人にはそれぞれ苦い経験をした場所や心機一転した場所がある。
この店に連れてこられたのは、入社して1週間ぐらい経過してからである。そこは、神田「志乃多寿司」の斜め前にあったと記憶している。大先輩に連れられてドアを開いた瞬間、異様な光景を目にすることになる。だだっ広く四角の暗い空間に、横向きに並んだ椅子に客がずらりと座り、対向面にも同じように客が並んで座っている。その対向距離はおおよそ5mぐらいあったと思う。横に隣同士で座っておしゃべりをする事を想定した配置だ。奥ではコーヒーを入れるための大きなやかんが沸々と蒸気を上げている。その100%の湿気の中で、葉巻の薫りやパイプの煙で、むせ返る様な空気のよどみだった。美女こそいないが、そこはまるで都会の喧騒から逃れた初老の紳士が、隠れて大麻を吸い、快楽の局地を味わっているかのような、異様さが漂う場所だった。BGMには、ちょっと大き目のエンクロージャとバスレフポートからでる豊かな低音で、きらきら煌きのようなショパンを響かせている。その不釣合いにやや興奮した。もちろん飛び切り濃い、体に毒と思わせるコーヒーが出されて来た。
入社まもない、右も左もわからないときに、「どうだい」といわれても、そこには、「はい・・・・」という言葉しか浮かばなかった。
そのうち、大先輩は「仕事に、どう取組むのか」の自己啓発を私に迫った。王道は今の自分にはまだ無理だし、定石は勿論ない。理念の中から具体化されたものを要求しているようだった。その中に納得できるものがあれば、何をも犠牲にすることを厭わないほどの積極性を感じた。他人には、禅問答のように極度に抽象化された言葉に聞こえたかもしれない。その会話を進めるうちに、大先輩の「底知れぬ程、考え抜かれた理屈」に、この仕事は、自分には向いていないのではと感じていた。
その後、気を取り直し、膨大なバックナンバーを少しづつ読みあさることになる。読めば読むほど、その難解な文脈が立ちはだかり、大いなる基礎知識不足を痛感し、知れば知るほど自分の無知が恐ろしくなるものだ。認識不足に耳たぶが赤くなるようなこともしばしばだった。いつしか挫折というか、開き直るしかないことを悟ることになる。そして、それからは、そのバックナンバーを引き合いに出しながら、それを基本的な理論武装とし、わかり易い単純なポリシーを振りかざし、徐々に能書きタレマン、非理屈こきマンになって行った。
そんな笑い話のようなことでも、まじめに1つ1つ自分をごまかさずに実行していた年齢を懐かしく思うことがある。そのきっかけになったのがこの場所だ。仕事は生き方でもある。仕事を理解しているだけでは、実践力は生まれないし、理屈だけでは、成果は出ない。とことん、経験して大脳に「深いしわ」を増やさなければならない。しかし、その深いしわは、時の流れの中であるとき陳腐化する。だからそのために、幾つになっても、新旧の「時代を素早く読む」能力が必要だ。まず、それを「最初に磨け」と、大先輩は言いたかったのだと、いつしか気がついたのである。
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