2010/09/17

ディスカバリー4-a

 このディスカバリーのタイトルは、30年前の若かりし日を思い出し、気ままなネタを書くことにしている。なのに、先日、本棚の「HP ウエイ」という本をめくり始めたまではよかったが、あの「ルメイ」の3文字を見つけた瞬間に激怒してしまって、その先にあった筈のものをすっかり忘れてしまった。時間が過ぎて田舎へ帰ることになったわけだが、田舎では、TVドラマのお陰もあって「坂の上の雲」様々といえるほどのブームが起こっていて、たいへん盛り上がりを見せていた(ポスターのみ)。ただ、私的には、ドラマにはいささか不満というか、物足りなさを感じていたのも事実で、ならば、それをきっかけに、自分の目でその物足りなさを埋めてみたいという願望が沸々と湧き上がり、暑さにも負けず頑張って取材を敢行してきたというわけである。ま、こういうこともあろうかと思い、常日頃から炎天下のウォーキングもトレーニングしてきたので、3日ぐらいの取材なら全く問題は無かったが、結構厳しい現実にも直面した。いやいや、私の体ではなく、デジタル・カメラの方(使用可能温度45度)がである。

 とりあえず、話を1ヶ月前に戻してみたい。その時は、このヒューレット・パッカード社のSERIES 80 HP-85 コンピュータを懐かしいネタにしようと考えていたのである。だから、最初に写真を撮っておいた。そして、おもむろに「HPウエイ」という本を開いて、計測機器用のコントローラとしての歴史的背景から、この製品の位置づけを知りたいと探していたのである。ただ、このHP-85の事に関しては、残念ながら記述は一切無かった。そこが問題だったかもしれない。何もないという心細さから、大脳はそれ以外の様々な記述までも、拾い集めて関連付けようとするのである。しかし、それはやはり何も情報を生成することは無かった。すると、もう残された道は自分の記憶を辿るしかない。

 で、思い出すに、このコンピュータは、本格的なインターフェイスであるHP-IB(インターフェイスバス)を取り付け、計測機器、プロッタ、プリンタ、ウインチェスタ型のディスク装置等の周辺機器と交信し、プログラムされたルーチンで計測データを素早く取得・処理・保存・出力する目的で設計されていた。しかし、一方でビジカルク、発表提出用グラフ作成、金融計算、文章編集、数学、一般統計、回帰統計、回路設計、波形解析、BASICトレーニングなどのアプリケーション・パック類の用意もされていた。この幾つかのアプリケーションソフトによって、計測に対する考え方や計測の成果を幅広く扱えるようにという配慮だったようだ。そういうシステム性という点においては、米国製品は古くから考え方と成果を鮮明にしており、国産の曖昧さに比べ10年以上も先を進んでいたといえる。

 また、このような計測コントローラが出来たことによって、従来、手作業で計測機器のダイアルを回したりスイッチを切り替えて、周波数ごとに目視でデータを取得していたのに対し、コントローラからのプログラムによる指示で、計測機器内のCPUが自動的にスイッチを切り替えて実データを高速で取得し、それをコントローラに送り返す。そのデーターをコントローラ内部のCPUが加工し、出力先のプロッタなどに描かせることが出来たのである。当時、オーディオ周波数帯域では、B&K(ブリューエル アンド ケアー)の極めてアナログチックな計測が主流で、1モデルの評価項目全て終える度に何十枚もの紙が出ていたが、それを、このコントローラで一括処理しA4~A3の用紙1枚に綺麗にレイアウトして出力する事が可能になったのである。勿論、時間経過に沿ってデータを取得しておくと、従来なら膨大な紙の山になったのが、データーを配列にしまっておき、影線処理をして3次元表示をすることで見やすくできた。

 この源流といえるような考え方に関しては、ちゃんとした記述がある。ここからは、「HPウエイ」からの抜粋になるが、「1960年代初頭に、既に計測機器にもコンピュータを使って精度を上げたり、出力を柔軟にする事がささやかれていた。HP社内では、2人のエンジニアによって既に自らのコンピュータを作る実験を始めていた。2人の主張は、自社の計測機器類を自社開発のコンピュータ・システムによって自動制御するという物であった」らしい。これがHP最初のミニコン・モデル2116である。その後、1972年にHP独自の汎用コンピュータHP-3000を登場させている。HP社は、当時からCPU等の開発から基本ソフトの開発まで全てを自社内で行っていたので(他に出来るところはない)、競争力の優れた製品を数多く世に送り出す事が出来た。その10年後の1982年に個人でも買える価格(本体のみ98万円)になって登場したのが本機 HP-85 である。これでも、拡張ROM、HP-IB I/F、プロッター、外部ディスク装置を組み合わせると本体の2.2倍ぐらいの予算が必要になった(後日プロッターも紹介したい)。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21778&app=WordPdf

補足1 ビジカルク→今のEXCELの前身で表組み計算シート。

補足2 HP拡張BASIC→外部にはHP-IBの豊富な同社製の周辺機器が使用できた(HP-IBは後に世界標準GP-IBに発展する)。当時はHP-IBの高速ディスク装置も用意されていた。
 マトリクス演算、拡張プログラミング、マスストレージ、入出力関係、プロッター/プリンター等の専用コマンドは拡張ROMを用意する。データカートリッジは、ディスク同様ランダムアクセスが可能なため、STOREの赤いキーボタン1つで、その都度データーを保存できる。また、現在ではEnterキーになっているが、その頃のHPのコンピュータはEndLine であった。EndLineキーが押されると、各Lineごとの文法エラーはもとより、各Lineにまたがる論理矛盾まで指摘をする優れものであった。

補足3 当時は、横河電機との合弁会社である横河・ヒューレット・パッカード㈱で取り扱われた。現在のコンピュータ、プリンターは日本ヒューレット・パッカード㈱の取り扱い。その頃の国内製品では、日本電気がN88BASIC搭載のPC8801を発売。