2008/09/25

味覚と料理人

 人の味覚は様々だと感じることが多い。また、美味いものは世界共通だとも言われる時もある。味覚は、個人差があり、年齢、性、精神的・肉体的条件、出生地域、生活地やその気候風土の影響も受けるらしいので、違いがあることは分かっているが、共通点がある事もごく普通に認識できる。また、料理を食べる側の時は、他人との差を大きく感じることは少なくても、作り手側になるときは急に慎重になるはずだ、そして微妙な差を問題にするとき、自分の味覚に自信がもてなくなることも少なくない。お店の料理をそのような認識を持って食べると、こんなに美味いものが作れるんだと無条件で関心することもある。自分の味覚とシェフの感覚が一致した時といえる。プロだから当たり前だと考えるべきなのか、それとも、いちばん評価を受けた自信のあるものをメニューに出していると言う見方も出来るが、私の顔はおろか、年齢、出生地域、健康状態を知るわけでもないところが不思議だ。と、マジで考えるのであった。

 昔、神田には「客の顔をみてから、飯を炊く寿司屋があった」という話を聞いたことがある。あの、カメラの先輩の話である。いきなり、誰しも「ほんまかいな」と返したくなるような、信じられない話だが、それだけ客の満足を考えて「美味しい」ものを提供しようとする心意気なのかもしれない。現代でも、神田の寿司屋は常連になると、黙って座れば、好きなものをさらっと並べてくれる。過去の個人別データーを参照していて、疲れた客に言葉さえ発せさせない、「あんたの食べたいものくらい百も承知だ」という心構えで、勝負に出てくるのだ。

 一方で、客は客として、客の心意気と言うべきか、役割もあると私は考えている。今日は、これが「美味しかった」と料理人に伝えるべきであるし、「何故、今日は、こんなに美味しいか」尋ねてみる事も、役割の1つだと思う。このような感覚は、なじみにならないと、出来ない事かもしれないが、先日も、つい注文時に「赤座の、これって珍しくて、本当にいつも美味しいんだけどね、私には、ちょっと高いんだ。もっと、何とかならない?」、「そうですね、シェフに話してみます」。こういう、店側にとって困る会話は、ぎりぎりか、行きすぎか、あるいは脅しとも取れるが、関西人だから平気なのだ。でも、出てきた時に「これでどうでしょうか?」と声をかけてくれた。いつもより味は濃くて美味しく感じた。何らかの応答があったのだ。そんな時、デパートの中のお店だから高くても仕方ないと思える。今日は、そんなハンデを背負ったお店を紹介しよう。
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