2009/05/01

ワッフル

 街中でワッフルを食べながら歩かないでほしいと思う。いやいや、とがめているのではない。昼間から銀座のどまん中でのそのような行為は、自由を謳歌している象徴でもあり、ちょっとした幸福感に満ちた顔は、ほほえましくもある。ただ、若い人ならともかく、そうとも思えない人達までが真似をする。それは、やはり滑稽であるが、周囲からもそれだけ、「美味そう」に見えるようだ。甘い薫りが漂うお店の前には、長い行列ができていた。人は幼い時から人前や公的な場所での礼儀の指導を受けてきた。一般大衆の面前で恥ずかしい事をしてはならないという教訓である。しかし、その行為が回りの人達を巻き込み、その場限りの1つの流行になっている場合は、逆に、それに適応できない人達の方が、時代遅れな感覚でKYな奴として軽蔑される。

 今日は、そんなブームになっている銀座のワッフルの紹介である。結局、我々のような世代は、若い人の中に紛れ込み長い列に並んで、田舎者のように「あれもこれも」と沢山持ち帰り、大衆の面前を避けて、自宅で食べることになる。色々手を出しながら食べ比べ、ああでもない、こうでもないと、今ブームになっている理由を、そこから見つけ出そうとするのである。そこに自分も今の若者感覚と同時性というか、同じ価値観を持っている、という安心感というか安堵感にも似た時代感覚を得ようとしているのである。もちろん、ドーナツ、クレープ、たこ焼き、お好み焼きなどは、出来立てが一番美味しい。どれも、時間が経過すると大きく品質が低下して、出来立ての食感や美味しさが消えうせる場合も多い。お祭りの屋台などで、その場で買って歩きながら食べるのは、そのような経験則によるものだ。それは、ワッフルも例外ではない。美味しく戴くためには、出来立てをすばやく口に運ぶのがよろしいようだ。いや、そうに決まっている筈だ。

 ならば、そんな時間が経過したものを比較検討するのは、適切とは思えない。やはり、その場で周囲の人と同じ行動をして、「美味しいね」って互いに顔で合図をしながら食べてこそ、正しい評価が出来るというものである。

 ただ、この店に限って一概にそうとも言えないのが、このワッフルの支持される所以なのであろうか、3時間後、15時間後、24時間後でも、美味しいのである。もちろん出来立てを口にした事が無いので、それとの比較にはならないが、時間が経過しても、恐らく、出来立てには無い別の味わいが出てきて、それなりに美味しいのである。これこそが、通販でもこの商売が成立つ大きな要因といえそうだ。

 もっとも、美味しいには違いないが、やはり、まだ珍しさがその美味しさを上回っているのが現実で、ふと気が付くと、これだけ甘く舌触りがよいと、続けては、体に良いとも思えないので、いくら甘い物好きでも、一度食べたらしばらくは遠慮するほうが良いかもしれないと気が付くのである。色々検討してみても、考えた挙句に、もっと素直になればよいのである。「何か言いたい事があっても、何か違うと思っても、自分には出来ないと思っても、まず、同じことに挑戦する事を忘れてはならない」のである。

 結局、銀座へ来たときぐらい、思い出したように、その場でちょっと無邪気に1個(126~147円)食べればよいのであろう。そういう必然性は、我々が批判めいた事を申し上げたり、じたばたと検討するより、はるかに、彼らのほうが合理的で理に叶った楽しみ方をしていると言えるのではないだろうか。 いやいや、また、1本やられた。
 ではこちら
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