とんかつ一番を出て、大宮通りを「上がる」。大宮七条の交差点(バス停は七条大宮の表記)を渡り、右手に龍谷大学、西本願寺の塀沿いを眺めながら、「立派な造りだ」と関心しながら、しばらく続く。日も暮れ始め、冷たい風がダウンの隙間から押寄せる。指先も凍えるように冷たくなってきた。なんとなく心細くなり、西本願寺の北塀へ「東入る」。ここは、あの東本願寺の壁(画像比較16)を撮った「花屋町通り」の先になる。 そこを通り抜けて堀川通りに出ると、ここも東本願寺の場合と同じように大きな道路が西本願寺の一角を避けるように走っている。
お寺の鐘が「ごーん」と鳴り始め、観光客が沢山出てくる門があった。門の前はタクシーが待ちうけ、客を乗せては次から次へと走り去る。寒々と近づいてみると、西本願寺の「阿弥陀堂門」である。そう、ここで「オレンジ色に輝く木札」を見てしまったのである。それに魅了されるように、シャッタを切ったのだ(その画像は続デジタルカメラ17の画像比較15 http://archivetec.blogspot.com/2009/01/17.html)。 話が、ずっと戻ってしまうが、これは2つの目的を備えた画像と言うことになる。 思い出せなければ、再度そちらを見ていただくとして、西本願寺は、どうやら私にも係わり合いがあることを発見してしまったのだ。 また、余談というか私事になるが、幼い頃に祖母が「南無阿弥陀仏」と手を合わせる姿を度々見た事がある。今、思い起こしてみると、これは、祖母がわが身を振り返り、念仏を唱え、阿弥陀如来に感謝をしている様子だったのだろう。なぜなら、悲しい事があっても、嬉しい事があっても、様々な場面で、仏壇の前に行き、手を合わせる様子を見ていたからである。時には、私をひざの上に乗せ、手を合わせて感謝するようにと指導までしてくれたのだ。そうか、祖母の教えは、ここからきていたのか。
人は、誰かに見守ってもらい、生きていたいのである。自分に、両親がいる間は、何かと心の支えにはなるが、おっと、もちろん反発もあるだろう、その反発も心の支えである。しかし、両親が浄土に旅立つ頃になると、人は、より様々な難しい課題に振り回され、さらに、その極限状態にまで追い詰められることもある。そんな時、迷いが生じたり、自己を見失ったり、苦しみに脅える。あるいは、自分自身の考えの貧弱さに失望することもあるだろう。幼い時、良い事をして「誉められ」、悪い事をして「叱られ」、ある意味で、人の道というものを両親から教わる。そして、両親が亡くなった後も、困ったとき、誰か人生の指針となるような「心の支え」がほしいと願っているのである。そのくらい、人には煩悩と言う「欲やわがまま、憎しみ」があり、表面化する事がある。そこで、大きな間違いを犯さず、正しい道に導いてもらい、納得してより良い人生を末到したいのである。 さらに、歳を重ねると、ゆくゆく、浄土でも「良い仏」になりたいと願うのである。 つまり、一言で言えば、人は誰しも「自分の歩む道を教えてもらいたい」のである。
親鸞聖人は、様々な煩悩を「阿弥陀如来」の本願力によって説かれたのである。その説法を拝聴し、それを人生の教訓となし、実践 (=念仏を称えることを日々心がけ、阿弥陀如来に感謝し、常に自己を反省する)すれば、「阿弥陀如来」は全ての苦悩から我々を「お救いになる」とも説かれている。そして、多くの人達がその教えを守り、「南無阿弥陀仏」と唱えながら、煩悩を慎み、心豊かに生活してきたようだ。祖母も、その1人だったに違いない。 最近は「親鸞聖人」を題材にした書籍も多く出版されている。興味のある時にこそ、教えを紐解けばよい、これも、自分に対する恒久的な福祉作業だと思う。ただ、安易に解答本を見てはならない。現代社会では、課題を解決する精神力も必要だし、やや強引さも役に立つ時がある。
話を戻そう、翌朝も再び訪れ、あの木札を見ても、光り輝く文字は、黒い墨に変わっていた。阿弥陀堂門をくぐり、阿弥陀堂の内部に入ってみる。だだっ広い仏前では、既に何人かが集い、阿弥陀如来像に向かい手を合わせ「南無阿弥陀仏」を唱えている。私も、つい雰囲気に巻き込まれ、立ち去るわけにも行かず、昔からの信仰者かのような顔をして、年配の人達に紛れ、祖母を思い出しながら手を合わせる。それでも、その阿弥陀如来像は威厳を放ち、そんな私を見透かしながらも、優しく微笑んでいるかのようだった。そこも、「ありがたい」。 外に出ると、日差しは格別に暖かく眩しかった。 目を細め、この阿弥陀堂、御影堂の屋根を見上げながら、傾斜の曲線に見とれ、しばらく眺める。気が付くと、御影堂は3月末まで工事中のようだ。工事が終わってから、再び訪れてみたい。それまでに、何らかの反省修行が必要なのだろうか。
西本願寺を出て七条通りに向かって歩きだし、七条堀川の交差点を「東入る」。七条通りを烏丸方面に歩くと西洞院通りと交差するが、その手前にある、「銀行のような堅牢な建物の喫茶店」を見つけたので、一息入れることにした。 内部に入ると、都会を思わせるカジュアルな雰囲気と若者で溢れていた。珈琲もケーキも東京より随分安価である。何故か、若者達のかん高い声で、現在に戻ったという安心感と言うか、それも妙に心が休まる。吉祥寺、御茶ノ水あたりと変わらない若い活力を感じる雰囲気だ。
今日は、ここを紹介するが、お会計時レジで梅小路公園にある「蒸気機関車館」のポスターを見たので、また戻る感じだが、午後から行ってみることにする(次回)。 では、先にこちら。
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