2008/09/27

続デジタルカメラ1

 ウォーキング時にデジタルカメラを持つ人が多い。秋口になるとなおさらだ。私も負けじ劣らずカメラを持ち歩きたいが、腰が悪いので100gでも身軽にしたいと考えている。そして、心拍数向上のため、無心になって歩くので、たとえ携帯するにせよ、あまり難しい操作のカメラも困るのだ。例のカメラの先輩からは、「カメラは眼鏡の様に、体の一部にならないと駄目だ」と教わってきた。当時は、そんな簡単にそうなれるものでもないだろうと思っていたが、体重が増えた今、その「真の意味」がやっと分かったような気がするのである。確かに軽くないと駄目だと思える。

 3ヶ月ほど前に、時間つぶしにお店を覗き、成り行きで購入した軽いカメラ2台が箱に入ったまま放置してあった。買って安心してそのままになることはよくある。何故か・・・・、カメラは操作に慣れるのに時間がかかるので面倒だからだ。そういう意味では、私の取材に同行してくれる撮影ロボットがほしい。と馬鹿な事を考えているわけだが、涼しくなったので先週あたりから、重点的にこのカメラ2台を触ってみることにした。そこで、2回にわたって順次それぞれの印象を報告したい(次回は来週予定。ちょっと時期外れの感は否めないのだが)。あくまで印象報告であることをお断りしておく。本当はもっと、もっと書きたいが、カメラは道具である以上、使いこなしてこそ価値が出るのでアウトラインに留めた。

 やはり、時間をかけて使うことで、MENUや機能の意味が分かることもある。また、最近のカメラは内部で積極的に画像処理をしているので、その癖をつかみながら、それを避けて撮るのも難しい。したがって、うまく撮れるようになったら、別途それを紹介させてもらおうと思う。 想定している用途は、もちろんウォーキング用のアクセサリとしてだから、いずれも200gを切る軽量・コンパクトで、簡単に写せるカメラということになる。しかし、きっと特別なこと、車に引かれたとか、惨事に出くわしたとか、がない限りシャッターを切ることはないと思う、格好つけているだけで、あくまでもアクセサリーなのである。

 まず、最初に選んだのがコマーシャルで印象に残る「私にもこんなにきれいに写せる」という海老ちゃんのカメラだ。やはり、美女が勧めるのに弱い。困ったことに、自分もそのカメラを買って持っていると、上手に撮れそうな気になってくるからだ。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/F100fd/F100fd.pdf

2008/09/25

味覚と料理人

 人の味覚は様々だと感じることが多い。また、美味いものは世界共通だとも言われる時もある。味覚は、個人差があり、年齢、性、精神的・肉体的条件、出生地域、生活地やその気候風土の影響も受けるらしいので、違いがあることは分かっているが、共通点がある事もごく普通に認識できる。また、料理を食べる側の時は、他人との差を大きく感じることは少なくても、作り手側になるときは急に慎重になるはずだ、そして微妙な差を問題にするとき、自分の味覚に自信がもてなくなることも少なくない。お店の料理をそのような認識を持って食べると、こんなに美味いものが作れるんだと無条件で関心することもある。自分の味覚とシェフの感覚が一致した時といえる。プロだから当たり前だと考えるべきなのか、それとも、いちばん評価を受けた自信のあるものをメニューに出していると言う見方も出来るが、私の顔はおろか、年齢、出生地域、健康状態を知るわけでもないところが不思議だ。と、マジで考えるのであった。

 昔、神田には「客の顔をみてから、飯を炊く寿司屋があった」という話を聞いたことがある。あの、カメラの先輩の話である。いきなり、誰しも「ほんまかいな」と返したくなるような、信じられない話だが、それだけ客の満足を考えて「美味しい」ものを提供しようとする心意気なのかもしれない。現代でも、神田の寿司屋は常連になると、黙って座れば、好きなものをさらっと並べてくれる。過去の個人別データーを参照していて、疲れた客に言葉さえ発せさせない、「あんたの食べたいものくらい百も承知だ」という心構えで、勝負に出てくるのだ。

 一方で、客は客として、客の心意気と言うべきか、役割もあると私は考えている。今日は、これが「美味しかった」と料理人に伝えるべきであるし、「何故、今日は、こんなに美味しいか」尋ねてみる事も、役割の1つだと思う。このような感覚は、なじみにならないと、出来ない事かもしれないが、先日も、つい注文時に「赤座の、これって珍しくて、本当にいつも美味しいんだけどね、私には、ちょっと高いんだ。もっと、何とかならない?」、「そうですね、シェフに話してみます」。こういう、店側にとって困る会話は、ぎりぎりか、行きすぎか、あるいは脅しとも取れるが、関西人だから平気なのだ。でも、出てきた時に「これでどうでしょうか?」と声をかけてくれた。いつもより味は濃くて美味しく感じた。何らかの応答があったのだ。そんな時、デパートの中のお店だから高くても仕方ないと思える。今日は、そんなハンデを背負ったお店を紹介しよう。
それはこちらhttp://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%91.pdf

2008/09/20

オーディオマニア4

 ずいぶん朝夕は涼しくなってきた。2週間連休が続くと、ずいぶん元気も戻ってきたようだ。ウォ-キングする人も増えたし、軽いジョギングをしている人もいる。街には、こんなに人がいたのかと思われるほど、人、人であふれている。喫茶店は、話し込む2人連れでいっぱいになっている。こんなときは、外に出たくないという人も多いだろう。しかし、まとまって自由時間の取れる日も少なくなっているのではないだろうか。気分転換に、ぶらっと秋物でも観にデパートや大型電気店を覗くのも楽しい。

 テレビの音をよい音で鳴らすオーディオ装置が流行している。テレビというより、パッケージのDVDやブルーレイの音を再生するらしい。どのテレビ売り場にも、そのようなオーディオ装置がセットで販売されている。若者から年配者までDVDで映画を観る人たちに、特に人気があるという。ここにある装置は、実にバランスのよい再生音を出す。勿論、低音らしきものも出る。周りの騒音で聴き取りにくいが、かなり出ているようだ。思い出すに、30年前は低音再生に苦労していた。当時の理屈では、小さなキャビネットからは低音は出ないことになっていたので、どこのオーディオマニアも、家族の迷惑も顧みず巨大な低音再生装置を準備していたのだ。76cmウーファー(EV ザ・パトリシアン)という凄まじい装置もあったぐらいだ。

 オーディオでマニアらしさを象徴するのは低音再生だったから、みんな苦労していた。現在では、このテレビの横にあるオーディオ装置で十分いけるし、ゴロゴロと低音も楽しめるはずだ。質が違うとか、まだまだとか、細かい事を考えてはいけない。人には興味を持てる時期と、持てない時期がある。それを逃してはならないのだ。歳を重ねるごとに、なんでも細かいことは面倒になっていくものらしい。オーディオでは、いくら良い音を再生しても耳鳴りがしたり、高域が聴こえなくなったりするし、カメラでは、目が悪くなったり、かすんだり、黒の中のコントラストが視にくくなったり、ろくに趣味を楽しめなくなってしまうという。

 勿論、他人から誹謗中傷されてもどんどん平気になってくるし、冗談まがいで誹謗中傷を平気で発してしまうことも少なくないという。歳を重ねるとは、人が人として大切にしていた理性を削り取っていくという現実もあるのだ。これを劣化するというが、人によって早くから現れることもあると言う。そんな人の発することを、まともに受ける方もおかしい。だから、前回からの続きで言えば、細かいことが気になるナイーブな人には、ぜひ「社内誹謗中傷防衛システム」に必要不可欠な反撃力強化のために、インパクトのある音楽を聴いてほしい。そこで、「ライオン丸臨床試験」で実績のある、間違いなく元気が湧いてくる曲を紹介する。
それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%85%83%E6%B0%97%E7%94%A8CD/%E5%85%83%E6%B0%97%E7%94%A8cd.pdf

2008/09/17

洋食屋

 洋食屋には懐かしい響きがある。昔ながらの手の込んだ舶来の料理に、ソースなるものをかけてフォークとナイフを使っていただく洋食専門の店だ。赤いレンガの外観と文明開化を思わせる、ちょっと上品なテーブルや椅子があれば最高だ。コトコトと煮込んだデミグラ・ソース、ビーフシチュー、時間をかけた料理から、短い時間でささっと調理する熟練技を必要とするのも洋食だ。しかし、洋食屋の看板で生き延びているお店は少ない。今も看板が出ているとしたら、創業は明治という感じの老舗しかない。しかるべきところへ出かければ、あるにはあるが、手軽に美味しいお昼を戴くという状況にはない。どちらかといえば、高価な料理ばかりである。本来ならば、毎日出かけても、メニューの種類が豊富で、飽きの来ないお店が洋食屋の印象といえる。ちょっと小太りのおやじがいて、何でも簡単にすばやく作ってくれ、もっと色々食べたいと思わせる洗練された雰囲気があったのだ。 

 昔なら、休日にデパートや遊園地へ出かけた帰りに家族で寄るのが洋食屋だったはずだ。いつしか、その洋食は広く一般家庭内に入り込んで、その家庭の味として残って脈々と生き続けるはずだった。その代表格がハンバーグといえる。ところが、これら洋食の具材がデパートの地下やマーケットで販売されるようになったり、ファミリーレストランでも安く提供されるようになってからは、珍しくもなくなったし、お母さん方も腕を振るうことも少なくなってしまった。

 洋食屋としての需要は、どんどん減ってゆく。洋食時代のお客が高齢化してしまったこと、手ごろで良いお肉が入手しにくくなってしまったのも洋食屋が減っている理由だと思われる。確かに、お客が少ないのに、良いお肉をあらかじめ大量に用意するのは難しいし、それなりの「価格」で若者に美味しいと思ってもらうのも難しいと思う。外食産業大手は、生産者と直接契約するとか、自社生産で対応して食材は安価に新鮮なものが常に用意できるとしているが、今度は、その場でオーダーを聞いて調理できる本格的料理人が現場にいない。

 そこで、これら2つの要素を実現して、さらに「変えてはいけないものと、変えてもいいものを大胆に見極め、大きく積極的に変える」老舗の思想と新進気鋭の熟練技術を持ってすれば、洋食屋としてまだまだ、魅力のあるメニューを展開できるのではないだろうか。そんな中、今、割と手軽に訪店できて、それなりの価格で美味しい洋食といえば、この店しかないが、それでも、まだまだメニューの数は少なく、結局、客側から観るとビールとハンバーグ屋さんのイメージが強い。関西人の私としては、そこそこ簡単に作れるビーフカツレツを手軽に食べたいが、いかがなものか。
今日は、こちらhttp://www.nextftp.com/suyama/%E6%B4%8B%E9%A3%9F%E5%B1%8B/%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%82%81%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%AB.pdf

2008/09/14

オーディオマニア3

 夏の疲れがそろそろ出はじめる頃になった。なんとなく底力も湧いてこないし、これといって食べたいものもない。そんな時は、お昼寝に限る。それも、朝食が終わってからの、2度寝。これが優雅である。外からは気持ちのよい涼しい風が流れ込んでくるし、テレビからはかすかにニュースが流れて、隣の家の布団をたたく音も聞こえ、外では子供達がなにやら騒がしく走り回っている。「さっき起きたばかりなのに、何でこんなに眠たいのか分からない」 かといって、今日の午前中は特別することもない。でも、せっかく起きれたのに、時間がもったいないなあーと不安にならないわけでもない。

 ところで、睡眠学習法というのが流行した時代がある。人は眠っていても、大脳はしばらくは起きていて、耳からの情報を処理しているというのである。そこで、暗記しなければならない内容を、睡眠中に聞くと勝手に覚えるので、凄く便利とされたが、実際やってみた人の話だと、返って眠れなかったとか、疲れが取れなかったとか、にもかかわらず、一切覚えていないという人も少なくなかったようだ。一方、最近の研究では、睡眠中でも大脳は確かにわずかに起きているが、それは、「記憶を整理するために使われる」という説もある。とすると、例の「責任転嫁攻撃」は、寝ている間に左脳が分析し、要素分類して永久保存領域へ格納されていく。時々、はみ出して収容しきれなかったダメージの大きなものは、夢となって現れることさえあるそうだ。

 少し余談になるが、家にかつて猫がいて、「ライオン丸」と呼んでいた。彼は、喧嘩っ早く自分の縄張りを死守し、しかも、その縄張りを拡大することに夜中専念する攻撃性の強い猫だった。喧嘩で怪我をし2度も大手術をして生死をさ迷ったつわもので、私を困らせたが、その彼は、昼間は、自分の座布団の上で眠っている。しかし、時折、わけも分からずピクピク痙攣を起こして動いたり、耳をアンテナのように動かしたり、「うー」と唸ったりしているのだ。そんな状態が起こると、それなりに心配になるものだ。勿論、触っても起きようとはしない、夜中の喧嘩のストレスが睡眠中も彼を怒らせていたのだ。そこで、撫でたり、側で名前を呼んで話しかけてやると、少し落ち着きを取り戻す。さらに、小音量で音楽をかけてやると、不思議と無防備な姿になり、4つの足を広げたり伸びをしたりして、再び熟睡していくようであった。そして、夕方になると、むむっと起き上がり、そそくさと飯を平らげて、再び勇敢に出かけていくのである。

 そんな状況を鑑みると、我々人間も2度寝するときには右脳をあえて使い、「社内誹謗中傷防衛システム」の強化に取り組んだ方がよいのではないだろうか。いえ、寝ながら喧嘩をしようというのではない。目を閉じているわけだから、画像や絵画は観れない。つまり、お昼寝しながら小音量で音楽を聴き流すのだ。いつの間にか曲が終わり、静かになったところで目を覚ます。きっと元気を取り戻すに違いない。忘れていた食欲も湧くだろう。そして夜には、めかしこんで出かけるかもしれない。今日は、そんな「ライオン丸熟睡実験」で高い成果を収めてきた代表的な曲を幾つか挙げてみた。
それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/2%E5%BA%A6%E5%AF%9DCD/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E7%94%A8cd.pdf

2008/09/11

インドカレー

 ある日、ウォーキングの途中で、クルターを着たインドの人が私の前に手を伸ばしてきて、「おね、がいします」といいながら、お店のパンフレットを渡された。妙に人懐っこい顔で、微笑みかけている。インドの人は昔から「フレンドリー」なんだよなと思いながら、私も外人嫌いの日本のおっさんらしく「OK,OK!」と調子よく受け取った。新しいインドカレー屋さんのようで、稲田堤と中ノ島に出店したらしい。それには、ARIYANA(ARIYANNA)って書いてあり、意味の分からないまま、早速、物は試しということで、店に直行してみた。店内は予想通り、絵にかいたようにインド風で装飾されている。開店間もないというのに、意外にもメニューには多くの種類の料理が掲載されていた。その中に珍しく、ビーフカレーを見つけたので、それならいけそうだということで、再び「ビーフカレーOK?」ということでそれに決めた。テーブルに並ぶまでに約15分程度かかった。

 色はどう見てもカレーである。しかし、口には馴染みのない味が飛び込んできた。少々甘い感じ。あれって思いながら再び口にする。辛味に勢いもなく、肉の質もよくなかった。こういう料理だといわれると、そうなのかもしれないが、本当にそうかなー。さらに、途中でやめたいぐらいの気持ちになったが、やっとの思いで食べた。何度も確認するようにカレーだけ口に運んだが、やはり、自分の持ち合わせた認識と大きく異なるものだった。そこで、しばらく迷ったが、自分の認識にも問題があるのではないかと思えてきた。それは、周りの席では、妙な顔1つせず食べているお客が多かったからだ。そういう時って、本当に困るんだなー。自分としては、「秋葉原ベンガル」のカレーに慣れてしまっていたし、「九段下アジャンタ」のカレーからは遠ざかっている。勿論、インドでは、地域によって食材や味付けが異なるらしい。その場では判断もつかず、それとなく消沈してしまったのだ。

 心の中で、「ごめん、もう来れないわ」とつぶやきながらも、再び日本のおっさんらしく「ニコニコ」しながら、お勘定を済ませて外に出た。こういうときは、「パール判事に感謝の気持ち」を思い出すしかないと考えた。 

 この事がきっかけになり、おまけにカレー粉末を紹介したばかりだったので、再びあのアジャンタへ行ってみる必要性を感じたのだった。
 それが、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF.pdf

2008/09/08

オーディオマニア2

 人には、コンピュータでいうところの数値演算、インストラクションの実行を得意とする左脳と、画像処理などを専門にして瞬時に大量のデーターを都合よく処理する右脳がある。図形認識、音楽鑑賞など全体をすばやく把握できて楽しめる人は、右脳が優れている人が多いと言われている。一般的には、言葉を聴いて分析したり、思考したり、更に言葉を創造するのは、左脳の作業だと言われており、ほとんどのサラリーマンは左脳を酷使する。細かい数字を電卓でたたき今月の売り上げが足りない言い訳をするとか、あるいは、売れそうもない商品企画をプレゼンする人も、みんな、左脳ばかり酷使してやや加熱状態にある。頭を冷やせとはこのようなときに使われる。さらに、その売れそうもない商品企画で作り出した製品が、後々の売り上げ不足を引き起こすので、生産から販売まで、ほぼ、全員が左脳にダメージを受けている。

   そのような状況では、いずれ、その責任転嫁攻撃も始まる。向けられた批判的な言葉は、左脳内部で割り込みを発生させ、どうにも内部に居座り、それが障害となって何時までも処理が進まず、ついにハングしてしまうこともあるらしい。このようなケースが急増している。また、その病を持っていると、具体性はなくても同じような状況が想定できる場合、左脳は予測処理を実行してしまい、再びハングをしてしまう。困ったことだ。ならば、そのような状況下では、遊んでいる右脳に一部の処理を任せられる仕組みがあれば、左脳と右脳の両者が協調して負荷に強いシステムとなるのではないだろうか。 

   そのための右脳発達トレーニングは何がよいか、あるいは左脳と右脳の両者の協調動作する制御システムの考え方など、多くの医者や脳科学者が研究している。そこで、幾つか代表的なものを挙げてみた。1.ウオーキングや山登り、などの無心になれる運動をする。2.音楽を聴いたり、優れた絵画、映画などを楽しみ、情緒を深める。3.動物的な戦闘能力を高める事を心がける。4.人生観を明確にし、最終目標を鮮明にビジュアル的に描いてみる。などが挙げられている。1と2は、一般的に広く知られていることだが、3の、競争力、攻撃力は、右肩下がりになった会社では、既にその習慣が風化しており、呼び戻すのは難しい。4については、転職後のプランを明確にするようなもので、これは、売れる商品を企画するより難しい。 

 ということで、涼しくなったら1と2を心がけて、色々試してみる必要がある。今後は更に激化するであろう責任転嫁攻撃に対し、「社内耐誹謗中傷防衛システム」を強化しておいて欲しい。そのために、平素から、このような音楽を聴いてみたらどうだろうということで、1から4までの関連する要素を含んだ、幾つか音楽CDを紹介してみたい。段階に応じて聴く音楽も変えて、徐々に堅牢でバランスの良い頭脳制御を試みよう。

それは、まずこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88CD.pdf

2008/09/03

神田シリーズ6

人にはそれぞれ苦い経験をした場所や心機一転した場所がある。

 この店に連れてこられたのは、入社して1週間ぐらい経過してからである。そこは、神田「志乃多寿司」の斜め前にあったと記憶している。大先輩に連れられてドアを開いた瞬間、異様な光景を目にすることになる。だだっ広く四角の暗い空間に、横向きに並んだ椅子に客がずらりと座り、対向面にも同じように客が並んで座っている。その対向距離はおおよそ5mぐらいあったと思う。横に隣同士で座っておしゃべりをする事を想定した配置だ。奥ではコーヒーを入れるための大きなやかんが沸々と蒸気を上げている。その100%の湿気の中で、葉巻の薫りやパイプの煙で、むせ返る様な空気のよどみだった。美女こそいないが、そこはまるで都会の喧騒から逃れた初老の紳士が、隠れて大麻を吸い、快楽の局地を味わっているかのような、異様さが漂う場所だった。BGMには、ちょっと大き目のエンクロージャとバスレフポートからでる豊かな低音で、きらきら煌きのようなショパンを響かせている。その不釣合いにやや興奮した。もちろん飛び切り濃い、体に毒と思わせるコーヒーが出されて来た。

 入社まもない、右も左もわからないときに、「どうだい」といわれても、そこには、「はい・・・・」という言葉しか浮かばなかった。 

 そのうち、大先輩は「仕事に、どう取組むのか」の自己啓発を私に迫った。王道は今の自分にはまだ無理だし、定石は勿論ない。理念の中から具体化されたものを要求しているようだった。その中に納得できるものがあれば、何をも犠牲にすることを厭わないほどの積極性を感じた。他人には、禅問答のように極度に抽象化された言葉に聞こえたかもしれない。その会話を進めるうちに、大先輩の「底知れぬ程、考え抜かれた理屈」に、この仕事は、自分には向いていないのではと感じていた。

 その後、気を取り直し、膨大なバックナンバーを少しづつ読みあさることになる。読めば読むほど、その難解な文脈が立ちはだかり、大いなる基礎知識不足を痛感し、知れば知るほど自分の無知が恐ろしくなるものだ。認識不足に耳たぶが赤くなるようなこともしばしばだった。いつしか挫折というか、開き直るしかないことを悟ることになる。そして、それからは、そのバックナンバーを引き合いに出しながら、それを基本的な理論武装とし、わかり易い単純なポリシーを振りかざし、徐々に能書きタレマン、非理屈こきマンになって行った。

 そんな笑い話のようなことでも、まじめに1つ1つ自分をごまかさずに実行していた年齢を懐かしく思うことがある。そのきっかけになったのがこの場所だ。仕事は生き方でもある。仕事を理解しているだけでは、実践力は生まれないし、理屈だけでは、成果は出ない。とことん、経験して大脳に「深いしわ」を増やさなければならない。しかし、その深いしわは、時の流れの中であるとき陳腐化する。だからそのために、幾つになっても、新旧の「時代を素早く読む」能力が必要だ。まず、それを「最初に磨け」と、大先輩は言いたかったのだと、いつしか気がついたのである。

そこはこちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3.pdf