2009/08/04

私の青汁

 タイトルに「私の青汁」とあるのは、あくまで今日紹介する「商品の名称」で、私が好きだという意味ではない。たまに胃腸の調子が悪い時に仕方なく飲むくらいである。青汁は、健康志向の人が野菜不足を解消するために飲む、一種の精神安定剤ではないかと傍目に思っていた。それにしても、ここまで飲み辛い物を「もう一杯」と喜んで飲む神経が分からない。現在の健康状態は、今までの偏った食事や運動不足が影響していると考えがちである。さらに、加齢に伴い「風邪をひきやすくなった」とか、「膝を痛めた」とか、実感を伴うために、不安もよぎる。しかし、いずれも本質を外しても安易に解決出来ればと思い、健康食品を試してみたい気持ちになるのである。

 しかし、いつもこれらを目の前にして、やや情けなく感じることがある。それは、どこか自分の中に健康に対するそこはかとない願望が呼び起こされ、この世の中に大した貢献もなく、存在価値の無い自分が、「無意味に長生きしたい」、しかも今まで、自由奔放に細胞分裂させてきた反省もなしに、何の努力もせず、ただお金で健康を買えると思ってしまう「いやらしい衝動」にかられ、おまけに「みんな同じだから大丈夫よ、今からでも遅くないから、ただし3箱までよ」と、訳の分からない理屈にさえも、気持ちを揺さぶられてしまうのである。もっとも、青汁だけではなくて、健康食品全般に対してそう感じるのである。まさに、無神経なオヤジの「他力本願型の健康依頼心」をくすぐる商品に見事に引っかかってしまいそうなところが、自分で情けないのである。

 それにしても、健康食品のように「信じて」習慣的に食べたり飲んだりするものは、「効能があるなら明示せよ」そして、「食べてはならない人がいたら明示せよ」と思うのである。そこに製造者としての責任を果たすべきで、それを顧客が認識し、自分で体験して価値を判断すればよいのである。せめて、正しい根拠の理論武装で説得して欲しいのである。そのようなプロセスを踏むと、健康食品に対する「虚像を追い求める依頼心」も無くなり、無知を振り回すオヤジくささも消えてしまうのではないだろうか。そして、自分の健康を自分で保守する主体性というか、自己診断を充実させ、一般の食品に対する認識も広がり、不足している物を補ったり、食べ過ぎている物を控えるなど、正しい知識の下で口にする物を取捨選択するようになる筈だ。そんなことより、早い話、現代社会では「食べすぎ、飲みすぎ、吸い過ぎ」を止めることで、もうすこし健康的になれるのではないだろうか。

 という、屁理屈による試行錯誤と猜疑心の駆け引きの末に、つい、何もしないよりは良いはずと思い、これらに手を伸ばしてしまうこともある。私の場合、「確かにこの青汁は胃腸に良い」傾向がある。理屈を並べれば、色々とあるのかもしれないが、私にはその根拠を正確に説明することは出来ない。それでも、この臨床的優位性は、「不調が続く中でも胃腸が再起動し、粘り強く動いてくれる」というところだ。そこにヤクルト製ならではの特徴があるのかもしれない。そして、もう1つ、この青汁を飲むのが辛いから、できれば避けたいと思い、胃腸が機能停止に陥りそうな「冷たい物、甘い物、油物、カフェインの多い物」などを極力減らすことに注意を払うようになったのである。これも優れた側面で、つまり、健康食品を取らないですむように考えて、それを目の前に用意しておくこと、これこそが、健康食品の本質的な健全性ではないだろうか。

 とかく、健康食品を食べているから、あるいは飲んでいるから、「何を食べても良いし、沢山食べても良い」と言う人も少なくない。それは、あたかも堅牢な肉体維持のためにお金を使っているという本人の自慢かもしれないが、自分の認識不足を周囲へ宣伝しているようなものである。そんなことを発信する前に、その「ヒキガエル」のようなお腹を何とかした方が良い。
 ただ、この青汁は、飲めるものならいくらでも飲んでいいんですよ。慣れてくると、美味しく感じるという習慣性もある。ではこちら
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