日本の食文化の一端を担うお弁当は、競争の激しい商品と言える。限られた大きさの容器、売りやすい価格設定、短い消費期限など、あらゆる角度から厳しい制限を受けている。にもかかわらず、顧客からは「楽しみが潜んだ期待値の高い商品」として位置づけられている。一体この関係はどうやって築きあげられたのであろうか。この日本伝統の弁当商売は、米国から輸入した「最大公約数的なマーケティング」と「価格競争力に頼る」販売手法では、おおよそ到達し得ない領域と言える。それは、磨き上げられた職人技に裏打ちされ、季節の変化や場所、あるいは、口にするまでの流れを重視した「食文化に根づく思想」があるからに他ならない。
お弁当は、単にご飯とおかずを折りに詰めただけのものではない。人はそれぞれお弁当の楽しみ方をすでに購入前から考えている。その「要求に応えられそうなお弁当」だけが売上を伸ばすのである。お客は、「こういうお弁当が欲しい」と要求を言葉にすることはない。そんな「はしたない事」は、日本の歴史上許されていないのである。それは、あくまでニーズの先を慮(おもんばか)って作られるからである。この「先を慮る」という行為が、古くからある日本的なマーケティングなのである。この食材を使えば、喜んでくれるだろう、この味付けは、お母さんを思い出して馴染み易いに違いない、これこそ高級料亭の味だ、また、こんなに色が揃うと綺麗に思える、そして、量は少なくても、これだけの種類のおかずを揃えれば、必ずや満足してくれるに違いない。その様な様々な想いが1つ1つ形や色を変えて結集しているのである。
今、欲しがっている物を慮れるのは日本人の優しさなのである。時として「おもてなしの心」であり、関わっている人を喜ばせる美意識といえる。その想いや気持ちを、電車に乗る前に買い求めるから旅が楽しくなるのは当然である。ビールを飲みながら、幾つかおかずをつまみ、さかなにする。だから、おかずは種類が多い方が良い。そして、小腹が空いたら、いよいよ御飯に手をつける。御飯はおかずのいらない味付きがよい。そんな、ビジネスライクな食べ方ばかりでもないが、車窓を眺めながらの時間は、じっくり考え事も出来るし、何かそういった平素味わえない食感を堪能してみたい気分なのである。寒い時に温泉が恋しくなるのと同じ様に、電車に小一時間も座ろうものなら、弁当はどんな物を用意すればよいか、おのずと欲しいものは具体化される。
さて、本題が最後になってしまったが、あのシウマイで有名な「崎陽軒」がこんな弁当を出しているというのが今日の話である。この写真の中で特に美味しいのは、金目鯛の照り焼きの乗った「金目鯛の御飯」である。少々味付けは濃い目に仕上げてあるが、これだけで「十分お値打ち」を感じさせる会心作で、二口目からは「美味いっ、と笑み」がこぼれてしまう程である。それでも崎陽軒の存在感を印象付けるのに、どちらの弁当にもシウマイが添えられている。しかし、間違ってもこれに最初から箸をつけてはならない。最後の「締めに残すのが崎陽軒の作法」だからである。値段が違うと言ってしまえばそれまでだが、金目鯛の御飯はたいへん美味しい。自宅へ「持ち帰り弁当」にする場合は、金目鯛の御飯を取り出して少し蒸してやると、御飯が柔らかくなって俄然美味しい。
ではこちら
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