 
  そこで、今日は、三田屋総本家の販売している本格的なレトルトの黒毛和牛のビーフカレーを紹介したい。同社のレトルト・シリーズ 1.黒毛和牛のビーフカレー、2.黒豚のポークカレー、3.黒鶏のチキンカレー、4.黒毛和牛のハヤシ、5.国産牛のすき焼丼、5種の中から1つ取り上げてみた。このビーフカレーには、勿論国産の黒毛和牛肉を使い、少々値段はお高いが、肉の旨味がカレー全体に溶け込んでいるように味わえる。ただ、パッケージの記述には、三田牛とは記述がないので、素牛は不明であるが、このあたりは全て丹波牛ではないだろうか。また、特別に三田屋総本家を詳しく知っているわけではないが、歴史は古くデパートなどでは、贈答品などのコーナーで良く見かけるブランドである。
 
 私としては、スーパーのサミットで販売しているレトルトカレーとして親しんでいる商品だが、たっぷり楽しみたい時には、黒毛和牛の薄切りを軽く炒めて上に乗せるなどするとよい。あと、商品の箱には、このような記述があるので紹介しておきたい。「全国的に有名な肉の産地 兵庫県三田で、はざま湖畔を発祥の地とする三田屋総本家は、肉の畜産から加工販売までを行う職人集団」とある。 さて、三田屋総本家はあくまでお肉の生産者で、そのお肉を使ったカレーの製造販売は、アイキューファームズ㈱で行っているようだ。この会社は、カレー・メニューのバリエーションを充実させた店舗をフランチャイズで増やしている。主に大阪近郊に限られていて、メニューは、お肉を重点素材にした少し食べ応えのあるカレー屋さんのようだ。
ではこちら
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補足 懐かしく馴染み深い味  古くから自宅で作るカレーには、スパイス、野菜、お肉など、そのお宅ごとに投入されるべき重点素材が存在し、家族の内の「大切にされた子供の好み」が大きく反映している。しかし、それなりに社会性も加味されて進化し、その家族の歴史とか食文化、あるいはエンゲル係数的価値観等も反映していて、懐かしいものになっている。つまり、その様な家庭ごと独自に「全ての要素が組み合わさって生まれた味」を「懐かしくなじみ深い味」と定義したい。

2010/09/17

ディスカバリー4-a

 このディスカバリーのタイトルは、30年前の若かりし日を思い出し、気ままなネタを書くことにしている。なのに、先日、本棚の「HP ウエイ」という本をめくり始めたまではよかったが、あの「ルメイ」の3文字を見つけた瞬間に激怒してしまって、その先にあった筈のものをすっかり忘れてしまった。時間が過ぎて田舎へ帰ることになったわけだが、田舎では、TVドラマのお陰もあって「坂の上の雲」様々といえるほどのブームが起こっていて、たいへん盛り上がりを見せていた(ポスターのみ)。ただ、私的には、ドラマにはいささか不満というか、物足りなさを感じていたのも事実で、ならば、それをきっかけに、自分の目でその物足りなさを埋めてみたいという願望が沸々と湧き上がり、暑さにも負けず頑張って取材を敢行してきたというわけである。ま、こういうこともあろうかと思い、常日頃から炎天下のウォーキングもトレーニングしてきたので、3日ぐらいの取材なら全く問題は無かったが、結構厳しい現実にも直面した。いやいや、私の体ではなく、デジタル・カメラの方(使用可能温度45度)がである。

 とりあえず、話を1ヶ月前に戻してみたい。その時は、このヒューレット・パッカード社のSERIES 80 HP-85 コンピュータを懐かしいネタにしようと考えていたのである。だから、最初に写真を撮っておいた。そして、おもむろに「HPウエイ」という本を開いて、計測機器用のコントローラとしての歴史的背景から、この製品の位置づけを知りたいと探していたのである。ただ、このHP-85の事に関しては、残念ながら記述は一切無かった。そこが問題だったかもしれない。何もないという心細さから、大脳はそれ以外の様々な記述までも、拾い集めて関連付けようとするのである。しかし、それはやはり何も情報を生成することは無かった。すると、もう残された道は自分の記憶を辿るしかない。

 で、思い出すに、このコンピュータは、本格的なインターフェイスであるHP-IB(インターフェイスバス)を取り付け、計測機器、プロッタ、プリンタ、ウインチェスタ型のディスク装置等の周辺機器と交信し、プログラムされたルーチンで計測データを素早く取得・処理・保存・出力する目的で設計されていた。しかし、一方でビジカルク、発表提出用グラフ作成、金融計算、文章編集、数学、一般統計、回帰統計、回路設計、波形解析、BASICトレーニングなどのアプリケーション・パック類の用意もされていた。この幾つかのアプリケーションソフトによって、計測に対する考え方や計測の成果を幅広く扱えるようにという配慮だったようだ。そういうシステム性という点においては、米国製品は古くから考え方と成果を鮮明にしており、国産の曖昧さに比べ10年以上も先を進んでいたといえる。

 また、このような計測コントローラが出来たことによって、従来、手作業で計測機器のダイアルを回したりスイッチを切り替えて、周波数ごとに目視でデータを取得していたのに対し、コントローラからのプログラムによる指示で、計測機器内のCPUが自動的にスイッチを切り替えて実データを高速で取得し、それをコントローラに送り返す。そのデーターをコントローラ内部のCPUが加工し、出力先のプロッタなどに描かせることが出来たのである。当時、オーディオ周波数帯域では、B&K(ブリューエル アンド ケアー)の極めてアナログチックな計測が主流で、1モデルの評価項目全て終える度に何十枚もの紙が出ていたが、それを、このコントローラで一括処理しA4~A3の用紙1枚に綺麗にレイアウトして出力する事が可能になったのである。勿論、時間経過に沿ってデータを取得しておくと、従来なら膨大な紙の山になったのが、データーを配列にしまっておき、影線処理をして3次元表示をすることで見やすくできた。

 この源流といえるような考え方に関しては、ちゃんとした記述がある。ここからは、「HPウエイ」からの抜粋になるが、「1960年代初頭に、既に計測機器にもコンピュータを使って精度を上げたり、出力を柔軟にする事がささやかれていた。HP社内では、2人のエンジニアによって既に自らのコンピュータを作る実験を始めていた。2人の主張は、自社の計測機器類を自社開発のコンピュータ・システムによって自動制御するという物であった」らしい。これがHP最初のミニコン・モデル2116である。その後、1972年にHP独自の汎用コンピュータHP-3000を登場させている。HP社は、当時からCPU等の開発から基本ソフトの開発まで全てを自社内で行っていたので(他に出来るところはない)、競争力の優れた製品を数多く世に送り出す事が出来た。その10年後の1982年に個人でも買える価格(本体のみ98万円)になって登場したのが本機 HP-85 である。これでも、拡張ROM、HP-IB I/F、プロッター、外部ディスク装置を組み合わせると本体の2.2倍ぐらいの予算が必要になった(後日プロッターも紹介したい)。
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補足1 ビジカルク→今のEXCELの前身で表組み計算シート。

補足2 HP拡張BASIC→外部にはHP-IBの豊富な同社製の周辺機器が使用できた(HP-IBは後に世界標準GP-IBに発展する)。当時はHP-IBの高速ディスク装置も用意されていた。
 マトリクス演算、拡張プログラミング、マスストレージ、入出力関係、プロッター/プリンター等の専用コマンドは拡張ROMを用意する。データカートリッジは、ディスク同様ランダムアクセスが可能なため、STOREの赤いキーボタン1つで、その都度データーを保存できる。また、現在ではEnterキーになっているが、その頃のHPのコンピュータはEndLine であった。EndLineキーが押されると、各Lineごとの文法エラーはもとより、各Lineにまたがる論理矛盾まで指摘をする優れものであった。

補足3 当時は、横河電機との合弁会社である横河・ヒューレット・パッカード㈱で取り扱われた。現在のコンピュータ、プリンターは日本ヒューレット・パッカード㈱の取り扱い。その頃の国内製品では、日本電気がN88BASIC搭載のPC8801を発売。

2010/09/14

江田島 幹部候補生学校


 本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)が、現在で言うところの東京大学を中退し、海軍兵学校に入学したのが明治19年。この時はまだ海軍兵学校は築地にあり、入学3年後の明治21年に江田島に移転している。江田島は周囲が内海で波は静か、山は古鷹山(ふるたかやま約400m)があり、学問をするにも、体を鍛えるにも最適であった。PDFに幹部候補生学校の庁舎の写真をまとめたが、現在も当時と全く変わっておらず、真之は紛れも無くここで勉強していたのである(PDF写真①の庁舎の背景に映っているのが古鷹山)。この建物は、英国から輸入した(現在価格にして1個2万円相当)レンガがふんだんに使われていたり、電気・電信・水回り・暖房などの配管は全て地下を通してあり、概観の美しさにも拘っていたのである。この庁舎は、戦時中1度も攻撃を受けていない。江田島湾内の目と鼻の先で日本の軍艦とグラマン戦闘機がドンパチを何度も行っていたにもかかわらず、全く持って庁舎は無傷だったという。アメリカ軍は、海軍兵学校を後々利用する目的があったからだ。

 話は前後するが、江田島小用港に上がると、既にバスが待っているので、乗り込んで発車を待つ。動き出しても大方の人が第一術科学校前で降りるので、慌てることもなく付いて降りればよい。受付は、見学コース開始30分前から正面入口で行われ、住所と名前を書いてバッチを貰って、別棟の見学者控え室(江田島クラブ1階)へ行き、しばらく待つ。時間が来ると案内役のOBの教官が注意事項などの説明をして、いざ出発ということになる。 この日の注意事項は、「昨日、見学中に熱中症で具合を悪くされた方がいらしたので、必ず水分補給ができるように、お茶やスポーツドリンクをお持ちになって付いてきてください」とのことであった。また、その他の手荷物は、ロッカー(無料)に収めておける。

 真之の若い時は、闘争心の強い性格であり、生意気だったと伝えられているが、成績も常に優等(首席)であったようだ。体力的にも学問的にも優れていたのである。ただ、当時から海軍兵学校は、入学時に学業成績優秀、強靭な肉体、そして、さらにもう1つ重要な評価項目があったと言われている。それは、「男前(おとこまえ)」でなければならなかったと、案内役のOBの教官は教えてくれた。その理由として、海軍兵学校出身者が不細工であっては対外的によくないと考えられたからで、いずれ日本を背負って立つ、あるいは日本を代表するような仕事に就くかもしれないからだという。うーむ、それで、役柄として3D AQUOSのCMで先端技術を売りにしている本木雅弘くんだったのか。今回の彼は、江田島湾の遠泳15kmを難無くこなし、古鷹山登山でも競って120回以上駆け上がり、何を競わせても常にトップであった、といえるほど極限まで心肺能力を高めた体型で登場している。胸板の厚みがそれを象徴しているといっても過言ではない。

 男前になるのは、そうたやすい話ではないが、体力も、学問も、いずれも、それに割り当てられる時間が成績に大きく影響を及ぼす。海軍兵学校では、自由な時間がそれほどあったとは思えない。例えば、起床は6:00で、就寝は22:00である。その間に3度食事をして、甲板掃除を2回、入浴、教務を分単位でこなす。その様な過密スケジュールの中で、唯一自由に学習が出来る時間は、夕食から就寝前の19:30~21:45 の2時間程度と考えられる。この毎日の2時間で、級友を大きく引き離すほどの自習をしなければならなかったとすると、生まれ持った資質が重要な働きをしたのではないだろうか。何せ、真之の父である久敬は県の学務課に勤めていたぐらいで、そこは、「何事も闇雲に手を出すのではなく、コツというのがあることを教わっていた」のである。単に、要領よくやるというのと違い、「戦略的学習の勧め」のような、「教師の指導要点を掴みながら」ポイントを抑えて勉強していたのではないだろうか。そのくらい「相手(敵)を知り尽くしてから、動く戦略」の重要性が分かっていなければ 、東郷艦隊作戦参謀はもとより、海軍大学戦術教官にもなれなかった筈である。
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 補足1 上の写真は大講堂の内部

 補足2 正門前に少し早く着いてしまった私は、受付時間まで近所をうろうろしていた。10mほど先にコンビニのような本屋があったので、興味本位で覗いてみた。置いてある本はさすがに場所柄、兵器、戦艦、戦闘機、航空機、防衛、核戦争、核爆弾、ありとあらゆる戦争に係わり合いのある本が並んでいた。大型書店にも置いてないような超マニアックな書籍も豊富に揃っている。確かに、このような静かでのんびりとした場所では、訓練の目的意識や動機付けに、「ときたまメゲそう」になるかもしれない。分かるなー、精神的にも皆さん苦労されているようだ。

 補足3 「坂の上の雲」の舞台を探すと称して松山→江田島を紹介してきた。今回は連続6回通して最終回。続けられれば 後々つづけたいが、続かないかもしれない。
 もし、広島近辺に旅をされる事があったら、思い出してもらいたい。 さらに、過去には、呉のてつのくじら館、広島平和記念資料館、宮島なども紹介しているので、宜しければ参考にしてほしい。 

2010/09/10

三津浜と呉


 阿部 寛さん演じる秋山好古(よしふる)も、本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)も、香川照之さん演じる正岡子規も、みんなここ三津浜から見送られて松山を後にしたのである。当時から、上京することにあれほど憧れていても、いざ出帆するときには、やはり、ふるさとの両親や仲間、あるいはお城や道後温泉と分かれる事が辛かったに違いない。うーむ・・私も昔は、と情緒的な部分は理解できる。としても、見送る姿ばかりを映像化されても埒(らち)が明かない。それは、小説を忠実に再現しているには違いないにしても、何か虚しい欠落を感じてしまうのである。そこには三津浜というフレームを埋める演出が必要であり、必然性のある実体が付加されてこそ映像化の価値が出るのだと思う。その三津浜まで、どのような交通手段で見送りに行ったのであろうか。そして、見送る船はどのような船だったのか、疑問は次々と増えるのである。もちろん好古の時は、徒歩で行ったに違いないし、その距離は、おおよそ14km程度と考えられる。制作者は、見送りの映像を具体化するために、少なくとも現場を歩きその場に立つ必要がある。

 そんな事を考えていた矢先に、ドラマの中では、休暇を松山で過ごして海軍兵学校に戻る真之と律が子規の家で行き違いになり、その事を知った律は、後から真之を追いかけて三津浜まで見送りに行く場面がある。この時は、2人とも当時(明治21年)既に開通していた「松山→みつ(現在の古町駅 上の写真)間4km程度の距離」を列車に乗る事はなかったのであろうか。あるいは、行き違いになった場面の年は、開通する1年前だったのだろうか。そのことで、今ひとつ時代感というか、松山の鉄道進化の様子が掴めなかったが、明治23年には、「松山→三津浜」まで鉄道は伸びている。ということで、これは、小説の中身には関係ないが、映像化において時代考証は特別重要な要素といえる。

 その場面の続きだが、見送りに追いかけて来た律のたどり着いた(ロケ)場所は、目の前に厳島(宮島)の弥山(みせん)が見える対岸であった(あれ?なんじゃこれは)。真之は、砂浜から小船に乗って出るが、その先に見えているのは、本来ならば三津浜の先の興居島(ごごしま)でなければならない。興居島の山は伊予の小富士とも言われ美しい姿に特徴がある。それが見えていたら、ぐぐっとリアリティーがあったのだが、「宮島では、どうにも違いすぎる」。このようなすり替えは、ドラマの品位を大きく低下させる。この三津浜は、港の前に興居島があることによって、港内が静かで、沖で停泊中の船も風や波の影響を受けず都合の良い場所だったといえる。PDFの写真①は、興居島を高浜寄り梅津寺(ばいしんじ)から撮影したもの。この梅津寺の小高い丘の上には、秋山兄弟の銅像もある。

 三津浜は、古くから開けた松山を代表する港であった。現在は、近くの島へ向かうフェリーの港として活躍している。一方、呉・広島方面への船舶は、他の都市(小倉・大阪)向けと同様に「松山観光港」から出航する。地理的には、海岸沿いに三津浜が一番南にあり、その少し北寄りに高浜、さらに北寄りに松山観光港となっている。電車は高浜駅が終点なので、松山観光港へは、高浜駅からさらに連絡バス(150円)で行くことになる。さて、それでは、呉中央桟橋に向かって乗船することにしよう。松山観光港からは、スーパージェット(高速船5,400円:約50分)で行くか、クルーズフェリー(2,600円:約2時間)で行く。そのまま、呉から船を乗り継いで江田島の海上自衛隊 幹部候補生学校を見学に行く場合は、10:30(土日祭日は10:00、11:00)、13:00、15:00 の1日3回の見学コース(説明員付き90分)の時間を目標に逆算して船便を決める(詳細は補足に記す)。真之もこんな面倒な、呉を経由するルートを使っていたのであろうか?いいや、当時は今よりもっと海上交通が発達しており、三津浜から直接江田島へのルートもあったと聞いた事がある。

 さて、高速船は騒音が大きいので、フェリーの方がお勧めだが、退屈かもしれない。天気の良い日には上階の甲板に上がり、真之になったつもりで瀬戸内海を眺めて欲しいが、フェリーの左側の島々は、興居島を離れると中島が見え、後半の時間帯はもっぱら倉橋島となる。この倉橋島が徐々に近づいてきて、音戸の瀬戸の狭いところを航行すると、そこからは右側が呉である。音戸の瀬戸は、赤い大橋が掛けられて道路続きではあるが、昭和36年以前は、渡し船しかなかった。ここは昔々、干潮時には陸続きであったとされ、宮島(紹介済み)に続いてまたまた登場するが、平清盛が船の往来のためにと、1日でこの海峡を切り開いたと伝えられている。その業績を称えて清盛塚がある。その日の清盛は、自らの手で太陽を抱え込み、太陽が沈むのを阻止して時間を稼いだと言われ、それがもとで、太陽の神の怒りに触れ、のちに高熱を発し苦しみながら亡くなっている(ほんまか?)。その清盛の発熱は冷水が湯になる程だったという「言伝え」もある。その様な伝説を思い起こして、清盛塚に向かって手を合わせながら、この音戸の瀬戸を無事通過できれば約30分で(PDF写真④右端)呉中央桟橋に到着する。
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 補足1 現在の古町駅には、時々、京王井の頭線で走っていた車両を見る事が出来る。右端の車両もその例。

 補足2 埒が明かない→物事のけじめがつかない。事態がはっきりしないこと。
 
 補足3 幹部候補生学校の見学コース開始の15~30分前に受付を済ませるようにするのがよい。呉中央桟橋から江田島小用港までフェリーで20分(高速船で10分)、術科学校前までバスで7分、徒歩2分となる。したがって、9:25、12:20、14:22 に呉中央桟橋から江田島小用行きのフェリー、または高速船に乗ることになる。すると、松山観光港発からのフェリーなら9:35(→11:30)、10:55(→12:50)、12:10(→14:05)ということになる。また高速船だと10:00(→10:55)、12:00(→12:55)となる。接続が悪く、呉中央桟橋で時間が余ったら、すぐ隣の大和ミュージアムかてつのくじら館を覗くと良い。

 補足4 瀬戸内海を実際に眺め、地図などと見比べながら、本当に美味い牡蠣は何処産なのか考えると、やはり広島より江田島や倉橋島の牡蠣が美味しいことがわかる。でも、もっと美味しいのは、やはり三陸の牡蠣である。

2010/09/07

道後温泉


 幼い頃、道後温泉は、歴史も古く特別に体に良い効果があると教えられてきた。もちろん、漠然と納得もしていた。そうでなければ、早めの夕食を終わらせて、わざわざ家族4人揃って道後温泉まで電車で行くこともないと思っていたからで、理由はともあれ、当時の道後温泉本館は私にとって今で言うスーパー銭湯だったのである。ドラマ「坂の上の雲」でも、道後温泉 本館を想定した湯船の中で久敬(父)が息子の真之へ「急がば回れ、短気は損気」の教えを説いていたが、松山の人にとってこのような親子の会話は日常であったに違いない。この温泉という裸の空間と、ゆったりとした時間の中で、父は息子の為に様々な知恵を授けたに違いない。これは、私もかつてそうであったように、松山独自の温泉文化に根ざした行動だったのかもしれない。

 ということで、今日は懐かしい道後温泉に行くことにする。途中、道後公園前で下車し「子規記念博物館」を訪ねるのもよい。道後温泉駅を降りると、左にはアーケード商店街が続いていて、ここを「道後ハイカラ通り」という。この通りへ入ると、左右にお土産物屋とか喫茶、軽食屋などが軒を連ねているが、まっすぐ進むと、ローソンに突き当る。この左側にどーんと見えるのが「道後温泉 椿の湯」である。一方、右へ向かって、まっすぐ抜けて出ると「道後温泉 本館」に着く。この2つは同じ源泉なので、純粋に温泉の湯だけを楽しむのなら比較的に空いている「椿の湯」がお勧めで、営業時間 6:30~22:30 年中無休 大人360円。一方で、これが最初で最後になるかもしれないという年配の方は、天目(てんもく)に乗ったお茶や、坊ちゃん団子など夏目漱石の世界とか、明治の風情を楽しむには、道後温泉 本館が良い。営業時間は 6:00~22:00 年中無休 大人400~1,500円(切符4種類)となっている。そして、深夜高速バスで松山へ入る「坂の上の雲の舞台を探す」御一行様は、まず、道後温泉 本館で一風呂浴びてから出かけてもらいたい。もちろん路面電車もJR松山駅発→道後温泉行きは 6:16 から運行している。

 道後温泉は3,000年の歴史を誇る日本最古の温泉で、岩の割れ目から噴出すお湯で、傷を癒していた白鷺によって発見されたという伝説もある。道後温泉 本館は明治27年に建築された木造三層楼の建物で、国の重要文化財。泉質はアルカリ性単純温泉で、適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進など。道後温泉では、現在17本の源泉から汲み上げられて、本館、椿の湯はもとより周辺の旅館やホテルへ給湯されている。花こう岩を浴槽とした「椿の湯」は、古典に記されている聖徳太子のことばに起源をもち、その名が付けられたと言われており、本館の姉妹湯として、昭和28年新設されたが、その後、昭和59年に改築され現在に至っている。

  さて、道後温泉 本館には、2種類5つの浴室があり、種類とは、「神の湯」と「霊(たま)の湯」である。「神の湯」は広めに出来ていて、1.男西用、2.男東用と3.女用と3浴室があり、ここは大方が毎日の常連さんが使用する。こじんまりした「霊の湯」には、1.男用、2.女用と2浴室があり、こちらは観光客がゆったり入浴するにぴったりである。お風呂はすべて1階にあり、神の湯2階席や霊の湯3階席を利用の客も、全てここのいずれかのお風呂に入る。切符の区分と概要はPDFに示したとおりで、1,200~1,500円持って行けば、手ぶらで楽しんでこれるということになる。どうせなら、1,500円コースでゆったりと楽しみたい。
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 補足1 天目とは、語源としては茶碗のこと。道後温泉では、お茶碗を乗せる「朱色の漆塗りの台」を指す。夏目漱石も司馬遼太郎さんもこの天目に着目し、なにかと話のネタにしている。

 補足2 改札の中は廊下が色分けされており、青色が「神の湯2階席」、赤色が「霊の湯2階席」、黄色が「霊の湯3階席」に進む案内になっている。それぞれの色に添って、席まで行って湯上りを楽しむ。 親しいもの同士でのんびりしたいなら、「霊の湯3階個室」がよい。老舗旅館の客間を思わせる雰囲気が「坂の上の雲」の時代に引き戻され、正岡子規か夏目漱石になったような気分になるはず。 ただし、土日や夜の個室は満席の可能性もある。

2010/09/03

超特選タルト70


  何処へ出かけて行っても、時間があると、ついつい目的も無く目ざとく探して歩き回ってしまう。せっかく遠くまで来たのだから、一寸美味しそうな物とか、地元でなければ入手できない物とか、「何かないかな」と漠然と商店街を歩くのである。だいたい、その様な衝動を収めるには、直感的に気に入れば何でもよいのだが、そう簡単にあるわけはない。珍しいとか、あるいは、新鮮であるとか、豊富に獲れるとか、何らかの特徴があれば、やはり、大阪・東京方面へ送られることになるからだ。しかも、ガイド本などで仕入れた情報を元に、特産品に群がる観光客を相手にしているお店は、決して安いわけではない。やはり、良く考えてみると、その地元に住んでいたとしても、たまには食べたいと思うようなもので、ある程度の価格が維持されていて、珍重されるような物を入手するのが良いのではないだろうか。そんなことで、お手軽にも70周年記念の「超特選タルト70」というのを見付けて買い求めた。ただ、全国展開している「一六本舗のタルト」なら、近所のイトーヨーカ堂でも時たま販売しているので、わざわざ松山まで来て買うこともないが、丁寧な「手作りの六時屋」なら、買って帰ろうと思えたのである。ただ、今はインターネットでも購入できるそうだ。

 では、紹介する「超特選タルト70」は、どのような特徴を備えているのであろうか。元々、六時屋の創業は1933年で、タルト一筋に伝統を守る製法を続けているが、1953年 昭和天皇陛下御用命を賜るなど、輝かしい実績を持つ。そして、既に70年の月日が流れてしまった。それを契機に、改めて「創業者の銘菓は原料を選ぶ」の理念を念頭に置き、より優れた素材を選び出しながら、最新の技術を投入し、拘りに拘りを重ねて、登場させた商品なのである。同社では、まず、とことん原材料に拘り、1.石づち山の美味しい水、2.アローカナという鶏の青い卵(チリ北部アンデス山中のアラウカ地方の固有の鶏)、3.砂糖はグラニュー糖、4.北海道産小豆100%など。特に2.の青い卵によって、きめ細やかな甘さと、比類のない深い味わいの作品に仕上がったとしている。実際に戴いてみても、確かに格調高く、奥深い味わいで美味~しい。冷やすとさらに美味い。まさに、松山の銘菓として何処へ出しても、誇りにできるような品格がある。

 基本的に六時屋は、商品を松山市勝山町2丁目の本店と、松山市道後湯之町14の道後店の2箇所しか販売していない。このことは、銘菓と言われる商品にとって特に重要な要素なのである。タルト一筋でタルト作りに情熱を燃やし続け、商品の賞味期限でさえも拘り、さらに、原材料の安定入手、更なる美味しさの追求、品質の均一性などを加味すると、安易に商売ルートを拡大できないと言う考えに到達するとされている。つまり、同じ松山生まれでも、広範囲な販売戦略をとる一六本舗のタルトとは、商売の方向性とスケールが異なるわけである。もちろん、一六タルトも柚子がよく薫り美味しいし、お安い価格で提供されている。いわば、六時屋の職人気質に対し、一六のタルトはメジャー路線を駆け上がってきたといえる。この2社が存在することによって、タルトという松山の銘菓を守り続けているのである。

 お土産に最適なお菓子としては、数十年前の定番といえば、1.坊ちゃん団子、2.タルト、3.母恵夢 が定番であった。最近は、お土産のお菓子類は何処もよく似ていたりするし、新たな銘菓も増えている。「坂の上の雲」関連のお菓子も加わっているようだ。もっとも、小安く手軽な甘い物をお土産に持って帰っても、さしたる評価も得られないと思うので、ここは1つ、やや貴重で高価(木枠1本入り2,625円)な商品だが、昭和天皇御用命当時よりも、さらに拘った商品として、これならば、何処へ持って行こうと恥をかく事はない。お土産で迷うようなら、これがお勧めである。
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 補足 タルトの由来を「六時屋の解説書」から引用する。原名はタルトレート(Tart lette)といい、約300年前にオランダ人によって伝えられている。当時、幕府より長崎探題を命ぜられていた松山藩主・松平定行公は、ポルトガル船2隻が入港したとの知らせに急遽長崎へ向かい、海上警備にあたっている。結局、争いも無く南蛮船はそのまま引き上げたが、この時にオランダ人を通じて南蛮菓子タルトを味わった松平定行公は、その風味を大変気に入り、製法を詳細に調べさせて、松山へ持ち帰ったといわれている。当時の南蛮タルトは、カステラの中にジャムが入っていたもので、現在のようなあん入りタルトは、松平定行公が考案したもののようだ。その後、御殿菓子タルトの製法を城下の商家に伝え、原材料、製造工程に改良が加えられ、松山の名産になったと言われている。
  

2010/08/31

秋山兄弟生誕の地と子規堂


  そもそも、小説を映像化すると賛否両論が渦巻く事が多い。原本を読んでいる人にとっては、自分なりの解釈やイメージという物が既に出来上がっていて、心の中に一字一句までも大切にしまってあるわけで、「映画やドラマにされてもイメージが壊れてしまって困るんだな」という人は多い。一方で、私のように小説など読まない者は、映像化されたものを、まったくもって鵜呑みにしてしまうほど単純であるし、まるで「見ることは信ずることである」のことわざの如く、額面どおり受け取るわけである。ところが、それでも、その映像からほとばしるほどのリアリティーとか、にじみ出る芸術性に魅かれ、むしろもっと詳しく知りたいという衝動に駆られる事もあるが、いまだ興味の薄い時に、多くの情報が渾然一体となってしまうのは、うーむ、いかがなものであろうか。まして、読んでもいないのに外堀を埋めることによって、理屈や事実だけで本質に迫ろうとしているのである。

 大街道から城北(ロープウエイ乗り場方面)に向かって、2本目の道を右に入ると秋山兄弟の生誕地(松山市歩行町2-3-6)がある。この場所で育ったのが、本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)と、阿部 寛さん演じる秋山好古(よしふる)で、この家は再現されたもの。庭先には、日本騎兵の父といわれる、馬に乗った好古の銅像と、向かい合うように東郷艦隊作戦参謀まで勤めた真之の胸像がある。玄関は土間のままで、奥の台所に続く。そこには、水がめや、かまどが置いてあり、実に懐かしい情景である。そして、何処からとも無く、ふっくらと美味しそうな御飯が炊き上がるさまを思い浮かべる。部屋は6畳2間、8畳2間である。裏の庭(上の写真)には、井戸の側にザクロ(写真正面の木)とその右にイチジクの木が植えてある。全体が一際合理的で質実剛健であった生活ぶりを思わせる。

 そして、もう1つ市駅の裏(松山市末広町16-3)には、子規堂があり、子規と文学仲間でもあった正宗寺の住職仏海禅師が、業績を記念して子規(正宗寺の門徒)が17歳で上京するまでの住居を寺の中に残したとされる。生誕地は市駅を挟んで反対側の花園町あたりだが、ここでは、子規の当時の暮らしぶりを知ることが出来る。まさに、香川照之さん演じる正岡子規と菅野美穂ちゃん演じる妹の律が住んでいた家ということである。ドラマでは、実際の家の場所までは特定してはいないが、真之が川を渡って子規に会いに行くシーンが多い事から、引っ越した先は、子規堂よりはるかに南の、石手川を渡った先にあったと考えられているようで、さしずめ石手川公園~祇園町あたりではないだろうか。子規堂の室内は情緒溢れる豊かさを感じさせ、秋山家よりも風情がある。子規の書斎の一部も復元されている。また、子規堂前には、夏目漱石の小説「坊ちゃん」で有名な坊ちゃん列車と、松山へ最初にベースボールを伝え、野球という言葉を作ったのも子規であることから、子規と野球の碑がある。このあたりは、仏海禅師の趣味だろうか。

 全く余談になるが、香川照之さんは、龍馬伝にも出演しており、しかも彼一人だけ岩崎弥太郎の魂が乗り移ったかの様な、圧倒的な存在感でドラマの土地柄や時代感までもリアルに再現している。確かに映像技術も大きく貢献しているが、どう見ても、龍馬ではなく岩崎弥太郎が主役の大河ドラマと考えて差し支えはない。香川照之さんは「歴史上の人物を演じる時は、その人物に失礼があってはいけない」と、とても奥深い微妙な言い回しをされているが、その言葉が示すとおり、彼は演じる人物を徹底して研究し、魂まで受け入れる程に、体系・体重はもとより、顔つき、しぐさ、息遣いまでも伝えようとしているのである。

 正岡子規は、圧倒的に多くの日本人に親しまれていて、既に子規の作品からにじみ出る彼自身のイメージというものが存在する。一方で、秋山兄弟は「坂の上の雲」を読むまで知らなかったという人がほとんどの筈で、さらに、私のように、読んでいない者にとっては、全く持ってイメージは、本木雅弘さんの秋山真之と、阿部 寛さんの秋山好古でしかないのである。当然、「坂の上の雲」の主役は、阿部 寛さんのように思われがちだが、実はそうではない。ここでも主役は香川照之さんでなければならない。つまり、正岡子規をどのように演じるかで、ドラマ「坂の上の雲」の文化水準と芸術性が保たれ、司馬遼太郎さんの訴えようとしている「対極にあるもの」がリアリティーを増すのである。香川照之さんは、ここでも試行錯誤を重ね、優れた才能を発揮するに違いない。最も注目したいし、期待してよいと思う。いやいや、期待なんて僭越で、彼は、三代目市川猿之助さんが父、浜木綿子さんが母という超エリート中のエリート俳優なのである。
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 補足 松山は伊予鉄道株式会社の「市駅」をハブ(中心軸)に見立てて考えると分かりやすい。すると、JR松山駅は1つのスポークの先になる。したがって、必ず頭にJRとつけて区別する。そこで、「JR松山駅」に着いた場合は、路面電車の市駅行きで「市駅」へ行き(150円)、市駅の裏を抜けて子規堂へ向かい拝観(50円)する。再び「市駅」に戻り、路面電車の道後温泉行きで「大街道」へ出る(150円)。
 松山観光港に着いた場合は、まず連絡バスで「高浜」まで行く(150円)。「高浜」から高浜線の横河原行きで「市駅」まで行く(400円)。
 いずれにしても、市駅の裏にある子規堂を最初に拝観し、次に大街道へ出てロープウエイで松山城を体感し、降りてきてから秋山兄弟の生誕の地を訪れ、大街道から道後方面へ向かうのがよい。

2010/08/27

松山城


 私の田舎の呉でも、「坂の上の雲」のブームが押寄せている。駅や桟橋の構内のあちこちで番組のポスターを見かける。それでも、「坂の上の雲」 すぐそこ・・とかの矢印はない。ポスターから想像するに、江田島の海上自衛隊の幹部候補生学校を見学してくるようにという「暗黙の指令」かもしれないし、松山の秋山兄弟の生誕地に赴くとか、子規堂とか、番組の冒頭で使われている三人並んだ松山城の一角を探してくるようにというメッセージかもしれない。そんなことは、誰も勧めていないが、TVの番組を通して、その明治という時代を投影しながら現場に立ってみるという、イマジネーションの貧弱な人間の興味といえば、そんなことぐらいなのであろうか。ということで、今回は本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)の足跡を松山と江田島に追ってみたい。さしずめ、松山発→呉(中継点)→江田島行きといったところ。

 少し余談になるが、幼い頃の私は、父の転勤の度に、中国・四国地方を転々と引きづり回されて、子供なりに色々苦労をした。松山と呉は小学校を2度ほど転校している。そのお陰もあって、それぞれ転校の度に勉強についていくのがやっとだったし、言葉の違いにも戸惑ってきたが、それでも、今となっては、そのことで広い範囲をふるさとにすることが出来たと思っている。瀬戸内海を挟んで岡山、福山、徳島、高松、そして広島、松山あたりまでが、いつまでも、私のふるさとなのである。

 とりわけ松山時代は、戦争物の漫画が多く、読んでもらいながら父から「若き祖父の時代」の話を聞かされて育った。もっとも、祖父の時代は、「坂の上の雲」より20年ぐらい後になるが、その話の中で明治時代のイメージを勝手に作り上げていた。「時代の潮流が大きく変わろうとする時期に、身分や家柄に関係なく学問をして、師範になるとか、エゲレスなどに留学するとか、そうやって、お国の役に立つ人間になれば、出世も夢ではないという、極度の期待感というか、わくわく感が漂って、どちらを向いてもエネルギーに満ち溢れ、若者が一際強気になれる時代」だったような話として、今でも記憶している。
 また、当初輸入に頼っていた戦艦や航空機、あるいは兵器が少しづつ改良され、さらに大正・昭和初期、より高精度で優れたものが開発されて「世界のどの国と戦争をしても、勝てるムードが漂う時代」へ突入していく様子まで説明してくれた。だから、多少年代が20年程ずれていたとしても、私にとって坂の上の「雲」とは、漠然とその実体が何か分かっているような気がするし、だから、もっと詳しく知りたい気持ちはあるにしても、決して、無防備で面白いとは思えない。

 さて、話を戻すと、かつて10年ぐらい前までは、夏目漱石の「坊ちゃん」の街であったはずだが、今の松山は、「坂の上の雲」一色といっても過言ではなかった。番組の最初に登場する、秋山好古、真之、子規の3人が並んで城壁に座っている姿は、松山城で撮影されたものとして、象徴的なシーンとなっている。私は小学生時代、毎週日曜日に古町方面山道から城山にのぼり、本丸広場で太陽の観測をしていた。山の稜線のどの位置から太陽が昇り、どの場所で沈むのかを絵に描いていたのである。その経験から、あの写真の太陽光の当たり具合をみて、複雑な松山城の中から、「ありゃあ、あそこしかない」と、ほぼ場所を特定する事が出来たのである。

 松山城は、三の丸の周囲を水堀が囲み、内側には市営プール、競輪場、博物館、美術館などがある。愛媛県庁の左側からは、二の丸へ続く道があり、この先は、二の丸史跡庭園となっている。本来の登城口はこちらで、庭園を見ながら坂道を登るとPDF写真②へ出る。二の丸から本丸へは、万里の長城の様な、山腹側面から侵入できないようにする為「登り石垣」で囲まれた部分があった。現在南側の部分は、ほぼ完璧な形で残っているが、北側は大半が破壊されている。さらに、本丸への入場には、様々に敵を欺く仕掛けがあって、厳重な防衛構造になっており、現存する国内12の天守の中でも、姫路城と同等と言われている。確かに、松山城は精巧な構造物が数多く現存して、二の丸から登城すると、その一端を垣間見ることが出来る。まさに松山城は、この街でも最高に価値のある場所なのである。
 ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21758&app=WordPdf

 補足1 師範とは人の手本となること、あるいは手本になる人をさし、具体的には教師など先生のこと。師範学校とは、現在の教育大学。

 補足2 関東周辺から松山までの距離は長い。陸路を通って松山へ入る場合、東京からを想定すると、
 1.新幹線で岡山まで行き、岡山から在来線の特急に乗り換えてJR松山駅へ。
 2.寝台列車「サンライズ瀬戸」で坂出駅まで行き、在来線の特急に乗り換えてJR松山駅へ。
 3.JR深夜高速バスで東京駅から翌朝松山城の下の大街道で下車。
 4.小田急ハイウエイバスで新宿西口から翌朝尾道駅前まで行き、尾道駅前から定期バスでJR松山駅へ、等が一般的なルートで、それぞれメリット、デメリットがある。JR松山駅からは、道後温泉行き市内電車で大街道下車。一方、広島から高速艇、あるいはフェリーで高浜桟橋→市駅へ入るという海上航路という手もある。 市駅から道後温泉行きの市内電車で大街道にて下車。ロープウエイ乗り場まではすぐ。
 しかし、何といっても1番のお薦めは、2.の寝台列車「サンライズ瀬戸」で、この路線は将来無くなりそうなので、早く乗っておきたい。坂出駅で松山行き特急への乗換え時間を十分確保し、駅構内で本場の「讃岐うどん」を戴いてみよう。

 補足3 JR松山駅と市駅は異なる駅で、市駅は伊予鉄道株式会社の松山中心にある駅のこと。大街道とは、松山市を代表する商店街の1つでアーケードが500mほど続く。松山中心部にあり北端は、市内電車、三越、全日空ホテル、ロープウエイ、秋山兄弟生誕の地にも近い。

2010/08/24

フジフォトギャラリー

 どのように考えても、写真は、その撮影に必要とされる主な要素として「技術と価値判断」ぐらいしか思い浮かばない。一方、写真は感性だと言う人も少なくない。確かに、他人の写真を拝見するには、思いっきり感性が必要な時があるにはあるが、撮影者は感性だけでは撮影できない。そこを誤解している人は多い。例えば、写真を情景描写という文章に置き換えてみるとすぐに分かる。感性では文章を書けないからである。やはり、文字の並べ方には、ある程度「技術」が必要で、そこには多種多様な人生経験も活かされることになる。しかし、読み手は技術は必要なく、逆に感性の範囲で理解しているのである。したがって、読みが浅いとか、深いとか言われるわけである。

 さて、他人が撮影した写真を拝見して、何か自分の参考になるかと問われれば、それほど安易な話ではないが、ある動機付けにはなる。それは、恐らく誰でも共通していて、それと同じ写真を撮りたいわけではなので、気に入った写真を撮る為の、同じ様な機材が欲しいという気持ちになるわけである。例えば、明るい超望遠レンズが欲しいとか、超広角レンズが欲しいと思うわけで、日常では滅多に使用しないレンズだということも重々理解はしているけれど、もっと先にある、自分なりの写真は、その機材を用意することで撮影可能であると、強く動機付けになるのである。だから、メーカーの写真ギャラリーは商売上重要な役割を果たしているといえる。

 撮影技術は、2つの要素で決まってくる。まず、1つは被写体を分析・研究することで、技術は自然に磨かれてくる。シャッターを切るまでの手際もよくなり、被写体の微妙な変化をも見逃さなくなる。そして、2つ目は、意思決定する瞬間をどうするかであり、明るさや時間帯、あるいは色のバランスなど、様々な物理的制限の中で、最終的にある程度妥協しながら、経験によって決めるのである。したがって、理屈では、この2つを丁寧に積み上げてゆけば、写真は誰でも上手に撮影する事が出来ることになる。そう考えると、大して難しい話ではないが、難しくしている人達がいるのもこの世界の特徴といえる。

 さて、理屈で考えれば簡単な事でも、今すぐそれを実行しろといわれると、何から手を付ければよいか、身動きさえ取れないこともある。やはり少なからず経験を積んでいく必要がある。そこで、誰でもそこに近道が無いか捜し求めるのである。ある時は雑誌を読み、ある時はサイトを閲覧したり、そしてまたある時は、写真のグループのような団体に参加したりする。団体では、時たまテーマを与えられて、撮影後の写真をギャラリーで展示してみたりして、観覧者の反応に耳を傾ける。それもよい経験になる筈だ。その様に、写真を撮影し、評価を得て、再び撮影するというルーチンが出来上がることで、より一層深い動機付けになって、昨日よりもよい写真が撮れるようになるかもしれない。

 今日、紹介するのは、全国の主な都市に常設されたギャラリーで、我が家の近くにもあるので、時たま訪れて写真を拝見することがある。それぞれの撮影機材もさることながら、シャッターチャンスを活かした躍動美溢れる写真も多い。しかし、よく話を聞いてみると、意外に思われるかもしれないが、カメラ歴2~3年という人が多いようだ。確かに、写真に対する情熱に溢れている期間はそのくらいで、それ以上続けると、自分自身で独自の世界を切り開く事ができるのかもしれない。さらに、ここは、ギャラリーをある一定期間貸してもらえるので、仲間内の写真展示会に利用するのも楽しいと思う。詳細はHPにあるので参照されたい。ではこちら
http://www.fujifilm.co.jp/photogallery/index.html

全国レベルで地域別に写真教室・イベントなどを探す場合は、こちら
http://www.fujifilm.co.jp/photoschool/index.php

補足 京王線柴崎駅から徒歩で10分程度。

2010/08/20

昭和の流行歌7

  この曲を知ったのは、コロッケの「ものまね」からだ、という人も少なくないかもしれない。それは、唄う情景描写と言われるほど、丁寧に歌い込まれ、独自の世界を繰り広げる「ちあきなおみ」さんの歌唱力をコロッケが上手に真似たからだ。曲は「喝采」という、とても悲しい曲なのに、彼は、何と!それを大笑いに変えてしまったのである。高見を目指し、自分の芸の価値を高める為に、彼はあえて難しい曲を引き合いに出してきたといえる。さすがに、当時No.1の歌唱力を誇った、彼女の振付けと唄いっぷりの真似には、文句を付ける人はいなかったのである。

  そんな、テレビのドラマや歌番組で観るぐらいだった「ちあきなおみ」さんのCDを先ほど購入してきて、改めて聴きこんでみた訳だが、「雨に濡れた慕情」や「四つのお願い」等は懐かしさやら、「喝采」「矢切の渡し」等は、上手いなあー やら、あっという間に聴き入ってしまったが、テレビでは分からなかった「ちあきなおみ」さんの独特の世界があることも分かった。この人もいろいろな唄い方が出来るテクニックを自然に身に付け、殆どの曲をさりげなく歌ってしまうのは不思議である。数種類のアルバムをいくつかのレコード会社に跨ってリリースされているが、演歌からポップスまであらゆるジャンルをこなせるようで、今更ながら、他のカバー曲等も聴いてみたいと思える。

 もう1人、演歌の世界で、外すわけにはいかないのが「藤 圭子」さんである。とにも、かくにも、キリとした美人で、声はハスキーで商品価値は高く、ワイドな音域、端正な歌い方、どれをとっても文句の付けようが無いのである。唄いっぷりには、そこはかとなく底力のような余裕を感じさせ、浪曲師であったご両親から受け継いだ、正確な日本語の発音が魅力と言えよう。それにしても、美人に生まれると何かに付けてお得かもしれない。昔から歌が飛び切り上手な人は、持ち歌のタイトルの冠に、自らの名前を付けられることがある。例えば、「ひばりの佐渡情話」、「ひばりのマドロスさん」といった具合である。藤 圭子さんも、もちろん群を抜いて唄は上手だけれど、それにもまして「美人」であったことから、早々とタイトルの冠に名前を付けてもらっている。「圭子の夢は夜ひらく」である。

 彼女は、10年間でリリース70曲、アルバムは42レコードと、歌が上手な割には少ないかもしれない。もちろん当時の世相を反映して、私に言わせれば暗い曲ばかりだが、「飛ぶ鳥を落とす」とはこのような事を言うのであろうか、オリジナル・コンフィデンスでは、ファーストアルバムの「新宿の女」が20週連続1位を獲得している。さらに、その記録を塗り替えたのも、自らのセカンドアルバム「女のブルース」で、これも17週連続1位。総合アルバムチャートで42週連続1位という、前人未踏の記録を打ち立てている。まあ、とにかく凄い人なのである。個人的には、「京都から博多まで」、「別れの旅」、「明日から私は」、「私は京都へ帰ります」等の方が好き。さて、余談になるが、藤 圭子さんは、宇多田ヒカルちゃんのお母さんでもあり、娘さんには期待をかけた人も多いと思うが、残念ながら、どれをとっても母を超えることは出来なかったようだ。
 では、こちら
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補足 まったく余計なことかもしれないが、ちあきなおみさんは、昭和22年生まれで、まさに団塊の世代。藤 圭子さんは、昭和26年生まれ。2人とも既に随分前から芸能活動はされていないのでテレビなどで拝見することはない。

2010/08/17

水羊羹

 井村屋の「茹あずき」の缶詰を使って、俺流の水羊羹を作る事がある。井村屋の茹あずきはよく粒が揃っているし、勿論それだけでも加糖されているので、さっぱりしたあんことしていただけるが、アルカリイオン水を加えながら、1/3ぐらい小豆を潰して、寒天と共に火に掛ける。寒天が溶けて沸騰したら、弁当箱のような四角い容器に流し込んでさまし、さらに冷蔵庫で冷やす。

 数時間後、忘れた頃に取り出して、切って食べるわけである。その断面が実に美しく、一番下には、石垣のように積まれた大粒の小豆、その上は小豆の中身がこしあんのようになって沈殿し、上の方は徐々に透明感を増すのである。表面のテカっとした光沢も一際美しい。この俺流水羊羹は、人に「どうよ」って食べさせる物でもないし、決して自慢するような作り方(早い話邪道)でもないが、昔、母が作ってくれた水羊羹とほぼ同じ食感と味になるので自分では好物になっていて、時たま気が向いた時に「よしよし、じゃ」と作るわけである。今ごろの季節には、必ず口にしたいと思う逸品なのである。

 井村屋は私にとって、幼い頃、そう50年以上前になるけれど、親しみの強い会社で、即席のジュースの素(粉末)を販売していた。「ホホイのホイでもう一杯、井村屋のジュースの素ですもう一杯」というようなCMソングをいまだに覚えているぐらいで、私にとって大好きな甘味の会社なのである。当時、まだまだ食糧事情は今のような豊かさは無く、ジュースの素といっても、恐らく、あくまでも恐らくだけど、赤と黄色の色素とクエン酸と砂糖のような物で作られていて、A4程度の大きなビニール袋に詰めて販売されていたと記憶している。それをスプーンですくってコップに入れて、水を加えて「ジュース」としていたのである。まあ、それでも、よく、そのままスプーンで口に運んでいた記憶もある。舌が朱色になってしまうので、すぐにバレて、母によく叱られた。「えへへ」って感じである。

 既に、東京に住むようになってもう40年近い。いつしか東京の味の「くどさ」にも慣れてしまったようだ。そんな田舎出身の私にとって、水羊羹の決定版といえば、やはりここの商品を外すことは出来ない。全国的にも広く知られていて、大した金額でもないのに、この季節、何処へ持って行っても、年配の方々はニコニコしながら 「まあ、まあ!立派な物を」 って喜ばれるのである。それほど年配の人達に喜ばれると、「やっぱ美味しいんだ」と思うようになる。俺流の寒天羊羹とは対極にあるものだが、最近になって、このくどさも魅力の1つと感じることもある。やっと俺もこの味が分かるようになったのか、あるいは東京風に流されたのだろうか、暑いと、思い出したように買って帰る時がある。ちと甘すぎるけど、確かに美味しい。
ではこちら
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補足 紹介している四種類の水羊羹には、幾つかの糖類が使われている。黒糖と和三盆糖、その他の甘味の違いがすぐに分かるようになれば、一人前である。大人になると、その甘味の違いを原材料はもとより、製造方法の違いとして話が出来なければならない。
 写真ではわかりにくいが、1つ1つの容器が逆台形の断面をしており、実物1個はかなり小さく70gしかないので、2~3個は軽くいけると思うが、何と1個160kcalである。

2010/08/13

敗戦記念日を前にして

 こんな事を書くつもりではなかった。しかし、本棚を整理していたら「HPウエイ」-シリコンバレーの夜明け-という本に目が留まり、懐かしくペラペラとめくっていた。デーブ・パッカードとビル・ヒューレットの作った会社の1934年~1994年の間の出来事、課題の解決、人材育成などの革新的な事が描かれている。その会社とは、先日も聴診器の事を書いたヒューレット・パッカード社である。いくつかのページに、文章の横に線を引いてあるところを、再び目で拾ってみた。 15年ほど前はこんなところが面白かったのかと、妙なノスタルジーを覚えるのであった。

 初めて読んだ頃は、デーブ・パッカードが米国国防総省副長官に任命されたところあたりまでで、それは覚えていたが、詳細なことは忘れてしまっていた。それは同社の製品に関することではなかったからだ。そこで、・・・へー、と思いながら続きを読み返してみる。デーブ・パッカードが国防総省においてHPの社内管理方針を適用し、兵器システムの調達や、プロトタイプ(F16/17戦闘機)プログラム、通信機器の信頼性向上などに係わっていたことについて読み進んだ頃、そこに、どこか見覚えのある、こんな記述を見つけてしまった。

 その本文をそのまま転載すると、<各軍司令部の中でも重要なのは、ネブラスカ州オハマに本部のある「カーティス・ルメイ将軍」の戦略空軍司令部と、その傘下でコロラド・スプリングスのシャイアン山にある核戦闘司令部である。ルメイ将軍は、強力なリーダーなので、これらの司令部は上手く機能していた>・・・・つまり、それ以外の各軍司令部と統合司令部の関係はあまりよくなかったという説明であった。その状況の中でもルメイ将軍の司令部は、特に指示命令系統がしっかりして優れていた。ということのようだったが、話は続いていて湾岸戦争の頃にまで至るのだが、私は、この「ルメイ」という名前が出た瞬間、琴線に触れたように愕然と読む事を停止してしまったのである。

 かつて、このブログの中の「広島の平和記念資料館」のところで、こちらも文章をそのまま転載すると、<・・・・全国各地でじゅうたん爆撃が行われてきた。東京では、昭和20年3月10日、空からガソリンをまいた後に焼夷弾を投下して皇居以外を 焦土にしている。この死者10万人といわれ、当時は、あたり一面に黒焦げの焼死体が溢れていたという。これが東京大空襲として語り継がれている。わずか終戦の5ヶ月前のことである。その後、大阪、神戸、名古屋など全国各地にある67都市を順番に次から次へと、余った焼夷弾を投棄するように空爆が行われたのである。これらは、米軍にとって終戦後利用価値のない、人々が密集した市街地を狙っての攻撃である>。・・・・とある。もっとも自分で書いているので忘れるはずも無い。

 実は、この空爆を指揮したのが、当時のルメイ少将(米軍第21爆撃兵団司令官)だったのである。では、なぜ私の琴線に触れたのであろうか、それは、当時の彼の「皮肉な報告発言」を思い出したからである。そして、既にこのHPウエイの本では、戦略空軍司令部の将軍になっていたことだ。その頃は、ベトナム戦争真っ只中であった。
ではこちら
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補足 HPウェイの本をめくる寸前は、しみじみと敗戦記念日を前にして、ついつい関連する放送番組を拝見して、「ただただ、酷いこと事をした、だけじゃ進歩が無いんだけどな・・」とか思いながら、心を鎮めてお盆を過ごすつもりでいた。しかし、たった、3文字(ルメイ)の名前を見つけたがために、再び怒りが沸々と燃え上がってしまった。

2010/08/10

ブラッドオレンジ ジュース

  イタリアのシチリア島で採れるブラッドオレンジを搾ったジュース2種を紹介しておきたい。夏場は、何と言ってもこのジュースが最高である。PDF写真の奥に写っているブラッドオレンジのジュースは、EU(欧州連合)規格の有機農法(完全無農薬)で育てられた完熟ブラッドオレンジを、現地の有機JAS認定工場で搾り、輸入して広島県にある有機JAS認定工場でビン詰めしたもので、徹底した「品質保証システム」で管理されているものである。手前の商品も、同じシチリア島で採れたブラッドオレンジを絞ったものだが、有機農法とは記述が無い。東急ストアで古くから販売されている定番商品である。

 実は、昨年の春先には4種のオレンジジュースの紹介をしており、その中に、この有機農法のブラッドオレンジ・ジュースが含まれている。その時は、他の3種のオレンジジュースも個性的で美味しいと思ったのだが、やはり後々いつまでも印象に残る美味しさとして、このブラッドオレンジ・ジュースが尾を引いていたわけで、自分の中でもかなり上位にランキングした商品である。だから、夏場必ず思い出したように、購入することにしている。まあ、それも、すっきりした美味しさと後味のよさに引かれてのことであり、他のブラッドオレンジジュースを購入しても、味も違うし、後味には軽く刺激性が残ったりして、そのたびに、益々、この有機農法のブラッドオレンジ・ジュースの美味しさを認識するわけである。ちなみに、写真の手前の東急ストアの商品とも明らかな違いがある。

 ブラッドオレンジ・ジュースというと、酸味が刺激的ですっぱいと思ってらっしゃる方も多く、胃腸に刺激が強いのではないかと敬遠されるかもしれないが、このジュースは、完熟で採って搾ってあるので、さほど刺激性は無い。むしろ甘味を感じるほどで、しかも体としては、ジュースに含まれるビタミンCを吸収しやすいようで、飲んだ後は疲れも取れてすっきりするのである。また、真っ赤なジュースの中に、やや黄身がかった果肉が沈殿したりして、攪拌後の色としては「黄赤」といった感じで、ブラッドなイメージは少し希薄である。 実際、手前に写っている東急ストアの方の「深い赤色」より、後ろの「黄赤」の方が、グラスに入れても美味しそうに見える。

 最後に付け加えると、EUでは、シチリア産のブラッドオレンジを法規2081/92により地理的表示保護の認定をして、伝統や地域性に根ざした高品質な食品として認めている。また、EU/イタリアの有機栽培基準は、有機JASと同等性が認められているので、海外生産輸入品といえども品質レベルは国内産と同等で、子供さんからお年寄りまで、みんな安全安心で飲めると思う。
ではこちら
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補足 有機JASは、農薬や化学肥料を使用しないで栽培するのを原則とされるが、自然界にあるものは使用が許されている。しかし、規定によって具体的にその品目が定められており、なおかつ、使用された物は記録に残される。それを第3者の認定機関が監査をして、認定された者だけが有機JASの認定業者になれる。もちろん海外で生産される有機農作物に関しても、海外の生産者が有機JAS認定業者になることができる。

2010/08/06

京王フローラルガーデン8

 今日は、朝からカラッとした暑さで、空には既に入道雲が鎮座してこちらを見守っている。日差しは鋭いが、既に峠は越えた感じである。それにしても、こう暑い日が続いていると、街中も人通りが少なく、しばらく歩いても人影を見かけることは無かった。いったい、何処に隠れているのだろうか。遠くで救急車のサイレンが走り抜けてゆく、誰か熱中症にやられたのか。いや違う。熱中症にやられても、そのまま放置されるはずだ。そんなことより、人が増える前にフローラルガーデンへ着かなければと、ひたすら西へ向かって歩いた。紫外線がジリジリと首筋を焼き、あっちーっ!。

 歩いている間はさほどでもないのに、信号で止まると汗が噴出す。おっと、そうだ、思ったより体温の上昇が早いので、水分を補給しなければ、このままだと脳梗塞になるかもしれない。いかん、いかん、と自販機を探す。側面に白と青で、ION SUPPLY DRINK・・・・と書いてある自販機を見つけた。よしよし、これだ。それは、涼しげな日陰にあった。百円玉を2枚取り出して指に挟んだまま、サングラスを上げて銘柄ボタンに見入る。それでも、よく見るとボタンのランプは、かすかに「売切れ」の表示が灯っていた。左から右へ、あるいは上へ2列目、3列目と追いかけても全て売り切れだ。しばらく補充には来ていないようであった。仕方なくオロナミンCにする。うーむ、なかなか楽な商売をしている大塚製薬であった。

 それでも、喉につっかえるような、久々の炭酸に苦しみながら、「元気ハツラツ」と自分に言い聞かせ、やっとの思いで京王多摩川にあるアンジェにたどり着いた。コンクリートの照り返しがサングラスの下から割り込んで眩しい。入口あたりにも人影は無く、フリーパスをチェックをしてもらって入園する。観覧者のいない、やや不気味にも思える今日の庭園だが、気持ちは徐々に安堵してきた。広範囲の風景を広角レンズで狙える安心感は、撮影を楽にしてくれる筈だ。今日の写真は、前回、前々回と組み合わせで観てもらうようにしたい。

 池に浮かんだドームに立ち入り、1枚目の「ドームの写真を撮影した場所」の方にレンズを向ける。2枚目の「小川の写真を撮影した場所」もちゃんと入っている事を確認しながらシャッターを切った。撮影した時はわかっていても、何年も経つと撮影場所が分からなくなることもあり、このような撮影は、写真としては決して面白くは無いが、自分の記録としては必然である。写真は、丁度、舞台裏を撮影した感じになる。庭園の中でもこの一帯は、池もあり、木々も多くて、一際爽やかで涼しい。1枚目の写真も、2枚目の写真も、撮影日や、撮影時間帯が異なるので少しチグハグに見えるかもしれないが、それらの写真は、今日の見ていただく写真の「中央部左端寄りの位置」から撮影している。
ではこちら
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補足 前回(2枚目)、前々回(1枚目)の写真とは、フローラルガーデン6と7の写真のこと。今回の写真8で3枚セットになる。

2010/08/03

パエリア風

  何かにつけてお仕着せの物では不満が残り、それなりに食材や香辛料等を加えて、どうせなら自分好みの御飯にしたいという人も少なくない。その様な、何かに付けてうるさいというか、細かいことにもこだわりを持ち、時たま、な、なるほどと思うような画期的なアイデアを出す人がいる。人の頭は、「使えば使うほど、よく動くようになる」を生活の中で実践している人達である。とは言いながらも、最初から何から何まで、本格的に自分でやらないと気が済まないかというと、実はそうでもなく、単なる自分の主張というか(わがままとも言う)、を周囲に訴えているだけのことであったりする。今日は、そんな、中途半端な人生観を周囲に押し付けているおっさん連中にぴったりの「自己満足型支援食材」から1つ「パエリア風炊き込みご飯の素」を紹介したい。

 今日紹介する炊き込みご飯は、味噌汁、そして、美味しいお漬物でもあれば、贅沢は言わないという人にもぴったりである。さっそく、その炊き込みご飯を作ってみることにするが、まず、スーパーなどに置いてあるS&B ヱスビー食品㈱のパエリア風「炊き込みごはんの素」を用意する。炊飯器には洗ったお米2合を入れ、次に、「炊き込みごはんの素」を入れ、さらに、アルカリイオン水を2合の印のところまで加え、炊飯スイッチを押すだけである。このとき、水加減で出来上がりの御飯が硬すぎたりする事があるので、少しだけ水の分量を多めにしておくとよい。かといって、炊き込みご飯には、「おこげ」ができるくらいが美味しいとも言われ、水分量はとことん微妙といえる。

 何回か繰り返していくうちに、丁度自分にあった案配が分かってくるものだが、最初は、やはり試しながら作ってみるしかない。ただ、単純に「炊き込みご飯の素」の指示どおりで作るには、案外美味しく仕上がるので、2回目からは、キャンプなどに持っていくとか、アウトドアでも楽しめるだけの自信が得られる。しかし、何か別の食材を加えて、もっと自分なりに「美味しい炊き込み御飯に仕上げたい」と欲が出てくるのも現実で、少々慎重になるに違いない。冬場なら牡蠣などを加えたりするのもよいが、夏場は冷凍のシーフードミックスなども利用できる。これには、にんにく、オリーブオイル等と一緒に炒めてから投入する。一方で、野菜を加えるなら、玉葱、いんげん、赤ピーマンなど、「炊き込みご飯の素」の原材料に含まれるものがよい(PDF参照)。このあたりの追加する食材こそ、自分の創造性を活かして美味しく仕上げて欲しいものである。ただ、何を加えるにしても、あくまでも水の加減がポイントである。

 今日のPDF写真は、冷凍シーフードミックス(海老、いか、あさり)とマコーミックのにんにくのみじん切りを、エクストラバージンオイルと一緒に炒め、辛味を増す為に、生姜の搾り汁、サフラン少々、輪切り唐辛子等を加えた。夏場は辛い方が美味しい。あと、ベーコンやパンチェスタを四角く切って炊き上げてもよい。炊き上がったら、さらにブラックオリーブの輪切りを加えて攪拌している。これも、美味しさを引き立てる食材の1つである。お皿の上の付け合せは、トマト、ボイルしたじゃがいも、レタスとバジルである。おっと、バジルは、自家農園でたくさん生育している自慢のものである。
 ではこちら
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 補足 それ自体、特別美味しい物ではないが、ビジュアル的にはミール貝も加えておきたい。味覚で楽しむならば、炊き上がった時点でアサリバターとか、アサリの酒蒸し等を入れて攪拌すると美味しい。

2010/07/30

冷凍ハンバーグ

  鰻を見ても、つくだ煮を見ても、「どうも爺くさくていけねえや」、とか、夏はもっとガッツリ食べたいという人も少なくないだろう。それなら、ということで今日は冷凍ハンバーグにしてみた。お昼前には、冷蔵庫を覗き、うーむ、今日は「デミグラソース味」にするか、いやー、「カレー味」にしようか、いやまてよ「トマト味」も美味しいしなー等、という「狭い範囲での程よい選択」を楽しむ事が出来る逸品の紹介である。ショップチャンネルの商品で、上記の3種の味の違いがセットになっている。

 食欲というのは、適度に短絡しても許容してしまうように出来ていて、美味しいハンバーグを食べたいからといって、牛肉を今半まで買いに行きたいとは思わないものである。スーパーなどでも弁当のおかずは別として、単品では「味の素」等で幾つか冷凍ハンバーグは並んでいるが、所詮小安い価格という厳しい制限の中で製造されているせいか、2度目は手に取らない商品になってしまっている。一方、材料によって、美味しいハンバーグというのは、いくらでも実現可能であるという理屈は分かっていても、思いついた時から適度な時間の中で食べられる、そこそこ飽きの来ないハンバーグを選ぶ、というのが正しいバランス感覚なのである。ま、そうやって、ハンバーグ選びを通して、絶妙なバランス感覚を磨きたいものである。

 さて、このような冷凍食品は、元々お母様方のために作られてきた。電子レンジによって、短いリードタイムで処理できて、子供達の空腹感に沿ったジャストインタイムで口に入れる、そんな自動車メーカーの製造システムのような仕掛けが実現できているわけである。確かに、昔は「冷凍?」といえば宇宙食のような扱いで、お味には期待をする事は無かった。しかし、ここ数年すこぶる国内の冷凍技術が進歩して、冷凍食品の品質も大幅に向上してきた。たとえ、まぐろの刺身でさえも、解凍後でも全く違和感がなくなってきたぐらいである。まして、1度加熱した食品の冷凍化は、極めて安定した食感を実現しているといってよい。特に、鰻にしてもハンバーグにしても、加熱状態が美味しさを左右する商品は、国内冷凍だからこそ、むしろ安全安心といった側面も併せ持っているといえよう。

  今日の冷凍ハンバーグ3種は、家庭用から業務用まで幅広いレトルト加工食品を扱う「神戸のMCC食品」による製造で、ショップチャンネルが専売している商品である。したがって、MCC食品の製品ラインナップには存在していない。MCC食品はスーパーなどで「100時間かけたシチューとか、100時間かけたカレー」など、美味しそうなレトルト商品を取り揃えている会社である。 今日の写真では、デミグラソース味のハンバーグを解凍して(湯煎で17分)盛り付けてみた。付け合せに、ししとう、焼茄子、茹で玉子、トマトを並べてみた。美味しいデミグラソースがたっぷりとあるので、御飯の代わりに少量のパスタを絡めて食べてもらうのも良いと思う。
 ではこちら
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 補足 デパ地下のオリジナルハンバーグは別として、メーカー製造の冷凍ハンバーグは美味しい物は少ない。その殆どは価格に左右されている。中でも、1つには牛肉等の材料であったり、2つ目はソースの調合に関する問題点であったりする。よく調べてから購入されたい。
 一方で、メーカー製としては、原材料の原産地表記があると、安心で美味しい筈だ。同社はホームページで検索する事が出来るように配慮されている。
http://www.mccfoods.co.jp/trace/top/

2010/07/27

つくだ煮

 このように暑い日が続くと、冷たいものが増えて、胃腸がへたり気味である。昼食などはとにかく軽くして、これで「食べたことにしよう」と思う事もしばしばだが、そうやって、この暑さに打ち勝つ為の健康管理の難しさを実感する。それにしても、食べる絶対量を減らさないようにするため、少し濃い味付けに工夫する必要がある。日本の伝統的なものの中には、平素は敬遠するにしても、案外その様な状況に適した食品もある。その1つが、今日紹介する「神戸樽五」という、老舗のつくだ煮屋の商品群である。大概このようなものは、伊勢丹や三越などのデパートで入手できる。

 つくだ煮は血中塩分濃度を上げるので体に良くないとか、色々健康面では指摘を受けるかもしれないが、食が進まない時期にそんな事を言われても、病気ならいざ知らず、まともに受け取る必要は無い。勿論、予防を兼ねて健康面重視で味気の薄いものを食べたいのなら、それはそれで選択肢は色々ある。無理をして欲しいわけではない。でも、そんな消極的でつまらん人間になっても仕方ないので、やはり、ここは1つ食欲を奮立たせながら、自ら「食べる楽しさ」をイメージしたり、喉を通過する時に一際 「美味い」を実感して、幸福感に浸ることで健康を実感する方が良いと考える。暑い時期だからこそ「食べる楽しみを創造するための努力」を惜しまないようにすべきである。多少お味は濃くても、実際に摂取した塩分は、早々に汗と一緒に放出されるので、さほど心配はしなくてもよいと思う。

 保存料や防腐剤を使わず、保存食でもあったつくだ煮は、梅雨から夏場の食べ物としては食中毒の心配も無く最適である。食べ方は、つくだ煮の種類にもよるが、定石ともいえる、炊き立ての御飯に乗せていただくも良し、おにぎりの具としても最適だと思う、あるいは、最初から炊き込みご飯として一緒に炊きこむのもよし、また、お茶付けにしても良いが、それ以外にも、かなり贅沢な使い方かもしれないが、牛肉のつくだ煮でキャベツを炒めるとか、帆立のつくだ煮を使って野菜の煮物を作るとか、一際味わい深いおかずになったりする。お酒呑みにも「たまらなく美味しい付けあわせ」になる筈だ。 さらに、アイデア次第で、応用範囲も拡大し、自分なりの独自性も出てくるに違いない。

 ここの神戸樽五のつくだ煮は、バリエーションまで含めると種類も多いことになるが、中でももっとも有力なのが、神戸の「黒毛和牛」を使った「牛肉つくだ煮(生姜、椎茸、山菜、舞茸)」、そして次に、神戸沖合い~淡路近海で取れる 「いかなご」を素材にした「生炊きいかなご くぎ煮」、「片口鰯と山椒」を素材にした「山椒ちりめん」、あと、瀬戸内海のあなごを使った「あなご煮」などである。このような十数種類の商品の中から、今日は、個人的に好きな6種類選んでみた。
ではこちら
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補足 いかなご くぎ煮  活いかなごを醤油、砂糖などで、そのまま浜炊きにしたものを指す。煮上がった姿が、釘の様な姿をしていることから「くぎ煮」の名が付けられたという。

2010/07/23

鰻に紀州南高梅

 夏は全国的に暑いに決まっているが、今年はさらに上を行く暑さになってきた。そこで、夏をより夏らしく楽しむために、やはり鰻を食べなければならない。ただ、1回食べに行けばよいというものでもなく、特に7月中旬に梅雨明けをしてしまった年は、7月いっぱいぐらいは、理由を付けて、たびたび鰻を食べる方が良い。この時期、個人的にも神田に出掛ければ「きくかわ」で、新宿で用事を済ませたら「登亭」で、ということになる(いずれもお店紹介済み)。鰻と串肝はセットで戴くようにしたい。昼飯、夕飯時は混み合うので、3時半から5時ぐらいの空きを見てなだれ込むのがよいと思う。しかし、きくかわの串肝が準備出来るのは、4時半過ぎである。これら鰻と肝で「元気いっぱいだあ!」といいたいところだが、この時期は、何かに付けて、やはり疲れが早い。

 さて、去年は「蕎麦と鰻」を紹介したし、年の頭では「手の字のおこわ鰻飯」も紹介した。鰻の話題は意外にも多い、この時期、仲間同士の話の中にも度々鰻が登場するわけだが、天然物はどぶ臭い時があるとか、養殖は脂が乗り過ぎるとか、人それぞれ言いたい放題で、こだわりや想いも異なり、ひいきの店もまちまちで、様々な楽しみ方があるといってよい。 ただ、座敷に上がってから1時間近く待たされるのは、いくら美味しくても、やはり辛い。さらに、待たされる時間による味の違いは無い。まあ、30~40分が限度である。そこで、待ち時間を紛らわせる為に出されるのが漬物である。老舗の一流鰻屋ならば、その漬物にこそお店のこだわりが随所に活きている。肝に命じておこう。

 屁理屈はこのくらいにして、今日は、自宅でたっぷりと毎日楽しめる、調理済み冷凍鰻を紹介したい。8月までにまだ、約9日あるので、2箱(1箱4枚入り)を注文してあった。この商品は、すでに、ショップ チャンネルで販売し始めてから3~4年目になり、鰻自体は国内産で価格は少し高めだが、仕事が丁寧で美味しいし、安定した品質なので、年2回の販売では、必ず発注することにしている。元々、鰻が好きだというのもあるけれど、特に夏場の炎天下の道をトボトボと歩いて鰻を食べに行くのが辛くなったというのもあって、この時期、自宅では案外重宝している。

 調理法は、まず、好きな漬物を用意したい。冬場は白菜の漬けた物に摩り下ろした生姜を添えればよいが、夏場は茄子と胡瓜などを使いさっぱりとまとめる。しかし、御飯の方は、少し工夫をして「紀州南高梅(紹介済み)の薄塩味の梅干」と一緒に炊き込む。鰻と梅干は「食べあわせ」がよくないといわれることもあるが、全くそのようなことは無い。あれは大嘘である。特に夏場は、この「梅干しと鰻の相性」は非常によく、大変美味しく戴ける。山椒をたっぷりと掛けて、鰻のタレは少なめにして梅干の酸味を活かして戴くとよい。いーや、絶対美味しい。確か、浅草あたりには、このように、御飯と鰻の間に梅肉を挟んだ鰻重を出す店もあるくらいだ。これこそ、大人しく、こっそりと自宅で楽しんでもらう鰻御飯に最適な料理法だと思っている。
 ではこちら
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補足 紀州南高梅は、御飯1合に2個程度を一緒に炊き込む。酸っぱ過ぎては良くないが、さらに酸味を加えたい場合は、炊き上がりにさらに数個追加しておく。もちろん御飯だけ普通に食べても美味しい。

2010/07/20

昭和の流行歌6

  なぜか、「ただ、ぼーっと時間だけが過ぎて、知らないうちに老けてしまったおっさん」の様に、昔の曲はよかったなんて言いたくないと思ってきたし、特別聴いてみたいなんて思ってもみなかったが、今、この歳になって、やはり、こんなCDを捜し求めて買ってきて、夜中小さな音量で、たっぷりとした低音と、練乳を加えた水出し珈琲の入ったグラスを傾けながら、ブルースに聴き入っているのである。そうやって、自分の知らない古くて遠い時代の街並みを勝手に想像したり、記憶の中には存在しない、哀愁溢れる情景を探し求めてしまうのかもしれない。やはり、現実を知らない想像だけの世界には、よいイメージのことばかりが埋め尽くされ その自分なりの勝手な映像化に「ええなぁーっ、たまらんなあー」と密かに叫ぶこともある。

 ということで、昭和の流行歌を振返る背景を探し求めていると、思わぬアルバムに遭遇することもある。確かに昭和に活躍した歌手のベスト版は、お求め安い1,500円~2,000円程度で販売されていて、おまけに、カラオケも吹き込んであったりする。また、その様な商品の中には、レコード会社として、思い入れのあるCDというのがあることも分かってきたし、ややもすると、販売数だけで評価が決まるこの業界で、流行歌といえどもその価値をCD1枚に託して、名盤とか、貴重版とか言う、当時の制作ディレクター達のアーティストに掛ける思いが伝わってくるような商品も幾つか存在するのである。今日は、その中から個性的な代表作を紹介してみたい。
 
 少し昔を振り返って、あの時代は、やはり自分としても感受性の豊かな時期に、強烈なインパクトというべきか、遠い大人の感覚とでもいえばよいのであろうか、当時としては最初から 「何でそんな歌い方をするんやー」 といいたくなるような、 ・・・・ 伊勢崎あたりに 灯がともる 恋と情けの ヅビ ヅビ ヅビ ヅビ ヅバー このジャズのようなスキャットで独特の歌い方は、まだ良いとしても、曲の最初のアン、アン、アン、アンは、あれは、あ・か・ん・と思っていた。当時は、この様な曲調を「ため息路線」と呼んでいたが、今から振り返ると、このため息は、誰にでもできる業ではなかったような気がしてくる。曲の最初の部分、つまり、アン、アン、アン、アン が歌詞へ、そしてメロディーを楽器のように歌い上げた、ヅビヅビヅビヅビズバーが、古典文で言えば「係り結び」のような役割をしているのである。だから、アン、アン、アン と ヅビ、ヅビ、ヅビは両方とも、聴き手が勝手に言葉を代入する助詞として機能し、「灯がともる」で結ばれるのである。つまり、ブルースというのは、やはり「何々だからこうだ」という理屈っぽさが根底に流れているのである。

 まあ、それにしても、そんなつまらん屁理屈をこねて、私までもがもっともらしい話を作り上げる必要があるかどうかは、わからないが、今となっては、やはり青江三奈さんの歌い方が「ずば抜けて優れていて、完全である」がゆえに、制作ディレクターは、曲の中で遊んでみたいと思ったのだろう。青江三奈さんもJAZZの心得から、それらが自然に出たといわれている。今日は、そんな、青江三奈さんの残された多くのアルバム(30種)から2枚選んで購入してきた。1つは「青江三奈ブルースを唄う」、そしてもう1枚は「青江三奈カバーコレクション・ゴールデンベスト」で、たっぷりとブルースに浸れるわけである。昭和の流行歌を扱わなければ、遭遇すらしなかったCD2枚である。 自分の知らない世界なんだけれど、歌が上手だと、引き込まれ結構はまってしまう。
 ではこちら
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補足 青江三奈さんは、2000年7月2日59歳で病気で亡くなられている。しかし、若い時から相当な健康オタクだったと伝え聞いている。しかし、実際は、少しお酒の方が上回ったのかもしれない。今、このCDを聴いて初めて分かる、とてつもなく優れた歌唱力なのである。