外国人サッカー選手の中には、ゴールした後、胸に十字をきる人がいる。帰化した選手は、君が代を真剣に歌う。食事の前に手を合わせる人がいる。これらは、目に見えない「万能の存在」を認め、その意向に従って人生を過ごすことが一番良いと考えているのである。日本にも、昔はお天道様が見ているとか、罰があたる、など、僅かな悪いことでも戒められることがあった。大人になると、日常の現実に振り回され、いつしかその「万能の存在」を忘れてしまうのである。
ところが、歳を重ねてくると、様々な経験の中から、ひょっとしたら「そのような存在」があるかもしれないと本気で思うことがあるらしい。それは、本人、あるいは、家族にしか分からない事が多いようだ。ある時、偶然が幾つも重なったり、自分では無理だと諦めていた事が実現したり、ずっと苦しみ悩んでいた事がある日突然解決したり、良いことばかりでもないらしいが、そんな過去の偶然にも似た体験が、いくつか思い出されることで、自分の力を越えた何かを実感しそのような「万能の存在」をにわかに信ずるようになるらしい。
我々は、社寺仏閣に入ると「見られている」ような錯覚を持つ。私は「よい子」なんですと言わんばかりに手を合わせ、そこの仕来たりに従う。歳を重ねれば重ねるほど、細部にまで「よい子」ぶりを発揮する。そんな、偉そうに言う私も全く同じ事をする。深大寺の元三大師堂では願いを込めて手を合わせ、おびんずる様にも挨拶をして、時折、開山堂に上がり手を合わせる。どれだけのご利益があるかは具体的に説明できないが、とりあえずその場は、それによって少し心が安堵するのである。それにしても、あくまでも自分の勝手な都合で、神仏を尊び、敬意を払い「優しく見守って欲しい」と、お願いする。これも、自分の宗教観を象徴する行動なのか。
やはり、今の自分の力では、どうにもならないことがあるとしたら、「願うしかない」と思う。その、その願いとは、僅かに近づいてくるチャンスを待つことなのかもしれない。願わなければ、そのチャンスを見過ごしてしまう。偶然なのか、運命なのか、それは誰にも分からないが、願い続けることによって、その中身は、よく整理され、単純化され、より譲歩し、徐々に実現しやすくなるのである。その願いを簡単な言葉で伝える対象に、神仏が存在しているのである。
今日の写真は、熱心に決められた時間に規則正しく「願う人」を撮影したものである。この情景は、たまたまいくつかの偶然が重ならなければならないけれど、道を挟んだ隣の公園にレンズを向けファインダーを覗いて、このシーンを見つけたという訳である。興味本位で撮影したと思われても仕方ないが、迷わずシャッターを切り連写した。この願う人は、我々の宗教観とは全く違う人達なので、何とも補足説明のしようはないが、その願いの根本は我々と同じ筈だ。いくつか本人に取材したいと思い、滑り台を掛け降りて探したが、既に建設工具を満載した車は発進してしまった。その後ろ姿を見送りながら、「何とか現場で怪我などせず、稼いだお金を無事に家族に届けて欲しい」と願うしかなかったのである。
ではこちら
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2009/11/24
アミノバリュー
先月、ウォーキングの話を3回連載したが、意外にも多くの人の目に触れたようだ。何らかの動機付けになると嬉しい。ただ、ちょっと書き残した事が気にかかっていた。それは、インフルエンザ流行の折、体温の話のところで、1.人それぞれ違うこと、2.その日の中で変化すること、そして、3.日本人の平均体温 等を言及できなかったことだ。その前提となる体温の測定方法に関しては、取説説明書に正確に記述されているのでそれに従うとしても、変化を捉えるためには、一日中一定間隔で計測しなければならない。そこで、「体温計のメーカーのHP」を見ながら計測概念を知り、自分でも確認してみることにした。また、そこで、過去の自分の計測方法に問題があった事も知った。
朝起きてすぐ(6:30)は、36.28℃程度で、1時間ぐらいで急激に体温は36.50℃まで上がってくる。その後は徐々に上昇し正午には、36.64℃ぐらいになる。午後も徐々に上がり、ピークは夕刻8時頃で36.82℃となった。日本人平均では、最高値は夕方6時頃らしいが、2時間ぐらい自分の体内時計が狂っている可能性が考えられる。もっとも狂っているのは体内時計だけではないが、それ以降の時間は、逆に下がり始める。そして、就寝する1時頃は36.38℃程度になる(全て3日間外出なしでの平均値で、運動、入浴なしで飲食時30分後に口内計測)。日本人の平均体温は、36.89℃±0.34℃とされているので、それに対しやや低いことがわかる。これは年齢によるものと思われる(50歳以上加齢と共に下がる)。体温変化の中でも、一般的に夕方の最高値の体温は、微熱が加わると内臓に炎症、ウイルス感染などが考えられるらしいし、一方で、体温が1℃下がると免疫力が36%も下がると言われているので、むしろ高めが良い。その適正範囲は、割合にクリティカルといえる。
したがって、午後、夕方6~8時頃のピークの2回チェックしておくと良さそうだ。ただ、現実面で外出後の体温はまるで当てにならないところが難しい。そして、体温の個人差を考えると、微熱・高熱は、自己管理(平均体温/時刻)するしかない。風邪等で病院へ行くときは、平熱を把握しておくと症状を訴えやすい。また、朝食は、しっかり食べると温度は上がりやすく、夕食はたくさん食べても、短期的には上昇するが、あくまでも下がろうとする。体内時計は、早起きして太陽の光を浴びることを繰り返すことで徐々に修正されるらしい。以上が、体温に関する補足である。
さて、それでは今日の本題に入ることにする。ウォーキング時には、誰でも水またはスポーツドリンクが必要になる筈だが、既に市場には様々なドリンクがあり、その効能についても色々説明されている。その能書きから、一番自分の体に適した物を選ぶとか、毎回気分で変えたりするわけだが、ドリンクを自作している人もいるようで、市販のもので個人的思想や体調に合わせるのは難しそうだ。
健康の為にスポーツをしている人は、このようなスポーツドリンクに特に敏感で、日々それが話題であったりする。自分としても、今回、このBCAA2倍増量(2000mg→4000mg)の変化を見逃すことは出来なかった。きっと、大塚製薬のことだから、何か訳があるに違いない。そのままだと他社の能書きに負けたとか、目に見える効果が不足していた。ゆえに売り上げが伸びなかったなど、心配している。と言いながら自分は、飲みやすい「明治のVAAM(以下バーム)」を手にしている事が多い。そこで、少しの間アミノバリューを試してみることにした。
ただ、今更この歳で過激な運動を連続で何時間もするわけではないので、全て軽い運動程度という前提になるが、それを意識しながらも事前にバームと同じ様に、まず、運動前にアミノバリューを250ml程度を飲み、1時間後に再び250mlを飲むという手順で評価を進めた。しかし、残念ながら、ウォーキングではバームを越える効果を実感することは出来なかった。たかだか12km程度の歩行では、効果が無いのかもしれない、と思ってしまったのである。「うーむ、俺は飲みやすいバームによって体質を変えられてしまったのか」とも考えられる。もちろん、翌朝も違いが分からなかった。
そんな折、カメラ(約2.6kg)を右肩から提げて、左手に三脚(2.8kg)を持って、背中に小物を入れたショルダーを背負い、2時間ぐらい歩き回った時である。だいたい、たまにしかそんなことはしないので、翌日、翌々日は腕が痛くて往生する。人との会話中でさえ事あるごとに腕を揉み解す。仕事にも集中できないし、下手をすると1週間ぐらい痛んでしまうことすらあるのだが、アミノバリューは、翌日も翌々日もいい感じの流れを作ってくれた。翌日、この腕の筋肉の感じがぜんぜん違って、凄く楽なのである。これには効いてる実感が得られた。しかも、体全体も割合元気が漲っているのである。これによって、平素使わない筋肉を使うときにこそ効果があるのではないかと推測したのである。そして、更に欲が出て、「もっとBCAA 濃いタイプ」は無いのかと思うほどだ。
確かに、今はウォーキングするのに楽な季節であるが、ウォーキングといっても膝下の足だけで歩いている人、たまにしかウォーキングしない人には効果があるかもしれない。その他、休日しか写真撮影しないという多くの愛好家、日曜大工の好きな方、まれに展示会の説明員をする人、など、知らず知らずのうちに筋肉を使う場合、アミノバリューは効果を期待できると思える。
使い方として、事前に飲む、さらに中間で飲むことで、BCAAのお陰で後々の筋肉の疲れを意識しない結果をもたらす訳だが、そんな一夜漬のような使い方だけではなく、平素から少しづつ飲んでおくと、これまた効果は大きい事がわかってきた。まったく体の軽さが違う。
平素からあまり駆使しないが、頭も筋肉だと言う人も是非試してみてほしい。 飲んだ日からよく動くようになるかもしれない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21413&app=WordPdf
朝起きてすぐ(6:30)は、36.28℃程度で、1時間ぐらいで急激に体温は36.50℃まで上がってくる。その後は徐々に上昇し正午には、36.64℃ぐらいになる。午後も徐々に上がり、ピークは夕刻8時頃で36.82℃となった。日本人平均では、最高値は夕方6時頃らしいが、2時間ぐらい自分の体内時計が狂っている可能性が考えられる。もっとも狂っているのは体内時計だけではないが、それ以降の時間は、逆に下がり始める。そして、就寝する1時頃は36.38℃程度になる(全て3日間外出なしでの平均値で、運動、入浴なしで飲食時30分後に口内計測)。日本人の平均体温は、36.89℃±0.34℃とされているので、それに対しやや低いことがわかる。これは年齢によるものと思われる(50歳以上加齢と共に下がる)。体温変化の中でも、一般的に夕方の最高値の体温は、微熱が加わると内臓に炎症、ウイルス感染などが考えられるらしいし、一方で、体温が1℃下がると免疫力が36%も下がると言われているので、むしろ高めが良い。その適正範囲は、割合にクリティカルといえる。
したがって、午後、夕方6~8時頃のピークの2回チェックしておくと良さそうだ。ただ、現実面で外出後の体温はまるで当てにならないところが難しい。そして、体温の個人差を考えると、微熱・高熱は、自己管理(平均体温/時刻)するしかない。風邪等で病院へ行くときは、平熱を把握しておくと症状を訴えやすい。また、朝食は、しっかり食べると温度は上がりやすく、夕食はたくさん食べても、短期的には上昇するが、あくまでも下がろうとする。体内時計は、早起きして太陽の光を浴びることを繰り返すことで徐々に修正されるらしい。以上が、体温に関する補足である。
さて、それでは今日の本題に入ることにする。ウォーキング時には、誰でも水またはスポーツドリンクが必要になる筈だが、既に市場には様々なドリンクがあり、その効能についても色々説明されている。その能書きから、一番自分の体に適した物を選ぶとか、毎回気分で変えたりするわけだが、ドリンクを自作している人もいるようで、市販のもので個人的思想や体調に合わせるのは難しそうだ。
健康の為にスポーツをしている人は、このようなスポーツドリンクに特に敏感で、日々それが話題であったりする。自分としても、今回、このBCAA2倍増量(2000mg→4000mg)の変化を見逃すことは出来なかった。きっと、大塚製薬のことだから、何か訳があるに違いない。そのままだと他社の能書きに負けたとか、目に見える効果が不足していた。ゆえに売り上げが伸びなかったなど、心配している。と言いながら自分は、飲みやすい「明治のVAAM(以下バーム)」を手にしている事が多い。そこで、少しの間アミノバリューを試してみることにした。
ただ、今更この歳で過激な運動を連続で何時間もするわけではないので、全て軽い運動程度という前提になるが、それを意識しながらも事前にバームと同じ様に、まず、運動前にアミノバリューを250ml程度を飲み、1時間後に再び250mlを飲むという手順で評価を進めた。しかし、残念ながら、ウォーキングではバームを越える効果を実感することは出来なかった。たかだか12km程度の歩行では、効果が無いのかもしれない、と思ってしまったのである。「うーむ、俺は飲みやすいバームによって体質を変えられてしまったのか」とも考えられる。もちろん、翌朝も違いが分からなかった。
そんな折、カメラ(約2.6kg)を右肩から提げて、左手に三脚(2.8kg)を持って、背中に小物を入れたショルダーを背負い、2時間ぐらい歩き回った時である。だいたい、たまにしかそんなことはしないので、翌日、翌々日は腕が痛くて往生する。人との会話中でさえ事あるごとに腕を揉み解す。仕事にも集中できないし、下手をすると1週間ぐらい痛んでしまうことすらあるのだが、アミノバリューは、翌日も翌々日もいい感じの流れを作ってくれた。翌日、この腕の筋肉の感じがぜんぜん違って、凄く楽なのである。これには効いてる実感が得られた。しかも、体全体も割合元気が漲っているのである。これによって、平素使わない筋肉を使うときにこそ効果があるのではないかと推測したのである。そして、更に欲が出て、「もっとBCAA 濃いタイプ」は無いのかと思うほどだ。
確かに、今はウォーキングするのに楽な季節であるが、ウォーキングといっても膝下の足だけで歩いている人、たまにしかウォーキングしない人には効果があるかもしれない。その他、休日しか写真撮影しないという多くの愛好家、日曜大工の好きな方、まれに展示会の説明員をする人、など、知らず知らずのうちに筋肉を使う場合、アミノバリューは効果を期待できると思える。
使い方として、事前に飲む、さらに中間で飲むことで、BCAAのお陰で後々の筋肉の疲れを意識しない結果をもたらす訳だが、そんな一夜漬のような使い方だけではなく、平素から少しづつ飲んでおくと、これまた効果は大きい事がわかってきた。まったく体の軽さが違う。
平素からあまり駆使しないが、頭も筋肉だと言う人も是非試してみてほしい。 飲んだ日からよく動くようになるかもしれない。
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2009/11/20
オーディオマニア9
人は、時たま微量の劇薬を投与されることで、免疫力が高まる事があるらしい。それを目的にした療法があるとも聞いたことがある。毎日が毒気の連発ともいえる現代人には慢性的な話だが、美しく心地よい曲ばかりでは、何か物足りないと感じることも少なくない。時々、ちょっと刺激があって、元気や勇気が沸いて来る曲も聴きたい事がある。ごくごくまれに毒気も必要と言うことなのだろうか。
世の中には、1発屋と呼ばれる人はたくさんいる。これは、1つしか芸が無いというときにも使われるが、たった1つでも「誰よりも群を抜いて優れている」、あるいは、それを創作するのに「一生かかってしまった」時にも使われる。逆に、同じ様な曲を小出しにして独自の世界を切り開く人もいる。それらは、どの作品を聴いても同じに聴こえるが、1つ1つの完成度は水準以上で、少しづつ聴きなれて、その世界に徐々に引き込まれるという作風になっている。レコードやCDの売上げを考えると後者の方が良いに違いない。しかし、いつまでも人の心に残る曲は、また別なのかもしれない。
そんな1発屋が毒気にも似た刺激的な作風で作った曲がある。古い曲で恐縮だけど1回聞くと、ちょっと元気や勇気が沸いてくる。元々、時計のCMのために作られたもので、当時盛んにTVで流されヒットに繋がった。ファンの人には申し訳ないが、歌詞の中には訳の分からない、とてつもない巨大な破壊力が綴られており、それが、聴き手には壊滅的で、整然とした秩序を嫌うエネルギーにも似た刺激で、そんな破壊に遭遇しても、人を愛することの喜びや、短く楽しんで生きる心得を婉曲に伝えていると思われる。その歌詞のとてつもない巨大な破壊力とは、「空はひび割れ、太陽は燃え尽き、海は枯れ果てて、月は砕け散っても」というフレーズである。それが、「ヒーローになる時、それは今」にどうやって導かれるのかやや不明瞭だが、恐らく彼女にとって自分がヒーローであると自慢しているようで、対比が極端で、理屈ぬきに面白いし、曲の流れにパンチがあり、勇ましく格好も良い。この曲を、野球やサッカーの関連CMに歌詞を変えれば、もっと不滅の名作になるかもしれない。しかし、その意気込みはロック調だったが、作品は純粋な歌謡曲である。
そして、この1発屋は、もう1発名作を書き起こしている。それは「安奈」に見る事が出来る。やや古典的な美しいメロディーに、男のロマンが渾然一体となった歌詞が心を揺さぶる。ただ、歌詞の中は、安奈のご機嫌を伺うフレーズが多く、内向的若者が心を揺らしている様子と、ちょっと下手な歌い方で、男の悲しい純真さを表現しているが、当時としては、これも対極的手法なのである。さらに、メールは「長々と書くのではなく一言で伝えよう」という教訓も忘れていない。同じ1発屋が作ったとは思えない、フォーク調の単純なコード進行なのに、やはり歌謡曲に仕上げている。この2曲は、まさに1発屋の気まぐれな、飽きやすい1発屋ならではの想いが「才能の非凡さとして垣間見れるところ」が、傑作と言われる由縁なのかもしれない。
当時は、高い声で語りかける曲や、悲観的ストーリーと情景描写で表現されるような、より身近にある「恋のリアリティー」を歌い上げた曲が多い中で、いやいや、南こうせつさんと比較するつもりは無いが、そんな主流から外れて異色を放ち、何かにつけて内容よりも「格好良さと美学」を追求した1発屋のおっさんである。偉そうに「おっさん」と書いているが、私と同年の生まれで、当時は、このような曲が作れる「才能溢れる若者」だったのである。そのおっさんが、「大人のCDコーナー」に座ってこっちを見ているので、「おおー甲斐さん」と言いながら、懐かしさも手伝って、きっとまた気まぐれな個性を使って「大人のCD」を作ってくれているに違いないと期待しながら、手に取ってしまったのである。
手に取ると、それでも失敗したらどうしようと言う気持ちと、また違う欲張りな気持ちがこみ上げてきて、別のコーナーにあったKai Bandのシングルス2枚組み38曲入りも購入してきた。聴きたい曲は、上の2曲しかないのが寂しい。ということで今日は、甲斐特集だ。どうだ、どうだ、こんなコアな話題についてこれるか。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21407&app=WordPdf
世の中には、1発屋と呼ばれる人はたくさんいる。これは、1つしか芸が無いというときにも使われるが、たった1つでも「誰よりも群を抜いて優れている」、あるいは、それを創作するのに「一生かかってしまった」時にも使われる。逆に、同じ様な曲を小出しにして独自の世界を切り開く人もいる。それらは、どの作品を聴いても同じに聴こえるが、1つ1つの完成度は水準以上で、少しづつ聴きなれて、その世界に徐々に引き込まれるという作風になっている。レコードやCDの売上げを考えると後者の方が良いに違いない。しかし、いつまでも人の心に残る曲は、また別なのかもしれない。
そんな1発屋が毒気にも似た刺激的な作風で作った曲がある。古い曲で恐縮だけど1回聞くと、ちょっと元気や勇気が沸いてくる。元々、時計のCMのために作られたもので、当時盛んにTVで流されヒットに繋がった。ファンの人には申し訳ないが、歌詞の中には訳の分からない、とてつもない巨大な破壊力が綴られており、それが、聴き手には壊滅的で、整然とした秩序を嫌うエネルギーにも似た刺激で、そんな破壊に遭遇しても、人を愛することの喜びや、短く楽しんで生きる心得を婉曲に伝えていると思われる。その歌詞のとてつもない巨大な破壊力とは、「空はひび割れ、太陽は燃え尽き、海は枯れ果てて、月は砕け散っても」というフレーズである。それが、「ヒーローになる時、それは今」にどうやって導かれるのかやや不明瞭だが、恐らく彼女にとって自分がヒーローであると自慢しているようで、対比が極端で、理屈ぬきに面白いし、曲の流れにパンチがあり、勇ましく格好も良い。この曲を、野球やサッカーの関連CMに歌詞を変えれば、もっと不滅の名作になるかもしれない。しかし、その意気込みはロック調だったが、作品は純粋な歌謡曲である。
そして、この1発屋は、もう1発名作を書き起こしている。それは「安奈」に見る事が出来る。やや古典的な美しいメロディーに、男のロマンが渾然一体となった歌詞が心を揺さぶる。ただ、歌詞の中は、安奈のご機嫌を伺うフレーズが多く、内向的若者が心を揺らしている様子と、ちょっと下手な歌い方で、男の悲しい純真さを表現しているが、当時としては、これも対極的手法なのである。さらに、メールは「長々と書くのではなく一言で伝えよう」という教訓も忘れていない。同じ1発屋が作ったとは思えない、フォーク調の単純なコード進行なのに、やはり歌謡曲に仕上げている。この2曲は、まさに1発屋の気まぐれな、飽きやすい1発屋ならではの想いが「才能の非凡さとして垣間見れるところ」が、傑作と言われる由縁なのかもしれない。
当時は、高い声で語りかける曲や、悲観的ストーリーと情景描写で表現されるような、より身近にある「恋のリアリティー」を歌い上げた曲が多い中で、いやいや、南こうせつさんと比較するつもりは無いが、そんな主流から外れて異色を放ち、何かにつけて内容よりも「格好良さと美学」を追求した1発屋のおっさんである。偉そうに「おっさん」と書いているが、私と同年の生まれで、当時は、このような曲が作れる「才能溢れる若者」だったのである。そのおっさんが、「大人のCDコーナー」に座ってこっちを見ているので、「おおー甲斐さん」と言いながら、懐かしさも手伝って、きっとまた気まぐれな個性を使って「大人のCD」を作ってくれているに違いないと期待しながら、手に取ってしまったのである。
手に取ると、それでも失敗したらどうしようと言う気持ちと、また違う欲張りな気持ちがこみ上げてきて、別のコーナーにあったKai Bandのシングルス2枚組み38曲入りも購入してきた。聴きたい曲は、上の2曲しかないのが寂しい。ということで今日は、甲斐特集だ。どうだ、どうだ、こんなコアな話題についてこれるか。
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2009/11/17
そば祭り
今回は、さっぱりと情報提供になる。蕎麦好きには、一寸参考になるかもしれないと思い資料を集めた。今更、蕎麦はビタミンが豊富で、高血圧によいルチンなども含み、歳を重ねた人には体に良いとか、そんな「つまらん」事を言うつもりは無い。耐用年数を過ぎた体は少々栄養素が投入されても改善されるすべもなく体調は常に右肩下がりになる。そんなことに求心するより、むしろ、日々の余暇を使って「楽しみをどのように創造」するか、そこに自分なりの人生観を反映させて欲しいものだ。蕎麦好きにとって「深大寺蕎麦に想いを馳せる」あるいは、全て試して「深大寺蕎麦を征服する」とでも、自慢できそうな余暇を過ごしてもらいたい。
深大寺周辺の蕎麦屋の特徴は、豊富な湧き水の水源にあるが、各店舗は競争意識が強いし、蕎麦に対する工夫もそれぞれ独自性が加えられ、どの店舗でも、訪れた人たちに「がっかりさせる」様な事は無い(保証はない)。お勧めは、前回紹介したとおり「門前と一休庵」だが、いくら蕎麦好きでも2軒続けて「はしご」をしてはならない。特に、こしのある門前の粗碾蕎麦を食べた後などは、少々消化に困る程だ。ついつい歩きながら消化を早めたい気分になってしまう。余談になるが、よく「調布駅まで腹ごなしに歩きたいから道を教えて欲しい」と尋ねられる事がある。お店で聞いたら、30分ほどだと話したらしいが、慣れた我々だと確かに、30~35分で出られるが、蕎麦が入った胃袋を抱えた年配の人には、その時間では無理だし、初めての道は迷いもあると思う。いまどき混雑するバスなんかに乗りたくない気持ちは分かるが、マスクでもして大人しく座っているのが最も賢い。もし、どうしても歩きたければ、深大寺門を東に行き、深大寺小学校前の道路をひたすら南下して京王線布田駅に出るのが賢い方法だ。途中で中央高速道路をくぐり、野川を横切り、甲州街道を渡り、旧甲州街道まで出れば、駅横の踏み切りが見えるはず。通して30分もあれば余裕といえよう。野川を横切らずに、左へ野川沿いに歩けば柴崎駅方面へも出られる。
そんなことより、個人的なお勧めコースは、まず、深大寺に10時30頃着ける様に行き、着いたらすぐに、門前の粗碾蕎麦(人気があるのでお昼過ぎには無くなる)を戴きゆっくりする。それから元三大師堂をお参りをして、開山堂まで上がり、すぐ前の神代植物園に入り、園内を散策しながら時々ベンチで休み、あるいは大芝生で一眠りして、小腹が空いた3時頃にでも再び深大寺に戻って一休庵に寄り、じっくりメニューを楽しんで、店主の話をよく聞いて、にしん蕎麦でも戴くのがよろしい。それぞれのお店では、自分の蕎麦知識の空白を埋めるように、色々質問してみると、大脳にも美味しいはずである。そうすれば、しばらくは蕎麦を戴かなくても大丈夫だ。
何で大丈夫か良く分からないが、話を本題に戻すと、深大寺そば組合では、そば感謝祭を11月27日(金)~12月3日(木)の7日間行う。これは、深大寺の秘仏とされる厄除元三大師が25年ぶりにご開帳されるのに併せて実施されるようだ。その深大寺そば組合の各店舗では、様々な催しがあるらしい。ただ、この期間は蕎麦屋も混雑が予想されるので、根っからの蕎麦好きは外したほうがよいかもしれない。が、信心深い人にとっては25年ぶり(次回は参拝でき無い可能性大)のご開帳期間がよいと思う。
今回は、この関連の情報を集めた。では、先にそばに関連した資料から。
まず、深大寺そばマップを参考にされたい。このマップと各店舗紹介は、深大寺バス停を降りて切符売り場でも配布されている。
先に深大寺そばマップはこちら
http://chofu.com/web/jindaiji_soba/jindaijimap.pdf
マップ裏の蕎麦屋各店舗の詳細は、こちら
http://chofu.com/web/jindaiji_soba/shopdate.html
深大寺から頂戴してきた「元三大師ご開帳のパンフレット」はこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21410&app=WordPdf
それでは、深大寺への行きかたについて、まず、新宿、八王子、橋本方面から京王線で調布駅へ、そして調布駅前のバス乗り場へ。乗り場案内は、こちら
http://bus.ekitan.com/bus/noriba/2547_01.shtml
深大寺周辺の蕎麦屋の特徴は、豊富な湧き水の水源にあるが、各店舗は競争意識が強いし、蕎麦に対する工夫もそれぞれ独自性が加えられ、どの店舗でも、訪れた人たちに「がっかりさせる」様な事は無い(保証はない)。お勧めは、前回紹介したとおり「門前と一休庵」だが、いくら蕎麦好きでも2軒続けて「はしご」をしてはならない。特に、こしのある門前の粗碾蕎麦を食べた後などは、少々消化に困る程だ。ついつい歩きながら消化を早めたい気分になってしまう。余談になるが、よく「調布駅まで腹ごなしに歩きたいから道を教えて欲しい」と尋ねられる事がある。お店で聞いたら、30分ほどだと話したらしいが、慣れた我々だと確かに、30~35分で出られるが、蕎麦が入った胃袋を抱えた年配の人には、その時間では無理だし、初めての道は迷いもあると思う。いまどき混雑するバスなんかに乗りたくない気持ちは分かるが、マスクでもして大人しく座っているのが最も賢い。もし、どうしても歩きたければ、深大寺門を東に行き、深大寺小学校前の道路をひたすら南下して京王線布田駅に出るのが賢い方法だ。途中で中央高速道路をくぐり、野川を横切り、甲州街道を渡り、旧甲州街道まで出れば、駅横の踏み切りが見えるはず。通して30分もあれば余裕といえよう。野川を横切らずに、左へ野川沿いに歩けば柴崎駅方面へも出られる。
そんなことより、個人的なお勧めコースは、まず、深大寺に10時30頃着ける様に行き、着いたらすぐに、門前の粗碾蕎麦(人気があるのでお昼過ぎには無くなる)を戴きゆっくりする。それから元三大師堂をお参りをして、開山堂まで上がり、すぐ前の神代植物園に入り、園内を散策しながら時々ベンチで休み、あるいは大芝生で一眠りして、小腹が空いた3時頃にでも再び深大寺に戻って一休庵に寄り、じっくりメニューを楽しんで、店主の話をよく聞いて、にしん蕎麦でも戴くのがよろしい。それぞれのお店では、自分の蕎麦知識の空白を埋めるように、色々質問してみると、大脳にも美味しいはずである。そうすれば、しばらくは蕎麦を戴かなくても大丈夫だ。
何で大丈夫か良く分からないが、話を本題に戻すと、深大寺そば組合では、そば感謝祭を11月27日(金)~12月3日(木)の7日間行う。これは、深大寺の秘仏とされる厄除元三大師が25年ぶりにご開帳されるのに併せて実施されるようだ。その深大寺そば組合の各店舗では、様々な催しがあるらしい。ただ、この期間は蕎麦屋も混雑が予想されるので、根っからの蕎麦好きは外したほうがよいかもしれない。が、信心深い人にとっては25年ぶり(次回は参拝でき無い可能性大)のご開帳期間がよいと思う。
今回は、この関連の情報を集めた。では、先にそばに関連した資料から。
まず、深大寺そばマップを参考にされたい。このマップと各店舗紹介は、深大寺バス停を降りて切符売り場でも配布されている。
先に深大寺そばマップはこちら
http://chofu.com/web/jindaiji_soba/jindaijimap.pdf
マップ裏の蕎麦屋各店舗の詳細は、こちら
http://chofu.com/web/jindaiji_soba/shopdate.html
深大寺から頂戴してきた「元三大師ご開帳のパンフレット」はこちら
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それでは、深大寺への行きかたについて、まず、新宿、八王子、橋本方面から京王線で調布駅へ、そして調布駅前のバス乗り場へ。乗り場案内は、こちら
http://bus.ekitan.com/bus/noriba/2547_01.shtml
2009/11/13
神代植物公園3
今日は、帰りに蕎麦を食べて帰る予定で、再び神代植物公園にやってきた。やはり、出掛けるには、そこに美味しい物を戴く楽しみが必要である。前回は30分で帰ってしまったので、1日中つまらなかった。少々余談になるが、遠方からこられる方は、園内で軽食の用意もあるけれど、それに惑わされず、あの「子連れ狼風」の水車のある蕎麦屋(紹介済み)で食べたいとか、門前にしかない、こしのある粗碾蕎麦(紹介済み)に興味があり、どうしても食べたいという方は、途中で園外(深大寺側門)への外出(外出券もらう)も可能なので、ぜひ、利用してほしい。そして、深大寺の開山堂や元三大師堂(紹介済み)も近いので、参拝されると体も気分もすっきりする。悩みがあれば、護摩供養(100円)をお願いしよう。将来が不安なら「おみくじ」もある。帰りは、野川方面に出て「ゆかり」で一風呂浴びて帰るのもよし、タクシーで京王線柴崎駅に出て「咲蘭房」(紹介済み)で美味しい珈琲でも戴くか、土曜日なら夜JAZZライブ(要予約)を楽しむこともできる。バスでつつじヶ丘や調布に出ても、美味しい珈琲店は少ない。出かけるときは、丸一日好きな事を楽しめるように計画してみたい。
さて、バラの季節は初夏と秋の年2回あるが、いずれも雨が降る前にご覧になるのがよいと思う。写真撮影するなら時間帯は、太陽が上に来る11~13時ぐらいが良い。用意するものは、手ぶれ補正機能は当てにならないので必ず三脚を用意したほうが良い。そして太陽光を和らげるために、トレーシングペーパーを貼った内輪のような物を作って持って行くと良い。これは、強い直射光を抑えるために使用する。さらにカメラ側では適正露光、-1/3、-2/3絞りでも撮影しておく。これは、色再現を気にする人は必須といえる。デジタルカメラの場合も同様で、画素ピッチが8ミクロン以下の場合はかなり顕著になる。一方、「綺麗なバラの鉢植え」も販売されているので、少々考え方を変えて、買って帰るのも良い。後々そちらのほうが「はるかに」楽しめる。どうしても撮影したいなら、それを太陽光下、および室内照明を使って撮影練習すると楽しめる筈である。いずれも「神代植物公園のバラ」に違いは無い。
前回は、超広角を使用したので今回は望遠系を使って撮影してみたい。広角系は、広い範囲を取り込める半面、距離感は遠ざかる。望遠系は、広い範囲は取り込めない半面、距離感は近づく。基本的には、遠くにあるものに近づけないときの撮影に威力を発揮する。それは、スポーツや動物撮影に必要不可欠なレンズということになる。前回のように、水平包括角度で補足すると今回は、約10度と前回の1/13の狭さになっている。次に、撮影でのポイントをいくつか挙げると、バラ園は、人が多いため、いつ観覧者がフレームインしてくるか分からないので包括角度は狭い方が良い。隠したい物をフレームから排除するには好都合と言える。また、風にバラの花が揺れるので案外早いシャッター速度が求められる。ロケーションを決めて、太陽の位置を確認し、しばし、人がフレームから消えるのを待ち、消えた瞬間に撮影することになる。今回のこのような写真は、焦点距離で160~200mm のf2.8など明るいレンズがあれば簡単に撮影できるので、技術的には何の苦労もないが、人が消えるのを待つのが少々根気がいるかもしれない。撮影する方は、のんびり構えて欲しいが、困るのは、フレームの中に「クローズアップの撮影に手際の悪い人」が入ってきた時である。5~10分は動かないと思える。そのような状況は、精神衛生上良くないので、あらかじめ撮影フレーム中の、バラ花壇(2m程度)の向こう側がどのようになっているか、よく調べておいたほうが良い。
撮影講座をするつもりは無いので話を戻すと、この20,000平米の広大なバラ園は風の無い日はバラの薫りで満ち溢れる。これが人をバラ園にひきつける要素ではないかと考えられる。バラ園の向かいには温室があり、ここでは年中色鮮やかな花が咲き乱れているので、こちらも覗かれると良い。是非一度11月中に訪園されたい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21404&app=WordPdf
さて、バラの季節は初夏と秋の年2回あるが、いずれも雨が降る前にご覧になるのがよいと思う。写真撮影するなら時間帯は、太陽が上に来る11~13時ぐらいが良い。用意するものは、手ぶれ補正機能は当てにならないので必ず三脚を用意したほうが良い。そして太陽光を和らげるために、トレーシングペーパーを貼った内輪のような物を作って持って行くと良い。これは、強い直射光を抑えるために使用する。さらにカメラ側では適正露光、-1/3、-2/3絞りでも撮影しておく。これは、色再現を気にする人は必須といえる。デジタルカメラの場合も同様で、画素ピッチが8ミクロン以下の場合はかなり顕著になる。一方、「綺麗なバラの鉢植え」も販売されているので、少々考え方を変えて、買って帰るのも良い。後々そちらのほうが「はるかに」楽しめる。どうしても撮影したいなら、それを太陽光下、および室内照明を使って撮影練習すると楽しめる筈である。いずれも「神代植物公園のバラ」に違いは無い。
前回は、超広角を使用したので今回は望遠系を使って撮影してみたい。広角系は、広い範囲を取り込める半面、距離感は遠ざかる。望遠系は、広い範囲は取り込めない半面、距離感は近づく。基本的には、遠くにあるものに近づけないときの撮影に威力を発揮する。それは、スポーツや動物撮影に必要不可欠なレンズということになる。前回のように、水平包括角度で補足すると今回は、約10度と前回の1/13の狭さになっている。次に、撮影でのポイントをいくつか挙げると、バラ園は、人が多いため、いつ観覧者がフレームインしてくるか分からないので包括角度は狭い方が良い。隠したい物をフレームから排除するには好都合と言える。また、風にバラの花が揺れるので案外早いシャッター速度が求められる。ロケーションを決めて、太陽の位置を確認し、しばし、人がフレームから消えるのを待ち、消えた瞬間に撮影することになる。今回のこのような写真は、焦点距離で160~200mm のf2.8など明るいレンズがあれば簡単に撮影できるので、技術的には何の苦労もないが、人が消えるのを待つのが少々根気がいるかもしれない。撮影する方は、のんびり構えて欲しいが、困るのは、フレームの中に「クローズアップの撮影に手際の悪い人」が入ってきた時である。5~10分は動かないと思える。そのような状況は、精神衛生上良くないので、あらかじめ撮影フレーム中の、バラ花壇(2m程度)の向こう側がどのようになっているか、よく調べておいたほうが良い。
撮影講座をするつもりは無いので話を戻すと、この20,000平米の広大なバラ園は風の無い日はバラの薫りで満ち溢れる。これが人をバラ園にひきつける要素ではないかと考えられる。バラ園の向かいには温室があり、ここでは年中色鮮やかな花が咲き乱れているので、こちらも覗かれると良い。是非一度11月中に訪園されたい。
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2009/11/10
神代植物公園2
今、開門(9時30分)の少し前から神代植物公園へ来ている。この時期は、バラ園が活況を呈しているので開門前から多くの人が並ぶ。門が開くと目的の場所取りに走る写真家も多い。そんなこともあって、珍しく気持ちに余裕がなく少しイライラしていた。「今日は、いつもの場所で1枚撮影してすぐに帰ろう、できれば、人の移動が増えないうちに」と願っていたからである。体の周りにオーラを出して「すぐ終わるから、邪魔すんなよ」と念じてる感じである。神代植物公園の象徴的な場所は、やはり広大なバラ園で、既存の品種はもとより改良新種なども数百本が花を咲かせる。かなりのマニアの人でないと違いを楽しめないが、平気で30年、40年通って写真撮影している人もいるらしい。やはり、ここでも知識の深さが面白さに繋がるようだ。みんなそっちへ向いて走ってほしい。バラ園は、3日後再び紹介したいと思う。
今日の撮影場所は、前回の「パンパスグラスの大芝生」から西へ50mぐらい入ったところで、川を渡るとバラ園に至る狭い石橋の上である。広い園内でも、いくつかある中の一押しの場所なのである。 写真には、それ相応の必然性が欲しいことがある。それは、後々その写真を観て、自分なりにその時の熱意を思い出したいからでもある。前回のように「そのまんまシャッター切りました」では、自分には貴重に思えないし、見直すことも少ない。苦労して、こだわってこそ写真の価値は上がる。この場所は、既に4回ほど撮影をしてきた。何回撮影しても撮り直したい場所である。最初は30年ほど昔になるが、F1+FL19mmF3.5レンズで撮影している(水平包括角度87度)。当時としてはかなり広角レンズだったが、周辺が暗く実用範囲はかなり狭いものであった。その後、割と暗い場所だということもあってFD24mmF1.4でも撮影してみたが、やはり、広い範囲が収まりきれないので不満が残った。最近では、EOS1RS+EF17mmF2.8と割と新鋭(既にかなり古い)で試しているが、このくらい広角でも、「ふんっ」ていう感じにしかならないのである。人は欲が深く、結果を見れば見るほど、もっと広角で撮ってみたいと思うようになるものだ。その数年後、結局EF14mmF2.8最新鋭(もう割と古い)の登場になったわけだが、それでも、結果としては「まあまあだな」と思いながらも、結果を眺めれば眺めるほど、もっと広角で撮りたいという、更なる欲望が沸いていたのである。
しかも、このまま諦めて終わると、これまでやってきたことは無意味なことになる。競馬に例えると(何故競馬に例えるか分からないけれど)、ずっと負けが込んできた時のようなもので、ここで止めたら意味が無い。次は3倍掛けくらいのつもりで、勝負に出たい。「勝負事は最後に勝って止めるのが原則」である。条件も、ある程度経験的に分かっており、包括角度さえ上げられれば、きっと上手くいく筈である。
そんな30年の経験をまとめてみると、1.木々の間の葉が落ちて、まばらに先が明るく抜ける季節が絵的によい。2.川の枯葉が掃除してある祝日の前の日がよい。3.太陽の位置が左側にある午前中10時頃までがよい。5.左右2本の遊歩道が平行に見えるように撮影できる超広角レンズを用意する。などの条件があり、自分の時間的な都合も含めて、その日は先週または今週の金曜日と、ほぼ限定されていたわけである。
そこで今回は、水平包括角度130度以上のレンズを用意することにした。両手を広げて130度を作ってみて欲しい。レンズの前にある、両手の間の範囲が写し込まれていると思ってもらってよい。これで、最初の撮影に比べ約1.5倍の左右包括角度を撮影できることになる。やっと、「まあまあいける」と言った感じになってきた。それでも、撮影してみると、もう少し画面の右側が出るようになると、撮影意図がもっと良く伝わるかもしれないと思える。欲には限りが無かった。
最近、パノラマ写真が簡単に撮影できるカメラが登場しているが、それは、撮影された状況が一目瞭然で説明されていること、さらに全体的に自然な立体感で写されており、その点では、広角レンズより優れている。旅先や広い公園などでは、それが有効に機能する筈で、画質を含めて今後が楽しみといえそうだ。
それでは、写真を見ていただきたいが、初めて見ると「そんな大袈裟なことも感じない、普通に見える、なんでもない写真」だと思われるかもしれない。 それは、絵画等の構図に近いからで、見慣れているパースペクティブだからである。一方、風景を4x5で撮影されている方でも、スーパーアンギュロンより広いと言われるに違いない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21401&app=WordPdf
今日の撮影場所は、前回の「パンパスグラスの大芝生」から西へ50mぐらい入ったところで、川を渡るとバラ園に至る狭い石橋の上である。広い園内でも、いくつかある中の一押しの場所なのである。 写真には、それ相応の必然性が欲しいことがある。それは、後々その写真を観て、自分なりにその時の熱意を思い出したいからでもある。前回のように「そのまんまシャッター切りました」では、自分には貴重に思えないし、見直すことも少ない。苦労して、こだわってこそ写真の価値は上がる。この場所は、既に4回ほど撮影をしてきた。何回撮影しても撮り直したい場所である。最初は30年ほど昔になるが、F1+FL19mmF3.5レンズで撮影している(水平包括角度87度)。当時としてはかなり広角レンズだったが、周辺が暗く実用範囲はかなり狭いものであった。その後、割と暗い場所だということもあってFD24mmF1.4でも撮影してみたが、やはり、広い範囲が収まりきれないので不満が残った。最近では、EOS1RS+EF17mmF2.8と割と新鋭(既にかなり古い)で試しているが、このくらい広角でも、「ふんっ」ていう感じにしかならないのである。人は欲が深く、結果を見れば見るほど、もっと広角で撮ってみたいと思うようになるものだ。その数年後、結局EF14mmF2.8最新鋭(もう割と古い)の登場になったわけだが、それでも、結果としては「まあまあだな」と思いながらも、結果を眺めれば眺めるほど、もっと広角で撮りたいという、更なる欲望が沸いていたのである。
しかも、このまま諦めて終わると、これまでやってきたことは無意味なことになる。競馬に例えると(何故競馬に例えるか分からないけれど)、ずっと負けが込んできた時のようなもので、ここで止めたら意味が無い。次は3倍掛けくらいのつもりで、勝負に出たい。「勝負事は最後に勝って止めるのが原則」である。条件も、ある程度経験的に分かっており、包括角度さえ上げられれば、きっと上手くいく筈である。
そんな30年の経験をまとめてみると、1.木々の間の葉が落ちて、まばらに先が明るく抜ける季節が絵的によい。2.川の枯葉が掃除してある祝日の前の日がよい。3.太陽の位置が左側にある午前中10時頃までがよい。5.左右2本の遊歩道が平行に見えるように撮影できる超広角レンズを用意する。などの条件があり、自分の時間的な都合も含めて、その日は先週または今週の金曜日と、ほぼ限定されていたわけである。
そこで今回は、水平包括角度130度以上のレンズを用意することにした。両手を広げて130度を作ってみて欲しい。レンズの前にある、両手の間の範囲が写し込まれていると思ってもらってよい。これで、最初の撮影に比べ約1.5倍の左右包括角度を撮影できることになる。やっと、「まあまあいける」と言った感じになってきた。それでも、撮影してみると、もう少し画面の右側が出るようになると、撮影意図がもっと良く伝わるかもしれないと思える。欲には限りが無かった。
最近、パノラマ写真が簡単に撮影できるカメラが登場しているが、それは、撮影された状況が一目瞭然で説明されていること、さらに全体的に自然な立体感で写されており、その点では、広角レンズより優れている。旅先や広い公園などでは、それが有効に機能する筈で、画質を含めて今後が楽しみといえそうだ。
それでは、写真を見ていただきたいが、初めて見ると「そんな大袈裟なことも感じない、普通に見える、なんでもない写真」だと思われるかもしれない。 それは、絵画等の構図に近いからで、見慣れているパースペクティブだからである。一方、風景を4x5で撮影されている方でも、スーパーアンギュロンより広いと言われるに違いない。
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2009/11/06
自律神経失調症
季節の変わり目には、何かと体調を崩す人も多い。年配の人たちはお亡くなりなることもあるくらいだ。しかし、今、中年層に心を病む人が増えていると言う。今年も年末には二番底がくるとか、更なる失業者の増加予想とか、自殺者3万人を越えたとか、会社の将来不安など、様々な社会からの脅しともいえる境遇に、不安がつのる。さらに個人的な事情も加わって自律神経失調症になる人も増えている。これは、自分もその様な不運な道をたどるのではないかと思う心配や将来不安から来るようだ。会社でもいじめられているので精神状態は疲弊して、何をするにも脅えるようになっている。
症状は、人それぞれだが、胃腸の調子が悪い、頭痛が続く、微熱が続く、耳鳴り、動悸、息切れ、不眠症、体の一部がほてる、息苦しさ、寝汗が続くなど。いつでも起こりそうな症状ばかりだが、テレビ等では、通常ありそうも無い病気を早期に発見できなかった不運を紹介したりするし、初期症状も似ているために、益々不安がつのり、夜もろくに寝られなくなったりする。そして、ついに意を決して病院の門をくぐることになるわけだが、血液検査では、いとも簡単に健康である事が証明される。「これ以上の健康はありませんよ」と言われる筈である。それでも、本人は、この医者は大した検査もせず、そんな血液検査1つで何が分かるのかと疑っている。それも当然である、症状との相関が無いからで、そのくらい症状は重い。勿論、通常の内科では、これ以上相手にしてもらえない。心療内科を勧められる。それでも本人は、真剣に何とかして不調の原因を突き止めなくなるわけで、内視鏡検査、CT、MRなど様々な最先端医療機器の検査を要求する。もちろんそれらを駆使しても、原因が見つけられるわけは無い。検査数値に出ないものが、例え1mmスライスだと言われても、そんな大雑把な画像装置で分かる筈は無いのである。もしその症状が本物で、何か画像で確認できたとしたら既に手遅れである。
周囲からみても、やや弱気になった発言が目立つ程度で、何処も体が悪そうな兆候は無いので無視されがちだが、本人は、「自分は悪い病気」に決まっていると思い込んでいて、益々辛い毎日を過ごすことになる。朝起きても疲れは取れず、昼間はすーっと眠くなる。上司から無理難題な事を言われても手に汗握るだけである。そういう職場はさっさと辞めるのがよいが、それも自殺行為で、そう簡単ではないのが今の社会情勢といえる。そこで、仕方なく心療内科の予約をとり、相談に行くことになる。先生は、「そうですか、そうですよね、はい、はい、そうなんですよ、そうでしょ」と、とにかくよく話を聞いてくれる。既に治療は始まっているのである。そこで、「いい先生に出会った」と思い、勧められる高価な漢方薬を飲む事になる。
自慢するつもりは無いが、私は慢性の自律神経失調症候群である。35年前から、いつでもすぐに調子が悪くなる。若いときは苦しかった。いや、最近も苦しいときがあった。そんな時は、さっさと1番大きな課題を忘れるように努力している。なるようにしかならないからで、そうなると諦めも早い。いつ死んでもいいように、好きな事を率先してやるようになった。しかし、たとえ好きな事でも、何日も昼夜逆転したり寝ないでやったりすると再び症状が出る事がある。あっ、調子悪るといった感じである。そんな時、一番最初にやることは、まず、カルシウム、ミネラルの大量投与である。特にこれらが不足すると症状として出やすい事が経験的に分かってきたからだ。かなり無理したなと思うと、しじみ、アサリ、牡蠣など、貝類をたくさん食べることにしている。季節の野菜や果物もビタミン補給に欠かせない。そしてウォーキングに出るのである。これらによって、1ヶ月くらいで治りそうな気分になってくる。少しづつだが、心臓のバクバク感もなくなり、体のほてりも治り、不眠や微熱もなくなる。また、胃腸の調子が悪いときは、本格的なカレーを食べることにしている。これらの自己診断と食物補給によって、自律神経はある程度正常に戻り、症状は軽減される。 思い当たる人は、軽いうちに試して欲しい。重症の人は、筋肉の緊張をほぐすことから始めるのがよいと思う。
人は誰でも弱点を持っている。この心と体の分離状態とも言うべき自律神経失調症は、一生付きまとう。完全に治ることは無い。先生方に言わせると、あんまり物事にこだわらない方よいとか言われるが、これは、性格が体に関与する率が高いからだと考えられる。したがって、一般的には神経質な人がかかりやすいといえる。ただし、神経質な性格は決して悪いことではない。無神経な人より多くの点で優れている。それは、周囲を見渡せばすぐに分かることだ。だから、自分の神経質な性格と上手く付き合う方法を考え、そういう苦悩を抱えながら生きることに価値を見出すべきである。とかく、1度この病気にかかると、その怖さから、その後は絶対に無理しないとか、そのような状況を極力避ける人がいる。気持ちは分かるが、それは大脳が発達した人間のすることではない。
ということで、今日は貝類でも並べてリアルな写真を撮ろうかと思ったが、それだと何の情報にもならないので、食べた後、「みるみる胃腸の調子の良くなる」カレー屋さんを紹介しておこう。ベンガル、アジャンタに続き、二子多摩川にあるカレー屋さんだ。お勧めは、たっぷりビーフの入ったランチメニューのビーフカレーで、満足感も高い。珈琲もいまどき珍しい濃さに特徴があり格別に美味しい。カレーは一種の漢方薬に近く、相性がよければ体調も大きく改善される。
ではこちら
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症状は、人それぞれだが、胃腸の調子が悪い、頭痛が続く、微熱が続く、耳鳴り、動悸、息切れ、不眠症、体の一部がほてる、息苦しさ、寝汗が続くなど。いつでも起こりそうな症状ばかりだが、テレビ等では、通常ありそうも無い病気を早期に発見できなかった不運を紹介したりするし、初期症状も似ているために、益々不安がつのり、夜もろくに寝られなくなったりする。そして、ついに意を決して病院の門をくぐることになるわけだが、血液検査では、いとも簡単に健康である事が証明される。「これ以上の健康はありませんよ」と言われる筈である。それでも、本人は、この医者は大した検査もせず、そんな血液検査1つで何が分かるのかと疑っている。それも当然である、症状との相関が無いからで、そのくらい症状は重い。勿論、通常の内科では、これ以上相手にしてもらえない。心療内科を勧められる。それでも本人は、真剣に何とかして不調の原因を突き止めなくなるわけで、内視鏡検査、CT、MRなど様々な最先端医療機器の検査を要求する。もちろんそれらを駆使しても、原因が見つけられるわけは無い。検査数値に出ないものが、例え1mmスライスだと言われても、そんな大雑把な画像装置で分かる筈は無いのである。もしその症状が本物で、何か画像で確認できたとしたら既に手遅れである。
周囲からみても、やや弱気になった発言が目立つ程度で、何処も体が悪そうな兆候は無いので無視されがちだが、本人は、「自分は悪い病気」に決まっていると思い込んでいて、益々辛い毎日を過ごすことになる。朝起きても疲れは取れず、昼間はすーっと眠くなる。上司から無理難題な事を言われても手に汗握るだけである。そういう職場はさっさと辞めるのがよいが、それも自殺行為で、そう簡単ではないのが今の社会情勢といえる。そこで、仕方なく心療内科の予約をとり、相談に行くことになる。先生は、「そうですか、そうですよね、はい、はい、そうなんですよ、そうでしょ」と、とにかくよく話を聞いてくれる。既に治療は始まっているのである。そこで、「いい先生に出会った」と思い、勧められる高価な漢方薬を飲む事になる。
自慢するつもりは無いが、私は慢性の自律神経失調症候群である。35年前から、いつでもすぐに調子が悪くなる。若いときは苦しかった。いや、最近も苦しいときがあった。そんな時は、さっさと1番大きな課題を忘れるように努力している。なるようにしかならないからで、そうなると諦めも早い。いつ死んでもいいように、好きな事を率先してやるようになった。しかし、たとえ好きな事でも、何日も昼夜逆転したり寝ないでやったりすると再び症状が出る事がある。あっ、調子悪るといった感じである。そんな時、一番最初にやることは、まず、カルシウム、ミネラルの大量投与である。特にこれらが不足すると症状として出やすい事が経験的に分かってきたからだ。かなり無理したなと思うと、しじみ、アサリ、牡蠣など、貝類をたくさん食べることにしている。季節の野菜や果物もビタミン補給に欠かせない。そしてウォーキングに出るのである。これらによって、1ヶ月くらいで治りそうな気分になってくる。少しづつだが、心臓のバクバク感もなくなり、体のほてりも治り、不眠や微熱もなくなる。また、胃腸の調子が悪いときは、本格的なカレーを食べることにしている。これらの自己診断と食物補給によって、自律神経はある程度正常に戻り、症状は軽減される。 思い当たる人は、軽いうちに試して欲しい。重症の人は、筋肉の緊張をほぐすことから始めるのがよいと思う。
人は誰でも弱点を持っている。この心と体の分離状態とも言うべき自律神経失調症は、一生付きまとう。完全に治ることは無い。先生方に言わせると、あんまり物事にこだわらない方よいとか言われるが、これは、性格が体に関与する率が高いからだと考えられる。したがって、一般的には神経質な人がかかりやすいといえる。ただし、神経質な性格は決して悪いことではない。無神経な人より多くの点で優れている。それは、周囲を見渡せばすぐに分かることだ。だから、自分の神経質な性格と上手く付き合う方法を考え、そういう苦悩を抱えながら生きることに価値を見出すべきである。とかく、1度この病気にかかると、その怖さから、その後は絶対に無理しないとか、そのような状況を極力避ける人がいる。気持ちは分かるが、それは大脳が発達した人間のすることではない。
ということで、今日は貝類でも並べてリアルな写真を撮ろうかと思ったが、それだと何の情報にもならないので、食べた後、「みるみる胃腸の調子の良くなる」カレー屋さんを紹介しておこう。ベンガル、アジャンタに続き、二子多摩川にあるカレー屋さんだ。お勧めは、たっぷりビーフの入ったランチメニューのビーフカレーで、満足感も高い。珈琲もいまどき珍しい濃さに特徴があり格別に美味しい。カレーは一種の漢方薬に近く、相性がよければ体調も大きく改善される。
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2009/11/03
クローバー
たった1つでも、美味しい物を見つけてしまうと買いに行く楽しみができる。片道90分ぐらいの歩行はなんでもないことだ。この歩行によって消費されるエネルギーは、その美味しい物のカロリー量と交換される。それにしても、我々のような世代のオヤジが、自分が食べたい物を求めて、このような店の前に立つのは少々気恥ずかしい。周囲には若い女性が多く、今日も、てきぱきと必要な品物を指差し、包装にまでいちいち、ああしろこうしろと注文つけて、まあ、大量購入なら仕方ないと思いながら眺めるわけである。次から次へと会計して去るのに、自分の注文を聞いてくれる余裕はなさそうで、少し惹いてしまっている。何でこんなところで自閉症になってるんだ!と自分に激を飛ばすが、商品に対する知識の少なさは、自分を優柔不断な「うじうじオヤジ」にしてしまう。もっと、色々食べて専門家にならなくてはいけない。
ここは、お気に入りのお菓子のあるお店である。しかし、今日は、それが見当たらない。お客が空いた所でやっと、「あの~、パイの生地で巻いたカスタードクリームの入ったやつはないんすか?」、「ああ、ハニーコルネですね、コルネとシュークリームは、工房がなくなったので今、作っていないんです」と、スマートな若い男性が丁寧に応えてくれた。ハニーコルネ1個(263円)食べたいがために、汗を拭き拭き90分歩いて来たのである。参ったなーと思いながらも、代用品も分からず、その場を立ち去る事が心残りで、「あの生地表面のパリパリ感とカスタードが最高だったんすよ」と言いながら目を細めていると、「ここの工房で作ってましたから、出来立てなんで美味しいです」と彼も身を乗り出し嬉しそうに話してくれてる。私の隣でおばさんがなにやら指差しながら声を張り上げているが、目もくれず説明を続けてくれた。コルネ1個でも、お客扱いをしてくれる、ありがたいお店である。
普通のケーキ店なら、「無いものはしょうがないでしょ、甘い物ならたくさんあるから代用品を探してよ、どれでも美味しいわよ、どうせ、1個なんでしょ」と言う顔をされそうである。そうでなければ、若い女性の店員さんに尋ねても、困った顔をしながら奥に引っ込むと、シェフの格好をしたお腹の出たおっさんが出てきて、ぺこぺこ頭を下げた後、「こちらのは、いかがでしょうか」などと説明を受けることもある。でも、しげしげと、そのシェフの体系やお腹を見ると、食べたいと思う気持ちが消えうせてしまい、「また来ますわ」と説明もろくに聞かず外に出てしまう。お客の気持ちはデリケートなのである。やはり、同じ物を美味しいと言ってくれる人は、スマートで格好のよい男性でなくっちゃいけないのである。男の俺でさえ、そう感じるのだから、女性もそうに決まっている筈である。
話を戻すと、ここはカスタードクリームが一番美味しいお店だと思う。だから、俺のような古典甘味党にとっては、上品でハイカラなお店でなければならない。そのためには、商品知識もあり、どのような素材をどのようにして作っているか、など、お客を説得する正しい商品知識と、それを食べてもこんなにスマートで素敵な男性でいられますという人を配置していなければならないのである。これが、この世代の考える一流と言うことである。今や、化粧品以上に気配りが必要なのがお菓子屋かもしれない。そのくらい、店頭はイメージが大切である。 会話の中から客の好みを探り、最適な商品を勧める。客のほうも安心して、「君がそう言うなら、じゃ、それを戴いていこうかな」と思うのだ。これが、分かる者同士の信頼関係につながることである。「丁度、サッカーに例えると、昨日の試合で中村憲剛が出した強めのスルーパス、あれ上手かったよね」「そうですよね、やっぱいいパス出しますよね。」とすぐに分かり合える位の仲間意識なのであろうか。もっとも、金額もたいしたことは無い、コンビニでたこ焼きを買うぐらいの金額なのに、丁寧な対応には、「また来るよ」と声をかけたくなる気分なのである。
自社の製品に誇りを持ち、お客の腹の事情まで知ろうとする熱意に、ついファンになってしまうのは俺だけではないだろう。最近は、その時の気分で、デパートの地下で小さな物1個買ってしまう。手に持って帰ると煩わしいので、胃袋にしまって帰る事が多い。証拠も残らないので好都合だ。虎屋もそうだし、ここクローバーもそのお店の1つだ。ただ、この店は、コルネ1本買っても恭しく紺のリボンのついた箱にいれ、更に手提げにまで入れてくれる。包装もかなり洗練されて美しく厳重なのである。20mくらい先にある休息所で食べるから、そのままでもいいすよと言ったのだが、この会社のいつもの流儀なのだろう。いつもそうしてくれた。
今日は、コルネが無かったので、彼に勧められたBOXケーキ630円を買って帰ってきた。写真は締めて1,092円である。3日ぐらい楽しめる。 安いのに美味いわ。
ではこちら
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ここは、お気に入りのお菓子のあるお店である。しかし、今日は、それが見当たらない。お客が空いた所でやっと、「あの~、パイの生地で巻いたカスタードクリームの入ったやつはないんすか?」、「ああ、ハニーコルネですね、コルネとシュークリームは、工房がなくなったので今、作っていないんです」と、スマートな若い男性が丁寧に応えてくれた。ハニーコルネ1個(263円)食べたいがために、汗を拭き拭き90分歩いて来たのである。参ったなーと思いながらも、代用品も分からず、その場を立ち去る事が心残りで、「あの生地表面のパリパリ感とカスタードが最高だったんすよ」と言いながら目を細めていると、「ここの工房で作ってましたから、出来立てなんで美味しいです」と彼も身を乗り出し嬉しそうに話してくれてる。私の隣でおばさんがなにやら指差しながら声を張り上げているが、目もくれず説明を続けてくれた。コルネ1個でも、お客扱いをしてくれる、ありがたいお店である。
普通のケーキ店なら、「無いものはしょうがないでしょ、甘い物ならたくさんあるから代用品を探してよ、どれでも美味しいわよ、どうせ、1個なんでしょ」と言う顔をされそうである。そうでなければ、若い女性の店員さんに尋ねても、困った顔をしながら奥に引っ込むと、シェフの格好をしたお腹の出たおっさんが出てきて、ぺこぺこ頭を下げた後、「こちらのは、いかがでしょうか」などと説明を受けることもある。でも、しげしげと、そのシェフの体系やお腹を見ると、食べたいと思う気持ちが消えうせてしまい、「また来ますわ」と説明もろくに聞かず外に出てしまう。お客の気持ちはデリケートなのである。やはり、同じ物を美味しいと言ってくれる人は、スマートで格好のよい男性でなくっちゃいけないのである。男の俺でさえ、そう感じるのだから、女性もそうに決まっている筈である。
話を戻すと、ここはカスタードクリームが一番美味しいお店だと思う。だから、俺のような古典甘味党にとっては、上品でハイカラなお店でなければならない。そのためには、商品知識もあり、どのような素材をどのようにして作っているか、など、お客を説得する正しい商品知識と、それを食べてもこんなにスマートで素敵な男性でいられますという人を配置していなければならないのである。これが、この世代の考える一流と言うことである。今や、化粧品以上に気配りが必要なのがお菓子屋かもしれない。そのくらい、店頭はイメージが大切である。 会話の中から客の好みを探り、最適な商品を勧める。客のほうも安心して、「君がそう言うなら、じゃ、それを戴いていこうかな」と思うのだ。これが、分かる者同士の信頼関係につながることである。「丁度、サッカーに例えると、昨日の試合で中村憲剛が出した強めのスルーパス、あれ上手かったよね」「そうですよね、やっぱいいパス出しますよね。」とすぐに分かり合える位の仲間意識なのであろうか。もっとも、金額もたいしたことは無い、コンビニでたこ焼きを買うぐらいの金額なのに、丁寧な対応には、「また来るよ」と声をかけたくなる気分なのである。
自社の製品に誇りを持ち、お客の腹の事情まで知ろうとする熱意に、ついファンになってしまうのは俺だけではないだろう。最近は、その時の気分で、デパートの地下で小さな物1個買ってしまう。手に持って帰ると煩わしいので、胃袋にしまって帰る事が多い。証拠も残らないので好都合だ。虎屋もそうだし、ここクローバーもそのお店の1つだ。ただ、この店は、コルネ1本買っても恭しく紺のリボンのついた箱にいれ、更に手提げにまで入れてくれる。包装もかなり洗練されて美しく厳重なのである。20mくらい先にある休息所で食べるから、そのままでもいいすよと言ったのだが、この会社のいつもの流儀なのだろう。いつもそうしてくれた。
今日は、コルネが無かったので、彼に勧められたBOXケーキ630円を買って帰ってきた。写真は締めて1,092円である。3日ぐらい楽しめる。 安いのに美味いわ。
ではこちら
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