2010/09/14
江田島 幹部候補生学校
本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)が、現在で言うところの東京大学を中退し、海軍兵学校に入学したのが明治19年。この時はまだ海軍兵学校は築地にあり、入学3年後の明治21年に江田島に移転している。江田島は周囲が内海で波は静か、山は古鷹山(ふるたかやま約400m)があり、学問をするにも、体を鍛えるにも最適であった。PDFに幹部候補生学校の庁舎の写真をまとめたが、現在も当時と全く変わっておらず、真之は紛れも無くここで勉強していたのである(PDF写真①の庁舎の背景に映っているのが古鷹山)。この建物は、英国から輸入した(現在価格にして1個2万円相当)レンガがふんだんに使われていたり、電気・電信・水回り・暖房などの配管は全て地下を通してあり、概観の美しさにも拘っていたのである。この庁舎は、戦時中1度も攻撃を受けていない。江田島湾内の目と鼻の先で日本の軍艦とグラマン戦闘機がドンパチを何度も行っていたにもかかわらず、全く持って庁舎は無傷だったという。アメリカ軍は、海軍兵学校を後々利用する目的があったからだ。
話は前後するが、江田島小用港に上がると、既にバスが待っているので、乗り込んで発車を待つ。動き出しても大方の人が第一術科学校前で降りるので、慌てることもなく付いて降りればよい。受付は、見学コース開始30分前から正面入口で行われ、住所と名前を書いてバッチを貰って、別棟の見学者控え室(江田島クラブ1階)へ行き、しばらく待つ。時間が来ると案内役のOBの教官が注意事項などの説明をして、いざ出発ということになる。 この日の注意事項は、「昨日、見学中に熱中症で具合を悪くされた方がいらしたので、必ず水分補給ができるように、お茶やスポーツドリンクをお持ちになって付いてきてください」とのことであった。また、その他の手荷物は、ロッカー(無料)に収めておける。
真之の若い時は、闘争心の強い性格であり、生意気だったと伝えられているが、成績も常に優等(首席)であったようだ。体力的にも学問的にも優れていたのである。ただ、当時から海軍兵学校は、入学時に学業成績優秀、強靭な肉体、そして、さらにもう1つ重要な評価項目があったと言われている。それは、「男前(おとこまえ)」でなければならなかったと、案内役のOBの教官は教えてくれた。その理由として、海軍兵学校出身者が不細工であっては対外的によくないと考えられたからで、いずれ日本を背負って立つ、あるいは日本を代表するような仕事に就くかもしれないからだという。うーむ、それで、役柄として3D AQUOSのCMで先端技術を売りにしている本木雅弘くんだったのか。今回の彼は、江田島湾の遠泳15kmを難無くこなし、古鷹山登山でも競って120回以上駆け上がり、何を競わせても常にトップであった、といえるほど極限まで心肺能力を高めた体型で登場している。胸板の厚みがそれを象徴しているといっても過言ではない。
男前になるのは、そうたやすい話ではないが、体力も、学問も、いずれも、それに割り当てられる時間が成績に大きく影響を及ぼす。海軍兵学校では、自由な時間がそれほどあったとは思えない。例えば、起床は6:00で、就寝は22:00である。その間に3度食事をして、甲板掃除を2回、入浴、教務を分単位でこなす。その様な過密スケジュールの中で、唯一自由に学習が出来る時間は、夕食から就寝前の19:30~21:45 の2時間程度と考えられる。この毎日の2時間で、級友を大きく引き離すほどの自習をしなければならなかったとすると、生まれ持った資質が重要な働きをしたのではないだろうか。何せ、真之の父である久敬は県の学務課に勤めていたぐらいで、そこは、「何事も闇雲に手を出すのではなく、コツというのがあることを教わっていた」のである。単に、要領よくやるというのと違い、「戦略的学習の勧め」のような、「教師の指導要点を掴みながら」ポイントを抑えて勉強していたのではないだろうか。そのくらい「相手(敵)を知り尽くしてから、動く戦略」の重要性が分かっていなければ 、東郷艦隊作戦参謀はもとより、海軍大学戦術教官にもなれなかった筈である。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21773&app=WordPdf
補足1 上の写真は大講堂の内部
補足2 正門前に少し早く着いてしまった私は、受付時間まで近所をうろうろしていた。10mほど先にコンビニのような本屋があったので、興味本位で覗いてみた。置いてある本はさすがに場所柄、兵器、戦艦、戦闘機、航空機、防衛、核戦争、核爆弾、ありとあらゆる戦争に係わり合いのある本が並んでいた。大型書店にも置いてないような超マニアックな書籍も豊富に揃っている。確かに、このような静かでのんびりとした場所では、訓練の目的意識や動機付けに、「ときたまメゲそう」になるかもしれない。分かるなー、精神的にも皆さん苦労されているようだ。
補足3 「坂の上の雲」の舞台を探すと称して松山→江田島を紹介してきた。今回は連続6回通して最終回。続けられれば 後々つづけたいが、続かないかもしれない。
もし、広島近辺に旅をされる事があったら、思い出してもらいたい。 さらに、過去には、呉のてつのくじら館、広島平和記念資料館、宮島なども紹介しているので、宜しければ参考にしてほしい。