2008/07/03

デジタルカメラ5

 写真の撮り方を教えてくれた先輩は、くどくど説明はしませんでした。結果は、誌面の中にあり、担当したページの写真がよくなければ、誰からともなく自己反省を迫られるからです。時折、自らそんな自白をすると、周りの先輩は、どうゆうわけか、「現像所が良くなかったとか、製版屋が手を抜いたとか」 本気で未熟な私を擁護してくれるのです。過去にあった彼らの不十分な仕事ぶりを次々と挙げて、本気で怒っているのです。これほど、身にしみる間はありません。写真は、記事の内容の信憑性を左右します。また、筆者が精魂つめて書き下ろした文章に、陰影を加えたり強調するのに使います。あるときは、インパクトとして駄目押しに加えたりします。つまり、これが出来なければ編集屋の資質がないのと同じです。なのに、時として緊張感を失い、考えの及ばないミスを犯すのです。仕事に慣れ始め、自信がつき始めた頃こそ要注意です。

 先輩の慰めとも思える話は、間接フリーキックのようなもので、これも自分の責任を問う結果に到達します。たとえ自分が納得していても、現像者や製版屋のオヤジ(仲間としての親近感)が、その写真を見て 「これは、なんとしても、良い物に仕上げてやりたい」と思ってもらえるように、撮影者の熱意と、それを支える社会性の視線を感じてもらわなければならないのです。また、あるときは、意思疎通の有無にかかわらず、感じ方が違っていても、「論点を外さない」ような、「説得力のある写真」という条件も必要なのです。画像にかかわる仕事をしている人たちは、どのような状況でも、そのような空気感や緊張感をもった画像にとても敏感なのです。くどくど説明をしない先輩は、よくこのように遠まわしで「統括的なじゅうたん攻撃」をしたのです。

 あるとき、明らかに35mmの写真じゃないと思えるページを見つけました。活版印刷でそんな違いは我々でないと分かりませんが、明らかに違うのです。こりゃ何だろう、「密度感が違うから八ッセル」じゃないのという意見、いや、「この切れ込みはきっとニコンの新しいレンズ」だよという意見、さまざまな考えに及びました。その後、製版屋のオヤジ(社長)が顔を出し、自慢そうに、我々に聞くのです。どうですか?どうですかって。・・・・製版用のレンズを換えたというのです。

 まさに想定外でしたが、そうだったのかと、やっと我々も納得したのです。その、安堵感と間合いの中で「社長!全然違うよ、よくなったよ」 と先輩は口を開きました。同時に、「でもアポニッコールだろ、もっと出るよな」、と先輩は一刀両断でした。社長は参ったなという顔をして指差しながら、「何で分かるんですか?なんで、なんで」 と驚いて問い詰めました。・・・先輩は笑みを浮かべながら、「そんなのわかんないで、ここに座ってられねーよ」 と言い放ったのです。

 ひえー、そんな凄い先輩だったのかと、改めてその眼力に驚き、隣に座っている自分の無邪気さを恥ずかしく思いました。それ以来、尊敬の念は、先輩に対し常に一定の距離感を持つことになります。鋭い感性は、実際の経験と、その毎日の鍛錬で磨き上げられるという話でした。
・・・・・ということで、今回(5回)で撮影に関する基礎的な考察は終了します。ご覧いただき、ありがとうございました。

今回も前回と同じホルダです。
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