最近は競争が激化しているようで、昔から青汁を専門に扱っている 「お1人様 3箱まで」と言うメーカーは、さらに奮発して 「3箱購入された方には、プレミアムな低反発枕もお付けします」と宣伝している。 青汁と低反発枕がどのような関連性があるか分かりにくいが、恐らく、青汁を飲む世代の人達は、すごく健康に気をつけていて、食事、運動、入浴、睡眠時間等は徹底管理しているはずである。ならば、睡眠中にお世話になる枕が良いと言う判断になったに違いない。
そこで、考えるに、今仮に自分の名前で3箱購入して低反発枕を入手したとする。確かに、何をするにも首が凝る世代なので、使ってみると案外具合もよく、そうだ、「母さんにも貰ってやろう、喜ぶに違いない」そうやって、次々と息子や娘、はたまた孫達の名前で購入し、それぞれに低反発枕を用意したとしよう。それでも、せいぜい5~6個、青汁にして18箱ぐらいである。その18箱までの商売は、それなりに上手くいったとしても、その後の商売はどうするのだろうか。もうそれでよいのであろうか。いいえ、そうは問屋が卸さないわけで、そこには、何か戦略があるに違いない。うーむ、そうだ、実は、この低反発枕には、隠された仕掛けがあるに違いない。それは、睡眠中深夜2時過ぎになると、自動的に音声合成モジュールが起動し枕の中に忍ばせてある小型のスピーカから、「今、飲んでいる銘柄の青汁を、これからも飲み続けると、将来天国へ行けます」というアナウンスが入ることになっているのである。これを名付けて、トロイの低反発枕作戦というらしい。
青汁とは、大麦若葉、ケールなどを原材料にして、それを乾燥粉末に仕上げた品物で、飲用する時は、水に溶かすが、溶けにくいのでシェイカーなどを使用することもある。使用量は、1日1袋ないし2袋を飲用することで、食物繊維、βーカロチン、ミネラル、ビタミン等をそこから摂取する事が出来るというもの。テレビでは、しきりに「美味しい」と説明しているが、それ自体は、たいして美味しい物ではない。そこで、商品ごと何らかの「美味しそうな工夫」が施されているが、それらは本来の自然な清涼感を壊す可能性がある。まあ、よく冷やした物を一気に飲み干すのが良い。
青汁を一定期間継続して飲むことによって、「血圧が下がった、血糖値が下がった、コレステロールや中性脂肪も下がった」など「具体的な数値による症例」があれば、小うるさいお年寄りにも説得力はあるのだが、残念ながら含まれる一部の成分の効能を提示するだけに終っている。もっとも、露骨に医学的な数値を下げたりするより、気分次第で飲んだり飲まなかったり、自由で、しかし、信じて飲めば、なかなか体にも良い気分になって、しかもある程度継続すると習慣性によって、青汁自体を美味しく感じたりすれば、良いのである。
中身は、決して体に悪い成分は無く、野菜不足を補ってくれるならば、それはそれで存在価値はあるし、メーカー側としても、その様な、「いい加減な飲用の方がクレームや訴訟等のリスクも少なく安心」なわけである。だからこそ、1.利益率が良い、2.高齢化社会、3.健康ブームときたら、「今、会社を救える」のは、この青汁しかないと思えるのであろうか、様々な会社が目を付けて参入してくるわけである。後から参入するメーカーは大変楽である。市場の認知度は高まっているし、宣伝も十分浸透しているし、お年寄りはこれから増える一方だし、参入時期としては申し分はない。ただ1つ困るとすれば、低反発枕の希望者が増えることだ。
今日紹介するのは、以前「私の青汁」で紹介した、ヤクルトの新しい青汁商品群である。これらは、3種類用意されていて、1.純粋な青汁を好む、2.口当たりよく、飲みやすくしたフルーツの薫り入りが良い、3.豆乳ファンで青汁にも興味がある、この3種を用意して「消費者の心の迷い」を無くする狙いがある。そして、これらによって青汁シェアを自社で囲い込めれば良いと考えているようだ。 実際は、2のフルーツフレーバー入りなら継続できそうだ。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21641&app=WordPdf
補足:低反発枕の一般的な商品は、9,800円程度で販売されている。効能 青汁自体に何らかの健康的な効能があるのなら、メーカーは「一定期間、同じ量だけ同じ人が、1.日本茶を飲んだ時と、2.青汁を飲んだ時の血中脂質(LDL,HDLコレステロール、中性脂肪)、血糖(ヘモグロビンA1c)等の比較」を提示して、各社共その様なスペック競争をしてもらいたいものだ。
2010/05/25
昭和の流行歌4
どうでもよい事を、少々大袈裟に話題として作り上げるのは、いかがなものかと思うが、かつて記述式の試験を潜り抜けてきた世代の人間として、何かと必要以上に想像力が豊かなところがあって、勝手にありもしないことを考えたり、つまらんことを書き残したりするわけである。しかし、・・・1つの理屈と言うか、論理的考察から想像力を逞しくして、ひとつの結論に到達し、それを具体化すれば、素晴らしい着想だと、密かにほくそえんでいたら、・・・・実は、もう現実の物として存在していたと言う話は、意外に多い。だからと言って、それで落胆してはならない。むしろ、正解を素直に喜ぶべきである。まあ、何でも他人の受け売りで生きているよりは、想像力を逞しくすることのほうが創造的である。
前々回、どうも指が滑ってしまい、美空ひばりの「真赤な太陽」は、「黛ジュンに歌ってもらった方が良かったと思うし」、と何気なく自然に書き残してしまった。この、真赤な太陽は、元々ジュディオングが歌う予定で作られていたと聞いた事があって、それを美空ひばりが横取りしたのだと言う話であった。しかし、その話はどうもしっくり来ないと常々考えていた。
何故か。うーむ、歌の上手さでは文句の無い美空ひばりが歌えば良いに決まっていると考えるか、あるいは、さすがに歌詞を考えると、「真赤に燃えた まではいいけれど、恋の季節なの~」を歌うには、一寸、いや随分「薹が立った年齢の人」が歌う曲ではない。と考えるべきで、制作者側は正しい状況判断をすべきであったと思うのである。だから、美空ひばりさんが30歳にしてミニスカートで登場し、軽い感じの独特の歌い方で流し、背後にブルーコメッツを配しても、何か珍しいものを見るようで、今1つ、曲に乗り切れないファンは多かったと思う。年配の美空ひばりファンからは、「どうしたんだろうね」と落胆され、若者達からは、あの「おばさん誰?」と年齢を問われたわけである。
そんな、フラストレーションがきっと心のどこかにエネルギーとなって残っていて、では、誰が歌ったらそれらしく、屈託の無い受け入れ方ができたのかと考えた時、まず、当時18歳のジュディオングさんは申し分は無いが、ただ、足が綺麗であればよいというものでもなく、歌声にパンチがあり、優れたリズム感、アタック音が明瞭な人が良い、なんて、より完璧を求めようとするわけである。そうなると、曲自体がグループ・サウンズ風の流れを汲んでいることから、必然的に、当時19歳の「一人でもGS風」とまで言われた黛ジュンちゃんという結論に達するわけである。ま、仮に黛ジュンちゃんなら30歳を過ぎてもいけてる感じである。もっとも、ちゃんを付けるには僭越で、私より5歳もお姉さまである。現在62歳かな。
ということで、さほど当時の歌謡界の時代背景に詳しくも無いのに、軽く希望を書いたつもりだったのだが、読み返してみると、恐らくこれ以上論理的な要素分析はない、と突き詰めるほどに現実味に溢れ、黛ジュンちゃんの方が曲調から言って歌も絶対上手し、はまり役だと確信を持つようになったのである。それにしても、今更40年以上経過している事なんか、どうでもよかったのだが、益々気になってきて、ひょっとして「黛ジュンちゃんが万が一にも、真赤な太陽をカバーしてたりしないよな」と思って、調べたら、すぐにみつけてしまい、「ひえー、カバーしてるよ、してる、まいったなー」と言うことになったのである。
早速、聞いてみたいのでCDを買い求めたわけだが「真赤な太陽」の入った、入手可能な新品CDは、これしか残っていなかった。 勿論、録音自体は古いし、音作りも硬い感じだが、やはり、丁寧に歌ってあるし、歌声はあの抜群のリズム感、パンチもあるし、そして極めつけの、ポップスでも通用する独特の”こぶし”がエレキサウンドに良く似合い、ノリノリである。「やっぱ上手いよネ」と納得したのである。そんなことで、今日は、「真赤な太陽」に話を終始してしまったのだが、2枚のCDを並べた。1つは、美空ひばりさんのEVERGREEN で、紛れも無く”こぶし”の利いた演歌の「真赤な太陽」と、黛ジュンちゃんの「恋のハレルヤ」から、こちらも”舶来風のこぶしの”利いた「真赤な太陽」を聴き比べてみたのである。
以上、確かにどうでもよいことで、翻弄してしまったが、ちょっと40年の時を巻き戻してみたような不思議な展開であった。・・・・・が、である。もし、私に話してくれた人が、記憶違いで、元々「ジュディオングさんの曲ではなく、黛ジュンさんの曲であったと説明していたら、恐らく、「ああ、そりゃあ、黛ジュンちゃんの方が当然上手いから、美空ひばりさんは失敗だったね」と、スパッとその場ですぐに納得していたに違いない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21676&app=WordPdf
補足 「真赤な太陽」の作詞をされた吉岡 治さんは、今月17日亡くなられた。
レコード「恋のハレルヤ」のオリジナルは1967年12月発売だが、ボーナストラックに6曲(オリジナル発売以降の曲)追加して 2008年9月26日に再販されたCD。ただ、1967年当時は再生出来なかったと思われる重低音までちゃんと確認できた。そこが嬉しい。
EVERGREENは、1983年PCM録音。発売当時、12曲3,800円で、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した。音はDENONには珍しくやや硬めだが、素晴らしい録音。さすがに、EVERGREENと名付けてあるだけのことはある。今となっては貴重な1枚。
前々回、どうも指が滑ってしまい、美空ひばりの「真赤な太陽」は、「黛ジュンに歌ってもらった方が良かったと思うし」、と何気なく自然に書き残してしまった。この、真赤な太陽は、元々ジュディオングが歌う予定で作られていたと聞いた事があって、それを美空ひばりが横取りしたのだと言う話であった。しかし、その話はどうもしっくり来ないと常々考えていた。
何故か。うーむ、歌の上手さでは文句の無い美空ひばりが歌えば良いに決まっていると考えるか、あるいは、さすがに歌詞を考えると、「真赤に燃えた まではいいけれど、恋の季節なの~」を歌うには、一寸、いや随分「薹が立った年齢の人」が歌う曲ではない。と考えるべきで、制作者側は正しい状況判断をすべきであったと思うのである。だから、美空ひばりさんが30歳にしてミニスカートで登場し、軽い感じの独特の歌い方で流し、背後にブルーコメッツを配しても、何か珍しいものを見るようで、今1つ、曲に乗り切れないファンは多かったと思う。年配の美空ひばりファンからは、「どうしたんだろうね」と落胆され、若者達からは、あの「おばさん誰?」と年齢を問われたわけである。
そんな、フラストレーションがきっと心のどこかにエネルギーとなって残っていて、では、誰が歌ったらそれらしく、屈託の無い受け入れ方ができたのかと考えた時、まず、当時18歳のジュディオングさんは申し分は無いが、ただ、足が綺麗であればよいというものでもなく、歌声にパンチがあり、優れたリズム感、アタック音が明瞭な人が良い、なんて、より完璧を求めようとするわけである。そうなると、曲自体がグループ・サウンズ風の流れを汲んでいることから、必然的に、当時19歳の「一人でもGS風」とまで言われた黛ジュンちゃんという結論に達するわけである。ま、仮に黛ジュンちゃんなら30歳を過ぎてもいけてる感じである。もっとも、ちゃんを付けるには僭越で、私より5歳もお姉さまである。現在62歳かな。
ということで、さほど当時の歌謡界の時代背景に詳しくも無いのに、軽く希望を書いたつもりだったのだが、読み返してみると、恐らくこれ以上論理的な要素分析はない、と突き詰めるほどに現実味に溢れ、黛ジュンちゃんの方が曲調から言って歌も絶対上手し、はまり役だと確信を持つようになったのである。それにしても、今更40年以上経過している事なんか、どうでもよかったのだが、益々気になってきて、ひょっとして「黛ジュンちゃんが万が一にも、真赤な太陽をカバーしてたりしないよな」と思って、調べたら、すぐにみつけてしまい、「ひえー、カバーしてるよ、してる、まいったなー」と言うことになったのである。
早速、聞いてみたいのでCDを買い求めたわけだが「真赤な太陽」の入った、入手可能な新品CDは、これしか残っていなかった。 勿論、録音自体は古いし、音作りも硬い感じだが、やはり、丁寧に歌ってあるし、歌声はあの抜群のリズム感、パンチもあるし、そして極めつけの、ポップスでも通用する独特の”こぶし”がエレキサウンドに良く似合い、ノリノリである。「やっぱ上手いよネ」と納得したのである。そんなことで、今日は、「真赤な太陽」に話を終始してしまったのだが、2枚のCDを並べた。1つは、美空ひばりさんのEVERGREEN で、紛れも無く”こぶし”の利いた演歌の「真赤な太陽」と、黛ジュンちゃんの「恋のハレルヤ」から、こちらも”舶来風のこぶしの”利いた「真赤な太陽」を聴き比べてみたのである。
以上、確かにどうでもよいことで、翻弄してしまったが、ちょっと40年の時を巻き戻してみたような不思議な展開であった。・・・・・が、である。もし、私に話してくれた人が、記憶違いで、元々「ジュディオングさんの曲ではなく、黛ジュンさんの曲であったと説明していたら、恐らく、「ああ、そりゃあ、黛ジュンちゃんの方が当然上手いから、美空ひばりさんは失敗だったね」と、スパッとその場ですぐに納得していたに違いない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21676&app=WordPdf
補足 「真赤な太陽」の作詞をされた吉岡 治さんは、今月17日亡くなられた。
レコード「恋のハレルヤ」のオリジナルは1967年12月発売だが、ボーナストラックに6曲(オリジナル発売以降の曲)追加して 2008年9月26日に再販されたCD。ただ、1967年当時は再生出来なかったと思われる重低音までちゃんと確認できた。そこが嬉しい。
EVERGREENは、1983年PCM録音。発売当時、12曲3,800円で、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した。音はDENONには珍しくやや硬めだが、素晴らしい録音。さすがに、EVERGREENと名付けてあるだけのことはある。今となっては貴重な1枚。
2010/05/21
脳裏に焼きつくカレー
そもそも、こういったパッケージのデザインは、人の意表を突いてみたい関西人の考える定番様式である。素直にデザインしても、店頭では他の商品に同化して溶け込んでしまい、目立たなくなってしまうからだ。また、綺麗で上品なデザインにすればするほど、PR効果は半減する。食品には、それ自体でエネルギー感を伝へるパワフルなデザインが好まれる事が多いし、ことカレーに関しては、口にしたカロリー以上のエネルギーを排出して活動的になりたい願望もある。したがって、いつでも、発汗の強い辛口が好まれる。カレー好きの大半(80%)が辛さに魅かれると答えているように、カレーを評価するには、辛さは重要な要素である。
このパッケージ・デザインは、そのニーズを見事に反映している。こんな、口から火が出る、とか目から火が出ているイラストをみて、興味を持たない人はいないだろう。おまけに、パッケージに「辛口 CAUTION」と、まるで危険物でも扱うように、シールが貼り付けてあるのも、ユーモラスで楽しい。恐らく、個人的にもこんなの見たの生まれて初めてと思う。しかし、「神戸」という2文字は、一種の「美味しいもの」に対するブランド力がそこはかとなく漂っているし、さらに、続く「はいから」というフレーズは、文明開化を思わせるノスタルジックな美味しさを、丹精に再現しているというニュアンスを含んでいる。そして、共通するキャッチである「脳裏に焼きつく」と言う言葉には、どうゆうわけか苦労した中高年には懐かしい。
それにしても、よくもまあ、これだけのインスピレーションに訴える言葉とイラストを並べられたと思えるほどのパッケージ・デザインだが、手にとって見れば見るほど、「うま辛カレェ~」なんて、製造者の気持ちが伝わってくるようで嬉しい。さしずめ、「美味しいから、騙されたと思って食ってみな、辛いのが好きな人にはぴったりだよ」と言った感じである。京都より東の人達には、こういう露骨で派手な感覚はお好きではないかもしれないが、私は関西系なので、言葉から来る印象が壷にはまってワクワクしてしまったのである。何故なら、こういう方が分かりやすくて好感が持てるからだ。とかく食品は、素材を厳選しているとか、多くのプロセスを踏んでいるとか、時間を掛けたとか、手間隙を掛けたとか、味との因果関係がありそうで、そうでもない事を推し着せて宣伝したがる。そのような表現は、我々のような素人には分かりにくい。
それにしても、このカレーは、パッケージから受ける印象よりも、味わい深く美味しい。確かに、辛口は「しゃっくりが止まらない」くらい辛いのだが、ヒック、ヒックしながらも、「旨い」と叫べる!食べ終わる頃は、汗!汗!・・・そんな案配で、ここ数ヶ月楽しみながら病み付きになっている。お味を一口で言えば「一流ホテルの伝統が活かされた、クラシック風なビーフカレー」の超辛口と言ったところ。これは是非にでも、このブログの読者の方々には「伝へておかにゃあいかん」と思ったわけである。食べたら、病み付きになるよ。
さて、製造者のホームページを閲覧すると、元々コーヒー屋さんらしく、なるほど、こういう「一寸くどい感じで、個性的なやつが趣向ね」という感じである。おおよそ、コーヒー店が扱う食品は、たいがい個性的で味が濃くて美味しい。いわゆる、このようなコーヒーを扱っている製造者のこだわりなのだろう。さて、それでは、美味しいのは良く分かってもらったとして、関東では何処で販売しているのかと聞かれると、それだけが困るのだが、案の定、近所のイトーヨーカドー、西友、マルエツでは取り扱いが無い。PDF上に製造・販売元のURLを載せてあるので、興味のある方はそちらに問い合わせてほしい。 私が購入しているのは、西関東エリアに出店の多いOZAM(オザム)である。
実際に食べる時には、レトルトなので暖めてから御飯に乗せるだけなのだが、じゃがいも、にんじんを電子レンジで2~3分加熱後に、お湯で少し茹でてから上にのせたり、玉葱を炒めて追加するなど、色々工夫をすると辛さも緩和され、食べやすくなる。PDFは調理例として作ってみたが、写真のお皿の直径が270mm と少々大盛り仕様、構成材料としては、サフランライス、うま辛カレー、らっきょ、福神漬け(天然色素使用)、ゆで卵、小分けレタス、オリーブオイル、塩など。カレーのルーが美味しく出来ているので、さらに、つけ合わせを都度変えても美味しく戴ける。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21666&app=WordPdf
補足 OZAM(オザム) 本社 東京都青梅市友田町5-350 事業内容は食料品、日用雑貨などの販売だが、レジャー事業も展開中。http://www.ozam.jp/index.htm
このパッケージ・デザインは、そのニーズを見事に反映している。こんな、口から火が出る、とか目から火が出ているイラストをみて、興味を持たない人はいないだろう。おまけに、パッケージに「辛口 CAUTION」と、まるで危険物でも扱うように、シールが貼り付けてあるのも、ユーモラスで楽しい。恐らく、個人的にもこんなの見たの生まれて初めてと思う。しかし、「神戸」という2文字は、一種の「美味しいもの」に対するブランド力がそこはかとなく漂っているし、さらに、続く「はいから」というフレーズは、文明開化を思わせるノスタルジックな美味しさを、丹精に再現しているというニュアンスを含んでいる。そして、共通するキャッチである「脳裏に焼きつく」と言う言葉には、どうゆうわけか苦労した中高年には懐かしい。
それにしても、よくもまあ、これだけのインスピレーションに訴える言葉とイラストを並べられたと思えるほどのパッケージ・デザインだが、手にとって見れば見るほど、「うま辛カレェ~」なんて、製造者の気持ちが伝わってくるようで嬉しい。さしずめ、「美味しいから、騙されたと思って食ってみな、辛いのが好きな人にはぴったりだよ」と言った感じである。京都より東の人達には、こういう露骨で派手な感覚はお好きではないかもしれないが、私は関西系なので、言葉から来る印象が壷にはまってワクワクしてしまったのである。何故なら、こういう方が分かりやすくて好感が持てるからだ。とかく食品は、素材を厳選しているとか、多くのプロセスを踏んでいるとか、時間を掛けたとか、手間隙を掛けたとか、味との因果関係がありそうで、そうでもない事を推し着せて宣伝したがる。そのような表現は、我々のような素人には分かりにくい。
それにしても、このカレーは、パッケージから受ける印象よりも、味わい深く美味しい。確かに、辛口は「しゃっくりが止まらない」くらい辛いのだが、ヒック、ヒックしながらも、「旨い」と叫べる!食べ終わる頃は、汗!汗!・・・そんな案配で、ここ数ヶ月楽しみながら病み付きになっている。お味を一口で言えば「一流ホテルの伝統が活かされた、クラシック風なビーフカレー」の超辛口と言ったところ。これは是非にでも、このブログの読者の方々には「伝へておかにゃあいかん」と思ったわけである。食べたら、病み付きになるよ。
さて、製造者のホームページを閲覧すると、元々コーヒー屋さんらしく、なるほど、こういう「一寸くどい感じで、個性的なやつが趣向ね」という感じである。おおよそ、コーヒー店が扱う食品は、たいがい個性的で味が濃くて美味しい。いわゆる、このようなコーヒーを扱っている製造者のこだわりなのだろう。さて、それでは、美味しいのは良く分かってもらったとして、関東では何処で販売しているのかと聞かれると、それだけが困るのだが、案の定、近所のイトーヨーカドー、西友、マルエツでは取り扱いが無い。PDF上に製造・販売元のURLを載せてあるので、興味のある方はそちらに問い合わせてほしい。 私が購入しているのは、西関東エリアに出店の多いOZAM(オザム)である。
実際に食べる時には、レトルトなので暖めてから御飯に乗せるだけなのだが、じゃがいも、にんじんを電子レンジで2~3分加熱後に、お湯で少し茹でてから上にのせたり、玉葱を炒めて追加するなど、色々工夫をすると辛さも緩和され、食べやすくなる。PDFは調理例として作ってみたが、写真のお皿の直径が270mm と少々大盛り仕様、構成材料としては、サフランライス、うま辛カレー、らっきょ、福神漬け(天然色素使用)、ゆで卵、小分けレタス、オリーブオイル、塩など。カレーのルーが美味しく出来ているので、さらに、つけ合わせを都度変えても美味しく戴ける。
ではこちら
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補足 OZAM(オザム) 本社 東京都青梅市友田町5-350 事業内容は食料品、日用雑貨などの販売だが、レジャー事業も展開中。http://www.ozam.jp/index.htm
2010/05/18
京王フローラルガーデン4
最近、スポット露出計を持ってウォーキングに出ることが多い。その目的は、どのカメラを持って来れば、思ったような写真になるかを検討するためで、決めた構図の中をスポットで露出を計るのである。まず、道端に咲いた草木をめがけて、カチ、大地に向かって、カチ、そして、空に向かって、カチ、「ほぉ、これでも F5.6 +1,-2で撮れるんだ」とか、「このシャドウでも F2.8 か」とか、計るだけでも結構楽しめるわけで、そんなことをしながら、頭の中で出来上がりの写真をイメージしながら歩くのが、実際に撮るより面白いのである。新緑の季節は、そうやってスポット露出計で、ダイナミックレンジを調べながら歩くのである。
なぜ、そんな事をするのかと思われるかもしれないが、あくまでも、自由にならない自然界の照明に「季節との関連性」で、即座に変換できる露出パラメータテーブルを、頭の中に作っておきたいと思っているのである。まあ、そんなことぐらい、誰でも考えて実践している筈だが、ただ、受光面積が同じで、画素数の異なるイメージセンサーを搭載したカメラが数台ある場合は、僅かな画質の違いを問題にするような人達にとって、それは切実な問題となる場合がある。
それは、ドットピッチによって実効的な色のダイナミックレンジが異なるからで、完全に解像度(ドットピッチ)と反比例する傾向にあるからだ。たとえば、7.2μピッチを標準にすると、8.8μのピッチのイメージセンサーでは、色の深みやダイナミックレンジも大きく改善され、画像の力強さ等にも魅力を感じる画像になる。一方で、6.4μのピッチのセンサーは、画像の繊細さや分解能はまあ良いのだが、色のダイナミックレンジはかなり狭く、彩度も低い。スタジオの柔らかい照明ならば、何とか活かせそうではあるが、野外などではデテールが周囲の明るさに食われてしまう。
そのくらい画質に大きな違いがあることから、自分の撮影イメージに近い写真に仕上げられるカメラはどれか、常に模索していなければならない。そう言いつつも、そればかり強調されると、「ほぅ、コアな話だな」と思われるかもしれないが、それも、まさに撮影のイメージトレーニングなのである。 本来ならば、思いつきでシャッターを切っても、十分楽しめる写真が出来上がることが望ましいが、こと色のダイナミックレンジに関しては、デジタルになってから貧弱さが顕著で、フイルムにあったような柔軟性はない。したがって、フイルムよりも絵柄にあわせた調整しなけれならない要素は多く、気を抜けないのが現実だ。そして、明るい部分に余計に神経を使うようになったり、あるいは、異なるガンマカーブを何本かカメラに導入してみたりするなど、その試行錯誤から、つい機能を掘り下げてしまうのである。
さて、能書きはそのくらいにして、今日はスポット露出計だけではなく、実物のカメラも持って来ているので、ウォーキングの帰り際にアンジェに寄ってみた。もちろん、閉園30分前に入園したのだが、やはりローズガーデンは人気が高く、いまだ何人かが観覧中で人影がなくなる頃まで待つことにした。余談になるが、今の新緑の季節のアンジェ園内は、どの方向にカメラを向けても絵になるし、極端な話、目を瞑ってシャッターを切っても、それなりにいい感じで撮れるのが特徴といえる。そういう、元々園内がデザイン性に優れた設計がなされているのである。
それでも、私の写真は「今日は、この場所に来ました!という、いつも、一種の記念写真のようなもの」だから、誰がどう見ても、ここしかないと言うポジションでシャッターを切っている。ただ、画質に関しては、多少拘ってカメラを選択してみた。どうかな。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21661&app=WordPdf
補足 スポット露出計 スポットメーター または、反射光式露出計のこと。被写体に反射した光を入射角1度の範囲で計測する露出計。これによって、カメラに内蔵されている露出計では難しいダイナミックレンジを評価でき、最適絞りをメーター上に示す。画素のドットピッチとセンサーサイズによって、適正露光の補正値を算出するのに適しており、理屈どおりの撮影をする為には有効な手段になる。スポット露出計を使いこなすこと、これも1丁目1番地と言えるぐらい基本中の基本といえる。
なぜ、そんな事をするのかと思われるかもしれないが、あくまでも、自由にならない自然界の照明に「季節との関連性」で、即座に変換できる露出パラメータテーブルを、頭の中に作っておきたいと思っているのである。まあ、そんなことぐらい、誰でも考えて実践している筈だが、ただ、受光面積が同じで、画素数の異なるイメージセンサーを搭載したカメラが数台ある場合は、僅かな画質の違いを問題にするような人達にとって、それは切実な問題となる場合がある。
それは、ドットピッチによって実効的な色のダイナミックレンジが異なるからで、完全に解像度(ドットピッチ)と反比例する傾向にあるからだ。たとえば、7.2μピッチを標準にすると、8.8μのピッチのイメージセンサーでは、色の深みやダイナミックレンジも大きく改善され、画像の力強さ等にも魅力を感じる画像になる。一方で、6.4μのピッチのセンサーは、画像の繊細さや分解能はまあ良いのだが、色のダイナミックレンジはかなり狭く、彩度も低い。スタジオの柔らかい照明ならば、何とか活かせそうではあるが、野外などではデテールが周囲の明るさに食われてしまう。
そのくらい画質に大きな違いがあることから、自分の撮影イメージに近い写真に仕上げられるカメラはどれか、常に模索していなければならない。そう言いつつも、そればかり強調されると、「ほぅ、コアな話だな」と思われるかもしれないが、それも、まさに撮影のイメージトレーニングなのである。 本来ならば、思いつきでシャッターを切っても、十分楽しめる写真が出来上がることが望ましいが、こと色のダイナミックレンジに関しては、デジタルになってから貧弱さが顕著で、フイルムにあったような柔軟性はない。したがって、フイルムよりも絵柄にあわせた調整しなけれならない要素は多く、気を抜けないのが現実だ。そして、明るい部分に余計に神経を使うようになったり、あるいは、異なるガンマカーブを何本かカメラに導入してみたりするなど、その試行錯誤から、つい機能を掘り下げてしまうのである。
さて、能書きはそのくらいにして、今日はスポット露出計だけではなく、実物のカメラも持って来ているので、ウォーキングの帰り際にアンジェに寄ってみた。もちろん、閉園30分前に入園したのだが、やはりローズガーデンは人気が高く、いまだ何人かが観覧中で人影がなくなる頃まで待つことにした。余談になるが、今の新緑の季節のアンジェ園内は、どの方向にカメラを向けても絵になるし、極端な話、目を瞑ってシャッターを切っても、それなりにいい感じで撮れるのが特徴といえる。そういう、元々園内がデザイン性に優れた設計がなされているのである。
それでも、私の写真は「今日は、この場所に来ました!という、いつも、一種の記念写真のようなもの」だから、誰がどう見ても、ここしかないと言うポジションでシャッターを切っている。ただ、画質に関しては、多少拘ってカメラを選択してみた。どうかな。
ではこちら
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補足 スポット露出計 スポットメーター または、反射光式露出計のこと。被写体に反射した光を入射角1度の範囲で計測する露出計。これによって、カメラに内蔵されている露出計では難しいダイナミックレンジを評価でき、最適絞りをメーター上に示す。画素のドットピッチとセンサーサイズによって、適正露光の補正値を算出するのに適しており、理屈どおりの撮影をする為には有効な手段になる。スポット露出計を使いこなすこと、これも1丁目1番地と言えるぐらい基本中の基本といえる。
2010/05/14
果実実感 MYJAM1
ジャムやマーマレードのように、味を濃くしたり、保存目的で砂糖と一緒に煮詰める食品は、その時間によって美味しさが変わったり、また、素材の持つ風味や薫りは、煮詰める温度によっても影響を受ける。昔から、世のお母さん方は、ジャムやマーマレード作りに工夫を重ね、市販品とは異なる独自の美味しさを追求してきたが、手作りではどうしても到達できない領域が存在していた。そこに、まだまだ市販品としてのアドバンテージが残されていて、その美味しさは最近飛躍的に向上しているようだ。
たとえば御飯は、大きな釜で炊き上げたほうが美味しいことは広く知られている。それでも、市販のおにぎりやお弁当の御飯は、その美味しさの実現を匠に委ねている。彼等は、冷えても美味しい御飯の開発に凌ぎを削っているわけだが、我々は背景すら知らずに、「素材がよければ冷えても美味しいね」、とかなんとか勝手に感じているだけなのだが、それはそれとして、知らず知らずに、そのお店に足を運んだり、弁当を購入する価値として認識しているのである。たまに違ったお店で、いつもと違う御飯に遭遇すると、やはり、そう単純な物でもないことにも気が付き、きめ細かい裏技の存在を感じるわけである。それでも、消費者の立場でいる限り、詳細を理解することも無く、ただ、あそこは美味しい店という印象だけが残るのである。
今日紹介する、ジャムやマーマレードは、大きな釜を使って大量に作ったから美味しいというものではない。発売から99年間のノウハウを積み重ね、試行錯誤を繰り返して到達した老舗の製法であり、既に様々な果実で実績を積み重ねて、商品として高く評価されているものである。その最も大きなポイントは、「ジャムを真空釜で製造する」ところにある。それは、より「減圧して低温で煮詰める」ことを可能にし、また、果実ごとに真空釜内の環境を調整し最適化することで、果実そのもののおいしさを残し、より果実感を楽しめるジャムに仕上げる、と言うものである。 勿論、その詳細は公表されていないが、実物を口にするとその違いは明白である。
この製法は、水やお湯を注ぐと、元の状態に戻るフリーズドライ食品が美味しくなった理由とよく似ている。 フリーズドライは、その名の通り「凍らせて、乾燥する製法」のことで、例えばジュースに例えると、ジュースを凍結した後、ほぼ真空の乾燥庫の中で、ジュースの中の凍った水分を「昇華させて気体」にすることで乾燥させる。フリーズドライは、あくまでも「低温下で乾燥」させるのが特徴なので、素材本来の味、薫り、食感を保つことができると言う訳である。ジュースを沸騰させて、徐々に水分を飛ばして粉末にするのでは、本来のジュースの美味しさや薫りが一緒に飛んでしまうからである。つまり、美味しさを残すには、「その食材の特徴や持ち味が残る温度で調理する」必要がある。それは、果物の加工では、よりデリケートに調整が必要のようだ。一般的に手作りでのジャムやマーマレードは1気圧で水分を蒸発(100度以上にて)させながら調理するが、それを真空釜では、果物によって最適な気圧で、例えば80~90度で煮詰めることを意味している。
このジャムやマーマレードのお味は、確かに、かつて口にした事の無いような、リアルな食感が美味しさとなって伝わってくる。 これはもう「生でもないのに生々しい」と言うか、半生風の素材感の残る美味しさと言ってよい。また、甘さがかなり抑えられて、果実の持つ甘味や酸味が残っているために、美味しさの主張が際立っている。
それにしても、スーパーの乾物の傍等に隠すように置いてあっても、誰もそんなことを気にもとめないだろうし、食パン売り場にある、紙パックの寒天で固めたジャムをごく自然に手に取るに違いない。つまり、興味の無い人にとってみれば、どれでも同じにしか見えない商品なので、何かの告知行為がないと、気が付かないだろう。美味しさの違いは、実物を食べてもらうとすぐに分かるが、明治屋という「昔ながらの奥ゆかしい職人気質の商売」を継続する心意気には、老舗の余裕すら感じる。小さめのビン入りで価格も安く、種類も豊富で、かなり美味しい商品だと思うので、気が付いたら試してもらいたい。ま、せいぜいこのPDFをご覧戴いて概観ぐらいは覚えておいて欲しいものだ。今日紹介するのは、「果実実感ジャム6種」で、赤いキャップの商品である。キャップを開けると、要冷蔵なので2回に分けることとし、白いキャップの「国産果実 ジャム4種」は後日紹介したい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21651&app=WordPdf
補足 職人気質 ここでは、「俺の仕事は誰にもまけねえ、違いが分かるやつだけ買ってくんな」といった自己満足的な気質をさすが、反面、商品の品質にはめっぽう気を配り、お客には「自分が納得する最高の物を提供しよう」とする気質も併せ持つ。
たとえば御飯は、大きな釜で炊き上げたほうが美味しいことは広く知られている。それでも、市販のおにぎりやお弁当の御飯は、その美味しさの実現を匠に委ねている。彼等は、冷えても美味しい御飯の開発に凌ぎを削っているわけだが、我々は背景すら知らずに、「素材がよければ冷えても美味しいね」、とかなんとか勝手に感じているだけなのだが、それはそれとして、知らず知らずに、そのお店に足を運んだり、弁当を購入する価値として認識しているのである。たまに違ったお店で、いつもと違う御飯に遭遇すると、やはり、そう単純な物でもないことにも気が付き、きめ細かい裏技の存在を感じるわけである。それでも、消費者の立場でいる限り、詳細を理解することも無く、ただ、あそこは美味しい店という印象だけが残るのである。
今日紹介する、ジャムやマーマレードは、大きな釜を使って大量に作ったから美味しいというものではない。発売から99年間のノウハウを積み重ね、試行錯誤を繰り返して到達した老舗の製法であり、既に様々な果実で実績を積み重ねて、商品として高く評価されているものである。その最も大きなポイントは、「ジャムを真空釜で製造する」ところにある。それは、より「減圧して低温で煮詰める」ことを可能にし、また、果実ごとに真空釜内の環境を調整し最適化することで、果実そのもののおいしさを残し、より果実感を楽しめるジャムに仕上げる、と言うものである。 勿論、その詳細は公表されていないが、実物を口にするとその違いは明白である。
この製法は、水やお湯を注ぐと、元の状態に戻るフリーズドライ食品が美味しくなった理由とよく似ている。 フリーズドライは、その名の通り「凍らせて、乾燥する製法」のことで、例えばジュースに例えると、ジュースを凍結した後、ほぼ真空の乾燥庫の中で、ジュースの中の凍った水分を「昇華させて気体」にすることで乾燥させる。フリーズドライは、あくまでも「低温下で乾燥」させるのが特徴なので、素材本来の味、薫り、食感を保つことができると言う訳である。ジュースを沸騰させて、徐々に水分を飛ばして粉末にするのでは、本来のジュースの美味しさや薫りが一緒に飛んでしまうからである。つまり、美味しさを残すには、「その食材の特徴や持ち味が残る温度で調理する」必要がある。それは、果物の加工では、よりデリケートに調整が必要のようだ。一般的に手作りでのジャムやマーマレードは1気圧で水分を蒸発(100度以上にて)させながら調理するが、それを真空釜では、果物によって最適な気圧で、例えば80~90度で煮詰めることを意味している。
このジャムやマーマレードのお味は、確かに、かつて口にした事の無いような、リアルな食感が美味しさとなって伝わってくる。 これはもう「生でもないのに生々しい」と言うか、半生風の素材感の残る美味しさと言ってよい。また、甘さがかなり抑えられて、果実の持つ甘味や酸味が残っているために、美味しさの主張が際立っている。
それにしても、スーパーの乾物の傍等に隠すように置いてあっても、誰もそんなことを気にもとめないだろうし、食パン売り場にある、紙パックの寒天で固めたジャムをごく自然に手に取るに違いない。つまり、興味の無い人にとってみれば、どれでも同じにしか見えない商品なので、何かの告知行為がないと、気が付かないだろう。美味しさの違いは、実物を食べてもらうとすぐに分かるが、明治屋という「昔ながらの奥ゆかしい職人気質の商売」を継続する心意気には、老舗の余裕すら感じる。小さめのビン入りで価格も安く、種類も豊富で、かなり美味しい商品だと思うので、気が付いたら試してもらいたい。ま、せいぜいこのPDFをご覧戴いて概観ぐらいは覚えておいて欲しいものだ。今日紹介するのは、「果実実感ジャム6種」で、赤いキャップの商品である。キャップを開けると、要冷蔵なので2回に分けることとし、白いキャップの「国産果実 ジャム4種」は後日紹介したい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21651&app=WordPdf
補足 職人気質 ここでは、「俺の仕事は誰にもまけねえ、違いが分かるやつだけ買ってくんな」といった自己満足的な気質をさすが、反面、商品の品質にはめっぽう気を配り、お客には「自分が納得する最高の物を提供しよう」とする気質も併せ持つ。
2010/05/11
京王線の話題を追う
なんだろ? この「RAILWAYS 」とは、と思いながら、車両側面に描かれたオレンジ色の電車に目をやると、「昔の京王線」の番組紹介か何かで、みなさん番組を見てくださいと宣伝してるのかと思った。駅員さんに今の電車の側面の広告は?・・・と聞いたら、「ああ、遭遇しましたか、1編成だけなんですよ、・・・・」 今、走っている京王線全編成の中でも、1編成だけに描かれた広告で、5月29日 から公開される映画「RAILWAYS」のキャンペーンになっているのだそうだ。 仕事に飽きて、疲れ気味の45歳前後の方は、どんな映画なのか、ぜひRAILWAYSで検索してみて欲しい。 少し元気が出るかもしれない。
最初に京王帝都電鉄に乗ったのは、先日紹介した、新幹線0系に乗ったすぐ後のことになる。当時(約39年前)の京王線も、今と変わらず、めっぽう早い電車が走っていた。今のような10両編成ではなく4両編成で、思いっきり車体を左右に揺らしながら時速110kmでぶっ飛ばす、これぞ「特急」と言った感じであった。線路はもちろん広軌なので、脱線の心配もなく安心である。「そ、そ、そうか、このような特急電車が当たり前のように走っている大都会でこそ、新幹線を走らせる意義と言うか、環境と言うか、土壌が元々あったんだ」と、納得したのである。流れるような車窓を追いかけながら、街中を所狭しと突っ走る特急のスピードを徐々に受け入れていったのである。 何処を走る鉄道も、やはり早くて安全なのが良いに決まっているが、田舎に比べて都会は、何故か人身事故が多い。
殆どの私鉄が都心近くでは高架を走るのに、京王線は地下から飛び出す。上がったり下がったりと地形を這う様な起伏で走り、ある時は、ハイアングルから街並みを眺め、ある時は切り通しのローアングルから見上げる、そして、突如広々と前が開けるとスピードを上げて通過駅を駆け抜ける。床を伝わってくる軽快でパワフルなモーター音と安定した加速感で目を瞑っていても、何処を走っているか見当が付くところが心地良い。そんなダイナミックに変化する風景やスピード感が子供達にも人気で、夏休みには、スタンプラリーが始まる。もちろん、子供達の行動は車掌さんの監視によって、あくまでも安全が確保されている。今、息を切らして、スタンプを押して戻ってきた子供達に聞いてみた。「君達、将来の夢は、電車の運転手かな?」、少し沈黙の後、首を横に振りながら2人とも、「なりたいけど・・・・、とりあえず、就職できれば、どこでもいいよっ」 という返事であった。
外国人観光客に圧倒的な人気を誇るのが高尾山である。海外からの旅人は、口コミで高尾山に興味を持ち、必ず訪れるらしい。「いいところだ、東京都内から1時間とは思えないくらい静寂に満ちて、霊験新たかで、神秘に富んで、蕎麦が美味しい」と囁かれているそうだ。ほんまかなーと首をかしげる人も多いが、口コミの力は絶大で、次から次へと外国人が登山にやってくる。春先から急に外国人観光客が増えると困るのが京王線の車掌さんである。何度も何度も同じ事を聞かれて、何度も同じ返事をする。「キョウハ、フジサンミエマスカ?」、「ちょっと今、ここでは、分かりません。・・・」 ところがついに、5月、観光庁長官から新宿駅~高尾山口駅間を「外国人旅行者の為の促進区間」として指定を受けてしまった。そこで急いで、駅や電車などにある案内の外国語への拡充を図ることになった。 勿論、車内アナウンスも現在2ヶ国語で放送されている。しかし、車掌さんへの質問は減っていないらしい。
一昨年から、国領駅付近の野川の先から西調布駅付近までの京王本線と、調布駅付近から京王多摩川駅付近までの相模原線の地下立体交差事業を行っている。完成は2012年らしいが、シールド工事は計画以上に早く進んでいるという。京王線の約2.8kmの区間と相模原線の約0.9kmの区間を地下にすることにより、その区間踏切が無くなり、道路の立体化も進められるそうだ。また、これにより国領駅・布田駅・調布駅は全て地下になってしまう。この工事の完了によって、京王線は益々上がったり下がったりと上下に激しく忙しいコースを走ることになる。今日は、その地下入口手前になる野川で撮影した8000系車両の勇姿である。野川と国領駅の間は、直線で400m弱しかない。つまり、工事完了時には電車は野川を渡ると、すぐに地下への堀割コースへ突入することになる。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21636&app=WordPdf
補足:シールド区間工事 筒状の掘削機械(シールドマシン)を用いて地中を掘り進み、セグメントごとコンクリートのブロックを組立てることで円形の連続したトンネルを構築していく工法。
最初に京王帝都電鉄に乗ったのは、先日紹介した、新幹線0系に乗ったすぐ後のことになる。当時(約39年前)の京王線も、今と変わらず、めっぽう早い電車が走っていた。今のような10両編成ではなく4両編成で、思いっきり車体を左右に揺らしながら時速110kmでぶっ飛ばす、これぞ「特急」と言った感じであった。線路はもちろん広軌なので、脱線の心配もなく安心である。「そ、そ、そうか、このような特急電車が当たり前のように走っている大都会でこそ、新幹線を走らせる意義と言うか、環境と言うか、土壌が元々あったんだ」と、納得したのである。流れるような車窓を追いかけながら、街中を所狭しと突っ走る特急のスピードを徐々に受け入れていったのである。 何処を走る鉄道も、やはり早くて安全なのが良いに決まっているが、田舎に比べて都会は、何故か人身事故が多い。
殆どの私鉄が都心近くでは高架を走るのに、京王線は地下から飛び出す。上がったり下がったりと地形を這う様な起伏で走り、ある時は、ハイアングルから街並みを眺め、ある時は切り通しのローアングルから見上げる、そして、突如広々と前が開けるとスピードを上げて通過駅を駆け抜ける。床を伝わってくる軽快でパワフルなモーター音と安定した加速感で目を瞑っていても、何処を走っているか見当が付くところが心地良い。そんなダイナミックに変化する風景やスピード感が子供達にも人気で、夏休みには、スタンプラリーが始まる。もちろん、子供達の行動は車掌さんの監視によって、あくまでも安全が確保されている。今、息を切らして、スタンプを押して戻ってきた子供達に聞いてみた。「君達、将来の夢は、電車の運転手かな?」、少し沈黙の後、首を横に振りながら2人とも、「なりたいけど・・・・、とりあえず、就職できれば、どこでもいいよっ」 という返事であった。
外国人観光客に圧倒的な人気を誇るのが高尾山である。海外からの旅人は、口コミで高尾山に興味を持ち、必ず訪れるらしい。「いいところだ、東京都内から1時間とは思えないくらい静寂に満ちて、霊験新たかで、神秘に富んで、蕎麦が美味しい」と囁かれているそうだ。ほんまかなーと首をかしげる人も多いが、口コミの力は絶大で、次から次へと外国人が登山にやってくる。春先から急に外国人観光客が増えると困るのが京王線の車掌さんである。何度も何度も同じ事を聞かれて、何度も同じ返事をする。「キョウハ、フジサンミエマスカ?」、「ちょっと今、ここでは、分かりません。・・・」 ところがついに、5月、観光庁長官から新宿駅~高尾山口駅間を「外国人旅行者の為の促進区間」として指定を受けてしまった。そこで急いで、駅や電車などにある案内の外国語への拡充を図ることになった。 勿論、車内アナウンスも現在2ヶ国語で放送されている。しかし、車掌さんへの質問は減っていないらしい。
一昨年から、国領駅付近の野川の先から西調布駅付近までの京王本線と、調布駅付近から京王多摩川駅付近までの相模原線の地下立体交差事業を行っている。完成は2012年らしいが、シールド工事は計画以上に早く進んでいるという。京王線の約2.8kmの区間と相模原線の約0.9kmの区間を地下にすることにより、その区間踏切が無くなり、道路の立体化も進められるそうだ。また、これにより国領駅・布田駅・調布駅は全て地下になってしまう。この工事の完了によって、京王線は益々上がったり下がったりと上下に激しく忙しいコースを走ることになる。今日は、その地下入口手前になる野川で撮影した8000系車両の勇姿である。野川と国領駅の間は、直線で400m弱しかない。つまり、工事完了時には電車は野川を渡ると、すぐに地下への堀割コースへ突入することになる。
ではこちら
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補足:シールド区間工事 筒状の掘削機械(シールドマシン)を用いて地中を掘り進み、セグメントごとコンクリートのブロックを組立てることで円形の連続したトンネルを構築していく工法。
2010/05/07
ミューザからの音色
今日は天気もよく、連休後半のちょっとのんびりムードが漂い、歩きたい気分で野川を下る。70分ぐらいすると二子玉川で、ここの高島屋の地下に寄るのが習慣になっているが、混雑しているしここで何かを買ってしまうと、ついバスで帰ろうと安易な帰路を選びそうになる。そこで、多摩川を渡り20分ほど続けて歩く、と溝の口に出る。ここは、大きな街でノクティーと丸井がどーんと幅を利かせている。さすがに渋谷から一本で下れることもあって、調布などとは違い幅広い層に支持されるような、若者向けの雑多なお店から、年配の人にも優しいお店まで、その時代背景をそのまま残した街並みがある。そんな画一的でないのが、何処となく懐かしさを帯びて、活気のある夕刻時は、どこか安心感を与えてくれる。
この溝の口あたりまでが、テリトリーというか、説明できる歩行の限界といったところ。いつものように、もはや足の筋肉には乳酸が溜まっている。しばし休息で、よく丸井の1階に入る。奥に進むと中央にはテーブルと椅子が並び、その周囲を軽食の出店が囲う。ラーメンだとか蕎麦だとか、アイスクリーム等を買って、そこの椅子に行儀よく座って食べれるフードコートがある。今日も、そこでしばし休息を取りたかったが、とても混雑していた。実は、そんなことはどうでもよいのだが、帰り際に同じフロアの和菓子屋「末広庵」で数人のお嬢さん方が何か購入しているのを見かけた。珍しい、そんな若い人達が押寄せるようなお店でもなさそうなのに、と思いながら覗いてみると、やはり和菓子しか並んでいない。お嬢さん方は、店頭からそれらを指差し、少しづつ買い求めている。お店の人も忙しそうに低い姿勢で体を左右に揺らし手際よく対応している。次から次へと売れているのは、いったい何だ?と思いながら眺めているとシュークリームやカステラであった。元々、このような和菓子?のお店は、私の得意分野でもあるのだが。ひょっとすると、地元の人でないと分からない美味しい物があるのかもしれない。
そうか、「美味いのか」と思い、ついつられて最中、羊羹とカステラを買ってみた。この、つられるという気分は、たとえ豊富な経験を誇る者として、店舗外観とか、ショーケースとか、品物の包装とか、店員さんの物腰とか、品物の色合いであったり、そんなありきたりの判断が通用せず、時たま意表を突かれることもあるので、そこはかとなく期待をしてしまう。帰りは、溝の口から登戸までJRを使い、登戸から再び歩く事にしている。電車の中で、手提げの中のカステラの包装紙に巻かれたオレンジ色の帯を読む。 回りの人たちは、へんなオヤジと思ってチラチラと見て見ぬ振りをしているが、そんなの知ったこっちゃ無い。
そこには、こんな記述が載っている 「音楽のまちかわさきのシンボル-ミューザには5248本のパイプ数を誇るパイプオルガンがあり、柔らかで繊細な音が響き渡っています。」 おお、すごいな、こういうコンサートホールが川崎にもあるんだ、ツアラトウストラはかく語りき、サンサーンスの3番、いや、バッハだろうな、と勝手に頭の中に重低音が響き渡る。説明文を続けると「末広庵では日本の伝統あるカステラを現在風にアレンジし」、ううつ、いやいや、そんな工夫をしなくても古い伝統的な製法にこだわってほしいな、と思いながら続けると、「天然のミネラルを多く含んだ北海道十勝産のてんさい糖と糯米を原料に、砂糖を一切使用しない粟飴とでパイプオルガンの音色の様なお味に焼き上げた、体にも優しいカステラをお作りしました」とある。ふうーんと、危うくその場で1個パクっといくところだった。いやいや、カステラではなく最中の方で、小さい一口サイズで大丈夫。ただ、能書きは、これだけではなかった。
家に帰って、早速1つづつ開けて食べてみた。カステラは爽やかな甘味なのに割りともっちりしていて、後口もよく、ざら目が本物ぽさを感じさせる。なるほど、甘さ控えめの低カロリー風で、食感は重量級でも食べた後は軽い感じがする。これだな、パイプオルガンの音色をイメージしたというのは、きっと、湧き上がるような空気感のよく出る低音なのであろう。わかるぞ。
やはり、美味しい物を独自に探すのは難しいが、こんな能書きが書いてあるカステラも初めてで、読むうちに徐々に「こだわりと味わい方」が伝わってくる。そのイメージだけでも、今日は十分楽しめたと思う。これなら、その地元の若い人たちに、親しみながら味わってもらえるに違いない。つづきは、こちらのPDFで
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21543&app=WordPdf
この溝の口あたりまでが、テリトリーというか、説明できる歩行の限界といったところ。いつものように、もはや足の筋肉には乳酸が溜まっている。しばし休息で、よく丸井の1階に入る。奥に進むと中央にはテーブルと椅子が並び、その周囲を軽食の出店が囲う。ラーメンだとか蕎麦だとか、アイスクリーム等を買って、そこの椅子に行儀よく座って食べれるフードコートがある。今日も、そこでしばし休息を取りたかったが、とても混雑していた。実は、そんなことはどうでもよいのだが、帰り際に同じフロアの和菓子屋「末広庵」で数人のお嬢さん方が何か購入しているのを見かけた。珍しい、そんな若い人達が押寄せるようなお店でもなさそうなのに、と思いながら覗いてみると、やはり和菓子しか並んでいない。お嬢さん方は、店頭からそれらを指差し、少しづつ買い求めている。お店の人も忙しそうに低い姿勢で体を左右に揺らし手際よく対応している。次から次へと売れているのは、いったい何だ?と思いながら眺めているとシュークリームやカステラであった。元々、このような和菓子?のお店は、私の得意分野でもあるのだが。ひょっとすると、地元の人でないと分からない美味しい物があるのかもしれない。
そうか、「美味いのか」と思い、ついつられて最中、羊羹とカステラを買ってみた。この、つられるという気分は、たとえ豊富な経験を誇る者として、店舗外観とか、ショーケースとか、品物の包装とか、店員さんの物腰とか、品物の色合いであったり、そんなありきたりの判断が通用せず、時たま意表を突かれることもあるので、そこはかとなく期待をしてしまう。帰りは、溝の口から登戸までJRを使い、登戸から再び歩く事にしている。電車の中で、手提げの中のカステラの包装紙に巻かれたオレンジ色の帯を読む。 回りの人たちは、へんなオヤジと思ってチラチラと見て見ぬ振りをしているが、そんなの知ったこっちゃ無い。
そこには、こんな記述が載っている 「音楽のまちかわさきのシンボル-ミューザには5248本のパイプ数を誇るパイプオルガンがあり、柔らかで繊細な音が響き渡っています。」 おお、すごいな、こういうコンサートホールが川崎にもあるんだ、ツアラトウストラはかく語りき、サンサーンスの3番、いや、バッハだろうな、と勝手に頭の中に重低音が響き渡る。説明文を続けると「末広庵では日本の伝統あるカステラを現在風にアレンジし」、ううつ、いやいや、そんな工夫をしなくても古い伝統的な製法にこだわってほしいな、と思いながら続けると、「天然のミネラルを多く含んだ北海道十勝産のてんさい糖と糯米を原料に、砂糖を一切使用しない粟飴とでパイプオルガンの音色の様なお味に焼き上げた、体にも優しいカステラをお作りしました」とある。ふうーんと、危うくその場で1個パクっといくところだった。いやいや、カステラではなく最中の方で、小さい一口サイズで大丈夫。ただ、能書きは、これだけではなかった。
家に帰って、早速1つづつ開けて食べてみた。カステラは爽やかな甘味なのに割りともっちりしていて、後口もよく、ざら目が本物ぽさを感じさせる。なるほど、甘さ控えめの低カロリー風で、食感は重量級でも食べた後は軽い感じがする。これだな、パイプオルガンの音色をイメージしたというのは、きっと、湧き上がるような空気感のよく出る低音なのであろう。わかるぞ。
やはり、美味しい物を独自に探すのは難しいが、こんな能書きが書いてあるカステラも初めてで、読むうちに徐々に「こだわりと味わい方」が伝わってくる。そのイメージだけでも、今日は十分楽しめたと思う。これなら、その地元の若い人たちに、親しみながら味わってもらえるに違いない。つづきは、こちらのPDFで
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21543&app=WordPdf
2010/05/04
優しいダイズに混ぜる
4月2日に紹介した「やさしいダイズ」を、かれこれ1ヶ月ぐらい、朝夕2回程、少量づつ飲み続けてきたが、どうも、体調は良いように思う。まあ、基本的な諸元というか、input→output の状況もよく、気分は大変良好である。今日はそれに至る思考錯誤の追加報告になる。ただ、ただ、習慣的に飲み続けていると、やはり、時折、ダイズの薫りに強烈な拒絶反応を起こす時がある。その時の気分は、ダイズが「体の隅々まで行き渡って、もう十分だっ」 さしずめ表示モードでは =Full! と訴えているようなもので、この時に、根っから健康を望んでいるわけではないことを、自覚するのである。
今は、何かと健康ブームで、自分でもそんな振る舞いをしていないと健全な大人として扱ってもらえない風潮がある。血液検査のHBA1Cで、平素の糖分の過剰な摂取量がバレバレなのだが、そこで、「うーむ、おかしいなー、父が高血圧だったから、むしろ塩分を控えてるんですよ」と、あくまで健康には気をつけている様子を漂わせ、しかしピントを外し、「甘い物は体に良くないから好きじゃないんです。御飯の食べすぎですかね」とかなんとか神妙な顔で話を反らせるわけである。とまあ、好きなものを控えてまで長生きする必要は無いと常々思っている。しかし、個人的に、本当に健康に良いことは、他にあって、不健康になる要素をできるだけ早く取り除くことだと考えている。たとえば、一般論として、煙草を一切止める、お酒を控える、食べ過ぎない、会社では欲を出さず無理をしない、子供(地球)の将来を心配しない、自分の死後の家族のことまで考えない、人生50年と心得、残りはおまけと考える。これらを自覚して、体に認識させれば、かなり健康になるはずである。 だいたい、先々まで能力以上の無理をしようとするから病むのである。
尊敬する6歳上の先輩は、お酒や煙草も随分遠い昔に止め、どういう訳かある時から、健康一筋になり、サプリメントやミネラルに関する情報を世界中から集めたり、海外の免疫学会論文を読むなど、かなりの健康オタクで、休みの日はスポーツクラブで泳ぎ、年に何度か温泉旅行を楽しみにしていた。温泉なんて話をすると、健康との因果関係はないと思われるかもしれないが、実は、温泉を利用した「生体防御をまじめに研究している大学病院」もあるくらいで、侮れないのである。そんな病院で、教授に取材すると、「うーむ、なるほど、へー、そうなんだ」、と勉強になる事は多かった。そんな話をしたら、彼も温泉が大好きになったのである。それに、これ以上体に良い環境はないと思える毎日の生活習慣で、食べ物も動物性脂肪分、糖分、塩分の表記をかなり気にしていた。そんな先輩は、きっと、長生きだろうと安心し切っていたが、一昨年末、亡くなってしまった。
強調するが、いくら体に良いと思われる事をしても、自分の体に適していなかったり、自分の体の現在の状況を正しく把握しておかないと、火に油を注ぐように重症化したり、あるいは、寿命を縮めてしまう結果にもなりかねないのである。唯一の命綱とも言える定期的な健康診断を重視し、50歳を過ぎたら年2回、60歳を過ぎたら年4回、70歳過ぎたら2ヶ月に1回というように、遺伝子が古くなればなるほど、あるいは免疫力が低下する年齢になればなるほど、経過を短期間でチェックする必要がある。60歳過ぎたら何があっても不思議ではないからだ。だから、僅かな数値の変化に目を尖らせ、基準値に収まっていても、CRP など必要ないくつかの数値は別途オーダーして計測しておく必要がある。これは、長生きをする為ではない。必然性のある死に方、つまりコストを掛けない死に方を選択するためである。ただ、寿命と言う視点で考えると、経験的に分かったことは、「素直で、物分りがよく、人間的にも優れた人は、早く亡くなる傾向がある」。そういう意味では、「わがままで、自分勝手で」、このブログを読んでも「そんなの嘘だ」と思っているような人は、まず大丈夫だ。
何が大丈夫なのか分からないけれど、それ以来、健康に良いと言われる物は、実は、体を駄目にする物ではないかと、考えるようになったのである。理屈は簡単で、体に良い物は、たいがい体に負担が少ない物である。つまり、それによって体はどんどん弱体化してしまい、いざと言う時に役に立たない状態になっていくのである。例えば、正座をしなくなった人は、膝の刺激が大脳へ届かなくなり、大脳は、膝には障害は無いと認識している。その時、膝へは栄養やミネラルは供給されない。つまり、たまに歩く時に膝が痛む程度では、いくら膝に良い栄養素を供給しても、栄養素はそこへ届けられないのである。そんな、一寸痛むぐらいで、飲んだ栄養素が膝へ届けられると考えている事のほうがおかしいわけで、そんなに都合よく出来ていない。つまり、栄養素は、飲んだ後に「膝を使ってたっぷり動かさない」と効かないのである。
そこで、あの飲みやすい「やさしいダイズ」でも、飲んだ後は効果が出るように、体に刺激を与える必要がある。飲んだだけで、じっとしていては、体は駄目になるだけである。そこで、優しいダイズに含まれる「食物繊維」を効果的に使う為に、腹筋を使う運動をする。次に「イソフラボン」を毛細血管まで届けるために、頭皮のマッサージをする。そして、「たんぱく質、カルシウム」を体中浸透させるために、ウォーキングをする。飲んだ後、これらを「実行することで」で体に与える影響は大きく変わってくるのである。
さて、飲み方だが、体に良いからと言って、そんなにガブガブ飲む必要は無い。経験的に、一日カップ1/2でも十分効果がでる事が分かってきた。コーヒーに少しづつ混ぜるとか、パスタに生クリームの代わりに使うとか、工夫をしながら、自分を騙しながら使うのが良いと思う。そこで、最近はまっている組合わせを紹介したい。「やさしいダイズ」はミルクのような薫りが特徴だが、やはり、そのままでは、大豆の渋みのような物が口に残るし、時たま忘れた頃に不意な拒絶反応が現れる。回避策として、火を通すことでそれらが緩和される。さらに、「抹茶」を添加すると、飲みやすく拒絶反応も少ない事が分かってきた。これなら1日2杯ぐらいまでなら楽しんで飲める。お茶屋さんで普通に販売されている抹茶で十分なので、是非、お勧めしたい。そのまま抹茶を入れると溶けにくいので、お湯で抹茶を溶かしてから、投入したほうが良い。そしてこれだけでは、さすがに甘味が足りなく口寂しいので、バウムクーヘンを組合わせることにした。結構美味しいし、これなら、しばらく頑張れそうな気がしている。土日の朝食にいかがかな。
ではこちら
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今は、何かと健康ブームで、自分でもそんな振る舞いをしていないと健全な大人として扱ってもらえない風潮がある。血液検査のHBA1Cで、平素の糖分の過剰な摂取量がバレバレなのだが、そこで、「うーむ、おかしいなー、父が高血圧だったから、むしろ塩分を控えてるんですよ」と、あくまで健康には気をつけている様子を漂わせ、しかしピントを外し、「甘い物は体に良くないから好きじゃないんです。御飯の食べすぎですかね」とかなんとか神妙な顔で話を反らせるわけである。とまあ、好きなものを控えてまで長生きする必要は無いと常々思っている。しかし、個人的に、本当に健康に良いことは、他にあって、不健康になる要素をできるだけ早く取り除くことだと考えている。たとえば、一般論として、煙草を一切止める、お酒を控える、食べ過ぎない、会社では欲を出さず無理をしない、子供(地球)の将来を心配しない、自分の死後の家族のことまで考えない、人生50年と心得、残りはおまけと考える。これらを自覚して、体に認識させれば、かなり健康になるはずである。 だいたい、先々まで能力以上の無理をしようとするから病むのである。
尊敬する6歳上の先輩は、お酒や煙草も随分遠い昔に止め、どういう訳かある時から、健康一筋になり、サプリメントやミネラルに関する情報を世界中から集めたり、海外の免疫学会論文を読むなど、かなりの健康オタクで、休みの日はスポーツクラブで泳ぎ、年に何度か温泉旅行を楽しみにしていた。温泉なんて話をすると、健康との因果関係はないと思われるかもしれないが、実は、温泉を利用した「生体防御をまじめに研究している大学病院」もあるくらいで、侮れないのである。そんな病院で、教授に取材すると、「うーむ、なるほど、へー、そうなんだ」、と勉強になる事は多かった。そんな話をしたら、彼も温泉が大好きになったのである。それに、これ以上体に良い環境はないと思える毎日の生活習慣で、食べ物も動物性脂肪分、糖分、塩分の表記をかなり気にしていた。そんな先輩は、きっと、長生きだろうと安心し切っていたが、一昨年末、亡くなってしまった。
強調するが、いくら体に良いと思われる事をしても、自分の体に適していなかったり、自分の体の現在の状況を正しく把握しておかないと、火に油を注ぐように重症化したり、あるいは、寿命を縮めてしまう結果にもなりかねないのである。唯一の命綱とも言える定期的な健康診断を重視し、50歳を過ぎたら年2回、60歳を過ぎたら年4回、70歳過ぎたら2ヶ月に1回というように、遺伝子が古くなればなるほど、あるいは免疫力が低下する年齢になればなるほど、経過を短期間でチェックする必要がある。60歳過ぎたら何があっても不思議ではないからだ。だから、僅かな数値の変化に目を尖らせ、基準値に収まっていても、CRP など必要ないくつかの数値は別途オーダーして計測しておく必要がある。これは、長生きをする為ではない。必然性のある死に方、つまりコストを掛けない死に方を選択するためである。ただ、寿命と言う視点で考えると、経験的に分かったことは、「素直で、物分りがよく、人間的にも優れた人は、早く亡くなる傾向がある」。そういう意味では、「わがままで、自分勝手で」、このブログを読んでも「そんなの嘘だ」と思っているような人は、まず大丈夫だ。
何が大丈夫なのか分からないけれど、それ以来、健康に良いと言われる物は、実は、体を駄目にする物ではないかと、考えるようになったのである。理屈は簡単で、体に良い物は、たいがい体に負担が少ない物である。つまり、それによって体はどんどん弱体化してしまい、いざと言う時に役に立たない状態になっていくのである。例えば、正座をしなくなった人は、膝の刺激が大脳へ届かなくなり、大脳は、膝には障害は無いと認識している。その時、膝へは栄養やミネラルは供給されない。つまり、たまに歩く時に膝が痛む程度では、いくら膝に良い栄養素を供給しても、栄養素はそこへ届けられないのである。そんな、一寸痛むぐらいで、飲んだ栄養素が膝へ届けられると考えている事のほうがおかしいわけで、そんなに都合よく出来ていない。つまり、栄養素は、飲んだ後に「膝を使ってたっぷり動かさない」と効かないのである。
そこで、あの飲みやすい「やさしいダイズ」でも、飲んだ後は効果が出るように、体に刺激を与える必要がある。飲んだだけで、じっとしていては、体は駄目になるだけである。そこで、優しいダイズに含まれる「食物繊維」を効果的に使う為に、腹筋を使う運動をする。次に「イソフラボン」を毛細血管まで届けるために、頭皮のマッサージをする。そして、「たんぱく質、カルシウム」を体中浸透させるために、ウォーキングをする。飲んだ後、これらを「実行することで」で体に与える影響は大きく変わってくるのである。
さて、飲み方だが、体に良いからと言って、そんなにガブガブ飲む必要は無い。経験的に、一日カップ1/2でも十分効果がでる事が分かってきた。コーヒーに少しづつ混ぜるとか、パスタに生クリームの代わりに使うとか、工夫をしながら、自分を騙しながら使うのが良いと思う。そこで、最近はまっている組合わせを紹介したい。「やさしいダイズ」はミルクのような薫りが特徴だが、やはり、そのままでは、大豆の渋みのような物が口に残るし、時たま忘れた頃に不意な拒絶反応が現れる。回避策として、火を通すことでそれらが緩和される。さらに、「抹茶」を添加すると、飲みやすく拒絶反応も少ない事が分かってきた。これなら1日2杯ぐらいまでなら楽しんで飲める。お茶屋さんで普通に販売されている抹茶で十分なので、是非、お勧めしたい。そのまま抹茶を入れると溶けにくいので、お湯で抹茶を溶かしてから、投入したほうが良い。そしてこれだけでは、さすがに甘味が足りなく口寂しいので、バウムクーヘンを組合わせることにした。結構美味しいし、これなら、しばらく頑張れそうな気がしている。土日の朝食にいかがかな。
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