お酒の呑めない私にとって、お酒の世界は、いつも一種独特な別世界の様相を呈しているように思えていた。「お酒はぬるめの燗がいい」 ・・・ふーん、そうなんだ。「肴は炙ったイカでいい」・・・おーっ、確かにそれは美味しそうだ。「女は無口なほうがいい」・・・・うーむ、そう、そう、全くその通り。と、一見して共通する感性もあるように思われるが、実は、感情に任せて、意固地になり、あるいは「天の邪鬼」といった、独特で難解な「わがまま」を通す世界に浸れるのかもしれない。肝臓にアルコール分解酵素を備えているかいないかだけで、そんなわがままを乱用する人達が、世の中にそんなにたくさん存在していいものかと、ずっと不可思議に思ってきた。おまけに、そんなに独特で難解な「わがまま」を通せるなら、酒呑みになった振りをしてやろうとする人も少なくない。
これもまた「お酒が飲めない」という理由からくる一種の差別意識か、コンプレックスのように思ってきたわけだが、私の様な昔の若者は、それ自体で窮屈な青春時代を過ごしてきたのである。呑めないなら、呑ませてみよう不如帰ではないが、全方位的に先輩方からいじめられてきた。現代では逆に、呑まない若者の方が独自の世界を繰り広げていて、情報入手も多彩で不自由がない。したがって、自然とお酒の力を借りないと何も出来ない、あるいは「言いたいことも言えない人種」を軽蔑視してしまっているのである。最近は、その軽蔑というか差別視が行き過ぎて、思ったことをストレートに表現する人たちも増えた。酒の場というのに、「呑んだ後すぐに車を運転して事故を起こす」そんな理性の欠片もない人間が、「数年の牢屋暮らしで許される方がおかしい」、事故を起こし次第、即刻「公開処刑」にすべきだ!という怒りを露わにする「呑めない若者」も少なくないのである。確かに、そのような時の車は走る凶器と化すわけで、逃げ場がない橋の上や通学路などはたいへん危険である。
さらに、事故の責任範囲の拡大解釈も進んでいる。飲酒運転した人だけには留まらず、飲酒を勧めた人たちも同罪であるという現行の責任範囲から、いやいや、「酒おびを検知して機能しないようにすべき車メーカーにも責任がある」という見方や、最近は、アルコール飲料を販売している「酒造飲料メーカーにも責任がある」と囁かれるようになってきたのである。そこまで問題にされるような、不条理で悲惨な事故が多かったという現実もあったからである。今後は、それ以上、飲酒運転で人を巻き込む事故につながりテレビや新聞を賑わせると、運転者の自己責任も加重され、酒類メーカーや車メーカーに対する世論の風当たりがさらに強くなるに違いない。
そのような背景もあってか、酒造メーカーは、「ノンアルコール飲料」を加えて選択肢を増やし、「暗に弊社の責任は小さいよ」と飲酒運転事故における自己責任度を高めようとしているのである。一方で、お酒の呑めななかった人達にも「独特で難解なわがまま」の言える世界を味わってもらおうと「ノンアルコール飲料」をファッション化しようとしているのである。それではアルコール0の清涼飲料水とは、どのような商品なのであろうか。ということで、今日は、サントリーの「のんある気分」をぐびぐび呑んでみたい。ところが、口に含んだ瞬間、何となく笑いがこみあげ、感想を言葉として並べてみると、「夏場のかき氷に掛けるシロップを薄めて炭酸を加えたような味」である。そういう意味では、独特で難解な「わがままを言いたくなる」お味になっている。でも、子供のころを思い出すような一種の懐かしさが通り過ぎていくようで、チョッとだけなら楽しいかもしれない。
ではこちら
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