2010/02/26

カフェド クリエのマカロン2

 昔から営業している喫茶店に入ると、漂う珈琲の薫りで癒される。気分も楽になり、まったり落ち着いた気分になる。この漂う珈琲の薫りは、豆を挽く時に出る薫りで、アロマ効果に優れている。この薫りが良いとドリップであろうがサイホンであろうが、プロセスを問わず珈琲も美味しいに決まっている。最近は、そんな「薫り高く、まったり過ごせるお店」は、めっきり減ってしまった。かつては、テレビゲームを置いて集客した時代もあって、時間を見つけては喫茶店へ行き、そこで腹が減ればナポリタン、ミートソース、あるいはサンドイッチぐらいで、おおよそ選択肢はなかった。ただ、甘い物はたくさん揃っていたような気がする。ここのチョコレートパフェは美味しいから、とか、ラム酒とラムレーズンの入ったプリンはここしかないからとか、一方、モーニングにハムサンドとゆで卵が付いているからとか、様々な差別化で集客力を高めていたような気がする。いずれにしても、喫茶店はもともと珈琲だけでは商売が難しいという歴史を背負ってきた。

 そうそう、モーニングで思い出して脱線するけど、大阪の天王寺の先に長居というJRの駅(地下鉄もある)があって、そこへよく出張で出かけた。駅近くの宿泊ホテルは1軒しかなく、しかも朝のバイキングは1,200円で、確かに和洋区別なく食べ放題だが、好き嫌いの激しい私としては、3日も宿泊すると飽きるし、何故か珈琲は全く美味しくない。そんなある日、我慢の限界を感じて近所の商店街へ出かけた。この商店街は、どこか昭和のままの面影が懐かしく若い頃を思いだす。こんな街の喫茶店なら、ひょっとしてモーニングもあるかもしれないと思いながら、一際ひなびたお店のドアを引いた。中は、珈琲の薫りと蒸気を含んだむわっとした空気で溢れている。やっぱりだ。中は4人掛けのテーブルが6セット位しかないが、小綺麗にしてある。すでに7~8人の客がいて、新聞や週刊誌を読んだり、テレビのニュースを観ながら珈琲を楽しむ人それぞれで、確かに、お客は私も含めて全ておっさんである。やや遠慮気味に入口付近の一番手前の席に着くなり、奥から少し腰の曲がったシルバーグレイのおばあちゃんが、熱いおしぼりとお冷を手に持って出てきて、いきなり「モーニング?」と声を掛けた。機嫌よく「はいぃ~」と首を縦に振ったものの、どんな取り合わせが来るか分からない。奥では、娘さんか、あるいは、お嫁さんだと思われる人が調理を担当しているようで安心だった。しばらくすると、トーストとバター、ミニサラダ、ゆで卵が付いた珈琲が運ばれてきた。磨き上げた古いお皿、珈琲カップも懐かしいアイボリーで下部に向かって少し尖ったやつである。珈琲自体も昔流で、見るからに濃ゆい。これが「えんだなあ」と思いながら、そそくさと食べ終えて、まったりしていた。しばらくすると、お客は次々とレジの前で「ここに置くよ」と言ってお金を置いて出てゆく。私も「おいくらですか」と尋ねると300円だという「ええっ」と、ちょっと聞き直したが、間違いではなかった。確か、昔からモーニングは午前中の集客サービスの手段で、珈琲一杯の価格に含まれるという大原則がある。すると珈琲は40年前の価格である。きっと、おばあちゃんが若かった頃から変わっていないのであろう。いまどき、「これじゃ儲かんないな」と思いながらお店を後にした。しかし、つい価格と珈琲の濃ゆさにひかれて、翌朝、翌々朝も訪れてしまった。その折に、しみじみと喫茶店の競争の厳しさを痛感したという訳である。物価が違うと言われればそれまでだが、近所に珈琲館もあるし、もっと垢抜けした喫茶店もある。

 そんな、窮屈でノスタルジックなお店は、今の若者にとって苦痛以外の何物でもないような気がするが、濃ゆい珈琲は、このようなお店でしか飲めなくなっている。もっとも喫茶店へ入るお客のニーズも大きく変化して、明るくモダンな雰囲気と、アメリカンな軽い珈琲が良くなったに違いない。他店との差別化に繋がる珈琲のお供のクッキーやケーキ、あるいは軽食のサンド類も豊富で明瞭会計になっている。その趣向の細分化に、興味を魅かれ何か今までになかった新しいものを探そうと、明るく若者で溢れる、今時のお店に入る事がある。

 今日も、そんなお店の1つでもあるカフェドクリエへ寄っている。このカフェドクリエは、関西系で親しみがある。カウンター沿いに並ぶと、ショウケースの中が気になり、どれも美味しそうで迷うが、考え込んだりするとすぐに順番が来てしまう。そのくらい種類が豊富だ。それにしても、いつも不思議というか関心するのが、ここのマカロンである。自作した事のある人なら、「これほど形の揃った物は、技術的にも難しく歩留まりも悪過ぎて、商売にならないよ」と思うに違いない。まあ、そんなことに感心しているおっさんも私ぐらいで、大きさと価格の比を考えると、若者は他の品物に目が行くに違いない。だけど、今日の話題は今までのマカロンを更に進化させたものだ。

 PDF写真の下部に写っている、新しい「2色マカロン」がそれである。きっと、1つ1つの整形精度がすこぶる高いに違いない。前回紹介したマカロンの組み合わせを変えただけのように思われるかもしれないが、それだけではない。挟んであるクリームのフレーバーに大きな違いがあり、特に抹茶と煎茶&ショコラ、パッション&ショコラは、従来のマカロンのイメージを覆すように「格別に風味が良い」のである。これには驚いた。しかも、専門のクッキー屋よりも明らかに安価である。この薫りの高さは、さすがにポッカならではの商品企画と言えよう。昔のポッカレモン発売当初の薫りの高さを思い出す。マカロンは小安い物だから、ぐちゃぐちゃ能書きを申し上げるつもりはないが、試してみる価値はあると思う。今日は、ついでに他のケーキも色々と持ち帰って一緒に撮影してみた。ケーキ類は何処にでもありそうな感じだが、これらも「甘さと薫りが際立って」いて、これもポッカ流といえばポッカ流なのだが、関西風とでもいえ、他店のものが味気なく感じる程である。PDF写真の奥にある「2色マカロン3種入りパッケージ」は500円で、この価格なら、ホワイトデーのお返しにも最適かもしれないし、これだけの芳しい風味ならマカロンがお好きでない方でも気に入っていただけるに違いない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21520&app=WordPdf

2010/02/23

新品種みかん せとか

 新宿の高島屋の「千疋屋総本店」に置いてあるみかんには、さすがに驚きを隠せなかった。千疋屋は品質も価格も高いことは心得ている。サンプル試食でも驚くほど美味しいと思えた。糖度14度は凄まじい甘さで、外皮は超極薄、中の袋(じょうのう)は丸々食べられる。従来の「みかん」とは、一線を画すものの様だ。これは、最新の交配技術を活かした新製品で、もはや芸術品の領域に到達したいっても過言ではない。それは「せとか」という品種で、長崎の(独)果樹研究所カンキツ研究部で育成されたもので、清見とアンコールNo.2を掛け合わせて、さらにマーコットと掛け合わせたという。もちろん、これはこの時期ハウス栽培で1個1個丁寧に育てられている。

 誰しも、どうせ「みかん」でしょという印象を持つかもしれないが、食べた人しか分からないところが、少々残念である。だから、お値段を示すと興味を持たれるかもしれないので、「はしたなさ」を覚悟で申し上げるが、1個200~300g程度の物で1,000~1,200円である。一山じゃなくて1個。あくまで1個だ。それは、千疋屋だからだろうと思われるだろうが、他の高級果物屋さんには、もっとお安いもの(1個400円前後)も置いてあるが、中身が全然というか、全く違うことをご承知おき戴きたい。

 PDFで紹介しているのは、千疋屋の1個1,200円の品物で、生産者(松川さん)自ら試食を配っていた品物。これが、飛び切り美味しい「せとか」である。6個購入して、既に1個味わいながら、「うーん、うーん」と唸りながら、ついぺロっと食べてしまった。外皮をむいたときの薫りも素晴らしい。種子は微小な物がほんのわずかある程度で、じょうのうごと食べても全く分からない。それほどジューシィといえる。食べた後は、即座に血糖値がピークに達し心地よい気分になる。お昼の食事の代わりにも丁度よい。といっても、ちと高価すぎるのが問題だ。それにしても飛ぶように売れる品物ではないが、味の分かる人は、「うーん、美味しい、なるほど」と唸りながら、次々と購入していった。

 さて、私は小学から中1まで松山で過ごしていたので、柑橘系にはちとうるさい。同級生のみかん山には商用のもの、自家用のものなど、数多くのみかんが育ててあって、完熟の食べごろの見分け方等まで教わってきた。みかんは、朝一番が甘味が強く美味しい。それが実感である。まあ、そんなことはどうでもよいのだが、その経験から申し上げると、極端かもしれないが、せとかは「爽やかな甘さなのにこくがあり、その飛び切り濃い味」が特徴で、皮もデリケートで薄く比類がなく、こんなの見たことないって言うのが正直な感想である。長崎の温暖な気候と傾斜地の多い土地柄、さらに日暮れまでの長い時間による光合成。そして暖かいハウス栽培が、この甘さと味の濃さを生んでいるようだ。紹介する「せとか」は、松川さんのハウスで育ったもの。何年も掛けて大切に育てられてきて、口にした人がみんな幸せを感じる事が出来る、これこそ貴重な芸術品である。1度1,000円~1,500円ぐらいの品物を食べてみて欲しい。

 松山にいた頃、今から50年ぐらい前になるが、当時は甘い物が少なかった時代で、その時、松山だけで販売された新品種の「伊予柑」を初めて食べた時のことを思い出すほどの衝撃を受けた。絶対美味しい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21523&app=WordPdf

2010/02/19

昭和の流行歌1

 今、昭和の流行歌が脚光を浴びている。テレビでは、今では滅多にお目にかかれない年配の歌手が30~50年前の当時の曲を歌う。また、TVショッピングでは、その頃流行した曲をレーベルに関係なく組み合わせた、CD数枚組セットが売り上げを好調に伸ばしているという。「まじかよ」と耳を疑うが、人口比率を考えると、それはありうる話である。電車に乗っても、バスに乗っても、観光地でも、もちろん温泉でも、そして近所のマーケットでも、あらゆるところで、昔に比べ年配者が圧倒的に多い。その様な人たちには、今の曲には付いて行けず、古い流行曲を楽しむしかないようだ。さらにカラオケ練習などでも威力を発揮すると思われる。

 それにしても、長短を問わず誰にでも過去はある。映像であったり、写真であったり、音楽であったり、笑い話であったり、食べ物の味であったり、薫りであったりと、五感で刺激を受けることで、昔の記憶を呼び起こすきっかけを掴んでしまうことは多い。それが音楽の場合、鮮明過ぎても良くないし、不鮮明すぎてもよくない、イメージを壊してしまうと返って記憶を破壊してしまう事がある。適度に情報が欠落しているとか、自ら想像を巡らす要素がなければ、記憶を呼び起こして楽しむことは出来ない。欠落部分があるから、一生懸命記憶を辿ろうとするのである。また、それに関連した記憶も一緒に連れて呼び戻すから、より楽しめる。たとえば、雑音の多いラジオから昔の曲が途中からフェードインしてきたりすると、たまらなく懐かしい。

 そこで、自分でも懐かしいと思う曲の入ったメディアを探してみた。昔の曲と言っても、どの時代が一番印象深く感じられるのだろうか、それは人によって違うので特定など出来ないが、やはり共通している時代として、「若さの学生時代」の頃かもしれない。当時を思い出して、そのころの活力を呼び起こしてみたい。紹介するにも、さすがに、著作権があるため、この場で音を再生するわけにもいかない。そこで、商品のジャケットと曲名等を観ていただこうと思う(ジャケット写真にも肖像権、商品には意匠権などもある、しかし、引用の範囲と言うことでお許しいただこう)。テレビでいくら古い流行歌の番組があったとしても、なかなかお目にかかれない、当時を再現するのが難しいグループ・サウンズが良いと思う。

 PDFの写真は、ブームが終わってから発売になった、ミュージックカセット3種(当時各2,000円)のジャケットである。今から、40年くらい前の1968年頃に爆発的に流行したグループ・サウンドで、代表格のザ・タイガース、スパイダーズ、テンプターズ。この時代に熱狂的な人気を誇ったグループといえる。それぞれのボーカルを担当した、沢田研二さん、堺正章さん、萩原健一さんは、その後テレビで活躍されている。彼等は、ジュリー、マチャアキ、ショーケンと愛称で親しまれ、今でも当時女子であった中高年のおば様からの支持も多い。

 一方、富士通のFMVパソコンのCMや、映画、ドラマで大活躍の岸部一徳さんは、ザ・タイガーズの出身である。当時の愛称はサリー。芸名は岸部おさみでベースギターの担当だったと思う。芸能ブログではないので、ぼろが出る前に、このくらいにしたいが、そのほかにも、多くのグループサウンズが存在していた。どのグループ名に、頭にザが付くか当時から分かりにくかったが、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ゴールデンカップス、パープルシャドウズ、ザ・ジャガーズ、ザ・カーナビーツ、ワイルドワンズ等が深く印象に残っている。この当時活躍していたグループサウンズ出身のメンバーは、今もなお多くが音楽業界で活躍されているので、同世代にとっても、少し後輩の我々としても、心強い存在となっている。 最近の話題として、ジュリーとワイルドワンズがコラボして新曲をリリースしたらしいが、コラボならではの特徴を活かした曲調の音楽であって欲しい。

 残念ながら、グループ・サウンズのヒット曲を集めたメディアとして、この3種のカセットしかなかったが、このカセットの注意書きには「ステレオで録音されていますので、ステレオ演奏機ではステレオになりますが、モノ演奏機でもご使用いただけます」とある。この時代を髣髴とさせる説明書きである。今でも音はちゃんと出る。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21511&app=WordPdf

2010/02/16

身近な自然に挑む

 休日の暖かい日は、多摩川沿いは多くの人出で賑わう。近くに住む人の殆どが、見晴らしの良い広大な空間、整備された遊歩道、土手の傾斜の芝生、あるいは大きな木の下にある休息所などを利用して、様々な時間の過ごし方をしている。その6割はウォーキングをする人なのだが、金管楽器の練習をしている人、赤ん坊連れの若夫婦、ペットとお散歩、土手を滑り台のようにダンボールを使って滑り降りる子供達。近くに「京王閣」があるので自転車の練習をするレーサーなど、様々である。下流にある二子玉川あたりでは、休日、若者集団がバーべキューで騒いでいる。

 そんな、のどかな光景を楽しみながら、ゆっくり歩いていると、時折、のんびりムードに風穴を開けようとしてか、ニコニコしながら「Tバック1チョウ」で早足に追い越してゆくおっさんがいる。若者は見てみぬ振りをしているが、こらえても、こらえても、湧き上がる微笑を抑えきれないのであろう、目じりは下がり頬から下は今にも噴き出しそうである。力が抜けてしまうのであろうか、コースから離脱する人まで出る。子供達は、とんでもないものを見てしまった興奮で、黙り込んで「あんなのいいの?」と言わんばかりに父さんの顔を覗き見る。話に聞いている社会秩序とはまるで違う状況に出くわし、戸惑っているようだ。 いくらか暖かくなってきた?といっても、よほど早足でないと寒かろう。

 そんな、笑える多摩川でも、時折、土手と河原の間にあるススキに隠れて糸をたれている何人かの釣人を見かける事がある。それぞれ後ろ姿なので頭部から肩辺りまでしか見えないが、 夕暮れ時の後ろ姿は、哀愁を帯びてじっと置物のように、何故か感じ入るものがある。そこにあるのは、釣りという行為を通して自然を学ぶ姿がある。自然の節理のなかに身を置き、そこから自分なりに新たなセオリーを見出し、それにしたがってゲームを進める。人間が古代から備えてきた、自然を相手にした智慧を見い出だすきっかけとでも言えばよいのであろうか、虚像にみちた社会の中で、本来の人としての自分を取り戻す時間になっているのではないだろうか。

 そんな、この後姿を眺めながら、いつか写真に収めたいと、ずっと以前から気になっていた。しかし、河原の地蔵さんの写真と誤解されても困るので、何か工夫が必要である。そこで、時間のある日に、何度か通って考えた。平日は夕方からしか出られないし、太陽が落ちてからは気温が下がり釣り人は消える。風の強い日や雨の日はさすがに1人も見かけない。8日間通い、それでもいくらか暖かい日の、太陽が沈んで暗くなるぎりぎりの時間まで待ち、釣り人が餌を投げ入れる瞬間を、「置きピン撮影」で連写した(写真左の中ほどには糸も写っている)。まあ、幾つになっても、写真は練習と心得ているつもりだが、今回は修行にも似た、寒さの中での撮影であった。

 多摩川の川上では、年に何度か稚魚の放流が行われる。大半は、その時期に釣り糸をたれるわけだが、今頃、ここで釣り糸を垂れ、自然を相手にじっと待つ姿こそが、本物なのかもしれない。特別大きな魚がかかるわけでもないので、釣り上がった魚は再び放流されることになる。時の過ぎ行くのをしばし忘れて静止し、自然の成り行きを見守る。そして、あるときはそれに従う。その環境の中で自分の存在を改めて認識し、自然とどのように共存するか、そんな教えを待っているのかもしれない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21517&app=WordPdf

補足)「置きピン撮影」とは、構図を決めた後、ピントの合う距離を、あらかじめレンズの焦点距離と絞り値を使って割り出し、ピントの範囲を固定しておくこと。その範囲に被写体が入ったらシャッターを切る。常時追尾していても、ピントを合わせにくいスポーツや、動きが早くピントを合わせにくい小さな被写体(ここでは、竿と糸)の撮影に使われる。また、ボケた背景の中にシャープに移しこみたいものを並べる時などにも利用する。写真撮影の技法としては、1丁目1番地と言ってよいほどの基本中の基本である。

2010/02/12

バレンタインの戦略チョコ

 年間を通して商品の動きが止まるのは2月と8月で、この月のバジェットは、最初から下げてあるというのが商業界の常識である。3月決算を前にして、2月は営業にとって最も辛い季節ということになる。そこで、チョコレート業界は、バレンタインデーなるものを企画して、売り上げ確保に余念がない。菓子業界も昨年来、冷え込みが続く中、今年こそはと、様々な企画で全面戦争の構えを見せている。ところが、今までは無縁と思われてきた他の業種まで、これに便乗して新商品を企てて参戦している。洋酒、果物、和菓子、せんべい、大福など、おいおい、それは対象外だろう、と思われる商品にまで広がっている。しかも、隠れた消費意欲の「自分チョコ」とかいう種分け(アンケート結果によると4割が自分チョコ)をして、チョコ好きの、まさに老若児女を巻き込んでお祭り騒ぎになっている。
 バレンタインは何も愛の告白だけに使われるとは限らない、義理チョコの果たす役割は大きい。義理と人情の義理で、「付き合い上仕方なくする行為」ととられがちだが、本来は「人として守るべき物事の正しい道筋」と解釈すべきである。これは、あくまで正しい行為である以上、手を抜いてはならないが、道筋は多種多様に広がっているため、安価な物を大量に活用せざる終えない。それによって、日常の人間関係も改善したり、修復したりする機能を果たす。そこで、今日はそれだけに留まらず、女子向けに「社内戦略チョコ」を考えてみたい。これは、バレンタインデーをチャンスとみて、「人として守るべき物事の正しい道筋」を更に拡張する企画で、平素コミュニケーションのない会社の偉い人にも、一寸お洒落なチョコ関連のお菓子を用意しておこうというものだ。ここで言う「偉い人」とは、必ずしも「はるか高い役職」の人とは限らず、にわかに「実力と影響力を持った年配者」も含まれる。
 だいたい、会社の偉い人たちは、コンパートメントに追いやられたり、そうでなくても孤独である。口には出さずとも、売り上げ、業績はもちろん、社員の成長や仕事、その家族の生活のことまで色々考えているのである。当然自分にも息子や娘がいたりすると、自社の若い人たちに対しても、ご両親からお預かりしているという意識を持っている筈で、それも社員からは悟られないようにしている。暇そうに見えても、それなりに目に見えない苦悩というものを背負っている。だから、本来現場の若い人達の生の声を聞いたり、直接話して情報を得たいと思っている。また、「昔のように仲間と一緒に仕事することに喜びがある」と考えている。まれに、自分の定年後のことしか考えない人もいるかもしれないが、おおむね「偉い人」というのは、そのように考えているはずである。
 さて、人はどのような小さな品物でも、自分宛に贈られることに喜びを感じるものである。その人が営業畑出身で苦労をした人ならばなおさらで、きっと、贈り主の気持ちを素直にありがたく思うに違いない。加えて、そういう「人の気持ちが分かる」とか、「人を喜ばせる心意気のある後輩」がいてくれることに安堵するに違いない。そして、贈り主に興味を持ち、お返しとまでは行かないにしても、何か少しだけでも期待に応えようと考えるのである。結果、評価は上がるのである。贈る側には、バレンタインだからという言い訳もあり、挨拶程度と軽く考えてよいが、ちょっとお洒落な品物だと、センスがよいと思われるし贈られた側は、益々そういう送り主と何か色々話を聞いてみたいとも思うのである。
 こういう場合の贈り物は、チョコレートでなくても良い。だいたい若い頃一生懸命仕事をした人ほど、持病を抱えていたり、糖尿病に苦しんでいたりする。そのあたりに配慮して対応を図るのが良い。贈り主は個人より、○○課女子一同とかで行うのも良いと思う。そんなちょっとした海老で鯛を釣る、そんな甘くはないかもしれないが、何か作用するはずだ。「ありがとう、何か困った事があったら、いつでも相談に来てよ!」という言葉の1つも掛けてもらえるに違いないし、廊下で出くわしても、「頑張ってるね!」と応援してくれるかもしれない。まして、人事異動、春の昇給、夏のボーナスまで少し期待できるかもしれない(それはない)。そうすれば、会社も一層楽しい場所になる筈だ。男子は盆暮れに、お世話になった先輩や上司にお中元やお歳暮を贈る習慣もあるが、女子は、バレンタインをこのようなタイミングとして活用すると良い。
 そこで、今日は、その1例として千疋屋の果物をとり挙げてみた。この場合は、美味しいとか、美味しくないとか、ぐずぐず考える必要はない、出来るだけ分かりやすい物が良い。「味よりも心意気」なのである。PDF写真のイチゴは、1個ずつ透明プラスティックの容器に入っており、ほこりや雑菌が入りにくい。これなら、ポストイットで課の名前を貼り付けて秘書の人に預けると良い。また、オレンジゼリーなどは、ご年配の方には嬉しいはずだ。にこにこしながら「よしよし」と昼食後のデザートの楽しみにもなる。勿論、千疋屋ならそんな偉い人で知らない人はいない筈だ。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e6%9e%9c%e7%89%a9/%e5%8d%83%e7%96%8b%e5%b1%8b.pdf

2010/02/09

ウイルス、フィッシング対策

 世界中にあるコンピュータは、ネットワーク線で繋がっている以上、互いに何をされても不思議はない。しっかりと、使わないポートを閉めておいても、「最新の情報を元」に対策されなければ、ウイルスに感染したり、フィッシング用のファイルを忍ばせて暗証番号やパスワードが狙われる。それは丁度、脳ドックにお世話になるのと似ている。検査した今現在は問題ありませんと言われるだけで、明日からは全く保証はないのである。世の中で最も知的で賢い奴ほど、コンピュータの言語を自由に操り、このような操作が出来る族(やから)である。最先端のgoogle のサイトを攻撃をしたという中国の族には、ちょっと驚きでもあるが、google は米国政府の情報機関に支援を依頼したという。相当巧妙な手口であったに違いない。昔から、知的で賢い奴ほど難攻不落な要塞に挑む。国対国の厄介な話になるが、面白そうだ。今ご覧戴いている、このBlog もgoogle なので、心配な人は今後しばらく閲覧しない方がよいと思う。
 さて、話は変わるが、このBlogを閲覧している方(以降、読者と略す)の情報はこちらで、ある程度把握している。たわいもないものばかりだが(そうでもない)、様々な足跡を残すといっても良い。この様な分析は、インターネット上の全てのブロバイダ、商業サイト、blog あるいは、広告ごとに、行われていることで、情報提供側(blogの制作者も)として必要な情報を収集できる。たとえば、このblogを見た人の、差出人名のない送り状を、もう必要ないからといってblogのポストに投げ込んで行くようなものである。そんな読者の情報の中から、情報提供側として最も気になるのが、使用されているモニター画面の解像度や色数で、当初は、1024x768 が読者の大半を占めていたが、最近は1600x1200 が増えてきた。それに併せて、こちらもPDF画像のクォリティを改善し、昨年の秋ごろから 1600x1200 以上を「全体表示モード」でサポートをしたというわけである。したがって、過去にファイルサイズの大き過ぎる試験的なものが残っていて、時々、それらを修正したり作り直している。今後も、読者の環境を鑑みて色々新たな工夫してみたいが、まあ、そんなことより、文章の中に慢性空腹症を引き起こす言葉や別腹誘発コードを忍ばせて、あなたの体を蝕む可能性の方が大きいかもしれない。重々健康に注意されたい。
 話を戻すと、1人深夜孤独にインターネットを操作していたとしても、あなたのキーボード操作やパソコンの状況は、誰かに監視されているかもしれないと思ったほうがよい。おまけに過去の履歴も全て残っている。ネット銀行のお金の出し入れ、インターネットでの買い物、エキサイティングなサイトへのアクセス、賞金付きアンケート調査、メール 、blog の参照、ファイル のダウンロードなどは特に配慮しなければならない。とにかく、無意識に不用意なクリックはしないことが賢明といえる。むろん、このblog からダウンロードされるPDFファイルの制作には、2008年の秋頃から別に管理したコンピュータで、脆弱性の確認されたアプリケーションを使用して、さらに最終的に仕上がったファイルのチェックをしてから、Microsoft のサイトへアップしているが、宅配の荷物と同じで、配送途中や中継点で無味無臭の劇薬ソフトを塗布される可能性も考えられないわけではない。
 そこで、最低限度のウイルスとフィッシング対策ぐらいはちゃんとしておいてほしい。このblogの読者は情報通で賢い人が多いと思うので、既にいずれかの会社を製品を利用されていると思うが、まれに「お金のかかることはしていない」という人もいそうだし、「Microsoftの純正品が出るまで待っている」 あるいは「無償の純正品が出たら乗り換える」という人がいるかもしれないので、そういう方に Microsoft のウイルス、フィッシング対策ソフトMicrosoft Security Essentials のダウンロード(無償)を勧めたい(Windows Server用もある)。Microsoft だからXP/Vista/7 には親和性もよく、しっくり来ると思う。そのソフトで、悪意のあるファイルは、早々に削除しておいてほしい。そして、もう1つ。このblog の読者の72%のブラウザがexploreである。さらにセキュリティを重視する人は、explore8 にバージョンアップしておいた方が良いらしい。ただし、ネットバンキングなどに利用されている場合は、銀行側のサポート状況を確認してからでないと、不用意に導入してしまうと手数の掛かるトラブルになりかねない。また、ブラウザを使うソフトも同じである。個人的には、過去ソフト等のアップグレードに何度も痛めつけられた経験から親和性が確認される、せめて半年後でも良いと思っている。
 今日は、Windows XP/Vista/7 等の正規ユーザーで、しかも、危機感の薄いのんきな方、無償に拘る方、あるいは純正がお好きな方を対象に、Microsoft Security Essentials の概要をPDFにまとめたので必要な方は参照されたい。実装操作は簡単ですぐに終わるが、Microsoft のサイトにある説明をしっかり読んでから操作してほしい。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e3%83%91%e3%82%bd%e3%82%b3%e3%83%b3%e9%96%a2%e9%80%a3/Microsoft%20Essentials.pdf

なお、explore8 のダウンロードはこちら。Internet Explorer 8 の効能や実装環境を良く調べてから導入のこと。
http://www.microsoft.com/japan/windows/products/winfamily/ie/function/default.mspx 

2010/02/05

輸入食品が安い

 今、輸入食品の値段が末端でバラついている。今に始まったことではないと思われるかもしれないが、「スーパーから量販小売店に及ぶ範囲」にまで、正規輸入商社で取り扱わなれなかった商品が低価格で販売されるようになってきた。リーマンショック以来、不況も世界的広がりをみせて、グローバル商品は原産国で大きく値下がりをしている。また、為替も大きく円高に振れてしまって、少し戻してはいるものの、はっきりしない状況が続き、最近は90円前後で安定したようにも見える。どうでもよいことだが、円相場は、円を買ったりドルを買ったり、それで差益を得る人がいる以上、実体よりも大きく変動する。投資家はあくまでも敏感でかつ精神的に脆弱のようだ。このことは、為替や株価の変動が関数的であることからしても良く分かる。
 さて、さて、この円高と原産国の価格低下がビジネス・チャンスとみている輸入業者は多く、これを契機に、輸入ルートを拡大し、様々な分野にも手を広げ始めている。当初は、インターネット上の店舗に限られていたが、それらの販売では価格に大きな開きがあると、偽物や類似品と誤解されたり、一方では、商品自体が安価でも、消費者側からすると運送費用・振込み料(あるいは代引きの取扱手数料など)が別途かかり、一店舗で必要な物が揃えばまだしも、専門化されているため日常品の購入品種としては少なく、確実に割高になってしまう。また、インターネット上では価格比較が容易で、輸入商社あるいはメーカーの指導による価格を厳守させられる。加えて、付加価値による違いを出しにくい。そこが食品等を扱うインターネット店舗のビジネス限界になってしまい、最近のスーパーや量販小売店が見直されつつある理由と考えられる。
 また、古くから輸入品を手がけて、正規ルートであることを売りにしてきた会社は対抗上価格対策をしようとしても全国規模で価格を下げることで経営的に苦しい状況を生み、そう簡単なことではない。根本的に価格対応できない企業構造に加えて、自ら市場を破壊するわけにもいかないからである。そこにつけ込まれる隙間が発生する。しかも、極度に定着した安心感と肥大化した社内の仕組みとが、それにも手を拱いて待つ状況を作っているといえる。現在は、消費者全体の準備している予算というか購入意欲に限りがあるので、先にその費用を得る事を考えた方が賢い。当然、食品には消費期限もあるので早く対応しなければならない。 消費者は、商品の市場価格をよく知っている。
 そんな折、今日は身近な輸入商品の代表格といってよいトワイニングの紅茶を例に取ってみた。パスタ、トマト缶やジャムなど、缶乾物および保存品は同様な傾向を示すが、紅茶の利用頻度は高く、一般的ではないかと思われる。さて、昔から国内販売の正規輸入ルートともいえる片岡物産のトワイニングの100g缶入り紅茶の価格は、お店によって850円前後で8%程度は既にバラついている。それに割り込んだのが、他社輸入品の200g入りの缶で、内容量が2倍にもかかわらず、100g缶よりも18%程度安いという現実なのである。しかも、これは、ある量販小売店の価格である。インターネットでも販売されているが、5%以上高い値段がついている(それは、ポイントや送料無料として還元される場合もある)。もちろん、これが身近な量販小売店で販売されると、店頭では、飛ぶような売れゆきで、種類別40缶が朝入荷して夕方にはもうなくなるのである。さすがに誰でもわかるデザインなので、手にとって食い入るように横文字を読むご婦人方も多い。今日の写真がこのトワイニング200g入り缶で、いずれも1缶598円である。今でも、100g1缶を850円前後でお買い求めの折には、他の店を当たってみた方が良い(もちろん、価格は全て税込価格)。今まで購入してきた100gの品物の品質の違いは、茶葉の細かさの違いで、風味や味は残念ながらどちらでも満足できる。多少拘るとすれば、後からイギリスで添加されたフレーバーの違いぐらいかもしれない。それも新缶を開けて2~3日で分からなくなる。
 それはこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e8%b6%a3%e5%90%91%e5%93%81/TWININGS.pdf

2010/02/02

浅草今半

 牛肉と言えば今半である。ここの牛肉弁当、すき焼き弁当、ステーキ弁当(全て紹介済み)は、店舗によって多少構成が異なることもあるが、いずれも少々辛口な割下が味を引き立てている。これらは、特に割下と牛肉の旨味が融合し、御飯の中にまで浸透して、まさに「関東風ならではの美味しさ」を引き出している。「味は冷えて染み込む」というぐらいだから、出来立てよりも、少し時間が経過しているところがよいのである。
 さて、今日は、今半の本命中の本命といえる「牛肉と割下」の紹介である。まさに、すき焼きには最高の材料といえる。朝から「今日は、俺がやるから」と宣言し、材料を自分で集める。牛肉は新宿小田急百貨店(地下1階食品売り場一番奥の今半)で買い求める。ここのおばちゃんはいつも愛想が良い。1人分の牛肉の目安は200g程度。割下は2名で1本程度使用する(割下が足りなくなると、本醸造の濃口醤油、味醂、日本酒、三温糖に加えて昆布だしなどを使って混合調整する)。また、市販の割下はお店で出るものとは違い、あくまで市販用の味であることに配慮されたい(甘口)。牛肉と割下を入手した後、帰りに近所の八百屋で長ネギや焼豆腐、春菊、しいたけ等を買い求める。関西では、まつたけを加える地域は多く、今となっては少々贅沢に思えるかもしれないが、昔はごくごく一般的であった。ただ、純粋に関東風の美味しさという点に拘るなら、まつたけは評価できない。懐かしい食感を味わうなら、むしろ薫りの少ないエリンギ等の方が良い。あとは、日本酒のCMではないが、これで「やっぱり~菊正宗」でもあれば最高なのかもしれないが、私は呑めないので御免。早速、鉄鍋を出して準備に取り掛かる。といっても、具材を適度に切っておくだけである。最初から具材全てを鍋に投入してはならない。最初は鉄鍋を火に掛け、牛脂を少量流して牛肉を敷き、しばらくして割下を流しいれる。牛肉に火が通り、割下が牛肉の表面で踊っているときに口に運ぶのが美味しい。具材は、単なる付け足しであるが、割下が美味しいと、牛肉の旨味と割下が渾然一体となり、煮込む具材も俄然美味しくなる。2~3枚牛肉を口にしたところで、残りの牛肉と具材を投入しよう。
 今年も活気溢れる時間を過ごすために、美味しい牛肉をたんと食べて元気に仕事に向かいたいものだ。人は長い人生の中で様々な経験を重ねる。面白くないことが続いたり、落ち込んだりしたときは、今半の牛肉を食べるのが良い。ドリンク剤などよりはるかに元気が出る筈だ。そして、できれば家族全員で、この「今半のすき焼き」を囲んで欲しい。 すき焼きは、今半まで食べに行くのが王道だという人も少なくないが、今の時期は、具材を自分で買い集めて、自宅で楽しむのが賢い。家族みんなですき焼きをつつけば、部屋も体も、そして心も温まるひと時になる。そして、ここからが重要なのである。
 さて気分を整え、前頭葉の制御モードを「何でも笑える」に設定を変更しよう。そういうモードがない人は、3億円の宝くじが当たったことを連想すればよい。そして、小さなきっかけからみんなに笑いを誘い、徐々に家族の大きな笑いに盛り上げていく、食っては笑い、笑っては食う。どんな小さな事でも、つい笑ってしまい、腹を抱えて真っ赤な顔をしながら、みんなで笑いこける。これが、遠慮のいらない自宅で「今半の牛肉と割下」を使って楽しむすき焼きの醍醐味である。と言っても、大塚商会のような駄洒落を連発しても場が白けるだけである。なかなか、きっかけが掴めない場合は、平素から家族の事をよく取材しておく、あるいは、「母さんから聞き込み調査」をしておかなければならない。どのような話題で盛り上げるか、これもイベントには重要な要素なのである。大笑いをした後は、うどん、もち、玉子など何でも好きなもので、割下を根こそぎ絡め取ってたべる。 そして、最後の口直しに天然の檸檬シャーベットなどを用意できれば、オヤジとして満点がもらえる筈だ。
 こういう、時々最高に美味い物を買ってきて、調理して食べさせてくれ、おまけに屈託の無い楽しい時間を提供してくれるオヤジこそが愛されるのである。飛び切り美味しい物をイベントにすると家族は自然に集ってくる筈だ。つまらんことを、ぐじゃぐじゃ考えていたり、先行きの閉塞感を1人抱え込んでいるような暗いオヤジは、職場のみならず家族からも嫌われる。オヤジは、たとえ演技であっても、常に前向きで、楽しそうに仕事へ出かけて行き、楽しそうに帰ってくることが使命なのである。それでも、心配が絶えない人は、とりあえず、この時だけ張り切っている様子を見せて、適度な緊張感を楽しみながら、みんなの笑い顔に対する責任を、一人になって実感すれば良い。
 今日の写真は、ほんの参考程度ということで材料だけ並べてみた。家庭や習慣によって用意するものはそれぞれ異なるが、オヤジが作るすき焼きの「味のコンセプト」はいつも明確にしておきたいものだ。でも、やはり、基本はみんなで大笑いをしながら食べるところかな。 
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e8%aa%bf%e5%91%b3%e6%96%99/%e6%b5%85%e8%8d%89%e4%bb%8a%e5%8d%8a.pdf