2011/05/03

オーディオマニア15

 オーディオフェアなのに、たった1小間のスペースでデモ機を前に、丹念にその機能を説明する「おっさん」がいた。その日は、まだ平日ということもあって人もまばらで、こんなマイナーな場所に留まって説明に耳を傾ける人もいなかったと思う。おまけにその小間は辺ぴな場所で、人が気にもとめない角にあり、何気なく歩いていると見落としてしまいそうだった。私は、そのブースに置かれた1つのデモ機が気になっていた。何度も往復した後、立ち止まり、何かありがたそうな話に徐々に引き込まれていったのである。その、ほとんどが初めて聞く内容で、「ほーっ」と溜息をつくぐらい新鮮であった。要約すると、「カセット・ハーフの成型精度は様々で、その成型精度そのものがカセットデッキの性能を制限している」と言う話であった。そのデモ機は、説明どおり測定器のように正確に動作し、理屈どおりの性能を示している。まさに手品のようであった。私は子供が紙芝居を見るような気分で興奮し、わくわくしていた。
 
 それは1972年頃、既にカセットデッキがオーディオ装置のコンポーネントの1つとして認知され始めていた頃に遡る。当時、音質はまだメモ程度だったので、一般的には英語のヒアリング用途と言う印象が強かった。標準的なスペックは、周波数特性=50Hz~10,000Hz、S/N=45dB、ワウ・フラッター0.1%WRMS 程度だったと記憶している。もちろんそれでも、音楽はそこそこ楽しめたと思われる。後に、FMエアチェック用途が、オープンリール・デッキからカセット・デッキへの移行が進み、カセットデッキの有用性が広く認識されるようになっていくが、テープデッキの専門メーカーからは、残念ながら、しばらくはカセットデッキの性能向上は見られなかった。そんな時に、ノーマルカセットでも20Hzから20KHzまで周波数特性を平坦に保ち、ワウ・フラッター0.04%WRMS以下、S/N=56dBと凄まじい性能を叩き出していたのが、あのオーディオフェアに持ち込まれたデモ機の製品版カセット・デッキTT-1000 だったのである。そして、その「おっさん」こそナカミチの飯塚厚さんで、初めて取材したのは、そのオーディオフェアの6年後になる。既に各社カセットデッキのHi-Fi 化が徐々に進んでいたが、あくまで性能を追及するナカミチTT-1000、700 やその後継機に対して、まだ、テープ・デッキメーカーは、あくまで手軽さを優先して商品開発を進めていた時期である。その後、市場の要求などもあり、徐々に本格的な性能向上に目が向けられはじめる。

 オープンでもカセットでもテープで性能を追求するのに最適なのは3ヘッド方式である。それを実現するには、カセットではヘッドの配置に制限があるため、2つの方式へ進化することになる。1つ目の答えでもある、コンビネーション・ヘッド方式ではLo-D(日立製作所)のD-4500が代表的である。しかし、それは録音ヘッドと再生ヘッドが結合していて、録音時に遮磁板を経由した磁束漏れを再生ヘッドが拾うなど問題点もある。また、コンビネーションであるがゆえの、再生ヘッドの形状効果も顕著で、低域周波数特性の暴になって現れている。一方、ナカミチのセパレート・ヘッド方式は、理想的なヘッド材料や形状で製造できるが、録音時にカセットごと録音ヘッドのアジマス調整が必要なので操作性に難点がある。ナカミチは、常にクラス最高のカセット・デッキを発売し、カセット・ハーフ毎のアジマス調整操作をユーザーに任せてきた。それを理解したマニアには、すこぶる納得のゆく製品であったと思われる。他方で、ソニーの3ヘッドカセットデッキTC-6150SDでは、6μというワイドギャップの録音ヘッドを搭載し、録音アジマスは固定式を貫いた。再生ヘッドは0.9μと超ナローギャップで高域の周波数特性を改善している。その後、ソニーもTEACも、コンビネーション・ヘッドによる3ヘッド方式を採用する。結局、ナカミチ以外のメーカーは、セパレート3ヘッド方式の価値を引き出すことは無かった。そして、録音ヘッドと再生ヘッドに若干の距離を置き、それぞれ形状効果を配慮したコンビネーションヘッドへと進化をすることになる。

 私は、編集屋時代に取材活動を通じて飯塚厚さんに様々な事を教わった。また仕事を離れたその後も、長いお付合いをさせていただいたが、2年前他界された。結局、ナカミチのTT-1000の性能の優秀性は、B&Kの用紙を通じて知るに留まったが、そのお付き合いを通じて、3ヘッド方式でカセット・テープの性能を引き出すのが、如何に難しいかを知ったのである。また、録音アジマスをカセット毎調整するという、コンスーマでは考えにくい操作をユーザー自身に任せながらも、業界の牽引役となったナカミチが果たした役割は大きかったと思われる。しかし、私個人的には、録音時のカセットごとの調整はやや窮屈に感じてきた。それは、録音時の必須の操作になってしまうからである。今日紹介するのは、今日の話題に反して2ヘッド方式のカセットデッキTC-K88である。古いミュージックテープの再生用として、手軽に楽しめ、特にクラシック音楽を再生するのに、厚みのある中低域と素直な高音域などカセットを意識させない音質が魅力である。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21932&app=WordPdf

補足 アジマス:テープの走行方向に対してヘッドのギャップが接している角度を言う。理想的には90度である。カセットテープは、そのプラスチック成型のハーフに収容されているテープを使用するが、型から抜き出されたハーフのガイドやピン精度によって、テープは必ずしもヘッドギャップに対し垂直に当たって走行するとは限らない。 
 セパレート3ヘッド方式では、録音ヘッドがハーフのパッドや遮磁板のない手前の小窓に挿入される事が多いが、この時、録音ヘッドと再生ヘッドの間には、ハーフ側のガイドが介在する為、物理的にアジマス角が90度でも、テープ上のフォーマットでは平行が崩される事がある。そのために録音ヘッドのアジマス角度を動かして、再生ヘッドに対して記録フォーマットのアジマスが90度になるように調整する必要がある。コンビネーション3ヘッド方式では、記録と再生ヘッドが同じ遮磁板のある大窓に挿入されるため、アジマスの問題は根本的に避けられるが、今ひとつ再生ヘッドの大きさやヘッドの構造などにより高域の再生能力に限界があるとか、低域ではヘッドの形状効果によって周波数特性が暴れがちである。