2009/08/18

JAZZ喫茶 咲蘭房


 我々の世代は、諸先輩方の言われるとおり仕事をこなしてきた。仕事だけではない、生きる理屈や人生観まで教わったような気がする。諸先輩方とは、現在60~65歳ぐらいの人達を指すわけだが、若い人たちから眺めると、50代後半も60代前半も大した違いはないように見えるかもしれないが、実は、何かにつけてポリシーある・なしで、まるでスイッチON/OFFぐらい「人生の取り組み方に違い」が存在したのである。かつて、会社のそんな先輩から、少々小難しい理屈を聞き、軍隊のように「難しいことは分かりませんが、要は、その通りやればいいんですね」と、やや投げやりに実行しても、豊富な経験に基づき理屈もしっかりしているから、成功もできるわけである。おまけに、「よくやった」と誉められる。こんな「楽ちんで嬉しいこと」はない。その繰り返しで仕事をこなしてきたような気がする。いずれ先輩は多くを語らず、仕事だけを渡すようになる。当然、教わったいくつかのパターンでやれば、必ず上手く行ったものだ。そして、それが自分の実力だと錯覚をしてきたのである。

 そういう先輩の年代60~65歳は「扱いにくい世代」でもある。俺の考えていることなんぞ、みんなお見通しで、行き詰ると次から次へと先回りして新たな手口を用意しているのである。結局到達点は、先輩の手の内にあるわけだ。今でも、この手の先輩の訓示は、無抵抗主義になり「素直に受け入れる事」が早道である。抵抗すればするほど遠回りをすることになるからだ。この世代の人たちは私と何が違うのであろうか、歳を一寸だけ多く重ねた違いだけではない、何か理由があるはずだ。今日は、改めて身近にいる「先輩の年代の人たち」からその「こだわり」を少し覗いてみる。今、この年代の人は、世の中にあふれて、いたるところに存在している。しかし、出来るオヤジはやはり少ない。

 好むと好まざるとにかかわらず、そんな人に出くわすと、なぜか低姿勢になることがある。人は「侍のように、その場の間合いを読む力」をDNAとして受け継いでいる。立ち会った瞬間「お主できるな」と思わせる瞬間のことである。あるいは、ちょっとした挙動で「こいつ駄目だな、チェッ」とピンとくる瞬間である。まあ、後者は安心できるが、前者はいくら「物腰が柔らかく」ても適度に緊張を伴うわけである。むしろ、その物腰が柔らかい分只者ではないことが多い。しかし、そんな人に親しく話しかけてもらうと、たいへん「嬉しい」のも事実だが、余計緊張する事もある。

 ここ「咲欄房」のマスターもそんな尖ったオヤジの一人だ。しかし、そんな尖る前の写真を見せてもらいながら、その全体像に迫ってみたい。上の写真の「可愛いい、ぼくちゃん達」をみて欲しい。自分達のバンドで演奏中のスナップである。校舎と校舎の間で演奏する彼らは、きっと飯よりも演奏が好きだったに違いない。左端がマスターの若き日の姿であるが、この「ぼくちゃん」が、その後、捨て身で上京し、トロンボーン1本で快進撃を続けてきた。いえ、今もバリバリの現役で二足の草鞋を履く男なのである。今日の紹介は、JAZZ喫茶の「咲欄房」なのだが、そのマスターの人なりや経歴を知ることは、このお店を把握するのに近道でもある。
ではこちら
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