2011/12/29
年越し蕎麦
深大寺で蕎麦をいただくなら、いつの日か初詣より、空いている末詣の方がいいと思うようになった。年末に今年の感謝のお参りをして、年明けは、誕生日の前に初詣がてら新規のお願いに行くことにしている。この、「ええっ?」って言われそうな、あつかましいお願いをしながら、年末と年始は蕎麦を食べて近くを散策する。今日も、そんな気分で深大寺まで軽く足を延ばして来た。しばらく来ていないが、何も変わっていないことに安堵する。深大寺門付近の蕎麦屋はそれなりに創意工夫をして、お店の独自性を出しているので、どこのお店が行きつけと言うこともない。むしろ二十数軒ある蕎麦屋を巡って、自分好みにあった蕎麦屋を見つけるのを楽しみにしている。
遠い昔の若い頃10年間ほど神田淡路町の出版社で仕事をしていたことがあり、いつの日か近所にあった超老舗の「藪そば」も「神田まつや」も、私にとっては定食屋並みに親しみのあるお店になっていた。いずれも、すでにこのブログの「神田シリーズ」で紹介したことがある。自分としては、これらのお店の「つゆと蕎麦」の味は、既に脳裏に焼き付いており、今更ながら懐かしさはあっても、新たな発見はない。こういう老舗のお店は、むしろその変らぬ美味しさを求められているようだ。人は歳を重ねると、新しいことより、古いことを思い出して喜ぶように設計されているらしい。だから、古い老舗の懐かしさに感動しやすいのである。そんな人が周囲にもたくさんいらっしゃるはずである。
深大寺門付近の蕎麦屋は既に何軒も食べ歩いてきたが、お店の特徴は何も蕎麦の喉越しやつゆの風味だけではない。風情を感じさせるお店内部の様子や外観にも拘りを感じたりするのである。そこに、「いわゆる客を引く見えないお上」の姿があって、かん高い声で「いらっしゃい~」と声をかけられているような雰囲気を感じさせてくれるのである。その日の気分や日差し、あるいは天候などによって、うーむ、今日はめっぽう「腰の強い蕎麦」にしたいなあ~とか、美味しいつゆの「かけ蕎麦」で温まりたいなあ~とか、自然薯の「とろろのかかった蕎麦」をづるっと戴きたいとか、様々に想像をめぐらして、わがままに遊びつくせるのである。
今日は、深大寺バス停を降りて、深妙大王堂から深大寺本堂への「西からの参道」の、ほぼ入口にある「青木屋の外観」を紹介したい。数多くの提灯の並びに特徴があり、やわらかい間接照明の中で50年続く拘りの本命蕎麦を満喫できる。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211065&app=WordPdf
深大寺周囲の他のお店も見てみたいと思われるなら、過去のライブラリーから再掲してみたい。自作蕎麦の紹介になっているが、写真のみ参照されたい。
まず、おろそかにしてはならない深大寺蕎麦観音から
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21277&app=WordPdf
1軒目の門前蕎麦
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=0FF68288DD53524E&resid=FF68288DD53524E%21736&app=WordPdf
2軒目の一休庵
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21313&app=WordPdf
3軒目の八起蕎麦
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21284&app=WordPdf
4軒目の雀のお宿
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21478&app=WordPdf
などである。