2012/04/06
桔梗信玄餅
この信玄餅を口にするたびに思い出すのが、「武田信玄は、息子が茶漬けの湯を途中で足すのを見て、 自分の食べる湯の量さえ分からないのに、偉い武将になれるのか」と、落胆したという話である。それを聞かされてから、お湯を使う食事に関して、子供心に慎重に対処するようになった記憶がある。この「いい案配」を予測することは、確かに、この世の中にたくさん存在し、最近は「経験済み計画性の中からこそ正確な予測が出来る」として、経験豊かな事でも慎重に取り組むように心がけている。しかし、果たしてそんな面白くない人生でよいのか。
武田信玄は、武将として多くの「名言」を残しているが、一種独特の身近な笑いにも通じるような庶民的な「明言」も残している。たとえば1例として、「自分の学んだことをひけらかしたり、自慢する必要はないとする人が、真の知恵者である」とか、あるいは、「人は遠慮の二文字が肝要である。遠慮さえあれば分別にもなる」とも説いていたり、今でも通用する納得感のあるものが多い。この2つを、もう少し現代調に書きなおすと、さしずめ、この「自分で学んだことをひけらかす行為は、同時に自分の理解度をひけらかすことにもなり、たいへん危険な行為である」と説きたいし、人生は「遠慮」ばかりしていても埒が明かないので、別の視点から「人は謙虚のニ文字が必要である。謙虚さえあれば組織に馴染みやすい」と説きたい時もある。そんなことを、最近身近に感じることがある。
餅を食べる前から、喉がつっかえるような話をしてしまったが、今日はこの武田信玄公のお名前を拝した信玄餅2種を比較してみたい。まず、本来この信玄餅の「戦いの場」での食べ方は、ビニールの風呂敷包みに、容器に入っている3個の餅を全て広げ、その上から黒蜜を掛けて、きな粉と混ぜたり、混ぜない部分を残したりしながら餅につけて戴くというのが、「それがし」の考える流儀かもしれないが、最近メーカー側は食べ方について、「容器に入った3個の餅の真ん中の1個を持ち上げ、そこへ黒蜜を注ぎこみ、きな粉と混ぜて戴くように」と推奨している。いずれにしても、きな粉をこぼしたり、鼻息で飛ばしたりしないように注意が必要なので、個人的には、上の写真のように大きめの器で戴くのがお薦めである。
この信玄餅2種(上写真右が吟造り)の比較をすると、「吟造り」は、1.餅は、餅米の違いによる、風味、甘味、柔らかさが異なる。2.きな粉は、丹波の黒大豆のきな粉を使い、薫の高い香ばしさが際立つ。3.黒蜜は、山梨県産のアカシアの蜂蜜を加え、甘さを抑えた味わい深い蜜になっている。等、幾つかの違いあるらしいが、それらが混然一体になって、より上品で奥深い味わいを醸し出す信玄餅「吟造り」になっている。しかし、「吟造り」の薫高い高級感は、「客人向けとしては美味しい」とは思うが、個人的な好みをあえて云わせて戴くならば、餅の硬さや食感、あるいは黒蜜との相性としては、通常の桔梗信玄餅の方が満足感が高い。ま、簡単に申し上げれば、「食った気になるのは」普通の信玄餅ってことなのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211119&app=WordPdf
補足:信玄餅は、武田信玄公が活躍されていた室町時代から、あたかも戦いの場で信玄公御自身が口にされたような雰囲気とネーミングだが、昭和43年のごく最近の発売である。