2013/01/29

水耕栽培の苺

 東北の震災で塩害が残る農地は、当面使えそうもないことから、野菜を水耕栽培で育てるプラントが現実味を帯びて、その工場建設も本格化してきたようだ。まるで半導体工場を思わせるような清潔で安全な場所で作られる野菜は、照射される光の波長で葉の生育状態が変わったり、水に溶け込んだ栄養成分でも味や風味が違ってくるという実験的な段階を経て、様々な課題を克服し、野菜ごとに最適な環境を提供できるようになった。そうやって「新たなイノベーションを伴う復興」は、将来に大いに希望が持てるので、農家の人のみならず消費者にとっても嬉しいことである。
 
 そういう「羨ましい話」は、特殊な環境で、しかも作れる野菜もまだ限られているに違いないと勝手に想像していた。復興予算が付くことで、やや強引ともいえる程に、その手の生産システムを後押ししたのだと受け取っていたからである。そんな矢先、弟から「とっても美味しい苺があるけん、送っといたよ」というメールが着た。「ああそうね、すまんねえ」と返しながら、わざわざ今時、何故高い苺を?と思いながら、「とっても美味しいって?やつは酸味のあるすっぱいものは、嫌いなはず」なのにと、どこか少し納得のできない文面にやや違和感を感じていた。その現物を口にするまでは、「何か頼みごとでもあるのか?」と詮索していたのである。

  荷物を受け取ってすぐに分かった。箱に水耕栽培と書いてあったからだ。ほー、苺でも出来るんだと驚いた。それにしても、大粒なのに形が綺麗なのは、なるほど、それも水耕栽培の特徴である。おまけに、水耕栽培だと酸味も、甘味も少なく、割合さっぱりとした感じかなと勝手に想像したのである。表面もとびきり綺麗で、洗わなくてもそのままいけそうな程みずみずしさがあったからだ。さっと洗って口にしてみると、また驚いた。全くすっぱくないのにとびきり甘いではないか。ここは普通、一瞬で酸味が飛び込んでくるはずである。もっとも、それが美味しいという人も多いのだが、一方で、その酸味に対抗すようにコンデンスミルクを使うなどして、酸味と甘味のバランスの微妙な美味しさを引き出すとか、工夫をするのだが、この苺は、その酸味に対する抵抗感も必要なく、自然の甘さがぐっと引き出されてたいへん美味しい。「とよのか」は、元々酸味は少ないが、新たな品種の苺と勘違いをする程である。

 認識不足もあって、このような、通常より大き目のみずみずしい苺が、水耕栽培で出来るとは驚きであった。時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、大昔は、水はけがよく陽当たりのよい石垣で美味しい苺が育つと習った。この苺が生産されているのは、昨年みかんを紹介した島へ行く手前の、今は呉市の下蒲刈(瀬戸内海の島)である。この場所は水耕栽培をしなくても、山の斜面を使えば陽当たり、水はけ共に優れ、それだけで美味しい苺が収穫できる場所だと思うが、生産者は、あえて水耕栽培の優位性に魅かれ、それに「美味しさと将来性」を見出したのかもしれない。だから、丹精込めて育ててあるのだろう、とっても美味しい苺に育っている。
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2013/01/25

たねやのぜんざい

 今、昭和の時代を振り返るようなTV番組が流行している。そこには、夕日に映る商店街、走り去るオート三輪、みんなで囲んだ丸い食卓、金属で出来た黒い扇風機、背中が熱くなる五右衛門風呂など、よく探して来たなと関心するものがあちこちに再現されている。そういった形や物によって、みんなが共有した昭和の記憶は甦る。だから、家族に起きたことを思い出すと、そこにあった物を簡単には捨てられられない。今でも大切に昭和の形や物の中で生きる人達もいる。巣立った子供達の思い出があるので、捨てるに捨てられないのかもしれない。そこにある形や物には、過去と未来を繋ぐ想いが染込んでいるのだろうか。

  しかし、本当に大切にしたいのは、そこにある形や物ではない。かつての、祖母を思い出す手がかりのようなもので、もはや自分にしかわからない「日常の思い出」の中に存在するのである。それは、果物の切り方であったり、料理の盛り付けであったり、豆の煮方であたり、ふとそれと同じ形や味がよぎる事があったりすると、じわっと遠い昔を思い出しながら、祖母が近くにいるように、その「ありがたみ」をしみじみと実感するわけである。そういう追憶を通して、自分の生き方というか、祖母からの指令のような期待感までもが、今更に伝えられようとしているのである。

 今日、デパ地下の食品売り場で珍しい「ぜんざい」を見つけた。少し前なら、と言っても20年ぐらい前になるが、「汁粉の元」はあった。最中種であつらえた樽の形をした容器を、椀の中に入れてお湯を注ぐと最中種が崩れ、中の汁粉の粉末がお湯に溶け出して、さっぱりとした「おしるこ」になる。それを思い出しながら「ぜんざいも、それに習ったものか?」と近づいてみる。どうもそうではなさそうだ。よく観ると「2月10日までの限定販売」とあり、当然即席ではない。そ、そうか、俺には時間が無い。こういう商品は、すぐに無くなってしまう恐れさえあるので、今日、買っておかなければならない。ついでに、その隣に置いてある「おはぎのような赤白の大福」も一緒に包んでもらった。これが、後になって意外に大きな感動を与えてくれたのである。

 おまけで買った大福なんか、大して気にも留めず小腹が空いてからにしようと思っていた。しかし、硬くなる前に口にしないと何が待ち受けているか分からない。明日大地震が襲ってきたら・・・、そんなよくある不安から、さっさと口に押し込んでしまったのである。もちろん、何も起こるはずはないと思っていた。しかし、その中の餡子からは、子供の頃を髣髴とさせる懐かしさと、上品な甘味がじわっと広がってきたのである。そうだ、餡子の小豆が口の中で崩れる硬さは、このくらいが好きだった。おまけに、手間の掛かる「こし餡」と「小豆の粒」を混合する割合で、美味さの印象が変わるけれど「この比率が丁度いい」。その食感に、ぐっと近くに祖母を感じてしまった。この上品な甘味と小豆がこし餡の中で崩れていく食感は、不思議なくらい記憶を鮮明に甦らせてくれたのである。

  今まで小豆の餡子を食べてきたけれど、こんなにも懐かしい味の餡子がまだ存在していたのかと、自ら遠い記憶を呼び起こそうとしていた。甘味は少し違うけれど、この感覚は、かつて「鶴屋」でも感じた事があったのである。既に、関東の甘味に慣れてしまっている自分の感性が「関西の老舗」の餡子作りに、ふるさとの昔の味が甦ったのかもしれない。

  そして、本命の「ぜんざい」は、やはり、文句の無いとびきりの「ぜんざい」であった。この、ややもすると「豆臭くて美味しくない」といわれる程に甘味が抑えられ、小豆があくまでも豆である事を実感させてくれる口解けがいい。豆本来の美味しさを引き出し、少しだけ甘味を加えることで喉越しが優しくなる、そんな食感がぜんざい本来の楽しみ方なのである。一口で、これは「素晴らしい」と思った。小豆の品質も揃っていて、伝説的とでも言えそうな技を感じる。ひょっとしたら、昭和30年頃からの職人さんが、今でもそのままの方法で作ってくれているのではないかと思わせるような、一寸びっくりするぐらい「豆の味を引き出す美味しさ」が漂っていたのである。
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2013/01/22

ディスカバリー8

  年末に片付けをしていたら、古いフイルムが入った缶が見付かり、中から「初めて自分のカメラで撮影したカラーポジフイルム」が出てきた。色々なところから、古い物が発掘されて整理に四苦八苦しているが、何年何か月前の事だったか、日付等の記述がないのでわからない。当時は「とりあえず仕舞っておこう」という意識だったのだろう。ある筈もないと思っていた写真が出てくると意外に嬉しい。今更、何の役にも立たないが、今日は、これでページを埋めることにしたい。

  入社当初は、誰でも嫌な仕事が待ち受けている。特に、写真撮影は編集屋としての1丁目1番地で、「取材は写真を撮ることから始まる」そんな風に説明される。「こんなカメラは、初めてなんですが」と呟くと、先輩がため息交じりの呆れた台詞で「シャッターを切れば写るよ。あと、ストロボとモータードライブを装着すると重たいから、レンガを使って上げ下げの練習をしておくと手ぶれは減る」とも付け加えられた。当時は、一人前になるには、とことん経験して自ら学びとるもの、という風潮の中にあり、ナイフを突き付けられたとしても「教えてもらってないとか、マニュアルにないとか」口答えができる状況ではなかった。それにしても、露出計のないカメラで何を目安にして撮影したらよいのか困った。何度も何度も「照明と露出時間=仕上がり」の経験を積むしかなかったのである。

 いつまでも、一人前に写真が撮れないと、「あいつは駄目だ!使えねえ」と言われかねないので、隠れて「あらゆる状況を想定した練習」をしなければならなかった。追いつめられると人は本気になる。自分に足りないものを探し、それを補おうと努力する。写真と言えば、運動会や卒業式などの記念写真ぐらいしか考えが及ばなかったのに、それが、諸先輩方と同じように仕上がりを評価できるようになるまでは、しばらく、我慢の日々が続いた。しかし、毎日のように写真を撮っていると、不思議とそれが徐々に面白くなってくる。また、露出計なしの単なる暗箱でも「そこそこ撮れる」ようになるものである。しかし、撮影範囲を拡大するためには、やはり最新式のTTL露出計を搭載したカメラが欲しくなる。そのくらい、当時は露出自体に苦労を強いられていたのである。

 しばらく経験をつんだ頃には、欲しい機種も限定されて、結局我慢できずカメラ・システムを自前で持つことになった。そういう欲求の後の充実感というか満足感は、何物にも代えられない興奮の日々が続くものである。システムと言うのは、ワインダーやモータードライブ、サーボEEファインダ、ブースターTファインダなど、キヤノンF1のシステムを一式揃えたからである。これらのファインダーによって撮影領域の拡大が図れたのである。レンズは、とりあえず仕事でも使えるように50mmマクロから始め、後に85mmf1.2アスフェリカル、24mmf1.4アスフェリカル、TS35mmシフトf2.8、100mmマクロ、200mmf2.8、500mmf8 最後に35-70mmのズームと、次々と勢い余って大して必要もない望遠領域まで揃えてしまった。当時から、そんなマニアでもない代わりに、F1でも「仕事に使える」のか、という実用性としての整備をする気持ちで不安になっていた。

 通常の取材用カメラはニコンFで、ニッコールレンズと相まって「かちっとした切れ味」があり、現像した紙焼きを、製版(凸版)して、それで印刷しても、現像したものよりも綺麗であると思えるぐらい鮮明だった。自前のカメラを持ってからは、何かにつけて自前を持ち歩くようになる。残念ながら、白黒フイルムでは、ニッコール・レンズに比べてあらゆる被写体でキヤノンのFDレンズは甘く写った。個人的に、内心「白黒では使えないな」と結論付けていたのである。階調が優れていても、製版した後の先鋭度がないと仕事用には使えないからである。一方、カラーについては、ネガを使う事は無いので、リバーサルフイルムを詰めて持ち歩く日々が続いた。カラーの場合では、当時のニコンのレンズは、「何を撮っても蒼黒く見え」たし、レンズを変えても傾向は変わらなかった。その点では、明らかにキヤノンの方が優れ、明るく抜けの良い写りに魅力を感じた。最初からカラーに向いていたようだ。

 今日は、冒頭で書いた通り「取材用として初めてリバーサルフイルムを使った時」の写真である。言われる前から言わせてもらうが、絶対的に「つまらん写真」である。何故か!最初に撮った50mmマクロの現場写真でしかないからだ。しかし、かつての「ラジオ技術」読者の方には、同じような写真に記憶があるかもしれない。これも、今から35年くらい前の話である。
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補足:オーディオマニア・シリーズとしての視点でまとめても良かったが、あの頃については、オーディオより、写真に想いが強かったので、ディスカバリーにした。オーディオマニアとして取り扱うとしたら、写真に対してどっぷり批判的になったかもしれない。

2013/01/18

くらづくり本舗

  やはり、「自ら甘党」である事を宣言していると、いずれ、周囲も認知してくれる。そして、そのことを思い出して、「どうだ、お前にぴったりの物」を見つけたので「手土産」に持ってきたぞとか、歳の暮れに「甘い物でも贈っておいた」とか、様々に気にかけてくれる。それが、身に染みて「ありがたいな」と思うのである。また、きっと老舗の伝統的な「小豆物の最中とか羊羹のたぐい」が好きに違いないと、気を配ってくれることにも、いつも感激している。そこで、甘党としては、それなりの歴史的背景を背負いながらも先へ進み、今だ未熟な修練者のごとく、いつまでも終わりのない修行を重ねる旅をしたいのである。そして、そこにも彼等に導びかれているような温かみを感じている。

  どこかで、職人の技が織り成す伝統的な甘味への誘いから、それも、やはり自らの経験によってのみ味わう姿勢が、様々な過去への参照とそれに似た想いが巡ってくるようで、我を忘れて楽しいひと時を過ごす事がある。しかし、そんな誘いを一人で楽しむ事が、果たして正しい作法なのであろうか、あくまでも利己主義的な想いに、しばし反省をすることになるが、いたって、人々の甘い物に関する反応は冷たい。その根拠を思い出し、ただただ、甘い物は体には良くないからと自分に言い聞かせ、「ある時は、自らもブレーキを踏む」わけだが、時折、どうも「ブレーキとアクセルを間違える」ような、「これだけ美味しいと、もうどうなってもいい」とか思ってしまうこともある。・・・うーむ、老人は、そうやって車ごとコンビニへ突っ込んでしまうのだろうか。

  しかし、そういう甘味に対しての一定の距離感も重要で、体からそういった甘味が抜け切ったところに持ってきて、美味しい甘味を戴くのが「自然で正しい作法」に繋がるわけで、人々は、おおよそ明治、大正、昭和の戦後あたりまでは、そういった甘い物に対する敏感な感覚を備えていたに違いないと推察しているわけである。だからこそ、職人の技がもてはやされ、他方で、甘味が淘汰され、そうやって、幾度もそのような変遷を繰り返しながら、今の老舗といわれる御菓子の匠を育てていったのであろう。今日のお菓子のように、創業百二十五年といわれると、それだけで、職人の菓子に対する思い入れが伝わってくるようで、そこに存在する菓子とじっくり膝を突き合わせて対話をしてみたい気分になってしまうのである。

  そんな戴き物で恐縮だけれど、川越の「くらづくり本舗」の詰め合わせを紹介したい。たとえ、その美味しさに百二十五年の歴史を感じ得ず、案外現代風であったりしたとしても、この老舗のお菓子に触れることで、次に遭遇する御菓子には年月の違いを見出す事が出来るに違いないのである。そういう手順によって、少しづつ味わい方の作法が分かってくるのであろう。この老舗の数ある商品の中でも、最も人気のある上位三種が、「1.餅入りの最中、2.抹茶と小豆の軽いお菓子、3.芋あんの入った饅頭」である。さすがにこれらは上位人気商品だけの事はあり、開封前から時間を掛けて洗練されていった美味しさが漂う。そして、実際に口に運ぶと、若者から初老まで「誰にでも美味しい」と言わせしめる要素がふんだんに盛り込まれているのである。
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2013/01/15

タカナシ3.6牛乳サブレ

 一昨年、鎌倉で江ノ電サブレを買って、意外に「美味しかった」という感想が頭に定着してしまったせいか、最近は、サブレを見かけると妙に親しみを覚え、しっかりチェックして試しに買ってしまうことがある。確かにわれわれの世代では、乾パンに毛が生えたような焼き菓子に妙な懐かしさを感じるわけだが、昔のサブレは大して美味しくは無かった。飲み込むまで口の中の水分を全て取り去ってしまうにもかかわらず、終始それに含まれる薫りが漂うなんてことはなかったのである。だから、「マジ!変な食べ方だ」と思われるかもしれないが、少し湿気を帯びたぐらいの方が美味しいと思っていた。

 ぼろぼろと、砕かれたサブレの一部が口からはみ出したりすることもなく、柔らかくなったサブレにして、噛み砕く時にサブレ内部に使われている原材料のかすかな香りが漂い、粘り強い味わいになるのである。だからといって、好んで口にするものではなかったのである。そうは言うものの、そんなサブレも遥か昔の話しである。最近のサブレは、昔のそれとは違い大きく進化して、周囲のさくさく感の中に「焼きあがる途中で閉じ込められ香ばしさ」を感じ、内部の砕けたサブレの間からは、「カスタードクリームのような薫り高さ」が溢れ出てくるのである。そうやって昔に比べると、はるかに美味しい焼菓子になっているのである。

 先日、神奈川県下で、限定販売の「タカナシ3.6牛乳サブレ」というのを買ってきた。これも、大変美味しく後々癖になり、写真を撮っている最中でも、バリバリと破片を口にし、写真の背景に落としながら食べていたほどである。ああ、買ってよかったと思ったのである。これが、ついつい口にしたくなる美味しさで、まさに癖になるほど「牛乳の優しさ」が漂っている。「サブレの生地には、タカナシ3.6牛乳と、じっくり時間をかけて煮詰め、薫りとこくを濃縮したミルクジャムを加えて、牛乳のおいしさを引き出している」という記述があるように、パッケージを開くと濃厚な牛乳の薫りが漂う。口にすると「うわ~美味しい牛乳」だ、と思うほどである。

  焼き菓子になったサブレを口にしても、タカナシの牛乳の様な感じがするのが不思議なのだが、その他の牛乳でもサブレが商品化されているらしいので、他も食べ比べてみたくなる。さすがに乳製品専門メーカーだなと、最初はタカナシで作っているのかと思っていたら、お菓子をOEM供給している㈱グローバル・ガストロ・サービスという会社が、このような地域生産の牛乳を使ったサブレを地域別に出荷しているようだ。「牛乳だいすき事業部」という専門のチームがサブレを開発しているようだ。袋を開けると、御丁寧にエアキャップで包装されていて、サブレが壊れないよう細心の注意が施されている。そのことで、この商品に対する思い入れを感ぜずにはいられない。
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2013/01/11

100円の詰替えインク

  もう、去年のことになってしまったが、あの100円ショップ「DAISO」でキヤノン、エプソンとブラザーの詰替えインクを見つけた。もちろん各色すべて100円である。年賀状の季節でもあって、各色しばらく歯抜けが続いたが今年になって赤色を除く6色が全て揃ったので買い求めた。それにしても、なぜ100円ショップでプリンタの詰替えインクを扱う優位性は何なのか、もちろん、国内の詰替えインクのマーケットは巨大である。かといって、提供する側としては、何か商品に確たる根拠がないと、後々苦労することになる可能性もある。おそらく、プリンタ業界に精通した経験者が商品化に参加しているに違いない。それでも、赤、緑などの特別色は、売れる数が少ないので取り扱うことはないだろう。どのプリンタでも使えて、たくさん売れる商品しか扱わないのが詰替えインクサプライヤーの特徴といえる。

  詰替えインクは、プリンタメーカーが迷惑を被るので嫌われてきた。迷惑とは、1.メーカー純正インクが売れなくなる。2.詰替えインクが原因でプリンタ自体にトラブルが起こりサービスに持ち込まれる。その他にも、3.印刷時の色バランスがよくないとか、4.印刷後の色あせが早いとか課題も抱えている。そのため、プリンタメーカーは、1と2に関して、新モデルでは自己防衛を施して解決しようと努力している。3と4は、あくまでユーザーの自己責任になる。さらに細かく、色々なトラブルの可能性が指摘されているが、それは、プリンタメーカー側の防衛の手段の一部と考えるとよい。本当にお客のことを考えているなら、「純正の詰替えインクを安く」提供すれば済む筈だ。3.4などの課題は、インクという性質から染料、顔料にかかわらず、「純正、互換、詰替え」関係なく存在する。

  一般的に詰替えインクに収容されている中身はインクだけではない。ビニールの手袋や、インク噴出口止めシールとか、詰替え時の固定ホルダー、クリーニング液などさまざまに作業用のミニ工具類が同梱されていて、商品化には手間がかかる。また、ユーザーとしては、それらを適切に使いこなす指先の器用さも必要になる。しかし、やはり詰替えインクを活用したい場合の問題はコストに集約される。そこで、工具類や内容量を含めてキヤノンの7eシリーズを例にして価格を比較してみると、a.このDAISOの詰替えインクは、内容量は25mlで100円である。b.サンワの詰替えインクの内容量は100mlで1,610円である。ちなみにc.キヤノン純正インクカートリッジは内容量 7~8mlで780円(カートリッジが使い捨て)である。このb.の詰替えインクの場合、自分で使い捨てカートリッジに2mmの注入口の穴を開け、注射器でボトルから吸い上げてカートリッジに注入する。これが面倒な場合は、注射器を使わずに注入できる先端の尖ったボトルのタイプも用意されているが多少割高になる。a.はそれに近い構造のボトルになる。

  詰替えインクという表現より、「補充用インク」という方が自然な感じを受ける。インクを補充するには、カートリッジに2mm程度の注入用の穴あけ(ドリルはDAISOにある)、そこに、インクを補充する。そのためのカートリッジ固定ホルダとか、注入口栓などがあるとよい。これは、サンワの詰替えインクを使ったことのある方には、それらの道具が既に手元にあるので、すぐに試せる筈である。さらに準備するものを加えると、ヘッドの目詰まりに、クリーニング液で対応できなかった時のために、洗剤のマジックリンとそれを注入する注射器そして、超音波洗浄器などがあるとよい。さらに、部品としてメーカーからヘッドブロックを1個手元に在庫しておきたい。そうやって、リスクを様々に考えて準備したとしても、それでも詰替えインクはメリットが大きいと思われていて、幾つかの種類と形態で「補充インクがビジネスとして成り立っ」ている。しかし、DAISOが小口で一番安いと思われる。
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補足:このDAISOの詰替えインクの使用感は、しばらく使ってみた後でまとめたい。

2013/01/08

多摩川2

  大河の縁の空気は冷たいし、いくらか風もある。正月過ぎの人出は少ない筈なのに、今のここはそうでもない。しかも、歩いたり走ったりする人ばかりではない。ハーモニカとギターで昭和のフォークを奏でる人。自転車のギアチェンジをしてスピードを楽しむ人、徐々に近づく掛け声とともに、走り抜けていく学生達、川向こうまで響くような金管楽器の練習をする人、そんな想い々の人が自分の得意技を披露している。漠然と周囲を意識することで、より自分の世界に集中できるのであろう。いつもと違った場所で創作意欲を膨らませ、自らの可能性を高める為に技術を磨くのである。いやいや、この広大な空間を試合や本番の舞台と想定しているのかもしれない。


  人は、やはり本番で輝く時を常にイメージすべきである。趣味でも仕事でもそうであったほうが気概を継続させることに繋がる。それがどのような根拠で達成できるか早道を考える必要はないが、少なくとも、その為に今の自分に「足りないもの」を探し続けることが、今後の人生を豊かにするかもしれない。また、それが雑多の中から本物を嗅ぎ分ける能力を養うことにも繋がる。昔の人は、芸術的なものを趣味だと決め付けていた。趣味だから「こんなもので良いとか、妥協は仕方ないとか、時間やお金が掛けられないとか」様々に採算性とか言い訳なるものを考えがちだが、趣味こそ本物を目指して努力しておきたい。そのような一歩踏み出す気持ちが、この場所で「微妙な姿」を魅せ付けているのである。

 微妙な姿とは、例えばギターを奏でながら歌っている人を見かけたら、ウォーキング途中でも足を止めて耳を傾け、拍手や励ましの声をかけたり、「応援している」という意思表示をする、あるいは、音は聴こえているけれど、興味もないし聴こえていない顔をしたほうがよいのか、そういう、どちらを望んでいるのか、こちらが対応を迷う「相手の姿」のことである。おそらくそれは、路上からどのくらい離れた距離にいるのかということと深い関係があるに違いない。路上から遠くにいれば無関心でいて欲しいと思っているし、路上から近くにいれば、足を止めて少し興味を示して、応援してくれた方が嬉しい、と思っているかもしれないのである。あくまで仮定だが、こちらに十分な知識のない分野の対応は、逆に邪魔になるので無関心でいたほうがよい。

 そんなことを歩きながら考えていると、三脚を路上のアスファルトにかけて絵を描いている人を見つけた。上記の考えの延長線上で対応するならば、「声をかけて、賛辞を贈る」とかしなければならない距離になる。果たして、こういう場合の対応はどうすればよいのか、しかし、対応の方針が出てこない。足を止めて 「いいすねー」と挨拶ぐらいしか出来ないかもしれないし、面倒に思われるぐらい色々質問したり、根掘り葉掘り取材をしてしまうかもしれない。もちろん相手次第ではあるが「絵が描けるのが羨ましい」と感じている程度の当方としては、いつか言葉を失ってしまうに違いない。逆に「話しかけないでくれ」と言われると後々気分もよろしくない。そんな難しい対応が刻々と近づいてくる。果たしてどうすべきなのか。
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2013/01/04

焼き立てパンが美味しい

 西新宿あたりで昼飯を食べながら、真面目な話をするならフォークやナイフが、少しばかしカチャカチャ聞こえても静かなお店をお薦めしたいが、気楽に「うだうだと長編で、たわいもない話」をするなら、こちらのお店がいいと思う。駅からの場所が特定できないとか、探すのに時間がかかるような場所だと、遅れた言い訳を聞くのも面倒だし、携帯電話で何処だ何処だ!と探すのも格好が悪い。だから、やっぱり駅の傍で待ち合わせて、近況報告程度のジャブを打ちながら食事に行くと言うパターンがスマートなのだと思う。特に新宿西口は守備範囲が広すぎて、「いやー1階で待ってたよとか、何だ地下かよ!」なんて行き違いも少なくない。

 最近は、緩めが流行っていて、待ち合わせ時間には間に合わない人種も多く、まったく会社で実践してきた5分前主義を忘れてしまっているかの様で、加えて、はなから「私をなめているに違いない」と思うのであるが、いたって御本人は、さらさら悪びれた様子もなく、多少ネジが緩んだだけのようだ。そういう、個性派の賢人というか変人と待ち合わせるには、ここは、いささか便利な場所であることに気が付いたのである。それは、デジカメからHDDのようなパソコンの部品まで置いてあって、少しばかり、時代遅れの、お金はあるぞ風な「おっさんにも対応可能な電気店」が途中にあるからに他ならない。

 さて、このお昼にお薦めのお店とは、焼きたてのパンが食べ放題で、色々な種類を次々と適度なタイミングで配ってくれる。「まあー、そんなにたくさんは食べれないから」と最初は遠慮気味だが、1つ1つが小さいので、配られるとつい食べてみたくなるし、大きなオーブンで焼くパンは美味しいこともあって、食べ過ぎてしまうのである。お店の特徴が「焼きたてのパン」であることから、それを中心にメニューが構成されていて、おおよそランチだと、ハンバーグとかビーフシチューとかメインのお皿を頼み、珈琲やデザートと組合せることになっている。恐らく、普通は1,500円程度の今日紹介するようなものになるはずである。屈託のないお店なので、隅っこは音が溜って騒がしい。できれば、少し開放的な場所にあるテーブルに座る方がよい。

 さて、くどくど説明しているが、お店は小田急ハルクの8Fにあるベーカリーレストラン「サンマルク」である。サンマルクは他にも色々店舗を展開中だが、この場所のサンマルクに価値があるのは、先からも、くどいぐらい説明している通り、途中の2Fにビッグカメラがあるからに他ならない。ビッグカメラ2Fのスバルビル側(=つまり小田急ハルクの南側)の入口から入り、すぐに店内で待ち合わせができれば、早速、入ってすぐ右側にあるエレベータで8Fへ、あるいは少し早すぎるようだと、店内で「遅れている情報を早送りで取材」でき、たっぷりと時間を潰せるのである。興味のある「最新のパン焼き器を使う」と、何ができるのか調べられるし、一体いつになったら240GBのSSDが1.2万円以下になるかもチェックもできる。そんな情報収集が終わる頃、賢人というか変人が現れると言う筋書きなのである。
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