2010/09/10

三津浜と呉


 阿部 寛さん演じる秋山好古(よしふる)も、本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)も、香川照之さん演じる正岡子規も、みんなここ三津浜から見送られて松山を後にしたのである。当時から、上京することにあれほど憧れていても、いざ出帆するときには、やはり、ふるさとの両親や仲間、あるいはお城や道後温泉と分かれる事が辛かったに違いない。うーむ・・私も昔は、と情緒的な部分は理解できる。としても、見送る姿ばかりを映像化されても埒(らち)が明かない。それは、小説を忠実に再現しているには違いないにしても、何か虚しい欠落を感じてしまうのである。そこには三津浜というフレームを埋める演出が必要であり、必然性のある実体が付加されてこそ映像化の価値が出るのだと思う。その三津浜まで、どのような交通手段で見送りに行ったのであろうか。そして、見送る船はどのような船だったのか、疑問は次々と増えるのである。もちろん好古の時は、徒歩で行ったに違いないし、その距離は、おおよそ14km程度と考えられる。制作者は、見送りの映像を具体化するために、少なくとも現場を歩きその場に立つ必要がある。

 そんな事を考えていた矢先に、ドラマの中では、休暇を松山で過ごして海軍兵学校に戻る真之と律が子規の家で行き違いになり、その事を知った律は、後から真之を追いかけて三津浜まで見送りに行く場面がある。この時は、2人とも当時(明治21年)既に開通していた「松山→みつ(現在の古町駅 上の写真)間4km程度の距離」を列車に乗る事はなかったのであろうか。あるいは、行き違いになった場面の年は、開通する1年前だったのだろうか。そのことで、今ひとつ時代感というか、松山の鉄道進化の様子が掴めなかったが、明治23年には、「松山→三津浜」まで鉄道は伸びている。ということで、これは、小説の中身には関係ないが、映像化において時代考証は特別重要な要素といえる。

 その場面の続きだが、見送りに追いかけて来た律のたどり着いた(ロケ)場所は、目の前に厳島(宮島)の弥山(みせん)が見える対岸であった(あれ?なんじゃこれは)。真之は、砂浜から小船に乗って出るが、その先に見えているのは、本来ならば三津浜の先の興居島(ごごしま)でなければならない。興居島の山は伊予の小富士とも言われ美しい姿に特徴がある。それが見えていたら、ぐぐっとリアリティーがあったのだが、「宮島では、どうにも違いすぎる」。このようなすり替えは、ドラマの品位を大きく低下させる。この三津浜は、港の前に興居島があることによって、港内が静かで、沖で停泊中の船も風や波の影響を受けず都合の良い場所だったといえる。PDFの写真①は、興居島を高浜寄り梅津寺(ばいしんじ)から撮影したもの。この梅津寺の小高い丘の上には、秋山兄弟の銅像もある。

 三津浜は、古くから開けた松山を代表する港であった。現在は、近くの島へ向かうフェリーの港として活躍している。一方、呉・広島方面への船舶は、他の都市(小倉・大阪)向けと同様に「松山観光港」から出航する。地理的には、海岸沿いに三津浜が一番南にあり、その少し北寄りに高浜、さらに北寄りに松山観光港となっている。電車は高浜駅が終点なので、松山観光港へは、高浜駅からさらに連絡バス(150円)で行くことになる。さて、それでは、呉中央桟橋に向かって乗船することにしよう。松山観光港からは、スーパージェット(高速船5,400円:約50分)で行くか、クルーズフェリー(2,600円:約2時間)で行く。そのまま、呉から船を乗り継いで江田島の海上自衛隊 幹部候補生学校を見学に行く場合は、10:30(土日祭日は10:00、11:00)、13:00、15:00 の1日3回の見学コース(説明員付き90分)の時間を目標に逆算して船便を決める(詳細は補足に記す)。真之もこんな面倒な、呉を経由するルートを使っていたのであろうか?いいや、当時は今よりもっと海上交通が発達しており、三津浜から直接江田島へのルートもあったと聞いた事がある。

 さて、高速船は騒音が大きいので、フェリーの方がお勧めだが、退屈かもしれない。天気の良い日には上階の甲板に上がり、真之になったつもりで瀬戸内海を眺めて欲しいが、フェリーの左側の島々は、興居島を離れると中島が見え、後半の時間帯はもっぱら倉橋島となる。この倉橋島が徐々に近づいてきて、音戸の瀬戸の狭いところを航行すると、そこからは右側が呉である。音戸の瀬戸は、赤い大橋が掛けられて道路続きではあるが、昭和36年以前は、渡し船しかなかった。ここは昔々、干潮時には陸続きであったとされ、宮島(紹介済み)に続いてまたまた登場するが、平清盛が船の往来のためにと、1日でこの海峡を切り開いたと伝えられている。その業績を称えて清盛塚がある。その日の清盛は、自らの手で太陽を抱え込み、太陽が沈むのを阻止して時間を稼いだと言われ、それがもとで、太陽の神の怒りに触れ、のちに高熱を発し苦しみながら亡くなっている(ほんまか?)。その清盛の発熱は冷水が湯になる程だったという「言伝え」もある。その様な伝説を思い起こして、清盛塚に向かって手を合わせながら、この音戸の瀬戸を無事通過できれば約30分で(PDF写真④右端)呉中央桟橋に到着する。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21770&app=WordPdf

 補足1 現在の古町駅には、時々、京王井の頭線で走っていた車両を見る事が出来る。右端の車両もその例。

 補足2 埒が明かない→物事のけじめがつかない。事態がはっきりしないこと。
 
 補足3 幹部候補生学校の見学コース開始の15~30分前に受付を済ませるようにするのがよい。呉中央桟橋から江田島小用港までフェリーで20分(高速船で10分)、術科学校前までバスで7分、徒歩2分となる。したがって、9:25、12:20、14:22 に呉中央桟橋から江田島小用行きのフェリー、または高速船に乗ることになる。すると、松山観光港発からのフェリーなら9:35(→11:30)、10:55(→12:50)、12:10(→14:05)ということになる。また高速船だと10:00(→10:55)、12:00(→12:55)となる。接続が悪く、呉中央桟橋で時間が余ったら、すぐ隣の大和ミュージアムかてつのくじら館を覗くと良い。

 補足4 瀬戸内海を実際に眺め、地図などと見比べながら、本当に美味い牡蠣は何処産なのか考えると、やはり広島より江田島や倉橋島の牡蠣が美味しいことがわかる。でも、もっと美味しいのは、やはり三陸の牡蠣である。