8月になると、如何に戦争が悲惨であったか、周辺諸国に残虐なことをしたか、など見るに苦しい番組が制作され放送されている。今年もこの季節がやってくる。見なければよいと言う考え方もあるが、戦争に関する我々一般人の圧倒的な知識不足は、時として、一方的な理屈で押し切られ、教科書問題にまで発展する。それは、明らかに後世に責任転嫁しようとしていることだ。戦争が悲惨なことぐらい誰でもわかっている筈なのに、なぜ、そこまで先送りにするのか、そのような番組制作は安易で無責任すぎると言える。
戦争体験者は口を閉じ、真実を語ろうとはしない。不本意に徴兵させられた人たちが、当時、地獄の苦しみを味わって生き残り、不条理な葛藤の中でやっとの思いで、今、静かに生きているのに、時として犯罪人のように登場させられる。取材する対象が、このような犠牲者ばかりではいけない。戦争を始めた両政府、そして、それを「助長していった両国の新聞社」、その彼らに取材して更に本質に迫る番組制作せずして、何の報道なのだろうか。そういう取材は、ある意味で難度の高いことは理解できるが、たとえ陳腐な内容になったとしても、こちらのほうが姿勢として大きく前進である。我々は、あの戦争に至る経緯を詳細に把握し、様々な角度で検証し、決着をつけ責任を明確にオーソライズする権利を持つ(敗者に権利はないが・・)。
また、その時、政府への取材記者は何を考え、デスクはどう判断し、社の体制にどう組込まれていったのか。それを取材することで、自分達がこれから先、世界に対して、どのような報道を行うべきか良い教訓になる筈だ。 いつも際どい取材をすることで、緊張感と責任感の中で目標意識を高く持ってほしい。その姿勢こそが政府への監視になる筈だし、我々はそのような番組を決して疎かにしないし、忘れもしない。
今年は、帽子をテーマにしたドラマ番組もあると聞いた。私の故郷の話であることはありがたいが、本来やるべき8月の番組制作の本道から逃げるべきではない 。今なら、竹島問題を徹底取材すべきではないだろうか。そして、繰り返しになるが毎年毎年、「不本意に犠牲になった人」に反省を求め、涙を誘うだけの番組制作は止めるべきである。何の反省にもならないし、本質から乖離する、それは、「みんな一緒に犠牲になったから、仕方がなかった」・・・とも聞こえてしまうのだ。
・・・と、偉そうな事を言えた立場ではないが、戦争に興味をお持ちの方に、お勧めの本がある。きっと、色々な側面から考えさせられる筈だ。もちろん、凄く読みやすく、短時間で戦争を考えるいい素材を提供してくれる。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%963%E5%86%8A.pdf