切り取られた跡形も、取り除かれた方も、もっと綺麗な筈なのに、妙な角度で力が必要だったり、すいすいと薄皮を切り取ることが難しくなったので、少々苛立ちを覚えるようになった。使っていない筋肉が徐々にやせ細っていくように、大脳から出る運動指令の神経伝達機能が知らないうちに退化しているのかもしれない。そう思ってしまうと、益々イライラが増して、何か自分自身で本当にそうか、確認してみたくなったのである。そのためには、まず、よく切れる包丁が欲しかった。それによって、自分の手や指先が、視覚に沿って正しく動作しているか分かるはずである。
そんなことに苛立ちと不安を覚えながら、日々を過ごしていたらテレビショッピングで、よく切れる包丁の紹介があった(切れない包丁の紹介などないが)。実物は、考えていたサイズより少し大き目で、おまけに価格も一寸お高いが、野菜や肉をスパスパと切りそろえ、おまけに切断面のシャープさを強調されると、「うーむ、これだ」と思ったのである。去年の暮れに購入して、お正月料理を通して自分なりに使いこなしてきたが、よく切れる包丁は、まるで大脳の脳みそを入れ替えたように俊敏に反応し、手や指先によく追従してくれる。軽く持ち上げたトマトの皮むきが綺麗に型崩れなしであっという間に仕上がる。林檎などは、幅1.5cm程度の皮1本連なった状態もなんのそのである。
やはり、運動神経が退化していたわけではないらしい。ほんのわずかな事だけど、幾分キレの悪い状態になっていたということらしい。いくら一生懸命が研いでも、所詮素人なので良く切れるのは4~5日が限度だったからだ。新しい包丁を使い始めて1.5カ月ぐらいだが、切れすぎるので怖いぐらいである。まったく肩や指が緊張することもなく、刃の角度や刃先の向きの調整だけですいすいと切れる。おまけに切り口が綺麗なので、もっと切りたいと思う気持ちが沸き上がってくる。
ついでに、まな板も新しいのにしたのだが、これがまたゴム製で、最初は吸いつくような感触で具合がよくないなと思っていたのだが、慣れるとコツがわかり、包丁と自分の感覚を調整することで相性もよくなってきた。そして、今や元へ戻る必要がない状態である。ちょうど板前さんのような、心意気を感じている。「ヘイ、いらっしゃい、中トロ盛り付けますか?」と言う言葉が口を突いて出そうで、まさに刺身に自信が持てる切れ味なのである。
包丁の切れ味が少々悪くなってきても、人はそれなりに工夫をしながら、綺麗に切ろうとする。しかし、ちゃんと研がかれてないと、どんどん自分自身が苦しい状況に追い込まれる。歳を重ねると、肩こりから来ると思われるが、手や指先が時たま微妙に痛むことがあったり、細かい指先の自由が効かなかったりする。その指先の力の入れ具合が上手に調整できないと、包丁操作が大雑把になり返って危険を伴う。結局、それが何かにつけて、老化に伴う心理的不安から自己嫌悪に繋がってしまうかもしれない。やはり、道具は正しく調整された物を使わなければならない。数だけたくさんあっても意味がないのである。
ではこちらの包丁とまな板
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211086&app=WordPdf
補足1:テレビショッピング=番組は ShopChannel ショップチャンネルのこと。
補足2:食材の断面が綺麗だと、刺身、煮物、焼き物など、何かにつけて美味しく感じる。うーむ気持ちいい。