とても貴重と思えるような、「越中の銘菓」を頂戴した。何もそんなに興奮することもないのだが、少し震えながら薄皮一枚残るように丹念に包装を切り開いた。それは、極めてデリケートに作られた品物だからである。そして、そこには、ありがたい「小島政ニ郎の一節」が織り込んであった。よく使われる対比型強調表現だが、そこがまた美しいので、そのまま引用させてもらう。
「越中の銘菓も相当あるが、石動の「薄氷」とゆふのは実によくできている。あれはたしかに一流の銘菓ですよ。よくあんな辺ピなところに、あのようなしゃれた菓子があるんでしょうね。また、あの切り方がいい。まったく冬のあしたふと目を落とした足もとのうす氷が割れた自然のかっこうである。味にしてもすばらしいもので、ちょっとよその菓子ではあじわえない高価なものです。・・・・作家小島政ニ郎 氏談より
さて、このような和三盆を使った菓子は、宮内庁御用達とか、絵画や文芸と言った集まりの席で珍重されるもので、その感性を刺激する高貴な甘味が魅力である。よく田舎者に話すと落雁などと混同されることもあるが、全く別物である。この甘味のとりこになってしまうと、それ以外の何物を持ってしても、つまらない甘味に感じてしまうと言われているのである。長い人生の間に、一度は食べておきたい菓子と言ったところであろう。確かに、現代は甘いもので溢れている。しかし、長い歴史の中で、今もなお愛され続けている事実を自分も感じてみたいと思うわけである。
また、これほど面倒な工程を踏んで作られる品物が、なぜ富山県で伝統の高級煎餅として愛されてきたのであろうか。歴史的にも地域的に見ても「和三盆の産地は、高松、徳島」なのである。この、まるで松本清張の点と線にも似た謎めいた構図は、誰にでも難解に写るに違いない。しかし、薄氷の由来には、紛れもなく、「特選の材料で精製したうすい真煎餅に徳島特産の高級和三盆糖を家伝の秘法により塗布したもの」とある。
実は、真煎餅は富山特産の新大正米を使用して精製した薄い餅であること、和三盆糖の製糖の最終工程では寒水を使い、寒風にさらすため、上質の物を作るには寒冷地が適していること。それらに加えて、四国等の温かい地方の人達とは違い、寒くて凍えそうなのに、なお、根気に満ち溢れた仕事ぶりで定評のある人達が住む「あんな辺ぴなところ」であり、「冬のあしたふと目を落とした足もとのうす氷が割れた自然のかっこう」のある場所、それが富山だったのかもしれない。そうやって、徳島と富山が一つの直線で結ばれているのである。
ではこちら
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補足1:対比型強調表現→よくあんな「辺ピなところ」に、あのような「しゃれた」菓子の文節。辺ぴなところに対比するのは、「しゃれた」だけではなく、「切り方がいい」、「うす氷が割れた自然のかっこう」、「味にしてもすばらしい」、「よその菓子ではあじわえない高価」、と多くを褒め言葉で占めている。褒め言葉をより強調するために、最初に1か所反対の「あまりよくないとされること」を書くことがある。それが「辺ぴなところ」である。辺ぴなとは=奥地とか、僻地と言う意味で、このような品物を作るには適した地域なのかもしれないが、「よくないこと」として取り上げて、文節に組み込んでいる。
補足2:それにしても、最大の山場でこの「冬のあしたふと目を落とした足もとのうす氷が割れた自然のかっこうである」という表現にはしびれる。ういー!まいった。