2010/12/21

俵屋第2弾 御召列車

 昔から、よく使われていたかどうかはわからないが、「食感」という言葉は、大変便利だと思う。というのも、今日のように、いくつかの種類の和菓子の味を表現するのに、最初からかけ離れた表現でもなく、かといって、ただ美味しいという無頓着な表現でもなく、美味しさの評価が2つの方向から構成できる事を示唆している。たとえば、「食感が良く、美味しい」といえば、実際に食べた人の言葉として扱われそうだが、ただ「美味しい」では、社交辞令かもしれないし、単に売主の宣伝文句かもしれないという推測に終わってしまうからだ。特に和菓子は、それこそ食感を重視して作られている為に、さらに細かい口腔内の感覚を言葉にすることで、情緒溢れる表現として、美味しさを伝得る事が出来るのである。たとえば、「とろける舌触りと薫りで美味しい」とか、「微妙な歯ごたえと喉越しで美味しい」とか、「じわーっと溶ける瑞々しさが美味しい」とか、口腔内での親和性のよさで評価する表現ができるようになる。

 さて、和菓子ほど職人的気質や、技術やこだわりが重要な創作物は他にない。和菓子はお茶と一緒に戴くことも多く、大概の場合は、複数の人達が一箇所に集まって、品評会のように目の前で直接口に運び入れ、美味しさを語り合って楽しむ習慣もあるくらいだ。和菓子は見た目にも、美味しそうに見せる要素はたくさんあるが、一寸した原材料のこだわりから、製造方法などにも由緒正しい職人の流儀が脈々と流れており、一種の伝統芸術のような品格をあわせて楽しむ事が多い。そのために、新作のお菓子を口にした瞬間、その技術の高さにも驚き、やや半信半疑のまま「うーむ、なるほど美味しいわ」と後口にも感心するわけである。そんな、新たな発見をした時、屈託の無いコミュニケーションのきっかけが生まれることもある。これがお茶菓子の持つ役割の1つといってもよいかもしれない。 

 そんな会話があったかどうか分からないが、昭和天皇がお召し上がりになったお菓子は、今でも、案外世の中にたくさん残っている。もっとも、日常の宮内庁御用達という調達方法とは異なり、こと、甘いお茶菓子に関しては、イベント発注型とでもいうべき、何かの行事とかご旅行などに、必要な量だけ調達されるものである。昭和天皇は、多くの国民から「天ちゃん」と呼ばれ、ぐぐっと親しまれた天皇陛下で、そのくらい、列車と馬で日本全国を旅されることも多かった。そんなときには、必ず行き先の土地にちなんだお茶菓子か、いつものお気に入りのお菓子を召し上がられたと伝え聞いたことがある。私と同じ様に、「天ちゃんも、かなり甘い物がお好きだった」のだろうと勝手に想像するのである。

  今日は、その昭和天皇がお召し上がりになったと伝えられる、俵屋のお饅頭「御召列車」を紹介したい。加えて同じ写真の中には、絵日傘という、京きな粉をまぶした、とろける舌触りの「羽二重餅」、大きさ比較のための、前回と同じ大納言最中の「福多和良」、極上の小豆を使った「白菊最中」を並べてみた。菓子作りの職人にとって、天皇陛下からご拝命を受けることは、今でもそうだが、当時から大変名誉なことだったのである。 紹介するお饅頭、餅や最中はどれも先に説明した、舌触りや、じわーっと溶けこむ食感の美味しさを備えている。
ではこちら
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