映画やTVドラマでは、一番重要な事柄や対象を可能な限り後回しにしたり、ひた隠しにすことによって期待を高めるというテクニックがよく使われる。そして、ストーリーがたるみがちな時に、その実体に近づきながら、鑑賞意欲を継続させシーンを盛り上げる。さらに、後編へとか、つづくとか、焦らしながら引っ張ったりもする。今までのストーリーは何だったんだ!時間を返せって叫びたくなることもある。大切な事柄を先延ばしにしてしまう「人が決断にいたる優柔不断さというか、苦しい試行錯誤プロセス」を巧みに応用し、よりリアルに現実感を投影しているのかもしれない。ただ、実体や現実をある程度隠すことによって、想像力が高まるだけのことである。今まで、ここで「松本清張と粗引き蕎麦」とか、「深大寺温泉」とか、いくつか深大寺にまつわる話題をネタにしてきた。深大寺の実体をご存じない方は、きっと色々想像されたに違いない。その土地の名称だとか、かつてはそんなお寺があった場所なのだろうと思われたかもしれない。あるいは、お寺があったとしても、こじんまりとした瀟洒なものをイメージされているかもしれない。そこで、今日は、じっくりと「深大寺」をご覧頂きたい。
深大寺は、天平5年(733年)に満功上人(まんくうしょうにん)が創建した寺で、天台宗別格本山である。縁結び、厄除け、商売繁盛のご利益があるとされ、寺名は、湧き水の豊富な武蔵野に祀られていた「深沙大王(じんじゃだいおう)」という「水の神様」に由来しているようだ。これによって、水を使った商売をする人たちから熱心に信仰されている。これが、歩留まりの良い蕎麦との関連性を生んでいるわけで、ふんだんに水を使う蕎麦屋にとって申し分の無い土地柄と言うことになる。また、それほど多くの湧き水があるならば、その成分によっては、温泉もありうる話だ。 加えて、満功上人のご両親には、壮大でロマンチックな恋愛物語が伝えられており、「いかなる熱意を持ってしても、難しいとされる縁結び」に不思議とご利益があると言われている。まあ、何事も熱意が無ければ誰も手を貸さないし、未来は無いということだ。
さて、そのような様々な情報取材活動から、深大寺をどのように撮影して伝えるべきか思案する。撮影とは、由来、歴史、まつわる物語や現状を知り、「自分なりの解釈」を映像で表現すところに焦点を合わせる。幾度と無く通い、統計的な分類をしたり、時にはインスピレーションを得る必要もある。また、通いつめることによって、改めてその御利益に触れ、信仰心が芽生えるかもしれない。そして、いつしかその様な修行を重ねた時、実体の持つ美しさを改めて認識するのである。うぅーん、なるほど、ということで、朝に夕に深大寺に参拝し、その時間帯に参拝する人達を観察する。もちろん、観光バス、定期バスの来る時間帯、門前あたりの店じまいの時間帯、それらを知り尽くす必要がある。いつも自分の都合だけで訪れても発見は無いのだ。
もっとも、いくつか定番的な撮影ポイントはあるように思えるが、「ぶらっと来て撮りました」では、満功上人に申し訳がない気もする。ならば、最初はオーソドックスに迫ってみようと思う。オーソドックスとは、「必然性があり正統的」であるという意味だ。それには、まず、その霊験新たかな情景、静寂、長い歴史の中でその地域の人々に親しまれてきたという事実を撮りこむ。本堂は再建されているため新しいが、歴史を雰囲気として織り込める場所は、ここしかないし、もちろん時間帯もこのタイミングがよい。
今回はノートリミングでインポートした。解像力も470万画素と従来の約1.5倍とし、画像に柔らかさを表現したつもり。しかし、ノートリミングのため、2枚ともそれぞれ中心部から周辺に掛けて、レンズの異様な図形ひずみが気になったり、中心部と周辺との明るさの違い、周辺部の色収差、等が目立ち、一寸気になってしまうが、作画意図は伝わると思う。 あと、最近は補足説明をしていないが、モニターの明るさ調整を適正にして欲しい。通常ポジションが30ならこのコーナーは50くらいかな。ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21200&app=WordPdf