東寺から梅小路通りへ帰る途中、遅いお昼を食べたいと思い、来た道を戻りながら思い出す。確かこの先の一角に「とんかつ1番」というお店がある筈だ。大工町にあり、昭和35年創業の、「安くて、早くて、美味い」と評判で、どういうわけか、クリームコロッケは遠くからも食べに来ると書いてあった。それでも、「1番」というのが気になって覚えていたのだ。大工町は全国各地に散在して残っているが、京都の大工町は広い。梅小路公園に近いらしいので、大工町の西側だ。早速、探してみることにする。
また、少し余談になるが、京都は隅々まで格子状の道路なので見通しも良い。しかも、細部も直感的で分かりやすい。たとえば、通りから→上がる、下がる、東入る、西入る、という表記が使われていて、道路からどちらへ行けばよいか、すぐに分かる。因みに、天皇のいらした御所の方向が「上がる」である。しかも、「下る」は縁起が悪いので、あまり使われていない。ついでに、建物等は、御所からみて右左が決まる。だから東寺は左寺である。
七条大宮交差点の1本手前を「東入る」と、人が店を覗き込むようにしていたのですぐに分かった。ここだ。周囲は、静まり返った住宅街である。店に入ると、ゆったりとした4人掛けのソファーとテーブルが3組、カウンターは5人は並べるかな?と言う程度で、15人も入れば一杯になりそうな、まさに「昭和の食堂」そのままである。もっとも、昭和35年というと私が7歳、丁度小学一年生の頃に創業したお店ということになる。このような光景は、初めて入ってもなぜか、郷愁を感じさせ、どこか懐かしい。誰でも昔がよぎる。一寸暗めの照明に、細かく区切られた磨りガラスの向こうから、光が漏れる明るさは、どういうわけか、幼い頃「通っていた病院」の食堂の窓に似ていて、古いが磨きこまれ、清潔感が漂う。そんなはずもない「蒸気機関車の汽笛」が聞こえるのは、記憶の瞑想からなのか。ほんの僅かな時間だが、昔に来たような気がする。でも空腹のせいか、無意識にメニューを開きながら目をやると、何だか「美味しそうじゃないか」と体が反応してしまった。食事を「一番」美味しくいただくコツは、やはり腹を空かせる事なのだ。
とりあえず、一番の「とんかつ」を注文する。御飯と味噌汁をつけてもらい、計1050円である。少し前に入った家族連れ3人は、わざわざ「宝塚」から来たようだ。な、な、なんと、「ソースカツ丼(650円)」という、メニューに無いものを頼んでいる。そうか、そんなものがあったのか。ソースカツ丼は「福井の名物」だが、京都ではどのように細工がなされているのであろうか。
東京下町あたりのとんかつ屋では、かつの衣がでかい、キャベツが山盛り、「ソースはそれね、甘いのと辛いのがあるから」、味噌汁は、具はしじみで朝から作ってあり、ちょっとしょっぱく、味噌の匂いがする、さっぱりした感じだ。これらはあくまで添え物であって、カツの大きさによって満腹感を与えることに主力が注がれている。しかし、この店のは、とんかつ自体は、ごくごく普通だがソースが違う。最初からとんかつに敷いてあり、これが、なかなか手の込んだお味で、ベースはビーフとフルーツ系を一緒に煮込んで醸造した自家製だ。僅かな酸味も無く、この味は老舗の風格を感じさせる洗練されたものである。普通のとんかつが、上品なとんかつに仕上がっているのだ。また、「ほーっ」と言った感じである。味噌汁もまた、料亭で出されるようなお味である。一寸濃い目だが味わい深いく、赤出しのような癖も無い。これら1品ごと、下ごしらえに手間隙をかけ、吟味した「とんかつ定食」になっている。まさに、「お主、この違いが分かるか」と問いかけられているようだ。
このような、こだわりは普通ではない。これが、京都の職人流儀というのか。恐らく、彼らは、僅かな素材を大切にして、同じものでも、どのように調理したら美味しくいただけるか、常に工夫を凝らして競っているのであろう。日本海で獲れた鱈を干して棒状にし、乾燥したものを、叩いて柔らかくしてから煮付ける。そんな話を聞いた事があるが、食材入手と調理法の歴史的背景は、土地柄かもしれないが、このような「こだわりと手間」が無ければ美味しくないという、うるさい客人が多い事で、この技巧的な食文化が守られているようだ。 では、こちら。
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