2013/01/18

くらづくり本舗

  やはり、「自ら甘党」である事を宣言していると、いずれ、周囲も認知してくれる。そして、そのことを思い出して、「どうだ、お前にぴったりの物」を見つけたので「手土産」に持ってきたぞとか、歳の暮れに「甘い物でも贈っておいた」とか、様々に気にかけてくれる。それが、身に染みて「ありがたいな」と思うのである。また、きっと老舗の伝統的な「小豆物の最中とか羊羹のたぐい」が好きに違いないと、気を配ってくれることにも、いつも感激している。そこで、甘党としては、それなりの歴史的背景を背負いながらも先へ進み、今だ未熟な修練者のごとく、いつまでも終わりのない修行を重ねる旅をしたいのである。そして、そこにも彼等に導びかれているような温かみを感じている。

  どこかで、職人の技が織り成す伝統的な甘味への誘いから、それも、やはり自らの経験によってのみ味わう姿勢が、様々な過去への参照とそれに似た想いが巡ってくるようで、我を忘れて楽しいひと時を過ごす事がある。しかし、そんな誘いを一人で楽しむ事が、果たして正しい作法なのであろうか、あくまでも利己主義的な想いに、しばし反省をすることになるが、いたって、人々の甘い物に関する反応は冷たい。その根拠を思い出し、ただただ、甘い物は体には良くないからと自分に言い聞かせ、「ある時は、自らもブレーキを踏む」わけだが、時折、どうも「ブレーキとアクセルを間違える」ような、「これだけ美味しいと、もうどうなってもいい」とか思ってしまうこともある。・・・うーむ、老人は、そうやって車ごとコンビニへ突っ込んでしまうのだろうか。

  しかし、そういう甘味に対しての一定の距離感も重要で、体からそういった甘味が抜け切ったところに持ってきて、美味しい甘味を戴くのが「自然で正しい作法」に繋がるわけで、人々は、おおよそ明治、大正、昭和の戦後あたりまでは、そういった甘い物に対する敏感な感覚を備えていたに違いないと推察しているわけである。だからこそ、職人の技がもてはやされ、他方で、甘味が淘汰され、そうやって、幾度もそのような変遷を繰り返しながら、今の老舗といわれる御菓子の匠を育てていったのであろう。今日のお菓子のように、創業百二十五年といわれると、それだけで、職人の菓子に対する思い入れが伝わってくるようで、そこに存在する菓子とじっくり膝を突き合わせて対話をしてみたい気分になってしまうのである。

  そんな戴き物で恐縮だけれど、川越の「くらづくり本舗」の詰め合わせを紹介したい。たとえ、その美味しさに百二十五年の歴史を感じ得ず、案外現代風であったりしたとしても、この老舗のお菓子に触れることで、次に遭遇する御菓子には年月の違いを見出す事が出来るに違いないのである。そういう手順によって、少しづつ味わい方の作法が分かってくるのであろう。この老舗の数ある商品の中でも、最も人気のある上位三種が、「1.餅入りの最中、2.抹茶と小豆の軽いお菓子、3.芋あんの入った饅頭」である。さすがにこれらは上位人気商品だけの事はあり、開封前から時間を掛けて洗練されていった美味しさが漂う。そして、実際に口に運ぶと、若者から初老まで「誰にでも美味しい」と言わせしめる要素がふんだんに盛り込まれているのである。
ではこちら
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