今年の2月に、見舞いで広島赤十字病院を訪れ、ついでに平和記念資料館を25年ぶりに見学し、改めて原爆被害等について、概要をこのブログ上に残した。被害の大きさ、人体に与える影響、被爆数年後における癌の発祥等について、改めて自分としても整理しておきたいと思ったからである。かといって、一歩踏み込んで平和活動の「真似事」はできないので、興味を持った事柄について、折を見ながらブログに残しておこうと思う。さて、その2月には、広島赤十字病院の正面に保存されている、当時の爆風の強さを示すモニュメントである「窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁の一部」も拝見していたが、隅々まで確認を怠り1つ見逃した事があった。
誰でも原爆投下の瞬間に受ける人体の損傷については、想像するはずである。 さて、 その内容をもう1度振り返ると、地上600mで原子爆弾が炸裂すると、爆心地から500mほど先では、熱によって「人は蒸発」する。そして、次の瞬間には、周囲の空気が急激に膨張して超高圧の熱爆風となり、遠く約1.4km先の建物を破壊し、窓ガラスを粉々にし、人々は致命的な「大やけど」を負い、同時に放射線による「東海村の臨界事故のような傷害」を被る。この状態は、手の施しようのないものである(PDF参照)。また、爆発力が強い為、コンクリートやガラスなどの崩壊によって致命的な2次被害を被る。さらに、放射線を浴びた時に、染色体を傷つけ、あるいは切断する。それが、被爆後、数十年におよび、その影響と思われる症状が出る。5年後白血病、10年後甲状腺癌、20年後乳癌、肺癌、30年後結腸癌、骨髄腫、などの悪性腫瘍が発生する事が統計的に証明されている。・・・・ということであった。
つまり、どのように考えても、「体に対する何らかの損傷は大きな物があった」とずーっと考えてきた。特に外傷は、大やけど、中やけど、あるいは、2次被害によるものと考えられる。2次被害の例としては、私の叔父も広島の歯科医専で原爆の被害を受けたが、爆風で学校の窓のガラスが破壊され、無数の破片が体深く刺さり、被爆同月31日に亡くなっている。現存する叔母に、その時の様子を聞いたことがあった。原爆投下の後、「広島から兄さんは、呉線の線路を伝おうて歩いて帰ってきょっちゃったんよ、体じゅう血だらけで、私は、もう駄目(右手を左右に振るアクションをしながら、声を詰まらせ)じゃあ、思おたんよね。・・可愛そうじゃったんよ」。確かに、この時すでに被爆もしていたに違いないが、爆風による2次的なガラス被害が直接の死因になったと考えられる。被爆後24日間苦しみぬいて死んでいったという。このような被害は、他にも計り知れないほどあったに違いない。
しかし、そのような悲惨な被爆状況下でも、「全く外傷のない亡くなられ方」をしている大勢の子供達がいたことを知ったのである。被爆した場所は、広島赤十字病院の近くで、爆心地からの距離は約1.5kmである。全く不自然に思えてしまうが、このことは、様々な状況を考察しても、全くもって想像すら出来なかった。しかし、「被爆しても何の損傷も無く、一時たりとも苦しまなかった」としたら、ものすごく幸いであったと思える。死になんら違いはないといわれればそれまでだが、もし、体が解けるような大やけどを受け数時間、あるいは数日間苦しみぬいて、死を迎えるのがよいか。また、被爆でやけどをした体で生き延び、周囲から差別され、さらに、常に病気の恐怖に慄きながら人生をまっとうするのがよいか、あるいは、瞬間的に蒸発してしまっていた方がよかったか、究極の選択かもしれないが、もし、自分がその場で選択権を与えられたら、苦しむ時間は極限まで短い方を希望する。そのくらい被爆後は生き残ることの方が、辛いことなのである。
ではこちら、今日は3ページ仕様。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21775&app=WordPdf
補足1 この写真は、広島赤十字病院の敷地内にあるモニュメントの傍にある墓標を撮影したもの。今年の2月に見学したときは、恥ずかしながら気が付かなかった。描かれている絵は、当時の事を思い出して描かれたものと思われるが、それらが墓標になったのは最近のようだ。 この写真の中の絵の説明は、その中の記述が全てと思われる。
補足2 東海村の臨界事故(1999年)で亡くなられた篠崎理人さんの公開された写真の一部と、当時公表された病状と治療の概要を資料として転載した。文章は中国新聞社の「被爆と人間」より、そのまま使用。このレポートから、被爆直後の広島・長崎の人々の体の状態が推察される。
補足3 テーマとして原爆や敗戦がらみの話は、残すことに価値があると考えている。いまさら、誰も興味はないだろうと思っていた。しかし、意外にも「時間を掛けて閲覧された方」は多かった。ふと、世の中捨てたものではないなと思った。