2009/04/14

弁当シリーズ3

  食事は、本来「出来立て」の暖かいうちに頂くのが一番美味しい。頂く側の立場としては、目一杯にお腹を空かせておくのが鉄則である。その条件を満足すれば、どのような料理でも、それなりに美味しくいただける。人は、美味しく感じることに喜びを知り、さらに、後々体の各部の細胞から必要な養分が供給された情報が大脳へ集められ、快楽物質が放出され満足するのである。それは、大脳はしっかりと記憶に格納する。そのため、同じような体調、環境、空腹感に遭遇すると、同じものを欲するのである。また、大脳は、体の各部の細胞を精密に管理していて、今の体の状態が必要としている栄養をいつも大脳へオーダーしている。そして、思い出すように我々を記憶の食事にかきたてる。しかし、それが手近に無ければないで代用で済ませるが、それを渇望し、楽しみにしてきた場合は、それを外すことは大きく大脳を落胆させる。よく言われる「○○のお腹になっていた」という現象だ。

 自然な自分の欲求に応えて、最小限度を食べていれば、素直に生命維持が出来るようになっている。大脳は、何も食事にこだわっているわけではなく、その中に含まれている栄養素を要求しているだけで、必要な栄養素が入ってこない場合は、その取り込んだ栄養から再び必要なものを体内で再構成するか、もっと強い要求や警告を出すようになる。慢性空腹感を感じていたら、必要なものを供給していない可能性がある。メタボになるのは、このようなメカニズムが原因かもしれない。食べても、本当に必要としている栄養を摂取していないのである。季節によって旬のものを食べる習慣は、その遺伝情報が過去から呼び出されたものだし、体も欲しがっているのである。季節の変化に体を追従させるため、必要とされていると考えた方がよい。また、若いうちは、ステーキやハンバーグが好きでも、年齢によって食べたいものも変わってくる。歳を重ねると蕎麦が好きになる人が多い。蕎麦は、年配者に必要な栄養素が含まれている。 一方、食事の時「何でもいいよ」と言う言葉を口にする人がいるが、それは、誤った判定を起こしている要因があるに他ならない。そういう人に限って、頭の中は仕事で充満し、お腹は空いているのに、何が食べたいか判断できないのである。このようなときに、前の日と同じようなものを食べたり、口当たりのよい高カロリー食品を食べて、体に不必要なものを供給してしまうケースがある。

 そのような状況が起こった時は、選択的に判断するよう仕向けよう。その判断を支援するのに最も適しているのが、デパートの地下にある食品売り場である。ここを眺めると、自分が何を食べたいか、要求ぐらいは判断できる。一周すれば、食べてみたい候補が1~3品ぐらいは上げられる筈である。あまり考え込んではならない。あるいは、1品見つけたらそれを購入し、ほかは見ないという手もあるが、1品にしなければならない根拠も無く、第1候補と第2候補ぐらいを割り当てるのがよい。1品では失敗したときのダメージが大きいからだ。ただ、1度に2品も食べられないかもしれないが、残りは翌朝に回せば良い。半分づつ2品食べると言うのもひとつの選択肢である。

 ちょっと、いつものように回りくどい話になってしまったが、人が本能的に発する「食べたい」衝動は、理屈で解明されていない要素が含まれているので、それなりに慎重に対処しなければならないということである。いかにも食意地の張ったおっさんの言い分といえる。

 今日は、弁当といっても折に入ったものではなく、プレートで販売されているものを2品取上げてみた。持ち帰ったら、電子レンジで少し暖めなおすとよい。製造者はホテルオークラ・エンタープライズで、1品1,260円である。論旨に沿うように2品用意した。あなたなら、どちらをチョイスするか。最近いらいらする人は、カルシウムが自然に含まれた左側、少々風邪気味でたんぱく質を必要とする方は右側。いずれも、技が冴えるプロフェッショナルが製作した、「気の利いた美味さ」になっていると思う。余計なことだが、この2品のプレートを忠実に写真で再現できるように、照明などを工夫して撮影した。さしずめテクニカラーといったところ。美味そうに見えるかな?。
ではこちら
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