八百屋の前を通りかかるとラジオから、「麦わら帽子は、もうきえ~た。たんぼの蛙は、もうきえ~た」と、聞こえてきた。そんなメロディーに哀愁を感じ、ふと西瓜の前で立ち止まり、湧き上がるように「待つことの楽しみ」への想いが溢れてきた。「夏休み」という言葉は、いつ聞いても興奮する。そ、そうだ、もうそんな時期なんだ。まじかに迫るお盆の帰省は、義務感から、いつしか楽しみに変わっていく。その枯れた同郷の歌声に、つい自分も口ずさみながら田舎へ想いを馳せる。徐々に気分が和らぎ、どうゆう訳か周囲にも優しくなれてしまう。これが、この歌と共に生きてきた人達に共通する、素直な反応なのではないだろうか。田舎では、時間の流れがどこか違う。蝉時雨中で絵日記を手伝い、西瓜を一緒に食べ、夕方水まきをし、花火を見守る。もちろん、みんなで墓参りもする。ただ、残念なことに、その楽しい「夏休み」は長くは続かなかった。今や、姪っ子たちも成長し、もう、帰ってくる「東京の激辛カレーおじちゃん」を待つことも無いだろう。
3個入りネットに包まれた玉葱を見ながら、ふとそう思ったのである。みんな一緒にカレーを作るのが夏休みのイベントだった。汗だくになりながら、辛いの、甘いの、肉なし、にんじんなし、じゃがいももっとなど、それぞれの好みを主張して少しづつ違うカレーを用意する。みんなで手分けして野菜を切るが、時には、互いに口喧嘩をしながらも、怒ったり、泣いたりしながら、なかなかはかどらない。そういう時間を一緒に過ごすことで周囲への思いやりも芽生え、やがて成長していくのである。
今、目の前の立派な「むっちゃんのパプリカ」「つがる・百笑苦楽分25人の会、自然環境農法EST・1905」と袋に書いてあるパプリカにじっと見入っている。なかなか由緒正しい育ちのようだ。そこでは、「そうねー、青森から来たんねー、そりゃ遠い処から大変じゃったね」とふるさとの母の気持ちにも似た語りかけになっていた。ならば、これを使って夏向きの「辛らーいカレー」でも作ろうかと、自分の胃袋に尋ねてみる。眠っていた胃袋はすぐに目を覚まし、期待を高めている。やや上ずった声で、「おばちゃん、ゴーヤもいいのある、茄子も、」・・・と声をかける。八百屋を出ると、さっきまでいい天気だったのに、どんどん空は暗くなってきた。ゴロゴロと遠くで雷も鳴っている。やばい、来るぞと、いそいそと家路を急ぐ。それにしても、今日は、いい物が手に入った。夏カレーは、どう作っても失敗はしないが、素材は良い物を選びたい。こういう品物が入ると、自分なりに、より完璧な仕事に挑みたい気持ちが湧いてくる。そうそう、予定外の割り込みになるが、これもついでに写真を撮ってブログに載せてみよう。みんな元気を出してくれるかもしれない。そう考えているうちに、ポツポツと雨が額に当たり始め、家に着いたら、あっという間に豪雨になっていた。
夏場の調理のポイントは、調理中は熱が出るので、煮込む材料の玉葱のみじん切りや南京は3分程度電子レンジで、前加工しておくと後が早い。そして、煮ている物は1度ぐらぐらときたら、無神経に火を小さくするだけではなく、火を止めて余熱を利用する。炒め物も、先にフライパンの火を止め、余熱を使って最後まで上手に具材に熱を通す。そうやって、汗をかきながらも熱量の伝達バランスを考えるのも、一種のストレス解消になる筈だ。
できたぞーって、お皿に、自分の好きなものを好きなだけ乗せてみた。あたかもバイキングのようなカレーになってしまったが、お味は飛び切り想像通りである。みんなー、ガッツリ食べて元気を出そうぜ。
ではこちら
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