2010/06/29

京王フローラルガーデン6

 人は、どんなに美しい対象や風景でも、見慣れると飽きてくるし、同じパターンで分類できるものは、それに心を踊らされる時間は短くなる。また、他の人も自分と同じ画角や目線で、同じ様に対象物を見ている筈だ、と勝手に想像してすぐに飽きる。その2つだけ取り上げても、大脳は物の見え方に、かなり身勝手な振る舞いをしていることがわかる。だから、その大脳の振る舞いをそのまま受け取っていては、その対象となる物の美しさを見逃してしまいそうになる。だから、時折、大脳の性質を覆すように、新たな視点を展開するか、リセットして初心に戻る必要がある。

 本来、新たな視点の展開は様々な場面で役立つが、それが、こと写真撮影には重要な働きになることがある。まず、その1つとして、今の目線でフレームワークを決めてはいけない。これは、自分の視界で見えているものが全てだと考えないようにするためである。「大脳は、観たものを、すぐに大雑把に記憶しようとする。そして、頭の中で立体的な対象として認識を深めようとする。」 これが、実は新たな視点の開拓の邪魔をしているのである。たとえば、見慣れた認識の強い風景は、本来その風景の魅力とは裏腹に、それを絡めた構図に大脳がすぐに飽きるので、思考を中断あるいは撮影を停止する可能性が高い。そこで、そのような認識の強い風景こそ再考をすることで、魅力ある写真になる可能性が高いのである。

  さて、屁理屈はこのくらいにして、今日は、フローラルガーデンのボンドガーデンにある、ベルサイユ宮殿の「愛の神殿」をモチーフにしたというドームを撮影してみた。あまり露骨にドーム全体を表面化せず、いくらか想像してもらった方がよいと思い、やや背後から狙ったようなフレームになっている。ここが再考の結果である。また、ドームの水周りを画面の中央水平線上に置くことで、縦の柱の線を強調して構造物としての美しさを出した。 また、床と天井の両方が見える高さで、水面に明るさが反射して写り込む位置までさがって撮影し、暗部のコントラストを強調した。

  このボンドガーデン一帯と池の周囲は、ドームを中心として、このフローラルガーデンの最も象徴的な空間だと考えられる。そこで、幾度か周囲を重点的に撮影してみたいと思う。前回の紫のヘリオトロープ、赤と黄色のガイラルディア も、この写真では池の向こう側の、さらに右奥で撮影している。この時の撮影には、ドットピッチ6.4ミクロンタイプのカメラを使用して、柔らかさの中に精細度を重視したが、今回のようなロケーションでは、ドットピッチ8.8ミクロンタイプのカメラを使用し緑色の再現性と色のダイナミックレンジを確保している。
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補足 ドットピッチ 表示パネルや受光素子の3色フィルタ間の距離のこと。ここでは、35mm版CMOS受光素子のドットピッチのことで、受光面積が同じでドットピッチが小さければ高解像度、大きければワイドダイナミックレンジとなる。実際に撮影比較でも画質の差は顕著で、それぞれ得意と不得意があり、被写体による使い分けには必然性がある。

2010/06/25

Xavi(シャビ)

  ワールドカップが始まってから、日本代表チームも健闘してくれて、欲を言えばきりが無いが、とりあえず応援のしがいを感じている今日この頃である。今までの事を水に流すほどではないにしても、そこそこ気分も良好である。今日はデンマーク戦だが、さすがにずっと起きていられないし、情けない奴だと思われても仕方ないが、やはり睡眠をとることにしたい。ゲームを観戦した後は、酷く体調を崩してしまうからだ。そして、代表チームに対しては「悔いの無い試合」をして欲しいということ、と、もう1つ、全員 「怪我をしないように」と願っている。・・・ということで、目が覚めるのが楽しみというのは、今回のワールドカップならではの醍醐味といえる。

  グループリーグを抜けて、すぐに次の試合で敗退してしまうと寂しいかもしれないが、越えられない厚い壁に跳ね返されて、早々に指導者や監督の育成も重要である事を思い知るべきである。だいたい「全員で10%余計に走れば、フィールドプレーヤが1人増えたのと同じだ」なんて、(言ったかどうか確認したわけではないが)そんなイマジネーションの無い事を平気で言う監督は、ベスト4を狙う資格は無いし、即刻更迭すべきである。ただ、代わりがいないのが悲しい現実なのである。選手は、代表になる為の激しい競争があるのに、「監督には競争すらないし、交代(チェンジ)すらない」。そういう国では、サッカーが強くなるはずは無いし、当然、選手は監督と「勝ち抜く戦術やそのためのイメージの共有」をすることもない。だから、過去3年間を水に流すことは出来ない。まさに、逆戻りした無駄な時間だったといえる。

  さて、場所を変えてアンカーを打ち直すと、4年に1度のワールドカップを楽しむのにも、人は様々な目線で追いかける。国対国の戦いだけど、そこはそれ、前評判どおりいかないのもワールドカップの宿命。フランスのようにグループリーグですら敗退してしまう可能性はある。だから、応援すべきは、別の国のプレーヤであったり、負けない国の中から次のプレーヤを探す必要もあるわけで、誰しもワールドカップを最後まで楽しませてくれるプレーヤを密かに探し続けなければならないのである。今回のワールドカップの不動の人気では、クリスチアーノロナウド、メッシあるいはマラドーナかもしれないが、グループリーグでの活躍で浮上してくるプレーヤもいる筈だし、2戦目で、やっとエンジンがかかり本来の力を出せるようになるチームもある。見た?凄いよね、うーん、イマジネーションに溢れてるし、これぞスペインといわんばかりのプレー、やっぱり注目しておきたいプレーヤは Xavi だねー。というのも、今や世界の常識といえる。

 1戦目は、トップにメッシがいない事を、まだ実感できなかったせいか、攻め手に欠いていたが、2戦目から調子を戻した。彼の瞬間芸にも、たった1本のパスにもファンになりそうだが、何故そんなプレーができるのか、他のプレーヤと何が違うのか、それを紐解くには、やはり本人の書いた「バルサに生きる」を読んでみるのが早い。 彼のモットーは、「バルサでプレーを続け、バルサで引退すること」だという。そのくらい、バルサで学んだ事が豊かだったし、厳しい環境だったに違いない。確かに、世界の一流プレーヤが入れ替わり入ってくると、チームに馴染むにも、互いのイマジネーションの共有も幅広い適応力が求められるのだろう。この本に書かれていることは、バルサのDNAに始まり、優れた指導者、厳しい監督、優れた技術の持ち主、最高のフォワードなど、その時々において彼を取り巻いていた環境や素晴らしい仲間の存在である。また、彼は、これらの環境や境遇、あるいは、その周囲の人達に対して敬意を払い、親しい友人としても、それらの周囲の人達に支えられて成長してきたことを謙虚に認めているし、その人達に対し、30歳になった現在でも尊敬の念を忘れていないのである。 サッカー選手としては、ちっちゃいおじさんかもしれないが、義理と人情に厚い真摯なプレーヤと言えそうだ。
 ではこちら
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補足 パサー:パスの出し手てのこと。単独でパサーという表現をする場合は、暗に、世界一のという言葉が隠されている。

2010/06/22

国産果実 MYJAM2

 前回、減圧・低温で煮詰める真空釜製造のジャムとマーマレードを紹介した。その製法は、既に手作りでは到達できない領域に達し、微妙な果実の美味しさを閉じ込めているといえる。一方で、それだけ、素材の違いが出やすい製造方法とも言えるため、逆に素材が不安定な場合には、ジャムとして「安定した品質を提供する難しさ」も存在していると推測できる。したがって、その果実の入手にこそ、同社の世界的な調達の枠組みが活かされているようだ。

 このジャム群の全体的な印象としては、生の持つ美味しさを残しながらも、時間を掛けて煮詰めた昔ながらの食感とは大きな違いがある。この雰囲気に近い物を作ろうとすると、果実と砂糖を工夫して短い時間で調理すれば、それに近いものになる。自家製としては、それで十分美味しく戴けるが、日持ちはしないし、全国向けの流通商品としては不適合である。そういう視点で、前回紹介した果実実感シリーズは、商品としては、ある程度甘さを控えた食感であったし、果実の加工状態の粒粒感も良く残っていて、安定した商品になっていると思えた。

 同社は、果実の持つ素材としての良さを引き出すために、この製造方法で、様々な果実を試してきたと伺える。今回紹介するのは、白いキャップの 1.福岡県あまおう苺、2.栃木県とちおとめ苺、3.青森県産ふじリンゴの3つのジャムと、4.宮崎県産日向夏のマーマレード1種である。そんな、国内産地と品種がわかるほどの製造技術なのかと疑問に思われるかもしれないが、きっと、生産者からは違いの分かる製造技術と賞賛されているに違いない。この素材の違いなら、軽く再現出来ると言わしめるほど、今日紹介する国産果実シリーズは、こだわりのある製品となっている。また、長い年月、真空釜製造のノウハウを積み重ねて来た事が理解できる。一方で、如何に日本の果実が、手間を掛けて美味しく作られているかも分かるのである。

  前回の果実実感シリーズは、果実としての美味しさが残ったジャムと言う感じであったが、今回の国産果実シリーズは、ジャム自体の味にピュアーでストレートに果汁、甘味、食感が伝わってきて、素材の贅沢さがうかがい知れる。つまり、ここまで突き詰めれば、ジャムに興味の無い人でも美味しいと思うに違いないし、どのようにして作られているのかも知りたくなるに違いない。価格も50%程度高いので購入時には少々迷いが出るかもしれないが、今回の国産果実シリーズは、1度食べてみる価値はある。 食べ方は、そのジャムの味をしっかり味わう為に、ストレートにそのまま口にしてみてほしい。
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補足 今回紹介できなかったが、ファミリータイプ(普通のタイプ)のイチゴジャム、ブルーベリージャム、オレンジマーマレードと3種類用意されていて、それぞれ糖度60度と甘く、390g入り300円がある。 

2010/06/18

昭和の流行歌5

  日本でグループサウンズが流行したのは、紛れも無く、海の向こうのビートルズの影響だが、元々ギターの数少ない弦を使って作曲すると、単純なコード進行で、素人でも親しみやすい曲になる。おまけに、エレキサウンドは、音量の大きさと響きに特徴があり、重低音も出るので、体で感じる音楽と言っても良く、ライブじゃなきゃ面白くないと言うファンは多かった。ただ、残念なことに、グループサウンズの時代は長く続かなかった。メンバーは、演奏技術にはめっぽう強いが、作詞、そして歌唱力に脆弱なところがあったためだ。だから、作曲と演奏を重点的にフィーチャーしていけば、もう少し長続き出来たかもしれない。

 そこで今日は、グループサウンズのエレキに女性ボーカルを組み合わせた歌謡曲を思い出してみたい。そこには、昭和の流行歌を振り返る別の風景があったともいえる。その代表格が、何といってもベンチャーズと奥村チヨ(当時20歳)の「北国の青い空(1967年)」、そして渚ゆう子(当時25歳)の「京都の恋(1970年)、京都慕情、長崎慕情」、である。そうそう、奥村チヨさんと言うと「ごめんネ・・・ジロー」に始まり、恋泥棒、恋の奴隷、恋狂い、中途半端はやめて、悔しいけれど幸せよ・・の恋シリーズとは一線を画す曲調だが、二人ともベンチャーズと組んだ曲は、群を抜いて完成度が高い。

 実は、この二人の曲は、何曲かマスターテープのコピー(2TR38)を持っていた。いずれも、ボーカルありと、なしのカラオケも記録してあって、当時としては物凄い重低音が入っていたのに驚いたが、一昨日取り寄せたこの2枚のCDは、そのあたりの処理も含めて綺麗に修正されていたが、それでもやはりあの、地を這うような重低音は圧巻で、2TR38テープよりCDの方が、もたつきのないすっきりした音作りになっている。ご自分の装置の低音域に不満のある方は、これらのCDを用意されたい。不満は一挙に解消するはずだ。二人とも、いわずと知れた東芝EMIの所属でCD番号は 渚ゆう子 ゴールデンベスト TOCT10879  定価1,980円 奥村チヨ ゴールデンベスト TOCT10878 定価1,980円 となっている。

 このゴールデン・ベストの良さは、シングル・レコードを集めたような選曲で、間違いなく流行した曲が入っているところにあるが、一方で、タイトルだけでは、すっかり忘れていたと思えるような曲を聞きながら、「あーっ、この曲かあー」と思い出せる点にもある。 また、よく知っていると思っていながら、実際に耳にすると、一際懐かしく感じる曲もある。たとえば、「ごめんネ・・・ジロー」が流れてきた瞬間、1965年の流行歌なので、丁度私は中学時代で、クラブ活動の後、学校の校門を出て左側のうどん屋で「うどんを食べている情景」を思い出してしまった。それだけではない、友達どおしで互いに謝るときは、必ず「ごめんネ・・・○○○ー」とよく言ったものだ。もうここまで来ると、懐かしがっている場合ではない。讃岐うどんを無性に食べたくなり、高松へ遊びに行きたくなってしまった。

 渚ゆう子さんは、ハスキーな歌声だけでも魅力的で商品価値は高いが、演歌やハワイアンも大変上手であり、演歌からポップスまでシームレスにこなす技巧派といえる。京都のイメージが強いが沖縄出身の方である。最近、珍しくテレビで当時の曲を聴かせてもらったが、やはり重低音がないと、あのハスキーな声が全くつまらなく聴こえてしまう。やはりレコードを聴いた方が良い。奥村チヨさんは、一般的に恋シリーズの印象が強く、甘えたような歌い方というのが、もっぱら定着しているかもしれないが、あのような歌い方はレコードの販売戦略そのもので、本来は音域が広く、音程がしっかりしているのが特徴。この「北国の青い空、終着駅」では、その歌唱力を存分に発揮している。また、どちらかと言えば、外見からは「北とか、寒い」とか「冷たい」のイメージが強いが、現在でも通用するお化粧スタイルを当時から実践し、今でも若い女性からの支持も厚い。案外先進的で楽しい人のようだ。 余計なことだが、お二人とも、私より年齢は6~8年ほど先輩である。
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2010/06/15

聴診器

 今日は、道具の持つ洗練されたデザインを写真にしてみた。この聴診器は、昔、仕事で関わった時に戴いた物で、その時は、超音波装置の購入者へノベルティーとして用意された物だと聞いた。そう、家一軒より高い装置を買って、抽選に当たると聴診器が貰えると言うもののようだった。当時、私の一寸した事が、同社の担当者の難題を解決する事が出来て、そのお礼という形で頂戴したものである。昔から、この会社の商品は高額だったため、たとえ聴診器といえども、殆ど個人で所有しているドクターはいなかったと思う。使い道に首をかしげながら、当時、周囲には、音の良さとデザイン等を自慢した記憶がある。
 
 現在この会社は、プリンタとコンピュータの会社になってしまったが、かつて1999年までは、世界No.1の計測機器メーカーであった。そして、世界のトップクラス(SIEMENS,philips,GE 等)の巨大企業がひしめく医療用診断装置分野でも、心臓用の超音波装置で圧倒的な性能を誇り、世界No.1として君臨していた。1980年に64チャンネルの心臓用超音波装置を世界で最初に開発している。当時としては極めて高速な性能を備え、心拍をリアルタイムの動画映像で表示できている。現在でも、心臓専門の病院を訪れてドクターに聞くと分かるが、この会社の超音波装置を使うと心臓の弁の動きや血流の様子がつぶさに分かるらしい。そして使い慣れると、他の会社の製品は使えなくなる、ということのようだ。その歴然とした性能の違いは、今でも常識のようである。

 分野の違う、電子機器製造関係の会社で働く、少々古いエンジニアへ、その話をすると「やっぱりな」とうなずく。今、仮に自分が開発した製品のデータを収集して、世界中のエンジニアに公表したいと思ったとき、この会社の計測器を使ってデーターを収集していなければ、相手にしてもらえないことを経験的に知っているからである。まさに、プロフェッショナルが使う道具を作る会社だったのである。これらの計測機器は、外見からは想像も出来ないが、極端に優れた価値を備えている。そこには、計測理論はもとより、マニュアルやコネクタ、つまみ1つに至るまで理論的にも電気的にも正しい構造を備え、徹底した思想に溢れている。それは、使えば使うほどに価値が分かってくるし、信頼できることもわかる。それがその優れた道具の備える価値なのである。そして、いつしか、プロフェッショナル1人1人がその徹底した計測器の設計思想に憧れるようになるらしい。

 デザインには、その道具が備えている性能、機能、使いやすさなど、全てが反映される。使えば使うほどに、使う気持ちの良さが伝わってきて、すぐに体の一部になろうとする。そして、単純な道具になるほど、それは顕著になるのである。聴診器は、50年ほど前にこの形になってから、今日まで殆ど変わっていないが、この会社の聴診器は、やはり、無駄がなく「とびきり美しいデザイン」をしている。PDFに示したとおり、かつては、完成品のみならず、全ての部品が1つ1つ販売されており、組み合わせた時の完成度も非常に高い。
 
 さて、聴診器なんか何に使うんだ、と問いかけられそうだが、映画などで良く見かけるシーンで、古い大きな金庫を開けるときに一緒に使ってもらうと良いと思う。金庫のない人は、自分の心臓の音を聞くと、凄まじい重低音を聴く事が出来る。これは映画館のスピーカからの音では、絶対に再現できない重低音のファンダメンタルが含まれている。さらに胸部の呼吸音、これに雑音を感じたら即病院へ行ったほうが良い。そしてもう1つ、胃腸の動きなどを聴くのはどうだろう。とまあ、せいぜい自己診断の為に1個ぐらい常備しておいてもよいかもしれない。勿論、ペットの健康管理などにも役立つ。 いずれにしても、解剖学的な勉強はしておかなければならない。
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補足 このhp社は、1999年に会社分割が行われ、コンピュータ分野と計測機器分野(電子計測、化学分析、医療診断、電子部品等)が分かれて別の会社になった。その計測機器分野は、アジレント・テクノロジー社が受け継いだのである。しかし、同社は、医療機器部門を2001年にフィリップスに売却している。そこで、当時を思い出せるようにpdfを仕上げたが、製品番号、部品番号は、hp社時代のものである。

2010/06/11

京王フローラルガーデン5

  今日は、アタッチメントを取り付けて入射光を計測できるようにセットした露出計を持ち出した。例え趣味でも、技術的に明快な作法をもって事に当たると、様々な状況変化にも対応でき、一寸した単純なことにも迷いがなくなる。写真撮影も例外ではない。撮影を効率よく進める為には、その日の天候、風向きなどによって、あらかじめ撮影手順を組み立てておくとか、十分な準備をしておきたい。そのために露出計などの道具を揃え、おおよその絞り値まで想定しておく。現場では、理屈どおりに撮影すれば1ショットでよいが、迷いがあればその分ショット数が増えることになる。デジタルでは後々の処理に時間がかかり、その迷いから生じた無駄なショット数に比例して数倍の時間や資源を浪費することになる。それらは、決して撮影者の能力向上に役立つ物ではないので、たとえ趣味と言えども無駄である。

  露出を計測するには「反射光式と入射光式」の2つの方法があり、カメラに搭載されている露出計は、反射光式の露出計と同じ原理と構造を備えている。これは、被写体から反射して、レンズを通して入ってくる光を計測して露出値を決めている。そのため、基本的には被写体の反射率が明確になっていることが前提になる。そこで、グレーチャート(18%反射率)を測光して基準にする。反射率が分かる被写体の集合では、フレーム内でダイナミックレンジまでも評価できるが、グレーチャートがない場合、全くお手上げになることがある。たとえば、通常のカメラの露出計を使った撮影では、明るい物を撮影すれば暗くなり、暗いものを撮影すれば明るくなることからも、それが良く分かる。また、被写体が小さい場合は、背景の明るさに影響を受ける。白バックだと被写体は暗くなり、黒バックでは被写体が明るくなる。 このような写真になった場合は、露出補正機能を使って修正し、再び撮影し直す。これも相当な無駄である。

  一方の、一般的な露出計は入射光式である。これは、被写体に照射されている光を計測して露出を決めるので、被写体の反射率や背景の明るさに影響されない露出値が得られる。計測方法は、被写体の位置で白い半光球をカメラのレンズ方向へ向けて行う一般的なものだ。写真館などで記念撮影をお願いすると、この方法で露出が決められる。これは被写体に近づいて露出値を得る場合は、特に有効といえる。また、ストロボを併用する撮影にも応用が簡単なためスタジオ撮影で多用されている。一方、遠くの被写体の撮影には適さない。撮影条件が様々に変わる趣味の撮影では、スタジオでも、フィールドでも、どこでも、そこそこの写真を撮影する必要があるため、「反射光式と入射光式」の両者を適切に使いこなせる必要がある。そうすると、経験の無い撮影場所や被写体でも、理屈通りに撮影すれば適正露光で撮影できるようになる筈である。  

 さて、今日の写真は、2枚の写真を上下で並べるレイアウトにしてみた。その為に肉眼で見た距離感と同じになる焦点距離 50mm (画角水平40度)レンズを使用し、露光は、撮影場所2箇所で入射光で露出を測定し、絞り値とシャッター速度を2枚とも同じで撮影している。これによって、2枚の写真は同じ露光値になっており、上下の写真の明るさによる違和感はない。仮にカメラ内蔵の反射光式露出計を使うと、2枚の写真の被写体の反射率が異なる為、明るさの異なる写真になる場合が多い。さらに、適正露光より明るく撮影されてしまうと、色成分が飽和した写真になってしまうことがあり、正しい色再現が得られなくなる。 このあたりは、後処理では修正できないため、撮リ直しを余儀なくされる。やはり最初から理論値での撮影を心がけたい。

 この写真は、フローラルガーデンで撮影したもので、写真上部の紫の花は、Heliotropium=ヘリオトロープ、写真下部の赤と黄色の花は、Gaillardia=ガイラルディア である。やはり、PDFに変換してあるために、やや色の品位や細部の色の分解能などを通して、画質の劣化が良く分かる。
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補足 一般的な露出計は、アタッチメントを交換あるいは追加して、入射光にも、反射光にも、ストロボ光にも対応して、正確な露出を計測できるようになっている。その様な使い方が出来るようになると、状況分析も速く出来るようになる。

2010/06/08

ビーフシチュー

 階層化された記憶の階段を下れば、そこには次のテーマが置いてあった。何らかの共通項でくくれるものは、「必ず近くに、類似する物が」存在しているのである。そうやって、原稿のテーマは案外単純な思考構造から生まれている。その記憶の連鎖ともいえる繋がりは、自分なりに強引に特徴を抽出するところから始まる。たとえば「神戸の珍しいカレー」を紹介した後は、「ビーフシチュー」ということになってしまった。どういう共通項を評価するのか、いまだ曖昧模糊としているが、これを1つの理屈で強引に連結してこそ「納得感のある話」になると思われる。ただ、この2つは、記憶の階層そのものが違っていて、やや別のアプローチが必要であった。

 残念ながら、カレーとは違いビーフシチューは記憶に単独ホルダーが存在していない。そのくらい、ビーフシチューを自分でハンドリングする事が少なかったからでもある。しかし、記憶に付随した良いイメージはたくさん残っていて、そういうイメージは、どのような時に空腹感と連携して食欲に結びつくのであろうか。

 「物凄く興奮する本」のところで、新幹線100系の食堂車の話を書いた数日後、新宿へ出かけた帰り際、思い出したように、そうだ「あそこは、まだやってるかな」と、いつもの(新幹線の食堂車で使われていたのと同じビーフシチューを出す)喫茶店へ寄ってみることにした。数年前、そのビーフシチューに遭遇したときは、懐かしさもこみ上げてくる物があったが、「いつでも食べられる」と思った瞬間から足は遠のいてしまった。しかし、新幹線の話を書いた後は、また久々に哀愁列車の食堂に乗り込むような気分になってみたいと思ったのである。それにしても、だいたい、こういう食事は、様々な振動や左右に揺れを感じながら、延々と続きそうな車窓の風景を追いかけながら、少しせわしなく、しかし、こぼさないよう戴くところに価値があったようだ。横揺れも無く、他人のひそひそ話まで聞こえてしまいそうで、ぼんやりとした灯りと空気のよどみの中では、あの味はどうもしっくり来なかった。

 また、「昭和の流行歌」のところで、文化放送にいた知り合いの話を書いたが、彼と打ち合わせをしていたのが有楽町の洋食屋で、そこのビーフシチューは、大きな肉のかたまりをスライスして並べ、その上から濃い目のデミグラソースがかかっていて、付け合せにちょろっと野菜が添えてあった。少し脂身の残ったローストビーフと言った感じの風景だが、たっぷりとした柔らかいお肉に舌鼓を打ったものだ。当時、それを初めて口にした時は、「やっぱり、都会のビーフシチューは、ちがうんじゃのお~」と感心したものである。現在では、その様なビーフシチューを出すお店を見かけなくなったが、当時としては、目も、お腹も満足する大好きな洋食屋であった。もちろん、三菱電機のスピーカユニット TW-25、PW-125の取引もそこで行っている。

 そんな古い話ばかり挙げても切りが無いが、確かに興味を持って食べてきたことも事実と言えよう。外で良いイメージのある料理は、自分でも何らかの手を尽くして楽しんでみる、と言うのが男の料理の始まりで、材料は贅沢に、手間は惜しまないのがその流儀である。また、平素からその料理を研究し、香辛料の整備から鍋、フライパンに至るまで専門的に揃えて、自分の創作意欲を盛り上げるのである。そして、休日には頭の中で最終イメージを描きながらアプローチするわけだが、こと、ビーフシチューを作る工程は、やや複雑でもあり、今ひとつ出来上がりの「こくを出す」のに苦労したのである。ここが上手く出来なければ、全くつまらない料理になってしまう。

 そんな理由から、最近はむやみに手を出さず、もっぱら市販のレトルトを買ってきては、「うーむ、今ひとつだよな!」と評論家になっているわけである。常々カレーとかビーフシチューとかは、元々レトルトに適した商品なのだが、それがここで言うところの共通点ではない。むしろレトルトの良さは調理の容易さにあり、少し自分なりの工夫をすることで、充実した一品に仕上がるところにある。その工夫のバリエーションに耐えられる味かどうかが、商品の魅力になるのである。実は、この2つの共通点は味にあり、どちらも珈琲屋さんが作っていて、美味しいと感じる部分に共通性、濃すぎてもいけないが「煮詰める料理特有の一種のこくと深み」を感じるのである。これは、物作りのコツのような部分で、一口目から味わい深い。
 
 そういった意味で、行列のできるお店の監修であるとか、100時間掛けているとか、厳選した素材を贅沢に使ったとか、そういう理屈にも似た言い訳を前面に出すより、誰にでも分かりやすく明快な味付けに価値があるのである。少々長い話になってしまったが、これが「神戸のカレー」と「東京のビーフシチュー」が何の脈略も無く、私の「近くに、類似する物」として存在する理由なのである。今日は、そのビーフシチューにブロッコリー、にんじん、じゃがいも、さらにパスタを追加してみた。さらに、ボリューム感を出したい時は、薄切りのしゃぶしゃぶ用のお肉でも炒めて乗せると良い。そんな使い方ができると言う点でこのビーフシチューは、ソースとしても美味しい。
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2010/06/04

今からマイナス20歳

 テレビでは、菅野美穂ちゃんが5歳若い夕方肌とか宣伝しているが、今日のテーマは20歳若い肉体の取得である。もっとも、今40歳ぐらいの人が、20年後でも今と変わらない肌艶で頑張れるかもしれないと言う、先の長い話ではあるが、先端免疫療法に関する本を紹介したい。 もちろん、お金を出せば、今でも10歳ぐらい若い体の取得は可能らしい。ただ、今仮に10年若返ったとしても、その10年間に高い生産性を発揮できる人しか利用価値は無いと思われる。

 「何故、人は歳を取るのか」という疑問よりも、その環境下の細胞分裂によって、「遺伝子のコピーは何故汚れていくか」を考える方が、より科学的である。つまり、徐々に劣化を始めた遺伝子も、繰り返されるコピーによって、いつしか誤読される時が来るわけで、それが自己破壊である事を受け入れなければならない。そして、それは「今存在している環境の中」で、正常な細胞分裂の終わりを示唆しているのである。癌は、病気のように言われるが、病気ではない。癌は生命活動の終焉を告示する自己主張なのである。つまり、全ての細胞は、その環境下で、ある一定の期間を過ぎて、正確なコピーが出来なくなったことを告知する義務を背負っている。何かにつけて、終わりが存在することは、自然で美しい。

 一方で生命は その「遺伝子コピーと免疫システム」の駆け引きで成り立っているともいえる。それを自覚すると、体のどの部分の細胞も正しく遺伝子をコピーして欲しいと祈るような気持ちになる。確率的には、時々、誤ったコピーが発生していても、免疫システムが正常ならば、生命を脅かす大きさにまで発達することはない。したがって、免疫システムをいつまでも正常に機能させることが望ましく、それこそが本来の若さだと言える。ここで言う若返るとは、そういう意味である。その為には、必要な基礎知識、行動、食物、睡眠、生活環境、などに配慮することであり、それを修正あるいは積極的に改善することでもある。

 さて、現在では、お金持ちでなおかつ情報収集能力の高い人ほど長生きが可能になってきた。それほど先端医療が進んでいるとも言える。いやいや、IPS細胞を使った積極的な治療はまだ実験段階である。10年後にはそれもアリかもしれないが、今日紹介する本では、そこまで言及してない。今の、その実年齢でもっとも輝くように、内部から若返りを実現しようとするもので、「細胞分裂のコピーを毎日綺麗にする」こと、そして免疫機能を正常に機能させることに終始している。つまり、コピーを劣化させる要因とはなにか、免疫を向上させるには、と物凄くオーソドックスで明快な理屈を展開する。したがって、毎日毎日を若返る為に努力するというか、それを医学的に正しい根拠でアクションを起こすことで、それによって、若さと活力に溢れた人生を過ごそうとするものである。

 具体的な内容は、読んでいただくとして、そのアンチ・エイジングに取り組む為の、医学的常識とその背景となる理屈を広い範囲で捕らえ、日常の心がけとして詳しく説明している。さらに、その延長線上にある積極治療の臨床結果も良好であったことを紹介している。ここで公開されている臨床結果は、個人が今すぐアンチ・エイジングに応用するには難しいかもしれないが、癌の免疫治療の臨床医としての筆者の理論と実践技術という視点で眺めると、可能性は広範囲に及び期待が持てる。ただ、それらを積極的に行う為には、もちろん筆者のクリニックでお世話になることになる。

 現在、30~40代の奥様方には、将来を有意義で楽しいものにする為に是非読んでおいていただきたい。ただ、1回では分かりにくく、ここに書かれている事が、若いうちは、今の体にどのくらい有益なのかも見当も付かず、少々退屈かもしれない。しかし、この本は、免疫システムのことを広範囲に捕らえてあるので、家族を守ると言う視点では、将来にわたり役に立つ内容と思える。だから、ここで紹介されている事柄を少しづつ生活の中で実践できるように、何度でも読見返されることをお勧めしたい。目先のことにとらわれず、10年後、20年後を目指して役立てて欲しい。もちろん、すぐに有効な内容も列挙されており、その概念をしっかり頭に叩き込んでおけば、日常それを心がけるだけで、今より少し健康になれそうな気がするかもしれない。
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補足:IPS細胞を使った治療 癌患者の弱った免疫細胞からIPS細胞を作って増やし、再び免疫細胞に育てて患者に戻し癌を攻撃させる等の治療の研究が進んでいる。

2010/06/01

パーフェクト*コラーゲン

 最近は、女性の美容意識を刺激するコラーゲンを主成分にした商品が増えている。これは、コラーゲンが、いつまでも「お肌の若さ=美しい」を維持する唯一の成分であることが広く認識されているからである。そして、効率的な吸収のための訴求成分を研究・調整したり、由来成分に対する効果の違いや、溶けやすさ・飲みやすさなど、加えて商品のさらなる低価格化が進む中で、密かにマーケットの競争が激化しているようだ。ターゲットは、お肌のハリや潤いの曲がり角が意識される20歳代後半から30歳代女性で、より高い効果を常に探求している人達のようだが、実際は、それだけで良いのであろうか。
 
 もちろん、体が必要としているのは、その様な年代の人達だけではない、20歳を過ぎた全ての男女が必要としている成分といえる。体の健康維持に重要な成分は、20歳ぐらいを基準に殆どが減っていくと言われている。特に、シミやしわが増えたとか、目の疲れが酷いとか、髪の毛が痛んだままだとか、腰や足の関節が痛むとか、外的風貌の変化や、傷みや不快感などによって自覚できる症状が徐々に表面化してくるのである。これを歳をとったから仕方ないという風に片付けてはいけない。早く何とかしなければ、いつまで経っても自然には改善されないので、意識して必要な成分を日々摂取するように努めておいたほうが良い。それは、先行き大きな肉体的な違いや変化となって現れると言われているからだ。 そう、そう、食べ物に好き嫌いの激しい、俺達のようなおっさんにも必要な栄養素なのかもしれない。

 女性は、既に若い頃から美に対する意識は高く、常々興味を持っているので、栄養成分の中でも、とりわけコラーゲン関連商品には敏感に反応する。コラーゲンは人間の体を作るうえで必要不可欠なタンパク質だといわれており、血管、骨、皮膚、髪、爪 など体のあらゆる部分で使われている。コラーゲンが多く含まれる食品は、フカヒレ、手羽先、鰻、豚足、牛スジ、スペアリブ、アンコウ、スッポン、等と言われているが、その様な食品ばかりを優先して採るわけにもいかないし、その時、体がそこに含まれるコラーゲン全てを吸収できるわけでもないことから、結局、毎日少しづつ効率的に摂取できるものを求める必要がある。

 今日紹介するのは、アサヒビールの製品で、同社の研究所が提唱する「肌基盤改善理論」に基づく配合で、コラーゲン自体には、皮膚粘弾性を高める力の強い低分子コラーゲンを採用し、加えて同研究所が発見した「美体質乳酸菌」を加えることで、腸内でのコラーゲンの吸収力を改善している(全て動物実験にて)、商品名:パーフェクト アスタ コラーゲン パウダーというものである。
 
 主たる成分は、低分子コラーゲンに加え、ヒアルロン酸、エラスチン(保湿たんぱく質)で構成され、この3種の効能をサポートする為の美体質乳酸菌を加えている。次に、これらの成分を体内でより効果的に高める為にCoQ10、ビタミンC、4種類のハーブ(ローマカミツレ、ドクダミ、セイヨウサンザシ、ブドウ葉)を加えている。そして、もう1つお腹スッキリの為に食物繊維も加えている。これ等の11の成分によって、ユーザーの美容意識を刺激し、ハリと潤い感覚を目覚めさせ、それらによって、他社商品に圧倒的な差を付けようとしているのである。おまけに価格の設定は、従来品に対しても十分低い。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21686&app=WordPdf
 
補足 ここで使われている「パーフェクト」という言葉は、同社の説明によると、完全なコラーゲンと言う意味ではなく、プレーン味なので「どのような飲食物、たとえば ジュース、お茶やコーヒー、スープや料理など、にぴったり良く合う」と言う意味が含まれているとのこと。誤解のなきよう。
試飲 水に溶かしてみるとやや白濁感はあるものの、ビタミンCとハーブによる僅かな酸味を感じる程度で、確かに何にでも溶け込み、素材本来の味を変えることはなさそうだ。
効能 現在、左足の膝の具合が今ひとつよくないので、試してみたいが、3ヶ月、半年、1年ぐらい飲み続けることによって、少しづつ何らかの改善効果が見受けられるかもしれない。その時には、また報告したい。