2010/11/30

さんま丼

 少し前に、炊き込みご飯の話題が続いたこともあって、今日のタイトルを「焼さんまの炊き込み御飯」と混同されそうだが、それとは全く違う。「焼きさんまの炊き込みご飯」は、大変美味しいので好きだけれど、無責任にも喉に骨が刺さったままになりたくないので、自分で作るというより、和食の専門店で戴きたい。そこで、今日はそんな危険のない「さんまの蒲焼丼(略してさんま丼)」にしたいと思う。このような丼物に関しては、それだけでも楽しめるが、添える物として、赤出しの味噌汁とか、大根や白菜の漬物と合わせたい。そういう段取りや、さんまの蒲焼を通して、日本人の原点とも言うべき質実剛健の精神構造に近づきたいと考えるのである。

 ま、そういう感覚を大切にしたいと日頃は考えていて、やはり丼に使われる器にも、常々自分の胃袋にジャストミートしたものが欲しいと思っているわけである。それも、一般的な丼は少し大きすぎて、つい食べ過ぎてしまうし、かといって小さければ上に乗せるものが大きくはみ出す。この状態は、私にとってはなはだ不本意な構造だと言うしかない。つまり、どーんと見てくれがよくて、あまり量がないと言うのが、豊かで健全な感じがして体にも良いと思うのである。考えるに、大小の器(上が大きく、下が小さい)が重なったような器がいいと思って探している(そんなのあるはずない)。

 さて、一般的に、さんまは色々な形に加工されているし、様々な調理方法で食べられている。さんまの干物ならよく知っているが、へー 「さんまの蒲焼かあ」 缶詰もよく見かけるけれど、 と商品を手に取ってみた。たった300円のパッケージの中には、さんまの蒲焼が2枚っている。「鰻のたれ」と同じたれが付属してくるので、さんまを御飯の上に乗せて、たれを掛けていただくようだ。おまけに山椒まで付いていて完璧なパックである。これなら、今時のキャンプにも好都合ではないだろうか。お安いので、つい4パックも購入してきた。次に、調理方法だが、1袋にさんま蒲焼2食分(2枚)入っているので、1枚はそのまま細く切って、たれと合わせておき、1合の炊き立て御飯の中に山椒と一緒に混ぜる。ちょうど鰻のひつまぶしのような状態になる。小さめの丼を用意して、そのひつまぶし風になった御飯の「普通の茶碗一膳分をお釜から取り出して」を丼に入れる。そして、残りの蒲焼1枚を暖めてどーんと上に乗せるのである。そして、再び たれ、山椒、漬物などを乗せて出来上がりにする。

 確かに、「さんまの蒲焼の丼」を戴くとなかなか新鮮な感じを受ける。味は鰻丼と同じであるが、「ふっくらさんま」と表記されているが、鰻のようにはいかない。しかし、価格は鰻のおおよそ1/5~1/10である。普段のさんまの価格は、目安として冷凍は1尾100円、生は今年1尾150円ぐらいである。内臓を取り除いて干物にしても1尾換算で150円ぐらい。しかし、頭と尻尾を取って、内臓や小骨を大方取り除き、しかも炭火で焼き上げてパックにするなど手間をかけたうえ、たれも付けて 2尾300円は、かなりお手ごろといえる。お味は、誰でも満足できるものだと思えるので、蒲焼だけでお父さんのお酒のお供に、また、受験生の夜食にも丁度良いし、カルシウム不足(100gあたり160mg含有)のビジネスマンにもぴったりかもしれない。 
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2010/11/26

クリスマスグッズ

 今年も、もう1ヶ月と残り少なくなった。デパートやスーパーなどでは、入口に見上げるようなクリスマスツリー、店頭の飾り付けには大量に並んだ赤や白の長靴など、子供達は目をまるくして眺めたり、小さな指でその長靴に向かって指差したり、近くへ行ってみたりと、心が躍っているようだ。すでに、今月初めから徐々にムードが盛り上りはじめ、毎日待ち遠しそうである。わかるなー、今時は他に楽しみはないからね。もちろん、今時のクリスマスイブは、そんな赤や白の長靴だけでは済みそうもない。サンタのおじさんも物入りである。さらに、それ以前にも少しづつ楽しみを作ってあげてほしい。ということで、クリスマスツリーのように、今から1ヶ月の間だけ、待ち遠しさを楽しみに変えるグッズを並べてみたい。

 クリスマスに限ったことではないが、待ち遠しい日々をどのように過ごせば退屈でなくなるのか、人生もそうかもしれないが、やはり人は希望や楽しみを抱いている時が幸せなのである。まず、そのひとつの具体的な回答を用意してみた。それが写真の一番手前に写っているアドベント・カレンダーと呼ばれるものである。これは、このカレンダー上にある「その日のフタ」を開けて、中に入っているキャンディーとかチョコを取り出してその日に食べるのである。それを楽しみに、みんな寄り道もせず学校から帰ってくるわけで、辛い人間関係も乗り越えられるし、今日の楽しみ、明日の楽しみと、毎日僅かな楽しみの中で過ごし、嫌なことは忘れて、クリスマスイブまでプレゼントを楽しみに頑張るのである。写真の本体は、全て木製で精度よく仕上げてある。このカレンダーを見て、幼い日を懐かしく思い出す人も少なくないと思う。

 12月になると、毎日夕方から家の周囲をLEDの点滅で飾り付けたお宅が見受けられる。このような仕掛けは、お父さんがお休みの日に家族全員でその作業を手がけたのであろう。そんな家族が団結している姿を見たことはないが、しきりに点滅をしている状況をみると、勝手にそんな風景を想像をしてしまう。我々の幼い頃には無かったものである。50年前はせいぜい、小さなもみの木を買ってきてもらい、毎年同じ飾り付けをほどこして24日のクリスマスイブを待つというのが一般的であった。そこで、今日は、押入れの奥から取り出してきた、超小型のライトツリーも一緒に飾っておくことにする。動作としては電球が点滅するだけだが、それでも気分だけは楽しくなる。

 あと、写真のパネトーネ(写真左) は、クリスマスの1ヶ月ぐらい前からイタリアの家庭で作られ、親族や友人に配るという習慣のある菓子パンである。パネトーネ種の酵母を用いてゆっくり発酵させたブリオッシュ生地の中に、ドライフルーツを細かくして混ぜて焼いてある。パネトーネの酵母は国外流通を拒んでいるため、パネトーネのイタリア国外での製造は難しいとされている。写真に写っているものも、もちろんイタリア製。あと、ブリキの長靴(ミニブーツティン)は、マシュマロとチョコレートが入っている。このような小さめのグッズの集合は、大して費用もかからないし、集める品物の形や色合いによってセンスが活かされる。こじんまりと玄関にでもスペースを作って、毎日クリスマスまでチカチカと楽しんでもらいたい。
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補足:子供さんの口に入るものには注意が必要で、グッズの製造元や原産国の表示を確認したり、お店の人に安全を確認するとか、可愛いからと言って無条件で子供に与えてはいけない。

2010/11/23

いつまでも危険な男

 本屋の棚に、今にも飛び掛ってきそうに、こちらを睨み付けているおっさんがいた。私は久々に彼の姿を見た。その姿を見る度に「潮騒」や「宴の後」を思い出すなら健全なファンかもしれないが、私は彼が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の、総監室の前のバルコニーから、急遽集まって来た自衛隊員へ向かって演説する、凛々しい姿を思い出すのである。丁度それは、高校三年の秋の出来事であった。その写真の姿は、自信に満ちて特別格好がよかった。詳しい演説の内容はともかく、「演説の終了後、彼は割腹し、すぐに、介錯された」と書いてあった。その場で、血の気が引いていくのを感じながら、何度もその夕刊の活字を追った。心の中で現場を思い浮かべ、一生懸命否定しながら何度も何度も読み返したのである。その後は、思い出す度に、その日の天気、気温、情景などが鮮明に甦るようになってしまった。

 当時は、彼の小説のことを少しだけ知っていたが、さらに人間像に迫れるほどの知識はなかった。それは、一種の危険な領域へ近づくような怖さと、理解に苦しむ彼の振る舞いによるものであった。その後、大人になるにつれ少しづつ彼を理解できるようになる。彼の略歴は、学習院高等科卒(首席)→東大卒→大蔵官僚→小説家で、本名は平岡公威(きみたけ)である。しかし、よくテレビなどで、三輪明宏さんが彼の印象とか人柄を振り返って話されることがあるが、鋭利な刃物のような鋭い言葉を弄ぶ気さくな(?)人柄だったようだ。また、小説からは、彼の作品は隅々まで造形的で優美を放ち、行間には想像力を超えた輝きがある。勿論、読むほどに味わい深い情景が押寄せ、その根底に流れる、日本人としての規範とも言うべき独自の道徳観と、ずば抜けた描写力のなかにも、繊細な精神構造をうかがわせ、彼の幼少期の育ちのよさを髣髴とさせる。まさに、何から何まで一流を貫いて行こうとする男なのである。

 彼の美学には、崇高なプライドにも似た創造性と芸術性が秘められている。それに引き込まれるファンも少なくないが、一方で、時代を重ねるにつれ輝きを増す、彼のブランド力を支えてきたものに、彼の残した幅広い多様な作品があり、それが彼を月並みな言葉で語りつくせない要素になっている。それも、大方は経歴の裏に秘められた明晰な頭脳から繰り出された文章に映されているが、一方で程遠いと思える、血の通った実証主義的な精神構造を忘れてはならない。自衛隊体験入隊とか、極端に磨き上げた肉体と、「締め込み」が似合いそうな後姿とか、まるで、古き好き日本男児を思わせる姿に忽然と輝きを覗かせる。彼は、理想とする人間像に比して、幼い頃から病弱であったことから、徐々に、自ら肉体改造に目覚め、まるでオブジェのような姿に肉体を鍛え抜いていた。ただ、そのやや行き過ぎた日本男児としての風景からは、たくましくも、しなやかな感触の同性愛を匂わせる。

 そんな、難解ともとれる彼の多様性を眺める時、やはり、小説の作品だけでは、納得の行く三島由紀夫像を知ることは出来ない。立ちはだかる大きな壁に遮られながらも、距離を置くことしか出来なかった当時の未熟な私にとって、今日こそ、この別冊本を紹介しながら、より彼の本質に近づいてみたいと思うのである。その本のサブタイトルには、「小説、戯曲、評論、随筆、いずれの領域でも才華を放ち、昭和と言う時代を疾駆した恐るべき作家の軌跡と展がり」 と飾られている。それこそ 「別冊太陽 の日本のこころ175 三島由紀夫 11月25日発行 」という新手の三島バイブルである。それを眺めながら、1つ1つの作品の寸評をかみ締め、彼の残した写真、元原稿、筆跡、メモ、関係者の話などから、これも1つのチャンスとして、彼の内面へより近づくことで、現代にも通用する日本人ならではの卓越した精神性を追求してみたい。さらに、この歳になって初めて理解できることもあるだろうし、それを自分の糧として掴み取ることが出来るかもしれない。そうすることで、氷が自然にテーブルの上で溶けていくように、長い年月を経た間欠的フラストレーションを少しずつ解消したいと思うのである。
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補足1:締め込み=褌のこと
補足2:中央公論新社から「三島由紀夫と戦後」という本も出ているが、こちらはつまらん。

2010/11/19

リンゴと生姜のジュース

 暑い夏が続いた後の秋は、必ず早々と寒波が押寄せる。しかし、気温の変化は、過渡な変化でもあり徐々に収束する。そこで、今からこんな事を話題にするのもいかがな物かと思うが、他力本願型体温上昇の勧めとでも言えばよいのであろうか、自主性無しに体温を上昇をさせ、如何に手っ取り早くその恩恵に与るかについて考察してみたい。最近といっても、もう3~4年になるけれど、体温を上げると、免疫力が改善されるという説があった。確かに病気になると微熱や体温が上がったりするので、因果関係はありそうだ。それが顕著に出るのが夕方の体温である。夕方微熱が感じられるのは、注意が必要だといわれている。さて、そんな健康の事ばかりではない。寒さに耐える為に体温を上げて活動しやすくしたいとか、あるいは、体温を上げることで血流を活発にして脂肪を燃焼させ、目を見張るほどスマートになりたい(むり)、など理由はいくつかあると思うが、体温上昇志向と言うのが流行り続けている。それは、やはり自分の体で、それなりの効果を実感できるからである。

 一生懸命に体を動かして、体温を上げるのとは違い、体の反応を利用して、あたかも自分の体温が自然に上がったがごとく感じるのがよいのだそうだ。それによって、体も軽くなり、活動的になるなど、愛好家からよく自慢されることがある。それには、生姜や唐辛子が使用されるという。風呂へ入って温まるのと同じと思われるかもしれないが、熱効率的に言えば、体の中心から外に向かって温度の低いところへ熱が逃げる構造が良いのである。一方、私の場合は、ウォーキングで150分ぐらい歩いてくる。すると、ま、先に「暇だね」とも言われるが、体を動かして機能させ、結果的に体温が上昇するという、プロセスが本質的に優れていると思っている。これには理由が幾つかあるが、体を動かすことによって筋肉を強化し、基礎代謝を改善するとか、骨に対する刺激により関節の強化など、運動でしか得られない効能も多いのである。

  さて、食事をしても、それらはエネルギーに変換される。そのエネルギーの75%は体温維持に使われているという。つまり、食事をすると熱くなるのは、温かい御飯を食べたからという単純な理由ではない。実はここに重要な意味がありそうで、その理屈は、今だ解明されていないが体温を高く維持する事は、生命維持にとても深い関わりがあるそうだ。そこに年配者として、現役引退後の重点施策を設定するのは、最も基本的な健康管理と言えそうだ。本当は、幾つになっても軽いジョギングやウォーキングをするのがよいが、そんな暇がないとか、関節が痛むとか、もろもろの屁理屈のような言い訳をする前に、まず体温上昇させる実践をしてみるのがよい。年齢を重ねるにしたがってより効果的になりそうだ。もちろん、若くても低体温の人や、寒さの一番厳しい時期には誰でも試してみた方が良い。

 今日は、リンゴと生姜のジュースを用意した。生姜が入っている分だけ暖かさが継続する。これから寒さも一段と厳しさを増す中、リンゴと生姜の味覚の相性は抜群で、ホットですっきり美味しく飲める。おまけに、しばらくすると、ぽかぽかと思った以上に心地よい時間が過ごせ、引きかけた風邪の症状の鼻水や喉の痛み等は、どこかへ飛んで行きそうな感じになる。こんなに体が楽チンになって果たしてよいのであろうか。ウォーキングが出来ない雨の日は、これも良いと思う。
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2010/11/15

最近の話題を追って

 少ない情報からでも、不条理な発言には苛立ちを覚える。そもそも、事件の背景を調べたり、法的根拠と照合しながら、あるべき姿としての持論を展開するようになると、誰の言葉でも1つ1つに敏感に反応するようになる。それにしても、官房長官が、直接テレビの画面を通して持論を展開する我々に向かって誹謗中傷をするとは思わなかったが、それが彼の防御本能の証かもしれないし、単に彼が未熟者だったのかもしれない。ただ、彼の多くの発言への審判は我々国民の手の中にある。しかし、判断力のない者を選んだ我々にも責任がある。彼は、民主党だが、元は社会党の出身であるために、国と国の関係やグローバルな戦略を手がけるには未熟である。加えて、かつて元小沢幹事長が、今の民主党には政権担当能力がないと内部告発をしたが、全くそのとおりであった。

 今回の「映像流出事件」に関して、広範囲で様々な意見が出て興味深かったが、映像を流出させた保安官を、あたかも犯罪者のような報道をしておきながら、「政府が国家機密と定めた」その映像を、事あるごとに番組タイトルにまで使い、何度も何度も放送するマスコミ(放送局全社)の無責任さには閉口した。自分達は、国民が渇望する取材を何も達成出来なかったにもかかわらず、映像流出後はこれ幸いと、全ての責任を保安官に委ね、その情報(映像)のパクリで飯を食おうとする姿はジャーナリズムの風下にも置けない恥ずべき行為である。また、過度な報道が中国への刺激を増幅させていることに早く気が付くべきであった。こちらの方が責任は重い。本来の正義と国益の両立を願うならば、その映像は適度に自粛すべきだし、あからさまな部分だけを編集した映像を頻繁に流すべきではない。

 結論から言えば、保安官のしたことは 「動機としては正しいが、手段が悪かった」と思い気持ちを落ち着かせるしかない。だからと言って、手段が悪いと責めているわけではない。周囲の同僚を巻き込まないように配慮するとか、家族の将来に及ぶ名誉棄損等を考えていたならば、その時点で手段の選択肢は、無かったと思うからだ。しかし、自ら出頭して「その意図をちゃんと説明をする計画が最初から織り込んであった」とするならば、もっと優位にゲームを進める方法が模索できたのではないだろうか。そこに、美学にも似た、敗因の要素とも言うべき脆さが、隠れているような気がする。ただ、海上保安官であり国家公務員の行為ということで、事件を必要以上に拡大解釈する専門家もいるが、その前に「人としての心情や危機管理としての動機」を重視して評価すべきではないだろうか。今後も見守りたい。

 今回の事件は、我々国民にも責任がある。国境に対しての認識が低いのが主たる原因とも言えそうだが、日中関係の歴史的認識にも欠落がある。戦時中、中国に対して日本陸軍が何をしてきたか、そこを紐解くと、満州事変、南京虐殺にはじまり、横暴な支那を懲らしめよと言って中国全土を侵略し、「人として恥ずべき行為」も行ってきた。日本は勝手にアメリカに負けて敗戦後は生まれ変わったが、一方の中国は侵略された時代から「怒りが収まらない」ままである。65年経っても中国は、今だ心情的には停戦中のままといっても差し支えない。そして、日本はいつどのような形で過去の反撃をされても「文句が言えないほど無防備で脆弱」なのである。つまり今、日本を取り巻く周囲の環境は、戦前より力学的に不利になっている。だから、何事にも注意深く対応していなければならない。なぜなら、人の心の中に植えつけられた憎しみは、簡単には消えないからだ。

 補足1:海上保安本部に「海上保安官をかばってほしい」といった意見が寄せられていることについて、官房長官は、「国民の過半数が、そのように思っているとはまったく思わない。国民は信頼できる捜査を求めており、事件が起こればしかるべき処分をしてもらいたいという、健全な国民が圧倒的多数だと信じている」と述べた。
 確かに、海上保安官の行動としては、問題があるかもしれないが 「事件の情報開示行為として、許そうではないかと熟慮している人達」も多い、あるいは、「よくぞ見せてくれたと賛辞を送る人達」も少なくない。その人達に向かって、そう思う「おまえ等は健全な国民ではない」と誹謗中傷している。
 恐らく、流出する前に映像を見たいですかと聞いたら、ほぼ100%に近い人達が見たいと答えるに違いない。これが「健全な国民」である。しかし、観た後その映像に慣れてしまったら、法に違反してまで見せたのは問題だと言う人が必ず出る。また、優等生のように法律に反するからと言う理由だけで、絶対に許せない行為だったと言う人も出る。これも「健全な国民」なのである。つまり、健全な国民であればあるほど、多様な考えを備え、いつも健全な国民であろうと努力するのである。

 補足2:風下にも置けない:風上おろか風下にも置けないくらい臭くて、恥ずかしい立場だと言う意味である。

 補足3: 11月14日18:00 時点での情報を元にまとめた。

2010/11/12

お魚でパスタ

 ちょいと「高級なイタリアンのお店で、珍しいパスタ」を食べながらヒントを得たかもしんないし、あるいは、酒のつまみにと、台所に隠してあった「さんまの塩焼缶詰」を開けながらイメージを広げたのかもしれないが、・・・・いや、そんな事はどうでもよいのだが、一寸したアイデアで、これほど便利に使える缶詰があったのかと感心させられる。この缶詰には、魚、たとえば、さんま、まぐろ、さけ等を主な原材料とし、そこに、にんにく、オリーブオイル、唐辛子、食塩、調味料、等が缶にパッキングされていて、茹で上げたパスタにそれを加えて、フライパンで炒めれば、な、なんと、「さんまのぺペロンチーノ、まぐろのガーリック醤油、さけのガーリックバター」味のパスタが出来上がるというのである。もちろん、缶詰だから長期保存にも適している。

 ま、何も特別な事をせずとも、簡単に本格的なパスタが出来上がるのである。負け惜しみではないが、小安いさんまの塩焼き缶詰を見ながら、その中にある「さんま」を小さく切って、パスタに使うと、どうなんだろうなと考えを巡らせながら、それでも、保守的にやっぱりレトルトパックを使ってアラビアータを食べるしかない、といった、過去から脈々と続いてきた既成概念を捨て去る必要があるような気がする。なぜ、今までこのようなアイデアが出てこなかったか不思議でもある。誰でも、薄々そう思ってはいても、新たな発想を受け入れるには時間も掛かる。そのリスクに嫌気したのであろうか。それにしても、目の前にあったものを組み合わせただけのようにも思えるが、うーむ、何か新たな技術が必要だったのであろうか。

 魚をパスタの材料にするには、様々に手間が掛かる。普通に考えると、まず魚の鱗や内臓、小骨を綺麗に取り除き、邪魔にならない適度な大きさに裁断しなければならない。もっとも、スーパーなどで売られている、焼き物、煮物、などに使う切り身には馴染があるが、そこから、小さめに切り出す作業が必要になる。板前さんがお持ちになってるような、よく切れる包丁で、毎日魚を捌いていれば、簡単に2cm四方の切り身を作れるかもしれないが、私のような者には、そう簡単な作業ではない。誰でも、そこにそれなりの抵抗を感じるので、手軽に手っ取り早く食べたいパスタにまで、魚の切り身を使うのは最初から考えなかったのかもしれない。

 はごろもフーズは、古くから「みつ豆の缶詰」等で有名で、私が幼い頃、もっとも50年位昔の話なので、今とはまるっきり違うかもしれないけれど、コーン、あずき、ひじきなどの料理素材、あるいは缶詰のデザート、即席調味料、ふりかけ、のり、等を販売してきた。また、ここ近年であろうか 「ポポロスパ」 と言うパスタが用意されている。そうやって、1つ1つ台所にある乾物マーケット(缶物も含む)の地道な拡大を企ててラインナップの充実に努めている。その背景もあって、今日紹介する「お魚でパスタ」の箱にある説明には、「ポポロスパ」という自社のパスタが推奨されている。「ポポロスパ7分結束」と言った具合の表記になっている。

 残念ながら、今回の写真に使ったパスタは、DECECCO Cottura 6 min である。また、皿の上には、いつものように残ったソースを使って食べるベビーリーフを敷いてみた。一寸ハイカラなパスタに思えるかな。どうよ。フライパンで炒める時に、ニンニク、オリーブオイル、唐辛子、等が薫りなどに物足りなさを感じれば、適度に追加すると良い。
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補足 スーパーでの価格の1例。さんまのぺペロンチーノ(価格218円)、まぐろのガーリック醤油(価格268円)、さけのガーリックバター(価格298円)。

2010/11/09

ディスカバリー4-b

  それでも、当時のコンピュータは今のとは違い、自分でプログラムを作って動かすことに重点が置かれていた。そうしなければ、その価値を引き出せないと考えたからで、コンピュータを所有している人に対して、何に使っているのか?当時は誰でも興味の沸く話であった。きっと、難しい事をしているに違いないと考えたからである。 そんな、今とは違った昔の感覚を思い出しながら、この続きを読んでもらいたいが、科学技術計算に向いたといわれるFORTRANには、絵を描く機能など存在せず、プログラムは、ひたすら高速で答えを求める手段でしかなかったのである。ゆえに、CRTの画面をコマンドラインからグラフィックスモードへ切り替えるなんてこと自体が新しいことであった。俺流で言うところの、「うーむ、なるほど」っていう感じだったのである。ということで、今日の出力先宣言は PLOTTER IS 705 である。

 さて、2軒目に就職して、まだ駆け出しだった頃(26~27歳のころだったと思う)、YHPの人達と一緒に仕事をしたことがあって、その時に、まだ日本に入って間もない自動計測システム(販売前)を特別に見せてもらった。そこには、オールインワンで大き目のキーボード台の付いた、テレビのような画面と、その脇で8色のペンを自由に使い分けてデーター結果を描く装置があった。コンピュータは、様々な計測機器とHP-IBで接続されていて、データーを定期的に取得してようであった。プロッタは、データーを取得するとその都度ペンを取り代えてデーターを描いていた。縦横軸のスケールの文字もローマン体で綺麗に描かれていたのには驚いた。 そんな、器用にアームとペンが動いて文字まで描いているさまを見ると、いつかプロッタを自由に使いこなしてみたいと、憧れるようになるものである。当時、その業務用のプロッタは、A3サイズの8色ペンで、決して個人で購入できる価格ではなかった(150~180万円ぐらい)。
  
 それでも、何の為に使うのか特定もせず購入したのが、今日紹介するHP-7470A(54万円)である。HP-GLを参照しながらペンを動かしてみる。個人で大量の被測定物を処理することはないので、別の事を考える。理屈的には「理論や数式を丸呑み」して頭に叩き込むより、少々手間はかかるけれど、視覚的にその現象を把握することが理解を容易にするのではないか、と思ったのである。たとえば、俗っぽい話で例えると、スピーカ・キャビネットの容積Vを求める計算式があったとする。そこそこ複雑な計算式で、幾つかの定数とFc(=キャビネット時のf0)で容積Vは決まる訳だが、逆にキャビネットの容積Vを固定し、その定数であるコーン紙のm0(等価質量)を変えて、対周波数として振幅特性をプロッタに描かせてみるのである。m0をある範囲で動かしてみると、別の現象が分かるのである。そうやって、片っ端からスピーカに関する数式を扱ってみると、「おおっと、そういうことなのか」と、全体の概念を理解するのが早く次々と興味を引いたのである。ネットワーク回路設計においても、コンデンサとコイルの等価容量値から様々にフィルターの特性を描かせることも容易で、すこぶる便利であった。

 さらに手法を発展させ、NTSCフォーマットのRGB信号から、色差信号、IQ信号、ベクトル、バーストの振幅と位相などを同時に生成し描かせてみると、またまた新たな発見があるわけで。映像信号は細かな数式と定数がふんだんに出てくる。一見は難しそうだが、定数同士の関連性が強い為に、数式だけでも理屈を把握出来そうだが、実際にグラフにしてみると案外全体の理解も早く深められるし、このNTSC自体が大変よく考えられている事が分かる。早い話、NTSCの仕組みの面白さがすぐに分かってくるのである。つまり、数学の得意な人にとっては、どうって事無いことでも、そうでない我々として、コンピュータとプロッターを使いこなすことによって、一歩先を進む事が出来るわけで、当時は複雑な数式であれば、ついついプログラムしてプロッターに描かせるということで遊んだ。本来、もっと幅広い知識と教養があれば、さらに面白い利用方法が可能になったに違いない。いつの時代も、コンピュータというものは、使う人達のアイデアによって価値が決まるのである。ではこちら
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 補足1 YHP 当時の横河電機とHPの合弁会社である横河・ヒューレットパッカード㈱のこと。

 補足2 HP-GL グラフィック ランゲジーの略で、プロッターに線や点、文字などの絵を描く為に使用するHP独自のコマンド体系。後々、他社のプロッターも、ほぼ100%HP-GLをサポートしている。

 補足3 輸入品で一番苦労するのが取扱説明書の言語。しかし、同じ様な製品を販売した日本の電気会社の説明書より、「はるかにHPの英語の説明書の方が分かりやすかった」のは何故か。

2010/11/05

関西風あさりめし

 貝類を使った炊き込みご飯は、大変美味しい。それだけではない、貝類を使ったお吸い物や味噌汁も美味しいし、何の料理でも貝類を使うと美味くなる。そんなことで、今日は、その代表ともいえる「あさりめし」を作ってみることにしたい。このスーパーやデパートなどで販売されている「炊き込みご飯の素のパッケージ商品」は、さほど高価ではないので、手間を考えると便利な商品ではあるが、やはり、出し汁に長時間浸かって、出し汁の燻製になっており、生々しさと言うか、新鮮さからは少々程遠い。確かに、お米に加えるだけなので便利なことは確かだけれど、自分なりのこだわりが活かせない。そこで、生の素材を使用した時の作業を想定して話を進めることにする。写真にも、生の素材を加えて、創作意欲を刺激したい。

 実際の生のアサリを使った炊き込みご飯の場合は、最終的に仕上がりのイメージを描いてから始めるとよい。ポイントは、いくつか考えられる。まず、1.御飯の炊き上がりの硬さを考える。そのためには、お米と炊き込む水分の濃度を調整する。通常の水だけの場合の硬さと、出し汁を使って炊き上げる御飯の硬さは、当然異なるわけで、最初にお米にお水を浸透させておくようにするのが良い。お米を洗った後、お米が沈むぐらいアルカリイオン水で浸たし1時間放置する。一方で、2.食感と薫りの豊かな御飯にする為に、生のアサリのみを用意する。お米1合当たりアサリ200g程度用意して、たっぷり美味しく作る。砂を抜き、アサリがしっかり浸かる位置まで水を入れ、活きている間にボイルする。貝の口が開いたら取り出し、出し汁の出たお湯の部分と貝を分けて、出し汁には、醤油、日本酒、昆布1切れを入れて再び一度沸かして冷やす。貝は冷えたら身を取り出しておく。

 お米にアルカリイオン水が染み込んだら、冷めた出し汁を加える。出し汁が多く残っていれば、お米の水を捨てて、指定の分量まで出し汁で埋める。後は、炊飯スイッチを入れるだけである。出し汁の醤油は、好みによって増減させるが、控えめにしてアサリの旨味を生かす高級料亭風にしたい。日本酒は量を増やすとおこげができるので、田舎風に仕上げる時には、日本酒を増やす方が良い。あとは、生姜を千切りにして炊き上がった御飯に混ぜるか、後乗せとして用意する。ピリッとする生姜の食感とアサリの程よい薫りが食欲をそそり、たいへん美味しい。

 これだけの手順でも面倒だと思う人に最適なのが、今日紹介する、炊き込みご飯の素「あさりめし」である。お米にこのパッケージを投入して炊き上げれば簡単に出来る。ここで、注意するのは、上記の1の部分に相当する水分量の浸透圧の関係である。そこだけは、1と同じ手順で行えばよいが、面倒な場合は、お米に加える出し汁を通常より多めにセットし、炊き上がりも十分に蒸らすことがポイントになる。これを間違えると、炊き上がりが硬めになり、冷えたら硬過ぎに感じる。今日紹介した手法は、母親伝授の「広島仕立ての牡蠣飯の作り方」を、アサリに水平展開したもので、「関西風のあさりめし」になる。もちろん、今日紹介しているパッケージは、香川県小豆島の製造商品である。 
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2010/11/02

1本満足バー

  我々にとって「ゆるい拘束時間内の空腹ほど辛い物」はない。おおよそ、空腹感というものは、ある周期で何度か襲ってくる。1度目の空腹感は、自分の健康状態を示すバロメーターとして、「よしよし、今日も快調」と励みになるかもしれないが、3度目ぐらいになると、本気で「お腹が空いた危機感として、大脳から特別な指令が出る」。人によっては、不機嫌になったり、いらいらしたりもする。それは、丁度時間的にも18時~19時頃かもしれないし、仕事が一息ついたもっと遅い時間帯かもしれない。そんな、微妙な緊張感の中で、机の引き出しに隠されたお菓子を取り出して、ボリボリと口にすることがある。

  人は、普段と同じ環境に置かれていれば、お腹がすいたら、どのような物を食べたいか、冷静に考えられる。体の事を考えて、ある程度は我慢も出来る。しかし、徐々に忙しくタイトな時間に変貌してしまう環境の下では、その様な余裕はない。例えば、夕方から始まる会議がそうだ。空腹では、いつもの積極性が抑えられ、新しい提案も浮かばなくなる。それでは駄目だ。いつまで続くか分からない会議に、自分の考えを力説したり、参加者全員に納得してもらう為には、パワーが必要なのである。だから、何か点火剤を口にすることで、いつもの沸き上がるエネルギーに変えて 「会議に臨みたい」と考えるのである。そんな活力ある現場に立ち会ったことはないが、大塚製薬のソイジョイは、独自に売り上げを伸ばし続けてきた。また市場も拡大し続けているように、明治製菓やアサヒフードアンドヘルスケアも品種を増やしたり、リニューアルして商品を改善している。今日は、そのアサヒフードアンドヘルスケアの製品を食べてみることにする。

 名称は「1本満足バー」という。それは、1.少しの量でも大きな満足感がある。2.本当に美味しい製品を目指す。3.栄養素をたくさん含んだお菓子にする。4.実売価格で100円以下が目標。と、1本でも、何とか満足出来るお菓子を目指してきた。それは、いったいどうやって実現しているのかというと、まず、他社製品に対して若干成分バランスを変えてきた。比べてみると、1.全品種190kcal前後と、若干カロリーそのものが高い。2.歯ごたえの良い硬いタイプと柔らかいケーキタイプの2種類を用意した。3.明確な甘さを打ち出している。4.5種類のビタミンを配合した。 と言うのが特徴だ。それが、従来に比べて「満足感を拡大した」のである。ただ、この手の商品を愛用している人達にとってみれば、商品の種類が増えたのと同じ効果でしかないが、従来品では、甘さとか満足感に今ひとつ物足りなさを感じてきた若者には、この「1本満足バー」は、それらの課題が解決されており、ニーズにミートした商品になったと思える。

 そこで、最初の「ゆるい拘束時間内」の空腹に話を戻すと、そんなデリケートな時間帯には、どの製品が最適か迷う事も多い。それも、好きとか嫌いとかではなく、どのタイミングで口にしたら、どのくらい気持ちを抑えられるか、あるいは、それらを口にしても、果たして後々美味しく夕食を戴く事が出来るか、やや矛盾する気持ちが頭をよぎる筈である。やはり、この「1本満足バー」の食べ方を自分で模索しなければならない。食べた時の満足感は、食べ心地と腹持ちのよさの2つの要素に分けられるが、このシリーズは、十分な甘さに特徴があり、一種独特のダイエット食品の食感からは程遠く、昔風のお菓子と言えるほど食べ心地が良い。少し違うところは、食後の腹持ちが良すぎるところだ。これは、グルコマンナンやセルロースという消化分解できない繊維成分が適度に組み合わてある為と推察される。この腹持ちの時間は人によっても違うので、慎重に評価しておきたい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21822&app=WordPdf

補足 グルコマンナンは蒟蒻芋に多く含まれる水溶性中性多糖で、体内の消化酵素では消化できない。消化器の中で水分を吸収し何十倍にも膨れる。そのためダイエット食品に多く使われている。

補足 セルロース 繊維質で、木の葉や木材に含まれる。それはグルコマンナンと同様に人が体内で分解する酵素を持っていない。