2008/07/23

ファーストフード

 幼少の頃に母から与えられ口にしたものは、今でも無条件で「美味しい」と思うように、大脳は設計されている。それは、口にするものは如何に信頼関係を要求するかという証ともいえる。

 中学時代は高松に住んでいた。サッカーの練習が終わると、お腹もペコペコだ。今で言うファーストフードは「うどん」だった。黙って座ると「今日は何にする?」 と、おばちゃんは水を持って聞きにくる。「きつね」、「天ぷら」、・・・・チームメンバーのオーダーは様々だけど、必要なこと意外はしゃべらない。それほど疲れている。さほどメモも取らないで、さっさと奥に消えていく。2~3分もすると、次から次へとテーブルに並んだ「うどん」はオーダー通りだ。あちこちでズルズル音がし始め、あっという間に平らげる。誰ともなく、どんぶりを重ねて奥へ持っていく。外では後輩がへたり込んでいる。「終わったぞ」と声をかけると、残りのメンバーがけだるそうに無言で入る。おばちゃんは陸上部の同級のお母さんである。我々を息子の友達だと思っているようで、サッカー部であろうがバレー部であろうが、運動部なら全員の顔と名前を知っていた。その気持ちは、「より美味しいうどん作り」に傾けられていたようだ。

 前の日からしっかり仕込んだうどんは、コシが違う。熱湯を長時間くぐらないうどんは、喉ごしが楽しめる。うどんとはどういうものか、高松で知った。このスピーディーで消化吸収の良いファーストフードは最近東京のあちこちに進出してきているが、似ているのは、うどんの上にのせる具が選択できるところぐらい(そんなことはどうでも良いことだ!)で、麺本来の「美味さ」と「喉ごし」は再現されていない。「讃岐うどん」という看板だけで客を呼ぶスタイルにやや寂しい思いをするのは、私だけではないはずだ。
今日はこちらです。
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